第42回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
SASの極秘作戦 後編
文:nona
アルゼンチン本土飛行場強襲に先立って実施された偵察作戦「plum duff」。たった6名のSAS隊員がアルゼンチンのフエゴ島に送り込まれたようですが…
http://airsoft-army.com/archive/index.php?thread-2522.html
売り上げランキング: 740,150
アルゼンチン本土を目指して闇夜を飛ぶシーキング。そのルート上に奇妙な明かりを発見。マゼラン海峡の入り口に点在する海底油田のプラットフォームでした。照らしだされる危険を防ぐため、やむなく北に大回り。これは計画になかった障害で、20分ものロスが発生しています。[1][2]
http://www.tecpetrol.com/patagonicos/cuaderno17/htm/c1717.htm
マゼラン海峡に点在する油田のプラットフォーム。「フエゴ島」はマゼラン一行が海峡通過時に見た、原住民の烽火(Fuego)にちなんで名付けられた。
油田地帯を抜けたシーキングはアルゼンチン領フエゴ島に侵入。ところが今度は霧が進路を阻害。一度は接近する航空機からの発見を防いでくれたようですが、やがてシーキングも前進できないほどの濃霧になりました。やむなくハッチングス機長は作戦の中止を宣言します。[1][2]
それでもSAS隊員達はフエゴ島に残り、歩いてでも前進を続けると主張。SAS隊員と別れたシーキングは進路を西に向けチリへ離脱します。 [1-1][2]
ところがシーキングは国境のカルメン・デ・シルバ山上で高度を上げてしまい、途端にアルゼンチン軍のレーダーに捕まってしまいます。これまで気晴らしに冗談を言い合っていた乗員たちは一気に沈黙。背中からミサイルを撃たれないかと怯えましたが、幸いアルゼンチン軍に追撃される前にマゼラン海峡を渡りきったようです。 [3]
シーキングはチリのプンタアレナス市から11マイルに到着。乗員たちは作戦の痕跡を隠すため、乗ってきたシーキングを海底に沈めることになっていました。乗員達は斧とサバイバルナイフで同機に小穴を開けた後、海岸に着水させています。[3]
ところがなかなか沈まなかったようで、やむなくエンジンを再始動させて海岸へ移動、火を着けて破壊することになりました。残骸は目に着く場所に残されてしまったため、イギリス国防省は「対潜哨戒中にエンジン故障と悪天候で母艦に戻れなくなったため、やむなく最寄りの中立国に降りた」というカバーストーリーを発表しています。[1]
乗員たちはチリの山林で8日間潜伏した後(おそらくチリ当局もこれを知っていた)、MI6のエージェントに助けられています。[2]
ちなみに本来の着陸ポイントが海兵隊の臨時キャンプになっており、さらに2機のミラージュが迎撃に向かっていたのですが、乗員たちがそれを知ったのは戦後になってからのこと。もし霧が晴れていて、まっすぐヘリを飛ばしていれば最悪の事態を招いたでしょう。[2]
ハッチングス機長いわく「まさに戦場の霧によってミッションの中止を余儀なくされたが、それは同時に我々の命を救った救世主でもあった」と回想しています。[2]
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2014/03/29/article-2592320-1CABF75F00000578-608_634x445.jpg
フエゴ島の海岸
一方のSAS隊員ヘリコプターを降りてからというもの、地図にない湿地に足をとられ行軍スピードが低下。この時使用されていた2つの地図は1930年代の学校用の地図帳から抜き出したような薄いものと、1943年版のアルゼンチン地図を焼き直したという「ビンテージ」品だったのです。[4]
さらに隊員がみぞれ雪で低体温症になってしまい、やむなく偵察作戦を中止。チリ側のランデブーポイントまで後退することになりました。昼間は草や地形を利用した簡易シェルターに隠れ風雨とアルゼンチン軍のパトロールを回避、夜中に慎重に後退しています。ただし暗視装置はなかったようで、SAS側の優位さはありませんでした。[4]
5月22日に国境のランデブーポイントにたどり着きますが、数日待っても救援が現れません。隊員たちの持つ衛星通信機は行軍の途中で濡れて故障、4日分しか持ち込まなかった食料も底を着きかけていました。[4]
そこで5月26日、チリの街で電話を得て連絡をつけようと、ローレンス大尉と部下1名がチリの外界に降ります。キャンプコートを羽織り正体を隠していましたが、裏にはブローニング・ハイパワー拳銃を忍ばせていました。[4]
http://placesbeyond.com/tierrdelfuego/
フエゴ島の道路
街へ向かう途中、彼らの前に民間の材木トラックが通りがかり、親切な運転手の計らいでこれに乗せてもらいます。なんとかイギリス領事館と連絡をとれたのですが、領事館はSASが求める救助隊の再手配ではなく、チリ当局への自首を促してきたのです。[4]
ローレンス大尉は領事館員のつれない対応に失望したようですが、彼らは街にいた本来の救援チームであるSBS隊員に出会うことになり、ようやく救助されることになりました。[4]
plum duff作戦の準備の杜撰さを指摘し、救援の不十分さに憤るローレンス大尉。しかし査問委員会は霧中で前進の判断をしたローレンス大尉自身にも責任がある、と彼をSASから追い出そうとします。この対応にローレンス大尉はSASを見限り、自らイギリス軍を去っています。[4]
