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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    カテゴリ: 第一次世界大戦

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    日本海軍、地中海を往く 第18回 死の海を渡る

    文:nona

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    アジア歴史資料センターRef.C10080695000
    大正7年5月12日第22,23駆逐隊 戦闘詳報より
    第二回護送船団の往路の陣形。図に書き込まれていないものの、駆逐艦桂が前進して船団の進路を警備している。

     第二次護送船団は5月1日にアレキサンドリアを出港。今回は防諜に万全を期し、出港直後の潜水艦による待ち伏せもなく、無事に地中海へ出ています。[1-1]

     
    5月5日朝には潜水艦に出くわすものの、これを回避。5月6日の深夜1時15分には松と梅が衝突し軽微な損傷をうけるものの、5月7日に恙無くマルセイユへ到着しています。[1-1]

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    日本海軍、地中海を往く 第17回 「ビッグコンボイ」護衛作戦

    文:nona

     1918年3月の西部戦線崩壊の危機をうけ、イギリスから急遽兵員輸送船7隻の護衛を依頼された第二特務艦隊。当初はカルソープ中将の依頼で、オトラント海峡の封鎖作戦に参加する予定でしたが、[1-1]これを取りやめて護送船団の実施に備えました。

     
    なお第二特務艦隊内の3つの駆逐隊は海軍省令により、1918年4月1日から呼称が変更されています。[2-1]

    第十駆逐隊→第二十二駆逐隊 桂、楓、楠、梅
    第十一駆逐隊→第二十三駆逐隊 松、榊、杉、柏(臨時付属艦として橄欖、栴檀)
    第十五駆逐隊→第二十四駆逐隊 樫、桃、檜、柳

     
    第二特務艦隊にとって大規模な船団の護衛は初めてのことでしたが、マルタ会議などで護送船団の要領を確認していたため、手探りの状態からのスタートとならずに済んだようです。

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    日本海軍、地中海を往く 第16回 無制限潜水艦作戦の破綻と連合国軍の3月危機

    文:nona

     1917年2月のドイツによる無制限潜水艦作戦の布告から1年が経過した1918年の春。一時は連合国を圧倒する撃沈戦果を得て、跳梁を縦にしたドイツの潜水艦でしたが、戦果は1917年の4月をピークとして、以降は戦果の減少に転じます。

     
    これは1917年の春、連合国軍の輸送船護衛体制が大転換を迎えたためでした。

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    https://en.wikipedia.org/wiki/File:Sims_losses.jpg

    連合国船の被害数(トン数)の増減を示すグラフ

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    日本海軍、地中海を往く 第15回 海軍主計中尉の小旅行記

    文:nona

     海の上では激務が続くものの、まとまった休みを世界各地で過ごすせるのが船乗りの特権。士官たちは観光団を作り、艦を離れ地中海各地の名所を巡っていました。

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    日本海軍、地中海を往く 第14回 葱の香りで日本に帰る

    文:nona

     派遣期間が長期に及び、将兵の士気と体力の維持が問題となった第二特務艦隊ですが、そう簡単に休むわけには行きません。そこで第二特務艦隊、任務中の唯一の楽しみともいえる食事には、並ならぬ心血を注いだ様子。

     第二特務艦隊では日本から食糧を地中海へ送るようポートサイドやマルセイユの商社に手配し、さらにマルタに倉庫を借りて備蓄していました。

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    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10081075500 大正6年 糧食酒保物品整理報告(防衛省防衛研究所)」

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    日本海軍、地中海を往く 第13回 駆逐艦生活は人を殺す

    文:nona

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    日本海軍地中海遠征秘録P63
    第二特務艦隊の桃型駆逐艦柳。

     1917年秋、第二特務艦隊は連合国の兵員輸送船の護衛に従事していましたが、それまでの活動を含め、概ね高い評価を得ていました。

     彼らの活動についてイギリス地中艦隊司令のディッケンス中将は、「数が少ない」と不満を漏らしつつも「艦隊を即応体制に維持し、部下は常に任務に満足に遂行している」と本国へ報告。[1-1]

