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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    タグ:大東亜戦争

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    冴えないペギーの育てかた -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画-


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     旧日本陸軍航空隊の四式重爆撃機。略して四式重爆といえば、一般に知名度の低い日本陸軍爆撃機の中にあって、陸軍機ながら航空魚雷を装備し、連合軍艦隊に果敢な夜間雷撃戦を挑んだその経歴から、生産機数(約700機)や活動期間(終戦まで約1年)に比べ知名度の高い機体である。 
     そして四式重爆の評価には、「軽快俊敏な双発爆撃機の傑作」という好意的な見方と、「英米の戦闘爆撃機にも劣る爆弾搭載量」という否定的な見方が常に付きまとっている。故に日本陸軍の爆撃機に対する時代錯誤な見解を象徴する存在として、時には書籍等で取り上げられる場合もあるだろう。

     そのイメージを一概に誤りと決めつけることはできない。
     しかし、その経過を丹念に見てゆけば「四式重爆=キ67」が、はじめからそのような宿命を背負っていたわけでないことが判明する。
     今回は、その歩みを少しだけ視野を広くして辿ってみたい。

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    艦隊決戦の隠し球~重雷装艦は遠距離雷撃戦の夢を見るか

    文:
    烈風改

    ◇重巡と魚雷
     ロンドン軍縮条約の頃(昭和6年)の魚雷の射程は各国とも最大射程で10,000mが限界で、これは重巡の主砲射程と比較すると大きく劣るものでした。重巡は敵を魚雷の射程に入れる遥か前に主砲での射撃が可能となるため、魚雷戦の機会が生じない可能性が大きいと見なされるようになったのです。

     このため当時の米海軍は新規建造の重巡魚雷兵装を全廃しました。日本海軍でも重巡の魚雷廃止への動きがありましたが、新魚雷の登場によって重巡の魚雷装備廃止は回避されています。

     この新魚雷こそが、ロンドン条約の制限を受けて魚雷の射程延長を目指し昭和6年に開発が開始され、昭和8年に実用化された『酸素魚雷』でした。

     酸素魚雷の性能は傑出したものであり、酸素の扱いが難しい点を除けば、当時全ての性能で他の魚雷を上回っていたと言っても過言ではありませんでした。そしてその最も有用な点は魚雷の常識を破る画期的な射程にありました。

     雷速36ノットにおける駛走距離は40,000mに及び、これは戦艦同士の最大砲戦距離をも超えるものだったのです。この長射程魚雷の実現により、具現化されたのが重巡部隊による『遠距離隠密魚雷発射』戦法でした。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その展開基地と傾向

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     前回「終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳」では、昭和20年9月1日時点における日本海軍航空隊の保有機数と機種別の統計情報を紹介した。

     引続き今回は、各基地においてどんな機体が何機残存していたかを具体的に紹介したい。

     なお、原典となる資料と出典図書は前回と同じである。これも前回同様、全部で6ページ分にわたる長文の資料であるため、内訳が特に興味深い基地を加賀谷の主観で抜粋し、それぞれに解説を加えている(掲載は基本的に都道府県別。北から南の順)。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     太平洋戦争終戦の時点で、日本海軍航空隊がどれだけの航空機を保有していたのか、その具体的な数字に関心を持つ方は多いのではないだろうか。もしポツダム宣言を受諾せず戦争が継続していた場合、来るべき本土決戦に海軍航空隊がどれだけの兵力を準備できたか?という疑問は、(その是非はともかく)本土決戦が発生した場合のシミュレーションを行う上で不可欠な情報の一つであろう。

     その回答となるのが「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料である。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものである。原本は英語であり、防衛省防衛研究所が現在も保管しているとされるが、日本語訳も存在しており、本稿では『海軍飛行科豫備学生・生徒史』(海軍飛行科豫備学生・生徒史刊行会編。昭和63年刊)収録分からその内容について解説したい。

     なお、この資料は基地毎に保管機種とその機数を列挙した体裁になっているが、出典図書で6ページ分にも及ぶ長文の内容であるため、とても全文は掲載できない(決して入力が面倒だから嫌だという理由では…。おや、誰か来たようだ?)

