無題Name名無し21/06/12(土)08:49:04 No.29430

1623455344653


大戦期の戦車の製造ってどうしてたの
重すぎてベルトコンベアとか使えないしパーツ数も多いし作らせるの大変そう


無題Name名無し 21/06/12(土)10:19:50 No.29435
http://cgi.2chan.net/f/src/1623460790645.jpg
M4戦車製造ラインでググったらこんなものが

無題
Name名無し 21/06/12(土)10:20:44 No.29436
1623460844786

こんなものや

無題
Name名無し 21/06/12(土)10:23:00 No.29437
http://cgi.2chan.net/f/src/1623460980145.jpg

車体工程

無題
Name名無し 21/06/12(土)10:24:04 No.29438
http://cgi.2chan.net/f/src/1623461044528.jpg

クレーンによる砲塔組み合わせ

詳しい方の降臨行きたいですね

無題
Name名無し 21/06/12(土)21:15:26 No.29474
>クレーンによる砲塔組み合わせ
手前に台車が写っているけど車輪がつく前の胴体はこれに乗ってレール上を動いたのかも

無題
Name名無し 21/06/12(土)13:51:30 No.29458
1623473490531

日本

無題
Name名無し 21/06/12(土)21:10:47 No.29472
>日本
思ったより近代的で安心した。

無題
Name名無し 21/06/12(土)14:43:32 No.29460
1623476612602

艦船建造ドックのような天井クレーンが
生産ライン両端に高架されたレール上を走って重量物を自在に動かせるようになっとる
工場写真にはほぼ必ずレール支える鉄骨の列柱があるはず
車体は足回りさえできてれば牽引でもライン上を前進させられるだろうけど

無題
Name名無し 21/06/12(土)21:22:15 No.29475
>No.29460
同じ画像は無かったけど、いい資料サイトがあった
PzKpfw I - pierwszy czołg III Rzeszy - SmartAge.pl
https://www.smartage.pl/pzkpfw-i-pierwszy-czolg-iii-rzeszy/

無題
Name名無し 21/06/12(土)21:39:53 No.29477
人間との対比で見るとM4やT-34に比べ日本の戦車は小さいね
当時の日本人の体格を考えるとなおさら

無題
Name名無し 21/06/12(土)23:43:38 No.29482
重量物で火工品やクレーン作業だから嫌な事故が多かったりしそう…

無題
Name名無し 21/06/13(日)02:06:47 No.29491
>重量物で火工品やクレーン作業だから嫌な事故が多かったりしそう…
80年前でしかも戦時中...

無題
Name名無し 21/06/12(土)23:48:49 No.29484
1623509329998s

無題
Name名無し 21/06/13(日)01:15:11 No.29487
>No.29484
アリゲーターあたりの車台かな
メリケンでもこういう雑な事故あるんだな

無題
Name名無し 21/06/13(日)07:16:53 No.29495
http://cgi.2chan.net/f/src/1623536213094.jpg
何輌分の未組み立てマウスがあったのか

無題
Name名無し 21/06/13(日)07:20:10 No.29496
1623536410193

英米は縦流し
独は横流し

無題
Name名無し 21/06/13(日)07:22:04 No.29497
1623536524398

イギリスしゅごい

無題
Name名無し 21/06/13(日)07:37:38 No.29499
アメリカはボールドウィンやアルコといった機関車メーカーに戦車生産させてるな
蒸気機関車にくらべりゃ戦車なんて小さいものだったんだろう

無題
Name名無し 21/06/13(日)09:58:16 No.29506
1623545896786

>独は横流し

そうか…ドイツは生産段階でそんな腐敗が横行していたから勝てなかったんだなっt(略)

「ティーガー」戦車なんかはいっぱい生産工場の写真が残ってますけれど、やっぱり車台は移動用の架台に載せてレールの上をゴロゴロしてく形式だったみたいですね

無題
Name名無し 21/06/13(日)10:06:32 No.29508
1623546392607

因みに1「ティーガー」戦車(ヘンシェル社の方)は第1回から月産生産予定数は100両とされた他、まだ1両の在庫もなく、試運転すら行われ隊内売りから、最終的に予備部品追加も含めおよそ1300両分を連続生産するものと定めて、資材および生産設備が発注されたそうです

