無題Name名無し21/06/19(土)02:48:34 No.523651

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戦中戦後の食べ物が不足していた時代って
海で魚を釣っちゃいけなかったんでしょうかね?
大人は忙しかったでしょうが、子供に釣りをさせればいいのでは。
疎開先の田舎で「芋やかぼちゃしか食べるのが無かった」と聞きますが
田舎なら川にも魚がたくさんいるのでは。


無題Name名無し 21/06/19(土)02:57:52 No.523652
あー、戦争って体験しないと理解できないんだなと思い、出しゃばって書きます。戦後の食糧難で苦しんだのは米軍機の都市焦土作戦によって灰燼と化した日本全国の大都市とその周辺部に住んでいた人々です。戦争が終わって、トタン板と焼け残りの柱で掘っ立て小屋を建てて暮らし、職探しに奔走していて悠長に魚取りなど出来るわけがありません。やったところで、シロウトはボラや小魚が数匹釣れる程度で電車賃にもなりません。一方、農漁村部の住民は食料に関する限り特に不自由はありませんでした。

無題
Name名無し 21/06/19(土)03:12:20 No.523654
あ、最初のレスはコピペね
実際どうだったかは知らん

無題
Name名無し 21/06/19(土)03:09:00 No.523653
俺のばっちゃは農家だったから食料に困ったことは一度もなかったといっとったわ
都会に送るための農作物がだぶついてたんだから
かえって食い物が余る状況にもなったのかもな

無題
Name名無し 21/06/19(土)03:33:29 No.523655
飢えていたのは都市部だけだったというのはなるほど説得力あります。

>シロウトはボラや小魚が数匹釣れる程度で電車賃にもなりません

素人だろうが子供だろうがちょっとした釣りの基本だけ知ってれば家族の食事になるくらいの魚は釣れると思いますが
貝など採ることだってできますよね
ボラは食べてもうまくないですが腹の足しや栄養にはなるでしょう

無題
Name名無し 21/06/19(土)03:50:02 No.523656
うちの父は島の出身だったのでしょっちゅうやってたみたい
たまにイルカ(スナメリか?)が寄って来るのがちょうどキモかったらしい

無題
Name名無し 21/06/19(土)05:40:31 No.523657
漁師の娘だった祖母「戦時中も魚食い放題」
満洲にいた大叔父「ビフテキ食ってた」
京都にいた大叔父「戦争末期は苦しかった」
フィリピンへ出征していた祖父「食い物がなかった」

無題
Name名無し 21/06/21(月)13:54:19 No.523812
>満洲にいた大叔父「ビフテキ食ってた」
ばあちゃんによるとじいちゃんが国策会社で働き、きれいな家に住んで。中国人のお手伝いさんを雇っていたそうだけど。
大連ではロシア人のメイドさんがいたそうだ。

無題
Name名無し 21/06/19(土)06:19:36 No.523658
戦争で輸送機関(日本だと鉄道網と船舶運航)に支障をきたしたので、満州・漁村・農村が食糧を生産できても、都市部や遠征部隊に行き届かなかったのでしょうね。
むろん、生産量そのものも下がっていたとは思うけど。

ソビエトでも鉄道網の混乱が原因で、供給量は充分でも食糧難になっていたとか。

無題
Name名無し 21/06/19(土)06:19:47 No.523659
>子供に釣りをさせればいいのでは。

魚は穫っていたよ。
ただ田舎の小さい河川では学童疎開で大量に集中した学童や元からの住民を支えきれないので数週間に1食の補助食料だし、海魚はすぐに腐るので徒歩圏内の子供しか利用できない。(戦局悪化の燃料統制で製氷機が動かせないので、例え本職の漁師と漁船とその燃料を確保しても、一部の干魚以外は腐るので自分の街でしか消費できない)
そのおばあちゃんの体験のように、子供の体力·機動力で全国何処でも確実に手に入れられて腐らない食べ物になるとカボチャやジャガイモと言った根菜類の栽培に自然となるのよ。

