第26回 連載「フォークランド紛争小咄」パート9
イギリス任務部隊の出港と最初の遭遇

文:nona

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http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/guides/457000/457033/html/nn2page1.stm
イギリス任務部隊(タスクフォース)の主力は4月5~6日にイギリスを出港。ジブラルタルの部隊と合流し17日(16日とも)にアセンション島に入稿した後、21日には排除海域前に到達した。

 1982年4月5日、イギリス機動部隊は国民の声援の中ポーツマスを出港。フォークランド侵攻から僅か3日後のことでした。一方のアルゼンチン軍はイギリス機動部隊を捜すべく、南大西洋で哨戒飛行を開始。イギリス側はどうにか阻止したかったものの、そこは未だ海上排除区域の外。第三国の民間船に旅客機、果てには情報収集を進めるソ連偵察隊の姿もあり、誤射を警戒して有効な対策を取れませんでした。

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■イギリス国会でのサッチャーの演説■

 4月2日から3日にかけアルゼンチン軍がフォークランド、サウスジョージア島を次々と占領していく中、イギリスでは緊急議会が召集。スエズ危機以来、21年ぶりの土曜日開催でした。[1]

 傍聴者やメディアが詰めかけラジオ中継もされる中、サッチャー首相はアルゼンチンを非難、フォークランドの解放と機動部隊の出港と誓いました。

 しかし野党席からは「辞任せよ」との大合唱。サッチャー首相は「鉄の女」と呼ばれるほどの強硬な人物として知られていたものの、アルゼンチンに対して(譲歩は避けつつも)毅然とした態度を取らなかったこと、さらに情報収集も怠った、と指摘されたのです。

 事実、サッチャー首相はアルゼンチン軍の武力侵攻が迫っていたことを察知したのは、3月31日の時点でした。この責任についてキャリントン外相が引責辞任し、戦後には政府自身によってサッチャー首相らに審問をしたものの、政権に過失はなかったと結論づけています。[2]

 さらに党内からも右派のパウエル議員には「君は鉄の女と言われるが、その成分はこの数週間の内に解るだろう」と皮肉めいた発言もしています。(ちなみに「鉄の女」とはソ連軍機関紙クラスナヤ・ズヴェズダ紙が与えた渾名です。)[3]

 一方で野党・労働党のフット党首は「今や政府は言葉ではなく、行動で示す時だと」と発言。与党には釘をさしつつも、挙国一致のムードづくりに力を貸しました。[1]


■機動部隊の出港まで■

 公の派兵宣言は4月3日ではありましたが、一部の艦艇は3月末から出港準備が始まっていたことが明らかになっています。3月28日、サッチャー首相とキャリントン外相は海軍に原子力潜水艦の派遣を指示していました。[4]

 ただし派遣の目的はフォークランドの氷海警備船エンデュアランスの援護にあり、アルゼンチン軍の侵攻を見越しての指示ではありません。またアルゼンチンへの刺激を避けるため、指令は極秘のものでした。

 さらに海軍内でも同日、空母など水上艦艇派遣の検討がなされ、4月1日には、命令から48時間以内に出港できる体制が整えられます。しかし即日の出向命令は下されませんでした。

 さらに急な命令を受けた現場でも、即座に派遣できる原潜がありませんでした。そのため補給艦を単艦出港させた後、4月1日までに原潜2隻の準備を首相へ報告します。

 うち1隻の原子力潜水艦「スパルタン」は大西洋でNATOの合同演習に参加していたため、急きょ演習を抜け出し英領ジブラルタル基地に帰投。訓練魚雷を外して(通常動力艦から引き抜いた)実弾に換装し出撃準備を済ませました。

 この予定外の命令に、後の戦闘で潜水艦部隊の指揮を執る潜水艦隊司令ハーバート中将は「南大西洋で12名の屑鉄業者が引き起こした騒動に、第1艦隊と一緒に演習(「SPRINGTRAIN」)中の「スパルタン」の演習を中断してまで、国防省の要求に応じて南大西洋に派遣するなど信じがたい。」と日誌に記しています。

 また追加の原潜の派遣は「戦略原潜の護衛や隊ソ連偵察に割く原潜が回せなくなる」との懸念から、実際の出港命令を出しかねていました。しかしアルゼンチン軍の侵攻を受け、待機中の1隻も出港。これがアルゼンチン軍巡洋艦を撃沈する「コンカラー」でした。

