終戦記念日Name名無し21/08/15(日)22:51:57 No.35343

1629035517887

年々、生きてその時を語れる人がいなくなっていくね。


無題Name名無し 21/08/15(日)22:54:36 No.35344
そもそも語り部謳ってる連中自体が胡散臭い事になってるからなあ

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:07:56 No.35364
>そもそも語り部謳ってる連中自体が胡散臭い事になってるからなあ
俺は市中の人から戦争体験談わりと聞いてきた方だと思うけど、
「俺は負けるとわかっていた」って言う人めっちゃ多い。
中には「ミッドウエー海戦の報を聞いて負けると思った」って
言った人までいる。
無意識に記憶が改竄されているのか、カッコつけてるだけかは知らんけど。

無題
Name名無し 21/08/15(日)23:57:19 No.35362

そもそもレシプロ機の時代は情報として古すぎるし、
戦争体験も時代に合わせてアップデートすべきでは?

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:10:45 No.35365
終戦の年に生まれたのが76歳でしょ?
ちなみに皆さん何歳位の記憶が一番古い?
自分は4~3歳位か。

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:20:19 No.35369
俺が実際に聞いたマジかよ戦争体験談。
「工場に動員されてゼロ戦作ってた。ゼロ戦は木製でな……」
「俺は特攻隊員だった。学生が狩り集められて、翌日には飛行機に乗せられて
出撃させられるんだ。俺も後一日終戦が遅かったら生きていなかった」
「大和に乗っていた。主砲を撃つと一撃で敵艦が粉みじんになってな。すごかったぞ」
「ガダルカナル島にいてアメリカの戦艦から艦砲射撃を受けた。
ドンドンって発砲音がして、しばらくするとひゅるるーって音と共に砲弾が降ってくるんだ」
「B-29が急降下して爆弾を落としてきたんだ」

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:45:18 No.35374
そういう間違いは多いかもな。
うちのおじいさんは大陸で機甲部隊にいたけど、
戦車のプラモ見せたら魚雷って言ってたな。
兵器の正式名称とかはその時戦場にいた人にとっては重要なことではなかったのかもしれんね。
当時は正しく言えたのだろうけど、忘れていく過程で早めに忘れていくものというか。

>No.35369
少々の補足とか訂正を入れたら大体事実に近い話が多そうだが、
大和の乗組員だけは微妙だな。そも大和の乗組員って200人ぐらいしか助かってない。ガダルカナルは1万人撤退してるから親父の先生とかでも生き残りの人がいたらしい。

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:34:49 No.35372
>>「工場に動員されてゼロ戦作ってた。ゼロ戦は木製でな……」
桜花と勘違いしてるんじゃない?

無題
Name名無し 21/08/16(月)22:35:45 No.35531
>桜花と勘違いしてるんじゃない?
囮飛行機の可能性も
飛行場に設置した囮機体も方々で学生達に沢山作られ、地域によっては出来栄えを競っていたという話もありますね

無題
Name名無し 21/08/16(月)01:01:32 No.35377
ゼロ戦と間違えそうな日本軍の木製機としてパッと思い浮かぶのはこんなところ
立川 「キ106」戦闘機:10機生産
空技廠 「明星」爆撃機:4機生産
九州 「白菊」機上作業練習機(主翼のみ木製):798機生産

よく分からん木製グライダーとかの可能性もあるが、多分白菊じゃなかろうか

無題
Name名無し 21/08/17(火)01:26:15 No.35547
1629131175506

>ゼロ戦と間違えそうな日本軍の木製機としてパッと思い浮かぶのはこんなところ

見た目がゼロ戦ぽくて、木製で特攻に使われたと言えば「剣」じゃないのかな?
近年の資料によれば特攻専用機ではなく、単座爆撃機だったそうだけど。

無題
Name名無し 21/08/16(月)01:11:17 No.35379
木製となると補充部品の保護材的なものとか作ってたのかもしれんね。
無駄に防諜意識あっただろうし工員にはあんまり工程の詳しいことは教えないでしょ。
ゼロ戦の部品であると言えば工員の士気が上がるからとかの理由で適当にそう言われてたのかもしれんね。
本人的にはそんな話であってもゼロ戦作ってましたと言いたいのはわかる。

