無題Name名無し22/05/08(日)09:39:40 No.537848

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本日母の日!

というわけで古今東西航空母艦スレ


無題Name名無し 22/05/08(日)16:23:29 No.537862
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WW2中の米軍捕虜尋問センターの記録の中に、IJN空母「隼鷹」の零戦パイロットだった「大谷誠」さんという方のものが残されているそうなんですが、1943年にガダルカナル島沖で漂流中捕虜になったというオータニ=サン、厳しく尋問を重ねても口を割らない、なかなか手強い相手であったそうです

そこで一計を案じた米軍側では、北風と太陽と言いますか、取調室の中で一方的にインタビューするのではなく、ある程度砕けた雰囲気の中で、自由な会話を通じてさりげなく情報を聞き出す…という手法に切り替えたそうなんですが、その場所に選ばれたのが真珠湾に碇泊中の空母「エンタープライズ」で、通訳同伴の捕虜に米軍将校の案内付きで「艦内見学会」をさせる…という、異例の措置を取ったんですとか

無題
Name名無し 22/05/08(日)16:25:16 No.537863
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この「作戦」は米軍側によれば実際効果的であったそうで、以後オータニ=サンの頑なな態度は次第にほぐれて行き、

「質問に正確に答えはじめただけでなく、時には自ら進んで断片的な情報について話を進めていった(略)惜しげもなく、そして概ね誠実に提供」

…するようになり、乗機「零戦」の性能・機構や戦法、そして乗艦していた「隼鷹」を始めとする日本空母一般の施設や構造などについても、貴重な情報を提供するようになったとのこと

もっとも、日本側から見た場合のこのエピソードの実態はまたちょっと異なったもののようで、まず「大谷誠」は実際には偽名、撃墜された時の乗機も「零戦」ではなく「99式艦爆」であり、所属していた母艦も「隼鷹」ではなく、姉妹艦の「飛鷹」であったそうです

無題
Name名無し 22/05/08(日)16:26:24 No.537864
後に自己の体験を活かして数々の作品を執筆、戦記作家として有名になったオータニ=サンこと豊田穣セんセイ御自身の手記によると、そもそも「エンタープライズ」の見学会も、真っ暗な部屋に数日間放りこむ…という厳しい尋問を米側調査官に抗議した際、それならお詫びに何かしてほしいことはないか?と聞かれたので、それなら是非米軍の航空母艦を見せて欲しい!と氏の方から要求したのがきっかけであったんですとか

ともあれ、艦内見学を許された豊田氏によれば、居住区の環境の良さには感心したものの、両舷を貫通するほど大きさの下士官兵食堂や士官用サロンには

「防水劃壁が広すぎ、浸水した場合被害が大きいのではないか、と私は考えたが黙っていた」

…そうなんですが、格納庫を見学した際には

「グラマンが天井のフックから釣ってあった。翼を半回転して後方に折り曲げ、セミのような形になったのを、天井のレールに釣り下げ、どんどん奥へ送ってゆくのである」

無題
Name名無し 22/05/08(日)16:26:45 No.537865
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「なるほど、これならば、たくさん積めるはずである。エンタープライズは、『飛龍』『蒼龍』とほぼ同形の制式空母で(略)しかし、後者が73機ぐらい搭載するのにくらべて、エンタープライズは、95機ぐらい積めるらしい。アメリカの機動部隊が持久戦に強い秘訣の一つは、これだったのである(略)この事実を知らせたいと思ったが、方法がなかった」

…と大いに感心したそうです

もっとも、着艦誘導の様子を見たとき、着艦誘導灯を用いる日本の方式と、手旗で着艦信号士官(LSO)が誘導する米海軍方式が違うのに気付いたものの、「日本の空母とくらべてどうだ?」と聞かれても「同じだ」とごまかしたとのこと

この異例の「捕虜尋問」が、実際には豊田氏が上手く米側の誘いに乗せられたものだったのか、それとも氏のダメ元の要求を、米側がチャンスと捉えた結果実現したものであったかは分かりかねるんですが、お互いホンネを隠しての空母艦上での腹の探り合い、豊田氏の「ウソ」を全て見抜けなかった点まで踏まえれば、まずは引き分け、という所になるんじゃないですかしらん

無題
Name名無し 22/05/08(日)16:27:51 No.537866
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ただ、米側記録によると、オータニ=サンはIJNの新鋭戦艦「大和」型については

「主砲は45センチかそれより大きいが(略)だいたい45センチ」

…と、ほぼ正確な情報を答えているそうです

それ言っちゃダメなヤツです、オータニサーンッ!

