無題Name名無し21/02/16(火)22:11:02 No.518299

Ilyushin_Il-2M3_-_Ильюшин_Ил-2M3_Sep1943
This prototype of the new version Il-2 (unofficial designation: Il-2M3 / Il-2 type 3 / Il-2 model 1944) built in Zavod 18 was tested by the NII-VVS in September-October 1943, flown by the test pilot V. K. Kokkinaki.
Umeyou


欧州東部戦線の航空戦スレッドです。
北アフリカや太平洋でも大規模な航空戦が繰り広げられていましたが、
第二次世界大戦のメインステージと言ったらココですよ。 (・∀・)b


無題Name名無し 21/02/16(火)22:11:34 No.518300
開戦時に圧倒的だったドイツ空軍は開戦から1年半後には劣勢に立たされてしまいます。
テキトーなロシア人が粗製乱造の木製戦闘機を大量生産して戦線投入したのに対して、クソ真面目なドイツ人は資源と手間のかかる軽合金の戦闘機を生産して対抗しようとし、消耗戦の結果、スターリングラードで大敗し、翌年のクルスクでトドメを刺されました。

1942年中にソ連はMiG-3、LaGG-3、La-5、Yak-1/7/9などを9千機以上生産した上に、米英からP-39、P-40、ハリケーンなどを2千機以上調達することに成功しましたが、一方のドイツは同年に4,600機ほどの戦闘機しか生産しておらず、しかも東部戦線以外の戦線にも機体を分配する必要があったので、ソ連との戦力差は大きく開きました。
翌1943年の東部戦線は、前半ではソ連の6千機に対してドイツは千機、後半ではソ連の1万機に対してドイツは2千機と大差がありました。

無題
Name名無し 21/02/16(火)22:12:01 No.518302
レシプロ戦闘機の基本戦術は急降下で加速して敵機を攻撃したら、再度上昇して次の攻撃に備えることの繰り返しですが、元の高度に到達するまでに数分を要して、その間は無防備となるので味方の援護が必要になります。
だから単機の性能では優れていても、数量で負けていれば、常に上空を支配できる相手方に破れてしまいます。
さらにソ連の戦闘機は性能とパイロットの技量もドンドン向上して行ったので、「質」の面でも必ずしも優勢ではなくなってしまいました。

元々連合軍に生産力や資源で負けている → 東部戦線で戦闘機を大量に消耗する→本土の防空が手薄になる→本土の工場を爆撃されて、ますます飛行機不足になる~という悪化のスパイラルに、ドイツは見事にハマってしまったのではないでしょうか?

無題
Name名無し 21/02/16(火)22:16:50 No.518305
そこでムニュッ!と考えたのですが、ドイツもソ連同様に東部戦線に投入する戦闘機は、木製戦闘機を開発/生産すればよかったんじゃないでしょうか?
対ソ戦争が数年がかりの長期戦になることを分析して、事前に戦争準備を進めていればドイツがLa-5やYak-9に匹敵するような木製戦闘機を開発することも可能だったはずです。
そうすればソ連との戦力差も史実ほど開かずに済んだことでしょう。 (・∀・)b
結果的に東部戦線を持ち堪えつつ、本土の防空にも十分な数量の戦闘機を配備できたのではないでしょうか? (・∀・)b

無題
Name名無し 21/02/16(火)23:14:27 No.518310
>対ソ戦争が数年がかりの長期戦になることを分析して
ナチにそんな計画性があったら木製戦闘機を作らずに済む程度に楽出来てそう。

無題
Name名無し 21/02/16(火)23:47:51 No.518311
ドイツ空軍に欠乏していたのは金属じゃなくてパイロットだしなぁ

無題
Name名無し 21/02/17(水)07:26:39 No.518321
軽金属製の高性能機が生産されてるのを横目に木製戦闘機に乗らされるパイロットの気持ちを考えるとちょっと士気が下がりそう

無題
Name名無し 21/02/17(水)09:07:43 No.518322
>軽金属製の高性能機が生産されてるのを横目に木製戦闘機に乗らされるパイロットの気持ちを考えるとちょっと士気が下がりそう
ジョンブル「全くだな」

無題
Name名無し 21/02/17(水)10:07:07 No.518323
>そこでムニュッ!と考えたのですが、ドイツもソ連同様に東部戦線に投入する戦闘機は、
>木製戦闘機を開発/生産すればよかったんじゃないでしょうか?
No.518300でご自身が指摘されてる通り、そんなことできなかったんですよ
鹵獲したT-34を徹底的に調査したドイツ人技術者チームは
「我々はT-34は作れない」という結論に達した
理由は「こんな粗雑なものは我が国の工業規格に通らない」

無題
Name名無し 21/02/17(水)19:21:22 No.518342
>鹵獲したT-34を徹底的に調査したドイツ人技術者チームは
>「我々はT-34は作れない」という結論に達した
>理由は「こんな粗雑なものは我が国の工業規格に通らない」
T-34のディーゼルエンジンもコピーできないのに?
木製機を製造するには接合に金釘……じゃなくて接着剤を使用しなければならないために高い科学もとい化学力が必要ですが、空軍の拡張を急ぐ30年代後半ドイツにその余裕はありますかねぇ……

無題
Name名無し 21/02/17(水)12:00:48 No.518326
1613530848112

作ってみたけど、接着剤が上手くくっつかず文字通り空中分解

ドイツ軍の予定では、開戦まであと数年の余裕があると思っていたのよね
それをちょび髭のおっさんが舌先三寸でラインラント、オーストリアにチェコを支配下に入れたもんだからポーランドのダンツィヒくらいくれるだろうと調子に乗ったら開戦しちゃった
海軍はZ計画に沿ってこれから建艦しようってのに全部パー
1935年に再軍備を宣言して1939年に開戦、早すぎでした
対ソ連に関してももう少し勉強したほうがいいよ
売れない仮想戦記みたいな話になってる・・・

