無題Nameミス指摘ありがとうございます<(_ _)>21/08/09(月)18:12:02 No.34565
1945年の満州方面における日ソ両軍の配置
Dove
http://cgi.2chan.net/f/src/1628500322482.jpg
1945年8月15日…ソ連軍満州に侵攻開始!
というわけで日ソ戦スレ
無題Name名無し 21/08/10(火)06:37:51 No.34599
http://cgi.2chan.net/f/src/1628545071077.jpg
有名処の話ですが、駐蒙軍司令官根本中将の8月15日以後の居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜きソビエト軍を撃退しつつ国民党支配地区へ退却した話は凄いですね。
無題Name名無し 21/08/10(火)19:05:13 No.34640
>No.34599
そのまま映画にしてもいいくらいだけどその根本さんて人、戦後は台湾に渡り
台湾名を名乗り台湾軍の軍事顧問になってるお人
まぁ何より中国がいい顔しないし思想がその影響下にある邦画界じゃ無理よね
無題Name名無し 21/08/10(火)19:22:19 No.34641
> 駐蒙軍司令官根本中将の8月15日以後の居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜きソビエト軍を撃退しつつ国民党支配地区へ退却した話
そういう局地的な健闘はあるにせよ、各所で突破・分断を許していて、関東軍は死に体
ソ連軍はこれをベルリンの戦いの4分の1の戦死者を出しただけでやってのけている
無題Name名無し 21/08/10(火)19:45:32 No.34642
仮に関東軍が南方引き抜き無くて健全でも
赤軍の損害が多少増える程度で結果は大して変わらんだろうね
戦力差ありすぎて全方面からの平押しに終わったが
日本軍の精強部隊が国境線固めてるならモンゴル方面からの集中・突破で一気に刈り取ったり
赤軍にはいくらでもオプションがありそうだ
無題Name名無し 21/08/10(火)22:45:17 No.34655
>No.34642
ところがどっこい
ソ連極東軍にとっても満州は広大すぎる戦場かつ
大兵力を投入しすぎで各所で物資燃料不足続発で陸上部隊の多くが進行不能に
東部国境では地形を利用して日本陸軍側も肉弾攻撃で戦車を食い止めてたり
西部方面でも数少ない航空隊の対地攻撃でソ連軍輸送部隊を襲撃しさらに補給不足で苦しめたり…
戦闘を一つ一つ見ていくと意外と日本側も虎頭要塞の他にも健闘してる
もちろん全般的な戦略的劣勢のため徹底抗戦しててもやがて瓦解は免れなかっただろうけど
無題Name名無し 21/08/10(火)22:58:56 No.34656
1945年5月初旬にドイツが降伏して同年8月初旬に対日参戦
1944末から翌45年初頭にソ連の対日参戦密約は成ったそうだけど、約半年間シベリア鉄道1本で数十万規模の部隊から武器弾薬、補給を輸送して備蓄するのは大変だったでしょうね
あり得ない仮定だけど、日本がソ連の参戦前に降伏してたらなかなかに間抜けなことになっていた可能性も・・・
無題Name名無し 21/08/10(火)23:26:15 No.34658
補給待ちや単独突出を危惧した停止は順調に行き過ぎた進軍で起こるもんだよ…
45年にもなってまともな対戦車火力整備できなかったのも惨劇の背景なのに肉弾賛美とかも勘弁してくれ
無題Name名無し 21/08/11(水)07:00:38 No.34674
対日戦での補給の問題もハバロスク領事館に身分を偽って勤務していた特務機関員の人が
領事館の天井裏から対独戦終了後のシベリア鉄道の貨物量の大幅な増加を観測していて報告をしているけど何処で握りつぶされたのやら…