無題
Name名無し 21/08/16(月)22:56:45 No.35536
>No.35369
ゼロ戦は木製。
年寄りはよく主張するけど、ジェラルミンだと言っても認めない。日本に軽合金の技術はなかったとか反論してくるの。
ウチの爺さん(先生)パパ(医者)なんだが。パパはオイラが戦車や戦闘機の本ばかり読んでるってバカにしてたのに。
オジサン(東大卒商社マン)も三笠はロシアからの戦利品と言ってたのでイギリスから買った船って言ったら、後で自分でも調べて同意の手紙をくれた。

無題
Name名無し 21/08/16(月)00:49:40 No.35375
戦前生まれの爺ちゃんの記憶=田舎の駅まで米軍機の空襲はあった
空襲が終わると現場に行って機銃弾を拾うのが娯楽だった

戦時中生まれの婆ちゃんの記憶=なし。大火の記憶はあるんだけど、空襲ではなく戦後の出来事だったそうだ

ひい爺ちゃんは戦死しているんだけど、爺ちゃん婆ちゃん世代の記憶でもこんなもんだ

無題
Name名無し 21/08/16(月)02:38:27 No.35399
毎年正月に親戚で集まって会食をするんだが
その時祖父に戦争の時の話を聞いたら
祖父は戦時中徴兵されて陸軍の歩兵として中国へ行って砲兵として戦っていたらしい
その後負傷して一人っ子の長男だったから日本に帰国させてもらいしばらくして終戦
昔は長男は跡継ぎで融通してもらえる文化があったらしい
あと航空機を生産する企業の工場がある町だったので大空襲があったが
焼夷弾が庭に落ちたので助かったと言っていた。

無題
Name名無し 21/08/16(月)06:05:02 No.35406
「焼夷弾が庭に落ちて危なかった」じゃなくて「助かった」なのが時代やね。

無題
Name名無し 21/08/16(月)06:38:02 No.35407
語り部ではないのですが1960年代に先の大戦の特務機関員の方々の戦時中の活動内容を今後の参考の為に
陸上自衛隊が聞き取りを行った物の当時の野党に知られ国会で追及されると慌てて破棄したという話を聞くと残念ですね
後の研究家が取材しても応じた人の数が少ない案件ですし

無題
Name名無し 21/08/16(月)07:30:01 No.35410

>陸上自衛隊が聞き取りを行った物の当時の野党に知られ国会で追及されると慌てて破棄したという話を聞くと残念ですね

当時子供の民間人の目線で「辛かった・キツかった・大変だった」という話は積極的に聞かせるのに元軍人の話になると「人殺し!不謹慎だぞ!」と封殺させた風潮。
それ"偏見で選別した聞かせたいだけの戦争体験"じゃんって。
本人から聴取したノンフィクションなら最も事実に近いんだけど、ノンフィクション風ってそういうバイアスがかかりやすいと思う。"永遠のゼロ"とか作り話臭さが半端無いし。

無題
Name名無し 21/08/16(月)07:57:32 No.35413
>元軍人の話になると「人殺し!不謹慎だぞ!」と封殺させた風潮。

敗軍の将目して語らずって人が多かったのに対し、
自己弁護に終止する人もいて、そういうのは旧軍内部でも批判が多かった。
自衛隊に参加するのもな。

無題
Name名無し 21/08/16(月)07:49:45 No.35412
語り部、という存在が胡散臭く思えるのは俺だけかしら?

俺は東日本大震災の被災者だが、当時の記憶すら曖昧になり始めてるぞ
まして76年前の出来事を、錯誤や瑕疵なく正確無比に語り伝えられる人間なんているのかね?

もはや歴史学者の分野では…?

