第40回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
SASの極秘作戦 前編
文:nona
1982年5月10日、イギリスは10日後にフォークランドへの上陸を極秘に決定。すでにフォークランドに潜入していたSAS(特殊空挺部隊)とSBS(特殊舟艇部隊)は上陸作戦を支援するため、偵察と破壊工作を繰り広げます。
http://airsoft-army.com/archive/index.php?thread-2522.html
(本文の写真にSAS隊員でない人やフォークランド以外の時期のSASの写真が混じっていたらすみません)
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4月25日、サウスジョージア島の奪還に貢献したSASとSBSでしたが、早くもフォークランド本島の偵察任務が与えられます。4月30日コマンド空母ハーミーズから発進するシーキングヘリコプターによって、フォークランド島への潜入を開始しました。[1-1]
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シーキングに乗り込む隊員たち
シーキングのパイロット達はAN/PVS-5 ANVIS(パイロット用暗視ナイトビジョン)を装着。夜間の低空飛行を可能としていました。ところがシーキングのパイロットがこれを使用するのは今回が初めて。パイロットはもちろん、乗客のSAS隊員も不安を感じていました。[2-1]
https://www.ar15.com/archive/topic.html?b=6&f=18&t=397605
AN/PVS-5シリーズの暗視スコープ。
こうした懸念にもかかわらずパイロット達は暗視装置を十分に使いこなし、SASのG中隊とSBSの偵察チーム10組をフォークランド島内に降下させています。本来のシーキングの夜間飛行高度は1000フィート以上に制限されていたそうですが、潜入時には地表20フィート(6m)でも前進することができました。[1-1][3-1]
偵察チームはフォークランド島内に秘密のOP(観測ポイント)を設置。OPはSAS隊員が選定した隠れ家で、岩場や廃屋、さらに偵察隊が地表に掘った壕も使用されました。OPは容易に発見されないよう周囲の状況をくまなく調べ、逃げ道も決められていました。敵のパトロールの視界に入る前に対応できるように聴音装置が設けられることもあるそうです。[2-2][3-2]
これらをOP拠点に偵察班はフォークランド各地を偵察。上陸ポイントの海岸の傾斜、波浪の程度、近接系路、単位時間に舟艇を上陸できる数、車両が走行できる出口などを徹底的に調べあげます。アルゼンチン軍の動向も、陣地の配置、兵士の警戒要領、士気など、できるだけ詳細に踏み込んだ情報も求められました。[1-1]
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暗視スコープ付きM16を装備したSAS。殆どの写真資料ではイギリス軍標準のDPM95ウッドランドの戦闘服を着用。ヘルメットは使用しない。
一方のアルゼンチン軍のフォークランド軍政でもスパイ活動を警戒していますが、SASは島民に頼らない方法で情報を収集したため、無駄に島民感情を悪化させる結果となりました。軍政はイギリス島民への無線機狩り、昼間の外出の許可制、午後四時から朝までの外出禁止令など行動制限を実施しています。[4-1]
潜入から2週間ほどの隠密偵察を続けたSASですが、5月10日にイギリス軍の上陸地点がサンカルロス湾に決定されると、地ならしとして破壊工作も行っています。標的とされたのはペブル島・カルデロン臨時飛行場。サンカルロス湾とは40kmほどの距離しかなく、上陸作戦の障害になることが懸念されました。[5-1][6-1]
http://peterratcliffeappreciationsociety.blogspot.jp/2013/11/pebble-island-raid.html
ペブル島(赤い矢印)とサンカルロス(紫の矢印)の位置関係。ペブルとは「小石」を意味する。
SAS側は3週間の準備期間を要求します。ところがウッドワード司令は5月15日までの決行を指示。イギリス軍は厳寒期になる前に一刻も早くフォークランドに上陸する必要がありましたから、SASに時間を与えることはできませんでした。[1-2] [5-1]