無題
Name名無し 21/06/13(日)10:13:26 No.29509
1623546806928

ただ、実戦化を急いだ結果、生産性という面ではいくらか問題を残したままの生産開始になってしまったそうで、1945年2月付の工学博士エルヴィン・アデルス=サンの報告によると

「細かな修整事項をかなり残したままで初っ端から連続生産に入ってしまったため、製造に携わる者達には一致団結した慎重な共同作業が、必要欠くべからざるものとされた(略)幾多の要望が満たされぬままに残った」

無題
Name名無し 21/06/13(日)10:24:08 No.29510
1623547448534

「アメリカのみならず、ソ連でも行われているであろう戦車の大量生産様式を配慮して製造方法の根本的改修を実施したならば、実際に(※『ティーガー』の生産開始までに)要した9ヵ月の代わりに、凡そ24から30ヵ月を必要としたことであろう」

…とのことで、「ティーガー」の生産ラインは、効率という面ではやや理想より遠く、多くのマンパワーを必要とするというか、技師さん達や職場長、機械工さんたちの熟練した共同作業が不可欠というか、「過大な労力と過度の労働」により、間に合わされた戦車であったということのようです(棒)

無題
Name名無し 21/06/13(日)10:31:40 No.29511
1623547900642


またアデルス=サンによると

「製造の許可を得るには、陸軍技術事務局において、既存の規定または慣習による全設計図の審査を受けなえばならなかった(略)製造に入ってからもなお、工場内における打合せが延々と続けられた」

「本来、各々の設計図には私の(検査による)署名が記入されて然るべきであった」

「実際、詳細に渡る検査及び承認を目的とした検図を行うには、時間は全くと言って良い程に足りなかった」

無題
Name名無し 21/06/13(日)10:39:45 No.29513
1623548385154

「だから、主要な設計者と職場長たちが品質や信頼性等について話し合い、製図作業と同時に着実な大量生産を行っていく。この方式により、重大な過ちが起きずに済んだ」

…んですとか

要は納期に追われる中で、製品を受領する官側からの正規の審査手続きが満足にできない中でも、生産の現場ではベテラン従業員同士が阿吽の呼吸で臨機応変に作業を進めたおかげで、「ティーガー」の納品が間に合った…という事情があったとのこと

イイハナシのように聞こえるんですが、受領側が時間がないのを理由に検査をナアナアにして、現場はその場合わせで突貫作業で納期に間に合わせてヨシッ!とか、仮にかかわる人材がみな優秀でないと、いつか取り返しのつかない事態になりそうなやり方だった気もs(略)

無題
Name名無し 21/06/13(日)12:10:10 No.29520
ドイツの戦車産業はマイスター制度から始まっていたので中小の工場での少量生産に向いていました
フォード式の大量生産に移行したのはシュペアーが軍需相に就任して組織の改革をしたためです
大規模な戦車工場を建設するにはそれ以前の徒弟制度との戦いがあったのです

無題
Name名無し 21/06/13(日)12:54:53 No.29526
1623556493305

火砲や装甲板はルール周辺・エンジンは最南部のフリードリヒスハーフェン・組み立てはベルリンといった感じで全国に生産拠点が散ってて一貫生産には遠いのがつらいところ

無題
Name名無し 21/06/13(日)18:15:28 No.29563
1623575728569

「ティーガー」戦車の生産は、ほぼカッセルのヘンシェル社工場1カ所で集中的に行われていたそうなんですが、元々は鉄道機関車の生産工場で、「ティーガー」の生産開始後も並行して機関車の生産も続けていたそうですw

ヘンシェル社自身が元々は蒸気機関車のメーカーとして出発した会社ですし、先述の方もおっしゃっておられるように、機関車の製造工程で鋼鉄のカタマリを扱うノウハウに熟練していたワザマエが期待された部分もあるそうなんですが、そうした歴史から鉄道輸送網の中心地の一つであったこともあって、ドイツ各地から運ばれてくる「ティーガー」戦車の部品の組み立て地としては適地であった、んですとか