無題
Name名無し 21/08/16(月)10:25:44 No.35439
>まして76年前の出来事を、錯誤や瑕疵なく正確無比に語り伝えられる人間なんているのかね?
ツイッター見てりゃわかんだろ「正しい」と言われ続けるうちに『正しく修正された物』がのさばる

無題
Name名無し 21/08/16(月)08:02:31 No.35414
教訓としてとか歴史的データって言うなら雑味取り除いた教科書や論文の話で十分でしょ?
一般人の思い出レベルの話を残す意義はあるんだろうか?って感じ
政府高官の残した記録とかならまだわかるけど…

無題
Name名無し 21/08/16(月)08:58:21 No.35423
>教訓としてとか歴史的データって言うなら雑味取り除いた教科書や論文の話で十分でしょ?
>一般人の思い出レベルの話を残す意義はあるんだろうか?って感じ
>政府高官の残した記録とかならまだわかるけど…
何年か前に『日本の一番長い夏』がドラマになっていたけど。
政府高官や将校(特に将軍)が普通にインタビューするとなると。みんな『自分は負けてない』とか『自分がこれだけ活躍した』と自慢話ばかりする。
だから集まってもらうのでした。

無題
Name名無し 21/08/16(月)08:27:22 No.35418

現代戦も探せばいくつかレポートがあるから、
今後の参考にするならそっちが良いかもしれない。

無題
Name名無し 21/08/16(月)08:54:17 No.35422

体験談といえば大規模災害の備えも重要だな。

無題
Name名無し 21/08/16(月)09:19:21 No.35426


http://cgi.2chan.net/f/src/1629073161999.jpg
「戦争は女の顔をしていない」って本は、大戦中のソ連軍女性兵士だった人たちの証言集なんですけれど、作者のひと曰く、個人的に会って親しく話してるときは色々な意味で人間臭い、赤裸々なエピソードも隠さず教えてくれたのに、後で改めて原稿の下案送ったら、所謂教科書的というかソ連邦正史らしいというか、とにかく当時は皆が英雄で勇敢で品行方正で美談になる思い出しかなかった!こんな話を本にしないで頂戴!みたいに話してくれた本人に訂正されるんで困惑したことが屡々だったそうで

それでも、結局歴史自体は個人体験の積み重ねでもあるんですから、内容の真偽の判定含めて、成る丈多くの記録を残しておこうというのは無駄ではないと思うんですけれどね

無題
Name名無し 21/08/16(月)10:04:13 No.35435
水木しげる先生は、戦地で片腕を失った経験を漫画に残しているけど
現地の人や同僚に裏取りしたら「違う」と言われる部分が結構あるそうだね

本当に悲惨な経験は、そのまま覚えていると精神が持たないんだろう

無題
Name名無し 21/08/16(月)10:07:13 No.35438
そら、全員が全員同じ経験してる訳でもないし

無題
Name名無し 21/08/16(月)17:59:53 No.35496
Twitterで数年前に見た話
とある元軍人さんを長らく取材してたけど
90歳を超えたら当初言ってた事と違うことを言い始めたので(要するに老化に伴い記憶が変容した)
高齢すぎる人の証言は参考にしてはいけない…と

無題
Name名無し 21/08/16(月)21:17:30 No.35522
>語り部、という存在が胡散臭く思えるのは俺だけかしら?
実体験者で当時10歳以上ならいいんだけど、当時未就学児や小学校低学年の語り部って如何なものかと思う

俺は生理的にこれが無理
https://www.jprime.jp/articles/-/7873
何故無関係の人が語り部になれるのか、その証言は信用できるのかと

無題
Name名無し 21/08/20(金)09:14:41 No.35906
>その人達が見たのも本当、俺らが見たのも本当と言ってた。

※確かに、地域差があるようです。

学童集団疎開がなかった地域もありますね。
戦後はよくわからないが
父親に聞くと戦争中はあまり、腹が減った記憶がなく
歩いて四キロ離れた(往復8キロ)飛行場近くの軍事工場に勤労奉仕で通っていたとききます。
腹が減って動けないはなかったらしいです。