無題
Name名無し 21/06/19(土)23:19:01 No.523697
>腐らない食べ物になるとカボチャやジャガイモと言った根菜類の栽培に自然となるのよ。
サツマイモといい南米原産の野菜は良い仕事するなと…
逆にこれらがもしなかったら完全に積んでいたんだろな…
あとどれも低温貯蔵だと痛んでダメになるリスクが乾燥保存できる穀物より高いし
(澱粉とかにすれば良いけどそれはそれで手間かかるし)

無題
Name名無し 21/06/19(土)16:19:06 No.523677
親父の話だと戦中・戦後と魚とかはとってたそうだが
案の定というか子供一人でとれる量なんかたかが知れてて圧倒的に物量が足らなかったそうだ
ただ潮の満ち引きを利用した罠は結構な量が確保できてたが
あっち系の人が因縁つけてきて全部持ってかれたそうだ
あと実家じゃ米も普通に余ってたそうだが都心部への輸送手段が貧弱っちゅうか破壊されてて届かなかなかったのも食糧難の要因だったとか

無題
Name名無し 21/06/19(土)19:20:32 No.523682
農地改革が始まる前は全農地のうち小作地が5割近くあったから、農村と言っても小作農だとコメに不自由してたところもあるんじゃないか?
1945年のコメの作況指数は史上最低だし(タイ米を輸入する羽目になった1993年より悪い数字)

無題
Name名無し 21/06/19(土)19:22:15 No.523683
俺の曾祖父は農家と高利貸しを兼業してたらしい

食事は有り余っていたし、都会から食糧をねだりに来た人々に対して、色々エグい事をしてたらしい
戦争末期になればなるほど、それはもう美味しい思いをしたそうだ

その後、GHQによる農地改革の影響で地権は削られたけど、高利貸しによって蓄えた資産を投じて東京の一等地を購入して不動産業を営み、戦後も悠々自適に暮らしたらしい
その息子たち(俺の叔父にあたる)は今もなお定職に就かず、不労所得で暮らしてるそうだ

なぜ俺に恩恵が無いのか…

無題
Name名無し 21/06/19(土)20:31:45 No.523685
爆撃と機雷で流通機構が壊れてしまった
だから余ってる所は余って、足らんところは足らなかった

無題
Name名無し 21/06/19(土)21:33:11 No.523688
お米がなければお魚を食べればいいじゃない的な?
そんな適当な手段で生きていけたらみんなやってるって

無題
Name名無し 21/06/19(土)22:10:07 No.523691
曽祖父は漁業の浜師(水産物の相場師)と農業の兼業、親類は置屋などで財を成し、戦争中・戦後は比較的裕福な一族だった
ちなみに一力一家の若衆だった
その後、台風で畜養していたものが流されて、一気に凋落した
私は本家筋の長男だが、普通の勤め人をしていて過去の一族の栄光はない
母親は戦後の苦しい時期に学校へ通っていたが、芋・麦飯が当たり前の中で銀シャリを弁当にして、おかずも多かったらしい
戦中戦後だろうが、あるところにはあったんだねぇ

無題
Name名無し 21/06/19(土)23:05:00 No.523696
今日レポート書くために祖父母に話を聞いた私にタイムリーなスレ
祖父の家は新潟の農家だったので肉や魚はなかなか食えなかったが、飢えることはなかったそうだ
祖母も新潟だが小学校に弁当を持ってこれず同級生のものを盗んで食べたり栄養失調でなくなったりする子もいたと言う

無題
Name名無し 21/06/19(土)23:37:45 No.523700
塩が手に入らなくて浜辺で鉄板焼いて作ったとおかん(実家は小作を抱えてた豪農)は言ってた。
あと魚は漁村に米と野菜を持ってけば喜んで物々交換に応じてくれたそう。
(お互い現金取引より率が良かったかららしい)