無題
Name名無し 21/02/17(水)14:25:48 No.518328
総統閣下おじさんの考える戦略計画が売れない仮想戦記レベルだからセーフ

無題
Name名無し 21/02/17(水)14:34:35 No.518329
1613540075843

元の基本設計は既に出来ていたとはいえ大慌てで作ったものだから・・・

無題
Name名無し 21/02/17(水)19:21:36 No.518343
ドイツの陸海空軍のそれぞれがあと数年の準備を必要としていた、というのは事実なんでしょうけれど、実際のところ、それらの軍備充実を進めるためのドイツという国家全体の経済状況は、1939年のWW2開戦前にもう破綻寸前まで行っちゃったそうでして

1933年以来、ちょび髭の伍長サン率いるナチス政権が気前よく進めた大規模な再軍備含む公共事業のおかげで、1936年にはドイツの工業原料の備蓄と外貨準備高は危機的状況に陥っていますし、急速かつムリな工業計画により農村部の離農の促進(=食糧自給率の低下=更なる外貨準備高の沈降)、労働力の不足(1938年12月の労働省の報告によれば約100万人)も深刻であったんですとか

ナチスドイツの財政(とその再軍備)を支え続けてきたシャハト経済相・帝国銀行総裁も、1939年初頭、このまま野放しの歳出増は、破壊的なインフレを招くので止めなされ!と警告したところで、激怒したヒトラーオジサンに罷免されてしまったそうです

無題
Name名無し 21/02/17(水)19:23:38 No.518344
1613557418308

こうした経済・工業事情の悪化はそのままルフトワッフェにも反映されて、1938年8月1日の時点でのドイツ軍機の稼働率は戦闘機が70%、爆撃機が49%、全体で57%というもので、搭乗員の訓練も進行はひどく遅れ、定員の3分の2を充足するに過ぎない上、その40%は未だ実戦に堪えないレベルと判定されていたんだそうで

1937年のドイツでは、鉄鉱石輸入不足のため、鉄鋼生産の稼働率は本来の83%しか稼働しておらず、1938年6月の燃料備蓄量は動員計画で必要とされる量の25%(全面戦争4ヵ月分)、航空機エンジン用の潤滑油備蓄量は動員計画必要量の6%に過ぎなかったんですとか

1939年1月には、オッパイプルンプルン!さん自身が国会で、わがドイツは外貨獲得のため「輸出戦争」を遂行しなければならない!と宣言せざるを得なくなっているんですが、同時に国防軍あての物資割り当てを、鉄鋼30%、銅20%、アルミ47%、ゴム14%と大幅に削減することを余儀なくされているそうです

無題
Name名無し 21/02/17(水)19:26:19 No.518345
結局ナチスドイツが各軍の準備不足を百も承知で1939年に開戦に踏みきらなければいけなかったのは、赤字支出を続けた財政のツケを、他国の併合による資源や外貨、労働力の獲得でしか払えなくなってしまったという事情あってのことなんですよね

従って、話を対ソ戦の空軍軍備に限ってみても、たとえ新世代の高性能機の開発配備を犠牲にして、性能や材質をダウングレードした機材のみに絞ったとしても、ソ連を圧倒できる数を戦前に配備できたかは大いに疑問ですし、仮に機材の数だけ揃えたとしても、その多数の機体に搭乗する大量のパイロットを、十分な練度に鍛えるために必要となる、燃料その他のコストを賄うだけの経済力はなかったんではないでしょうか

逆に言えばWW1後に、ナチスがドイツの政権を取るという流れの中では、「数年かけての入念な対ソ戦準備」自体が不可能であった、ということになるじゃないでしょかねえ

無題
Name名無し 21/02/18(木)06:30:13 No.518359
>実際のところ、それらの軍備充実を進めるためのドイツとい
>う国家全体の経済状況は、1939年のWW2開戦前にもう破綻寸前まで行っちゃったそうでして

ここいらへんそれなりの世界史の資料でも書かれてないところですね
単純にヒ総統の領土拡張政策がポーランド侵攻を招いたとした認識してな人が多くて、メフォ手形発行での国家債務超過の件についてはあまり知られていない
その解決策が性急な領土拡張政策とポーランド侵攻なわけで
ドイツに残された時間はほとんどなかったってオチ

無題
Name名無し 21/02/19(金)21:12:52 No.518412
>ここいらへんそれなりの世界史の資料でも書かれてないところですね
>単純にヒ総統の領土拡張政策がポーランド侵攻を招いたとした認識してな人が多くて、メフォ手形発行での国家債務超過の件についてはあまり知られていない

ヒトラー台頭に焦点当てたドキュメンタリーでも
 ヒトラー以前→ ハイパーインフレでバケツにお札入れて買い物
 ヒトラー政権をとる → 公共事業でドイツ経済奇跡の復活 ! 軍事大国に !
という単純明快さでヒトラー凄い ! という感じですよね
ドイツ国民も 70年代までは戦争さえしなきゃヒトラーは立派な政治家だったという認識
(80年代以降はナチス・バッシングが酷くなって、部分肯定も不可に)

無題
Name名無し 21/02/17(水)22:03:15 No.518353
http://may.2chan.net/39/src/1613566995758.jpg
資材不足が深刻になってから始めた日本が結局モノにできなかった辺り
合板機体もそれなりの技術蓄積が要求されるものなんだな

無題
Name名無し 21/02/17(水)22:35:46 No.518356
イギリスは元々木工職人がたくさんいて接着の技術の下地があったんだろうね
日本は釘を使わずホゾで組み立てる文化だったのです

無題
Name名無し 21/02/18(木)02:56:43 No.518358
接着剤が肝要らしい

無題
Name名無し 21/02/18(木)11:15:35 No.518366
>接着剤が肝要らしい
日本はミルクカゼインに依存する部分が大きかったので、昭和15年制定の「牛乳及び乳製品配給統制規則」では牛乳の配給は母乳の足りない満一歳以下の乳児と病弱者に限定されたとのこと(一般社団法人Jミルク「日本におけるミルクの歴史」)
ただ牛乳のほぼ全量をカゼイン生産に投入した結果乳脂肪分が副産物となり、昭和19年にはバターの生産が734万ポンド(約3300㌧)に達したとか(岡山大学農学部・中江利孝「日本における乳加工技術100年をふりかえって」)

無題
Name名無し 21/02/19(金)19:17:29 No.518397
http://may.2chan.net/39/src/1613729849151.jpg
>日本は釘を使わずホゾで組み立てる文化だったのです