     マルタ基地司令(マルタ海軍工廠長)のバラード少将も「イタリアとフランスは対立からしばしば摩擦が生じるが、佐藤司令は常に要望に答えてくれ、何の問題もない。フランスの稼働率はイギリスに比べて低く、イタリアはフランスよりもさらに低いが、日本海軍は別。」と讃えています。[1-1]

     イタリアとフランスも、第二特務艦隊はイギリスの船しか護衛してくれないことを不満に思っていたものの、戦いぶりは認めていたようで、フランスでは第二特務艦隊の歌まで作られたほどでした。
    [1-1]

     この第二特務艦隊の高評価は、ディッケンス中将やバラード少将が言うように、指揮下の駆逐艦の高い出動率にありました。

     第二特務艦隊の1ヶ月あたりの駆逐艦の出動率は72%。イギリスの60%、イタリア&フランスの45%とくらべても高い数値です。[1-1](算出方法については不明)

     これは第二特務艦隊が地中海各地の工廠を利用できたということもありますが、それでも出動率でイギリスを上回ったのは、やはり日本人の勤勉さの現れだったのかもしれません。

     ただ高い出動率の代償として、乗員への負担は並ならぬものでした。

     その例として、梅と楠の乗員の1ヶ月間の入渠前後で乗員の体重を比べた所、士官で一貫百匁目(4.125kg)、下士官兵で九百何十匁目(3.375kg強)の体重変化があったことが記録されています。[2-1]

     これは陸で太ったのではなく、海で痩せたとこを示すもの。乗員は文字通り「身を削って」任務に従事したのです。

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    日本海軍、地中海を往く 第12回 新たな9隻と、マルタ委員会

    文:nona

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    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10080612100、大正6年 第2特務艦隊 告示綴(防衛省防衛研究所)」
    イギリスから貸与された駆逐艦ネメシス

     6月11日の戦闘でうけた傷のために10ヶ月間もの修理を余儀なくされた榊でしたが、第二特務艦隊では榊離脱の穴埋めと、さらなる戦力強化のために、大小8隻の艦船を編入と帰艦の入れ替えを実施しています。

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    日本海軍、地中海を往く 第11回 薄暮の決戦

    文:nona

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    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10080606900、大正6年 第2特務艦隊 告示綴(防衛省防衛研究所)」 
    第十駆逐隊 梅 楠 戦闘詳報

     榊の被弾翌日の1917年6月12日夕方、第十駆逐隊の梅と楠は1500名の将兵が乗るイギリスの兵員輸送船アラゴンを護衛し、ポートサイドからマルタへ戻る途上にありました。

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    日本海軍、地中海を往く 第10回 駆逐艦榊<さかき>

    文:nona

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    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10080607400、大正6年 第2特務艦隊 告示綴(防衛省防衛研究所)」 
    雷撃をかわすため、回避行動をとり続けた松の航跡。

     1917年6月11日、はバルカン半島への兵員輸送船護衛の帰路にあった第十一駆逐隊の駆逐艦松と榊の2隻は、ギリシャ王国・エーゲ海のミロス島へ入港しました。かの「ミロのヴィーナス」の故地でもあります。[1-1]

     ギリシャは未だ中立国でしたが、ヴェニゼロス元首相を中心とする親連合国派と、同盟国寄り国王のコンスタンティノス1世が対立し政治危機に陥っていました。

     そこでフランスを中心とした連合国、コンスタンティノス1世に圧力をかけるため、ギリシャへ派兵を実施していました。

     しかし同盟国支援派も負けじと、秘密裏にドイツやオーストリアに潜水艦基地や情報の提供していたのです。[1-2]

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    日本海軍、地中海を往く 番外編2 対潜兵器の先駆け

    文:nona

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    https://en.wikipedia.org/wiki/U-boat_Campaign_(World_War_I)#/media/File:William_Allen_Rogers_-_Only_the_Navy_Can_Stop_This_(WWI_U.S._Navy_recruitment_poster).jpg

    ドイツ海軍を風刺し、自海軍の重要性を強調するイギリスの宣伝広告。

     ドイツ海軍の潜水艦作戦に対し、これほどまでの被害を受けると予想していなかった連合国の対策は後手に回っていました。潜水艦に目をつけるのが早かったドイツのほうが、水中戦では圧倒的に優位を保てたのです。

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