無題Name名無し21/03/09(火)04:12:47 No.519194
1615230767584
3月10日は陸軍記念日
旧陸軍が日露戦争における奉天会戦で勝利を飾ったそうです

ってなわけで日本陸軍スレ


無題Name名無し 21/03/09(火)18:38:27 No.519199
ちなみに、日本の海軍記念日は、5月27日としていた。
1905年5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。
1945年の敗戦により廃止された。

無題
Name名無し 21/03/09(火)20:58:15 No.519208
ゴールデンカムイってアニメで
舞台が日露戦争ちょい後ぐらいだから
多少、戦争描写が入っているが

突撃時の旗持ちは、高位の階級の息子さんで
ゲン担ぎで童貞ってのは本当だろうか?

楽勝なら良いが辛勝だと
大将とかの息子で軍人だと
だいたい戦死しちゃうんじゃ?

無題
Name名無し 21/03/10(水)20:10:18 No.519241
1615374618912

>陸軍記念日

IJAの兵隊さん達にはオショーガツや紀元節等と並んで、普段質素な兵食と違う豪華なごちそうが楽しめる日であったそうなんですがw

藤田昌雄せンせいの「日本陸軍兵営の食事(光人社)」で紹介されている、昭和5年3月10日の陸軍兵営の献立例は

・あか飯(赤飯)
・豆きんとん
・烏賊の旨煮(烏賊、蓮根、里芋)
・御頭鯛
・赤誠蓮根(酢漬け蓮根)
・鼈甲揚(豚肉の唐揚)
・菓子(蜜柑1個、紅白餅各1個)
…であったそうです

無題
Name名無し 21/03/10(水)20:12:37 No.519242
1615374757808

これが昭和15年になると

・赤飯
・鯛姿焼き
・勝栗きんとん
・昆布巻
・酢蓮根
・菊花蜜柑(蜜柑の横二つ切り)半個
・香の物(沢庵漬、紅生姜)

…となり、豚肉やイカさんといったタンパク質や菓子類が消えて、蜜柑が1人宛半個と微妙に貧b…質素になっているんですが、他にも「赤飯」に使用する糯米220グラムを、150グラムに減らして「粟」ないし「黍」70グラム混入してもヨシ!なんて指示が付けられるようになっているんですとか

無題
Name名無し 21/03/10(水)20:15:05 No.519244
1615374905151

昭和19年では

・赤飯(但し玄米)
・尾頭魚(鯛以外の魚で可)
・戦勝きんとん(勝ち栗、甘藷)
・日の丸蓮根(蓮根、梅干)
・勝列揚(=豚肉かつれつ)
・菊花蜜柑(蜜柑の横二つ切り)半個
・香の物(沢庵漬)
…だそうで、糯米は玄米で代用、従来150グラムほどの小鯛を使用していた御頭付焼き魚も、手に入る適当な魚でイイよ!ということになっているそうです

「日の丸蓮根」の材料も「代用梅干」を使用して可、敵にカツ!というカツレツ揚げも、鶏卵は乾燥卵、豚肉は「鯨肉」で代用するもヨシとのことなんですが、料理の名前が段々勇ましくなる一方、質自体は次第に貧弱になっていったようですなあ…

無題
Name名無し 21/03/10(水)21:32:22 No.519248
記念日でも玄米や甘藷…
蜜柑は全国区でそこまで用意出来無さそうな様な…

無題
Name名無し 21/03/11(木)09:40:23 No.519270
やっぱり入るなら陸軍より海軍だな!

無題
Name名無し 21/03/11(木)11:14:18 No.519271
>やっぱり入るなら陸軍より海軍だな!
ちゃんとお勉強して士官様にならないと飯の美味い船に行っても陸軍を越える鬼のシゴキが待ってそうな…
海軍は船の飯の美味さはよく聞くのですが外地や内地の港湾や地上勤務者でも美味しい御飯は食べれたのかな?

無題
Name名無し 21/03/15(月)15:32:17 No.519463
>ちゃんとお勉強して士官様にならないと
海軍士官の初等教育(海兵の4号3号生徒)でも相当殴られたりしごかれるのが普通ですね

無題
Name名無し 21/03/11(木)13:58:08 No.519273
陸軍は海軍に比べるとまだ「民主的」な空気であったと聞くね
海軍の場合はエゲレスをモデルにしてるから士官と下士官兵の世界は別なのだ
陸軍はそこまで分離遊離はしていなかったという
だから226事件が起きたとも言える
少壮士官たちが東北出身の兵たちの話を聞いてその境遇に同情したりするから

無題
Name名無し 21/03/11(木)14:07:45 No.519274
>No.519273
ただ海軍の場合は兵士が行う掃除の邪魔になるなら退いてくださいと将校に気軽に言えたそうですね

無題
Name名無し 21/03/11(木)17:06:03 No.519276
戦艦と駆逐艦でも違ったろうしな

無題
Name名無し 21/03/11(木)22:07:20 No.519282
戦時の手記とか海軍モノでやたらとイジメ、シゴキ、リンチの話や整備士を人間扱いしない描写がでてくるんで、海軍モノは読まなくなったな。
無題Name名無し 21/03/12(金)00:05:35 IP:2001:240.*(ipv6)No.519285そうだねx1
陸軍は陸軍で、実戦では全員が銃で武装するので戦地に行くと
シゴキがぐっと減るという変な所でバランスとれてるからな…

