戦訓と所見で読むルンガ沖夜戦
-戦闘詳報は何を語るのか−


文・加賀谷康介(美少女ゲーム特典史研究家)


01 合戦図(JACAR Ref.C08030099500)

 この海戦は日本側の第2水雷戦隊が兵力的に優勢な米第67任務部隊を撃破し、日本海軍伝統の夜戦能力を実証した海戦として知られている。
 よってこの海戦を取り上げた本は日米ともに多数あるが、その中で最も知名度が高いものと言えば、半藤一利(『文藝春秋』編集長。昭和史研究家)氏の著作『ルンガ沖夜戦』と思われる。

02 バナー

 海戦の詳細な経緯はそれらの書籍に譲るとして、本記事では勝者となった第2水雷戦隊(司令官・田中頼三少将とその幕僚)が海戦からどのような教訓を得、どのような所感を抱いたかについてを『第2水雷戦隊戦闘詳報』から明らかにしてゆきたい。
03 戦闘詳報(JACAR Ref.C08030099500)

戦闘詳報で不足する部分については『第2水雷戦隊戦時日誌』から適宜補った。

04 戦時日誌(JACAR Ref.C08030098800)

 また海戦で日本側唯一の喪失艦となった駆逐艦「高波」について、戦闘詳報ではないがそれに準じるものとして『駆逐艦高波事故報告』が存在するので併せて利用した。

05 事故報告(JACAR Ref.C08030773300)

 これらの史料は国立公文書館アジア歴史資料センターで公開されているデジタルアーカイブ版を利用した。
 戦闘詳報の「戦訓並ニ所見」欄の内容は、半藤氏によって『ルンガ沖夜戦』に現代漢字に直されたものが掲載されている。さらに本記事では読者の便宜を考え、片仮名を平仮名に直し、「於いて」等の漢字も極力平仮名に直して読みやすさを重視した。それらの訂正は原文に照らして慎重に行ったつもりであるが、もし誤りがあればそれは加賀谷の責である。

 なお、本海戦における日本側兵力は、正式には兵力部署「外南洋部隊」内の「増援部隊」と呼ばれるものである(戦闘詳報の表題もそれに基づいている)。
 しかし海戦参加の駆逐艦8隻すべてが艦隊編制上の第2水雷戦隊に所属する艦であるため、本記事では煩雑さを避けるため「第2水雷戦隊」表記に統一した。
 同様に交戦相手である米第67任務部隊についても、英語名(Task Force 67)の略称から「TF67」表記に統一しているので了解していただきたい。

 では、実際に戦訓所見欄を読んでみることにしよう。



知敵は作戦の先決要件なり。敵飛行索敵の広汎かつ綿密なるに比し、我が方の索敵はなお十全とは称し難く、本夜戦においても突如不測の強敵に直面せり。
敵は「ガ」島周辺に有力なる支援隊を配し、我が進入企図を偵知するや急速進出し来たるは第三次「ソロモン」海戦以来の慣用手段にして、我が水上部隊進撃する場合、同島周辺の索敵に関し一段の考慮を必要と認む。


 所見は彼我の航空偵察に関する充実の比較から始まる。以前の方法より短時間とはいえ、ドラム缶投入作業中の部隊は敵襲に対して脆弱な状態に置かれることになるため、作業開始後に戦闘とくに高い攻撃力を有する水上部隊との会敵は回避する必要があった。
 第2水雷戦隊司令部もこうした事態を予想して、海戦3日前の11月27日、第一一航空艦隊及び第八艦隊参謀長に宛て「輸送当日ガ島周辺約200浬付近の対敵水上兵力薄暮前の索敵実施方取り計いを得たし」と依頼している(『第2水雷戦隊戦時日誌』)。そして田中司令官も「敵有力部隊の存在をあらかじめ偵知し得たる場合は会敵を避け一旦避退し輸送の再興を図ることあり」を腹案として作戦に臨んでいた。
 しかし会敵前に第2水雷戦隊司令部が受け取った敵情は、日没前の30日1700の「敵輸送船9隻と駆逐艦12隻がルンガ沖に入泊」という程度であり、その情報を基にルンガ沖に進入した第2水雷戦隊はこの輸送船団や護衛の駆逐艦との会敵は予想できても、よもや戦艦(交戦中の日本側判断)を含む「強敵」といきなり遭遇することは想定外だったと思われる。