指物の技術を使えば接着剤などいらぬ
量産は絶望的だが

無題
Name名無し 21/02/20(土)00:59:47 No.518421
>イギリスは元々木工職人がたくさんいて接着の技術の下地があったんだろうね
>日本は釘を使わずホゾで組み立てる文化だったのです
いちおう欧州にも接着剤使わない木組み文化あるらしいけどな

無題
Name名無し 21/02/20(土)11:22:57 No.518429
>指物の技術を使えば接着剤などいらぬ

その手の釘使わない技術はすごいけど強度は弱いんだよな…
昔TVチャンピオンの大工王選手権で業界で有名な年寄りの大工が他の挑戦者が知らない技術で釘無しでくみ上げてたけど一番早く潰れてて凄い空気だったのにはワロタ

無題
Name名無し 21/02/20(土)12:59:57 No.518431
そりゃ実用性あったらみんな使うような手法として確立してるでしょ

無題
Name名無し 21/02/20(土)16:30:53 No.518437
木だけで組むメリットって釘代が浮く以外に有るんだろうか
まぁ釘代云々より木の加工費用の方が遥かにコストが高そうなんだが

無題
Name名無し 21/02/20(土)16:50:53 No.518438
>木だけで組むメリットって釘代が浮く以外に有るんだろうか
西洋の昔の船の再現や大型の木造船なんかだと鉄釘を使ってる動画は見るんだけど
日本で川で使ってた和船や海で使う木造船は水や塩があるから鉄の釘は使わんと船大工が言ってたな
時々日本海側に漂流してくる北朝鮮の木造船が昔の日本の木の船そのまんまで懐かしいと言ってた

無題
Name名無し 21/02/20(土)20:30:19 No.518450
http://may.2chan.net/39/src/1613820619605.jpg
>木だけで組むメリットって釘代が浮く以外に有るんだろうか

釘は木の繊維を断ち切りながら食い込んでいくから
年月が起つと木組みに比べ亀裂が入リ易かったり
釘の周りに隙間が出来易いと聞いた
特に洋釘は太さが同じでまっすぐ入って行くのでその傾向が強い
和釘は太さを部位によって変えたり鉄も軟らかいものを使うので
曲がりながら食い込んで行くので洋釘に比べ遥かに抜け難いらしい

無題
Name名無し 21/02/21(日)19:17:15 No.518511
1613902635721

戦中技術導入のためヨーロッパに派遣されていた、佐貫亦男さんの回想記に、陸海軍の見学団に同行して、イタリアの木製飛行機工場を見学した話が出てくるんですが、曰く

「私の不満はいまになって急に木製飛行機とさわぐことにもあった。私の会社は木材加工で経験があった。今次大戦前すでに木製飛行機も研究しておくことの重要性を、海外観察から帰った顧問の守屋富次郎橋上意見にしたがって、陸軍に提案したが、時代遅れだと一笑されただけであった」

「アルミニウム資源のない日本では当然考えておいてよいことであった。それを戦争前から97式重爆撃機の地図机までジュラルミンで作るような『贅沢』をしていた」

「贅沢とは費用や手間を指すのではない。工場にころがっているジュラルミン板を使う方が、工場にとってはかえって手っ取り早い。だからむしろ精神的に、木材工作を忘れている怠慢を指すのである」

無題
Name名無し 21/02/21(日)19:18:17 No.518512
http://may.2chan.net/39/src/1613902697405.gif
「ソ連の戦闘機も木製が多かったのである(略)アルミニウムの戦時の需要上昇と、工作と設備の容易を考えて、平時から研究していた様子がはっきり見える」

「ベルリンの戦利品展覧会で見たソ連戦闘機は、戦時のため手を抜いた点も多いが、要所は充分の強度剛性を持つ強化木材を使っていた。ドイツの戦闘機もいまでは、無限の木材資源とかんたんな工作で戦線に送られてくる圧倒的なソ連戦闘機の数に押されているのである」

「私は日本のあわてぶりが想像できた。満州へ越境してきたラボ―チキン・ラグ3戦闘機を分解して、哀れな日本が木製機を泥縄で研究していると聞いたのもこのころである」

「もちろん英国やソ連程度の木製機を製作することは不可能でない。ただ(略)あらかじめ煉瓦を積むような基礎研究がいる」

日本のようすでは、平常の勉強を忘れて試験だけ受けようとする劣等生に似ている。しかしその試験は操縦者にとって死をかけるものである」

無題
Name名無し 21/02/21(日)19:20:42 No.518513
http://may.2chan.net/39/src/1613902842300.jpg
「ミラーノの近く(略)サボイア・マルケッティの工場を見にいった。ときは1943年6月である。有名な大型木製飛行艇の製作所であるが(略)製作数はSM82が毎日1機、月産25機、他の機体はきわめて少数で(略)とても消耗戦に足りないであろうと、私は気を落とした」

「インチーザという合板工場も見た。これは田舎町にありながら大工場で(略)設備もよく、欧州最大という、5個のピストンを持ち、長さ10.5メートル、幅70センチの桁材を作る熱プレスがあった。これで比重0.8ぐらい、最大1.3までの強化木を製造する。木材の消費量は年1万8000トンといっていた」

「イタリアは技術を持っている。戦争が弱く、生産も低下したのは、イタリア人が気落ちしているからにすぎない。やってはならぬ戦争をしかけたからである」

「ミラーノを済ませて(略)見にいく工場はフィレンツェ南方100キロあまり(略)SAIあるいはアンブロジーニといったほうがとおりのよい飛行機会社である」

無題
Name名無し 21/02/21(日)19:21:38 No.518514
1613902898739

「工場主アンブロジーニは社長で主任設計者である(略)10年前から木製機を主張してきて(略)マッキMC202全金属製戦闘機とアンブロジーニSAI207全木製軽戦闘機を作っていた。工場人員は2100名で女子工員が300人、月産MC202十五機、SAI207も同じ程度らしかった」

「工数(所要人員と時間の積)は560キロ/時しか出ぬ(※ママ)MC202で約3万、640キロ/時を出すSAI403(※SAI207の発展型)が7000、すなわち四分の一弱である」