無題
Name名無し 21/03/12(金)20:57:08 No.519311
1615550228410

この写真からでもわかるように日本の素晴らしさが伝わる

無題
Name名無し 21/03/14(日)13:59:04 No.519408
1615697944068

中公新書の「ミルクと日本人」という本に、明治の御代になってからの帝国陸海軍と牛乳のお話も取り上げられているんですが、牛乳を糧食として大々的に取り入れたのはやはり海軍の方であったそうです

といっても航海中の保存を考えて、コンデンスミルクなどの「罐詰牛乳」が主流であったそうで、明治十年代以降の食糧表には必ず含まれるようになったんですとか

一方陸サンの方はといいますと、どうも重い罐詰は陸上での運送に難があるので避けられたようで、比較すると軽くて携帯に便利な「ひじき」が糧食として多用されていたそうです

海の兵隊さんがあまーいコンデンスミルクに疲れを癒している一方、陸では乾燥ヒジキの煮付けか汁物…

…べ、別に海軍の事なんて、全然うらやましいなんて思ってないんだからね!

無題
Name名無し 21/03/14(日)14:04:19 No.519409
1615698259434

因みに大和煮などの牛肉の罐詰については、陸海軍共に兵隊さん達のおかずとして重宝していたみたいなんですが、明治27年からの日清戦争のさなか、朝日新聞に戦地の陸海軍人さんたちへ送る慰問品についての記事が載っているそうでして、曰く
「海軍(略)への寄贈品は陸軍の方とは其の必要とする処の物品異なる」
…んですとか

肉類の缶詰は、陸軍向けでは必要ですが、海軍では
「充分に軍艦の中に積み込みありて此の供給に不足と感ずる様のこともなけれど」
「普通の缶詰よりも久しく食べていない(略)乾物、塩鮭、鰹節、でんぶ等の寄贈品が艦中にないためありがたかった」
…そうです

基本的に自身が食べる糧食を、乗艦が運んでくれるカイグン、自分の背で背負って運ばないといけないリクグン、両者の気質の違いは、案外こんなところに根差していたりするのかも知れませんですなあ…w

無題
Name名無し 21/03/15(月)11:01:44 No.519450
腹の中にしまってしまえば荷物は軽くなるけど、その分飢えに近づいてくわけだしなあ・・・

無題
Name名無し 21/03/14(日)15:03:19 No.519410
ガ島の戦いの最中に、つじーんが大和だったか武蔵だったかの聨合艦隊司令部を訪れて、出されたメシの豪華さに激昂して帰ったという話これあり

無題
Name名無し 21/03/15(月)12:50:51 No.519458
>ガ島の戦いの最中に、つじーんが大和だったか武蔵だったかの聨合艦隊司令部を訪れて、出されたメシの豪華さに激昂して帰ったという話これあり
後から辻を持て成す為に、物資統制のなか海軍が走り回って食材調達していた事を知って、恥ずかしさのあまり枕を濡らして反省した

無題
Name名無し 21/03/15(月)16:03:54 No.519465
辻さんは魚の骨もねぶって食べたとも。
海軍側では作戦の神様が骨をねぶってたと評判になったと読んだことが。

無題
Name名無し 21/03/16(火)03:54:17 No.519497
当時はプロテインやマルチビタミンのような類は無かったのでしょうか?
そんなに嵩張らないから、補給段列の大きな負担にはならないと思いますが…

無題
Name名無し 21/03/16(火)14:35:41 No.519513
http://may.2chan.net/39/src/1615872941817.jpg
>当時はプロテインやマルチビタミンのような類は無かったのでしょうか?

>そんなに嵩張らないから、補給段列の大きな負担にはならないと思いますが…
み号剤と言うビタミンB2を主成分として糖衣を被せている航空機の搭乗員や監視部隊等が使う夜間視力増進用の薬がありました

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:02:05 No.519523
1615885325467

>当時はプロテインやマルチビタミンのような類は無かったのでしょうか?

人間様からワンコ用まで充実(?)の品揃え

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:03:19 No.519524
正直栄養剤で視力補うくらいならヒロポン使いそうではある

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:13:20 No.519525
1615886000393

日本陸軍が研究・開発していた機能性食品は結構多岐にわたっておりましたそうで、

・「元気食(熱糧食、軍粮精とも)1号」
…疲労時・極寒時の体力回復を目的として、ブドウ糖と脱脂粉乳のベースにバター、エコナ、ココナッツミルクを配合したペレット状食品
・「精力餅」
…行軍や戦闘後に配られる、栄養失調防止と疲労回復用の長期保存可能なオモチ。粳米、生大豆、麦芽を原料とした餅にビタミンやバターを添加
・「栄養食」
…戦場でのビタミンとタンパク質補給のための補助食品で、卵黄粉・粉乳・水飴をベースにビタミンとバターを練り込んで乾燥成形後、糖衣コーティングしたもの

