第36回 連載「フォークランド紛争小咄」パート15
幻の艦隊決戦 前編
文:nona
5月1日の戦闘でフォークランドの航空優勢を奪われたアルゼンチン軍でしたが、翌5月2日にかけて大規模な反撃作戦を計画。
北からは空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」艦隊、南からは巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」艦隊、そして本土の航空機部隊でイギリス機動部隊を挟撃。イギリス艦隊を撃滅しフォークランドの海と空を取り戻す、というものでしたが…。
http://www.taringa.net/juancho_98/mi/ZNmjU
アルゼンチン海軍の空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」艦上のA-4Q攻撃機。
この大規模戦闘のアルゼンチン側の主力は空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」、さらに巡洋艦の「ヘネラル・ベルグラノ」。
http://www.taringa.net/posts/info/14851066/Portaaviones-ARA-25-de-Mayo.html
空母ベインティシンコ・デ・マヨ。艦名は1810年5月25日の「アルゼンチン5月革命」に由来する。
「ベインティシンコ・デ・マヨ」は満載排水量19896トン、全長211.3メートルの軽空母。元は1945年に就役したイギリスのコロッサス級航空母艦「ヴェネラブル」。
1948年にはオランダ海軍に売却され、蒸気カタパルト・アングルドデッキ付きのジェット空母「カレル・ドールマン」となり、1968年にアルゼンチンがこれを再購入するという特異な艦歴の持ち主です。[1]
ただオランダ海軍時代の火災以降機関に問題を抱えており、「ベインティシンコ・デ・マヨ」の速力は20ノット以下に制限。
もっとも満載状態のA-4攻撃機でも40ノットの合成風力で発艦できるため、風速20ノット(約10m/秒)の向かい風があれば運用できる計算でした。実際5月1日にはS-2トラッカー哨戒機が発艦し、イギリス機動部隊を捜索しています。[1]
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2080490/Belgrano-Britain-WAS-right-sink-ship-attacked-Task-Force.html
巡洋艦ヘネラル・ベルグラノ。名前はアルゼンチン5月革命で反乱軍を指揮したベルグラノ将軍に由来する。
もう1隻の大型艦が巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」。全長約185.4m、満載排水量13645トン。前身はアメリカ海軍のブルックリン級軽巡洋艦として1939年に就役したフェニックスです。
武装は6インチ砲15門、5インチ砲8門、40mm連装機関砲2門、シーキャット対空ミサイル、そして2機のヘリコプターを搭載していました。イギリスではエグゾセの搭載も懸念したようです。[1][2]
防御区画の装甲は203~38ミリメートルと厚く、イギリス海軍の艦対艦型エグゾセの半徹甲弾では、弾着の衝撃で弾殻が崩壊して装甲を貫通できない可能性がありました。[1]
効果があるのはハリアーの1000ポンド爆弾か潜水艦の魚雷と考えられており、攻撃力が停滞している水上艦にとって厄介な相手でした。[1]
https://en.wikipedia.org/wiki/ARA_General_Belgrano
5月1日および2日のアルゼンチン海上・航空部隊の動き。
1982年5月1日、イギリス軍がフォークランド諸島への攻撃を開始したころ、「ベインティシンコ・デ・マヨ」と護衛艦隊はフォークランドへ向け南下していました。[3]
もう一方の「ベルグラノ」艦隊は大陸南端のフエゴ島からフォークランドにむけて東進。イギリス機動部隊を挟撃する構えでした。[3]
イギリス海軍はこの2隻の艦隊を見つけるべく原子力潜水艦「コンカラー」「スプレンディド」を派遣。すでに「ベルグラノ」は4月30日の時点で「コンカラー」の長距離ソナーに探知されていましたが、「ベインティシンコ・デ・マヨ」はマークできなかったようです。[1][3]
5月1日に「コンカラー」は「ベルグラノ」艦隊に接近して追跡を開始。「ベルグラノ」にはアレン・M・サムナー級の「イーポリート・ブーチャード」「ピエドラ・ブエナ」の2隻が護衛についており、どちらもエグゾセを搭載していました。[3]
「ベインティシンコ・デ・マヨ」は原子力潜水艦の「スプレンディド」の追跡をかわしつつ、5月1日にはS-2トラッカー哨戒機でイギリス機動部隊を先制して発見。A-4Q攻撃機には夜間攻撃能力がないため、翌日の朝6時に機動部隊へ攻撃をかける予定でした。[1]
http://www.nuestromar.org/noticias/01-05-13/2-mayo-1982-breve-cr%C3%B3nica-un-frustrado-ataque-aeronaval-flota-brit%C3%A1nica
S-2トラッカー艦上哨戒機。イギリスの原子力潜水艦に対処できる能力はなかったが、機動部隊の捜索に貢献している。
このまま前進を続けるかに思れた「ベインティシンコ・デ・マヨ」と「ベルグラノ」ですが、5月2日の6時に変針し、そのまま撤退していきます。[1]
この謎の行動の原因は「ベインティシンコ・デ・マヨ」にありました。5月2日になって風が弱まってしまい、攻撃隊発艦の見通しが立たなくなっていたのです。[1]
さらに0時30分には哨戒中のハリアーが機動部隊に接近。「ベインティシンコ・デ・マヨ」付近に夜漁中のポルトガル漁船団があり、敵味方識別のためにハリアーが通常コースを外れて接近したことによる、いわば偶然の邂逅でした。
ハリアーは直前に目視した漁火で暗視装置が焼き切れ、鳥目の状態でしたが、ESM装置はアルゼンチンの42型駆逐艦のレーダー反応をキャッチしていました。