「アンブロジーニは徹底的な木製構造で、金属はプロペラ、発動機、発動機架の一部に使われるだけである。とくに胴体縦梁は立体的に彎曲しているが、先ず垂直面で第一曲率を与えて接着し、これを垂直に引き割った後、水平面内で第二曲率を与えながら接着する方法は参考になった」

「接着する板はブナとカバ(アッシュ材も使う)の交互混用だから、でき上った縦通材の断面は市松模様となって、強靭で離れないそうである」

無題
Name名無し 21/02/21(日)19:22:39 No.518515
1613902959372

「こんな軽戦闘機が日本でも使えるかは問題であり(略)敗色が濃くなった今日、どれだけ働くか疑問ながら、優秀な機体とわれわれは感服した」
…とのこと

もっとも、この見学から数カ月もしないうちにイタリアは三国同盟の仲間から真先に脱落してしまうんですが、戦後、再びイタリアを訪れた佐貫氏によると、訪れる先々の自動車やバイク工場で活発に働き、ヨーロッパ中で評判の製品を量産する人々の姿は
「いま見るイタリア人は、あの戦争のころ、はたから見ても気の毒なくらいしおれていたイタリア人と同じ人間には見えな」
…かったそうです

「独創力を持ち、個性のある国民は、平和の闘いに胸をはって生存していく」

…というのが佐貫氏の感想なんですが、イタリア人にしたら、折角の持ち前の技術を、戦争なんてくだらないことに浪費するなんて、やっぱりつまらなかったんでしょうか…w

無題
Name名無し 21/02/21(日)20:18:57 No.518516
そういやあイタリアの大戦機って木製が多かったよね
スパゲッティ野郎とか馬鹿にしないで、日独は苦しくなる前に学べるだけ学んでおけば役立ったかも・・・

無題
Name名無し 21/02/21(日)21:52:50 No.518520
97式重爆撃機の地図机までジュラルミンで作るような『贅沢』をしていた」
出典は「飛べヒコーキ」か「ヒコーキの心」ですよね、懐かしいなあ。大戦機に嵌まるきっかけは佐貫先生の書籍だった。

無題
Name名無し 21/02/22(月)14:30:28 No.518526
ドイツ的には対ソ戦は6週間で終わるつもりだったからなあ
軍用機の大量生産なんかしたら余っちゃうじゃないか(棒

無題
Name名無し 21/02/23(火)00:09:30 No.518546
1614006570372

日本では戦争末期に4式戦疾風の主要部品を木製にしたキー106を試作したけど、重量が2.7t→3.0tと増加して飛行性能の低下に加え、機体強度と接着剤にも問題があって少数の試作のみに終わったそうです

無題
Name名無し 21/02/23(火)01:16:03 No.518548
機体はともかく木製プロペラの時代がどの国でもあったので下地になる技術はあったのでしょう
大型の部材を作るにはノウハウを蓄積しないと

無題
Name名無し 21/02/23(火)10:17:43 No.518556
変な事を思い出した。
ウチの年寄りがゼロ戦は木で作ってたと言った時にジェラルミンだよと言っても日本に軽金属を作る技術はなかったとか言って聞く耳持たないの。
戦闘機の本ばかり読んでると馬鹿にしてた癖に。
歳を取るとはこういう事かと思う。

無題
Name名無し 21/02/23(火)15:02:56 No.518565
1614060176589

WW2開戦前のソ連は、意外というか航空機用木材については殆どを輸入に頼っていたんだそうなんですが(国産木は極寒のため生育状態が悪く、品質が低かったとか)、1930年代後半から、当時計画されていた空軍戦力の大拡張に伴い、航空機用の金属材料の不足が予想されたこと、また国内の航空機工場の多くが、未だ全金属製航空機の生産経験に乏しかったという事情もあって、改めて国産の木材を用いる手法が検討されたんだそうで

1932年に設立されたВсероссийский научно-исследовательский институт авиационных материалов(全ロシア航空材料科学研究所)で完成されたдельта-древесина(デルタウッド)は、いくらでもある白樺の木材の薄板に、ホルムアルデヒド樹脂を浸透させて、140~150度の高温で数時間時間プレス加工したものを接着剤で貼り合わせたものであったそうなんですが、高い強度、耐久性、耐火性、寿命を併せ持ち、ついでにカビにも強いという理想的な新材料であったそうです

無題
Name名無し 21/02/23(火)15:03:43 No.518566
1614060223886

もっとも、「デルタウッド」を多量に使用した全木製戦闘機として1939年から開発が始まったラボーチキン設計室の新戦闘機(I-301、後のLaGG-1/3)は、ライバルのヤコブレフ設計室のYak-1に比べ、速度性能は同等であったものの、上昇性能では5千mまでの到達時間で約40秒遅く、他にもコクピットの過熱や安定不良、重量超過や舵面の設計の悪さから来る操縦性の悪さなどなど、いささか問題のある機体であったとのこと(Yak-1はYak-1でやっぱり多くの問題を抱えていたそうですが)

それでもLaGG-3として制式採用された実用型は、1941年前半までに320機以上が生産されたものの、新型合板の加工は未熟練者にはむしろ難しく、量産に入ると同じ人間が製作しても、常に違う仕上がり具合になるという有様で、完全に解決できなかった設計上の不具合、搭乗パイロットの技量不足なども相まって、配備先の各飛行隊では事故が続出、「保証付き塗装済棺桶(лакированный гарантированный гроб/Lakirovanniy Garantirovanni Grob=LaGG)」なんて仇名されてしまったんですとか

無題
Name名無し 21/02/23(火)15:04:52 No.518567
1614060292940

それでも重大な失態は即シベリア行きというプレッシャーの中(棒)小刻みな改良や改造は常に行われていたそうなんですが、1941年9月から始まった空冷エンジン(シュヴェツォフM-82)への換装タイプのプランはLa-5として完成、飛行性能や操縦性も格段に向上して、42年には部隊配備が始まったLa-5は同年中に1100機以上が納品され、44年10月まででは1万機近くが生産されて、「スターリングラードを救った木製機」と呼ばれるまでに成長しているんだそうで