無題
Name名無し 22/05/08(日)18:34:32 No.537868
>それ言っちゃダメなヤツです、オータニサーンッ!
失望しました
日本ハムのファンやめます!

着艦誘導灯はかなり優れものだったみたいね
原理的にはシンプルと言えばシンプルなんだけど・・・

無題Name名無し 22/05/09(月)20:23:15 No.537918
http://www.imfdb.org/images/thumb/6/6f/TFCM1911A1_2.JPG/800px-TFCM1911A1_2.JPG
「エンタープライズ」上での日米士官さんたちの楽しい交流の図(イメージ)

豊田セんセイ御自身によれば、「エンタープライズ」艦上で米側に漏らしてしまった日本海軍の機密はただ一つだけで、「日本の軍艦ではラムネをつくって呑むんだ」ということだったそうですw

もっとも、案内役を務めていた「エンタープライズ」のグラマン戦闘機パイロットの少尉さんに詳しい説明を求められたものの、

「『コカ・コーラのジャパニーズ・スタイルだが、なかにタマが入っている』というと、どうしてタマを使うのか、と不思議がった」「私は構造を説明したが、これは困難であった。『そのタマが入っている瓶を、武器に使うのか』と彼は訊いた」

…とのことで、どうも正しい情報はここでも伝わらなかったようですなあ

無題
Name名無し 22/05/09(月)20:24:17 No.537919
因みに豊田氏の戦後の手記によると、「エンタープライズ」艦上では米側と

「アメリカの空母はまったく酒を吞まさない(いまの日本の護衛艦もそうらしい)。そのかわり、大きなアイスクリームの工場があり、乗員が並んでアイスクリームを買っていた。1個5セントである。少尉が1個買ってくれた。陸上のよりうまいように、思われた」

「エンタープライズの副長室は、日本の(略)よりは広く、大きなテーブルとソファーがおいてあり、小さなパーティが出来るようになっていた。『日本の軍艦とくらべてどうか』と副長は訊いた」

「『居住性はよいようだ。ただし、酒がないのは、不思議だ。よくそれで、乗員が長期の航海に堪えられるものだ』
『酒の違いだ。シンガポールで日本の酒を呑んだことがあるが、ぜんぜん弱い。アメリカのバーボンは、やり出したら足がたたなくなる。したがって、戦闘ラッパを吹いても、だれも出て来ないことがある。それで、ある提督が、軍艦から、酒を追放したのだ』」

無題
Name名無し 22/05/09(月)20:26:53 No.537920
…なんて日米の「艦上文化」の違いについて会話を交えたそうなんですが、米軍側の「大谷誠」に対する艦上尋問の記録にも、サケの話は出て来まして、
「捕虜の証言によると、米軍の飲食スペースに相当するものは日本の艦船には存在しない。食器はわれわれ米軍のものに似ているが、艦内の売店と郵便局はひとつの狭い場所に一緒にされている」
「『サケ』は、大酒のみの将校たち全員に好きなだけ提供されるが、下級兵士たちには少なめに与えられる」
…と記述されているそうです

これらの情報も遂次、合衆国艦隊司令長官(キング大将)、太平洋艦隊司令長官(ニミッツ大将)西南太平洋連合軍司令官(マッカーサー大将)等の各戦域の高官、部局等に送付されたとのことなんですが、少なくとも「情報収集」の現場のフインキ自体は
「おたくの艦では酒は飲めるの?」「いやうちはさ~」
…みたいな、和やかなモノだったんではないですかしら…

無題
Name名無し 22/05/10(火)22:40:06 No.537977
光人社から出版の「最後の海空戦(片岡紀明氏著)」という本に、海上自衛隊のパイロットだった平野律郎さんという方の話がありまして、戦中は茨城県の百里が原航空隊で艦上攻撃機「天山」の教官を務めていた平野さん、戦後海上自衛隊で再びパイロットの道に戻り、「P2V」対潜哨戒機に搭乗しておられたそうなんですが、八戸基地の第2飛行隊勤務の三佐時代、訓練の一環として米海軍の対潜空母に体験乗艦したことがあったんだそうで

