無題Name名無し21/06/12(土)08:49:04 No.29430
大戦期の戦車の製造ってどうしてたの
重すぎてベルトコンベアとか使えないしパーツ数も多いし作らせるの大変そう
無題Name名無し 21/06/12(土)10:19:50 No.29435
http://cgi.2chan.net/f/src/1623460790645.jpg
M4戦車製造ラインでググったらこんなものが
無題Name名無し 21/06/12(土)10:20:44 No.29436
こんなものや
無題Name名無し 21/06/12(土)10:23:00 No.29437
http://cgi.2chan.net/f/src/1623460980145.jpg
車体工程
無題Name名無し 21/06/12(土)10:24:04 No.29438
http://cgi.2chan.net/f/src/1623461044528.jpg
クレーンによる砲塔組み合わせ
詳しい方の降臨行きたいですね
無題Name名無し 21/06/12(土)21:15:26 No.29474
>クレーンによる砲塔組み合わせ
手前に台車が写っているけど車輪がつく前の胴体はこれに乗ってレール上を動いたのかも
無題Name名無し 21/06/12(土)13:51:30 No.29458
日本
無題Name名無し 21/06/12(土)21:10:47 No.29472
>日本
思ったより近代的で安心した。
無題Name名無し 21/06/12(土)14:43:32 No.29460
艦船建造ドックのような天井クレーンが
生産ライン両端に高架されたレール上を走って重量物を自在に動かせるようになっとる
工場写真にはほぼ必ずレール支える鉄骨の列柱があるはず
車体は足回りさえできてれば牽引でもライン上を前進させられるだろうけど
無題Name名無し 21/06/12(土)21:22:15 No.29475
>No.29460
同じ画像は無かったけど、いい資料サイトがあった
PzKpfw I - pierwszy czołg III Rzeszy - SmartAge.pl
https://www.smartage.pl/pzkpfw-i-pierwszy-czolg-iii-rzeszy/
無題Name名無し 21/06/12(土)21:39:53 No.29477
人間との対比で見るとM4やT-34に比べ日本の戦車は小さいね
当時の日本人の体格を考えるとなおさら
無題Name名無し 21/06/12(土)23:43:38 No.29482
重量物で火工品やクレーン作業だから嫌な事故が多かったりしそう…
無題Name名無し 21/06/13(日)02:06:47 No.29491
>重量物で火工品やクレーン作業だから嫌な事故が多かったりしそう…
80年前でしかも戦時中...
無題Name名無し 21/06/12(土)23:48:49 No.29484
無題Name名無し 21/06/13(日)01:15:11 No.29487
>No.29484
アリゲーターあたりの車台かな
メリケンでもこういう雑な事故あるんだな
無題Name名無し 21/06/13(日)07:16:53 No.29495
http://cgi.2chan.net/f/src/1623536213094.jpg
何輌分の未組み立てマウスがあったのか
無題Name名無し 21/06/13(日)07:20:10 No.29496
英米は縦流し
独は横流し
無題Name名無し 21/06/13(日)07:22:04 No.29497
イギリスしゅごい
無題Name名無し 21/06/13(日)07:37:38 No.29499
アメリカはボールドウィンやアルコといった機関車メーカーに戦車生産させてるな
蒸気機関車にくらべりゃ戦車なんて小さいものだったんだろう
無題Name名無し 21/06/13(日)09:58:16 No.29506
>独は横流し
そうか…ドイツは生産段階でそんな腐敗が横行していたから勝てなかったんだなっt(略)
「ティーガー」戦車なんかはいっぱい生産工場の写真が残ってますけれど、やっぱり車台は移動用の架台に載せてレールの上をゴロゴロしてく形式だったみたいですね
無題Name名無し 21/06/13(日)10:06:32 No.29508
因みに1「ティーガー」戦車(ヘンシェル社の方)は第1回から月産生産予定数は100両とされた他、まだ1両の在庫もなく、試運転すら行われ隊内売りから、最終的に予備部品追加も含めおよそ1300両分を連続生産するものと定めて、資材および生産設備が発注されたそうです