無題
Name名無し 21/06/13(日)18:18:52 No.29564
1623575932185

「ティーガー」の車体を構成する鋼鈑の製造は西部ドイツエッセンのクルップ社の工場で行われていたそうなんですが、実際にはカッセルのヘンシェル社工場では分厚い「ティーガー」の車体を溶接で組み上げる施設若しくは技術がなく、カッセルでの「ティーガー」の「製造」の第1工程は、鉄道で到着するクルップ社から到着する組み上げられた車体を受け取り、工場内に移動するところから始まるんだそうで、これが「Takt1」の工程

「ティーガー」戦車の生産は、ほぼカッセルのヘンシェル社工場1カ所で集中的に行われていたそうなんですが、元々は鉄道機関車の生産工場で、「ティーガー」の生産開始後も並行して機関車の生産も続けていたそうですw

「Takt2」では、車体をコンクリート床に正確に位置合わせした上で、車体側面に開けられているサスペンションアーム取り付け用の穴を、6スピンドルの水平ボーラーで精密に仕上げ(画像)続いて「Takt3」では同じくドライブスプロケット、ファイナルドライブ用の穴に精密加工が加えられるとのこと

無題
Name名無し 21/06/13(日)18:20:14 No.29565
1623576014152

「Takt4」では垂直旋盤を備えた治具に移動された車体は、またまた精密に位置合わせされた上で、重要箇所であるターレットリングの加工を受け(画像)車体の機械加工はここで一段落だそうです

とはいえ、休む間もなく続いての「Takt5」及び「Takt6」ではサスペンション、エンジンとトランスミッションなどの様々な内部機器の取り付けがはじまり、転輪、ドライブスプロケット、履帯などが組み込まれた車体は自走可能な状態にまで仕上げられるんですとか

そして走行テストである「Takt7」で問題なしと判断されれば、いよいよ最終的な組み立て工程である「Takt8」に進んでいきます

無題
Name名無し 21/06/13(日)18:21:28 No.29566
1623576088733

「ティーガー」の砲塔製造は同じカッセルにあったウェグマン社が行って、ご近所のヘンシェル社まで運ばれてきたそうなんですが、天井クレーンで吊り下げられた砲塔が慎重に車体に取り付けられれば、「ティーガー」の製造もほぼ終了

最後の「Takt9」では赤いプライマーと灰色のベース塗料が塗布され、後には独戦車独特のあのツィメリットコーティングもここで行われたそうです

(カモフラージュ塗装は工場では行わなかったとのこと)

無題
Name名無し 21/06/13(日)18:23:05 No.29567
1623576185039

鉄道輸送用に一端もっとも外側の転輪を取りはずし、幅の狭い履帯に履き替えさせた58トンの「ティーガー」は、パワフルな天井クレーンで吊り上げられ、輸送用の鉄道貨車に搭載され準備完了!

後は組み立て用部品を運んでくる同じ鉄道網により、所定の地方もしくは部隊に向けてへと「出荷」されたそうです

T-34ショックから急遽開発が始まり、とにかくT-34に完勝できる戦車が急いでほしいんや…!という独陸軍の要求で完成した「ティーガー」、設備投資や資材の手配も優遇されたとは思うんですが、コレだけの設備と大量の人員(およそ8千名が12時間2交代だったとか)を管理しての工場運営は、いくらヘンシェル社が蒸気機関車製造の老舗であったとはいえ、やはり色々大変であったんではないですかしら…

無題
Name名無し 21/06/13(日)21:00:41 No.29591
http://cgi.2chan.net/f/src/1623585641919.jpg
ドイツ戦車1両辺りの製造コスト
シャーマン3両対タイガー1両ならコスト的にもいい勝負か
タイガーⅡ1両はさすがにすごいコストだ・・・
補充に虎Ⅱが1両来るよりパンター5両のほうが嬉しいかも(笑)」