この命令によって、5月11日の夜、SAS・D中隊の舟艇班8名がシーキングでペブル島の西にあるケッペル島に降下。ここからSAS隊員はカヤックでペブル島を目指しています。ところが悪天候と潮流で上陸は難航し、偵察の完了は13日のことでした。[235][5-1]
http://bcoy1cpb.pacdat.net/sas.htm
SASのカヤック。
この偵察で6機のIA-58プカラ攻撃機、4機のT-34Cターボメンター練習攻撃機、沿岸警備隊の1機のスカイバン小型輸送機の存在が判明。さらに燃料弾薬、警戒レーダーの位置などを調べあげたようです。[6-2]
アルゼンチン軍は一時期の400名の隊員が駐屯していましたが、この時は150名まで減じていたようです。さらに純粋な戦闘員はアルゼンチン海兵隊の30人のみでした。兵員数は僅かですが、集落では島民が「人間の盾」にされていました。このため集落を駐屯地にしたアルゼンチン軍へ艦砲射撃や空爆ができなかったようです。[5-1]
http://www.taringa.net/posts/info/12211211/La-Guerra-de-Malvinas-Post-Merecido-Parte-15.html
アルゼンチン軍の警備の配置。地図記号の意味は不明ながら、ブービートラップ(trampas explosivas)の記述がある。
5月13日の夜、空母ハーミーズ、22型フリゲートのブロードソードの3隻がフォークランド北海域に進出。[5-1]
ハーミーズはSAS隊員とシーキングを載せ海岸40海里以内に接近、ブロードソードがこれを護衛します。さらにグラモーガンは海岸から7海里まで接近し4.5インチ連装砲による艦砲射撃の要請を待ちました。[5-1]
SASの各員はM16ライフルとM203グレネードランチャー、L1A1・66mmロケットランチャー(M72RAW)、L7汎用機関銃(FNMAG)、ミラン対戦車ミサイル、爆薬、L16・81mm迫撃砲など戦闘に備え多様な武器を準備。迫撃砲弾も100発以上持ち込まれ、隊員が手分けして運びました。[2-1] [6-3]
さらに捕虜、あるいは戦死したときアルゼンチン軍に攻撃目標が悟られることがないよう、携帯した地図には一切の印を書き込まなかったそうです。隊員の一人アンドルー・ケイン(サウスジョージアの戦い後に小銃でトナカイ猟をしていたSAS隊員)は差し歯など一切の個人的な品を置いて出撃した、と言います。[2-3]
http://airsoft-army.com/archive/index.php?thread-2522.html
SAS隊員が使用したM16とM203グレネードランチャー。
13日深夜、2機のシーキングがハーミーズを発進。2機にはハミルトン大尉らSAS・D中隊員45名と、陸軍コマンド砲兵連隊のブラウン大尉ら数名の艦砲射撃前進観測員(NGSFO)が乗り込んでいました。 [5-1]
シーキングは強風のため予定時刻より少し遅れて飛行場8kmの手前に降下。そこでSAS偵察班と合流、迫撃砲と砲弾を射点へ運び、支援班は集落と飛行場の中間を狙う位置に機関銃を設置します。[2-1] [5-1] [6-2]
準備が完了すると迫撃砲班は照明弾を発射。飛行場を照らし、この明かりで飛行場内へロケットランチャー、銃器で射撃。歩哨は退散していきますが、集落の守備隊が反撃を開始します。[1-2][2-1]
http://www.taringa.net/posts/info/12211211/La-Guerra-de-Malvinas-Post-Merecido-Parte-15.html
艦砲射撃中のグラモーガンと、遠方の照明弾。
すかさずSASは艦砲射撃と機関銃で集落から飛び出した守備隊へ制圧射撃、指揮官らしき人物を優先して狙撃します。すると守備隊の反撃は要領を欠いたものとなり、その他のアルゼンチン兵は砲撃を恐れ退避壕に篭ってしまいました。[5-1]
守備隊の抵抗が抑えこまれている間にSASは各機に爆薬を仕掛け、1機1機確実に破壊していきます。残骸同士で接合修理ができないよう、爆薬の設置場所を揃える工夫もされていました。同時に弾薬や燃料、警戒レーダーも攻撃しています。[5-1]
http://www.taringa.net/posts/info/12211211/La-Guerra-de-Malvinas-Post-Merecido-Parte-15.html
攻撃翌朝の炎上するアルゼンチン軍機。
SASの撤収は7:45分ごろ。1982年5月ごろのフォークランドの日の出は朝8時30分と遅いのですが、証言ではすでに薄明になっていたようです。しかしSAS側の損害は軽微で、隊員の1名ないし2名がアルゼンチン軍の遠隔操作地雷で負傷したのみでした。[1-2][2-1][5-1] [7]
