第29回 連載「フォークランド紛争小咄」パート12
極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 後編
文:nona
http://www.hmsbrilliant.com/content/dsection3.html
4月25日の霧のサウスジョージアを行く「アントリム」と「プリマス」。撮影は「エンデュアランス」から
戦力が一時的に半減し150名に減勢したものの、一気に勝負に出たイギリス任務群。待ち受けるのは悪名高いアスティス海軍大尉率いる、アルゼンチン軍海兵隊95名と大破したサンタフェの乗組員60名。果たして勝者は?
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■グリトヴィケン港の奪回■
1400時、アルゼンチン軍の降伏を促すため、「アントリム」と「プリマス」から114mm砲による警告射撃が開始されます。弾着の観測には砲術士官が乗った「エンデュアランス」のワスプヘリコプターが使用されました。さらに1430時から1530時にかけて、「アントリム」のSAS、SBS、そして海兵隊員から成る混成部隊79名、リンクス2機とウェセックス1機によるヘリボーンも開始されます。
降下ポイントはグリトヴィケン港から2.4kmの位置にあるヘステスレッテン平地。近くの「ブラウン山」がアルゼンチン軍の視程を遮るため安全に降下が可能でした。ただヘリコプター各機は8名ほどしか輸送できないため、79名全員には何度かの往復が必要でした。
降下が終わった地上部隊は斥候を前進させ、慎重にグリトヴィケン港へ近付きます。すると斥候が遠方に目出し帽を被った人影を、さらにはブラウン山に陣地らしきものを発見します。しかし人影の正体は野生のアザラシで、陣地は野ざらしの廃材にすぎませんでした。[7]
しかしブラウン山の廃材に対してはミラン携帯式対戦車ミサイルを撃ちこんで対処したようです。ミサイル1発は無駄になったものの、安全距離から敵の有無を確実に確認できたようです。
1705時、グリトヴィケン港に接近した地上部隊は、掲揚台にあがる白旗を発見します。実は艦砲射撃が始まってすぐに白旗をあげていたのですが、慎重すぎるイギリス軍は、アルゼンチン軍の細かな様子を掴めていなかったのです。そしてグリトヴィケン港に立て籠もる「サンタフェ」艦長も無線で降伏を受諾したことで、1730時に白旗はユニオンジャックと英海軍旗の二旒に代わられます。
■リース港の奪回■
http://www.apostaderomalvinas.com.ar/ftpgs06.htm
リース港。グリトヴィケン港から25kmほど離れた、かつての捕鯨基地。
グリトヴィケン港が制圧された1815時、リース港のあるストロームネス湾では「プリマス」「エンデュアランス」とSAS、SBS隊員が展開していました。「エンデュアランス」艦長バーカー大佐はリースのアルゼンチン軍へ無線で降伏を呼びかけたものの、サウスジョージア島守備隊の司令官、アスティス海兵隊大尉は「民間人39名は投降するが、海兵隊員(12名)は戦う。」と降伏を拒否。[1]
そこでSASとSBSはジェミニボートで上陸し、艦艇も艦砲射撃の準備を開始します。しかし作戦開始直前の2245時、アスティス大尉から入電が。「降伏の準備をしているので、翌朝にヘリコプターで兵舎近くのサッカー場まで来て欲しい」との要求でした。実はアスティス大尉、兵舎やサッカー場の周囲に地雷を埋めてイギリス軍を迎え撃とうとしていたのです。
このアスティス大尉、実はアルゼンチン軍政権が主導した汚い戦争で反体制派を弾圧していた危険人物。彼は自国民のみならず、外国人の活動家とその家族へ拉致、監禁、拷問、殺害に関与したとして、フランスやイタリア、スウェーデンから指名手配されていたほどでした。汚い戦争絡みのニュースでBBCは「Angel of Death」あるいは「Blond Angel of Death」とも呼ばれています。[4]
「エンデュアランス」艦長のバーカー大佐はアスティス大尉の要請に危険を感じたのか、要求を拒否。逆に武器を置いて海岸まで歩いてくるよう命令。不利な状況のアスティス大尉は逆らえず、SASとSBS隊員が待ち構える海岸へ、一列縦隊で行進しながら現れました。
フォークランド紛争の発端とも言える廃品回収業者達は日の出前に投降しており、ようやくイギリスはサウスジョージア島を完全に手中に収めます。しかしアルゼンチン軍参謀本部は「未だ4、50人の我が軍が各所にちらばり、抵抗を続けている」とサウスジョージア島の陥落を否定。するとイギリスは「氷河に覆われた同島には、我々が制圧した2つの港以外に人間が生息できる場所はない」と言い返しています。サウスジョージアの過酷な気候を身を持って体験したイギリスならではの皮肉でしょうか。[3]
■降伏後のアルゼンチン軍とサウスジョージア島■
http://www.taringa.net/posts/imagenes/16562066/A-31-Anos-y-Operacion-Paraquet.html
降伏文書に署名するアスティス大尉
4月26日夕方、駆逐艦「プリマス」でアルゼンチン軍のアスティス大尉、サンタフェ艦長と降伏文書を取り交わし、さらに会食がなされました。[3]
イギリス側は捕虜と民間人を人道的に扱うと約束したものの、その後に捕虜を誤って殺害。潜水艦サンタフェの曳行作業中に自沈工作をした、との誤解から、サンタフェの副詞機関プリメラ・フェリックス・アルトゥソを銃殺してしまったのです。するとイギリスは紛争中にもかかわらずアルゼンチンへ謝罪し、アルトゥソ副指揮官はイギリス海兵隊式の軍葬でサウスジョージア島へ埋葬されました。[6]
またアスティス大尉はフランスから身柄の引き渡し要求があったものの、結局アルゼンチンに返されています。さらに退役軍人を訴訟から保護する法律に守られ、軍事政権が崩れた後も長く健在でした。しかし現在のアルゼンチンでは「汚い戦争」に関与した人物への裁判が進み、彼も有罪判決を受けています。[5]
そしてサウスジョージア島は、イギリス補助艦隊や民間徴用船の泊地として使用され、人員や物資、燃料の中継に用いられました。ただ港湾施設は老朽化が進み、平地が猫の額ほどであったためアセンション島ほどの一大拠点とはならなかったようです。