無題
Name名無し 21/08/16(月)23:45:31 No.35538
今年春の話。

ちょっと空いたファミレスの座敷席で、はす向かいのお婆さん3人(敬意をこめて以下「ババア達」と書きます)がこのご時勢にもかかわらず、また見た目にもかなり高齢であるのに、元気に大声でおしゃべりしていた。
はす向かいといってもかなり距離も離れていたので、別に注意するつもりはなく、ババア達の爆音会話を聞いていた。(というかうるさすぎて全部聞こえる…)

話は今食べている食事の話になり、そこから戦時中~戦後のメシがいかにマズかったかという自慢話をお互いにし始めた。

戦時中は味もクソもない芋雑炊を食べ過ぎて、今でも芋を見たくないこと。
戦後、ララ物資なのか大量に小麦粉が配られたせいで、クソまずいパンを食わされ続けたこと。
おまけにその小麦粉をケチるためトウモロコシの芯を粉にしたものが混ぜ込まれ、喉にチクチクして食えたもんじゃなかったこと。
市いちばんの駅前にはヤミ市がはびこり、物々交換で食べ物を手に入れたこと。

無題
Name名無し 21/08/16(月)23:45:46 No.35539
続きます

天皇陛下のことは、もちろん子供にももっとも敬うべき対象として教育されていたが、当の子供達は「天ちゃん」と言ってアイドルか何かのような扱いをしていたこと。
クソガキらしく、大人たちが最敬礼する中、一瞬顔をあげて天皇陛下の顔を見ようとした事。
当時は子供だったので、玉音放送を聞いても「朕が」しか聞き取れず、チンチン言ってるだけの謎の放送だと思っていたこと。

ふと昨年亡くなった祖母を思い出した。大好きな優しいおばあちゃんだったけど、時には「ババア達の仲間」らしく、したたかで、我儘や理不尽な怒りを他人にぶつけることがあった。
ババア達の強靭なメンタリティは、戦時下の悲惨な日常によって培われた「生き延びるための性格」なのだなと。
過酷な時代を生き延びた「ババア達」をちょっと誇らしく思った。

うちのばあちゃんは戦争の話をほとんどしてくれず、B29の爆音が嫌いという話だけだった。
戦争の話をしなかったばあちゃんに代わって「ババア達」から、思い出話を聞かされた気分だった。
長文失礼

無題
Name名無し 21/08/17(火)09:57:48 No.35575
>うちのばあちゃんは戦争の話をほとんどしてくれず、B29の爆音が嫌いという話だけだった。

うちのばあちゃんは今は無きUS-1のエンジン音がB29のエンジン音と一緒だって言ってた。
US-1は重厚なエンジン音を響かせながら飛んでたけど単機であの音だからそれが100機単位で飛んでくると思うと怖いな・・・

無題
Name名無し 21/08/17(火)01:28:09 No.35548
もう30年ぐらい前の話だが
ゼロ戦の塗装してた人の話~
へーそうですか機体内部のジンクロメイト色って銀色が混ざった薄い青色なんですか、
と問うと、そうですよと答えられた。
変だと思いましたね。

無題
Name名無し 21/08/17(火)01:29:28 No.35550
また、話は違うが
ゼロの濃緑色はもっと暗い、黒に近かったとの話もあり(画像ではそのような写真もある)

叔母から聞くと
B29は探照灯に照らされてキラキラ輝いてドロドロドロドロと言う爆音響かせ、結構低高度を飛んでた
(夜間探照灯で照らされると地上からは大きくみえるらしいので勘違いか)
で、機数と搭乗員からすれば、2000人ぐらいアメリカ兵が上にいたんだよと教えてやると叔母は目が点と言うか、悲しそうな驚いたような悲しそうな表情になった。
アメリカも割り増ししてるようですが、電卓使えば簡単ですね。

