第41回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
SASの極秘作戦 中編
文:nona
フォークランドに難なく潜入したSAS。その足は遠くアルゼンチン・フエゴにまで及んでいました。今回からは当時は極秘とされたアルゼンチン本土飛行場強襲計画「Operation Mikado(ミカド作戦)」について紹介いたします。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2014/03/29/article-2592320-1CABF87700000578-468_634x360.jpg
売り上げランキング: 740,150
シェフィールドの被弾によって初めてエグゾセの恐ろしさ気付いたイギリス機動部隊。1982年の時点で現場ができる対策はほとんどありません。ならば基地ごと破壊してしまえばいい、とアルゼンチン本土飛行場強襲作戦が採用されました。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2014/03/29/article-2592320-1CABF75F00000578-608_634x445.jpg
SASの襲撃目標のリオグランデ基地。SASは4月2日の時点でアルゼンチン本土強襲の可能性を探っていた。
1. アセンション島を離陸した2機のC-130輸送機が、13時間かけて2回の空中給油で大西洋を横断。アルゼンチンに接近するにつれて高度を落とし、最後の25海里(45km)で高度50フィート(15m)を飛行する。[1][2-1]
2. フエゴ島のリオグランデ基地の滑走路に強行着陸し、SASのB中隊員約60名が基地のシュペルエタンダール、エグゾセを破壊。所要時間は30分。[1][2-1]
3. C-130あるいは機内に積まれたランドローバー、どちらも使えなければ徒歩で基地を脱出。80km離れた国境を越えて、チリで救出を待つ。(フエゴ島の西側は親イギリスのチリ領土だった)。 [1][2]
コードネームはMikado作戦。由来は語られてはいませんが、イギリスではMikadoが天皇を指していることは古くから知られており、数々の特攻作戦の先駆けとなった旧日本軍を意識した可能性はあります。
http://3.bp.blogspot.com/-TEv3HcEYvB0/Tdaqw5MTQ8I/AAAAAAAAB8A/9UYjWuMQkgc/s1600/giretsu.jpg
義号作戦で占領下の沖縄に強行着陸した97式重爆撃機。乗員や戦闘員は全員戦死、あるいは自決した。
Mikado作戦の手順はかなり無鉄砲ですが、1976年にはイスラエルがエンテベ空港強襲作戦で強行着陸と脱出を成功させています。
1970年代、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)はイスラエルやその支援国にテロを繰り返していました。76年のハイジャックでは乗客の乗ったエールフランス機を奪い、アフリカのウガンダ・エンテベ空港に逃げ込んでいます。当時のウガンダには反イスラエル・反欧米のアミン大統領がおり、彼はPFLPのハイジャック犯を匿おうとしました。[2-2][3]
対するイスラエルはコマンド部隊が乗る4機のC-130でエンテベ空港に強行着陸。敵を撹乱するため、ウガンダ政府高官が乗るような高級外車をC-130に搭載していました。作戦の途中で銃撃戦になりヨナタン・ネタニヤフ中佐(今のネタニヤフ・イスラエル首相の兄)が戦死、さらに人質の一部が誤射で死亡しました。ただし大部分の隊員、人質は無事で、C-130に乗って隣国ケニアに離脱しています。[2-2][3]
http://mideastcartoonhistory.com/1965to1976/1976.html
エンデベ作戦時のC-130のルート。
このイスラエルの活躍や、第二次大戦時のイギリスによる強行着陸の成功例を鑑み、強行着陸=特攻と考えていなかったようです。SAS司令官のビリエール准将はMikado作戦計画に邁進し、駐英イラン大使館占拠事件以来、SASと司令官ビリエール准将を信頼しきっていたサッチャー首相も作戦に同意。[1]
他の閣僚や軍指揮官達も、エグゾセの危険を取り除けるなら、とMikado作戦に同調したようです。ところがMikado作戦は成功失敗にかかわらず、多くの政治的なリスクを孕んだ危険な作戦でした。もしアルゼンチン軍がチリへ越境追跡した場合、アルゼンチン・チリ戦争となる可能性もあるのです。
http://www.prospectmagazine.co.uk/politics/sas-margaret-thatcher-iranian-embassy-siege
SASとサッチャー首相。SASといえばこのスタイル(?)
