第32回 連載「フォークランド紛争小咄」パート13
ブラックバック作戦と炎のランナー 前編
文:nona
1982年5月1日0423時、フォークランド島都のスタンレー上空に1機のバルカン爆撃機が現れ、21発もの1000ポンド爆弾を投下。これをもってフォークランドの激戦が開始されました。バルカンは遠くアセンション島から片道6300kmをヴィクター給油機とともに飛行し、達成困難な「ブラックバック作戦」を成功させたのです。
しかし振り返ってみると、バルカンは6月に退役予定の旧式機。空中給油に至っては非常に長い間訓練すらされていなかったのです。[1][2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%AD_%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3#/media/File:RAF_Vulcan_B.JPEG
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フォークランド紛争でその存在を示したバルカン爆撃機ですが、フォークランド危機がなければ1982年6月いっぱいで退役し、トーネードで代替されるはずの機体でした。[1]
しかし空母戦闘群とハリアー部隊を指揮するウッドワード少将は「シー・ハリアーに昼間の攻撃を行わせることは、遅かれ早かれ、我々の防空の兵力を消耗させる」との考えから、任務部隊の総指令でもあるフィールドハウス大将へバルカンによる爆撃を要請しています。バルカンはイギリスにとって貴重な戦力でした。 [3]
フォークランド派遣が決定したバルカンは4機で、臨時にカラセル慣性航法装置とAN/ALQ-101ジャマー・ポッドが装備されました。さらに2機はAGM-45対レーダーミサイルの運用能力が追加されました。しかし動作テストは不十分で、実戦で正常に動作するかは未知数だったそうです。 [3]
http://wiki.scramble.nl/index.php/File:Jaguar%2Balq-101.jpg
ジャガー攻撃機に踏査されるALQ-101電子戦ポッド。
ブラックバック作戦の達成に不可欠な空中給油装置ですが、バルカンのそれは訓練ですら使用されておらず、動作するかも怪しい状態でした。早速、入念な再整備がなされるとともに給油訓練も再開されました。なおバルカン単独の航続距離は、英語版Wikipediaを参考とする場合、爆弾装時に4100km、フェリー時に7400kmとなっています。[4]
http://www.raf.mod.uk/history/OperationBlackBuck.cfm
バルカンの空中給油。ドローグは機首にある。
爆撃装置は特に換装されず、従来のレーダー航法と爆撃コンピュータの使用が引き続き使用されました。ただし用法は第二次世界大戦に活躍した先代のランカスター爆撃機のそれを踏襲したものですから、精度の限界や逆探知の危険を孕んだものでした。 [1][5]
Falklands' Most Daring Raid
イギリス軍の基地として使用されていたアセンション島。
そして乗員は3週間の間、爆撃訓練と給油訓練を実施し、バルカン爆撃機4機と共にアセンション島へ展開します。
Falklands' Most Daring Raid
アセンション島で爆撃機部隊の居住として使用されたテント。作戦会議もここで行われた。
このアセンション島前線基地において、ブラックバック作戦のにおける各機の役割が入念に検討されています。ブラックバック作戦は片道6300km、約8時間に、11機のヴィクターが5回(帰りの給油を含めると13機と6回)の空中給油を実施することで、バルカン爆撃機をスタンレーへ送り込むことを目指しました。[6]
http://s1258.photobucket.com/user/glojoh/media/Fuel.jpg.html
ブラックバック作戦(第二次)の給油計画。
そして4月30日、アルゼンチンがアメリカのヘイグ国務長官の和平案を拒絶。アメリカはイギリス支援を公言し、イギリスはフォークランド200海里を完全排除区域に再指定。この緊迫した情勢の中、ブラックバックの決行が命じられます。 [1]
Falklands' Most Daring Raid
爆装作業のかたわら、落書きされていく爆弾。
アセンション島の現地時刻2250時、2機のバルカンが11機のヴィクターを伴って離陸を開始。このときバルカンは最大離陸重量を2.5トンも超過していました。さらに温暖でエンジン効率が落ちるアセンション島ということもあり、エンジン出力を臨時に103%まで増やし、機体とエンジン双方が過付加の状態で離陸しました。[1]
各機は1分間隔でアセンション島を離陸。高度約3万フィート(9500mとも)、空中で約200ヤード(180m)間隔で編隊を組んで南下を開始。[5][6]
Falklands' Most Daring Raid
アセンション島を飛び立つバルカンの再現映像。
しかし上昇中のバルカンの1機の与圧に不調が判明。側窓のゴムの隙間から空気が外へ漏れていたのです。さらにヴィクター1機の給油プローブに故障が発生、2機ともに離脱を余儀なくされました。残るバルカンは本来であれば予備機でした。[1]
また想定外の事情があったらしく、燃料消費量は計画よりも増大。最初に給油を施した4機のヴィクターは予備燃料すら提供していました。[6]
このため、最初に戻る4機のヴィクターの着陸は大変な危険を伴っていました。上空待機の燃料すら欠いた4機は、短い間隔で連続着陸することになったものの、向かい風を受ける都合、退避用の誘導路がない側へ着陸せざるをえなかったのです。
つまり先に降りたヴィクターは、追突の危険がある滑走路の端で立ち往生することになるのです。[6]
一方で追い風の着陸も危険を伴いますし、燃料の余裕もありません。事故の懸念はあるものの連続着陸が決行され、各機は正確なコントロールで着陸。ドラッグシュートも併用し急制動をかけたことで、全機が無事に着陸しています。[6]
http://forum.keypublishing.com/showthread.php?47226-Lusty-Lindy-Forums-now-up%282005-Thread%29
ヴィクター給油機の巨大なドラッグシュート。