対日戦開始後その特務機関員はソ連軍に拘束されましたが正体がバレず数年の拘束で他の領事官員と共に帰国できたとか
無題Name名無し 21/08/11(水)09:24:30 No.34680
大本営の腐敗がひどすぎる
都合の悪い情報は全部握りつぶしだものな
前線で戦ってる将兵への背信行為だよ
無題Name名無し 21/08/11(水)10:34:31 No.34685
赤軍が頭おかしいのは43年初頭のスターリングラード戦までの劣勢期で
それ以降は装備と軍備の充実(と人的資源の凄まじい消耗への反省)により
改善し続けているのに対し、日本の場合は軍隊が最良だったのが開戦時で、
以後右肩下がり(特に44年後半以降)だったのが痛い。
米軍に対して全般的な劣勢はどうにもならないとしても、戦争後半の日本軍部隊が
全員硫黄島の小笠原兵団なみの装備と戦術で戦えていたら評価は全然違っていたろうねぇ。
無題Name名無し 21/08/11(水)19:58:28 No.34745
http://cgi.2chan.net/f/src/1628679508410.jpg
時間と金を注ぎ込んだ海拉爾・愛琿・虎頭・東寧の国境要塞を実質放棄して
何も備えのない平原に戦力移動させてる時点で日本側から勝機は捨ててる
無題Name名無し 21/08/11(水)22:42:00 No.34778
長射程の重砲を複数配備していた虎頭要塞の戦闘は興味深いですね
砲身が焼き付くまで発砲し続けた試製四十一糎榴弾砲から他の要塞ですが万人抗伝説まで色々と…
無題Name名無し 21/08/12(木)07:15:09 No.34795
ソ連の侵略から北海道を守りユダヤ難民を救った樋口中将に感謝と敬礼!
無題Name名無し 21/08/12(木)15:11:26 No.34856
>ソ連の侵略から北海道を守りユダヤ難民を救った樋口中将に感謝と敬礼!
最近、銅像を造ろうって事で寄付を募ってますね。
無題Name名無し 21/08/12(木)07:39:39 No.34802
http://cgi.2chan.net/f/src/1628721579851.jpg
欧州より逃れたユダヤ人達の満州国での政治活動に協力した大連特務機関長の安江大佐もソ連参戦時には予備役編入で満鉄安江機関長になるも逮捕されハバロスクにて獄死ですね
無題Name名無し 21/08/12(木)20:10:20 No.34905
要塞と言ってもなあ
広い満州じゃ迂回されて後方に突破されたら、取り残されて遊兵になるだけだし
結局満州防衛にはソ連軍を野戦で叩けるだけの機動力と打撃力が必要だったんだと思う
無題Name名無し 21/08/16(月)10:50:23 No.35440
http://cgi.2chan.net/f/src/1629078623824.png
秦郁彦せンせいの「日本人捕虜」に、日ソ戦時進駐してきたソ連軍の戦車のハッチから顔を出してる戦車兵に話しかけてみたら、ノモンハン事件の時に捕虜になった元日本兵だった…なんてハナシが紹介されてましたですなあ
なんだか裏「ハッピータイガー」みたいなエピソードではあります
因みに余談ですが、朝鮮北部の清津は日本海に面し、日鉄や三菱製鋼、旭化成などの工場が立ち並ぶ重要な港町であったそうなんですが、それだけにソ連軍の目標とされ、8月13日ごろから海側からの揚陸作戦による侵攻を受けたそうです
守備隊の主力はすでに南方または鮮満国境などに抽出済で、残余は2千300名ほどの歩兵第一補充隊および現地市民の召集兵からなる2個警備大隊程度、装備もごく貧弱であったそうなんですが、数少ない歩兵砲で上陸用舟艇を多数撃沈するなどして奮戦、市民の避難の時間を稼ぐのに努めたんですとか
