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フォークランド紛争と前線滑走路
文:nona
今回はフォークランド紛争中に使用された前線滑走路を紹介いたします。
http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
東フォークランド島・サンカルロス橋頭堡の前線滑走路
タグ:飛行場
【読者投稿】第16回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 2 スタンレー飛行場攻防戦と決死の輸送作戦
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スタンレー飛行場攻防戦と決死の輸送作戦
文:nona
戦時下の飛行場といえば「初撃で壊滅」という場合も「地上部隊に占領されるまで機能し続けた」というケースも存在します。今回は「後者」にあたる東フォークランド島「スタンレー飛行場」を巡る戦いを解説いたします。
■開戦前夜のフォークランド飛行場■
1973年、ポートスタンレーにほど近い競馬場(ほぼ牧草地)にスタンレー飛行場が開設されます。アルゼンチン・イギリス双方の出資で建設され、当初は720m、開戦直前には1200mまで拡張されています。[1]
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/
1973年のスタンレー飛行場
スタンレー飛行場の所在
このスタンレー飛行場ですが、競馬場時代の1966年、ハイジャック機が強行着陸する事件がおきています。[2]犯人は、フォークランド諸島のイギリス領有の不当性を訴えるアルゼンチン人のジャーナリストと、彼に率いられたアルゼンチンの労働者たちでした。蜂起の理由はアルゼンチンの不況や、 サッカー・ワールドカップにおけるアルゼンチン対イングランド戦の結果が、労働者たちを焚き付けた為、とされています。
http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/
ハイジャックされたCD-4旅客機
スタンレーへ降りたハイジャック犯はアルゼンチン国旗を掲げ、自国の領土であることを宣言します。しかし、イギリス駐在海兵隊員と、武装した島民に囲まれてしまい、翌日に投降しています。この事件でアルゼンチン・イギリス政府間に不信感が生まれたようです。一方島民は、ハイジャック犯へ食料や防寒具を提供するなど、それほど反感がなかったことが伺えます。