無題
Name名無し 21/08/17(火)07:12:45 No.35560
>で、機数と搭乗員からすれば、2000人ぐらいアメリカ兵が上にいたんだよ

機長、副操縦士、爆弾投下係、航行針路係、 機関士、無線通信士、レーダー操作、中央砲手統制、左側砲手、右側砲手、後方砲手
で、計11人か

海自のP-1哨戒機と同じ人数なんだな

無題
Name名無し 21/08/17(火)01:54:20 No.35554
火災の熱なのか熱く(気温35℃以上なのか)
これはまずいと思い、着物に水掛けて(箱ゴト)埋めたが
帰って掘り返すと煮えていた/天井板の裏で焼夷弾が燃えて消火不能/
/朝、川に焼夷弾が大量に刺さっていた、/焼夷弾と熱さから逃れるために橋の下の水につかった
サンマの焼けるような匂いが辺り一面に/高射砲の破片が落ちてきた/
/軍艦が沈むときは海水と一緒に煙突に吸い込みれるので、できるだけ遠くに離れよと聞いた/
戦争でグライダーのイベントが中止になって、いやだった/皆、あんな遠くから攻めてこられん
連合艦隊があると言ってたが、祖父はボソッとアメリカ大きいぞと…(公安に捕まりさうですね)
/武蔵の電線、空中線張に行ったとの大叔父の話-艦橋に上ると目もくらむような高さ

など色々な話を聞きましたよ。

無題
Name名無し 21/08/17(火)02:47:50 No.35558
>そもそも語り部謳ってる連中自体が胡散臭い事になってるからなあ

戦争体験話してくれた身内の人間は、先日亡くなった伯父(終戦時 15歳) くらいだけど、工場で飛行機生産やらされて空襲にもあったと話してくれた
それには特に不満はなかったようで、酒が入るとアメ公に負けたのは本当に残念だーなんて言い出してしまう
こう言う意見はメディアは取り上げないよなぁ

無題
Name名無し 21/08/17(火)21:46:23 No.35682
>負けたのは本当に残念だーなんて言い出してしまう
>こう言う意見はメディアは取り上げないよなぁ

そら完全な負け戦で両親殺された子供やら、
そうでなくとも火垂るの墓みたいなことがザラにあった時代だ。
紹介しても皆ピンとこないんじゃないかな。

無題
Name名無し 21/08/19(木)19:43:27 No.35803
http://cgi.2chan.net/f/src/1629369807100.jpg
>>負けたのは本当に残念だーなんて言い出してしまう

>こう言う意見はメディアは取り上げないよなぁ

NHKでも放送してたし
やってたんじゃね?

ま理想をぶっ立てても世界に一ヶ国なわけじゃなく相手がいる事だし
かなりヤバい国力差だと報告が上がっても、そのまま戦争に突入する
システム的な欠陥をもっと取り上げるべきだと思うけどねぇ

無題
Name名無し 21/08/17(火)10:30:44 No.35577
一番面白かったのは、疾風(はやて)の話、可変ピッチの話
プロペラオンがビーンとなったらしい
ろくに空戦もできない青ベタだったけど、フェリー要員で
工場から各地の飛行場へ何人かで編隊組んで運ぶ仕事だった
帰りは輸送機でみんなで纏まって帰るのだが
グラマンに襲われ引率のT少佐が輸送機の中で機上戦死された
(ややこしいですが二階級特進後の階級かも戦死時は中尉の可能性があります、普通は特進後の階級を個人に敬意を表して呼称しますので)
T少佐は筆者、私に似ておったらしいです

無事にフェリーを終わると羊羹等(成人してないので)食べて
毎回どんちゃん騒ぎだったらしい
はい、そうですね、この方も御多分に洩れずに詐欺氏よばわりされてましたが
私は事実だと感じております

無題
Name名無し 21/08/17(火)10:31:16 No.35578
そうそう、
>No.35539前の文
にあるように私の父親も陛下のことを
てんちゃんと呼んでいましたね、目には優しい光が在りました。