無題Name名無し 21/06/13(日)10:13:26 No.29509
ただ、実戦化を急いだ結果、生産性という面ではいくらか問題を残したままの生産開始になってしまったそうで、1945年2月付の工学博士エルヴィン・アデルス=サンの報告によると
「細かな修整事項をかなり残したままで初っ端から連続生産に入ってしまったため、製造に携わる者達には一致団結した慎重な共同作業が、必要欠くべからざるものとされた(略)幾多の要望が満たされぬままに残った」
無題Name名無し 21/06/13(日)10:24:08 No.29510
「アメリカのみならず、ソ連でも行われているであろう戦車の大量生産様式を配慮して製造方法の根本的改修を実施したならば、実際に(※『ティーガー』の生産開始までに)要した9ヵ月の代わりに、凡そ24から30ヵ月を必要としたことであろう」
…とのことで、「ティーガー」の生産ラインは、効率という面ではやや理想より遠く、多くのマンパワーを必要とするというか、技師さん達や職場長、機械工さんたちの熟練した共同作業が不可欠というか、「過大な労力と過度の労働」により、間に合わされた戦車であったということのようです(棒)
無題Name名無し 21/06/13(日)10:31:40 No.29511
またアデルス=サンによると
「製造の許可を得るには、陸軍技術事務局において、既存の規定または慣習による全設計図の審査を受けなえばならなかった(略)製造に入ってからもなお、工場内における打合せが延々と続けられた」
「本来、各々の設計図には私の(検査による)署名が記入されて然るべきであった」
「実際、詳細に渡る検査及び承認を目的とした検図を行うには、時間は全くと言って良い程に足りなかった」
無題Name名無し 21/06/13(日)10:39:45 No.29513
「だから、主要な設計者と職場長たちが品質や信頼性等について話し合い、製図作業と同時に着実な大量生産を行っていく。この方式により、重大な過ちが起きずに済んだ」
…んですとか
要は納期に追われる中で、製品を受領する官側からの正規の審査手続きが満足にできない中でも、生産の現場ではベテラン従業員同士が阿吽の呼吸で臨機応変に作業を進めたおかげで、「ティーガー」の納品が間に合った…という事情があったとのこと
イイハナシのように聞こえるんですが、受領側が時間がないのを理由に検査をナアナアにして、現場はその場合わせで突貫作業で納期に間に合わせてヨシッ!とか、仮にかかわる人材がみな優秀でないと、いつか取り返しのつかない事態になりそうなやり方だった気もs(略)
無題Name名無し 21/06/13(日)12:10:10 No.29520
ドイツの戦車産業はマイスター制度から始まっていたので中小の工場での少量生産に向いていました
フォード式の大量生産に移行したのはシュペアーが軍需相に就任して組織の改革をしたためです
大規模な戦車工場を建設するにはそれ以前の徒弟制度との戦いがあったのです
無題Name名無し 21/06/13(日)12:54:53 No.29526
火砲や装甲板はルール周辺・エンジンは最南部のフリードリヒスハーフェン・組み立てはベルリンといった感じで全国に生産拠点が散ってて一貫生産には遠いのがつらいところ
無題Name名無し 21/06/13(日)18:15:28 No.29563
「ティーガー」戦車の生産は、ほぼカッセルのヘンシェル社工場1カ所で集中的に行われていたそうなんですが、元々は鉄道機関車の生産工場で、「ティーガー」の生産開始後も並行して機関車の生産も続けていたそうですw
ヘンシェル社自身が元々は蒸気機関車のメーカーとして出発した会社ですし、先述の方もおっしゃっておられるように、機関車の製造工程で鋼鉄のカタマリを扱うノウハウに熟練していたワザマエが期待された部分もあるそうなんですが、そうした歴史から鉄道輸送網の中心地の一つであったこともあって、ドイツ各地から運ばれてくる「ティーガー」戦車の部品の組み立て地としては適地であった、んですとか
無題Name名無し 21/06/13(日)18:18:52 No.29564
「ティーガー」の車体を構成する鋼鈑の製造は西部ドイツエッセンのクルップ社の工場で行われていたそうなんですが、実際にはカッセルのヘンシェル社工場では分厚い「ティーガー」の車体を溶接で組み上げる施設若しくは技術がなく、カッセルでの「ティーガー」の「製造」の第1工程は、鉄道で到着するクルップ社から到着する組み上げられた車体を受け取り、工場内に移動するところから始まるんだそうで、これが「Takt1」の工程