輸送と戦闘とは互いに両立し難く、対敵顧慮大なる場合指揮官の最も苦慮する所なり。会敵即戦闘の原則は明白なるも、実施はかく簡単にあらず。
今次夜戦においても先頭輸送隊は既に原速力
(※12ノット)となし「ドラム」缶の固縛を解き始めたる状況にして、立ち上がりにおいて相当の不利ありしを否定する能わず。


 輸送と戦闘、指揮官に判断が迫られる難しい瞬間である。戦闘に勝利し、しかるのち輸送任務まで完遂できれば申し分ないが、甲板上にドラム缶を積載して行う駆逐艦輸送という任務の特性上、本気で交戦するとなれば邪魔なドラム缶の投棄は避けられない。従って結末は「戦闘が発生せず、輸送を実施」か「戦闘が発生し、輸送を実施できず」の事実上二者一択とならざるを得ない(そして輸送の当事者にとっては、戦闘に生き残れるかどうかも大きな分岐点となる)。
 田中司令官はこの点一貫して輸送より会敵時の生き残りを重視しており、作戦開始にあたり「会敵時は輸送に拘泥することなく戦闘本来の単一目的に邁進し敵撃滅を期す」ことを腹案として臨んでいたが、この短い四行の中に、あと少しであったドラム缶輸送の成功を惜しむ気持ちと、それによって自隊が窮地に陥ったことに対する田中司令官の複雑な心境が滲んでいるようにも見える。



本夜戦において、敵が我が出鼻を叩くの挙に出でしは、我のむしろ幸いとする所なり。もし入泊揚陸の虚に乗じ急速侵襲し来らば、その結果知るべきのみ。
故に些かなりとも敵水上兵力存在の算あるにおいては、少なくとも1個駆逐隊程度の警戒隊は絶対必要なりと認む。


 ドラム缶投入作業の準備中に急襲された第2水雷戦隊だが、そのタイミングでむしろまだ良かったと述べている点は興味深い。ドラム缶投入作業が完全に始まってしまえば作業人員の退避及び戦闘配置への復帰で戦闘行動への転換はより難しく、更に時間を要していた筈であり、TF67の射撃開始はその意味で第2水雷戦隊にとって実にきわどいタイミングであった。
 ただ、第2水雷戦隊が奇襲を許したのもまた一面の事実であり、対策として長波と高波の2艦であった警戒兵力を今後より増強する必要があるとしている(ピケットラインの拡張に要する兵力と初動対応兵力を兼ねて?)。
 これは増援の駆逐艦を得て対策に移され、例えば12月11日の輸送作戦では輸送隊6隻に対し警戒隊5隻が配されるなどルンガ沖夜戦に比べて警戒兵力の増強が図られた。
 その後、中北部ソロモン方面で繰り返された輸送作戦では輸送隊(概ね睦月型以前の旧型駆逐艦)と警戒兵力(概ね吹雪型以降の駆逐艦や巡洋艦)が異なる隊列で行動するようになり、実際に海戦に発展しても輸送隊がいきなり戦闘に巻き込まれるような事態はあまり発生していない。



照射は自艦の隠密性を失い、友隊を妨害する機会あり。特に敵照明機の活躍下においては、その蝟集を招く不利あり。
今次夜戦の状況において照射の可否は研究の余地あるも、敵のみ我を照明眩惑し、我より敵を照明するの手段なきにおいては、その不利忍ぶべからざるものあり。駆逐艦における照明弾利用の機会少なからざるものと認む。
今次夜戦においては早期敵駆逐艦火災となり、為に敵背景を照明せる結果、偶然敵情視察を助けたるものなり。


 この項では戦場照明の手段と方法について述べている。この海戦で日本側では涼風と陽炎が照射を実施し、特に魚雷発射後照射した陽炎が損傷艦の艦影を確認しているが(戦闘詳報の時間2153)、第2水雷戦隊司令部では艦上からの照射について(「研究の余地あるも~」と前置きしつつも)否定的な見解を示しているのが目につく。むしろ自艦より離れた位置を光源とできる照明弾を有利として駆逐艦向けの供給を促す内容となっている。
 なお、最終行の「早期敵駆逐艦火災」は日本側では高波の砲撃による成果と判断しているが、米軍に該当する駆逐艦被害はなく、この海戦における一つの謎となっている。



夜襲は我が海軍の伝統的戦法にして、寡よく衆を斃しうるは幾多の戦例よくこれを明証す。
本夜戦においては、我に不利なる状況において立ち上がりしに関わらず、なおかつ大戦果を収め、彼我夜戦能力において甚だしき懸隔あるを示せり。
「ガ」島の如き局地においては、精練なる1個水戦をもってせば、敵水上兵力に関する限り、いかなる強敵も撃滅し去るの自信を得たり。