無題
Name名無し 21/06/20(日)00:18:42 No.523708
あまり知られていないけど
戦前のコメ収穫量は約1000万トンだったけど
終戦の昭和20年は582万トンまで落ち込む
ピーク時でも内地での生産分では足りず台湾や朝鮮からコメを輸送していた
終戦後輸送インフラの潰滅と外地からの引き上げもあって極端な食糧不足に陥る
当時政府ではこのままだと1000万人の餓死者が出ると真っ青になってGHQに泣きついた

無題
Name名無し 21/06/20(日)01:13:17 No.523710
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戦前も昭和に入ると穀物自給率は100%切って中国大陸に依存し始めるからな
直接の食べ物のみならず大豆カスみたいな肥料も同様で
昭和21~22年はこれの途絶に加え天候不順からくる凶作まで起こる始末

無題
Name名無し 21/06/20(日)03:09:25 No.523716
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ガダルカナル島などではどうだったんでしょうか。
魚を釣ったり貝を採ったりできなかったんでしょうか。
海は敵に発見されやすいので近づけなかったとも言えますが、
ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。
銃を使ってよければさらに鳥は取りやすくなると思いますが。
銃はやっぱりだめ?

無題
Name名無し 21/06/20(日)06:10:41 No.523722
>ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。
ガ島での戦死者は約20,000人で、そのうち餓死者は10,000人以上と言われている
この10,000人の食料を野鳥や海岸で取れる魚で賄えると?

無題
Name名無し 21/06/20(日)03:36:00 No.523721
養鶏もできない環境では、鳥猟で得られる肉の量など労力と釣り合わない
餓島じゃないけど、ウェーククイナみたいに飛べない鳥は海軍陸戦隊が絶滅するまで食い尽くしているし
飢餓のメレヨンではヘビやトカゲまで姿を消したとか

無題
Name名無し 21/06/20(日)09:31:13 No.523728
>ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。
インパール作戦を強行した牟田口将軍もそういってろくな補給も与えずガ島に並ぶ悲劇を作りましたな
無題Name名無し 21/06/21(月)16:53:28 IP:126.243.*(bbtec.net)No.523819+
>インパール作戦を強行した牟田口将軍もそういってろくな補給も与えずガ島に並ぶ悲劇を作りましたな
俗に行軍5日で米が無くなり、1週間で調味料が無くなり、10日で塩も無くなり
山岳地帯で運搬に不向きの水牛も食うために潰し

無題
Name名無し 21/06/20(日)12:15:18 No.523735
ジャングルに食べ物が豊富と思うのが勘違いなのでは
主食がないからむしろ食べ物がほとんどないのでは?
一ヶ月現地調達のみで自活してみろと言われたら、ガリガリになっちゃうのは想像に難くない

無題
Name名無し 21/06/20(日)14:06:40 No.523742
栄養事情が悪くなると疾病が追い打ちをかけるから
加速度的に状況が悪化する。
食料調達も敵の状況で大きく制限されるだろうし
飛行場とか固定施設を維持できる程度には支配していないと
畑で作物とか育てられんよね。

無題
Name名無し 21/06/20(日)14:24:54 No.523744
「古来、大和民族は草食民族である」
「ジャングルには植物がいくらでもあるので食べ物に困ることはないのである」
「大丈夫! わたしには神様がついている」

無題
Name名無し 21/06/21(月)14:01:15 No.523813
>「古来、大和民族は草食民族である」
米とか大豆は野草ではない
>「ジャングルには植物がいくらでもあるので食べ物に困ることはないのである」
毒蛇やマラリア蚊もたくさん
>「大丈夫! わたしには神様がついている」
八百万の神の内。死神しかいない

無題
Name名無し 21/06/20(日)15:25:23 No.523746
戦後うちのじいちゃんは田舎から送られる食材で労働者向けの中華屋始めて、復興需要で儲けてた
闇市で余剰食料の売買してたから、ばあちゃんが近所や孤児院にお裾分けできる程に困ってなかったらしい