…等があったそうです
ただ、これらの食品が開発されていたことと、充分な量が供給されていたかどうかはまた別な話なわけですが(棒)

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:15:26 No.519526
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因みにIJAに特有の経理方式に、「委任経理」というやり方があったそうなんですが、要は軍隊給与上必要な一定の定額を部隊に交付したら、その定額の中で自主的に給与を実施してよろしい、その結果残余が出ても、それは返納せず、部隊で積み立てて後日他の用に使ってヨシ、そのかわり逆に不足が出たら、あえて追加はしないのでそれまで積み立ててきた分でなんとかやりくりしなさい…というものであったんですとか

つまり日々上手く節約すれば、部隊独自のお買い物の費用を捻出できるわけで、日々の食事も、演習などでみんなが腹ペコちゃんになるときは増し賄いする一方、休日にみなが外出先で満腹して残飯が出そうなときは予め減額し、そうしてコツコツと貯めた分で、連隊の記念日などの晴れの日には御馳走を用意したそうです

上手く積み立てることで、「自家水道」や「自家発電機」、或は蒸気炊事用設備といった日常のインフラまで整備した部隊もあったとのこと

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:16:38 No.519527
1615886198157

陸軍糧秣本廠々員などを務めた伊藤光信陸軍主計大佐によると、三島の野戦重砲第3聯隊にいた時などは、

「私が電気なんか10燭ぐらいにさせたんだ。10燭というと暗いわね。そうすると聯隊長は便所は10燭は無駄だというんだ。2燭にしろというんだ(笑)」

「兵科将校自身がそれぐらいにやった。聯隊長が自分で便所を回って歩いて『10燭は明るすぎる。これ2燭でいい。鼻がぶつからなければいい』っていうんです」

…という有様であったそうです

聯隊長以下部隊が一丸となって、毎日爪に火を点すような節制を続け貯めこんで、ようやく記念日の御馳走にありつける…といった感じであったようなんですが、或はこうした苦労を共にする毎日から、上下の連帯感が生まれるのかもしれないですなあ…w

無題
Name名無し 21/03/16(火)18:44:05 No.519529
まあ金持ちの家よりビンボ人の家の方が家族中はよくなるって言うしな・・・

無題
Name名無し 21/03/17(水)02:20:47 No.519536
海軍は兵学校を出て士官になれても、海軍軍縮でリストラされることがあったからなぁ。
うちのひい爺さんもまさにそれだったそうです。(´・ω・`)
結婚して子供が産まれた途端に無職になっちゃって、就活に明け暮れていたそうです。
でも結局大手メーカーに再就職できて、技術者として働いていたそうです。
海軍時代は艦隊勤務のために滅多に家に帰れなかったけど、民間企業になってからは
毎日ちゃんと家に帰れて、家族と団らんすることができるようになったので、
「海軍をクビになってむしろ良かったなぁ。(´∀`) 」と、家族や友人に語ってたそうです。
そんな生活が数年続きましたが、太平洋戦争が始まると再び海軍に呼び戻されて、
南太平洋にて帰らぬ人になったそうです…。(つД`)

無題
Name名無し 21/03/17(水)18:54:08 No.519559
1615974848303

毎日兵営からでる残飯なんかも、民間の業者さんに払い下げることで各部隊の収入源になっていたそうなんですが、1942年、日本本土の東部軍内各部隊の軍医さん達が集まって行われた会議の場では、

「残飯には上残飯と下残飯(※箸をつけたか否かで区別)があるが、兵士たちは(略)時間がないからなんでも食缶にぶちこんでしまいごっちゃにしてしまう、上と下とでは民間の残飯屋が買い取るときキロあたり2銭値段が違い、部隊の積立金・健兵大作のための賄料にまで影響をおよぼすから、ちゃんと注意して分別させねばならない」

…なんて、「残飯」をいかに業者さんに高く買い取らせるか…なんて話が切実な議題として、大真面目に議論されていたそうです

無題
Name名無し 21/03/17(水)18:55:42 No.519560
1615974942835

また、時には残飯を自らリサイクルすることもあったそうで、大分陸軍少年飛行学校付の陸軍主計大尉だった松下三二さんという方は、昭和19年6月18日、「残飯利用更生のための水洗選粒器」を考案した功績を認められて、陸軍航空総監の後宮淳大将より、表彰状と銀時計を授与されておられるんだそうで

「手もとにあった桜田式洗濯機にヒントを得」創られたというこの機械、「戦後人気を呼んだ電気洗濯機の構造の発想に一脈通ずるものがあり、吾ながら驚い」たそうなんですが、要は残飯(上下は分けなかったとか)を水洗いしつつ、遠心分離の要領で、おコメ粒だけを効率的に(2千5百人分なら2名で40分から1時間)より分けられる装置であったそうです

そうしてより分けた米粒は、

「加工業者に於て、ふくらがし機により『おこし』の材料として、『おこし』を酒保資金により自製した」

無題
Name名無し 21/03/17(水)18:57:54 No.519561
1615975074080

「部外業者において製粉し、菓子パン類似の菓子を三種ほど作った」

…そうなんですが、家計節約のためにおかーさんが、おゆはんの残り御飯をアレンジして子供達のオヤツを作る…というのを、もっと大規模かつ工業的に兵営で実施したわけですなあ