 3隻の原子力潜水艦は4月12日にフォークランド近海へ到着。翌13日から200海里を「海上排除区域」に設定しフォークランド諸島の封鎖を開始します。

 さらにNATO演習に参加していた水上艦もフォークランドヘ派遣が決定。指名のなかった艦は、手続きを後回しで装備を移譲しています。

 そして4月15日、駆逐艦シェフィールドなど6隻の水上艦隊がフォークランド北海域に到達。イギリス本隊の到着までに、アルゼンチン艦をおびき寄せ漸減することが任務でした。ただしアルゼンチン側に反応はなく、18日に一時撤収しています。


■機動部隊と上陸部隊の出港■

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4月5日の英空母インヴィンシブル。

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https://www.flickr.com/photos/11870020@N08/2042434487/in/pool-1893140@N22/

同じく4月5日に出港した空母ハーミーズ。前年にジャンプ台修錆がされたものの、錆などはそのままで、余計に旧式艦に見える。


 そして1982年4月5日午前10時、イギリスのポーツマス港からハリアー戦闘機、海兵隊員SAS、SBSなど特殊部隊員を載せた空母ハーミーズ、インヴィンシブルを始めとする機動部隊の一団が出港しました。[1]

 翌日には揚陸艦イントレピッドら上陸部隊も出港。岸壁には多くの国民が集まって(抜け目のない商売人が20ペンスで売った)英国旗を振り、湾にはボートが繰り出され、艦隊を盛大に送り出されたのです。

 また将兵の動員のため、国鉄の主要駅には「第三空挺連隊員は直ちに帰隊せよ」との看板も掲げられ、軍人用の集合所も開設。当時休暇中だった英王室のアンドルー王子にも帰隊命令がなされ、シーキングヘリコプターの操縦士としてインヴィンシブルに乗艦しています。

 一方でXXXXやYYYYなどZZZ隻の戦闘艦は観衆の目を避けつつ静かに出港。さらに紙面に未参加の艦艇を参加艦と偽って掲載。派手な宣伝の影で、実際の戦力を悟られないよう配慮がされていました。[5]


■機動部隊の南下とアルゼンチン軍偵察機■

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http://www.spyflight.co.uk/boeing707.htm
ハリアーから撮影されたアルゼンチン軍のボーイング707

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http://www.ww2incolor.com/forum/showthread.php/4983-Falklands-Malvinas-war-pictorial-Post-yours-%C2%A1%C2%A1%C2%A1/page8
逆にボーイング707から撮影されたハリアー。

 任務部隊はいったんアセンション島に入港した後、上陸部隊を残して18日にフォークランドへ向け出港します。行先は対潜ヘリコプターによる哨戒を実施され、道程の半分ほどはニムロッド哨戒機の支援を受けていました。[6]

 しかし出港直後には補給艦「オルメダ」が鯨を潜望鏡の航跡と誤認、確認の為に複数の艦艇と航空機を動員するなど、実戦に不慣れな様子も見られました。

 この英艦隊へ探りを入れるため、アルゼンチン海軍はボーイング707型輸送機による哨戒飛行を開始。この707型機は輸送機型ではあるものの、独自にイスラエル製のSIGINT装置を搭載していました。このSIGINT装置で、イギリス機動部隊の通信やレーダー波などの電波情報を傍受し、位置や戦力の割り出しが可能でした。[6]

 このボーイング707は4月21日に英艦隊に接近し、以降は頻繁に飛来し、100海里ほどの距離まで接近しています。時としてフォークランドから1000km南東のサウスジョージア島海域へ姿を表すことさえあったのです。

 手の内を知られたくないイギリスは対策を講じます。まずハリアー戦闘機によるインターセプト、さらに4月24日から「軍民を問わない撃墜」を警告するようになり、果てはニムロッド哨戒機にまでAIM-9G対空ミサイルの搭載まで行われました。[7]

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http://www.britmodeller.com/forums/index.php?/topic/75954-nimrod-question/
翼下にAIM-9Gを装備したニムロッド哨戒機。なおP-3Cも空対空ミサイル発射する画像が存在する。