無題
Name名無し 21/06/13(日)22:11:55 No.29602
>いつか取り返しのつかない事態になりそうなやり方だった気もs(略)
どこかの戦闘機みたく首無しや具の足りないタイガーを生んじゃいそう…
貴重な鋼鉄や燃料に油・血・時間は戻って来ない…
>ヘンシェル社自身が元々は蒸気機関車のメーカーとして出発した会社ですし
戦車も軌道だしなぁ…と
レールが敷いてあるかクローラーで敷いていくかの大きな違いは有るけど

無題
Name名無し 21/06/13(日)22:29:28 No.29606
1623590968347

ドイツは機関車みたいな民生品にも早くから溶接の大々的な導入をした結果
検査体制やそのためのレントゲン設備が充実してたのも生産性に貢献してるだろう

無題
Name名無し 21/06/13(日)23:13:00 No.29613
1623593580312

ティーガーは縦流しだけど
大型車両対応なのかな

無題
Name名無し 21/06/14(月)00:52:35 No.29623
1623599555171

縦か横かは工程の段階や工場建屋サイズ・治具レイアウト・作る戦車のサイズといった
様々な要素によるのでは
車体作り上げる段階では回転治具も多いから次々と台車流すだけとはいきそうにない

無題
Name名無し 21/06/14(月)22:22:57 No.29686
1623676977456

ドイツもソ連も、こんなでか物を試作じゃなく実際に運用出来てるのはスゲーわ

現地で、ドイツはこんなクレーンも使用しててプラモにもなってるみたいだが
レンドリースで援助されてたソ連もいっちょ前にT-34用に似たようなクレーン使ってのかな?

無題
Name名無し 21/06/14(月)23:17:03 No.29707
1623680223372

ドイツは操縦性とった結果前方に配置したトランスミッション抜くのに
砲塔取り去ってリング孔使わねばならず野戦整備も大がかりだけども
赤軍は操縦士を犠牲にした結果後部にまとめられてすでにパワーパック風なので
引っこ抜くのがかなり楽で整備機材もそう大げさでなくていいはず

無題
Name名無し 21/06/15(火)05:58:38 No.29725
1623704318467

>すでにパワーパック風なので

>引っこ抜くのがかなり楽で整備機材もそう大げさでなくていいはず

あちゃードイツは 完璧主義者で壊れない前提で作ってたのかな?
そも野戦整備で砲塔外して何やってんのかと思っていたが
ミッション交換してたんかw

無題
Name名無し 21/06/14(月)23:25:05 No.29710
http://cgi.2chan.net/f/src/1623680705785.jpg
ミッション入れるのもこのめんどくささがドイツよのぉ。

無題
Name名無し 21/06/15(火)05:25:35 No.29724
1623702335024

M4用トランスミッションを載せた代車の高さが絶妙ですね

無題
Name名無し 21/06/15(火)06:09:49 No.29726
ドイツ軍に夢見過ぎだよ

無題
Name名無し 21/06/15(火)10:30:28 No.29733
ドイツ戦車は戦車隊指揮官の要求で作られ、
ソ連戦車は地上軍指揮官の要求で作られ、
アメリカ戦車はアメリカ政府の要求で作られた。

WW2の戦車開発はこんなイメージだわ
(ドイツは戦車の使い勝手を重視し、ソ連は戦線突破兵器としての戦術機動性(機械的信頼性含む)重視、アメリカは大洋を渡って展開しないといけないので
総合的な観点からのロジスティクス性重視)

無題
Name名無し 21/06/15(火)12:49:58 No.29738
ドイツは戦車の使い方を電撃戦として規定して乗員の訓練のができたので使い方が明確だった
ドイツ戦車が兵器として洗練されているのは周到な準備をしたからだ
ソビエトは他国の技術を吸収する段階から抜け出ていなかったので戦争中に使い方の修正をした
それで乗員への配慮は二の次になってしまう
アメリカは車両としての使い方はモータリゼーションで行き届いていたが戦術としては稚拙だった
そこで数に物を言わせて全戦線で推し進めるスチームローラー戦術をとった

無題
Name名無し 21/06/15(火)13:14:19 No.29739
>ドイツ戦車は戦車隊指揮官の要求で作られ、
>ソ連戦車は地上軍指揮官の要求で作られ、
>アメリカ戦車はアメリカ政府の要求で作られた。
に、日本は・・