無題Name名無し 21/08/16(月)10:54:37 No.35441
当時歩兵第一補充隊の主計少尉だった岡元不器男さんによると、激しい市街戦で脅威となったのは、ソ連軍歩兵の持つ「マンドリン」と呼んでいた短機関銃で、
「銃身が短くて、一度に五十発が出るし、腰だめで撃てるので(略)いやというほど威力を味あわされた」
…そうなんですが、一方戦闘の最中、握り飯をトラックに積み前線まで運びに行くと「兵隊はソ連兵の腰にぶら下がっている黒パンを頂戴していた。それどころか、五十連発のマンドリンをぶんどって戦っていた」
…なんてたくましい光景もみられたそうです
それでもやはり多勢に無勢、守備隊は徐々に郊外の高地に追い詰められ、岡元さんも最後の決戦を前に、兵隊さん達に腹いっぱい食べさせると共に、とっておきの砂糖と小豆で「ぜんざい」を作り、覚悟を決めていたところで停戦となったんだそうで
無題Name名無し 21/08/16(月)22:24:56 No.35530
>連発のマンドリンをぶんどって戦っていた」
日本版シュタイナー曹長ですねw
無題Name名無し 21/08/16(月)10:59:27 No.35442
取り敢えず武装解除が始まり、岡元さんは主計将校として引き渡す武器の一覧表を作成、引き渡しにも立ち会ったそうなんですが
「ソ軍の中尉と通訳の二人が現れた。私の表を通訳が受け取って数を点検した。マンドリンをみた中尉は、にが笑いをして私を見た。なんだか人のものを盗んだような自己嫌悪感が意識をかすめた」
「マンドリンがどの中隊の武器にも混じっているので、中尉は機嫌が悪くなり、通訳と何かしきりに話をしている。員数表に入れるのか外すのかの相談のようだった」
…とのこと
やはり、日本側に戦闘中あまりに武器を鹵獲されてたとバレると、責任を追及されシベリアで木を数えさせられるコトになる…とか懸念していたんですかしら(棒)
無題Name名無し 21/08/16(月)11:54:41 No.35447
http://cgi.2chan.net/f/src/1629082481477.jpg
>ソ連軍歩兵の持つ「マンドリン」と呼んでいた短機関銃
かの有名なPPsh41ですねー
独軍にも大人気で向こうでも「バラライカ」って露の弦楽器の愛称だったそう
ちなみに露で人気だったのはMP-40だったというね・・・
無題Name名無し 21/08/16(月)12:08:39 No.35450
>ちなみに露で人気だったのはMP-40だったというね・
大戦後半は独が守勢でソが攻勢だったから、ドイツ兵にとっては陣地から撃つので
重くて取り回しが悪くても弾幕が張れるPPsh41が、その陣地に突撃するソ連兵にとっては軽くて取り回しがよくて命中精度の高いMP-40がマッチすると言う皮肉
無題Name名無し 21/08/16(月)12:08:55 No.35451
>No.35447
肝心のソ連兵からは持ちにくいマガジンが嵩張るとあんま評判よろしく無かったそうで…
無題Name名無し 21/08/16(月)20:16:55 No.35512
PPSh-41を大戦中だけで500万丁作ってるんだな、ソ連
木製銃床だけで結構な手間がかかりそうだが
後継のPPS はPPSh-41が数が揃ってるので「生産を抑えて」100万丁
無題Name名無し 21/08/17(火)01:36:10 No.35552
>木製銃床だけで結構な手間がかかりそうだが
1丁の生産に要する時間はPPSh-41が13時間、対してプレス加工多用のPPS-43が3時間だったそうで。
旧式な木製銃床の火器を500万丁も生産するなんてスゴイよね。
無題Name名無し 21/08/16(月)21:11:07 No.35520
ソ連ってそんな大量のトカレフ弾どこから持ってきたんだ?