もっとも、一方でLa-5の生産に入ったころには、ドイツからの輸入品だった樹脂類のストックが切れたため、「デルタウッド」の使用は最初の生産バッチのみ、後は従来型の木材が使用された…なんてハナシもあるそうなんですが、1943年にはレンドリース物資によりジュラルミンやクロム鋼などの供給増大が見込まれるようになり、機体構造を大幅に金属材料に変えた「金属化」型の新戦闘機La-120の開発が始まって、43年11月には初飛行しているそうです

無題
Name名無し 21/02/23(火)15:05:39 No.518568
1614060339867

審査で高評価を得た試作機は、La-7として直ちに採用されるんですが、金属化により全備重量などはむしろ100キロ以上軽量化され、空力処理の見直しなども相まって最大速度は30キロ/時増加、5千mまでの上昇時間も30秒短縮された同機は、44年5月には部隊配備が始まり、La-9、La-11といった全金属製の直系の後継機は、戦後もソ連のみならず、共産圏の各国で、1960年代まで使用され続けるベストセラーになっているんだそうで

結局ソ連だって、作れるものなら全金属機の方がイイというのがホンネだったみたいですなあ

ただ、木金混合機体のYak-1、全木製機体のLaGG-3にしても、開発自体は実際に独ソ戦の始まる前で、新型木製材料の開発開始は更に以前からまた大戦後半の性能的にもドイツ機と対等かそれを凌駕するLa-7、Yak-3、Yak-9といった新型機も、いきなり出現したわけでなくて、LaGG-3やYak-1といった「問題児」の開発から始まる、絶え間ない改良と経験の積み重ねの産物であったわけで

技術に早道はないというか、開戦前からの地道な努力が最後に実を結んだ、ということなんですかねえ

無題
Name名無し 21/02/23(火)19:14:38 No.518570
祖国ソ同盟が木製航空機に使用した石炭酸系接着剤は相当に有毒なシロモノだったそうですが、敬愛する同志スターリンの下で鋼鉄の団結力を誇る工員たちは一切の不満も泣き言も口にせず祖国防衛の礎となってその役務に黙々と服していたのです

無題
Name名無し 21/02/23(火)19:57:54 No.518572
大戦中盤以降に英国のモスキートがビルマ戦線にも配備されるようになったけど、現地の高温多湿の気候でトラブル続出で大変だったそう。
ソ連のLAGGシリーズもその寒さ故活躍できたってのもあったりして

無題
Name名無し 21/02/23(火)21:34:58 No.518577
日本が手を出さなかったのは湿度かな?
海軍は短期決戦志向と洋上で使うからだろうけど。

無題
Name名無し 21/02/23(火)23:21:28 No.518591
>日本が手を出さなかったのは湿度かな?
>海軍は短期決戦志向と洋上で使うからだろうけど。
愛知と三菱の競作になった十試観測機で愛知機は木製合板張りの主翼を採用していた
比較審査では両者性能迫伸で甲乙つけがたかった言うが最終的に愛知機の木製主翼が「対候性不適」と判定されて不採用になった
主務設計者の三木鉄夫技師はこの判定に落胆して愛知を辞し大学教授に転身したとか

無題
Name名無し 21/02/23(火)23:03:46 No.518581
http://may.2chan.net/39/res/518299.htm
フレームを合板化すると金属製に比べ重量が増加するのは避けられず
性能低下が避けられないのは明白だったので資材枯渇まで忌避されただけな気もする
陸軍も末期には北海道で疾風の木製化(キ106)を飛ばしてるし
本邦でも早めに手掛けてさえいればモノにできていただろう

無題
Name名無し 21/02/23(火)23:09:29 No.518582
http://may.2chan.net/39/src/1614089369533.jpg
ソ連のデルタ合板の材料は白樺、戦中は北海道以上に満州が主な産地だった
当時の満州航空では金星エンジンを積んだ疾風が試作されてたけども
木製疾風は産地が近く寒冷な満州こそ生産適地だったように思う

無題
Name名無し 21/02/24(水)20:40:01 No.518631
1938年の所謂ミュンヘン危機の少し後、ヒトラー=サンは独空軍の規模を、1942年までに5倍に拡大せよ!と要求しているそうなんですが、この規模の空軍の実現には、当時の世界で消費される航空燃料の85%と、6000万マルク(1933~39年のドイツ軍事予算全額の合計に相当)の費用が必要と想定されていたそうです

一方、ハインケル社社長として、ドイツ空軍がWW1後に再建され、WW2を経て再び滅ぶまでの一部始終を見届けた、エルンスト・ハインケル=サンの自伝によると、

「1939年初頭、私は(略)ベルリンの(※H社)代表フォン・プフィスターマイスターから、空軍部内での(略)動きについての秘密報告をもらった」
「シュトゥムプフ将軍(※空軍総参謀長)の退陣が近いことをいってきたのである(略)後継者は(略)ハンス・イェショネクがなるそうだった」
「フォン・プフィスターマイスター(略)の報告によると、その根源は1938年にさかのぼるという」

無題
Name名無し 21/02/24(水)20:42:55 No.518632
「ヒトラーは1938年に空軍の一大増強を求め、ドイツの限られた財政、原料事情に応じたそれまでの参謀本部案とまっこうから対立した」

「ヒトラーの要求を実現するには、とくに多数の新式爆撃機を急いで造るには、財政面だけでも国力をはるかに上まわることになってしまう(略)国内産の原料も足りず、外貨事情も悪化して輸入はふるわず、1938年当時すでに必要な原料は調達できかねるようだったのである」

「後の政治的・歴史的知識を踏まえてみれば、当時のヒトラーの要求の背景は秘密でもなんでもない。半分しかできていない空軍そのものを外交の圧力に使えば、魔法的効果が生じるという感情は、それまでの英仏のおどおどした反応をみてきたヒトラーの心ふかくに根をおろしていたのだった」
「たとえば1936年には、アンソニー・イーデン(※エゲレス外相)がドイツを訪れたとき、ドイツ空軍参謀本部作戦課がわざと作成したドイツ空軍の戦力と配置についてのいんちき機密計画書をつかまされている。これでイギリスはドイツの要求に慎重な譲歩的態度をとるようになったのだ」

無題
Name名無し 21/02/24(水)20:43:44 No.518633
「いんちき計画書には練習機の小部隊も爆撃部隊とされていた。このやり方がいかに大効果を残したかは、いまでもチャーチルの回顧録にしるされている」

