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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    カテゴリ: 大東亜戦争

    無題 Name 名無し 16/10/22(土)02:24:12  No.1192923

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    陸軍のレーダー開発
    1938春  レーダーの研究を本格的に開始
    1939/2 陸軍・日本電気・日本無線レーダー波受信成功
    1939/5 新型送信機と大型アンテナで大規模実験開始
    1940/10 ドップラー式レーダー超短波警戒機甲実践テスト開始
    1941初頭 パルス式レーダー開発開始
    1941/7  パルス式レーダー実験機が航空機の探知に成功
    1941/9  超短波警戒機乙の試作機完成
    1942/2  超短波警戒機甲開発終了
    1942/6  乙試作2号機の設置工事完了、量産機の運用開始
    【帝国陸海軍のレーダーについて】の続きを読む

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い3 嵐の前の静けさ2~ペリリュー地区隊初期の防御計画」

    文:YSW

    160929_1340_001
    (秋田県立図書館所蔵 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2 付図より)
    この時点で4つの地区に区分されているため5月の下旬以降だと思われる

     ペリリュー島の部隊について。
     昭和19年6月初頭のペリリュー島にはペリリュー地区隊(長 中川大佐)が守備隊として配備されます。
     歩兵第二連隊、歩兵第十五連隊第三大隊、師団戦車隊(一個小隊がアンガウル地区隊に配備)、師団通信隊一分隊、師団じく重隊の一分隊、経理勤務部の一分隊、野戦病院三分の一と大部隊(本島であるパラオであっても歩兵第十五連隊(三個大隊欠)が主力だった。なおパラオ本島では後に独立混成第五十三旅団を編成する)でした。
     糧食においてはペリリュー島には三千五百名分の糧食九か月分[1-1]が配備されましたがそれでもなお足りないものでした。

    【【読者投稿】日本陸軍が行った後期防衛戦闘について 「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い3 嵐の前の静けさ2~ペリリュー地区隊初期の防御計画」】の続きを読む

    無題 Name 名無し 16/10/20(木)00:35:51  No.1192732

    一式陸攻戦史―海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで

    http://cgi.2chan.net/f/src/1476891351563.jpg

    当時の日本軍機などの特徴の一つにもなっているこの剥げ落ちた塗装の航空機ですが
    なぜずっとこの剥げた塗装のままなんでしょうか?
    確かに補給滞った南方奥地などでは仕方ないでしょうが
    内地の防空戦での戦闘機を見てもこのような感じになっているのを見かけます。
    しかも当時新鋭機だった四式戦闘機などがすでに塗装が剥げ落ちてしまっており
    やはり当時の日本の塗装技術は劣っていたと思ってしまいます。
    しかし、対戦国であった米国の航空機は後半になるにつれジェラルミンの地色のまま実践投入してくるあたりなんだか対極を感じてしまい面白いですね。

    長々となってしまい申し訳ございません。
    【日本軍機の塗装はなぜ剥げたままなのでしょうか?】の続きを読む

    無題 Name 名無し 16/10/11(火)02:02:21  No.1191487

    1476118941064
    愛国丸のwikiを見ていて気になったのですが、42年の7/12に拿捕した貨物船ハウラキに積まれていたレーダーはどんな機種でその後どうなったのでしょう?
    【愛国丸に拿捕された貨物船が積んでいたレーダーはどうなったの?】の続きを読む

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い2 嵐の前の静けさ1~パラオ地区隊の防御準備」

    文:YSW

     今回はパラオ地区隊の基本的な防衛陣地構想と戦術構想について紹介、考察します。

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    (秋田県立図書館所蔵 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉付図第六)

    【【読者投稿】日本陸軍が行った後期防衛戦闘について 「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い2 嵐の前の静けさ1~パラオ地区隊の防御準備」】の続きを読む

    日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
    「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い1 両国の思惑」

    文:YSW

     初めまして、YSWと申します。
     今回から日本陸軍の防御戦術についての読者投稿を連載させていただきます。このようなものは初めてのため至らぬ点や間違い、誤字もあるかと思いますがお気軽にコメント欄に書いてもらえると嬉しいです。

     さて、この連載では先ほど書いたように日本陸軍の戦術について連載してまいります。が、そもそもの話、日本陸軍の防御戦術は前期と後期で大きく違います。1944年、日本陸軍は戦術においてある転換点を迎えたからです。それは堀栄三の「敵軍戦法早わかり」の配布が大きくかかわります。

     この本の存在と、日本陸軍の戦術転換(教本が大きく変わった)により太平洋の島々は泥沼の戦場と化して行くことになります。今回は後期の防衛戦の中でも人気の高いペリリュー島の戦いを紹介していきます。

     アメリカ海兵隊を大いに悩ませた日本陸軍の戦術、少しでも興味を持っていただいたら幸いです。

     
    今回は初回ということで、なぜこの島で激戦が繰り広げられることになったのか。またそもそもはどんな島なのか、を紹介します。

    【【読者投稿】日本陸軍が行った後期防衛戦闘について 「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い1 両国の思惑」】の続きを読む

    無題 Name 名無し 16/09/16(金)04:34:46  No.1188363

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    当時与圧室完備の戦闘機など配備していなかった我が国の事情では高高度を飛行するB29迎撃では数え切れないほどの大変な苦労話があるんでしょうが
    その中でも高高度迎撃するにあたりますと急に高度が上がり下がりすることが多々あると思うのですが
    その際に敵機の銃撃によって身体に少しでも傷があったりすると大変なことになってしまいかねませんがその辺どうなんでしょうか?
    あと、以前富士山に登った際にガイドの方に無理に登ったり下がったりすると鼓膜が破裂する恐れがあります。
    と言われてしまったんですがやはり高高度迎撃する搭乗員の方々には鼓膜が破裂したりすることがあったんでしょうか?

    長々となりましたが、もしよろしければ知っている範囲でかまいませんのでお教えお願いします。
    【帝国陸海軍戦闘機の与圧について】の続きを読む

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