第34回 連載「フォークランド紛争小咄」パート14
5月1日の航空戦 前編
文:nona
バルカン爆撃機の攻撃から3時間後、フォークランドから70海里(130km)の地点に侵入した機動部隊から、18機のシー・ハリアー戦闘機が出撃。さらに5隻の水上艦もフォークランド沿岸に向けて前進。アルゼンチン軍との戦いは、より一段と激しいものになりました。[1]
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205018837
5月1日0748時、空母ハーミーズからハリアー12機が発進。各機は各3発の1000ポンド爆弾、又はBL775クラスター爆弾を装備していました。12機を一斉に発信させる都合、攻撃隊の母艦には大型のハーミーズが使用されました。[1]
2分後には軽空母インヴィンシブルから戦闘空中哨戒を担う6機のシーハリアーが発進。戦闘空中哨戒のハリアーは2発のAIM-9L空対空誘導ミサイルを備えていました。母艦には小型ながら近代的な電子装備を備えていたインヴィンシブルが選ばれています。[1] [2]
一方海上では艦砲射撃のため、カウンティ級駆逐艦のグラモーガン、21型フリゲートのアラクリティ、アローの3隻がスタンレー沖へ前進。別働隊として22型フリゲートのブリリアント、12型フリゲートのヤーマスもフォークランド諸島に接近。2隻にはアルゼンチン潜水艦の捜索が任務でした。[2]
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http://www.walesonline.co.uk/news/wales-news/hms-glamorgans-casualties-honoured-long-1851130
5月1日接近した艦では最大のグラモーガン。
地上を目指すハリアー12機は、スタンレー飛行場とグースグリーン飛行場へ向かうべく9機と3機の編隊に別れ、さらに9機も波状攻撃のため2部隊に散開。[1]
まず一次攻撃隊の4機のシーハリアーは低空侵攻でスタンレー飛行場へ接近、急上昇して機首を上げた状態で投弾。対空砲陣地へトスボミングで爆弾を放り投げました。爆弾には近接信管がセットされ、地表の対空火器へ爆風と破片で攻撃します。[2] [3]
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-stanley-part-2-conflict/
空襲されるスタンレー飛行場。
続いて5機が低空のままスタンレー上空に現れ、BL775クラスター爆弾で地上機を、減速パラシュート付きの1000ポンド爆弾で滑走路を爆撃。投弾後は素早く退避し、作戦時間は90秒ほどでした。[2]
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-stanley-part-2-conflict/
不発、あるいは時限信管の装着されたパラシュート付きの1000ポンド爆弾。低空から投下しても地表で爆発する前に、母機が安全な場所へ飛び去ることができる。
この攻撃ではスタンレー飛行場周辺に大打撃を与えますが、市街地に隠された警戒レーダーと対空火器は健在でした。[2]
ハリアー対空火器を回避するためにチャフを撒き、さらに急旋回で迎撃を回避。地上に配備されていたタイガーキャット地対空ミサイルは有効に機能せず、島民は「(見当違いの)雲の方向へ飛んでいき、何発かは水平に発射されて地面にあたって跳ね返り、明後日の方向へ飛んでいった」と証言しています。[3]
http://forum.keypublishing.com/showthread.php?74374-Sea-Cat-kills
タイガーキャット対空ミサイル。ミサイルの誘導は「目視指令誘導方式という、命中率の低い方法だった。
アルゼンチン軍は宣伝放送で多数の機体を撃墜したと騒ぎ立てたようですが、当時空母に駐在していたBBCのハンラハン記者は放送で「私は1機1機飛び立つのを数えましたが、全機が帰還したのも数えました」と報告。[4] 実際の損傷もハリアーの1機が垂直尾翼に空いた小孔一つに過ぎず、アルミテープのパッチで塞いだだけで、すぐに復帰しています。[2] [3]
一方スタンレーから西に80km離れたグースグリーン飛行場も3機のハリアーによる空襲を受けていました。こちらの攻撃では3機のプカラ軽攻撃機の撃破が確認されました。うち1機は離陸準備中にあり、パイロットと整備士7名が巻き込まれて殺害されています。[2] [3]