って思ったけど、そういえば戦車もアホほど作ってたな。
無題Name名無し 21/08/16(月)21:23:41 No.35523
ドラムマガジンに弾入れるのに失敗すると指切断とか怖すぎます
無題Name名無し 21/08/16(月)22:43:14 No.35533
対英国の時はステンガンかっぱらったんでしたっけ
自国の銃は運んでこないと使えないけど敵の銃は奪えば使えますからねぇ
何かがおかしい
無題Name名無し 21/08/16(月)23:02:35 No.35537
http://cgi.2chan.net/f/src/1629122555543.jpg
>対英国の時はステンガンかっぱらったんでしたっけ
末期にコピー生産しましたね
Gerät Potsdam
無題Name名無し 21/08/17(火)00:18:40 No.35544
>対英国の時はステンガンかっぱらったんでしたっけ
対英戦緒戦で数百挺単位で鹵獲したトンプソンを現地日本軍は装備していたらしいよ
内地には持って帰れなかったみたいだけど
年代的にはM1921の英国仕様輸入と思われる
後のビルマ戦等でも鹵獲トンプソン(時期的にはM1以降型か?)はあったようだけど
無題Name名無し 21/08/17(火)18:21:14 No.35640
行っちゃ悪いけど敗戦直前のソ連侵攻はろくな戦いにすらなってないだろ
行ってしまえば欧米に大してのソ連式縦深打撃理論のお披露目会
日本軍はシミュレーションさながら面白いように分断孤立撃破された
無題Name名無し 21/08/18(水)17:03:46 No.35756
http://cgi.2chan.net/f/src/1629273826548.jpg
清津攻略作戦におけるソ連側戦力の主力は、太平洋艦隊所属の海軍歩兵旅団(約5千名)であったそうなんですが、その中にマリヤ・ニキチクナ・ツカノワ=サンという、従軍看護婦がおられたんですとか
ソ連側の記述によると、マリヤ=サンは初期の上陸部隊に同行して、日本側の反撃で負傷した海軍歩兵52名を治療し、自らも負傷するも戦場に留まり、短機関銃を持って戦闘にも参加、90人以上(!)の日本兵を撃ち倒して、部隊の撤退を援護したそうです
ので、まさに女性でも扱えるペーペーシャーの威力、恐るべしというトコロでしょか(棒)
戦死したマリヤ=サンには、対日戦におけるソ連女性兵士としてはただ一人「ソ連邦英雄」勲章が与えられているそうで、如何にもプロパガンダっぽい話とはいえ、裏返せば実際ソ連側にも負傷者が続出し、一時は日本側が押し返して従軍看護婦さんが銃を取って殿に立たないといけないぐらいの苦戦だった…とソ連側が苦戦を認めている…というコトになるんですかしら
無題Name名無し 21/08/18(水)17:20:53 No.35757
因みに清津上陸作戦や、その前の朝鮮北部の羅津上陸作戦のさ中には、輸送艦「ノギン」「ネバストロイ」「ダルストロイ」の沈没を初め、掃海艇、曳船など数隻が損傷するなどの損害が生じているんですが、これらは陸上からの砲撃ではなく、触雷によって失われたものだったそうです
それも日本軍の敷設したものではなく、元々は米陸軍航空隊のB-29が、海上交通路の破壊を目的に空中投下したものだったそうなんですが、ソ連海軍では事前にアメリカ海軍に対し、機雷投下海域に関する情報提供を求めていたものの、米海軍側はいやあ、それはうちらでなくてアーミーのやつが投下したもんだしぃ?と取り合ってくれなかった…なんて恨み節が、ソ連側文献に残されているとのこと
実際「管轄違い」な面もあったのかもですが、或はもう既に、米ソの軍事協力関係が冷え込み始めていた兆候の一つだったのかも知れないですな
