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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    タグ:帝国陸軍

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い4 精神論」

    文:YSW

    訓練について

     今回は訓練の中でも精神鍛錬について説明します。といっても今回はあまりペリリュー島の戦いに関しては出てきません。

     
    歩兵の育成についてもっとも重要であるのは実戦ではなく訓練です。
     訓練によって直ぐに戦場では死んでしまう弱兵も訓練によって強兵になることが可能です。パラオ島地区集団ではどのようにしてアメリカ軍の精鋭である海兵隊と熾烈な戦いを繰り広げることができる強兵に育て上げたかを読み解いていきます。

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    無題 Name 名無し 16/01/12(火)02:45:33  No.1149817

    三八式歩兵銃(アリサカライフル)30年式銃剣◆軍刀 サーベル 軍人 剣 刀剣 コスプレ 演劇用 アニメ
    銃剣や軍刀について語ってみるスレ
    ブルパップに移行した今でも未だに使用される銃剣ですが
    戦前~戦中で活躍した我が国の三十年式銃剣にはとても好きなデザインです
    しかしとある書籍で三十年式銃剣は刺すことに特化していて切ることはできないと見たことがありますが
    一応刃がついているから切るとこはできると思うのですが
    実際に使ったことがないのでどうこう言えないので
    どなたか知っている方が居ればご教示お願いします
    【【再掲】銃剣や軍刀について語ってみるスレ】の続きを読む

    無題 Name 名無し 14/12/31(水)11:36:17  No.359564
    いつでも食べたい!自衛隊ごはん (イカロス・ムック)
    陸自のメシが駄目な理由は作り手が数年ごとに変わって技術の積み重ねが無いかららしい。
    海自と空自はメシ作りはずっとメシ作りなんだそうな。
    【【再掲】陸自の食事が駄目な理由~日本の兵食スレ】の続きを読む

    無題 Name 名無し 16/10/22(土)02:24:12  No.1192923

    1477070652087
    陸軍のレーダー開発
    1938春  レーダーの研究を本格的に開始
    1939/2 陸軍・日本電気・日本無線レーダー波受信成功
    1939/5 新型送信機と大型アンテナで大規模実験開始
    1940/10 ドップラー式レーダー超短波警戒機甲実践テスト開始
    1941初頭 パルス式レーダー開発開始
    1941/7  パルス式レーダー実験機が航空機の探知に成功
    1941/9  超短波警戒機乙の試作機完成
    1942/2  超短波警戒機甲開発終了
    1942/6  乙試作2号機の設置工事完了、量産機の運用開始
    【帝国陸海軍のレーダーについて】の続きを読む

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い3 嵐の前の静けさ2~ペリリュー地区隊初期の防御計画」

    文:YSW

    160929_1340_001
    (秋田県立図書館所蔵 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2 付図より)
    この時点で4つの地区に区分されているため5月の下旬以降だと思われる

     ペリリュー島の部隊について。
     昭和19年6月初頭のペリリュー島にはペリリュー地区隊(長 中川大佐)が守備隊として配備されます。
     歩兵第二連隊、歩兵第十五連隊第三大隊、師団戦車隊(一個小隊がアンガウル地区隊に配備)、師団通信隊一分隊、師団じく重隊の一分隊、経理勤務部の一分隊、野戦病院三分の一と大部隊(本島であるパラオであっても歩兵第十五連隊(三個大隊欠)が主力だった。なおパラオ本島では後に独立混成第五十三旅団を編成する)でした。
     糧食においてはペリリュー島には三千五百名分の糧食九か月分[1-1]が配備されましたがそれでもなお足りないものでした。

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    無題 Name 名無し 16/10/20(木)00:35:51  No.1192732

    一式陸攻戦史―海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで

    http://cgi.2chan.net/f/src/1476891351563.jpg

    当時の日本軍機などの特徴の一つにもなっているこの剥げ落ちた塗装の航空機ですが
    なぜずっとこの剥げた塗装のままなんでしょうか?
    確かに補給滞った南方奥地などでは仕方ないでしょうが
    内地の防空戦での戦闘機を見てもこのような感じになっているのを見かけます。
    しかも当時新鋭機だった四式戦闘機などがすでに塗装が剥げ落ちてしまっており
    やはり当時の日本の塗装技術は劣っていたと思ってしまいます。
    しかし、対戦国であった米国の航空機は後半になるにつれジェラルミンの地色のまま実践投入してくるあたりなんだか対極を感じてしまい面白いですね。

    長々となってしまい申し訳ございません。
    【日本軍機の塗装はなぜ剥げたままなのでしょうか?】の続きを読む

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