この後、続々とアセンション島へヴィクター帰投。中には燃料漏れが発生した機体や、予備燃料を欠いたヴィクターもありました。これらのヴィクターを救うため、再給油のためにアセンション島を飛び立つヴィクターも準備されていました。[6]
なおも南下を続けるバルカンとヴィクターは乱気流に突入。雲を避けるため、高度9500mまで上昇していたものの、機体表面ではセントエルモの火が舞い、機内の乗員も乱気流に揺られました。そんな中で開始されたヴィクター同士の4回目の給油では、プローブとドローグが6メートルも上下に揺れていました。なんとか接合には成功したものの、不幸なことに途中でドローグが破損。[5] [6]
Falklands' Most Daring Raid
嵐の中相互給油を実施するヴィクター給油機の再現映像
ドローグが壊れたヴィクターは急きょ帰還することになり、余った燃料を別のヴィクターへ受け渡すことになりました。乱流は抜けきらなかったものの、燃料の浪費を避けるため、再給油は強行されました。接合には困難を極めたものの、給油中に乱気流を脱し、給油は無事に完了しました。[5] [6]
また、最初に給油したヴィクターのプローブに損傷がないことを確認するため、バルカンが後方から接近。バルカンの乗員はコクピットから懐中電灯でプローブを照らし、目視で点検したそうです。[6]
しかしアクシデント続きのため給油時間は伸びに伸び、燃料は更に少なくなっていました。同時に飛び立ったヴィクターは11機もあったにもかかわらず、最後のヴィクターの燃料量は計画を下回っていたのです。[6]
プローブアンドドローグ給油の接合にはテクニックと時間を要し、送油にも時間がかかります。その間ヴィクターは南への進路を維持しなくてはならず、より基地からは遠ざかり、燃料も余計に消費していました。
Falklands' Most Daring Raid
ヴィクターから伸びる給油プローブ。
ヴィクターの乗員たちは燃料の問題を議論し、帰路で自身が再給油を受けるまで飛行できる、ぎりぎりの燃料を残し、あとは全てバルカンに送ると決めたようです。しかし、それでもバルカンの燃料タンクを満たせず、最後の給油は途中で終了してしまいました。 [6]
これに驚いたバルカンの乗員は無線封鎖を破って給油を催促。しかしヴィクター側も燃料がない、と返信せざるを得ません。むやみに通信できない状況では、互いの燃料事情を正確に知ることはできなかったのです。このときヴィクターは640km、バルカンは2700km分の燃料を欠いていました。[6]
この不足は両機とも帰路に空中給油を受けることで取り戻すことは可能ですが、もし再びのトラブルに陥れば、無事に帰投できる見込みはありません。ブラックバック作戦は、まさに綱渡りの作戦だったのです。[6]
後編へ続く
出典
[1]The Falkland Islands CampaignのOperation Black Buckより
[2]フォークランド戦争史6章P95
[3]フォークランド戦争史8章P111
[4]en.wikipedia Avro VulcanのSpecificationsより
[5]Falklands' Most Daring Raid (2012)の証言より
[6]空戦フォークランド P30~34
参考書籍/WEBサイト
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々 上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」(防衛省防衛研究所 2015年11月1日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争 (日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
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コメント
その空白を数十日の訓練で埋めたパイロット達は凄いっすね(小並感)
(もう余計な事は言わないぞ・・・と言いたいところだが、広告はピットロードの1/144のバルカンやヴィクターの方が良いような気が)
よくもまあ、考えて実施したもんだね。
それでも敢えて断行したのが勝利につながる
断じて行えば鬼神も敢えてこれを避くみたいな
アルゼンチン側は慎重というか及び腰だったというか
やはり兵器や準備の不備を人命で補填しようとするイギリスの体質は伝統か。
そこまでして爆撃は…必要だったんだろうけどさ…
しかも防空兼務では航空打撃力足りないだろし
ありがとうございます!
>>2様
英軍が想定していたの主戦場は非常に近かったようで、長い航続距離は無用だったのかもしれません。バルカンの後継をトーネードにする辺りからもそう感じます。
>>3 名無しのミリヲタ(39年もの)様
商品広告の欄は管理人様のチョイスではありますが、記事にマッチした内容であればより面白くなるかもしれませんね。
>>4様
私も待ってました!
>>5様
ありがとうございます!
>>6様
元々は終末戦争に備えての空中待機、
大陸間核爆撃のための連続空中給油など、
弾道ミサイル普及以前のプランが
再利用されたのかもしれません。
>>7様
イギリスの変わり様は本当に凄まじいものでしたし、
アルゼンチンの数倍の戦費をポンと捻出しています。
流石にアルゼンチンも読めなかったようです。
>>8様
撃墜された場合に備え,
200海里内に侵入していた機動部隊のヘリによる救助、
200海里外であれば民間船に救助を求める、という手もあります。
燃料切れの場合もブラジルなど中立国に降りることも許可されていました。
しかし不時着水に機体が持つか不安があったらしく
乗員ごと一瞬で沈む可能性を懸念していたようです。
>>9様
実際の戦果はそれほどでもなかったようですが、
アルゼンチン軍はとある場所にバルカンが投入されることを恐れています。
>>10様
現場の指揮官もそのように発言していますね。
>>11様
リレーしたのは「伝言」ではなく「燃料」なので、
途中で変質することはないんですが、
燃費が悪くて計画値通りの「量」を受け渡せないんです。
伝送ロスがあるという点では伝言ゲームと近しいですね。
まあ、準備に時間を取られるとその分漏洩の可能性も高くなって、作戦の成功率も下がる訳ですから。
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