無題Name名無し 21/08/18(水)17:21:19 No.35758
更に余談ですが、清津上陸作戦に参加していたソ連海軍艦艇に、「EK-1」「EK-2」「EK-3」「EK-8」「EK-9」の5隻の護衛艦が含まれているんですが、これらは元々は米海軍保有のタコマ級パトロール・フリゲート艦であったんですとか
対日参戦を前提に、1945年から貸与されたこれらのフリゲート艦、米海軍在籍中にはフィリピンなどで日本軍と交戦した経歴を持つものもあったそうなんですが、大戦終結後いったん米軍に返還された後、事故で解体された「EK-3」を除く4艦は今度は日本に貸与され、護衛艦「まつ」「しい」「すぎ」「うめ」として、海上自衛隊の前身である保安庁警備隊の主力艦船となっておりましたり
1954年公開の映画「ゴ●ラ」作中にも登場していて、海中の●ジラに爆雷攻撃を行う勇姿を披露しているんですが、最初は米国軍艦として日本軍と戦い、次にソ連海軍に移籍してやはり日本軍と戦った後の、三度の移籍先は当の日本…という数奇な運命を辿ったフリゲート艦、日本で(或は世界で)初めてゴジ●と戦った艦船でもあるということみたいですなあ…w
無題Name名無し 21/08/19(木)18:55:49 No.35790
今は無き佐藤御大の征途では沖縄に散った武蔵ではなく、長10㎝搭載の大和を始めとする小艦隊がソ連上陸船団に殴りこみを掛けるって熱い展開があったなぁ・・・
その伝説的な活躍で戦後の保有を認められてその後、あーなってこーなって・・・
初めて読んだときは震えたなー
無題Name名無し 21/08/19(木)22:33:01 No.35848
http://cgi.2chan.net/f/src/1629379981664.jpg
>今は無き佐藤御大の征途では沖縄に散った武蔵ではなく、長10㎝搭載の大和を始めとする小艦隊がソ連上陸船団に殴りこみを掛けるって熱い展開があったなぁ・・・
ソビエト側も戦艦ソビエツキー・ベロルーシヤが登場しましたが細かい戦闘の描写が無かったのには悔やまれますね
日ソ戦ですと北方領土で捕虜になった人達が帰国だと言って船に乗せるも日本を通過してウラジオストックに送られて皆絶望したという話がありましたね
ですが関東軍の捕虜よりは北方領土での捕虜の方が帰国が少し早かったと聞きますね
それだけソ連側から関東軍が嫌われていたという事ですが…
無題Name名無し 21/08/20(金)10:04:08 No.35910
>No.35790
そ・・・それだよ視聴者が求めているものは!
なんなら、「信濃」も艦載機付きで出してもいいのよ?
無題Name名無し 21/08/20(金)19:08:14 No.36018
やはり朝鮮北部の港町で、清津の前にソ軍の侵攻を受けた羅津には、8月9日のソ連軍対日参戦の時点で、およそ17隻程の大型船が荷役作業中であったそうなんですが、8日夜半すぎよりソ連軍機による連続空襲を受けたそうです
もっとも、当初はてっきり米軍機の攻撃と思い込んでいたところが、夜明けとともに、撃ち落とした敵の姿からなんだ、相手はヤンキーでなくてイワンだ!なんて気付いたそうなんですが、多くのフネが損傷で航行不能となり、港外に脱出し得たのは17隻中3隻のみであったんですとか
その内の1隻、「向日丸」は2A型戦時標準船、戦時下の「粗製乱造の見本」のようなポンコツ船で、出し得る最大速度もわずか8ノットという頼りなさであったそうなんですが、それでも港内、および出港してからも追いすがってくるソ連機の攻撃を運よく躱し続けているところで、羅津脱出船護衛の命を受け急行してきた「第82号海防艦」と合流することが出来たとのこと