http://trip-suggest.com/falkland-islands/falkland-islands-general/goose-green-settlement/
グースグリーン。周辺の草原が飛行場として使用された。
インヴィンシブルを飛び立った6機のシーハリアーは、2機一組で機動部隊の前方をレーストラック方式で空中戦闘哨戒中でした。このとき水上のグラモーガンが敵機らしき反応を探知。即座にハリアーが迎撃に向かいます。[1] [2] [3]
迫っていたのはアルゼンチン空軍の2機のミラージュⅢ戦闘機。高度は約10000mに位置していました。一方の2機のシーハリアーは15000フィート(約4600m)で接近。このためどちらも有利な高度に引きこもうと牽制しあいますが、双方共に燃料切れで撤退していきました。[2] [3]
http://www.taringa.net/posts/info/10713886/Un-21-de-mayo-de-1982-una-guerra-aparte.html
ミラージュⅢ戦闘機の2機編隊。
さらに数刻後に別のミラージュⅢ編隊も接近。このときのミラージュⅢはスタンレーの地上レーダーの支援を受けたかのうような動きを見せていたようです。ただハリアー側も水上艦によるレーダー支援がありました。[3]
そこでハリアーはミラージュⅢを欺くため、わざと背後を向けて隙を作りました。ミラージュⅢが迂闊に近づいたところで反転し、AIM-9Lを打ち込もうという企みでした。[3]
しかしミラージュは十分に接近せずにミサイルを発射すると、早々に撤退していきました。このためハリアーが振り返った時、ミラージュⅢは転進し、ミサイルも命中することなく落下しています。[3]
空中で小競り合いが続く中、海上では対地射撃任務をおびていたグランモーガン、アラクリティ、アローの3隻はスタンレー爆撃直後から艦砲射撃を続けていました。[1] [2]
http://www.thefewgoodmen.com/thefgmforum/threads/the-falklands-war-1982.136/
4.5インチ砲と打ち捨てられた薬莢。
射撃はハリアーのスタンレー飛行場攻撃の直後、陸から12マイルの場所で開始されました。周囲は波が強く、4.5インチ砲の射程の限界点であったためか目立った戦果はありません。攻撃の目的はむしろ威力偵察にありました。あえて反撃を受けることで近い将来の上陸作戦前に相手戦力を知り、可能であれば漸減しておこう、というものです。[1] [2]
3隻はあえて沿岸に留まり続け、アルゼンチン軍は野砲と対空砲で対抗します。野砲は射程の不足により命中はなかったものの、アローの艦載ヘリコプターが機関砲で攻撃を受けています。[1] [2]
そして昼過ぎになって、この3隻へT-34軽攻撃機が接近していました。 [1] [2] [3]
http://elmuan.blogspot.jp/2012_12_01_archive.html
アルゼンチン海軍のT-34練習軽攻撃機。
この迎撃を命令された2機のハリアーは、T-34の後方へ回り込みます。降下しながら接近して機関砲で撃ち落とす算段でした。ただ、速度差のため撃墜前にハリアーはオーバーシュート。もっともハリアーの接近に気付いていたT-34側も、攻撃を諦め退散していきました。[2] [3]
さらに前述の3隻とは別行動でブリリアント、ヤーマスの2隻もフォークランド諸島沿岸にありました。シーキング3機を伴って、209型潜水艦の捜索を続けていたのです。事実、2隻のすぐ近くには209型潜水艦のサンルイスが潜んでいました。[1] [2] [3]
サンルイスは2隻を補足、魚雷を発射しています。しかし不具合で命中せずに終わり、一方のイギリスの投下した爆雷も命中弾はありませんでした。 [1] [2]
この対潜作戦でシーキングはHIFR給油によって、10時間20分も着艦することもなく哨戒を継続。しかし結局双方を仕留めるには至らず、作戦は切り上げられました。 [2] [3]
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:A_Seaking_Helicopter_is_Refuelled_in_Flight_from_the_Deck_of_RFA_Argus_MOD_45137766.jpg