無題
Name名無し 21/06/20(日)17:23:39 No.523757
ナワバリあるからヨソ者が勝手に釣りや山菜取りなんぞしたら
現地人からボコスカに殴られるかと・・・

無題
Name名無し 21/06/20(日)20:03:10 No.523768
http://may.2chan.net/39/src/1624186990621.jpg
IJA第2師団第1野戦病院所属の軍医だった長谷川英夫さんという方の手記によると、ガダルカナル島の密林は

「いわゆるジャングルという日本人のつかうニュアンスとおよそかけはなれて存在している(略)強いていえば、『地球上において生物が棲息し得ない空間であり、悪気流の充満する地帯』とでもいうべきであろうが、それでもいい尽くしているいるとは思わない」

…ものであったそうです

具体的には、密林内はまず樹木や蔦草などが密生していて、そもそも人が通行する余隙が無いのが普通で、地形も平坦でなく急峻な坂や渓谷がいたる所にあり、降雨が多いため湿地帯も多数、人跡未踏の森林内には倒れた巨木が放置されるままになって障害物となっていたんですとか

無題
Name名無し 21/06/20(日)20:09:38 No.523769
http://may.2chan.net/39/src/1624187378169.jpg
また、第230聯隊第1大隊の第4中隊長だった、川口五朗軍曹大尉によると

「まあジャングルってのは、地面といったって、普通の土じゃねえんですよ。日本内地の山みてえな生やさしいもんじゃない(略)何万年てえ以前からの落葉や枯木が横たわっているもんですからね。ジメジメしめっぽいんですよ。いや、しめっぽいどころか、沼みてえなところがあるんですよ(略)ズブズブとね、入ってっちゃうんですよね」

…とのことで、まず狩猟にしろ採集にしろ、密林の中を獲物を探して徘徊する事自体が、非常に困難な環境だったみたいですねえ

それでも補給を絶たれた日本側では、否応なく現地での食糧採集を余儀なくされたわけなんですが、第2師団経理部の主計中尉だった鈴木信道さんという方によると

無題
Name名無し 21/06/20(日)20:11:42 No.523770
http://may.2chan.net/39/src/1624187502468.jpg
「ガ島の後半戦は(略)皆もう毎日、朝から血眼になって食糧探しをやった(略)終日、食うもんおちとらんかと歩き回っている」

「どんなもん食ったかといいますとね。まず椰子の樹の下にね、ちょろちょろ出没しておる蟹(略)それから、木の実(略)しかし、なんといっても、一番お世話になったのは椰子です(略)というてもね、あれはオーストラリアかなんかの民間会社が植林して、現地人を使って栽培しとったんでね、野生じゃない(略)もしガ島に椰子が生えていなかったとしたら、死者はもっとうんと増えていたでしょうな」

…そうなんですが、もう一つ、第2師団司令部経理部の見習士官だった山内七郎さんの著書「ガダルカナル」から引用させて頂くと

「椰子の実の採取に地区を決めて協定したのだが、一寸でも椰子の枝を動かすとすぐ飛行機がやってきた」

無題
Name名無し 21/06/20(日)20:13:00 No.523771
1624187580884

「(※海岸では)海水を汲み蟹をとるのだが、蟹はまたたく間にとりつくした。また海岸には海岸のマイナスがあったのである。屍臭といたる所に垂れながす糞便のため、蠅が無数に殖え爆弾であけられた赤土穴には、スコールが溜りぼうふらの温床となった。マラリアは風土病と重なり飢餓に苛まれた身体をどしどし斃していった」