一方で現場部隊では作戦に疑問を抱く人もありました。SASのB中隊では中隊長ジョン・モス少佐、同隊の先任曹長がMikado作戦に反対したそうです。ところがSASは両名を更迭し、作戦を強引に進めました。[1][4]
B中隊の一人で作戦に志願していたホースフォール氏も「全員が殺されるか捕虜にされるだろう」と生還の見込みの低さ確信していました。そんな彼の妻は当時妊娠8ヶ月。もし映画や小説であれば彼は死んでいたかもしれません。[2-1]
1982年の5月にはC-130Kと空軍のパイロット達も訓練を開始しています。スコットランドのキンロス基地とイングランドのビンブロック基地間を高度50~100フィートで飛ぶものでした。しかし基地の地上管制官はC-130を発見したと主張。仮にアルゼンチン軍にイギリスと同等の警戒能力があれば、C-130は撃墜されることになります。[1][4]
https://www.youtube.com/watch?v=wUkQ5N-wOOw
夜間に飛び立つイギリス空軍のC-130(画像は現代使用されているH型)
そんなC-130Kでしたが5月15日にアセンション島入り。作戦準備は最終段階に入ります。Mikado作戦に先立って、リオグランデ基地を事前偵察する作戦も計画されました。コードネームはPlum Duff(干しプラムのプディング)。この偵察作戦ではC-130Kの代わりに1機のシーキングヘリコプターを用いて、SASの偵察チームをリオグランデ基地周辺に送り込む予定でした。[2-1]
http://xbradtc.com/2009/04/02/night-moves/an-pvs-5-dvic576
Mikado作戦Plum Duff作戦の行動ルート(諸説あり)。破線は本隊C-130のルート。リオグランデ基地のシュペルエタンダールが不在となる可能性を考慮して、サン・フリアン基地へ同時突入するプランもあった。
5月17日、偵察部隊を送り込むため空母インヴィンシブル、22型フリゲートがフォークランドの西海域に進出。SASを載せたシーキングは燃料の過積載で鈍重になるため、安全な発艦には滑走発進が不可欠です。そこで長い飛行甲板を持つインヴィンシブルが作戦の支援に当たっています。[5]
しかしインヴィンシブルの小艦隊にシーキングの帰還を待つ余裕はなく、シーキングは任務を終え乗員をチリに運んだ後に放棄される手筈でした。[1][2-1]
http://www.worldatlas.com/aatlas/infopage/tierradelfuego.htm
フエゴ島の地図。東側はアルゼンチン領、西側はチリ領。イギリスはチリの友好国で、隊員たちはここに逃げ込んだ。
シーキングにはハッチングス機長ら3名の乗員と、ローレンス大尉(実名非公開のため仮名)ら6名のSAS隊員が乗り込みました。機長のハッチングス大尉は妻と二人の幼い娘を持つ父親。作戦の前には家族へ最期の手紙を遺そうとしたものの、居室の床はくしゃくしゃに丸められた用紙でいっぱいになった、と当時のエピソードを語っています。[2-1][6]
そして5月17日夜、過積載状態のシーキングはインヴィンシブルの飛行甲板を滑走しながら発艦。ハッチングス暗視ゴーグル海面との衝突を避けつつ低空を維持し、フエゴ島のリオグランデ基地を目指しました。
後編に続く
ちなみに影の薄いSBSチームでしたが、彼らもエグゾセ破壊のため各国の港のアルゼンチン商船をリムペットマインで沈める、極秘の指令がされていた、という話があります。[6]
http://www.eliteukforces.info/gallery/uksf-misc/sbs-mct.php
SBSらしき隊員
当時のアルゼンチンは空対艦型エグゾセや軍需物資を第三国から入手しよう、と世界中で奔走。アルゼンチンとの関係が噂された国はイタリア、イスラエル、南アフリカ、ペルー、エクアドル、そしてソ連。[8]
当然イギリス政府は各国に圧力をかけて武器の輸出を阻止しますが、最後の手段として商船ごと海に沈める用意もあったようです。それを担ったのがSBS、というもの。もっとも指令は実行されなかったため、事実か噂か不明瞭な話となっています。[7]
さらにSBSはフォークランドでSASに混じって偵察や戦闘作戦に参加していましたが、6月2日にはSASからの誤射で隊員が死亡しています。原因はSAS偵察チームのテリトリーにSBS隊員が迷い込み、味方同士の銃撃戦になったため、とSAS出身のアンドルー・ケインは記述。[9]
SAS内ではチーム同士に間合いを設けて誤射を避けていましたが、SASとSBSはライバル関係の別組織で連携も不十分。事件後は互いの関係改善が求められたようですが、現在どこまで改善されたかは不明です。[9]
出典
[1]英テレグラフ紙 The secret Falklands 'suicide mission'
[2-1]BBC Falklands War: SAS role in the conflict
[2-2]BBC Israelis rescue Entebbe hostages
[2-3]BBC Former Yeovilton pilot talks about 'Operation Certain Death'
[3]Zionism In Animation Operation Entebbe
[4]TheAviationist.com"Operation Mikado": A one way mission to wipe out Argentine Exocet Missiles during the Falklands War
[5]weaponsandwarfare.com Codenamed Operation Mikado I
[6]デイリー・メール・オンラインThe secret disastrous SAS attempt to invade Argentina revealede
[7]Elite UK Forces The SAS vs the Exocet
[8]狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕P89~93
[9]SASセキュリティ・ハンドブックP62~63
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
売り上げランキング: 89,893
コメント
いやいや、面白かった。読み始めた途端、義烈空挺隊とエンテベ空港の人質奪回作戦を想起しましたが、さすがフォローされていますね。
あなた、ただ者ではありませんな。
完結後に出版して欲しいくらいです。
パクられる前に!