エセックス級空母「キアサージ」に乗艦した平野さんの体験談が、かつての敵国の空母に乗ったもとIJN大尉サンの感じた新鮮な驚きをよく伝えていて興味深いんですが、該当部分を引用させて頂きますと

「この艦の乗り組みは、海軍の軍人が大半であるのは当然だが、いろんな職種の人びとがいた」

「食堂の給仕。これは皆、フィリッピン人の民間人であった。かれらはこれを勤め上げれば、国へ帰ってけっこうな生活ができるのだそうであった」

無題
Name名無し 22/05/10(火)22:40:54 No.537978
「艦内の宗教の礼拝。これには各宗派の礼拝があるので、宗派ごとの礼拝が時間をずらして礼拝室で行われる。その毎日の予定が艦内新聞らしきものに載るのである。これには各宗派の従軍牧師がいて、当然何人かが乗り組んでいるのだが、かれらの階級は少佐だった」

「そのほか、理髪師とか(略)いろいろな人が乗っているようであった。艦内の裁判所もあった。いろんな人間の何千人という集まりだから、ケンカとか揉めごととか毎日発生する。そのために裁判所があって裁判も行われる」

「かれの入る士官室は、50人以上の大部屋で、隅にはピアノなんか置いてあって、ときどきそれを弾いている士官がいた(略)居住区は明るいが、夜間飛行の搭乗員のため、通路などは暗く、赤灯がついているだけであったし、搭乗員はこれも暗い待機室で赤いサングラスをかけて、飛行30分前から休息しているように命じられていた」

無題
Name名無し 22/05/10(火)22:42:05 No.537979
「食事のときの席は階級順にきまっている。昼と夜は、最先任の中佐が着席するのを待って一同着席する。それから給仕が配食の大皿を持って、テーブルをまわり、各自好きなものを取るというわけである」
「毎日、肉料理が出るが、みんなステーキは大の好物のようで、分厚いのを一人で三枚も四枚も取る人があったりして、すぐに売り切れてしまうのだが、かれらは鷹揚なもので『あいつ、大食らいだからな』などと笑いながら、つぎに焼けてくるのを待っている」
「朝食はほかの米軍基地と同じように、飲み物や野菜をセルフサービスで、席に着くと肉料理の注文を取りにくる。航海中なのに、訓練中は日曜日は、朝・昼兼用のブランチであった」
…そうです

平野さんは戦争後半に搭乗員になった口で、どうもIJN時代はは空母乗り組みの経験はなく、コレが初めての「母艦勤務」であったようなんですが、やはり初体験のカタパルト射出やミラー・ランディングシステムと同じ位、米空母の艦内生活の様子は強く印象に残ったみたいですねえ…

無題
Name名無し 22/05/11(水)19:26:57 No.537999
https://twitter.com/lrt_kyuu/status/962339252347400192/photo/2
艦内に教会区画がしっかり用意されてるのはこっちの感覚からすると贅沢にも思える

無題
Name名無し 22/05/11(水)20:59:42 No.538003
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Shintoshrine-battleshipmikasa-may3-2010.jpg/800px-Shintoshrine-battleshipmikasa-may3-2010.jpg
>艦内に教会区画がしっかり用意されてるのはこっちの感覚からすると贅沢にも思える

一方日本は小型艦艇にまで神社を置いた

無題
Name名無し 22/05/14(土)18:56:22 No.538091
1990年代に米空母「インディペンデンス」に乗艦取材したカメラマンさんの手記にも、艦内設備の話が色々出てくるんですが、やはり米軍らしくメディアは優遇されて食事は士官食堂で取らせて貰えたとのこと

士官食堂はワード・ルーム1と2の二つがあり、ワード・ルーム1の方は勤務中、フライトスーツのままでも食事が出来るのでダーティ・シャツ・ワード・ルームと呼ばれる一方、2の方はユニフォーム着用が義務なのでカーキ・ワードルームとも呼ばれているそうです

「営業時間」は"BREAKFAST"が0600~0830(ワード・ルーム1)、0530~0730(ワード・ルーム2)"LUNCH"が1030~1330(W1)1100~1300(W2)"DINNER"が1630~2030(W1)1630~1830、"MIDRATS"は2200~0100(W1のみ)であったそうで、やはりワード・ルーム1の方が長めで夜食も取れるのは、利用層というか用途の違いが感じられますですな