また、父親から市内のチンチン電車の舗装の
木煉瓦(レンガ)が燃えて道を横断できなかった話も聞いきました。

無題
Name名無し 21/08/17(火)20:55:26 No.35670
皆怒るかもしれんが、戦時の記憶というのは80%くらいは正しくないものだと思った方がいい。
ホントにひどい経験をした人は語らないようにしているうちにもっと怖い考えになっていくし、召集されたけど戦争を体験していない元兵士もたくさんいる。
何にもなかったじゃカッコつかんから、戦記小説や娯楽戦争映画でみた内容を無意識に参考してしまっている人がたくさんいる。
戦後昭和は情報がいい加減でフィクション交じりのノンフィクションであふれてた。
正直ゼロ戦の色も思い出せんほど記憶は劣化してしまっている。
昭和の時代は自分の扱っている戦闘機がアルミだと知らない人間もたくさんいただろうと思う。疑問をもつ人間は面倒臭くて社会不適応者で裏を取ろうとする人間は人格異常者だった。目上の人が知らないことを聞くことは大変失礼な事で殴られてもおかしくなかった。
いやほんとひどい時代だった。ちなみに私も子供時代にゼロ戦が木製で布張りと覚えていた。多分無謀な戦争を表す詩的表現が流行ったのだと思う。
だからこそ証拠を探して正しい情報にアプデされている専門誌と諸兄を尊敬し感謝しております。

無題
Name名無し 21/08/19(木)19:07:29 No.35794
http://cgi.2chan.net/f/src/1629367649170.jpg
男たちの大和/YAMATOでも思ったが
ご存命の方に生の戦争体験を聞くは限界にきていると思う

聞ける相手は少年兵となり命令される立場ばかり
男たちの大和なんかでも高射砲まわりで話が進み
戦局がまったくわからなく視点がミニマムとなっていく
もっと部下を持つ人間の葛藤や日本をどうして行きたかったのか
複数の文献の洗い出し
階級の高い人が家族へ宛てた手紙などの掘り起こしの取材をし
番組制作したほうがレパートリーが広がるんじゃなかろうか?

無題
Name名無し 21/08/19(木)22:14:25 No.35836
自分が聞いた所では東京の空襲の話で、
真っ赤に燃え上がる病院が綺麗で見惚れていたら母親に怒られた、
同じく赤く燃える街並みが綺麗だった。
なんていう超越的な体験として捉えてる方がいて意外だった。

無題
Name名無し 21/08/19(木)23:42:45 No.35873
ウチの爺さんはシナの共産軍の地域は略奪が酷くて貧乏だと言ってた。日本軍の地域は安全なので人が集まるって言ってた。
共産軍は略奪しないというのは嘘だと。
で、引き揚げ者の人達の本で共産軍は規律が取れてたって書いてたよと言ったら、その人達が見たのも本当、俺らが見たのも本当と言ってた。

無題
Name名無し 21/08/20(金)03:34:08 No.35896
その手の「実は~は~だった!」論争って
よく"部隊や地域による事もある"ってのが無視されるんだよね

無題
Name名無し 21/08/20(金)08:50:33 No.35905
同じ共産軍でも、戦闘地域が共産党に税金を払っている友好地域なのか
それとも地主などの支配層が国民党を支持している競合地域なのかによって
振る舞いは違うし、そもそも共産党や国民党を勝手に名乗っている
匪賊が暴れまわっている例も多いから中国戦線はカオスよな・・・

無題
Name名無し 21/08/20(金)09:14:41 No.35906
>その人達が見たのも本当、俺らが見たのも本当と言ってた。

※確かに、地域差があるようです。

学童集団疎開がなかった地域もありますね。
戦後はよくわからないが
父親に聞くと戦争中はあまり、腹が減った記憶がなく
歩いて四キロ離れた(往復8キロ)飛行場近くの軍事工場に勤労奉仕で通っていたとききます。
腹が減って動けないはなかったらしいです。
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/35343.htm