「ティーガー」戦車の生産は、ほぼカッセルのヘンシェル社工場1カ所で集中的に行われていたそうなんですが、元々は鉄道機関車の生産工場で、「ティーガー」の生産開始後も並行して機関車の生産も続けていたそうですw
「Takt2」では、車体をコンクリート床に正確に位置合わせした上で、車体側面に開けられているサスペンションアーム取り付け用の穴を、6スピンドルの水平ボーラーで精密に仕上げ(画像)続いて「Takt3」では同じくドライブスプロケット、ファイナルドライブ用の穴に精密加工が加えられるとのこと
無題Name名無し 21/06/13(日)18:20:14 No.29565
「Takt4」では垂直旋盤を備えた治具に移動された車体は、またまた精密に位置合わせされた上で、重要箇所であるターレットリングの加工を受け(画像)車体の機械加工はここで一段落だそうです
とはいえ、休む間もなく続いての「Takt5」及び「Takt6」ではサスペンション、エンジンとトランスミッションなどの様々な内部機器の取り付けがはじまり、転輪、ドライブスプロケット、履帯などが組み込まれた車体は自走可能な状態にまで仕上げられるんですとか
そして走行テストである「Takt7」で問題なしと判断されれば、いよいよ最終的な組み立て工程である「Takt8」に進んでいきます
無題Name名無し 21/06/13(日)18:21:28 No.29566
「ティーガー」の砲塔製造は同じカッセルにあったウェグマン社が行って、ご近所のヘンシェル社まで運ばれてきたそうなんですが、天井クレーンで吊り下げられた砲塔が慎重に車体に取り付けられれば、「ティーガー」の製造もほぼ終了
最後の「Takt9」では赤いプライマーと灰色のベース塗料が塗布され、後には独戦車独特のあのツィメリットコーティングもここで行われたそうです
(カモフラージュ塗装は工場では行わなかったとのこと)
無題Name名無し 21/06/13(日)18:23:05 No.29567
鉄道輸送用に一端もっとも外側の転輪を取りはずし、幅の狭い履帯に履き替えさせた58トンの「ティーガー」は、パワフルな天井クレーンで吊り上げられ、輸送用の鉄道貨車に搭載され準備完了!
後は組み立て用部品を運んでくる同じ鉄道網により、所定の地方もしくは部隊に向けてへと「出荷」されたそうです
T-34ショックから急遽開発が始まり、とにかくT-34に完勝できる戦車が急いでほしいんや…!という独陸軍の要求で完成した「ティーガー」、設備投資や資材の手配も優遇されたとは思うんですが、コレだけの設備と大量の人員(およそ8千名が12時間2交代だったとか)を管理しての工場運営は、いくらヘンシェル社が蒸気機関車製造の老舗であったとはいえ、やはり色々大変であったんではないですかしら…
無題Name名無し 21/06/13(日)21:00:41 No.29591
http://cgi.2chan.net/f/src/1623585641919.jpg
ドイツ戦車1両辺りの製造コスト
シャーマン3両対タイガー1両ならコスト的にもいい勝負か
タイガーⅡ1両はさすがにすごいコストだ・・・
補充に虎Ⅱが1両来るよりパンター5両のほうが嬉しいかも(笑)」
無題Name名無し 21/06/13(日)22:11:55 No.29602
>いつか取り返しのつかない事態になりそうなやり方だった気もs(略)
どこかの戦闘機みたく首無しや具の足りないタイガーを生んじゃいそう…
貴重な鋼鉄や燃料に油・血・時間は戻って来ない…
>ヘンシェル社自身が元々は蒸気機関車のメーカーとして出発した会社ですし
戦車も軌道だしなぁ…と
レールが敷いてあるかクローラーで敷いていくかの大きな違いは有るけど
無題Name名無し 21/06/13(日)22:29:28 No.29606
ドイツは機関車みたいな民生品にも早くから溶接の大々的な導入をした結果
検査体制やそのためのレントゲン設備が充実してたのも生産性に貢献してるだろう
無題Name名無し 21/06/13(日)23:13:00 No.29613
ティーガーは縦流しだけど
大型車両対応なのかな
無題Name名無し 21/06/14(月)00:52:35 No.29623
縦か横かは工程の段階や工場建屋サイズ・治具レイアウト・作る戦車のサイズといった
様々な要素によるのでは
車体作り上げる段階では回転治具も多いから次々と台車流すだけとはいきそうにない
無題Name名無し 21/06/14(月)22:22:57 No.29686
ドイツもソ連も、こんなでか物を試作じゃなく実際に運用出来てるのはスゲーわ
現地で、ドイツはこんなクレーンも使用しててプラモにもなってるみたいだが
レンドリースで援助されてたソ連もいっちょ前にT-34用に似たようなクレーン使ってのかな?