 また艦隊では無線封鎖を実施。さらに重要な命令書は、防諜のため補給品や郵便物と一緒に輸送機で空中投下させています。不便な通信手段ですが、確実に秘密を守れる方法でした。

 しかし大西洋上では第三国の707型機も多く飛び交っており、誤射を懸念して実力排除は行われませんでした。アルゼンチン空軍もぎりぎりの間合いを見極めており、ハリアー戦闘機の迎撃前に逃げきっています。

 この偵察は4月29日まで続き、機動部隊がフォークランドの完全排除区域(このとき海上排除区域から強化されていた)の手前に到達したことも、アルゼンチン側は把握できたようです。


■不明機は敵か中立国か■

 イギリス機動部隊はこちらに近づいてくるアルゼンチン船、あるいは第三国の船や航空機に出くわした場合にどう対処するか、交戦規定上の懸案となっていました。もし国籍不明の船や航空機が近づいてきた場合、姿を偽ったアルゼンチン軍か、単に迷い込んだだけの第三国か、判断を誤れば重大な事態になりかねません。

 当のイギリス自身も日露戦争中の1904年、ロシアのバルチック艦隊からイギリス漁船が誤射され、民間人を殺傷された過去があります。これはドッガーバンク事件として知られ、後の日本海海戦の結果にも一定の影響を与えた、とされた事件です。

 このため外交上の観点から武器の使用を避けたいイギリス本国と、自己防衛の観点から自衛攻撃の範囲を拡大したい現場との間で葛藤が生じていたようです。交戦規定に関する議論は毎日イギリス本国で行われ、頻繁に改訂されたものの、武器の使用は極力避ける方針が取られました。

 またフォークランドの排除水域内でも小型の高速船、民間船の航行を黙認しています。ただし原子力潜水艦の所在の暴露を避ける思惑も含まれていました。[8]


■ソ連の偵察活動■


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https://clockworkconservative.wordpress.com/tag/falklands-war/
Tu-95を追跡するハリアー戦闘機。フォークランド紛争中の写真かは不明。


 フォークランドの緊張が高まって以降、ソ連では衛星偵察と偵察機による機動部隊の追跡、情報収集船と南大西洋上の30隻のソ連漁船、さらに2隻の原子力潜水艦もイギリス軍の動きを探っていました。[9]

 特にソ連原潜はアルゼンチン軍の潜水艦との識別の観点からイギリスにとって厄介な存在でした。このためイギリスはソ連や南米諸国に対して、潜水艦はむやみに近づかないように働きかけたようです。ちなみにイギリスの原子力潜水艦は所定の深度で潜行することで、味方からの誤射を避けていました。[10]

 しかしソ連は原潜以外の方法で監視を続け、情報をアルゼンチン軍に情報を流している可能性が示唆されていました。

 アルゼンチンは親米反ソ傾向があったものの、フォークランド紛争でアメリカがイギリスの方を持ったため、表向きは中立の立場だったソ連に支援を求めた可能性があったのです。(資料によって記述はまちまちで、真偽は不明)

 イギリス側には悩ましい問題でしたが、公海上とあってはこれを制止することができなかったようです。


出典


[1]朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日 P26~31

[2]小谷賢 平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書 フォークランド戦争の政治・外交的教訓 ―同じ島嶼国の立場から― P125~127(PDF版P1~3)

[3]margaretthatcher.orgのSpeech at Kensington Town Hallより The "Iron Lady" tag was first used by the Soviet Army newspaper Red Star on 24 January.

[4]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P149~153(PDF版P1~5)

[5]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P153~155(PDF版P5~7)

[6]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第6章 イギリス軍およびアルゼンチン軍の状況P81(PDF版P14)

[7]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第6章 イギリス軍およびアルゼンチン軍の状況P95~96 (PDF版P28~29)

[8]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P161(PDF版P13)

[9]朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日 P67

[10]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P163,167(PDF版P15,19)

 

参考


日本語版wikipedia  フォークランド紛争

防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史 (2015年9月8日取得)

防衛省防衛研究所 平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書
「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」 (2015年11月1日取得)

アメリカ海軍 Lessons of the Falklands Accession Number :
ADA133333

RAF(イギリス空軍)  The Falkland Islands Campaign

朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日

Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日

堀元美 著 海戦フォークランド―現代の海洋戦 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日
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