でも英軍ってさ・・・人命軽視、都合の悪いことは無視して現場に強行させる
感じの作戦が目立つような気が。
マーケットガーデンのずさんさは有名だし、ブラックバック作戦も、この作戦も。
でも全部英雄譚になっちゃうのが戦勝国のいいところ?w
英国人は危険な冒険が好きなんだよ。
一見、無謀だと思うけど、SASは事前準備に関してはチェックとテストの繰り返しだからね。
似たような作戦では本文にも有るようにイスラエルとかが成功させてるし、危険だが成功の見込みがある方法だと思うよ。
あと、エジプト軍の特殊部隊がキプロスやマルタでやらかした例もあったりするし。
Kindleなどで本にしてみたらどうでしょうか、と提案してみます
フォークランド紛争ってサラッと終ったイメージ(個人的には)だったけど、実際はそんなことはなくて、裏ではいろいろな駆け引きがあったのですね
次回もお待ちしてます!
まさかこんな所で義烈空挺隊が出てくるとは…
飛行場に輸送機で強行着陸して強襲するのは、例に挙がってる以外だと、ソ連がアフガニスタンでやってたような
あと戦前だと、ドイツの空輸歩兵がこんな感じの運用を想定した兵種だったり(名前の通り飛行機で移動するだけの単なる歩兵なので、降下猟兵とは区別される)
先任伍長様
ありがとうございます!
エンテベの事件は今回の調査で初めて知った軍事作戦でした
私にとって今回の連載は新発見の連続です
勉強しながら書かせてもらっています
2様
ありがとうございます!
ただこの記事自体、まとめ記事みたいなものですし
本になるかは...
3様、4様
SASのエンブレムには
「WHO DARAS WINS」
と記されています
訳は「挑む者が勝利する」が適当でしょうか
SASをはじめ、
英国は「チャレンジャー」だらけなんでしょうね。
普通のイギリス人はたまったものではありませんが
名無しのミリヲタ(39年もの)様
ハイリスクな賭けなんですね、強行着陸
難しい選択です
そういえば、ベレンコ中尉の事件は成功例...?
6様
後編での紹介となりますが、SASもやばい作戦だと気付いて
「mikado」作戦は延期されることになります
7様
ありがとうございます!
電子書籍化かあ...
修正する箇所が多すぎてどうも...
8様
ありがとうございます!
もっと腕を磨きたいと思います
・・・様
サンナゼールの作戦ですが
5名の生き残りがフランスから中立国のスペインまで
歩いて逃げたとか
…え?
欧米でと特攻同然の作戦でも、
なお帰宅予定なのが興味深いです。
日本の義号作戦も壮絶ではありますが、潔さがすぎるんですね
ミカドの語源についてひとつ。
19世紀に初演されたジャポニズムコメディオペラに同名のものがありそちらが元ネタでは無いかと推考します。
蒸気機関車にもミカド式という歌劇由来の名称があるほどの影響力が英国にはあった様で戦後も多く上演されたようです。
ちなみにチョコレート菓子のポッキーも海外ではMIKADOの名前で販売されています。
コメントする