無題Name名無し 21/06/14(月)23:17:03 No.29707
ドイツは操縦性とった結果前方に配置したトランスミッション抜くのに
砲塔取り去ってリング孔使わねばならず野戦整備も大がかりだけども
赤軍は操縦士を犠牲にした結果後部にまとめられてすでにパワーパック風なので
引っこ抜くのがかなり楽で整備機材もそう大げさでなくていいはず
無題Name名無し 21/06/15(火)05:58:38 No.29725
>すでにパワーパック風なので
>引っこ抜くのがかなり楽で整備機材もそう大げさでなくていいはず
あちゃードイツは 完璧主義者で壊れない前提で作ってたのかな?
そも野戦整備で砲塔外して何やってんのかと思っていたが
ミッション交換してたんかw
無題Name名無し 21/06/14(月)23:25:05 No.29710
http://cgi.2chan.net/f/src/1623680705785.jpg
ミッション入れるのもこのめんどくささがドイツよのぉ。
無題Name名無し 21/06/15(火)05:25:35 No.29724
M4用トランスミッションを載せた代車の高さが絶妙ですね
無題Name名無し 21/06/15(火)06:09:49 No.29726
ドイツ軍に夢見過ぎだよ
無題Name名無し 21/06/15(火)10:30:28 No.29733
ドイツ戦車は戦車隊指揮官の要求で作られ、
ソ連戦車は地上軍指揮官の要求で作られ、
アメリカ戦車はアメリカ政府の要求で作られた。
WW2の戦車開発はこんなイメージだわ
(ドイツは戦車の使い勝手を重視し、ソ連は戦線突破兵器としての戦術機動性(機械的信頼性含む)重視、アメリカは大洋を渡って展開しないといけないので
総合的な観点からのロジスティクス性重視)
無題Name名無し 21/06/15(火)12:49:58 No.29738
ドイツは戦車の使い方を電撃戦として規定して乗員の訓練のができたので使い方が明確だった
ドイツ戦車が兵器として洗練されているのは周到な準備をしたからだ
ソビエトは他国の技術を吸収する段階から抜け出ていなかったので戦争中に使い方の修正をした
それで乗員への配慮は二の次になってしまう
アメリカは車両としての使い方はモータリゼーションで行き届いていたが戦術としては稚拙だった
そこで数に物を言わせて全戦線で推し進めるスチームローラー戦術をとった
無題Name名無し 21/06/15(火)13:14:19 No.29739
>ドイツ戦車は戦車隊指揮官の要求で作られ、
>ソ連戦車は地上軍指揮官の要求で作られ、
>アメリカ戦車はアメリカ政府の要求で作られた。
に、日本は・・
無題Name名無し 21/06/15(火)13:54:44 No.29742
>に、日本は・・
敵機関銃陣地を潰したい歩兵の要求で作られた
(この用途だけを考えるなら必要十分な戦車なんですよホント)
>ドイツは戦車の使い方を電撃戦として規定して乗員の訓練のができたので使い方が明確だった
Ⅲ号Ⅳ号戦車までは同意するけどそれ以降は対仏·対ソ戦で判明した自軍戦車の性能不足を補うことに注力し過ぎて生産面を度外視、全体としての装甲戦力ではなく個々の戦車の性能に傾注し過ぎてるように感じられるよ。
自軍戦車の性能不足や使い勝手の悪さを承知しながらも、目の前の改良より生産ラインを止めないこと、とにかく前線に戦車を供給することを優先した米ソに比べたら、やはり戦車隊指揮官が作った戦車って感想だわ
無題Name名無し 21/06/16(水)01:04:01 No.29795
>とにかく前線に戦車を供給することを優先した米ソに比べたら
量で対抗できないから質で勝負して結局ジリ貧という、割とある話なのだな・・・
虎が怖くても前線で遭遇する確率が低いからシャーマンで大丈夫やろ、と言われる戦車乗りはたまったもんじゃなかったろうが。
無題Name名無し 21/06/16(水)11:39:55 No.29817
>シャーマンで大丈夫やろ
76mm砲は戦車駆逐車に、シャーマンは75mmで十分!M26など不要!陸軍地上軍管理本部談
