第17回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 3
フォークランド紛争と前線滑走路
文:nona
今回はフォークランド紛争中に使用された前線滑走路を紹介いたします。
http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
東フォークランド島・サンカルロス橋頭堡の前線滑走路
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■アルゼンチンの前線滑走路■
アルゼンチン軍の前線滑走路の所在地(ここ以外にも複数の平地を滑走路としていた可能性あり)
フォークランドへ侵攻したアルゼンチン海空軍は、グースグリーンにコンドル空軍基地を、ペブル島にカルデロン海軍飛行場を設けています。[1]しかし基地とは名ばかりで、滑走路は草地のまま。ジェット機は運用できません。このためアルゼンチン軍もT-34Cメンター練習攻撃機やプカラ軽攻撃機の基地として使用しています。
https://simple.wikipedia.org/wiki/FMA_IA-58_Pucar%C3%A1#/media/File:Argentina_Air_Force_FMA_IA-58A_Pucara_Lofting-6.jpg
アルゼンチンのプカラ攻撃機
プカラ攻撃機は2門の20mm機関砲、1620kgまでの爆弾、ロケット砲、ガンポッドを搭載することが可能なCOIN機です。イギリスはこの攻撃機を歩兵にとって重大な脅威であると考え、上陸作戦の前に破壊することを計画します。(実際には数機が生存しますが、個人携帯式対空ミサイルやハリアーに、容易に撃墜されています。)
このため5月1日のイギリスによる最初のフォークランド空爆で、グースグリーンのコンドル空軍基地も破壊されています。残存部隊はペブル島のカルデロン海軍飛行場に移動するものの、5月15日の深夜に45名のSAS隊員と艦砲射撃によって、6機のプカラ、4機のメンター、1機のスカイバン輸送機と滑走路が破壊されています。[1][2]
http://www.raf.mod.uk/history/TheSASraidontheairfieldatPebbleIsland.cfm
破壊されたペブル島の前線滑走路と航空機
■イギリスの前線滑走路(Forward Operating Base)■
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サンカルロス橋頭堡に造られたハリアー滑走路
イギリス側もフォークランド上陸後、独自の前線滑走路を設置しています。アルゼンチンのように未舗装の滑走路ではなく、アルミニウムマットを使用した本格的なものとなっています。このアルミニウムマットはAM-2やM8A1が知られ、大型機の着陸の衝撃にも絶えうる非常に高性能なものです。[3][4]
この前線滑走路の建造予定地は、イギリスが5月21日に確保したサンカルロス橋頭堡でした。同地はフォークランド海峡の東側の入江にあり、外海から隔てられ風浪が少なく、潜水艦の侵入を阻めるため、前線基地には好都合でした。
サンカルロスの所在
http://portierramaryaire.com/foro/viewtopic.php?f=8&p=198830
サンカルロスを見下ろす丘陵に設置された、レイピア対空ミサイルとレーダー装置
滑走路の長さ400mとなる予定でしたが、資材の多くの搭載していたアトランティック・コンベアーがエグゾセで撃沈されています。このため滑走路の長は260mへ短縮された状態にせざるを得ませんでした。[3]さらに滑走路周囲の天候が悪く、6月2日の完成後も、すぐ使用できませんでした。
https://forcesreunited.wordpress.com/2013/05/29/saluting-atlantic-conveyor/
エグゾセ1発を被弾し、撃沈されたアトランティック・コンベアー
■前線滑走路の運用■
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滑走路上のハリアー
6月5日、天候の回復でようやく前線滑走路が使用可能になります。このおかげで、海軍のFRS.1シーハリアーはより長い戦闘空中哨戒が可能になり、空軍のGR.3ハリアーも要請からわずかな時間で近接航空支援が実施できるようになりました。[5] なお、滑走路には「シドの滑走路」というあだ名も伝わっています。建設の指揮をとったシド・モーリス少佐にあやかったようです。[6]
しかし6月8日、ハリアーのクラッシュランディングによって滑走路が破損しています。防衛省の論文では事故以降は滑走路が使用できなくなったとありますが[6] 別資料ではその後復旧された、としています。[7] ただし6月13日の出来事(後述)を考えると、すぐ復旧されたと見るべきでしょう。
http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
エンジントラブルで着陸に失敗したハリアー。SOD OFF ARGIESは「アルゼンチン人どもは帰れ。」の意か。
6月13日には、再び滑走路が使用不能になるハプニングが記録されています。原因はCH-47ヘリコプターのダウンウォッシュでした。強風でアルミマットがめくれてしまったのです。
このとき燃料が切れるぎりぎりで飛んでいた2機のシーハリアーは、サンカルロス入江に停泊していた揚陸艦フェアレスとイントレピッド(同型艦)に急きょ着艦します。これがフォークランド紛争中、ハリアーが揚陸艦へ着艦した唯一の例でした。それまでは揚陸艦側から着艦できることを申し出て、準備もしていたようですが、なかなか実現しなかったそうです。[8]
http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
フィアレス級揚陸艦のイントレピッドに着陸したハリアー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E7%B4%9A%E6%8F%9A%E9%99%B8%E8%89%A6
フィアレス級揚陸艦。
このような理由で、ある種の歓迎を受けた2機のハリアーですが、給油中に空襲警報が発令。今度は逆に、急かされるように発艦させられています。幸い空襲は誤報でしたが、パイロットは友軍からの誤射を何よりも恐れたそうです。[8]
■フォークランド紛争終結後と現代の飛行場■
6月14日、アルゼンチン守備隊は降伏、翌日にはアルゼンチン本国も停戦命令を出しています。しかしアルゼンチンが再び攻めてくる恐れもあり、イギリスには戦勝を祝う余裕もありませんでした。[9] ハリアー部隊も滑走路の長いスタンレー飛行場へ移動し、臨戦体制を維持しています。[3]
スタンレー飛行場とマウント・プレザント空軍基地
現在フォークランド諸島最大の飛行場のある、マウント・プレザント
その後に航空部隊は、新たに建設されたマウント・プレザント空軍基地に移ります。[3] マウント・プレザント基地ではリース導入したアメリカ製のF-4ファントムⅡが配備され、専用のシェルターも用意されました。現在は4機のタイフーン戦闘機と、VC-10空中給油機、C-130輸送機が各1機、数機のシーキング救難ヘリコプターが駐在しています。[10]
フォークランド諸島には依然として実戦部隊が配備されており、紛争の再発を防ぐ抑止力となっているようです。
出典(最終閲覧日2015年9月19日)
[1] 防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第9章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦P239(PDF版P42)
[2] RAF Battles of the Falklands Conflict The SAS raid on the airfield at Pebble Island (イギリス空軍公式サイト)
[3] Thinkdefence.co.uk Harrier Forward Operating Base – Falkland Islands Posted by Think Defence / Aprile 22, 2012
[4] Calumet Industries Landing Mats
[5] 防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第9章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦P299(PDF版P102)
[6] Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8(1984年5月10日)P211-212
[7] 同P246
[8] 同P247~248
[9] 同P252
[10] RAF Station Name: RAF Mount Pleasant, Falkland Islands (イギリス空軍公式サイト)
本文中の地図はhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4e/Falkland_Islands_topographic_map-en.svgより
衛星写真はGoogle Mapsより
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