HIFR(Helicopter In Flight Refuling)中のシーキングヘリコプター。様々な都合でヘリコプター着艦できない場合でも給油が可能になる。
5月1日の戦いは昼ごろまではイギリス軍が優勢で、アルゼンチン軍の抵抗もそれほどではありませんでした。しかしアルゼンチン本土の航空基地では反抗の準備が進められていたのです。
そして1645時、ミラージュⅢ、ダガー戦闘機のエアカバーのもと、爆装したダガーとキャンベラ爆撃機による対艦攻撃部隊がフォークランドに現れます。[1] [2] [3]
後編へ続く狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
出典
[1]フォークランド戦争史8章史 P156~157,P192
[2]The Falkland Islands Campaign、The first fleet and daylight air actionsより
[3]空戦フォークランド P42~54、P64
[4]サッチャー回顧録 上 P270
参考書籍/WEBサイト
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争 (日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
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コメント
確かタイガーキャットSAMは結局、撃墜記録がなかったような気が。
ベースになった艦載型のシーキャットもかなり苦戦していたらしいし。
負けるってのはどういう意味?
戦術的にはハリアーがT-34の攻撃を中止させた時点で目標を達成してるよ(撃墜が必須なら話は別
でも1アプローチ+ガンキル必須という条件を揃えれば・・いや厳しいけど
アルゼンチン軍はフォークランド諸島の飛行場が小さすぎて最新のジェット機が運用できず、イギリス軍の素早い対応で海上輸送が絶たれて全体的に物資が不足し、また広域警戒レーダーと戦術警戒レーダーがひとつずつしかなくて早期警戒網が構築できなかったりしてたからね。
興味があるならこれまでの連載を読もう!
ああ、おかたづけしたい!
あちこち傷つけたり、事故にならんのかな
空母「無敵」
戦闘機「勢子猟犬」vs「幻影」
護衛艦「大明海」「かがやき」「てきぱき」「絶叫」「河口府」
イギリス命名は気分が高揚する
1 名無しのミリヲタ(39年もの)様
タイガーキャットの試験動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=qLwXYNF2VdM
手動操作の誘導でも直線飛行の低速機なら命中が期待できるようです。
もっともハリアーが相手では牽制すらできないかもしれませんが。
2様
負けたわけじゃないですよ。でも異種格闘技みたいなものですから戦いにくい相手だろうとは思います。なお当日は曇天で、機影を隠しやすい天候だったようです。
なおアルゼンチンのT-34はターボプロップエンジン搭載の<T-34Cターボメンター>で、採用は1978年でした。この辺りも本文に書くべきだったかも。
3様
5月1日は後半戦もこんな感じでアルゼンチン軍が破られていきますが、ちゃんと対策を講じ、5月4日には爆撃をある程度妨害できるようになり、撃墜戦果も得ています。が、イギリスも負けじと対レーダーミサイルや誘導爆弾を持ち出しまして...
4様
攻撃を諦めさせることが勝利ですね。この後も次々とアルゼンチン機が来るので深追いできない訳ですし。
5様
ありがとうございます。ただ、初期の記事は時系列ではないのです。見づらくて申し訳ないです。
6様
射撃時に甲板にカバーを敷く例もあるようです。
https://www.youtube.com/watch?v=fgQmBP9h5s0
ちなみにアメリカ艦ではカバーが索具だったり荷役台だったりと、
拘りはないようです。
http://www.seaforces.org/wpnsys/SURFACE/Mk-45-gun.htm
7様
ところでイギリス命名て選定の基準どうなんでしょう?
特に主力艦の名前
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