本戦闘詳報の中でも白眉と言える部分である。
改めて解説は不要と思われるが、唯一「我に不利なる状況において立ち上がりしに~」の箇所は率直に先手を取られたことを認めたうえで、その状況でも逆転反撃に成功した事で彼我の力量差を示すような文脈となっている。



敵は我が企図行動を察知し、あらかじめ照明機を空中に待機せしめ、砲戦陣列を整えよく先制砲撃の利を収め得たるも、射弾の精度良好ならず。
特に苗頭偏弾多く、射撃術力の見るべきものなし。
あるいは吊光弾による照明は被照明者側の感じほど有効ならざるにあらずやとも推量せらる。


 日本側によるTF67の砲戦技術に関する評価である。航空偵察からの待ち伏せ、先制砲撃の成功までの流れは称賛する内容となっているが、肝心の照準及び射撃については「精度良好ならず」「術力の見るべきものなし」と手厳しい評価になっている。
 とりわけ「特に苗頭偏弾多く~」の点は本戦闘詳報以外でも、『駆逐艦高波事故報告』(詳細後述)においても「開戦当初においては遠弾多かりき。末期においては近弾多かりき。」と指摘されており、また第2水雷戦隊・遠山安巳首席参謀の証言(「照準はいいが、修正がまずい」などと、艦橋の田中司令官はのんびりと批評していた…『ルンガ沖夜戦』半藤一利)、とも符合する部分があるように思われる。
 第2水雷戦隊司令部は偏弾が多発した理由を米軍が吊光弾による照明に頼ったことが原因ではないかと推理しているが、実際のTF67は照明として星弾を使用したため、必ずしも吊光弾特有の現象と言えるわけではない。
 加賀谷の私見として、もう一つの可能性としては陸地付近でのレーダー使用が何らかの形で影響しているのではないかと思うが、TF67が大々的に照明を利用して砲撃したことから、第2水雷戦隊司令部のこの戦闘詳報では敵の電探射撃の可能性について一切触れられていないのも興味深いところである(この海戦においてレーダーがどの程度照準管制に作用していたかについては勉強不足のため専門家に委ねたい)。


(※長いので8との続きに注意してください)
襲撃運動の見地より見れば、本夜戦は協同及び肉迫の要則において、必ずしも上乗にあらず。

 不利な態勢を覆してTF67に大打撃を与えた第2水雷戦隊であったが、その内容は水雷襲撃のテクニック的に見た場合、戦隊司令部として必ずしも満足のいくものではなかったようである。
 第2水雷戦隊8隻の駆逐艦のうち、巻波と涼風は遂に射点を得ることができず発射0本、陽炎は発射本数を抑えて4本、黒潮は全8本を三度に分けて発射し、理想的な全8本同時発射を行ったのは高波、親潮、長波、江風の4隻に留まった(記載は発射順)。
 また2隻以上で隊伍を組んで雷撃したのは2128-2129にかけての黒潮と親潮の2隻だけで、それ以外はすべて各艦個別に機会を捉えての雷撃となった。重巡4隻に計6本命中の戦果は大きかったが、戦前理想とした戦隊-駆逐隊単位での一斉発射とは程遠い内容の魚雷戦だったこともまた事実である。