「つまり1938年のヒトラーは、大方の期待以上に急成長をとげた空軍を、第一級の政治的武器として使える立場にいたのだ。東方への彼の拡張政策をじゃまするイギリスとフランスはこの武器を見ておびえた」

「イギリスもフランスも、遅れた自国空軍の充実にかかり(略)ドイツに全力で追いつこうと努めるであろうともヒトラーは知っていた」

「このドイツの優位が失われ、一回限りのチャンスがむだになる時点が迫ってくるのをヒトラーは見た(略)生存空間を東方に求めるという彼の生涯の夢を、英仏がドイツ空軍の脅威の下で手を出せずにいるうちに実現するという、まさに千載一遇のチャンスだったのである」

無題
Name名無し 21/02/24(水)20:45:19 No.518634
「その認識から、時間を迫られる政治行動プランが生じ、1939年の対ポーランド戦に直通したのである(略)非常識といえる空軍増強計画もそうだった」
「今日からみると、ヒトラーのこういう行動は大きな賭けだった。すべてを一枚のカードに託し、ドイツ空軍力の空前の増強によってこれまでどおり西欧諸国を傍観させておこうというわけである」
「はじめ空軍参謀本部と技術局はヒトラーの要求は達成不可能とする点で一致していた(略)イェショネクは、総統の命令を文句なしに遂行するであろう、と声明していた(略)つまり、現実の世界をよく知っている指導者たちが、その認識を怠ったか、いまはじまった『大ばくち』に空軍の側から反対しなかったということなのである」
…というのが当時の事情であったんだそうで

経済力の点から、長期的展望に立った軍拡計画は既に実行不可能というのを恐らく弁えた上で、敢て「賭け」に踏み込んだらしいヒトラー=サンに、「数年間の長期戦で、ソ連を打倒する前提の航空軍備計画」を戦前に提案しても、恐らく一蹴されてしまったんではないですかしら…

無題
Name名無し 21/02/24(水)23:56:43 No.518647
長期戦では勝ち目がない、敵の虚をつく戦略的奇襲で一気に主導権を握り戦争に勝利するのだ!
あれれ、地球の裏側でも同じこと考えてる人たちがいるぞ(白目

無題
Name名無し 21/02/25(木)01:10:37 No.518648
クラウゼヴィッツと孫子ですね?

無題
Name名無し 21/02/25(木)03:35:53 No.518651
独ソ戦開幕後の1週間位で、ソ連機4000機位は軽く破壊してるのよねドイツ軍
大抵の国なら再起不能なレベル

つまりソ連が異常にタフ過ぎたのが悪い(白眼

無題
Name名無し 21/02/28(日)12:41:29 No.518793
1614483689487
「戦争は女の顔をしていない」のコミック版で、故郷の家族がスターリン=サンの農業失政で餓死してしまった同僚が、同志スターリンを批判するのを聞いて、軍事委員に言いつけに行くか迷った女性兵士さんの話が有りましたですなあ

因みにヒトラー=サンが政権を握った、1933年当時のソビエト空軍の第一線機保有数はおよそ1500機、年間の航空機生産量は2千機ほどであったそうなんですが、スターリン=サンは「ソヴィエト連邦が自国の経済発展を守り、外交政策を貫徹するために必要としているのは、常に出動できる態勢にある航空戦力なのだ」…と述べて、訓練済みのパイロット十万名を揃えることをこの年目標に掲げたそうです

この計画の母体となったのが、軍管轄下にあった「オソアヴィアヒム」と呼ばれる準軍事組織で、元々民間防衛力の向上を目的に、青少年等への防空・軍事訓練等を行っていた同組織の傘下に、新たに多数の民間飛行クラブが各地に設立されたんだそうで

さすがです、同志ヨシフ!

無題
Name名無し 21/02/28(日)12:42:22 No.518794
1614483742963

この飛行クラブで落下傘降下、グライダーや飛行機操縦の技術を習得した青少年の数は1940年末にはおよそ10万名近くに達していて、その後更に2年間の空軍での訓練(戦闘機パイロットの場合は+9ヵ月の高等訓練)を経て、ソビエト空軍の戦力となったとのこと
ソ連のパイロットコルホーズの大量生産といえども、収穫する為にはまず種が撒かれていないといけなかったわけで、後から見れば戦前からのこうした大量養成体制が、後の独ソ戦緒戦、およびその後の膨大な消耗に堪え抜く元になったということみたいですなあ

またこれら次々と要請されるパイロットさん達が乗る航空機の生産体制についても、1930年代から大幅な拡張が行われ、1933年から38年の間に、航空機生産能力は5.5倍になったそうです

さすヨシ!

因みに独ソ開戦のほんの2ヵ月前の1941年4月、ドイツ航空省と航空機業界の専門家集団が、モスクワ駐在の独空軍武官ハインリヒ・アシェンブレナー大佐の引率の元、そうした急速に膨張するソ連の航空兵器工場を見学して回ったことがあったんだそうで

無題
Name名無し 21/02/28(日)12:44:16 No.518795
1614483856891

視察の対象は機体工場2ヵ所、エンジン工場3ヵ所、軽金属やボールベアリング工場、空軍実験施設などが含まれていたそうなんですが、ある工場では1交代3万名の労働者が3交代で働いている現状の外、MiG-3やPe-2など、質的にも近代的な新型機が完成しつつある状態であることが、割合すんなり見せてもらえたそうです

その理由について、一行を応接した一人であるミグ設計室のアルチョム・イワノヴィッチ・ミコヤン=サンは視察の終わりに、
「我々が持っているものと、我々がやれることをすべて諸君に見ていただいた。我々が攻撃を受ければ、我々がその相手を叩き潰す力を持っていることを、ご理解いただけたと思う」
…なんて述べているんですとか

もっとも、ドイツに帰った視察団の報告は、例えばドイツ空軍情報部にはそのままは受け入れてられなかったそうで、
「クイブイシェフ(ヴォルガ河中流西岸の都市)の航空機エンジン工場群だけでも、ドイツの6つの主要組み立て工場を合わせたよりも大規模である」