サウスジョージア奪還に貢献した上陸部隊は同島でしばしの休息をとり、時にはハンティングをして過ごしました。相手は20世紀の初頭に持ち込まれた外来種のトナカイ。これを小銃で仕留めた後、サバイバル技術を持つSAS隊員が内蔵を捌き、肉はヘリコプターで吊り下げて「プリマス」へ移送されました。この狩りは外来動物駆除、射撃訓練、食料調達を兼ねていますから、(支給品を用いたものだとしても)イギリス軍は多めに見てくれたようです。[7]
しかしイギリス軍は戦時に特殊部隊員を長く遊ばせておくことはしません。トナカイを仕留めたSAS隊員はその日の内に新任務のため移送され、トナカイのステーキを食べることは叶いませんでした。
サウスジョージア島には北極圏のトナカイと南極圏のペンギンが同居する不思議な光景が見られる。ただしトナカイだけは外来種として駆除対象になっている。
http://www.surbound.com/introduced-raindeer-rangifer-tarandus-removed-south-georgia-south-sandwich-islands/出典
[1]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P247~252(PDF版P50~56)[2]Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8(1984年5月10日)P23~25
[3]朝日新聞外報部 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 978-4022550200 (1982年9月10日) P71~79
[4]BBC Argentina 'Angel of Death' Alfredo Astiz convicted 27 October 2011 From the section Latin America & Caribbean
[5]BBC Argentina refuses Astiz extradition 3 July, 2001, 15:50 GMT 16:50 UK
[6](Cemeteries of South Georgia)サウスジョージア島・埋葬者記録サイトよりARTUSO, Felix
[7]アンドルーケイン/ネイル・ハンソン 清谷信一監訳 SASセキュリティ・ハンドブック(訳者 宇垣大成、岡部いさく、篠田ユール洋子、平岡護)ISBN 4562036664 (2003 年7 月10日)P25,P58
参考
日本語版wikipedia フォークランド紛争
防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史 (2015年9月8日取得)
防衛省防衛研究所 平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」 (2015年11月1日取得)
アメリカ海軍 Lessons of the Falklands Accession Number : ADA133333
RAF(イギリス空軍) The Falkland Islands Campaign
朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日
Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
堀元美 著 海戦フォークランド―現代の海洋戦 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日
アンドルーケイン/ネイル・ハンソン 清谷信一監訳(訳者 宇垣大成、岡部いさく、篠田ユール洋子、平岡護) SASセキュリティ・ハンドブックISBN 4562036664 2003 年7 月10日
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コメント
トナカイで思い出したけど、投入予定だった海兵隊第42コマンド大隊M中隊はノルウェーで数週間に渡る極寒訓練を終えたばかりだったとか。
あと、大活躍した「アントリム」搭載ヘリ機長のイアン・スタンレー少佐の話は無いのか・・・。
アザラシが軍帽を被った敵兵に見えたって話は、英国の本に時々みかけるね。
戦場の極度な緊張感の例で、寓話的に使われてたけど、ちゃんと記録のある話だったとは。
WWⅡ以上に、英国人には身近な戦争なので、現代社会の色んな部分に影響(爪痕?)が見られるのが興味深い
ところで、その本だと、対戦車ミサイル撃って全滅させちゃったって話だったけど……これは脚色なのか、はたまた別の場所なのかw
Wikipediaより詳しい記述ができるよう心がけていますが、
それ以上を目指すのは私のレベルでは困難です。
専門の資料をお読みになられた方には、もの足りないかと思います。
ご摘があればコメント欄に補足ということで書き足してまいります。
M中隊や他部隊作戦準備の詳細については「フォークランド紛争史」に記述があります。
このM中隊の大部分は上陸作戦に参加できなかった訳ですが、
「狂ったシナリオ」においてはSASやSBSにも劣らない精鋭部隊として、
サウスジョージア上陸の主力だったと紹介されています。
スタンレー少佐は氷河の救助作戦では次々にヘリが墜落する中で、
唯一帰還に成功したウェセックスHAS.3のパイロットです。
その後は遭難したSASのボートの捜索、
爆雷による潜水艦の無力化など、
重要な局面のほとんどで活躍。
この功績を讃えられ、勲章も授与されています。
(WikipediaではSAS救助の功績によるもの、とされています)
彼の証言は「空戦フォークランド」で翻訳されており、
以前紹介したナショジオの動画ではインタビューも受けています。
https://www.youtube.com/watch?v=8LviECWdQsQ
乗機のウェセックスHAS.3は旧型の哨戒ヘリですが
レーダー装置を上手く活用し、
氷河での墜落を回避し、悪視界下で潜水艦サンタフェの発見に成功しています。
トナカイ猟は「SASセキュリティハンドブック」の証言ですが、これ以外にも著者はワイルドな事をやっていたようですね、世界中で。
3様
ミサイルで破壊されたのは廃材で、アザラシにはミサイルを撃ってはいないようです。アザラシのしぐさで識別できたのかもしれませんね。
大変申し訳ない。またやってしまった・・・。
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