 戦闘詳報ではそのような結果となった理由を次のように分析している。
これが原因左の如し。
(イ)敵有力部隊の存在を予期せざりしこと。

 所見1で触れたように、第2水雷戦隊は敵水上部隊との会敵は覚悟しつつも、その相手は輸送船護衛兵力の駆逐艦程度という情報しか得ていなかった。1万トン級の巡洋艦5隻からなる大兵力の突然の出現は第2水雷戦隊の将兵にも心理的動揺を与えたようである。
(ロ)輸送と戦闘との岐路において立ち上がりしこと。
 所見2で触れたように、TF67と会敵したとき第2水雷戦隊はドラム缶の固縛を解くなど投入作業の準備中であった。また親潮、黒潮、陽炎、巻波(以上第一輸送隊)と江風、涼風(以上第二輸送隊)とでドラム缶投入の目標海岸が異なるため、第2水雷戦隊が散開しようとする矢先にTF67の先制攻撃を受けて戦闘が開始された。
(ハ)接敵隊形、攻撃力一斉発揮に最適ならざりしこと。
 第2水雷戦隊が会敵前に得ていた敵情は「敵輸送船9隻と駆逐艦12隻がルンガ沖に入泊」というものであり、更に高波からの通報(2115)が「敵駆逐艦7隻」、長波見張員の報告(2116)も「駆逐艦7隻」であって、田中司令官が「揚陸止め」「戦闘」を下令(2116)した時点では駆逐艦以上の敵を察知していなかった。第2水雷戦隊が巡洋艦以上複数からなる大兵力と対戦中であることを察したのは2120、TF67全艦が一斉に射撃を開始したその発砲炎の光量を見てのことではないかと思われる。
(ホ)敵の有効なる照明ならびに眩惑
 本戦闘詳報で一貫して称賛しているのは米軍の戦場照明の手際である(日本側は照明任務の飛行機から投下された吊光弾と判断し、正体を星弾とは認識していない)。
 また、単なる照明に留まらず「眩惑」という表現までされていることから見て、日本側ではこの照明を「眩しくて目がくらんだ」一種の目潰しとも受け取っているようである。
(ヘ)敵の先制砲撃とその猛射
 2120照明弾の投下と共に火蓋を切ったTF67の射撃は、第2水雷戦隊に「猛射」という表現を使用させている。その精度については前述のように「良好ならず」という評価もあるが、「長波付近に敵弾雨柱す(大口径弾あり)」「長波煙幕展帳(3分間)」という記述(時刻は共に2132)から見て、一時長波が集中砲火により非常な危機に陥ったことは間違いない。長波が指揮統制より避退行動を優先した事はこの状況から見てやむを得ないものと思料されるが、司令部座乗艦が一時的とはいえ隊列を離れた結果、魚雷戦は駆逐隊司令、駆逐艦長各々の判断による個別の襲撃運動により行わざるを得なかった。



砲撃は高波において効果を挙げしほか、語るべきものなし。
南方戦場においては無照射射撃必ずしも困難に非ざるも、敵の照明眩惑裡の無照明射撃は一般に困難なり。


 日本側の砲撃効果について述べた項である。所見4でも述べたとおり、警戒艦・高波が集中砲火を浴びつつ応戦した射撃が米駆逐艦の2隻に命中火災を生じさせ、これにより敵情が判明した…と第2水雷戦隊司令部では観測しているが、TF67側にはこれに該当する被害が見当たらない。
 また資料の一つ(『日本水雷戦隊史』)に田中司令官が過早の発砲を禁じたという記述があるが、そうした指示内容は本戦闘詳報には認められない。
 実戦では長波、涼風が高波に続いて直ちに応射しているが(TF67射撃開始2120。長波2122、涼風2123それぞれ応戦開始)、そのためか両艦とも高波沈黙前後から集中砲火を浴び、砲撃効果を確認できぬまま避退を余儀なくされている。「語るべきものなし。」という記述は淡白であるがこれらの実情に添ったものと言えるだろう。
 なお、「敵の照明眩惑裡の無照明射撃は一般に困難なり。」の部分については、『駆逐艦高波事故報告』にも(吊光弾等に)眩惑され(中略)視認困難(中略)弾着観測不可能」という同様の趣旨の記述がある。この点は人間の網膜のもつ脆弱性に起因しており、根本的な解決には電探照準射撃を実用化するしかない問題であった。

06 所見8(JACAR Ref.C08030773300-P8)


本夜戦並びに既往の戦例を見るに、敵は戦艦、巡洋艦を積極的に活用し、しかも我が対敵正面に暴露しあること多し。夜戦指導上注意すべき点なり。


 TF67は前衛駆逐艦−巡洋艦群-後衛駆逐艦の一本棒隊形で出現し、第2水雷戦隊とは反航戦で会敵したが、米軍のこうした行動は第2水雷戦隊司令部の興味を惹いたようである。
 これに先立つ鉄底海峡の戦闘では日本側が巡洋艦以上の大型艦投入に積極的ではなく(小型艦をほとんど帯同できなかった第一次ソロモン海戦や作戦目的が飛行場砲撃にある場合を除く)、仮に投入しても水雷戦隊等の警戒兵力を前路掃討にあてるのが常であった。直前の第三次ソロモン海戦第一夜戦ではこの手順が崩れて比叡が集中砲火を蒙る結果となったが、同第二夜戦の砲撃部隊主力(愛宕、高雄、霧島)の行動を見ても帝国海軍は戦艦や重巡洋艦が敵駆逐艦と近距離で対決するのを避ける傾向にあった。
 そうした光景を見慣れた第2水雷戦隊司令部にとって、返り討ちにしたとはいえ被雷の危険を顧みず水雷戦隊に真横から接近戦を挑んできた米軍の行動は意表を衝かれるものであったのだろう。或いはこれは、(様々な事情があるにせよ)大型艦の投入に依然慎重な姿勢を崩さない連合艦隊司令部に対し、米軍の積極的な大型艦投入を教唆することで発奮を促す目的があった一文なのかもしれない。