     よって今回は、9月1日時点で「内地(朝鮮・台湾を含む)」に存在した海軍機の合計数と機種ごとの数字を抜粋し、六つの大分類に応じて集計した。

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    陸軍戦闘飛行戦隊の分類とナンバリング

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     太平洋戦争中の日本陸軍航空隊のうち、飛行分科「戦闘」に属する飛行戦隊はのべ54個戦隊存在する。しかし陸軍は飛行分科に応じて戦隊名称を区別するような方式をとらず、一見通し番号のような2~3桁の数字で表示するため、どれが戦闘機隊なのか、具体的な部隊名を知るものでなければ特定は難しい。また、陸軍の表示方法はともすれば無味乾燥な印象を与えやすく、海軍航空隊の「台南空」や「302空」のような個性に結び付きにくいのも、陸軍航空を海軍航空に比べマイナーにしている理由の一つであろう。

     しかし、全54個戦隊を詳細に分析すると、編成経緯やその順番に応じて、個性ともいうべき幾つかの傾向を見出すことができる。手がかりとなるのは、「一見通し番号のような」飛行戦隊のナンバリングで、これと各飛行戦隊の編成経緯には当然のことながら深い関係性が存在した。


     以下に述べるのは、全54個戦隊を11グループに細分化し、それぞれの編成過程の特徴について言及したものである。

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    飛行第64戦隊は64番目の飛行戦隊か?


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     「日本陸軍で最も有名な戦闘機隊は?」と聞かれた場合、陸軍航空隊について少しでも興味のある方ならば、その多くが『加藤隼戦闘隊』こと飛行第64戦隊(以下、64戦隊)と答えるだろう(次点はおそらく本土防空戦の244戦隊か)。

     ビルマ戦線で約3年間、数と性能で勝る英米軍機を相手に一歩も引かず互角の戦いを繰り広げた同戦隊は、往年の俳優・藤田進演じる映画の存在も相まって、数々の武勲と逸話に彩られた有名部隊である。

     今回はその有名部隊について一風変わった分野から触れてみたい。

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    Name 名無し 14/08/16(土)12:19:15  No.336719

    海上護衛戦 (角川文庫)  

    日本は15日、69回目の終戦記念日を迎えた。日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属は、政府見解によると約230万人。その内訳は不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。兵站(へいたん)を軽視した無謀な作戦がこうした惨劇を招いたとして、昭和史の著作が多い作家の半藤一利氏(84)は「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」と指弾している。

     総務省、厚生労働省などによると、1937~45年の戦没者230万人を戦死、病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していない。終戦前後の混乱時に多くの資料が失われたことや、敗戦で記録を残すのが難しかったことなどが影響している。

     歴史学者の故・藤原彰氏(一橋大名誉教授)は旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析を試みた。著書の「餓死した英霊たち」(青木書店)で、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算。さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた。

     個別の戦闘ではある程度のデータが残っている。「戦史叢書」(防衛庁防衛研修所戦史室編さん)によると、「ガダルカナル島の戦い」(1942年8月~43年2月)では、日本陸軍3万1000人のうち約2万人が戦没。その約75%、約1万5000人が栄養失調症、マラリア、下痢、かっけなどによる死者だったという。


     そうした日本軍兵士の生死を左右したのは「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」の一節で知られる「戦陣訓」だった。太平洋戦争開戦前の1941年1月に東条英機陸相(当時、後に首相)が全軍に示達し、降伏は不名誉なこととされた。


      勝利か、しからずんば死か--。「皇軍」の兵士たちは文字通り、そうした状況に追い込まれた。戦死を免れても、補給を断たれてしまっては餓死するしかない。大本営参謀らのエリート軍人について、半藤氏は「緒戦の勝利におごり、自己の実力を省みず、攻勢の限界線をはるかに越えた」と戦略上の失敗を指摘したうえで、「人間をまるで、将棋の駒のように扱った」と批判している。

    http://mainichi.jp/feature/news/20140815mog00m040005000c.html

    【戦没者230万人:6割「餓死」の学説も 無謀な作戦が惨劇招く】の続きを読む

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