因みに前述の伊島主計大佐に言わせると、大阪の聯隊(の兵営)から払い下げられた残飯は、大阪名物「粟おこし」の材料になっていたというか、「あれ(※残飯)をいかに利用するかということを大阪の商人が考えたのが、大阪の粟おこしですよ」…ということなんだそうで

少なくとも当時の「粟おこし」の原料の供給元の一つは、地元大阪の陸軍さんだった…ということになるんですかしら…

無題
Name名無し 21/03/17(水)20:19:52 No.519565
粟おこしなのに米が原料なん?って思ったけど、実際名前だけで粟は使わないのねん
しかしまあ、残飯売る方も買う方も商魂たくましいというかなんというか

無題
Name名無し 21/03/18(木)16:45:23 No.519584
きりたんぽや五平餅みたいな、今では観光地の名物になってる食べ物も元々は余ったご飯を保存食にする為のものだったそうですしね
日本陸軍の粟おこしも、かつて戦国時代に蒸し米を乾かして糒を作っていた伝統に沿ったものと言えるのかもしれません…(笑)

無題
Name名無し 21/03/18(木)19:27:00 No.519586
http://may.2chan.net/39/src/1616063220871.jpg
昔の飯はうまかったのだろうか

無題
Name名無し 21/03/19(金)00:47:24 No.519602
>昔の飯はうまかったのだろうか
日本軍のはどうか知らんけど(食った事ないから当然だけど)自衛隊のOD色缶飯はクソ美味かったよw
飯なら赤飯と鶏五目、おかずなら沢庵がお気に入り
帰省時のお土産にも重宝するんで台風対処で缶詰になる時は事前に自前で食う物を調達しといて、支給される缶飯は保管して休暇の時に実家に持ち帰ってた(官品横領だけど・・・)
OD色の缶飯が無くなったと聞いた時は軽く凹んだ

無題
Name名無し 21/03/19(金)04:30:51 No.519605
缶飯は嵩張るし重いしで余りいい思い出なかったな
温めないと食えないし。
味変でラー油垂らして食ったのもいい思い出だな。
あと便秘になるという謎なことも。
今はレトルトに変わったけどあれも、30分以上加熱しないと米が硬くて食えないし。
結局、状況中に食ってたのはカルパスとお水だったな
それに飯に時間を使うより仮眠したほうが元気でるしな。

無題
Name名無し 21/03/19(金)04:47:39 No.519607
市販品のうどん玉とレトルトカレーが一緒になったの何で無くなったんだろうな?
冷えてもカレーぶっかければ食えたし、温めれば旨いし

無題
Name名無し 21/03/18(木)20:20:47 No.519587
1616066447593

戦中北方千島列島を防衛する第42師団の経理部部員だった柴田昌郎さんの回想によると、現地(ウルップ島)は大変濃霧に見舞われやすいところで、

「米俵があっても、俵の役をなさないで、一瞬にして青カビを越えて黒カビになっちゃうという地域であります」
「一重の米俵、いわゆる戦時梱包の、カマスの2枚ではないのでまいりますと、いきなり真っ黒々になってしまうというふうな損害を受けて(略)計算上の支持日数と、実際食えるものとの差が非常に激しくて(略)食えるものがないという状況がありました」

「野戦倉庫(略)貯蔵しとったわけですけれども(略)戦友であるものがかっぱらいに来るのを警備するというような格好の(略)警備」
「歩哨係と営舎係とが撃ち合いをやって(略)片っぽうが死んだというような事故まで起こった」

無題
Name名無し 21/03/18(木)20:22:58 No.519588
1616066578303

…なんて苦労の日々だったそうです

また、輸送船からの補給物資の揚陸も、潜水艦を恐れて完全に員数を揚げないうちに打ち切りになったり、港湾施設の無い海岸に積み上げたおコメが海水を被って台無しになったりして、また食糧不足に拍車をかけたそうなんですが、
「海水かぶったら米食べられませんよね。それを、やっぱり兵隊の知恵ですね、これで酒作ってみようじゃないかという部隊がありましたよ」
「それで砂の混じった砂米で、薬のワカモトで酵素を作って、それをドラム缶に入れておきますと、けっこう酒が出来たらしいのです」

…というハナシもあったんですとか

因みにタンパク質源としては、現地の海や河川で漁獲する魚介類の他に、「あそこにはネズミが多い」…んだそうで、

無題
Name名無し 21/03/18(木)20:24:11 No.519589
1616066651122

「農林省が古くからキツネを飼っていて(略)餌として(略)アラスカの方から千島に移植したのです」
「狐の餌のネズミを兵隊が食べるんです。私も食べましたが、うまいですよ」
「ネズミは、白樺の根を食べるのです。そのネズミが、日本軍が入ったので、白米を食べ始めたものですから、うまいはずですよ」
「そんなわけでネズミは大分食べて生肉の補給をいたしました(略)非常の場合になると、軍全体がどうしろというよりも、兵隊さんが独り歩きをして、自分の自活力で結構生きる方法を考え出すものですね」

…とのこと

カビたり海水と海辺の泥を並でかぶって食べられなくなったコメでも、工夫次第ではごはんとは違う形で、現地の将兵さん達の腹を満たしていたみたいですね

つまり、ネズミは…米料理!

