無題Name名無し22/07/20(水)14:52:32 No.540680

http://may.2chan.net/39/src/1658296352003.jpg
本日はハンバーガーの日らしいですわよ
というわけで古今東西アメリカ軍スレ


無題Name名無し 22/07/20(水)14:56:20 No.540681

世界最強の軍隊にして日本にとってはかつての最強の敵であり今のもっとも密接な同盟軍
そんなアメリカ軍につい思う存分語ってプリーズ

無題
Name名無し 22/07/20(水)19:25:54 No.540687
アメリカでもアルミやめて鋼鉄戦闘機作ろうとしたらしいけど資源がなくなるおそれを一応感じていた?

無題
Name名無し 22/07/20(水)23:19:16 No.540699
http://may.2chan.net/39/src/1658326756613.jpg
>アメリカでもアルミやめて鋼鉄戦闘機作ろうとしたらしいけど資源がなくなるおそれを一応感じていた?

アルミニュームをバカ食いする爆撃機を量産しておりましてな

無題
Name名無し 22/07/22(金)16:06:15 No.540735
>>アメリカでもアルミやめて鋼鉄戦闘機作ろうとしたらしいけど資源がなくなるおそれを一応感じていた?
米国に関して言えば大戦前・大戦中は余り心配の必要は無かったでしょうね
大戦期間中の米国のボーキサイト産出量は桁違いに世界一で総計1,474万トンに達しています
日本の場合はインドネシア+マレーの産出に頼るしか無かったのですが
これが同じく大戦中の産出量で計算すると約130万トンで内地送還量はもっと少なくなります
ちなみにアルミインゴットの生産は1939年に一時的にドイツが世界一になりますが
その後は米国に周回遅れの差を付けられていますね

無題
Name名無し 22/07/22(金)18:48:34 No.540745
>米国に関して言えば大戦前・大戦中は余り心配の必要は無かったでしょうね
なかなか興味深いお話しでしたがモスキートを開発したイギリスや木製機の多かったソ連あたりはどうだったんだろう

無題
Name名無し 22/07/22(金)19:59:31 No.540755
>なかなか興味深いお話しでしたがモスキートを開発したイギリスや
スレから少し離れるので短めに書き込みますが、英国はギアナというボーキサイト産出地域を持ち
問題は送還量(Uボートの妨害)で、一応上記レス換算で約700万トン産出でした
ソ連は大規模なボーキサイト鉱山を持っていなく国内ではボーキサイト年産5万トン程度、
しかしながら独ソ戦が始まると、米国・カナダ・英国から”アルミ地金”で17万トンの
供与を受けています(1944年4月まで)。

無題
Name名無し 22/07/22(金)21:55:54 No.540759
>ちなみにアルミインゴットの生産は1939年に一時的にドイツが世界一になりますが
だから1号戦車の転輪はアルミ製なんて贅沢が出来たのか

無題
Name名無し 22/07/23(土)09:49:14 No.540770
>これが同じく大戦中の産出量で計算すると約130万トンで内地送還量はもっと少なくなります
インドネシア/マレーシアを緒戦で占領したのに、そこの資源を本土に持ち帰れなかったのは痛いよね
司会の小倉智昭の父親は帝国石油の採掘技師で、戦時中はボルネオで油田を掘っていたそうだけど
油が出ても本土に送る事ができず、戦争終盤は島内を逃げ回ってたそうだ

南方進出して資源を抑えるための真珠湾攻撃だったわけだけど
資源を本土に輸送する計画はきちんと立てられていたんだろうか?

無題
Name名無し 22/07/24(日)14:08:38 No.540809
B29と言えどターボチャージャーが短命だからたくさん山積みにされた写真が取られている
という話はよく聞くがそれはどんな写真?