無題
Name名無し 22/05/14(土)18:57:44 No.538092
艦のエンブレムが刺繍されたカバー付きの肘掛け椅子に皿やカップには金の海軍エンブレム、下士官のウェイターさんがサーブする士官食堂の豪華さは「ホテル62(CV-62=インディペンデンスに因む)と例えられていたそうなんですが、筆者さんが(タダで)御馳走になった昼食のメニューは食べ放題のヴィッフェスタイルで、レタス・トマト・マカロニサラダ、スープ、ビスケット、チーズに始まり、ハンバーガー、”BBQ”、フライド・チキン、デザートにリンゴ、ゼリー、チェリー・パイ、チョコレート・ケーキ、ピーカン・パイ、ハワイアン、パンチ、飲み物もオレンジ・ジュース、アイスティー、ホットコーヒー…という多種多様かつ豊かな内容であったそうです

また、長い航海中に乗組員さん達の無聊を慰めるいろいろなモヨオシも紹介されているんですが、”マジック・スリッパ(=ジョギングシューズ)”を履いてフライトデッキ外周を走る艦内マラソン大会には、開催「海域」の名が冠されるのが慣例で、各スコードロンごとの対抗戦で最下位となったSQは、次の寄港地で1位のチームにビールを奢らされるんだそうでw

無題
Name名無し 22/05/14(土)18:58:13 No.538093
広大な飛行甲板は飛行作業のない時には、「スチール・ビーチ」として乗組員さん達の憩いの場ともなり、マラソンの他にも艦上機を係留する為のアイパットをカップに見立てた艦上ゴルフ、3ON3のバスケットなどのスポーツ大会も開かれるそうなんですが、中でも特に盛大なのがクルーのほぼ全員が参加する「スチール・ビーチ・ピクニック」と称する大バーベキューパーティーなんですとか

「朝からフライトデッキ上には大型のグリルが数台用意され、航空機用エレベーターでチキン3000個、ハンバーガー8000個、ホット・ドッグ6000本やスペア・リブ等の肉類や缶ビール、ソーダ14000缶がどんどんフライトデッキへ運び上げられ(略)焼かれた肉はサラダ、ピザ、デザート、ケーキとともにトレイに入れられてテーブルに置かれ、艦長も士官も水兵もみなTシャツ姿でペーパーディッシュを片手に列に並び順番を待つ」

…というのこのタノシイBBQ、シフトの影響は勿論あるものの、それとは別に仕事の合間になるべく多くの乗組員が同時に参加できるよう配慮されつつ行われるそうです

無題
Name名無し 22/05/14(土)18:59:21 No.538094
因みにそうしてみんなのお楽しみの場ともなる飛行甲板、定期的に行われる清掃は「フライト・デッキ・スクラダブル」と呼ばれる一種のチャリティ労働であるんだとかで、乗組員は希望により1枚$100で「投票券」を買い、全乗組員の中から好きな(若しくは嫌いな)個人の名前を書き、2週間の投票期間中に投票するんだそうで(複数投票可)

投票の結果、上位となった数十名がフライトデッキをゴシゴシする係に選ばれる仕組みなんですが、上位者への票数=×$100分の金額がネイビー・リリーフ・ファンドに寄付される為、考えようによっては選ばれることが名誉とも言えるんですとか

もっとも、例え艦長と言えども対象外とはならないこの投票、みなに嫌われていれば当然「投票」が集中して、キツイデッキ洗いを毎回押しつけられることになるとのこと

それこそみんなが楽しみにしているBBQ大会で、オイシイお肉を出してワオ!ダディクルール!と出来なかった艦長さんなんかは、次の甲板洗いを覚悟しなきゃいけなくなるんでしょね…w

無題
Name名無し 22/05/15(日)08:51:13 No.538120
https://www.sankei.com/photo/story/expand/181116/sty1811160002-p2.html

(潜水)空母です!
通してください!!

無題
Name名無し 22/05/15(日)22:33:38 No.538163
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>(潜水)空母です!