無題
Name名無し 21/03/20(土)18:11:29 No.519663
>No.519587
クマザサやハイ松にその他山野草とかで乗り切れとか厳し過ぎ…
ハスカップやコケモモの果実酒はなんとも美味だろうけど…

無題
Name名無し 21/03/19(金)09:07:32 No.519610
1616112452523

美容板と筋トレ板に常駐してる俺としては、食事では味よりも栄養成分を重視したいところ
特に納豆はお供と言っていい

そういや陸軍も納豆を重視してたみたいだが、実際に配付出来てたんですかね

無題
Name名無し 21/03/20(土)15:38:22 No.519653
1616222302609

>納豆

陸軍主計少将だった川島四郎さんの著書にあるエピソードなんですが、

「満州事変の終わりごろ、熱河の第8師団司令部から『納豆を現地で作りたいから納豆菌をすぐ送ってもらいたい』との電報がきました」

「かねがね陸軍経理学校の学生に『(略)満州を土台にして戦争をすることもあろうが(略)いたる所にある大豆を単に煮豆にしてしまうなど最もへたな方法で、煮豆はどんな腹の達者な兵隊でもその消化は82%くらいで、あとの20%は(※自粛)になってしまう。もし大豆をもって納豆を作るならば、その消化吸収率は、俄然96%となり効率が非常に上がる』

『また納豆を薄塩味を付して乾燥した”乾燥納豆”を作るならば、携帯口糧ともなる』

無題
Name名無し 21/03/20(土)15:40:26 No.519654
1616222426896

『ところが満州には稲作が少なく、藁がないから、それこそ内地で納豆菌を純粋培養してこれを戦場へ送付して納豆を作るべきである』と講義していましたが、その教え子の一人から、納豆菌を送ってほしいとの要請でした」

「早速、東大の坂口教授のところへお願いに行って、納豆菌を試験管に二本分けてもらい(略)軍用偵察機を立川から熱河へ直通に飛ばせて送ってやりました」

「その後半年ほどして、熱河地方の軍の給養状況を視察に行った時、師団の野戦倉庫で、ぜひ私に見てもらいたいものがあるということで(略)現地の民家へ私は引っ張って行かれました。中に入って見て(略)驚きと喜びに深い唸り声をあげたものでした」

「というのは、その家屋全体を納豆庫にして膨大な数量の納豆を製造し、各隊に配給していたのです」

無題
Name名無し 21/03/20(土)15:41:08 No.519655
1616222468049

「中国大陸の民家(略)は(略)床を土で築き、その下で火を焚いた煙が通り、床全体が暖まる暖房方法を採っています」

「この暖房装置を活用して(略)納豆の製造庫にして盛んにやっているのです。輸送困難な第一線行動部隊は除き、その他の部隊はことごとくこの納豆補給の恩沢に浴し、殊にその師団の故郷の北国で大好物の納豆ときているので大変な好評でした」

…なんてコトもあったそうです

日本陸軍で用いられた「軍隊調理法」という冊子にも納豆の製造法が紹介されていて、古来からの藁苞式と純粋納豆菌添加を用いる方法の二つが掲載されているんですが、実際戦場でも師団ぐるみで納豆づくりに勤しんだところがちゃんとあったようですなあ…w

無題
Name名無し 21/03/20(土)17:55:21 No.519661
関西の部隊ではやはり全然作らなかったんだろうか・・・

無題
Name名無し 21/03/21(日)04:25:24 No.519676
現地自活も材料がないとね
農作物の手に入らないところはキツいよね

無題
Name名無し 21/03/21(日)11:27:24 No.519679
残飯の話、軍隊って「お残しは許しまへんで!」ってところだと思ってたんだけどもそうでもないのか

無題
Name名無し 21/03/21(日)17:58:51 No.519694
>残飯の話、軍隊って「お残しは許しまへんで!」ってところだと思ってたんだけどもそうでもないのか

お残しする余裕すらなくても麦はレッコするんやで

無題
Name名無し 21/03/21(日)16:15:26 No.519691
納豆って、洗剤がなかった時代は食べた後の食器洗いが大変だったそうだけど
その辺平気だったのだろうか?
海軍の船では洗うのが大変だという理由で採用されなかったそうだけど
(上陸して買ってきて勝手に持ち込む下士官兵は居た)。

無題
Name名無し 21/03/21(日)17:15:12 No.519692
納豆は水にしばらくつけておけばすぐとれる印象
こする必要もないぐらい流水できれいさっぱり

無題
Name名無し 21/03/21(日)18:32:58 No.519695
1616319178764

先述の陸軍軍医さん達の会議の議事録によると、ある部隊では

「初年兵が残飯を捨てに行って、残飯を手づかみで食っているところを残飯屋に発見せられたことが主計の耳に入り、あわてて主食を増量した」

…なんてこともあったそうです

残飯屋に売るほど残飯が出る一方で、部隊内にその残飯をこっそりあさるような飢えた兵隊さんが出ているというのは確かに矛盾なんですが、当時の陸軍内でもやはり問題視されており、陸軍軍医学校などが調査を行っているんですが、それによりますと原因の一つは


