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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    タグ:軍事講座

    【軍事講座】戦艦扶桑の「あ号作戦」-囮理論とその周辺-

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     この記事は以前投稿した『戦艦扶桑の「常在戦場」』の後日談にあたります。
     本文には以前の投稿内容を踏まえた個所がありますので、未読の方は前作も併せてごらんください。


    ○大事なことは全部提督の決断で学びました。

     
    史上最大の空母航空決戦となった「マリアナ沖海戦」。
     参加した日本戦艦は「大和」「武蔵」「長門」「金剛」「榛名」の5隻です。
     昔のSLGでばっちり学習しましたから、間違いありません。
     残る「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」の4隻は母港で新たな艦隊を編成し、呉から増援として出撃。こういう遊び方をした人は多いのではないでしょうか?
     もちろん私もその一人でした。
     
    そのため何かの本で「扶桑」が当時ダバオに居たと知ったとき、最初に感じたのは違和感でした。
     「旧式戦艦が姉妹艦と別れて1隻だけ、どうしてこんなところに?」
     その答えにたどり着くまで約10年。
     これは、役立たずの欠陥戦艦と誹謗される彼女が、戦史の狭間で演じた一人舞台に関する記録です。

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    【軍事講座】戦艦扶桑の「常在戦場」

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)



    ○「はぁ……、空はあんなに青いのに……」

     
    なんだか空耳が聞こえてくる今日この頃ですが、本日は戦艦「扶桑」の話です。
     「扶桑」と言えば浮かぶ違法建築、海外でも何故だか大人気の日本戦艦ですが、スリガオ海峡で駆逐艦相手に瞬殺されたこともあり、武勲の面で評価されることはまずありません。何となく幸薄い艦、という印象は大多数の人に共通のものではないでしょうか。

     「武勲に恵まれなかったほうでしょうな」
     「扶桑」の元艦長(鶴岡信道・元海軍少将。昭和18年6月~19年2月まで艦長)もそう言っていますから、武勲がないのは否定のしようがありません。
     ですがこれは、「扶桑」の功績は武勲の有無だけで決まるもんじゃないよ、というお話です。

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    そして「飛龍」は残った -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画。その後-


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)


    一 捨てる神あれば拾う神あり

     「昭和15年研究方針」に基づき計画された諸爆撃機がほとんど開発中止か不採用に終わった今、辛うじて審査が続いていたキ67も安泰とは言い難かった。

     そもそも、キ67の属する「重爆撃機」カテゴリそのものが、「昭和15研究方針」において著しく精彩を欠く機種であった。
     「昭和15年研究方針」を以前の「13年研究方針」「12年研究方針」と比較すると、文言に若干の変化みられるものの、用途及び性能に大きな進歩はなく、他機種の長足の進歩に比べて停滞感の否めない内容となっている。
     「昭和15年研究方針」の前の大改定「昭和12年研究方針」の内容にしても、さらに前の「昭和10年研究方針」の内容がほぼそのまま踏襲されていたから、キ67は実に5年前の思想に基づいて試作に着手された機体であった。
     その意味では、キ67=四式重爆を評して「時代遅れの新型重爆」と形容するのも、あながち間違いとは言えない。

     完成したキ67はただちにテストに着手されたが、試作機の当初発揮した最高速度は510キロと、要求仕様の550キロに40キロも及ばない結果となった。
     速度性能こそは「昭和15年研究方針」において、わざわざ一節を割いて「速度は努めて大ならしむ」とした重爆撃機カテゴリの最重要項目であったから、その点で要求を満たせない以上、キ67の採用も危ぶまれる事態となったのである。

     しかし、陸軍にはキ67をすぐ不採用にできない事情が存在していた。
    それは、開戦後急きょ浮上した陸軍雷撃隊構想の影響である。

     キ67の審査が続く昭和18年、陸軍はソロモン、ニューギニアの南東方面で連合軍の反攻に直面していた。地形上この方面での戦闘は敵の海上進攻を阻止しうるか否かが勝敗を左右したが、本来その任務に当たるべき海軍機は消耗激しく、また決戦志向の強さから地味な船団攻撃より派手な艦隊攻撃を優先する傾向が強かった。