独航空機メーカーのハインケル社創設者であるハインケル=サンの自伝によると、WW1終結後、氏が再び航空機製造を再開できたきっかけというのは、戦勝国アメリカから「潜水艦用航空機」の製造を依頼されたことであったそうです

氏が戦中設計していたハンザ=ブランデンブルクW-20機を発展させた「U-1」水上機は、アメリカ側の要求で直径1.5m、全長6mの格納筒内に納められるよう簡単に分解できるよう設計され、2機ほどが納品されたそうなんですが、ハインケル=サンによればその二週間後に

「日本がわれわれにわたりをつけてきたのだった。同じ飛行機をほしいといって。どんなに高価でもかまわないそうだ。それで日本のために2機造った」

…んですとか

無題
Name名無し 22/05/15(日)22:35:25 No.538164
ともあれ日米に渡った「U-1」機はそれぞれ各種試験および教材に供され、またその後各国独自の潜水艦用搭載機の源流になったそうなんですが、1920年代頃のアメリカ海軍では排水量1万トン以上という「サブマリン・クルーザー」なる大型潜水艦の建造計画も進められていたんだそうで

魚雷発射管の他に複数の連装砲塔で8インチ砲8門を積む予定だったこの潜水艦、残されている設計プラン図をみると、水上機も複数機を塔載する予定だったようで、大げさに言えば「潜水航空巡洋艦」とも呼べそうな、ロマンあふれる構想であったそうですw

もっとも、実現していれば後の伊400型&「晴嵐」に先だち、それを上回る巨体の航空潜水艦になったはずのこの計画、結局は実現されずに終わっているんですが、仮に計画通り建造されていたなら、その「艦載機」には時期的に「U-1」が原型のモノが選ばれていたかも知れないですなあ

無題
Name名無し 22/05/15(日)22:37:27 No.538165
その後結局WW2時に日本が建造した「伊400」型が、今のところ唯一の「潜水空母」となったわけですが、アメちゃんの方でもWW2終結後、何回か「潜水空母」の建造計画というか、航空機を潜水艦から運用するプロジェクトについては、様々な試験や研究が繰り返されてはいたりするんですとか

A-4「スカイホーク」艦上攻撃機などの数々の傑作機を設計したダグラス社のエド・ハイネマン=サンなども、その「スカイホーク」の胴体を着水可能にし、主翼を折りたためるようにした「モデル640」なる潜水艦塔載型の設計を、米海軍から依頼されたことがあったそうです

浮上した潜水艦からJATOブースターのアシストで「発艦」する想定であったようで、サイズ的にもやはり当時実用化されていた「レギュラス」巡航ミサイルなどと同じように格納・運用する予定であったみたいですねえ

無題
Name名無し 22/05/15(日)22:38:10 No.538166
更にもう少し後には、ボーイング社製の完全新設計のマッハ3クラスのジェット水上戦闘機8機を艦内格納庫に収容する、「AN-1」なるより本格的な原子力「潜水空母」の建造なども真面目検討されていたようで、長大な航続性能を活かし、洋上でソ連の核兵器搭載爆撃機を邀撃したり、逆に防御の手薄な箇所をついて奇襲的に核攻撃を掛ける戦力として運用することが期待されていたとのこと

もっとも、コチラも結局はペーパープラン止まりで終り、「潜水空母」が復活することもなく、海中は無粋な弾道ミサイル搭載の戦略原潜ばかりになってしまったわけですが、昨今では海中発射式の飛行ドローンなども現実味を帯びてきましたし、技術発展の具合如何では、また違った形で「潜水空母」が復活する可能性もあるかもしれませんですね

無題
Name名無し 22/05/15(日)22:39:17 No.538167
洋上の水上艦艇に関する脅威も、長距離・極音速ミサイルやら対艦弾道弾やらイロイロ物騒な相手が増える一方ですし、ここはいっそ我が海上自衛隊も、「いずも」や「かが」の後継艦は水中航行可能にするのというのはどうですかしら

ほら、ちょうどでVTOL垂直離着艦可能かつ潜水艦の格納庫に仕舞い易そうな大きさの機体も手に入るようになりましたし、また伊400の時のように、アメちゃんが果たせなかった「潜水空母」の夢を、再び日本が実現する!…というのはどうでs(錯乱)

無題
Name名無し 22/05/16(月)14:21:05 No.538185
バラストタンクやほかの色々な水中から対空攻撃できる装備等で一回りぐらい大きくなりそうですが、面白そうです
引用元:http://may.2chan.net/39/res/537848.htm