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ブラックバック作戦と炎のランナー 前編
文:nona
1982年5月1日0423時、フォークランド島都のスタンレー上空に1機のバルカン爆撃機が現れ、21発もの1000ポンド爆弾を投下。これをもってフォークランドの激戦が開始されました。バルカンは遠くアセンション島から片道6300kmをヴィクター給油機とともに飛行し、達成困難な「ブラックバック作戦」を成功させたのです。
しかし振り返ってみると、バルカンは6月に退役予定の旧式機。空中給油に至っては非常に長い間訓練すらされていなかったのです。[1][2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%AD_%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3#/media/File:RAF_Vulcan_B.JPEG
タグ:フォークランド紛争
【読者投稿】第29回 連載「フォークランド紛争小咄」パート12 極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 後編
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極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 後編
文:nona
http://www.hmsbrilliant.com/content/dsection3.html
4月25日の霧のサウスジョージアを行く「アントリム」と「プリマス」。撮影は「エンデュアランス」から
戦力が一時的に半減し150名に減勢したものの、一気に勝負に出たイギリス任務群。待ち受けるのは悪名高いアスティス海軍大尉率いる、アルゼンチン軍海兵隊95名と大破したサンタフェの乗組員60名。果たして勝者は?
【読者投稿】第28回 連載「フォークランド紛争小咄」パート11 極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 中編
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極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 中編
文:nona
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/southamerica/falklandislands/9797586/War-in-the-Falkland-Islands-the-forces-from-1982.html
1982年4月22日、SAS(特殊空挺部隊)はサウスジョージア島・リース港の偵察に失敗。その間SBS(特殊舟艇部隊)は、もう一つのアルゼンチン軍の拠点・グリトヴィケン港の偵察を試みたのですが…
【読者投稿】第27回 連載「フォークランド紛争小咄」パート10 極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 前編
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極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 前編
文:nona
http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=80994
奪還作戦の実施された4月ごろのサウスジョージア島。(撮影は2013年4月13日、国際宇宙ステーション)
サッチャー首相の派兵宣言から半月後の1982年4月22日、イギリス417.9任務群はフォークランド南東1000kmのサウスジョージア島沿岸に接近。この島はイギリスにとって最初の奪回可能な目標と認識され、今後の戦いを占う試金石でもありました。
【読者投稿】第26回 連載「フォークランド紛争小咄」パート9 イギリス任務部隊の出港と最初の遭遇
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イギリス任務部隊の出港と最初の遭遇
文:nona
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/guides/457000/457033/html/nn2page1.stm
イギリス任務部隊(タスクフォース)の主力は4月5~6日にイギリスを出港。ジブラルタルの部隊と合流し17日(16日とも)にアセンション島に入稿した後、21日には排除海域前に到達した。
1982年4月5日、イギリス機動部隊は国民の声援の中ポーツマスを出港。フォークランド侵攻から僅か3日後のことでした。一方のアルゼンチン軍はイギリス機動部隊を捜すべく、南大西洋で哨戒飛行を開始。イギリス側はどうにか阻止したかったものの、そこは未だ海上排除区域の外。第三国の民間船に旅客機、果てには情報収集を進めるソ連偵察隊の姿もあり、誤射を警戒して有効な対策を取れませんでした。
【読者投稿】第25回 連載「フォークランド紛争小咄」パート8 フォークランド紛争の参加兵力、イギリス編
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フォークランド紛争の参加兵力、イギリス編
文:nona
http://www.defensemedianetwork.com/stories/falklands-war-l-photos/
フォークランドを行軍する英軍兵士の有名な写真。ユニオンジャックに括りつけているのは無線機のアンテナロッド。
今回はイギリス側が投入した兵力の内訳です。
【読者投稿】第24回 連載「フォークランド紛争小咄」パート7 フォークランド紛争の参加兵力、アルゼンチン編
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フォークランド紛争の参加兵力、アルゼンチン編
文:nona
http://www.fireandfury.com/orbats/falklands_argentina.pdf
今回と次回にかけて、アルゼンチン軍とイギリス軍の投入戦力を紹介いたします。なお、実際の参戦機数は資料によって異なります。絶対数ではなく、あくまで目安とお考えください。
【読者投稿】第21回 連載「フォークランド紛争小咄」パート6 アルゼンチン軍の防衛体制
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アルゼンチン軍の防衛体制
文:nona
http://www.elcorreo.com/vizcaya/rc/20120203/mundo/islas-discordia-201202030917.html
当時のアルゼンチン軍兵士。
1982年4月2日、アルゼンチンによるフォークランド占領で、イギリスはアルゼンチンの想定以上に態度を硬化させました。サッチャー首相は4月6日に戦時内閣を設置。さらに予備役の動員や機動艦隊の編成を始めたことで、アルゼンチンもイギリスが本気であることに気付き、防御態勢の見直しが始まりました。[1]
【読者投稿】第20回 連載「フォークランド紛争小咄」パート5 ロサリオ作戦とイギリス軍の抵抗
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ロサリオ作戦とイギリス軍の抵抗
文:nona
前回から続く、アルゼンチンによるフォークランド上陸作戦の第二弾です。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2012/04/29/algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-malvinas/
スタンレーにアルゼンチン国旗を掲げる兵士
【読者投稿】第19回 連載「フォークランド紛争小咄」パート4 アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画
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アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画
文:nona
今回から連続で「陸戦中心のフォークランドまとめ記事」となります。
http://www.revistanaval.com/fotonoticia/20120514-110010-malvinas-30-anos-despues-2
戦車揚陸艦内のVPVT-7。