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極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 中編
文:nona
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/southamerica/falklandislands/9797586/War-in-the-Falkland-Islands-the-forces-from-1982.html
1982年4月22日、SAS(特殊空挺部隊)はサウスジョージア島・リース港の偵察に失敗。その間SBS(特殊舟艇部隊)は、もう一つのアルゼンチン軍の拠点・グリトヴィケン港の偵察を試みたのですが…
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【読者投稿】第27回 連載「フォークランド紛争小咄」パート10 極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 前編
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極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦 前編
文:nona
http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=80994
奪還作戦の実施された4月ごろのサウスジョージア島。(撮影は2013年4月13日、国際宇宙ステーション)
サッチャー首相の派兵宣言から半月後の1982年4月22日、イギリス417.9任務群はフォークランド南東1000kmのサウスジョージア島沿岸に接近。この島はイギリスにとって最初の奪回可能な目標と認識され、今後の戦いを占う試金石でもありました。
【読者投稿】第26回 連載「フォークランド紛争小咄」パート9 イギリス任務部隊の出港と最初の遭遇
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イギリス任務部隊の出港と最初の遭遇
文:nona
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/guides/457000/457033/html/nn2page1.stm
イギリス任務部隊(タスクフォース)の主力は4月5~6日にイギリスを出港。ジブラルタルの部隊と合流し17日(16日とも)にアセンション島に入稿した後、21日には排除海域前に到達した。
1982年4月5日、イギリス機動部隊は国民の声援の中ポーツマスを出港。フォークランド侵攻から僅か3日後のことでした。一方のアルゼンチン軍はイギリス機動部隊を捜すべく、南大西洋で哨戒飛行を開始。イギリス側はどうにか阻止したかったものの、そこは未だ海上排除区域の外。第三国の民間船に旅客機、果てには情報収集を進めるソ連偵察隊の姿もあり、誤射を警戒して有効な対策を取れませんでした。
【読者投稿】第25回 連載「フォークランド紛争小咄」パート8 フォークランド紛争の参加兵力、イギリス編
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フォークランド紛争の参加兵力、イギリス編
文:nona
http://www.defensemedianetwork.com/stories/falklands-war-l-photos/
フォークランドを行軍する英軍兵士の有名な写真。ユニオンジャックに括りつけているのは無線機のアンテナロッド。
今回はイギリス側が投入した兵力の内訳です。
【読者投稿】第24回 連載「フォークランド紛争小咄」パート7 フォークランド紛争の参加兵力、アルゼンチン編
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フォークランド紛争の参加兵力、アルゼンチン編
文:nona
http://www.fireandfury.com/orbats/falklands_argentina.pdf
今回と次回にかけて、アルゼンチン軍とイギリス軍の投入戦力を紹介いたします。なお、実際の参戦機数は資料によって異なります。絶対数ではなく、あくまで目安とお考えください。
【読者投稿】第23回 イベントレポート「土浦駐屯地&武器学校」
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文・画像:nona
2015年10月10日、茨城県の土浦駐屯地で駐屯地開設63周年記念行事が開催されました。陸自の3戦車の走行展示や、武器学校の貴重な収蔵品では様々な再発見がありました。
【読者投稿】第22回 観艦式事前航海で急患発生? 横須賀に救難ヘリ飛来で周囲は騒然
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文・画像:nona
去る10月12日、私は横須賀のヴェルニー公園を歩いていたところ、海自の基地にヘリコプターが降りる様子を目撃しました。突然の事態に周囲は騒然。実は練習艦「しらゆき」から、急患を乗せ飛んできたヘリコプターだったのです。
上の動画のUH-60J救難ヘリコプターが飛来したのは12日の14時50分ごろ。場所は海上自衛隊横須賀基地の地方総監部前。この日は横須賀で空母ロナルド・レーガンの一般公開や、観艦式事前公開に参加した護衛艦の見学のため、私はたまたま横須賀におりました。(こちらは別記事で公開の予定です)
空母の見学を終え、ヴェルニー公園から横須賀基地を撮影すると、なにやら不思議な光景が。
【読者投稿】第21回 連載「フォークランド紛争小咄」パート6 アルゼンチン軍の防衛体制
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アルゼンチン軍の防衛体制
文:nona
http://www.elcorreo.com/vizcaya/rc/20120203/mundo/islas-discordia-201202030917.html
当時のアルゼンチン軍兵士。
1982年4月2日、アルゼンチンによるフォークランド占領で、イギリスはアルゼンチンの想定以上に態度を硬化させました。サッチャー首相は4月6日に戦時内閣を設置。さらに予備役の動員や機動艦隊の編成を始めたことで、アルゼンチンもイギリスが本気であることに気付き、防御態勢の見直しが始まりました。[1]
【読者投稿】第20回 連載「フォークランド紛争小咄」パート5 ロサリオ作戦とイギリス軍の抵抗
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ロサリオ作戦とイギリス軍の抵抗
文:nona
前回から続く、アルゼンチンによるフォークランド上陸作戦の第二弾です。
https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2012/04/29/algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-malvinas/
スタンレーにアルゼンチン国旗を掲げる兵士
【読者投稿】第19回 連載「フォークランド紛争小咄」パート4 アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画
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アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画
文:nona
今回から連続で「陸戦中心のフォークランドまとめ記事」となります。
http://www.revistanaval.com/fotonoticia/20120514-110010-malvinas-30-anos-despues-2
戦車揚陸艦内のVPVT-7。