無題
Name名無し 21/02/28(日)12:46:07 No.518796
1614483967721

…という視察団の報告についての、空軍情報部長ヨセフ・シュミット=サンのコメントは

「ソ連の欺瞞工作と、それにだまされたドイツの技術者の馬鹿正直さを示している」

…というものであったとのこと

もっとも、ソ連側にしても、急速に拡大する重工業に必要な労働者の確保や、大量のパイロット候補生の同時養成に必ずしも教育の質が追い付かない、新型機への更新に手間取る…など、数多くの問題を解決しきれないうちの対独戦開始ではあったようで

序に言えば、もし誰かさんが大量粛清で軍の人材組織をガタガタにしたり、まだ育ちかけの空軍の実力を過信しフィンランドにちょっかいを出して大損害を受けたり、情報部の警告を活かせずドイツの奇襲先制攻撃を許したりしなければ、独ソ戦の緒戦、6月中だけで4千600機を失う、なんて事態にはならなかったのかもしれないですなあ(棒)

無題
Name名無し 21/02/28(日)12:46:55 No.518797
1614484015642

おまけといいますか、こちらは戦前のソ連のプロパガンダポスターで、広告コピーは

「すべてのコルホーズや工場から航空機パイロットを!」

そうか…やはりソ連ではパイロットは畑から採れ(

無題
Name名無し 21/02/28(日)13:55:02 No.518802
>まだ育ちかけの空軍の実力を過信しフィンランドにちょっかいを出して大損害を受けたり

賢明なる同志スターリンにそのように錯覚させたのは、他ならぬ日本陸軍航空隊のノモンハン事件後半でのヘタレっぷりでしたのよオホホホホホ

無題
Name名無し 21/03/01(月)04:08:31 No.518840
>No.518802
ノモンハン航空戦も独ソ戦と同じパターンやよな
最初は技量の差で勝ってたのが、段々消耗を重ねて
後半は質量ともに向上したソ連側に押されることに・・・

無題
Name名無し 21/03/02(火)09:45:40 No.518880
1614645940447

D・ネディアルコフ=サンの「ノモンハン航空戦全史」ですと、ノモンハン事件直前の現地ソ連空軍部隊の内情は、第150混成爆撃機連隊の充足率が74%、第70戦闘機連隊の充足率は60%の上、整備上の稼働率はわずか35%にしか過ぎないというお寒い状況だったとか書かれていましたですなあ

戦闘機連隊のパイロットさん達の飛行経験は60時間から120時間なんてあって、これが戦闘機もしくは第一線機の搭乗時間でなくて、総飛行時間だとしたら日本のWW2末期の特攻隊要員の方々よりもひどいレベルなんですが、更にパイロットのうち飛行戦技や対空戦闘訓練を履修したものは40%に過ぎなかったとのこと

そして実際、紛争開始直後の空戦はソ連側の惨敗で、1939年5月29日には現地からの悲鳴に近い報告を受けて、モスクワでは急遽スペイン内戦や支那事変派遣で実戦経験を積んだパイロット達を中核とする増援チームを編成して送り込むなど、以後次々と増強策に追われることになったんだそうで

無題
Name名無し 21/03/02(火)09:46:44 No.518881
1614646004613

それでも日ソの航空戦の状況は当初の2ヵ月は日本側の優勢が続き、互角もしくは優勢に持ち込めたのは8月に入ってからであったそうなんですが、ネディアルコフ=サンによれば

「航空優勢が逆転した主たる要因は、航空機と人員の予備戦力を十分に確保できる能力にあった。さらに付言すれば、遠方かつ制約のある作戦地域に、これらの予備戦力をタイムリーな方法で投入できる能力であった」

「航空戦の結果を左右した最大の要因は(略)航空機の性能(略)でもなければ、ソ連空軍の数的優位(略)でもなかった。日本軍のパイロットが絶望的なほど不足していたことであった」

「ノモンハン事件の始まるまでの約30年間に、日本軍の(略)養成したパイロットは、わずか1700名に過ぎなかった。日本は(略)1939年に3600機の作戦機を生産する計画を立てていたが、このパイロットの養成数は、超大国としてきわめて不十分であった」

…とのこと

無題
Name名無し 21/03/02(火)09:49:05 No.518882
1614646145721

因みに1939年9月のWW2開戦前、ドイツ空軍の保有機数は4千161機であったそうなんですが、40年5月11日にはこれが4千782機、独ソ戦開始直前の41年6月21日には4千882機であったそうです

数字的にはほぼ横ばいなんですが、要は当時のドイツの生産能力は、この間の消耗を埋めるだけでほぼ手一杯であった、ということなんですとか

別の数字では、1941年初頭の保有機数(編成定数)5千273機、実配備数4千297機に対して、年間の戦闘での損失2千849機、戦闘外損失2千153機、除籍機が合計5千2機になるんだそうで(他に修理可能な損傷機が3千562機)
単純な数字上ではこの年ドイツ空軍は、年の初めに持っていたヒコーキの全てを失ったに等しかった、という勘定になりますですな

またモスクワ直前でドイツの攻勢が頓挫した41年12月の爆撃機部隊で見ると、在籍機は定数の47.1%、その稼働率は更に51%にまで低下していたとのことで、編成定数で言うと定数千950機に対し、稼働状態にあったのは468機のみであったそうです

無題
Name名無し 21/03/02(火)09:49:31 No.518883
1614646171161

無論、損耗に対する補充も行われて、翌42年1月下旬の東部戦線の戦闘用機(戦闘機及び爆撃機)の可動率は39%であったものが、6月下旬には69%に回復

独ソ開戦から1周年、ドイツ空軍の保有機数は4千942機で、前年とほぼ同レベルを維持していたそうなんですが、逆に言えば1年前から60機増えたに過ぎなかったわけで

更に激しさを増す戦局の中で、秋には戦闘用機の稼働率は59%に再び低下、年末の保有機数も4千400機を下回っているとのこと

未だドイツが優勢、もしくは独ソ互角であった緒戦の時期でも、損耗と生産という面から見れば、既に独は能力的に危機的な状況に陥りつつあった、ということみたいですなあ

無題
Name名無し 21/03/02(火)13:19:17 No.518885
バトルオブブリテンから連戦でソ連だからな
んでソ連をサクッと片付けたら返す刀でもう一度イギリスを(予定)とかハードスケジュールもいいところ