「(※戦争による)徴集人員の増加により兵の体格には著しき差あり。身長大なる者は1.77メートルに及び、短なる者は1.51メートルに過ぎず」

無題
Name名無し 21/03/21(日)18:34:14 No.519696
1616319254799

「体重大なる者は76キロに及び、小なる者はわずかに45.5キロなり」

「かつ兵業は著しく分科し、同一中隊に於ても小銃、軽機、擲弾筒等に分かれ(略)従って、各人の食需量に著しき差の生ずるは当然なり」

「これを従来のごとく食器に画一的に分配する時は、ある者には不足し、ある者には残飯を生ずるは当然」

…というもので、要はある種の悪平等というか、体格差や作業量の違いから来る必要エネルギーの違いを無視して、全員に等量の食事としたことであったそうで

実際、ある部隊で実験的に「飯櫃方式」として、内務班で予め各人の食器に盛りきるのではなく、各人が好きなだけの量を飯櫃からよそう方式を試したところ、従来通りの給食方式とした中隊に対し、平均体重の伸びは2倍を超えたとのこと

無題
Name名無し 21/03/21(日)18:36:42 No.519697
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体重増加者の内訳も、体格の大小で差が出ない理想的な結果が出たそうなんですが、一方ではこの「飯櫃方式」、実験的な中隊でなく、実際に各年次兵、つまり初年兵と古年兵が一緒にいる各部隊の平均的な内務班では、初年兵が反って古年兵に遠慮して十分な量をよそらなかったり、または古年兵の方にだけ多量に盛り付けるなどの事態を招いてしまい、反って無益な残飯を出してしまったそうです

また別に飢えがちな初年兵に多く食べさせるため、内務班の全員にごはんを八分盛りで配分した後、足りないものは残りをオカワリしてよろしい、という方式も多くの隊で採用されていたそうなんですが、これも同様の理由であまりうまく行っていなかったんですとか

結局画一的な給食方式だけでなく、内務班の中でのセンパイコーハイ関係に変に配慮しなければいけないフインキも問題の根源であったそうなんですが、いっそ米軍みたく、大食堂&カフェテリア式の食事にした方がよかったんですかしら…

無題
Name名無し 21/03/21(日)18:46:12 No.519698
http://may.2chan.net/39/src/1616319972472.jpg
防衛大学校だと米の上手く炊けたほうを上級生によそって下級生はお焦げや炊けてないほう、上級生にうっかり変なもの出すとしばかれると聞いたが
そういう過度な身分ヒエラルキーは本当にアホらしい習慣だと思う。

無題
Name名無し 21/03/22(月)10:38:29 No.519722
古年兵だってかつては新兵さんでその辛さも分かっているはずなんだけどねえ
上手く思いやってやれないもんなのかなあ

無題
Name名無し 21/03/22(月)14:42:32 No.519727
部活動と同じでしょ。自分がやられて嫌だったことをしないようにする人がいれば、そのまま後輩に返していく人もいる。人間は変わらないんだよ。

軍隊という場所はストレスの度合が段違いだから、よりひどくなるのはあるかもしれない。ただ、そうした恨みは忘れないので、生死の境目になったとき、仕返しされて助けてもらえないと思う。

無題
Name名無し 21/03/22(月)16:15:22 No.519731
初年兵だろうが古参兵だろうが士官から見れば皆同じく代わりが幾らでも居る下っ端連中なんだけどな。
歳や年次の差で過度にマウント取りたがる人ってまあ無くならないよね。

無題
Name名無し 21/03/22(月)17:37:10 No.519732
軍隊ではメンコの数が大事って言いますし古参の下士官ともなれば下手な士官より偉かったりするので難しい所

無題
Name名無し 21/03/22(月)20:53:08 No.519737
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戦中輜重兵第32聯隊(東京)の第1中隊長だった、八木雄一さんという方の回想によりますと、1940年9月、士官学校を出て、当時中国に駐屯していた部隊に着任した時の隊内の様子というのは、

「新任の見習士官、下士官が教育隊より帰隊すると、年次の古いものが殴るか、いやがらせを行いおさえつけようとする。新年次の上等兵は、古年兵の一等兵を指揮できない。全く戦国の世の下剋上そのものであった」

「朝の点呼に出ない下士官、古兵はざらであった(略)着任して間もなく、一部の人士が私の部屋に押入り、いつもの手段で私を威圧しようと企てていることを察知し、夜、寝る時は拳銃を腰に、軍刀を脇にして休むようにして『いざ』というときは、目に物みせてやる覚悟を決めていた」

無題
Name名無し 21/03/22(月)20:56:50 No.519738
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「この気合が先方に通じたのか、彼等は遂に押入ることはなく経過した」

…という、サツバツとしたものであったそうです

そこで一計を案じた八木氏、ある朝起床ラッパと共に非常呼集をかけると、同時に「ガス訓練」としてホンモノの「赤筒(くしゃみガス)」を各室内に放り込んで回ったんですとか

