<空母と艦載機の不都合な関係~その艦載機、飛ばせますか?>
文:烈風改
ブラウザゲーム・艦これに登場する航空母艦は、2015年6月時点で正規(装甲)空母・軽空母のどちらかにカテゴライズされていて、艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機、艦上偵察機などの搭載が可能となっています。
ゲーム同様「艦上~」とつく機体は全て空母に積めるのは当たり前、と思われている方も多いと思いますが、実際の航空母艦の運用では艦上機であっても様々な制約が存在し、高性能の艦載機を開発・量産しても即搭載&戦力アップ!とはいかなかったりします。
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例えば、艦これの戦闘処理中ランダムで決定される「T字不利」判定(攻撃力が減じられてしまう)を回避する定番艦上偵察機“彩雲”。
エンジンさえまともに回れば結構な高性能機で、戦後米軍に接収・調査された機体は最高時速700km近くをマーク(但し米軍の燃料や消耗品を使用)しており、試作機時代には640km近く、性能が低下した量産機でもほぼ600kmをクリアしていたと言われます。
最高時速610kmぐらいの米軍艦上戦闘機F6F相手なら、タイミングにもよりますがそこそこ逃げ切れる程度の実用性は確保していました。しかし、その高性能の代償として離陸に必要な滑走距離は在来の艦上機に比較して大幅に増加してしまいました。
空母艦における搭載機の発艦可否判定は航空母艦自身の速力によって発生する向かい風(合成風)の風速と、飛行甲板の長さによって決定されると言って良く、当然低速・小型になるほど搭載機の発艦条件は悪化します。
彩雲の滑走距離は開発中から問題視されており、昭和18年頃の航空本部作成『飛行甲板延長に依る発艦機数増大状況調』によれば、実際に完成した航空母艦中、正規空母以外で運用可能と判断されたのは高速な千歳型と大型の隼鷹型のみで、他の艦は「不能」「困難」の判定がされています。(この時点で沈んでいる赤城、加賀は発艦そのものは可能だったと思われます。多少高速ではあっても飛行甲板の延長が困難な龍驤は恐らく無理でしょう。)
開発中でこの状態ですから、量産後の機体が燃料満載の偵察過荷状態で発艦するにはさらに条件が厳しくなることは容易に想像がつきます。また、正規空母においても長大な滑走距離をかせぐため、彩雲を発艦させる度に飛行甲板の飛行機の大半を格納庫に収容しなければなりませんでした。
これは次世代艦上偵察機である彩雲に限った話ではなく、新鋭艦上爆撃機として配備が開始された“彗星”にも付きまとう問題でした。
例えば、飛鷹型では搭載予定18機に対して同時発艦可能なのは13機が限界とされており、後のマリアナ沖海戦で定数が供給された場合は分割発艦を余儀なくされたでしょう。
つまり戦争後半になると、新世代機の性能が既存のインフラである航空母艦の制限に抵触し始めていた訳です。
無論このような事情を海軍も放置していた訳では無く、昭和18年の夏前には小型空母への新鋭機搭載のための対策会議が行なわれています。この会議では主に2つの案が取り上げられ検討が行なわれました。
その一つは米海軍では既に実用化されていた航空母艦用カタパルトの導入です。しかし、開発中のカタパルトは進捗が思わしくなく、運用的な課題も多いため取り下げとなります。(伊勢や日向にも搭載された火薬式カタパルトを取り敢えず積むという案もありましたが、工事期間によって作戦に支障が出る懸念から中止とされています。)
結果的に選択されたのは使い捨ての離陸促進ロケットを発艦の都度装備するという方法です。この方式は英海軍でも採用された方式で、固体ロケットの開発もそれなりに進捗していたことから採用となったようです。(余談ですが、このロケットは仕様を変更し一年後に桜花の推進器に採用されます)このロケットにより不足する滑走距離を7~8割に短縮可能とする目論見でした。着艦のための着艦制動装置も次世代艦上攻/爆撃機の“流星”を運用するためには、油圧方式で6トンまでの機体に対応可能な三式着艦制動装置を使用する必要がありました。
しかし、この装置を搭載した航空母艦は昭和18年以降竣工した大鳳、雲龍型、海鷹、信濃や大掛かりな改装の機会があった雲鷹に限られ、他在来空母は積み替えのための改装工事が必須となります。
ただ着艦制動装置の改装は大規模なものとなるため、戦局の逼迫していた大戦後期には主力空母の翔鶴型にさえその機会を得ることが出来なかったようです。
また、信濃は発着兵器関係者の戦後の回想に「彩雲は後部エレベーターでの昇降ができなかった」という証言があり、このエレベーターサイズの制限が事実とすれば、後部エレベーターに彩雲を載せることが可能なのは雲龍型、飛鷹型、大鳳のみということになり、後部エレベーターでの運用を考えるなら他の航空母艦は改装工事を行なう必要性があることになります。
艦これではフィット砲の概念の導入により、現実の装備砲よりも大口径砲を搭載した場合は、命中率の低下などのペナルティが生じましたが、もし“フィット機”のような概念が導入された場合は、軽空母に新型機を積んでもペナルティによるマイナス補正で攻撃力が上がらず、フィットする旧式機を積んだ方がマシといったような状況が発生したりするのでしょうか(困りますね)。
またも史実を意識すると天山(電探装備)のような装備が登場し、軽空母にはそれと爆戦を組ませての運用が効果的!みたいな展開もあり得るのかもしれません。
<著者紹介>
烈風改
帝国海軍の軍艦、特に航空母艦についての同人誌を多数発行。
代表作に『航空母艦緊急増勢計画』
Twitter: https://twitter.com/RX2662
コメント
そして貧乏なのに使い捨ての離陸促進ロケットとかもったいない。本当にカタパルトくらいなんとかならなかったのかと。
ところで、自分は海軍にはとんと詳しく無いのですが、飛行甲板って簡単には
前後に飛行甲板を伸ばせないもんなんですかね?