無題Name名無し 21/08/20(金)19:08:51 No.36019
「地獄に仏」の頼もしい日本軍艦の出現に「向日丸」は大喜び、船内では奮発して白米ゴハンを炊くことにしたそうなんですがw
ホッとしたのもつかの間、すぐに新手のソ連海軍雷撃機の編隊が襲撃をかけてきたんだそうで
「第82号海防艦」の森武艦長は、朝鮮半島の海岸寄りに「向日丸」を走らせ、自艦は沖側に出てその盾となる態勢で対空戦闘に入るんですが、第1編隊の3機を見事撃墜したものの、続く編隊の放った魚雷の内1発が艦尾に命中、運悪く爆雷も誘爆して無念にも轟沈
孤立無援となってしまった「向日丸」にも、次々と敵魚雷が迫ってきたそうなんですが、幸いにも全てが外れるか船底を通過、またも危機を免れることが出来たそうです
羅津で空襲を受けた際、積荷作業を途中で打ち切ったため、吃水が浅くなったのが幸いしたのでは…とも言われているそうなんですが、ともあれフネ自体の性能はともかく、もって生まれた強運は大したものであったようで
無題Name名無し 21/08/20(金)19:09:46 No.36020
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/34565.htm
また森艦長曰く、
「向日丸は魚雷回避(略)をやりながらも、乗組員は甲板に積んであったパッチボードを投げてくれる(略)敵機18機と交戦しながらも、我々遭難者のため、あれだけの板を投げ込んでくれた。これぞ海員魂と感激した」
…そうなんですが、やがて「向日丸」船上に救出された森艦長に対し、同船長西豊さんは
「貴艦は向日丸の犠牲となってやられた。艦長の納得のいくまで生存者の救助をします。見ていて下さい」
…と告げたそうです
「第82号海防艦」の戦死者は117名の多数に上ったそうなんですが、それでも93名の方々が救助されて生還し得たのも、やはり「向日丸」の強運のおかげということなんでしょかねえ
コメント
握りつぶされてはいないな
ソ連参戦の兆候があるから外務省なんとかしろって話になって、外務省がそれならついでにソ連仲介で講和交渉してもよろしいか?という流れ
小野寺駐在武官が
ポーランド諜報機関から情報を得て
日本本国へ報告しています。
外務省へは講和交渉を依頼していますが、
前述の情報を伏せたまま。
だったかと思います。
「大部隊での突破は不可能」と日本軍が考えていた国境地帯のタイガを、ソ連軍は戦車と工兵を多数投入し時間は掛かったが突破に成功。
ソ連軍は8月15日までに国境から100~150kmまで前進し、牡丹江周辺で日本軍と激戦を展開する。
8月15日に日本軍は停戦を命じられるが、どのみち日本軍は崩壊していたと思う。
・満州西部
ソ連軍の機械化部隊がひたすら東進しており、ソ連軍を食い止める戦力は日本軍に無かった。
ソ連軍では日本軍よりも燃料不足の方が問題になっており、8月15日の時点で国境から200km程度(白城市周辺)しか進めなかった。
反撃できる戦力が日本軍に無かったので、そのまま東進されて、満州中央部で日本軍は包囲殲滅されていたと思う。
結論はどう頑張っても日本軍は包囲殲滅されて終わりですな。
複数筋から情報は入っていて、ソ連駐在大使からも報告来てる
情報隠したというか都合の悪い事から目を背けてただけだと思う
白系ロシアの浅野部隊はスパイだらけで機能しなかったという
へたに満州事変なぞ起こさず素直に満州は協商で入植、朝鮮を防衛ラインとしていれば日中戦争、太平洋戦争と似たような流れになっても大陸側の日本人の被害は抑えられたかも
お隣さんソ連同格なの草
お隣さんなにしてもうたん……?