ラインを変更するのに1週間掛かるし、その間の生産量が・・・ってのも米に限らず色んな国に当てはまることよね
かといって75mm砲シャーマンで虎や豹には出会いたくない
無題Name名無し 21/06/16(水)13:38:43 No.29828
>かといって75mm砲シャーマンで虎や豹には出会いたくない
CASさえくれば勝てるから…
複数台で当たれば勝てるから…
無題Name名無し 21/06/16(水)12:47:36 No.29826
>Ⅲ号Ⅳ号戦車までは同意するけどそれ以降は対仏·対ソ戦で判明した自軍戦車の性能不足を補うことに注力し過ぎて生産面を度外視、全体としての装甲戦力ではなく個々の戦車の性能に傾注し過ぎてるように感じられるよ。
性能マシマシにするのはちょび髭の要求だからな…
無題Name名無し 21/06/15(火)19:12:55 No.29752
カッセルのヘンシェル社「ティーガー」工場は、額面上は月産200、または300輌以上の「ティーガー」を生産できる能力があったそうなんですが、実際には同工場での最初から最後までのおよそ25ヵ月間の製造数は1347輌、月当たりの最大生産数は104輌、平均して60から80輌というのが精々であったそうです
その理由は幾つかあったそうなんですが、一つには「ティーガー」が戦場でのユーザーである将兵さん達の要望を取り入れて、車体各部分にマイナーチェンジを加えた続けたからであった、なんてハナシも有るんですとか
(ドイツ軍以外でやらなかったわけじゃあないですケド)
無題Name名無し 21/06/15(火)19:14:41 No.29753
戦訓を採り入れて車体を改良する、というのはある意味ではもっともな対策ではありますし、また「ティーガー」の車体設計を根幹から覆すほどの大変更…というものも殆ど無かったわけではあるんですが、それでも「ティーガー」の生産中に行なわれた細部の仕様変更はざっと250ヵ所を越えたそうで、単純に計算すると、カッセル工場から出荷される虎戦車はおよそ5台ごとに異なった設計(そして工程)に変っていった、ということになるんだそうで
別の見方をすれば、工場とその生産ラインには、毎週2~3回の変更が加えられたわけで、その一つ一つは新しい操作レバー、フック、従来部品の形状変更など比較的小さいものでも、その間生産ラインは一時停止、塵も積もればというか、累積した結果が総生産量に与えた影響は、決して小さくはなかったそうです
またこうした変更の数々は「ブロック〇〇」「フライト●●」のようにまとめて管理されたわけでなく、要請が入るたびにその都度、一つ一つ対応するやり方であったのも、生産性を下げる原因であったとのこと
無題Name名無し 21/06/15(火)19:16:15 No.29754
また、カッセル工場は当時のドイツ戦車工場としては指折りの大規模なものであったそうなんですが、一方で設置されていた工作機械数およそ1千台は、アメリカ最大のデトロイト戦車工場のおよそ8千台、ソ連の「タンコグラード」、チェリャビンスク工場のおよそ6千台に比すると大幅に少ないものであったそうです
無論、車両自体の設計等がかなり異なりますから、単純に比較は出来ない部分も有るんですが、それでもシャーマン戦車が生産におよそ1万工数を要したのに対し、「ティーガー」が20万から30万工数を要し、およそ20倍から30倍も製造に手間がかかったというのは、一つにはこういう生産現場での機械加工能力の差が反映している部分もあるんだそうで
無題Name名無し 21/06/15(火)19:17:43 No.29755
因みに余談ですが、恐るべきタイガータンクのふるさとであるカッセル市は、やはり連合軍に目の敵にされていて、戦中に40回以上も爆撃されているんですとか
工場のみならず、市街(と市民さんたち)にも多大の損害が生じたそうで、コレも生産遅延の一因となったそうなんですが、それでも如何にもドイツ人らしい不屈不断の努力により、とにかく生産自体は戦争末期まで途絶えるなく続けられたそうです