「ガス訓練の基礎を終っていた初年兵は、なんなく兵舎外に出たが(略)二年兵、三年兵の中には咳をして苦しみながら舎外に整列するものが多かった。普段横着を決め込んでいた古兵は、布団の中でバタバタして苦しんだ」

無題
Name名無し 21/03/22(月)20:59:07 No.519739
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…そうなんですが、この荒療治が効いたモノか、翌日からは覿面に古兵さん達の態度もよろしくなったとのこと

新任の士官さんへのゲコクジョが普通の事とか、お世辞にも軍紀厳正な軍隊とは言えないような気もするんですが、逆に言えばそういう油断のならない古兵サン達を、時には力ずくで黙らせられるだけの度胸がある人でないと、IJAの指揮官は務まらなかったんでしょかねえ…

無題
Name名無し 21/03/22(月)21:15:00 No.519740
ソ連の兵舎じゃ夜な夜な悪名高い「ヴォローシャ転がし」をやってた
皇軍の兵営内のイジメは酷いなぁと憤っていたけど、ソ連の兵営はイジメというレベルではなかった
恐喝暴行は当たり前
古兵殿たちによってたかってサツガイされる新兵多数
おかげでアフガンでは凄いことになってたそうな
古兵殿の敵は目の前にいるアフガン戦士だけじゃないw

無題
Name名無し 21/03/22(月)21:17:54 No.519741
んな調子じゃ敵に勝てないんだな…

無題
Name名無し 21/03/22(月)21:30:19 No.519744
古兵殿たちが代わる代わる、新兵を殴って倒してまた殴っての繰り返しで兵舎の中庭のレーニン像まで連れて行く
これが「ヴォローシャ転がし」です
到着するまで何十発殴られるかわからず、それで死んでしまう新兵多数
新兵のところに来た親元からの仕送りは当然のことながら古兵殿に全部取られる
それでも新兵は「ありがとうございます親方!」と言わねばならない
古兵殿たちは「息子よ、ありがとう!」と一応お礼は言いますw
共産党員である士官たちは兵営とは別天地の官舎に住み、兵営内の凄惨な状況は完全無視です

無題
Name名無し 21/03/23(火)01:06:07 No.519755
>ソ連の兵舎
あの国は「ロシア帝国」「ソビエト連邦」「ロシア共和国」と、時代と国体が変化してもなお軍隊のいじめの酷さは変わらないんだね。 (´・ω・`)
ロシア語に「ジェドフシーナ」という言葉があるけれど、これは日本語の「かわいがり」と表も裏も同じ意味で使われている。
ロシアの新兵がジェドフシーナの苦しみから逃れるには、自殺するか脱走するしかないが後者はほとんど成功しないらしい。
戦艦ポチョムキンの水兵の反乱だって、艦内でのいじめが原因だったからなぁ。

無題
Name名無し 21/03/22(月)21:58:29 No.519746
そうやって新兵虐めが常態化してるから、自衛隊を含め各国の軍は充足率の低さが問題になってるのでは…?

現代の米軍でも新兵虐めは問題になってて、特に海軍では新兵の尻を犯すのが伝統化してるレベルだと言うからなぁ…

無題
Name名無し 21/03/22(月)22:26:34 No.519749
マッカーサーもウエストポイントで上級生から壮絶な虐めに遭って、同期が自殺したけど。
査問会で決して虐めた上級生の名前を口にしなかった事で
一目置かれる存在になったという。
それでいいのか……?

無題
Name名無し 21/03/22(月)22:43:03 No.519751
今苦しんでんだ変な習慣残した責任とれ!と言ったところで
責任とるべき人たちは辞めた後か、間もなく辞めるか、とっくの昔にこの世から辞めた後だからね。
上下関係は大切だけど絶対に私用しちゃいかんのよ。

無題Name名無し 21/03/23(火)05:06:14 No.519768
軍隊の第一の機能は一番職場にいてほしくないタイプの人たちを吸い込んで隔離して暮らしの平和と安全を保つことなので
いじめが無くならないのはむしろ軍隊がきちんと機能してる証拠

無題
Name名無し 21/03/23(火)05:20:15 No.519769
その結果今は敵側の一番職場にいてほしくないタイプの人たちがたくさん来ようとしてえらい大迷惑してます

無題
Name名無し 21/03/23(火)05:45:15 No.519770
むしろ世間のあらゆる階層・職業の人が含まれてたのが当時の日本軍じゃないかな
おかげで現地自活の時何か作ろうとすると、大抵兵隊の中に元〇〇屋がいて間に合う
という(笑)

無題
Name名無し 21/03/23(火)06:14:28 No.519771
確か正月の時に何かやろうと声をかけたら部隊の中にたいてい必要な職人が揃っていたとか

無題
Name名無し 21/03/23(火)06:22:29 No.519772
当時は全国チェーン店とかないから地元の中で○○屋ってのが存在してたし
そういう人たち招集してたら専門職の集団になりがち

無題
Name名無し 21/03/23(火)18:42:21 No.519795
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IJNの主計将校だった瀬間喬さんの著書に、中国大陸での勤務時代の話が出てくるんですが、曰く