無題
Name名無し 21/06/15(火)13:54:44 No.29742
>に、日本は・・

敵機関銃陣地を潰したい歩兵の要求で作られた
(この用途だけを考えるなら必要十分な戦車なんですよホント)

>ドイツは戦車の使い方を電撃戦として規定して乗員の訓練のができたので使い方が明確だった

Ⅲ号Ⅳ号戦車までは同意するけどそれ以降は対仏·対ソ戦で判明した自軍戦車の性能不足を補うことに注力し過ぎて生産面を度外視、全体としての装甲戦力ではなく個々の戦車の性能に傾注し過ぎてるように感じられるよ。
自軍戦車の性能不足や使い勝手の悪さを承知しながらも、目の前の改良より生産ラインを止めないこと、とにかく前線に戦車を供給することを優先した米ソに比べたら、やはり戦車隊指揮官が作った戦車って感想だわ

無題
Name名無し 21/06/16(水)01:04:01 No.29795
>とにかく前線に戦車を供給することを優先した米ソに比べたら
量で対抗できないから質で勝負して結局ジリ貧という、割とある話なのだな・・・
虎が怖くても前線で遭遇する確率が低いからシャーマンで大丈夫やろ、と言われる戦車乗りはたまったもんじゃなかったろうが。

無題
Name名無し 21/06/16(水)11:39:55 No.29817
>シャーマンで大丈夫やろ
76mm砲は戦車駆逐車に、シャーマンは75mmで十分!M26など不要!陸軍地上軍管理本部談
ラインを変更するのに1週間掛かるし、その間の生産量が・・・ってのも米に限らず色んな国に当てはまることよね
かといって75mm砲シャーマンで虎や豹には出会いたくない

無題
Name名無し 21/06/16(水)13:38:43 No.29828
>かといって75mm砲シャーマンで虎や豹には出会いたくない
CASさえくれば勝てるから…
複数台で当たれば勝てるから…

無題
Name名無し 21/06/16(水)12:47:36 No.29826
>Ⅲ号Ⅳ号戦車までは同意するけどそれ以降は対仏·対ソ戦で判明した自軍戦車の性能不足を補うことに注力し過ぎて生産面を度外視、全体としての装甲戦力ではなく個々の戦車の性能に傾注し過ぎてるように感じられるよ。
性能マシマシにするのはちょび髭の要求だからな…

無題
Name名無し 21/06/15(火)19:12:55 No.29752
1623751975204

カッセルのヘンシェル社「ティーガー」工場は、額面上は月産200、または300輌以上の「ティーガー」を生産できる能力があったそうなんですが、実際には同工場での最初から最後までのおよそ25ヵ月間の製造数は1347輌、月当たりの最大生産数は104輌、平均して60から80輌というのが精々であったそうです

その理由は幾つかあったそうなんですが、一つには「ティーガー」が戦場でのユーザーである将兵さん達の要望を取り入れて、車体各部分にマイナーチェンジを加えた続けたからであった、なんてハナシも有るんですとか

(ドイツ軍以外でやらなかったわけじゃあないですケド)

無題
Name名無し 21/06/15(火)19:14:41 No.29753
1623752081526

戦訓を採り入れて車体を改良する、というのはある意味ではもっともな対策ではありますし、また「ティーガー」の車体設計を根幹から覆すほどの大変更…というものも殆ど無かったわけではあるんですが、それでも「ティーガー」の生産中に行なわれた細部の仕様変更はざっと250ヵ所を越えたそうで、単純に計算すると、カッセル工場から出荷される虎戦車はおよそ5台ごとに異なった設計(そして工程)に変っていった、ということになるんだそうで

別の見方をすれば、工場とその生産ラインには、毎週2~3回の変更が加えられたわけで、その一つ一つは新しい操作レバー、フック、従来部品の形状変更など比較的小さいものでも、その間生産ラインは一時停止、塵も積もればというか、累積した結果が総生産量に与えた影響は、決して小さくはなかったそうです

またこうした変更の数々は「ブロック〇〇」「フライト●●」のようにまとめて管理されたわけでなく、要請が入るたびにその都度、一つ一つ対応するやり方であったのも、生産性を下げる原因であったとのこと