     海軍航空を頼るに頼れない陸軍航空は、「重爆不要論」で揺れる重爆隊を改変し、自前の艦船攻撃部隊を編成する構想に着手。まず海軍に対し天山100機の譲渡希望を行うが、海軍としても本格生産を開始してまもない新型艦攻を陸軍に融通する余裕はなく、代案として海軍側から雷撃機としてキ67が適している旨の返答がなされた(昭和18年12月20日、参謀本部と軍令部の協議)。
     図らずもキ67は海軍機の一式陸攻と同じ三菱が開発を担当しており、設計構造上も一式陸攻の経験が反映された機体であったから、キ67に雷撃装備をフィードバックするのは他の陸軍機と比べても最も迅速かつ確実な方策であった。
    (他の候補機としては九九双軽や一〇〇式重爆などが検討されたが性能面で折り合わず断念された。仮にこの両機に雷装を施すとしても構造・艤装の大改装を余儀なくされ、後のキ67=四式重爆がやったように雷装・爆装を使い分ける柔軟性は持ち得なかったと想像される)

     また、懸案であった速度性能も推力排気管の採用などの改良によって537キロまで向上。要求仕様の550キロにはやや足りなかったが、状況の切迫から許容範囲内と判断され、19年3月に量産1号機がロールアウト。この時点で陸軍は量産17号機以降の全機に雷撃装備を施すことを決定しており、事実キ67=四式重爆の部隊配備は、陸軍雷撃隊の第一陣として完全海軍式の訓練に着手していた飛行第98戦隊から開始された。
     陸軍雷撃隊の構想が具体化した昭和18年末の段階でキ67の審査はおおむね終了しており、雷撃機としての使用がキ67採用の直接の理由ではないと考えられるが、量産開始間もない昭和19年前半、キ67=四式重爆は陸軍雷撃隊の2個戦隊(98戦隊と7戦隊)に集中的に配備されており、明らかに雷撃機としての使用が優先されていた。

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    冴えないペギーの育てかた -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画-


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     旧日本陸軍航空隊の四式重爆撃機。略して四式重爆といえば、一般に知名度の低い日本陸軍爆撃機の中にあって、陸軍機ながら航空魚雷を装備し、連合軍艦隊に果敢な夜間雷撃戦を挑んだその経歴から、生産機数(約700機)や活動期間(終戦まで約1年)に比べ知名度の高い機体である。 
     そして四式重爆の評価には、「軽快俊敏な双発爆撃機の傑作」という好意的な見方と、「英米の戦闘爆撃機にも劣る爆弾搭載量」という否定的な見方が常に付きまとっている。故に日本陸軍の爆撃機に対する時代錯誤な見解を象徴する存在として、時には書籍等で取り上げられる場合もあるだろう。

     そのイメージを一概に誤りと決めつけることはできない。
     しかし、その経過を丹念に見てゆけば「四式重爆=キ67」が、はじめからそのような宿命を背負っていたわけでないことが判明する。
     今回は、その歩みを少しだけ視野を広くして辿ってみたい。

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    艦隊決戦の隠し球~重雷装艦は遠距離雷撃戦の夢を見るか

    文:
    烈風改

    ◇重巡と魚雷
     ロンドン軍縮条約の頃(昭和6年)の魚雷の射程は各国とも最大射程で10,000mが限界で、これは重巡の主砲射程と比較すると大きく劣るものでした。重巡は敵を魚雷の射程に入れる遥か前に主砲での射撃が可能となるため、魚雷戦の機会が生じない可能性が大きいと見なされるようになったのです。

     このため当時の米海軍は新規建造の重巡魚雷兵装を全廃しました。日本海軍でも重巡の魚雷廃止への動きがありましたが、新魚雷の登場によって重巡の魚雷装備廃止は回避されています。