…んですとか

結局のところ、正規の糧秣の補給を絶たれるほど敵の優勢な状況下で、行動しやすい海岸や海上での漁労はまず無理、また移動自体困難な密林内では、狩猟したり獲物を運搬することが困難な上、食用となる動植物の量も十分でなくその栄養価も労力に対して満足できるものでない、更に湿地の多いジャングル内は、致命的な風土病を媒介する蚊やダニが待ち構える猖獗地帯…とくるわけですから、「ジャングル内で食糧採集生活!」は文字通り机上の空論といいますか、実際にガ島その他で無数の餓死含む戦病死者が生じたのも、当然だったというハナシになるんでしょうか…

無題
Name名無し 21/06/20(日)21:02:32 No.523775
そもそも何が食えて何がダメなのか知ってないとな…
貝なんて時期によっては毒持ってたりするし

無題
Name名無し 21/06/20(日)21:16:06 No.523779
南方でもラバウルなんかは占領期間が長く農作ができる土地も広いから自給自足できてたとは聞くね

無題
Name名無し 21/06/21(月)15:21:47 No.523815
>南方でもラバウルなんかは占領期間が長く農作ができる土地も広いから自給自足できてたとは聞くね
人類の歴史を紐解けば採取狩猟時代から農業家畜の発明で食料が大量に安定供給できるようになって一気に人口が伸びたのよね
死んだ爺ちゃんも植物の根っこを食って何とか生きながらえたって言ってたなぁ

無題
Name名無し 21/06/21(月)18:13:05 No.523822
ガダルはエスペラントやタサファロングまではそこそこ物資が来てたけど、それをジャングルの中担いで前線まで運ぶのがしんどかったみたいだね。
かと言って陣地放棄して撤退したら、米軍に包囲殲滅される。
ガダルで捕虜になった人がアメリカの収容所で毎日米の飯が出るもんだから「どこの米?」って訊いたら「ガダルの鹵獲品」って言われて「??」ってなった話も。

無題
Name名無し 21/06/22(火)21:12:35 No.523881
>魚を釣ったり貝を採ったりできなかったんでしょうか。
祖父はパラオへ出征したようなのですが、鯵を(どのような方法かは不明)大量に獲ってドラム缶で煮たものを連日食べていたらしく、「それで鯵が嫌いになって」以後食べなかったと言ってました。

無題
Name名無し 21/06/22(火)21:22:56 No.523882
爆雷の衝撃波で魚を失神させて浮かんできたところを一網打尽、なんて魚の獲り方もあったそうな
対潜哨戒と称して駆潜艇か何かで本業が漁業の人がうまくやっていたかもですね

無題
Name名無し 21/06/22(火)23:09:53 No.523891
都市部の話なら学童は疎開できるが
成人は防空法のせいで消火活動しないといけないから疎開しにくい

無題
Name名無し 21/06/23(水)10:07:03 No.523908
http://may.2chan.net/39/src/1624410423355.jpg
>芋やかぼちゃしか食べるのが無かった

本当になかったのかわからない。。
ま、ララさんが助けてくれたんでしょ?
自分で壊しておいて。。助けてるなんて・・ひどい

無題
Name名無し 21/06/23(水)10:31:44 No.523909
ララ物資の脱脂粉乳というのは食べ物が無かったあの時代でも誰も飲めなくて
飲めと指導すべき教師自身も飲めなかったから捨てるのを黙認せざるを得ず
昼時の学校周囲のドブ川が真っ白になったと言うのは昭和8年生まれの老母の言

無題
Name名無し 21/06/23(水)13:25:11 No.523918
http://may.2chan.net/39/src/1624422311120.jpg
>ま、ララさんが助けてくれたんでしょ?


何だその謎のインド人ぽいのは

ララさんといえばこっちでは…?

無題
Name名無し 21/06/25(金)17:35:46 No.523999
>何だその謎のインド人ぽいのは
そりゃ、四十代以上のアイドルのララア・スンさん
>ララさんといえばこっちでは…?
三十代以下のアイドルです。
引用元:http://may.2chan.net/39/res/523651.htm