無題
Name名無し 21/06/15(火)19:16:15 No.29754
1623752175017

また、カッセル工場は当時のドイツ戦車工場としては指折りの大規模なものであったそうなんですが、一方で設置されていた工作機械数およそ1千台は、アメリカ最大のデトロイト戦車工場のおよそ8千台、ソ連の「タンコグラード」、チェリャビンスク工場のおよそ6千台に比すると大幅に少ないものであったそうです

無論、車両自体の設計等がかなり異なりますから、単純に比較は出来ない部分も有るんですが、それでもシャーマン戦車が生産におよそ1万工数を要したのに対し、「ティーガー」が20万から30万工数を要し、およそ20倍から30倍も製造に手間がかかったというのは、一つにはこういう生産現場での機械加工能力の差が反映している部分もあるんだそうで

無題
Name名無し 21/06/15(火)19:17:43 No.29755
1623752263195

因みに余談ですが、恐るべきタイガータンクのふるさとであるカッセル市は、やはり連合軍に目の敵にされていて、戦中に40回以上も爆撃されているんですとか

工場のみならず、市街(と市民さんたち)にも多大の損害が生じたそうで、コレも生産遅延の一因となったそうなんですが、それでも如何にもドイツ人らしい不屈不断の努力により、とにかく生産自体は戦争末期まで途絶えるなく続けられたそうです

1945年4月1日、ついに米国陸軍の機甲部隊が陸路カッセル市に迫って来た際にも、ヘンシェル社から最後の生産ロットの「ティーガーⅡ」十数両が工場から直接第510及び511重戦車大隊に引き渡され、出荷用の鉄道輸送用履帯のまま、或はプライマーに直接迷彩なんて姿ながら、米軍部隊と果敢に交戦、多大な損害を与えたという、GENBUNせンせいか上田信せンせいのまんがみたいな話が残されているとのこと

文字通り工場自体が敵に占領されるまで製造し続けたドイツの方々のド根性に、より効率的な生産手法が結びつかなかったのは、連合軍側にしたらやはり幸運だったということなんでしょうか…w

無題
Name名無し 21/06/15(火)23:26:04 No.29791
http://cgi.2chan.net/f/src/1623767164582.jpg
M4戦車の屋外でのトランスミッション部の交換もカバーと一体化している為交換も楽そうですね

無題
Name名無し 21/06/15(火)23:52:57 No.29792
ドイツの重戦車って敵に撃破されるより
燃料弾薬交換部品の不足で放棄されてるイメージ

無題
Name名無し 21/06/16(水)00:07:01 No.29794
タイガー戦車は元々電撃戦の切っ先っである突破戦車として立案されたものなので
これをドイツ戦車の典型みたいに言うのはステレオタイプな物の見方ですね
戦争後半になると防御戦闘が増えてドイツ重戦車の闘い方が変化していったのは
ご存じの通りですが

無題
Name名無し 21/06/16(水)03:43:00 No.29799
1623782580858

デトロイトのエンジン組み立て工場
組み始めと組み終わり

無題
Name名無し 21/06/16(水)12:33:23 No.29822
>デトロイトのエンジン組み立て工場
>組み始めと組み終わり
めちゃ近代的

無題
Name名無し 21/06/16(水)12:45:31 No.29825
フォードの工場だからな

無題
Name名無し 21/06/16(水)13:17:05 No.29827
歴群の記事には、チト車の前面装甲が2段になってるのは整備の都合上で本当は一枚の傾斜装甲にしたかった的なことを書いてありましたが、日本陸軍は他国に比べそこの割り切りが足りなかったってことなんでしょうかね

無題
Name名無し 21/06/16(水)14:02:34 No.29829
1623819754465

車体前面の傾斜一枚板は理想ではあるけども
重防御志向のKVや改良前ISですら段付きなように
前輪シャフトとドライバーを収めつつ視界確保するには段付きの方が効率はよい
パンターのように肥大化の一因になったり
T-34やシャーマンのようになかなか増厚アップデートできなかったりデメリットもある
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/29430.htm