1945年4月1日、ついに米国陸軍の機甲部隊が陸路カッセル市に迫って来た際にも、ヘンシェル社から最後の生産ロットの「ティーガーⅡ」十数両が工場から直接第510及び511重戦車大隊に引き渡され、出荷用の鉄道輸送用履帯のまま、或はプライマーに直接迷彩なんて姿ながら、米軍部隊と果敢に交戦、多大な損害を与えたという、GENBUNせンせいか上田信せンせいのまんがみたいな話が残されているとのこと
文字通り工場自体が敵に占領されるまで製造し続けたドイツの方々のド根性に、より効率的な生産手法が結びつかなかったのは、連合軍側にしたらやはり幸運だったということなんでしょうか…w
無題Name名無し 21/06/15(火)23:26:04 No.29791
http://cgi.2chan.net/f/src/1623767164582.jpg
M4戦車の屋外でのトランスミッション部の交換もカバーと一体化している為交換も楽そうですね
無題Name名無し 21/06/15(火)23:52:57 No.29792
ドイツの重戦車って敵に撃破されるより
燃料弾薬交換部品の不足で放棄されてるイメージ
無題Name名無し 21/06/16(水)00:07:01 No.29794
タイガー戦車は元々電撃戦の切っ先っである突破戦車として立案されたものなので
これをドイツ戦車の典型みたいに言うのはステレオタイプな物の見方ですね
戦争後半になると防御戦闘が増えてドイツ重戦車の闘い方が変化していったのは
ご存じの通りですが
無題Name名無し 21/06/16(水)03:43:00 No.29799
デトロイトのエンジン組み立て工場
組み始めと組み終わり
無題Name名無し 21/06/16(水)12:33:23 No.29822
>デトロイトのエンジン組み立て工場
>組み始めと組み終わり
めちゃ近代的
無題Name名無し 21/06/16(水)12:45:31 No.29825
フォードの工場だからな
無題Name名無し 21/06/16(水)13:17:05 No.29827
歴群の記事には、チト車の前面装甲が2段になってるのは整備の都合上で本当は一枚の傾斜装甲にしたかった的なことを書いてありましたが、日本陸軍は他国に比べそこの割り切りが足りなかったってことなんでしょうかね
無題Name名無し 21/06/16(水)14:02:34 No.29829
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/29430.htm
車体前面の傾斜一枚板は理想ではあるけども
重防御志向のKVや改良前ISですら段付きなように
前輪シャフトとドライバーを収めつつ視界確保するには段付きの方が効率はよい
パンターのように肥大化の一因になったり
T-34やシャーマンのようになかなか増厚アップデートできなかったりデメリットもある
コメント
そこから努力して逆にマザーマシンを輸出する側にしてくれたご先祖さまには頭が下がる思いやでホンマ
戦前ドイツではナチスの失業者対策で機械は人の仕事を奪うとされ、機械導入に制限がかかってた
大型鋳造設備も少なく戦車砲塔の鋳造が出来ず
大型工作機械の問題で造船面でも苦労してたらしい
単に経済政策の失敗による外貨不足で海外から購入制限したの可能性はあんのかな?
やっぱり大戦中はクルップとティッセンが製鋼から加工まで担っていたのかね
歯車の切削機械に関して、日本は最後までアメリカ頼みだったのに対して、ドイツは単純に数が足りてなかっただけなので全然事情が違いますよ。
ドイツやスイスでは工作機械の内製化は相当進んでいて、マクデブルク、クリンゲルンベルク、マーグ、エリコンといった製造メーカーがありました。ただ、これらはアメリカと比べるとだいぶ小規模だったので戦時の需要を満たせなかったのですよ。工作機械の材料は何年も屋外に晒して性状を整える「枯らし」という処理も必要で、普段から大量生産しているメーカーでないと増産に対応できない。そういう事情があったわけです。
へー、枯らさないと精度が落ちるとか?