「安慶の軍需品配給所に勤務している時、揚子江岸にいる陸軍部隊(今考えると船舶工兵だったのではあるまいか)から大豆と塩を分けてくれといわれ(略)大豆と押収していていた岩塩を分けてやったら、二~三日したら『お礼です』といって自分たちで作った豆腐を沢山持ってきてくれて大助かりであった。そして非常にうまかった」

「海軍は戦地で陸上にいると文字通り岡に上った河童で、軍需部でさえ給糧船がこないと生糧品は手に入れることはできず、軍需部が一部隊で作った豆腐を有難がらねばならなかった」

無題
Name名無し 21/03/23(火)18:44:31 No.519796
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「海軍経理学校の教科書で艦内生産とかもっともらしい名称をつけて豆腐や納豆の作り方を教えているが、陸軍では『糧を敵に因る』というのは講義でなく常識であったようである(略)海軍では、野戦における糧食、給食はしょせん海軍経理学校で教える教科書の紙の上のものを出なかった」
「海軍は御馳走を作ることは陸軍と比較にならぬほど上手であった。それはそういう専門兵がいて、そんな教育をしたからであるが、それはあくまで浮かべる城のうえで冷蔵庫や糧食庫を抱えて、という前提のうえに成り立っていた」
…とのこと

例えるなら美人で料理の教科書通りの素敵な御馳走が作れるけれど、例えば冷蔵庫が壊れたりしたらたちまちお手上げ!な海軍ちゃんと、ちょっと野暮ったいけど生活力溢れて、どんな事態でもかくお腹いっぱいにしてくれる陸軍ちゃんといったところ

恋人や奥さんになってもらえるなら、果してどちらが理想のお相手でしょうか…w

無題
Name名無し 21/03/23(火)19:22:59 No.519799
付き合うなら海軍ちゃん
結婚するなら陸軍ちゃんだな(棒

とは言え、兵士が訓練や任務、休養に使える時間を割いて自分自身の食料生産に使うのは、やっぱ本来的には望ましくないんじゃろな

無題
Name名無し 21/03/23(火)18:54:28 No.519798
食料を現地で生産って、現代の軍隊でもするんだろうか?
アメリカ軍だと船や輸送機でとっとと輸送しちまうイメージがある

自衛隊も最近はジブチなど海外基地を持つようになったので、食料周りの事情は気になる

無題
Name名無し 21/03/24(水)04:22:20 No.519824
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東京の近衛歩兵第1聯隊附の主計少尉だった、山本高さんという方の回想記に依りますと、

「私が隊付をしたころ(※昭和18年)には、そろそろ世の中物資が少なくなりまして、師団から配給になりました主食ですが、これは玄米が配給になりましたね。それから大豆。私どもの部隊は古い部隊で、圧力釜なんていうものはないわけです」

「玄米とか大豆を(略)しっかり火を通して時間をかけて煮て、兵隊に渡したつもりなんですが、兵隊さんは(略)われわれがいない時には丸ごと飲んじゃうんですかな」

「経理学校で(略)教育を受けました時に(略)兵隊さんの(※自粛)を見て、どんな状況かというので給与をやれというようなことを確かに教えられました。私も時々兵の(※自粛)槽を──きたない話ですが、のぞいて見たことがあります」

無題
Name名無し 21/03/24(水)04:23:47 No.519825
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「そうすると、玄米は皮ごとぶつぶつ浮いているわけですね。大豆なんか丸ごと出てるわけです。医務室へ行って見ると、兵隊の(略)平均体重が、そういうものが配給になってから、ぐんぐん下がっていくわけです」

「これじゃいかんというので(略)当時企業整備令というのが確か発動されておりまして、米屋さんみんなその搗精機を引き上げちゃったんですね。一般の人もみんな玄米がやっぱり配給になってたんです(略)それを4機ぐらいただでもらって来て、連隊に備えつけて、搗精してやりました」

「大豆もやっぱり定量だから、他に副食なんかで食わしちゃいかんというような(略)指示があったんですが、それを無視して、上野のカッパ坂へ行って、豆腐の機械とか、油揚げの機械とか、ああいうものを一切買って来まして」

無題
Name名無し 21/03/24(水)04:24:49 No.519826 
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「連隊で全部、豆腐と油揚げは自家製で、それをほとんど副食の形で食わしてやった」
「それで出た糠だとか、おからだとか、そういうもので養豚、牛なんかも飼いました(略)後楽園というところに昔射垜があったですね。小さな射撃場(略)そこを借りてそこで飼った」
「豚が大きくなって、私どもが指導して連隊の中へ持ち込んで来て、屠殺して兵隊に食わしたことがあります。それは大変喜ばれました」

…そうです
食糧事情が悪くなったのは全部隊共通でも、ただ指示された通り、玄米と大豆をそのまま消化の悪い混ぜ飯で支給した部隊と、規則違反でも豆腐や油揚げ、豚肉にして食べさせた部隊とでは、当然差が出たんでしょうね

〇ん〇を見てまで気遣ってくれる、山本さんのような経理将校さんがいた部隊の兵隊さん達は、やはり幸運だったということなんでしょうか…w
引用元:http://may.2chan.net/39/res/519194.htm