現在のローレンス氏はMikado作戦とPlum Duff作戦を「ヘレフォードのフーリガン達が自身の神話を保つために作った作戦だ」と非難。ちなみにヘレフォードはSAS第22SAS連隊の本拠地、フーリガンはSASの俗称ですが、一般的には不良、ヤクザ、愚連隊を意味しました。[4]
今回のplum duff作戦の中止や、かねてからのC-130の訓練で指摘された問題でMikado作戦に問題があることが徐々に明らかになります。そして、これが自明となったのがアルゼンチン沿岸への電子偵察飛行でした。ニムロッドの電子偵察機型がアルゼンチン沿岸の防空網を調べた所、その能力が想定以上のレベルであることが判明。C-130が着陸の前に発見されることが明らかになります。[5]
http://www.tin247.com/iem_mat_vu_khi_hang_nang_trong_cuoc_chien_libya-2-21737641.html
ニムロッド.R1電子偵察機。
ニムロッドから持たされた情報によって無茶な作戦はストップ、Mikado作戦は一時延期となりました。その代償としてエグゾセでアトランティック・コンベアーと3機のCH-47が海に沈んでいます。[6]
それでもSASはMikado作戦を諦めておらず、今度は通常動力潜水艦のオニキスを用い、ジェミニゴムボートでSAS隊員をフエゴ島に浸透させるプランBも検討されました。[7]
http://www.discoverinverclydewaters.com/new-tourist-attraction-greenock/
通常動力潜水艦のオニキス。Mikado作戦で出番はなかったが、フォークランド島ではSBSの隠密上陸に使用された。
ところが、このプランBは実行される前にフォークランドの戦闘が終結。Mikado作戦は完全に幻のものとなりました。この作戦は戦後もしばらく秘匿され続けましたが、2000年代になってMikado作戦の関係者が当時を語るようになり、今ではMikado作戦を「自殺作戦」として報道されるようになりました。
出典
[1]BBC Former Yeovilton pilot talks about 'Operation Certain Death'
[2]METRO How Operation Plum Duff remains one of the most secretive military missions
[3]Weapons and Warfare.com Codenamed Operation Mikado I
[4]デイリー・メール・オンラインThe secret disastrous SAS attempt to invade Argentina revealed
[5]Rubber-Band Powered Blog Functions that are particularly vital – Operation Mikado
[6]空戦フォークランド P169~176
[7]the Aviationist"Operation Mikado": A one way mission to wipe out Argentine Exocet Missiles during the Falklands War
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
売り上げランキング: 89,893
コメント
イギリスってどうしてこう色々テキトーで人命軽視なんだろう。
どうにも戦争に向いてる国とは思えない。
でも外交で上手く立ち回ったり国力で押し切ったりして
最終的にはいつも戦勝国側にいるww
機体なんざ消耗品、パイロットさえ生き残れればそれでいい、を地でいってるんですね
関係ないとは思いつつも自衛隊にそんな選択肢ができるだろうか、と思ってしまう
連続の掲載は今回で一段落し、続きはまた後日となります
1様
マスターキートン!
読んだ事無いですね、浦沢直樹さんでしたっけ?
名言が多いとは聞いております
なお、ここからは噂のようなものですが、
チリを中継基地としてリオグランデを攻撃するプランCがあったそうです
アメリカ空軍機に偽装したC-130でチリ軍の航空基地に入り、
ここからリオグランデを目指す、という計画です
チリ自身もアルゼンチンに打撃を与えることを望んでおり
イギリスに基地の提供を申し出ていたようです
しかしアルゼンチンとチリの関係が悪化し、両国が戦争になるのは必至
戦火の拡大を避けたいイギリスはチリの申し出を断った、
という報道もあります。
2様
まあ...
事前偵察の結果で妥当な判断を下したようなので、
イギリスにも最低限の常識はあったかと...
極地や僻地は敵兵の監視が薄いので潜入ポイントにはもってこいですが
その代償に自然環境を敵に回すことになりますから...
サウスジョージアの時もそうでしたが
SASは地理が不明瞭な場所に投入されて
少し可哀想
4様
偵察隊の降下は5月18日の未明でした
因みに本隊の突入予定日は5月18日から22日
特に5月21日未明が有力でした
イギリス軍のフォークランド上陸した翌日です
5様
自衛隊が機体の放棄を前提にした作戦を組めるかは不明ですが、
今の自衛隊なら航続距離の長いCH-47や、近い将来V-22を使えるので
機体の使い捨ては防止できるかもしれませんね
(旧軍はパイロットも消耗品扱いにしてましたが)
ここからリオグランデを目指す、という計画です
チリ自身もアルゼンチンに打撃を与えることを望んでおり
イギリスに基地の提供を申し出ていたようです
しかしアルゼンチンとチリの関係が悪化し、両国が戦争になるのは必至
戦火の拡大を避けたいイギリスはチリの申し出を断った、
という報道もあります。
コメントする