アクセスランキング

軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    タグ:大東亜戦争

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い4 精神論」

    文:YSW

    訓練について

     今回は訓練の中でも精神鍛錬について説明します。といっても今回はあまりペリリュー島の戦いに関しては出てきません。

     
    歩兵の育成についてもっとも重要であるのは実戦ではなく訓練です。
     訓練によって直ぐに戦場では死んでしまう弱兵も訓練によって強兵になることが可能です。パラオ島地区集団ではどのようにしてアメリカ軍の精鋭である海兵隊と熾烈な戦いを繰り広げることができる強兵に育て上げたかを読み解いていきます。

    【【読者投稿】日本陸軍が行った後期防衛戦闘について 「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い4 精神論」】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    無題 Name 名無し 16/11/08(火)15:13:12  No.444580

    【山口直送】「ふぐ刺身2人前/超冷」
    プーチン来日時ふぐ料理を出すと言われているが
    調理人の身元を秘密警察が徹底調査
    裁くところを軍関係者が監視
    数十人の毒見役が同行
    とかあるんだろうか
    【帝国海軍と毒魚】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    Name 名無し 15/10/19(月)18:43:22  No.402375
    タミヤ 1/350 艦船シリーズ No.25 日本海軍 戦艦 大和 プラモデル 78025
    戦艦大和、時代遅れではない?
    http://biz-journal.jp/2015/10/post_11994.html
    【【再掲】戦艦大和、時代遅れではない?】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    無題 Name 名無し 15/04/28(火)20:29:19  No.378110
    レイテ沖海戦1944―日米四人の指揮官と艦隊決戦
    レイテ沖海戦で仮に栗田艦隊が反転せずにレイテに突入して首尾良くアメリカの輸送船団を壊滅させたとしても結局はフィリピン失陥を少し先延ばしにする程度で、戦争全体の影響もあまり無くて昭和20年8月15日の辺りにポツダム宣言受託して敗戦するんだと思う。

    ただ連合国の進行が何ヶ月か遅れる事はあり得るので沖縄上陸前にポツダム宣言受諾って事は期待できたかもしれない
    【【再掲】レイテ沖海戦で栗田艦隊が反転せずにレイテに突入していたら…】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    無題 Name 名無し 16/10/25(火)00:30:23  No.1193433

    800px-Japanese_Type_1_Anti-Tank_gun
    47mm砲スレ
    【一式機動四十七粍速射砲スレ】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    無題 Name 名無し 16/10/22(土)02:24:12  No.1192923

    1477070652087
    陸軍のレーダー開発
    1938春  レーダーの研究を本格的に開始
    1939/2 陸軍・日本電気・日本無線レーダー波受信成功
    1939/5 新型送信機と大型アンテナで大規模実験開始
    1940/10 ドップラー式レーダー超短波警戒機甲実践テスト開始
    1941初頭 パルス式レーダー開発開始
    1941/7  パルス式レーダー実験機が航空機の探知に成功
    1941/9  超短波警戒機乙の試作機完成
    1942/2  超短波警戒機甲開発終了
    1942/6  乙試作2号機の設置工事完了、量産機の運用開始
    【帝国陸海軍のレーダーについて】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い3 嵐の前の静けさ2~ペリリュー地区隊初期の防御計画」

    文:YSW

    160929_1340_001
    (秋田県立図書館所蔵 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2 付図より)
    この時点で4つの地区に区分されているため5月の下旬以降だと思われる

     ペリリュー島の部隊について。
     昭和19年6月初頭のペリリュー島にはペリリュー地区隊(長 中川大佐)が守備隊として配備されます。
     歩兵第二連隊、歩兵第十五連隊第三大隊、師団戦車隊(一個小隊がアンガウル地区隊に配備)、師団通信隊一分隊、師団じく重隊の一分隊、経理勤務部の一分隊、野戦病院三分の一と大部隊(本島であるパラオであっても歩兵第十五連隊(三個大隊欠)が主力だった。なおパラオ本島では後に独立混成第五十三旅団を編成する)でした。
     糧食においてはペリリュー島には三千五百名分の糧食九か月分[1-1]が配備されましたがそれでもなお足りないものでした。

    【【読者投稿】日本陸軍が行った後期防衛戦闘について 「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い3 嵐の前の静けさ2~ペリリュー地区隊初期の防御計画」】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    無題 Name 名無し 16/10/20(木)00:35:51  No.1192732

    一式陸攻戦史―海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで

    http://cgi.2chan.net/f/src/1476891351563.jpg

    当時の日本軍機などの特徴の一つにもなっているこの剥げ落ちた塗装の航空機ですが
    なぜずっとこの剥げた塗装のままなんでしょうか?
    確かに補給滞った南方奥地などでは仕方ないでしょうが
    内地の防空戦での戦闘機を見てもこのような感じになっているのを見かけます。
    しかも当時新鋭機だった四式戦闘機などがすでに塗装が剥げ落ちてしまっており
    やはり当時の日本の塗装技術は劣っていたと思ってしまいます。
    しかし、対戦国であった米国の航空機は後半になるにつれジェラルミンの地色のまま実践投入してくるあたりなんだか対極を感じてしまい面白いですね。

    長々となってしまい申し訳ございません。
    【日本軍機の塗装はなぜ剥げたままなのでしょうか?】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    【軍事講座】戦艦扶桑の「渾作戦」-囮理論とその後の周辺-

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)


     昭和19年(1944年)5月27日、米第6軍がニューギニア西部のビアク島に上陸作戦を行いました。

    1-1
    http://www.sekaichizu.jp/のフリー素材を筆者加工)

    【【軍事講座】戦艦扶桑の「渾作戦」-囮理論とその後の周辺-】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加

    無題 Name 名無し 16/10/11(火)02:02:21  No.1191487

    1476118941064
    愛国丸のwikiを見ていて気になったのですが、42年の7/12に拿捕した貨物船ハウラキに積まれていたレーダーはどんな機種でその後どうなったのでしょう?
    【愛国丸に拿捕された貨物船が積んでいたレーダーはどうなったの?】の続きを読む

    このページのトップヘ