日ソ戦の主題からははずれるけど、大連などの租借は張学良側に返して、満鉄は株式を何パーセントは中国側に譲渡して、かつアメリカ資本も導入して共同経営でもよかったかもね。もともと張学良の軍とソ連軍は軍事衝突起こすくらいだったし。
満鉄並行線にしても日本側は神経を尖らせるような路線でもないし、こちらも資本と技術提携で配当を貰うとかやりようはあったと思う。
ソ連兵の主人公一向は、散発的だが激しい日本軍の抵抗(自爆攻撃含む)を排除する以外は、ラリーみたいにひたすら地平線しかない野原をトラックで走るばかりで、そんな長距離侵攻に備えてトラックに飲料水のトレーラーが繋いであったのが、日本兵の捕虜がこっそりバルブを開いて水を抜いてしまい、部隊の飲み水がなくなって川を探したり、最後に虎頭要塞みたいな変な大砲が生えた日本軍の要塞と対決したりするという話。
ただこの映画、作品的には珍作や怪作と言われる類いの代物で、作中に突っ込み所が非常に目立つ(日本兵役の人の日本語が男塾の田沢の英語並みに怪しいとか、一瞬だけ出てくるチハ?が何とかしてチハに見せようとしたけどやっぱり失敗したT-34にしか見えないとか、ラストの日本軍の要塞の主砲が何故かベルト給弾だとか…)残念ところも多い作品なので、その辺は留意されたし。
個人的には、中盤で主人公たちが満人の集落を解放した時に、そこのおばちゃんがお礼を述べるシーンがあるんだけど、このおばちゃん(明らかに俳優じゃなくてその辺の人…)がどう見てもカンペ見てしゃべってる上に、おばちゃんが直立不動でセリフを棒読みしながら、脇でキョロキョロしてる息子らしい子供をペシペシとはたいている姿は、3周くらいしてむしろ「旗を振れヤポンスキー」的な生々しさがあって好き(苦笑)。
「虎頭要塞日本側研究センター」のホームページを一読あれ
検証において政治的中立を保つことの信念が感じられる。
ソ連仲介の話を最初に持ち出したのは陸軍だったはず
関特演で独ソ戦に乗じてソ連を背後から攻撃しようとしたことは陸軍の記憶から消え失せてたようだ
私もその映画見た記憶が、スターリン2型が出てくる映画ですよね。
個人的にはインテリソ連兵(学徒出陣的な?)が日本文学専攻で短歌と戦車を掛けたセリフがあったのが記憶に(ロシア語だとどっちもタンカらしい。
「年寄りが肉を食うのは体に悪い」と言って、食わせなかったという話ワニ。なお、祖母ちゃんが亡くなった後、鬼嫁はすぐに祖母ちゃん家を更地にしたワニ。
この映画捕虜になった日本兵がめちゃくちゃカタコトなのにソ連兵の俳句(だったかな)はめちゃくちゃ流暢で笑った思い出。
今思うと朝鮮からの徴兵設定とかだったのかもしれない。
ソ連を講和の仲介役に、と最も積極的に推進したのは確かに陸軍だね。
単独不講和協定の影響もあって、日本政府内で終戦工作が本格的に討議されたのは、独降伏後の昭和20年5月中旬以降だったんだが、外相はヤルタ会談後のソ連の動向から既に同国が連合国に取り込まれた可能性を疑い、ソ連仲介による講和は時機を逸しているとして、むしろ反対している。
ただそれに対して、ソ連の対日参戦を防止するための工作がどの道必要となるのであれば、それに止まらず好意的態度を引き出す工作や、さらには講和工作を試してみてもよかろうとの意見が陸海相や首相から出されている。
カイロ宣言で提示された無条件降伏の回避が、上の時期の日本が採りうる終戦構想の要件であり、それを連合国側に呑ませるだけの影響力を持つ中立国があるとすれば、それはソ連をおいて他にないという点には外相も同意していたので、第一にソ連の参戦防止、第二にソ連の好意的態度の誘致、そして第三に講和の仲介、こうした目標で対ソ工作の方針が決定されている。
しかし、第三の目標でソ連を動かすには相当な条件を提示しなければならないが、その条件面の討議で譲歩が過ぎると陸軍が強硬に反対したため、結局第三目標は棚上げされることになる。
陸軍さあ・・・
ドイツ降伏後に鉄道1線だけで大軍を東に取って返す・・・
なんか面白そうですないい本あったら紹介してほしい
ノルマンディーの方も含めて、お願いします。
日ソ戦の言説見てると"善戦"って言葉は本当に便利だと思う
戦争自体は抵抗する間もなくボロボロに負けても局所で瞬発的な抵抗見せたら互角に戦ったかのように見せかけられるんだなって
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