木造船を作る前に材木を数年かけて乾燥させるみたいな理由だな
材料の鋳物は冷えて固まる過程で内部に歪みができるので、出来たてほやほやを加工すると経年でどんどん精度が出なくなるんですよ。なので自然に歪みが落ち着くまで置いておくんですね。
今は熱処理の技術が発達したので、その必要がなくなりました。
ナチスさんは負けが見えるまで総力戦体制もとってなく八時間労働に女性労働も忌避で、慢性的な労働力不足、加えて資源不足でどうにもならんという
チェコの工業力は活用したが、フランス落とした頃には勝ったと思ってしまい他はあまり活用せなんだ
III号突撃砲やヘッツァーなどはアルケット社とかなので
ここまでの拘りは無いとは思いますが。
T-34などは工場毎に少しずつ違ったりしますが、
まんま出荷されてるようですね。
プラモデルで〇〇工場製みたいなマニアックが有ります(笑)
https://mobile.twitter.com/MakotoTakaishi/status/1406049482601472003
大戦中のアメリカかソ連にも、こんな感じの設備があったんだろうか。
確か『戦車兵よもやま物語』で、戦後にやってきた進駐軍のシャーマンが故障したので、元戦車工場だった施設に持って行って、砲塔を施設の天井クレーンで吊り上げようとしたら、まだ砲塔が持ち上がってもいないのに天井がたわみだして、このままだと天井が落ちるので作業を中止したという話があったのを思い出した。
インフラがきちんとしてないと、どんな強力な装備でもまともに運用できないんだな、と兵器運用のスペック以外の部分の重要さを痛感したり。
船のクレーンではなく兵器工場ですら持ち上げることが出来ないとは・・・
チハは、いろいろ言われても日本に合った兵器なんだな。
では、あなたにはT-34ではなく、チハたんに乗ってもらいましょう。。。
機銃付きゴーカートことカルロベローチェよりかはマシ
チハは、カタログスペックで劣るにしてもジャングルでは及第点の対戦車能力持ってるし、故障率も決して高くないしで意外と良い意味で「平凡」な性能してたからな
問題は、輸送船が沈められ過ぎて現場で見られるのが運が良くて95式軽戦車とかだったこと
日本に戦前からある工場に時々入るけど、建屋の柱は古い鉄道の架線柱や橋梁のような細い鋼材を組み合わせたトラスフレームになってる。
戦後の天井クレーンを走らせるのを考慮した工場だと、No.29799のような一体構造の強固な柱だからインフラの差は確かにあるだろうね。
一番ヤバイのは開戦時大量にあった軽戦車の搭乗員かな…。ほぼ一掃されてるし。
T-34ほどの車輌をトチ狂った運用して鉄の棺桶にしたのは相当ヤバイ
そういう話でしたっけ?
ハ号やテケ車を挙げ無い貴方は優しい
ドイツでもこういうことあったんだな。
日本(三菱?)でアメリカのネジ規格を導入しようとしたら、ネジとネジ穴を職人芸で組み合わせて完成させる職人(当時の日本ではネジ穴の公差の大きさに問題あったとかでそれをカバーする職人の登場となる)に自分たちの仕事がなくなると反対されて導入断念したというネットの与太話を思い出した。
トチ狂った運用
いや状況に適合した運用でしょ。
ところでいまだにアメリカ軍に関して物量が-しかでない感はなんだかね、
もちろん物量ありきなのは否めないけど、その物量を生み出したのも戦地に送り込んだのも、補給や整備を何とかこなせたのもマネジメントあればこそなんだけど。
つい忘れがちだけどWW2のアメリカはマネジメント超先進国。
チハ(改じゃない方)はジャングルでも対戦車能力は及第点とは思えないけど。
装甲ー37ミリクラスの対戦車砲で正面すら貫通される。
主砲ー列国の37ミリ砲よりやや劣る装甲貫徹力。
米軍のM3軽戦車に苦戦したのも当然だし、同時期の米英ソ戦車相手では荷が勝ちすぎと思う。
ディ―ゼルゆえに炎上しにくいのは評価できるけど。
戦車兵の練度不足や指揮方法(機能)の問題等から「(ソ連の置かれた)状況に適合した運用」だった事は同意します。
しかし前にも書きましたが、T-34の損失率は70%以上(中戦車全体では80%)です。
ざっと8万4千両中、5万8千両以上が撃破された計算です。
これはアメリカのM4損失率10%(私個人の算出値)より遥かに高い数値です。
あとアメリカの物量に関してですが、M4の生産台数はT-34の半分程度しかありませんし、海上輸送による数的制限やトレンドリースにも前線配備数が割かれました。
結果として物量(戦線への投入数)でもソ連側の方が圧倒的に上回っています。
その分航空機は大量に投入されてますし海軍艦艇数もソ連の比じゃないですが。