無題
Name名無し 22/07/26(火)01:49:36 No.540865
http://may.2chan.net/39/src/1658767776219.jpg
日本でもピザやパスタのお供としてすっかりお馴染みのタバスコソース、誕生したのは南北戦争終結後ごろとも言われているそうなんですが、その大元はといえば1846年から48年にかけてのアメリカ―メキシコ戦争に従軍していたある米兵士さんが、メキシコのタバスコ州で見つけた唐辛子の種をお土産に持ち帰ったことに始まるんですとか

もっともこの兵士さん、食用というよりはこの綺麗な植物を実家の花壇に植えたら素敵じゃなあい?というのが動機であったそうなんですが、その故郷であるルイジアナ州エーヴリー島の地主エーヴリー家は、岩塩坑の開発で財をなした商家であったそうです

南北戦争中には南軍兵士用の塩漬肉に使う塩を供給していたりもしたそうなんですが、それが北軍に目をつけられたものか同島は北軍に占領されてしまい、テキサス州に疎開を余儀なくされたエーヴリー家の面々が、数年後ようやく戻ってきてみると、大邸宅は略奪し尽くされ、プランテーションも荒れ果てて、残っていたものと言えば塩と、そしてトウガラシだけ

無題
Name名無し 22/07/26(火)01:52:45 No.540866
http://may.2chan.net/39/src/1658767965263.jpg
それでもめげないエーヴリー家が、娘婿で元銀行家のエドマンド・マクレニー=サンを中心に、トウガラシと岩塩を主成分に酢やニンニクを加えて熟成させた調味料を作成、売り出したのが今や世界的なブランドとなったタバスコソースの始まりであったんだとかで、ある意味では戦争がきっかけで産まれたソースであったりするんだそうで
(※諸説あり)

因みにそのエドマンド=サンの孫に当る、ウォルター・ストーファー・マクレニー=サンという方は、WW2に第1海兵師団所属の海兵隊員として従軍、太平洋で我が日本軍とガダルカナルや激戦を繰り広げ、銀星勲章や海軍十字章など幾つも受けて准将で退役した歴戦の猛者であったそうなんですが、ガ島でのある戦闘では日本軍将校のアンブッシュを受け、危うく脳天を日本刀で叩き割られそうになったこともあったそうです

幸いというか、日本軍将校さんも咄嗟のことで抜刀の余裕がなかったものか、その一撃は鞘ぐるみのままで、ウォルター=サンは昏倒するだけで済んだそうなんですが、ヘルメットがなければソクシだった…という状況を示す記念の品々は、今も博物館に残されているとのこと

無題
Name名無し 22/07/26(火)01:54:56 No.540867
http://may.2chan.net/39/src/1658768096161.jpg
そんなウォルター=サンも戦後は家業に戻るわけですが、折りに触れ思い起すのは軍隊時代のツライ思い出、特に毎日繰り返された単調かつ苦痛なCレーション責めの陣中食生活であったそうで、そこで一念発起したウォルター=サン、そうだ、ウチの会社の製品こそそんな状態を改善するのにピッタリじゃないか!というわけで、様々なキャンペーンにより「タバスコ」ソースの積極的な売り込みを開始したんだそうで

その一つが1966年に発売された”CharlieRationCookbook”なる軍隊向けのレシピ本で、要は前線の塹壕の中でも、現地で調達できる食材および缶詰レーション、そして勿論タバスコを材料に調理できるような料理の数々を紹介するものであったそうなんですが、ユーモラスな挿絵も付いて読み物としても楽しめるよう工夫も凝らされ値段も僅か1ドル、折からのベトナム戦争で海外で戦うGIさん達に送る慰問品として、新聞雑誌で広く広告を打ったそうです

無題
Name名無し 22/07/26(火)01:55:19 No.540868
http://may.2chan.net/39/src/1658768119652.jpg
レシピは必ずしも優れたものばかりでなかったようなんですが、この「小冊子」が何より優れていたのは、それが必ず2オンス入りのタバスコ瓶に巻きつけられ、セットで前線に届く包装形態になっていたことだったんですとか

レシピの内容はともかく、単調な食生活に刺激をくわえてくれる赤い小瓶は徐々に米軍兵士さん達の人気を博し、1980年代からは遂にレトルトパッケージのMREレーションにも正式にタバスコのミニチュアボトルが付属するようになり(後に小袋型)、かくてウォルター=サンのアイデアは見事ここに結実する運びになったんだそうで

レーションへの採用だけでなく、兵士さん達を通じての米国内の各家庭への宣伝・普及効果なども考えたなら、中々見事な成果である気もしますけれども、アメリカ合衆国自体の拡張期から、WW2を経て戦後世界最大の大国になり上がるまでの、歴史そのもの全体にわたって縁のあったソースと言えるのかも知れませんですねえ…w
引用元:http://may.2chan.net/39/res/540680.htm