10
今次輸送においては積荷の関係上艦の安定性を考慮し、予備魚雷を下しありしも、魚雷を発射し尽くしたる駆逐艦は攻撃力の大部を失うに鑑み、軽々にかかる処置を為すは戒心を要するものあり。


 糧秣・弾薬を充填したドラム缶の重量分を考慮し、各艦は出撃前に予備魚雷をショートランド基地に陸揚げしていた。全魚雷発射後の駆逐艦は再攻撃の機会に恵まれてもそれを活かす手段がないため、今海戦のように敵が次々と大破炎上しているのを見ても止めを刺せない悔しさの込められた一文となっている(ただし、8隻の中でも巻波、涼風は8本全て、陽炎も4本が未発射のまま残されており、全魚雷を射耗したかのような表現には疑問を感じないでもない。第2水雷戦隊司令部が戦闘中もしくは戦闘終了後まもなく各艦の状況と残魚雷の有無を把握していれば…という指摘は後知恵に過ぎるだろうか)。

 なお、警戒艦の高波と長波についてはドラム缶を積載しないため予備魚雷の陸揚げを行わず、従って次発装填後再攻撃可能であったという言説がある。具体的に述べれば2021年5月3日時点におけるWikipedia「ルンガ沖夜戦」の項にそうした意見が見られる。

07 所見10(Wikipedia「ルンガ沖夜戦」)

 これについては『駆逐艦高波事故報告』の中で予備魚雷は揚陸し、ショートランドに置きたるため、敵砲弾は魚雷発射後直ちに一、二番連管予備魚雷格納庫に命中せるも、之が誘爆による危害を免れたり」という一文があるため、高波については輸送用ドラム缶積載の有無にかかわらず、予備魚雷を搭載していなかったことは確実である。

08 所見10(JACAR Ref.C08030773300-P25)

 もう一隻の警戒艦、田中司令官の乗艦長波については確かな史料に恵まれないが、「各隊これに対し強襲を決行。各艦輸送のため予備魚雷を有せざりし為2230西方に避退~」(12月1日1500の田中司令官発戦況報告)といった箇所に、旗艦の予備魚雷があれば何らかの記載がされて然るべきところを見ると、高波同様予備魚雷を搭載していなかったと考えるのが妥当のように思われる(逆に高波、長波に予備魚雷が搭載されていたという説について、警戒艦だからという理由以外でその根拠となるべき史料が示されていない)。


11
黒潮において自爆魚雷3を認めたり。挺身発射すべき魚雷にこの種事故を断たざるは真に痛恨事にして速やかに対策を講ずるを要す。
なお現状においては、作戦繁多にして魚雷調整手入れの機会を得がたく、この点においても自己の魚雷に全幅の信頼をおく能わざる状況にして、出来得ればこれが調整保管施設を前線に設くる要ありと認む。


 開戦以来水雷関係者を悩ませ続けている九三式魚雷の過早爆発がこの海戦でも目撃されている。第2水雷戦隊にとってはスラバヤ沖海戦に続いて自隊で発生した二度目の事故であり、特に今回の戦闘では命がけで敢行した雷撃という意識が強いためであるのか、技術的解消を求める所見には「痛恨」という文言が使用されている。
 この件は連合艦隊司令部の宇垣参謀長の目にも留まり、宇垣参謀長は自身の日誌『戦藻録』昭和17年12月2日の頁に「夜戦ごとに魚雷の自爆問題起き、黒潮において三本ありたりという。九三魚雷の欠陥か、爆発尖の感度依然鋭敏に由来するか」と書き記している。
 ただ技術的欠陥以外に配備先における整備不良の可能性も否定はできないことから、第2水雷戦隊としても様々な制約の多い艦上での整備から、陸上での専用施設における整備への変更が望ましいとの具申を行っているのは興味深い。