このような結果になった原因は基本的に戦術/運用面の違いが大きいです。
ただしそれが間違っていた訳ではなく、戦局としては最善手であり戦略面から見ても妥当なのは結果が示す通りです。
大量に損失しても結果を勝ち取るという運用手法は間違ってはいませんが、搭乗員目線で言えば「トチ狂った運用」と取れる訳です。
間違えないで頂きたいのは「T-34には死んでも乗りたくない」理由は搭乗員からすると「トチ狂った運用」=損失を顧みないような運用手法だったからという事です。
T-34自体設計上の敵弾貫徹時の搭乗員損耗率が75%と破格に高い仕様(M4は18%)だった事も本当は理由に入るんですけど、装甲/主砲性能自体はM4よりずっと優秀でしたからね。
環境と状況がそれを許さなかったのですが、乗る側からしたら地獄だろうなと。
これはソースがどこだったか覚えてないんですけど、チハ最大の長所はジャングルに持ち込んで運用出来た事だそうで。
特に南方戦線においてイギリス駐留軍はジャングル地帯ゆえに対戦車戦を想定しておらず、日本軍が戦車を持ち込みジャングルを踏破して来た事はかなりショックだったと。
対戦車戦装備がない歩兵に対してチハは非常に効果的な車両だったと言えます。
但し、仰る通り単純に「対戦車戦」においてチハがどうだったかと言うと・・
というわけで個人的には当初の目的を達するに十分な性能を持っていた良い車両だったが、最終的に想定自体が覆るような環境の変化が原因で評価が落ちた車両という感じです。
旧日本陸軍における戦車の開発や運用、戦術研究の歴史は結構面白いのでおすすめ。
戦車黎明期にルノー持ち込む先見性の高さと、その後の判断ミスによる停滞、一念発起で返り咲きからの落日という感じがなんか凄い。(語彙力
https://www.youtube.com/watch?v=sEFseEgdVxQ&t=4s
T-34の大戦中の損失数は4万4900両なので損失率は70%を超えないと思えますが?
それマ?すまんが損失数どこに書いてました?
こちらのソースは損失数ではなく損失率しか書いて無かった物で。(故に数は手計算
・・と思ったらこっちはソースページが消えとるwwwせめてデータ元の海外サイトくらいノートしとくんだったゴメン。こっちがソース提示できんわ。
置いといて、実際T-34の損失数が44,900両だったとして総生産量比損失率が53%ですか。
どっちにせよ米軍より遥かに高い事に変わりないですね。
東部戦線の方が機甲戦が激しかった事に加えて、無線機の配備や光学機器等の品質等の問題から取れる戦術が限定されていた事もありそうです。(クルスクからして消耗戦ですし
ソ連戦車の損害が多いのは、ドイツ空軍機による爆撃、ドイツ砲兵によるものもあるでしょうね。米軍はこれらの攻撃にさらされることはほとんどない状況でしたし。
加えるなら米軍戦車はドイツ戦車との会敵率がソ連の場合よりかなり低かったと推定できます。なにせ1945年頭にはドイツ装甲師団は西部戦線にはいなった程ですし。
それに前にもどこかで書いた覚えがあるけど、M4中戦車なんかは生産数からレンドリース分をひいた数の半分しか戦場に出してないので、総生産数から損害率を割り出すとかなりおかしなことになると思われます。(しかし、主力戦車の半数が予備+訓練用って米軍凄いな)
あと強引な農業集団化と農業機械化でトラクター工場建設からの戦時の戦車生産拠点化かな。
日本陸軍の仮想敵国はソ連
戦車の対戦車能力強化にいち早く舵を切ったソ連と満州の長い国境線で対峙しながら戦車を歩兵制圧用のものという考えでずっといたのが不思議
水の調達しにくい満洲に合わせて空冷ディーゼルは選んだのに
>戦車の対戦車能力強化にいち早く舵を切ったソ連
これは45mm長砲身戦車砲の事を言いたいんだろうけど
あれはドイツ製のライセンス生産品の37mmの「榴弾の」威力が不満だったから帝政時代から計画されて来た軽歩兵砲用の45mm榴弾に合わせて大口径化したもの
じゃあなんで日本の57mmみたいな短砲身砲にならなかったのかというと対戦車砲と共通化するため
37mm長砲身対戦車砲と45mm短砲身戦車砲の2種類使うくらいなら45mm長砲身砲1種類に統一すればよくね?という思想によるもの
それ38さんへの反論になってなくない、技術やマネジメント上の都合はあったにせよ対戦車に舵きったことに間違いはないし。
今や、日本はトンネルだらけで必要無いし、対空ミサイルも容易に秘匿射撃出来る。
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