http://anastia.jp/diary/1557/
旧式の暗視装置は探照灯や照明弾はもちろん、街頭の光でも焼損した。写真は夜のサンマ漁。
実のところイギリス側はESM情報だけでは空母の位置を特定できておらず、サッチャー首相も5月2日の朝の状況を「空母の行方が以前わからないことに大きな不安」と回想しています。[1][2]
しかしアルゼンチン側はイギリスに完全に捕捉されたと誤解。攻撃機発艦のために風を待つ余裕はない、と指揮官のアララ准将の判断で戦闘域からの離脱を決定。互いの艦隊が320kmまで迫ってからの撤退でした。[1][3][4]
加えて本土から出撃したシュペルエタンダールも空中給油に失敗、エグゾセを抱えたまま帰投しています。その後はフォークランド海域に霧が発生し、予定されていた19回の出撃はすべて中止となりました。[1][4]
http://www.militaryfactory.com/ships/detail.asp?ship_id=HMS-Conqueror-S48
原子力潜水艦「コンカラー」。5月2日に巡洋艦「ベルグラノ」を追跡していた。
そして「ベルグラノ」もまたフォークランド海域から離脱中でしたが、追跡中の「コンカラー」にとって望ましいものでなかったようです。
沿岸の浅海域に逃げ込まれると原子力潜水艦の追跡は困難になりますし、いる再補足できるかもわかりません。今後のリスクを考慮すれば考えれば、まさに今撃沈すべきでした。
ところが「ベルグラノ」はイギリスが定める排除水域の外にあり、交戦規定上攻撃は許されていません。
現に5月1日に機動部隊のウッドワード少将による攻撃要請も、本国指令部の判断で一度取り消されています。一刻も早く危険な存在を取り除きたい現場の思惑と異なり、本国では首相や閣僚への説明や交戦規定の改定が先と考えていました。
そこで「コンカラー」のブラウン艦長は衛星通信でイギリス・ノースウッド海軍作戦司令部と交信。6500km離れた本国へ直接攻撃の許可を請いました。[1][2][4]
後編に続く
(なお今回から時間の表記を現地時刻で統一しています。)
出典
[1]フォークランド戦争史7,8章 P74~75 P169~176 P180~181,P183
[2]サッチャー回顧録 上巻 P259,P271~272,P276、P278
[3] The Falkland Islands CampaignのMovements of the Argentinian Navy from the 27th April to 2nd Mayより
[4]空戦フォークランド P70,71
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
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コメント
アルゼンチン側はいわゆる「戦場の霧」に足を引っ張られているだけでなく、本物の霧にも邪魔されているとは。
(あと、最大装甲厚が条約型軽巡にしては厚すぎるような気が・・・)
今は色々と装備が進化しているからここでの戦訓と必ずしも合わないものも多そうだなあ
しかし前回は低高度対艦攻撃に無力で、今回は旧世代巡洋艦相手にさえ威力不足が心配されるとか、本当にミサイル万能論というのはなんだったのか・・・
>>3
技術が進歩して装備が進化している一方で、ネットワークだとか衛星ウンヌンと機器・システムが複雑になりすぎな上にECMとかも進歩しているから似た事態が起こらないとは言い切れない。
まぁ最近の戦争と合わせて「現代の戦争は容易に事前の予想とはまったく違う戦いになりうる」というのは間違いなく言えそうだ
いつも見てるよー
運に助けられた部分も意外とあるものですね。
あの頃はWW2時代の空母を改装艦したゴツい艦がゴロゴロいて好き
条約で制限してたのって砲の口径だから装甲厚は考慮してなくなかったっけ?
他国の軽巡よりはうんと分厚いけど
後半はコンカラーVSベレグリーノ将軍か
>>9
なんちゃって軽巡の最上型に対抗して作られたとはいえ、ウィキペディアのARA General BelgranoのページではDeck: 2 in (50 mm)、Barbettes: 6 in (152 mm)で最大はTurret Sides: 6.5 in (170 mm)だから、なんかおかしいね。
なんせ防御区画の装甲が203~38メートルと全長や全幅よりも厚いのだから、きっと装甲版の塊が動いているのか亜光速で動いていて歪んで見えているのかのどっちかだな
・・・うん? なにがおかしいのだっけ?
名無しのミリヲタ(39年もの)様、誤字様、9様
ベルグラノの装甲厚ですが
203mm(8インチ)の出典は防衛省防衛研究所のフォークランド戦争史P75です。
ただご指摘のwikipediaとは数値のことなるもので、
最厚部の計算方法をバーベット+艦舷舷側装甲としているのか、
単なる誤記かもしれません。
孫引き記事で申し訳ありません。
2様
カタカナだと珍妙な艦名に見えますね。
サッチャー首相の回顧録(訳版)では「5月25日(号)」と書いていました。
3様
使用されていたのは第二世代型のAN/PVS-5Aとも伝わっています。
ところが支給開始は紛争中ということで、不慣れな装備だったそうです。
5様
ありがとうございます!
6様
イギリス側は洋上監視が不十分だったようで、
潜水艦の捜索だけでは「戦場の霧」を取り払えなかったようです。
イギリスもスパイ漁船を公海上に放つことはできたはずですが
資料にはほとんど出てきませんね。
7様
紛争を生き延びた「マヨ」ですが、シュペル・エタンダールを搭載するために甲板を再拡張。
艦歴を終えるまで成長し続けたようです。
8様
自衛艦では水上艦で35年、潜水艦だと最近まで20年で退役させてましたが、
国外では40~50年の使用も当たり前だったりしますね。
8インチというと、米重巡のバイタルパートの最厚部と同じだったような記憶があったもので。
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