以上、11の項目にそれぞれ所見を述べている戦闘詳報であるが、重要な要素であるにもかかわらず言及されていない点が一つあるように思われる。
〇九三式魚雷(いわゆる酸素魚雷)
それは九三式魚雷の長所や高性能についてである。巷間このルンガ沖夜戦は九三式魚雷の威力を物語る事例としてよく紹介されているのに、当の第2水雷戦隊司令部が最大の武器である九三式魚雷の長所などについて何も言及していないのには奇妙な印象を受ける。
確かに所見5の「精練なる1個水戦をもってせば、敵水上兵力に関する限り、いかなる強敵も撃滅し去るの自信を得たり。」という自負は、九三式魚雷あっての発言と読むことはできる。
 しかし、このルンガ沖夜戦における戦闘距離は概ね8,000~3,000メートルの間であり、九三式魚雷最大の長所である長射程が活かされたわけではない。また航跡が見えにくい点も隠密雷撃であれば長所となり得るが、この戦闘のように砲火の点滅、吊光弾や星弾の乱舞するような状況下でどの程度有効であったのか証明することは難しい。
 唯一確実な効果と認められるのは大直径故の炸薬量からくる爆発威力の大きさであり、重巡4隻の撃沈破はその賜物と評価することもできる。ただし条約型巡洋艦に魚雷が命中すれば、程度の差こそあれ大きな損傷は免れない事もまた考慮する必要がある。
 総合的に見て、このルンガ沖夜戦は九三式魚雷(本来は巡洋艦用の長射程兵器として開発された)の長所を生かした戦いではなく、むしろ水雷戦隊本来の近距離発射で威力を発揮した一戦であった。第2水雷戦隊が戦闘詳報で九三式魚雷の長所を特に触れていないのは、そのことをよく認識していたからに他ならないように感じられる。

まとめにかえて

 戦闘詳報の「形勢」欄で第2水雷戦隊司令部は、ガダルカナル島攻防戦における米軍の企図を「思うに敵はガ島をもって反撃攻勢の拠点となし、極力之が確保に努むべく連日広範囲綿密なる索敵により我が動静を知悉し、航空機及び水上兵力を積極的に活用して我が増強を阻止し、補給戦を遮断して同島における我が陸上兵力を孤立自滅に陥らしめ、併せて之を囮となし我が水上兵力の漸減を企図するものの如し」と述べ、米軍がガダルカナル島の陸兵を人質に水上兵力の誘き出し撃破を狙っていると看破している。
 実際に対戦する南太平洋方面軍司令部(ハルゼー大将)がそのような意図を有していたかについては改めて検証する必要があるが、日本海軍は現実にその通り出血を重ねており、第2水雷戦隊司令部の報告書は連合艦隊司令部にとっても耳に痛い指摘であった。
 戦闘詳報の「形勢」欄にはさらに次のような文言が続いている。
「本作戦に従事すべき駆逐艦は決戦兵力の精鋭にして、その損傷は作戦の全局より見てまことに忍ぶべからざるものあり」
 水雷戦隊司令官として自隊駆逐艦兵力の温存を臆面もなく主張する田中少将の存在は、海軍発端の離島戦で飢えに苦しむ陸軍と協同作戦を続ける関係上、看過することのできない態度と映ったのであろう。田中司令官は海戦一か月後の12月29日付で第2水雷戦隊司令官の任を解かれる。第2水雷戦隊の残した戦訓はあるものは取り入れられ、あるものは技術的あるいは物理的その他の理由により解決困難なまま残された。そして田中少将の後任者たちが遭遇するのは、この海戦での敗北を教訓に戦術の洗練を重ねていく、レーダーを駆使した米軍の新手たちであった。

参考文献(特に利用したもの)
宇垣纏『戦藻録』PHP研究所 2019年(新漢字・新かな版)
木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社 1986年
半藤一利『ルンガ沖魚雷戦』朝日ソノラマ 1984年
半藤一利『ルンガ沖夜戦』PHP研究所 2003年(ルンガ沖魚雷戦の改題再版)
ラッセル・クレンシャウ(著)/岡部いさく・岩重多四郎(訳)『ルンガ沖の閃光』大日本絵画 2008年

オンラインアーカイブ(特に利用したもの)
国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)
Ref.C08030099500『昭和17年11月29日~昭和17年12月28日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報戦時日誌(1)』
Ref.C08030098800『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』
Ref.C08030773300『昭和17年11月30日 駆逐艦高波事故報告』

<著者紹介>
加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
第2次大戦期の海戦史、航空戦史に関する研究を行う。
代表作に『「捷号作戦」艦隊編成-ブルネイ出撃までの123日-』

URL:
https://twitter.com/ReppuTenku