http://www.taringa.net/posts/info/12211211/La-Guerra-de-Malvinas-Post-Merecido-Parte-15.html
損傷したT-34Cターボメンター(右手前)とIA-58プカラ(左奥)
このようにフォークランドで戦うSASでしたが、SASの本部ヘレフォード基地ではアルゼンチン本土の飛行場を強襲する計画(!)も立案していました。割りと本気だったらしく、実際に偵察チームまで専修させたのですが…
中編に続く
参考書籍/WEBサイト
[1-1]フォークランド戦争史P234
[1-2]同P240
[2-1]SASセキュリティ・ハンドブックP26~27
[2-2]同P63
[2-3]同P87
[3-1]BBC Former Yeovilton pilot talks about 'Operation Certain Death'
[3-2]BBC Falklands War: SAS role in the conflict
[4-1]狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕P174
[5-1]RAF(イギリス空軍) The SAS raid on the airfield at Pebble Island - 14th May 1982
[6-1]空戦フォークランド ハリアー英国を救うP235
[6-2]同P89
[6-3]Elite UK Forces.info Special Air Service (SAS) - The Falklands Conflict
[7].motohasi.net 日本と世界の日の出日の入り時間 (検索式版)
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
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コメント
特殊作戦群とか特別警備隊もいずれは有事の際こういう活躍をするようになるんでしょうね。
海空の戦いではなかなか善戦したアルゼンチン軍ですが、陸戦では徴集兵の士気と練度が低くて英軍のそれとは比較にならなかったそうですね。
小銃や機関銃は英軍と同じものでしたが暗視装置もほとんど配備されていないとあっては、SASの浸透を防げないのも当然ですね。
ところで、4枚目の写真のウッドランド迷彩服は時期的にも色調的にもCombat Soldier 95ではなくPattern 68だと思います。
細かい突っ込みで済みません。
厳冬期を迎える前に奪還作戦を終わらせるために、英軍は相当焦っていたと記憶しております。
しかし、アルゼンチンも島民を「人間の盾」に使うとは、今も昔も変わらないんですな。
毎日新聞記事を切り抜いて大切に保管しておいたのですが、故郷を離れ東京の大学に進学しているうちに、すべて処分されてしまいました。「アンテロープ」が燃えている写真がお気に入りだったのですが。
個人的なお話で悪しからず。
本作は前中後の三編構成です。
もう暫くお付き合いいただければ、幸いです。
1様
SASの元隊員は
結構な数の本を書かれてますね。
元SAS隊員アンディ・マクナブの「ブラヴォー・ツー・ゼロ」
を図書館で予約したら、司書さんの手違いで
同姓のSAS隊員、クリス・マクナブの著書を手渡されてしまいまして
困惑しました。
2様
ありがとうございます!
3様
SASはテレビゲームじみていますよ
4様
特殊作戦群・特別警備隊だと対テロ特化のイメージはありますが、
正規軍との戦いもあるのでしょうね
5様
迷彩の件ご指摘ありがとうございます
うっかりしておりました
にわか仕込みの知識で申し訳ないです
6様
私もそう思います
ただ元隊員の著作を見る限り
唯我独尊の集団でもあるようです。
名無しのミリヲタ(39年もの)様
海外資料ですが、
かつてSASでは航空機を短時間で効率よく壊す為に
航空機設計・整備の専門家を招聘していたとか
その成果が鉄拳だったとは...
8様
一応アルゼンチン軍の警戒網には抜け穴も多かったそうで
何度か補給や交代は可能だったかと思います。
それでも、SASは超人集団ですね
先任伍長 様
アンテロープもスクラップ帳と共に壮絶な最後を遂げられた...
私も...気をつけます
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