     この新魚雷こそが、ロンドン条約の制限を受けて魚雷の射程延長を目指し昭和6年に開発が開始され、昭和8年に実用化された『酸素魚雷』でした。

     酸素魚雷の性能は傑出したものであり、酸素の扱いが難しい点を除けば、当時全ての性能で他の魚雷を上回っていたと言っても過言ではありませんでした。そしてその最も有用な点は魚雷の常識を破る画期的な射程にありました。

     雷速36ノットにおける駛走距離は40,000mに及び、これは戦艦同士の最大砲戦距離をも超えるものだったのです。この長射程魚雷の実現により、具現化されたのが重巡部隊による『遠距離隠密魚雷発射』戦法でした。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その展開基地と傾向

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     前回「終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳」では、昭和20年9月1日時点における日本海軍航空隊の保有機数と機種別の統計情報を紹介した。

     引続き今回は、各基地においてどんな機体が何機残存していたかを具体的に紹介したい。

     なお、原典となる資料と出典図書は前回と同じである。これも前回同様、全部で6ページ分にわたる長文の資料であるため、内訳が特に興味深い基地を加賀谷の主観で抜粋し、それぞれに解説を加えている(掲載は基本的に都道府県別。北から南の順)。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     太平洋戦争終戦の時点で、日本海軍航空隊がどれだけの航空機を保有していたのか、その具体的な数字に関心を持つ方は多いのではないだろうか。もしポツダム宣言を受諾せず戦争が継続していた場合、来るべき本土決戦に海軍航空隊がどれだけの兵力を準備できたか?という疑問は、(その是非はともかく)本土決戦が発生した場合のシミュレーションを行う上で不可欠な情報の一つであろう。

     その回答となるのが「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料である。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものである。原本は英語であり、防衛省防衛研究所が現在も保管しているとされるが、日本語訳も存在しており、本稿では『海軍飛行科豫備学生・生徒史』(海軍飛行科豫備学生・生徒史刊行会編。昭和63年刊)収録分からその内容について解説したい。

     なお、この資料は基地毎に保管機種とその機数を列挙した体裁になっているが、出典図書で6ページ分にも及ぶ長文の内容であるため、とても全文は掲載できない(決して入力が面倒だから嫌だという理由では…。おや、誰か来たようだ?)

     よって今回は、9月1日時点で「内地(朝鮮・台湾を含む)」に存在した海軍機の合計数と機種ごとの数字を抜粋し、六つの大分類に応じて集計した。

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    水上機爆撃隊の野望~空母いらずの艦載航空打撃力

    文:
    烈風改

     日本重巡の要目や図面を眺めていると、二五番(250㎏)爆弾の格納を示す部分があります。重巡の水上偵察機が何故爆撃を行う必要があるのでしょうか?

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    KI-43
    飛行第64戦隊は64番目の飛行戦隊か?


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     「日本陸軍で最も有名な戦闘機隊は?」と聞かれた場合、陸軍航空隊について少しでも興味のある方ならば、その多くが『加藤隼戦闘隊』こと飛行第64戦隊(以下、64戦隊)と答えるだろう(次点はおそらく本土防空戦の244戦隊か)。

     ビルマ戦線で約3年間、数と性能で勝る英米軍機を相手に一歩も引かず互角の戦いを繰り広げた同戦隊は、往年の俳優・藤田進演じる映画の存在も相まって、数々の武勲と逸話に彩られた有名部隊である。

     今回はその有名部隊について一風変わった分野から触れてみたい。

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    <空母と艦載機の不都合な関係~その艦載機、飛ばせますか?>

    文:烈風改

     ブラウザゲーム・艦これに登場する航空母艦は、2015年6月時点で正規(装甲)空母・軽空母のどちらかにカテゴライズされていて、艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機、艦上偵察機などの搭載が可能となっています。

     ゲーム同様「艦上~」とつく機体は全て空母に積めるのは当たり前、と思われている方も多いと思いますが、実際の航空母艦の運用では艦上機であっても様々な制約が存在し、高性能の艦載機を開発・量産しても即搭載&戦力アップ!とはいかなかったりします。

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