トラス構造でフレーム組んで台座にするとか?
記事の内容は『飛行甲板延長に依る発艦機数増大状況調』によります。内容はあくまで昭和18年6月頃の試算です。
>前後に飛行甲板を伸ばせない
この資料では飛行甲板を各空母前方向に延ばした試算値もあります。ただ7~15m延ばしてもあまり大きな効果は期待できないようですね。
飛ばないらしいから取り敢えず風上に全力疾走しろって大雑把な運用だったのか?
小型空母の鳳翔で飛行甲板を無理やり延長してるけど、甲板下にある艦橋の視界不良と甲板の強度不足(波をかぶった際に破損するおそれがある)で内海から出られなくなって訓練専用になってるから、簡単にはいかんでしょうね。
艦橋の視界問題は島形艦橋なら問題ないでしょうけど、強度はどうにもならないでしょうし。
翔鶴型で搭載機数増加のために現場レベルで格納庫の隔壁をぶちぬいた際に、設計者は「強度が落ちる」と絶句したらしいので、艦船の強度はデリケートな問題かと思われます。
飛行甲板の延長は艦の復原性に悪影響があるので艦政本部は基本的にやりたくないのです。友鶴・第四艦隊事件以降はなおさらですね。米空母のように飛行甲板を目一杯拡張すれば運用には良いですが、復原性は悪化しますし沖縄戦のように台風で飛行甲板が破壊されるリスクは上昇します。格納庫の後壁を抜いて天山を置いた話は三原さんの談話にありますが、被害で沈下すると海水が入りやすくなるので沈没を早めた一因になったかもしれません。
飛行機の進化という大型化にプラットフォームが追いつかなくなる時代だったんですね。
日本がカタパルトを作ったらどういう形式になったんだろ? 錘式?
理想はその一つ前のG14では無いかと…
艦上機用のカタパルトって難易度高いですよ?
実用されたものはアメリカ・イギリス製だけ。
それ以外では旧ソ連が試作した「マヤーク」が実用レベルに達していたと推測されている位じゃないかな?
うん、要するに装甲空母の拡大型(搭載機数増大)って意味ね。
>カタパルト
難易度高かったのはわかるんだけど、そもそもまともな空母造ってたのが日、英、米くらいだから他の国に無いのはむしろ当然ではないかと。
日本の場合、開発はしてたのに上手くいってないというのが……
降着装置の方は大型機に対応したもの造ってるのにカタパルトはそこまでは重視してなかったのか?とか。空母側に手を加えるのは面倒ではあるけど。
上の※にもあるけど日本海軍がカタパルトを重視しないわけがない
試験的にも加賀に乗せてるし研究もしている、それに艦載機の大型化は戦前より始まってたからむしろ急務だった
できなかった理由はこれだろうね、単純に工業基盤の欠如と言ってる
ttp://okwave.jp/qa/q6923754.html
知ってるスレからコピーさせて頂きました
1941年の初め頃には既に対米戦の回避は不可能であり、こちらも備えなきゃいかんと書いてある
なので、かねてより空母機動部隊が要望を出していた射出機(カタパルトね)の設置と、それに伴う一連の試験が九月の末頃に1日だけ実施されたとある
公式の資料では実施予定なだけだったとしかないけれど、この辺りの資料は戦後のごたごたでなくなっている可能性がある
この際には一度ドックへと極秘裏に入渠し、今でも写真で確認できる斜めのラインが入った位置にフライホイール式のカタパルトを設置して、その日の内に急いで出渠して豊後水道を南下、それから長崎付近に回航後に試験を実施したとある
メモには敵に情報を悟られない為に、後の真珠湾奇襲攻撃以上の防諜体制がとられており、艦の公式行動記録すら偽装されて入渠した艦の存在すら徹底的に隠蔽されると言う秘匿ぶりだった模様
長崎沖(詳しい位置は不明としか書いてない)にて、最大速力28ノット以上で航行しながら、風上に向けて北上して射出実験の第一回目が行われたみたいなのだが、この日、大叔父はこっそりと自身の配置を理由をでっち上げて抜け出して実験を見ていたらしい
このときの実験の模様を、こう語っている【射出自体は成功せしめるものの、あのような射出ではパイロットの首か背骨が折れるであろう勢いである】と書かれている
射出そのものには成功したけれど、パイロットの命がないカタパルトだって書かれているよ…… この時に射出された航空機はモックアップの模型らしくて、カタパルトの技術士官たちが頭を抱えていたらしい
何しろ【射出前に飛行状態にした航空機を、専用の台車に載せて水上機と同様の移動方法をとり、通常の火薬式カタパルトと同じ方法で射出しようとは思っても見なかった】と書かれているし、問題点が山積していたことを伺わせるよ
この日は、これからもう一回実験を行おうとしたんだけど、航空機を射出状態にするのに手間が掛かるのと、時間が掛かりすぎる為に実験は全て中止、ドックへと戻りカタパルトを撤去した、と書かれている
どこで搭載したのか、そして、どこで撤去したのかは一切かかれていないから分からないけれど、日本海軍のカタパルトは実戦向きではなかったのは確かだと、判断できる記述がある
【艦これ】空母加賀に乗っていた叔父の話って需要ある?極秘利に行われたカタパルト実験の様子など
から一部引用
貴重な話だけど、自分の※に重ねる必要性あるかな?
その記述だと俺が問題にしてる油圧カタパルトではなく、恐らく空気式か火薬式になると思われる
ああ、ごめんなさい。
加賀のカタパルトの話だったんでとりあえず。
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