無題
Name名無し 21/03/03(水)12:15:03 No.518917
ドイツ本土での生産効率化と増産に加えてフランスなどの占領地でも始まる頃合いで、連合国によるドイツ本土空爆も本格化する前だから生産数自体は凄く伸びているはずなのにね(空軍陸戦師団など作ってる暇などあったら・・・)
最近の研究ではアメリカでは戦闘機失格の烙印を押されたP-39がレンドリース先のソ連では戦闘高度が低いのもあって戦闘機として大活躍だったなんて話もあったり・・・
東部戦線は陸も空も地獄だったんやね

無題
Name名無し 21/03/03(水)16:36:07 No.518930
短期決戦でソ連を片付けられなくなった時点で、アメリカの巨大な生産力が東西どちらの戦線にも
介入始めることは読めたはずなんだけどな・・・
まさか「起こったら困ること」が起こることは考えない、なんてつもりじゃあなかったとは思うが

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:22:54 No.518941
1614766974880

当時のドイツ空軍の損耗と補充の問題については、W・マーレイ=サンの「ドイツ空軍全史」が実によくまとまっていますので、該当部分を引用させていただきますと

「ドイツ空軍にとって1941年の最大の重圧は、6月22日に開始された東部戦線の作戦である。(略)低い損害が長期にわたって連続する形(略)であっても、それが長期間累積した場合のインパクトは、英国本土決戦の場合と同様、またはそれ以上の重大な打撃になった」

「1941年末には、ドイツの航空機生産と乗員訓練はもはや損耗の量についていけなくなった(略)幕僚は月毎に航空機会社と実用機訓練学校をできるだけ絞り上げ、新造機と技量レベル未熟な乗員を無理やりに前線部隊に送り込むことになった」

「生産レベルの低さを一層悪化させたのは労働力不足である。ドイツの男子の中で陸軍に召集された者があまりに多く(略)厳しい労働力不足が兵器産業全体に広がった」

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:23:31 No.518942
1614767011792

「1940年の戦勝によって、ドイツの戦略的状況と経済力は基本的に変化した。フランスとオランダとベルギーに集積されていた原材料の大量のストックを手に入れただけではなく(略)東欧諸国が、ソ連も含めて、第三帝国への協力を一層強め(略)スペインとモロッコの原材料(特にタングステンと鉄鉱石)を(略)輸入する路を開くことができた」

「開戦後2年程の間、生産量が低いのは原材料が不足しているからだ、と企業の側は口を揃えて言い立て(略)軽金属の不足が生産拡大の最大のネックだと言われていた。ところが(略)製造工程を調査させたところ(略)業界全体にわたって原材料の無駄遣いが広がっていることが判明した」

「ある型の航空機エンジン1基の製造のために、700キロ近くのアルミニウムが浪費され(略)組み立て式の小屋やワイン畑用の梯子の製作に、貴重なアルミニウムを使っていた」

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:24:20 No.518944
1614767060911

「1942年(※航空機)生産計画は、ソ連侵攻作戦が勝利に終わるという予測が大きな条件になっていた(略)陸軍の進撃がモスクワの前で停止すると共に(略)工業生産の優先順位を陸軍の兵器・資材に切り替えねばならなかった」

「ドイツはアルミニウムをかなり大量に持っていたが、航空機生産は常に他の部門(略)と競争せねばならなかった。1941年には毎月5116トン(全割当量の16%)が弾薬生産(略)に割りあてられた。これはDo217一千機、Bf109なら四千機を製造するのに必要な量に等しい」

「航空機生産には合計でアルミ生産量の74%が割り当てられていた。しかし、1941年の第4半期から、航空機生産への割り当て分配布が目立って遅れはじめ、1942年全体にわたってこの状態が定着し」

…てしまっていたんだそうで

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:25:28 No.518945
1614767128175

もっとも、こうした苦境の中で奮闘したのが、当時のドイツ航空相だったエルハルト・
ミルヒ=サンで、

「ミルヒは航空機産業へのアルミ割り当て拡大のために多方面で戦うと同時に(略)無駄遣いになる作業慣行をやめさせ(略)企業へのアルミ材の割り当ての基準を(略)航空省が設定した(略)恐ろしく高い数字を(略)1機ごとの生産に使用する量に基いて算定する方式に変えた」

「1943年までに、製造工程で出る小間切れアルミ材と破損機(撃墜した敵機の残骸も含む)の溶解再生により、アルミ材供給は57%増大した」

「もうひとつ重要な方策は、鉄鋼合金や木材などの代替品の使用を拡大し、同じ量のアルミで生産機数を増したことだった(略)1942年のドイツ航空機産業は、前年より1万5千トン少ないアルミ割り当て量で、3千780機多く製造し(略)増加分の機体重量の合計は2万8628トンだった」

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:25:56 No.518946
1614767156347

「1941年一杯まで、航空機産業の労働力のシェアは他の産業部門と比べ不釣り合いに大きかった(略)しかし、1941年末にヒトラーは空軍の優先的立場を終らせた。このため、1942年を通じて外国人労働力が大量に流入したにもかかわらず、航空機産業に労働力の追加はほとんどなかった」

「ミルヒは航空機製造業界に生産方式を合理化すること(略)を要求した。この圧力の結果、ドイツの工業も徐々に大量生産方式に転換し、生産性は1941年から1943年末まで着実に上昇して行った」

…そうでして、実際

「航空機生産量は目覚ましい加速度で増大し始め(略)1944年まで連続した(略)1942年12月の生産量千548機は1941年12月より58%高」

…くなっていたそうです

無題
Name名無し 21/03/03(水)19:30:18 No.518948
1614767418904

因みに、ソ連側の1942年の年間航空機生産量は2万5千400機程度であったそうなので、月平均2千機とすると、独ソ間の単純な数的比較ではそれほど離されてはいないんですが、一方でほぼ全力を対独戦に投入できるソ連と、東西両方の戦線を維持しなければならない独側では、当然意味する所が違ってくるはずなんですよね

更に言えば、いよいよ本格化し始めたアメリカの支援やエゲレスの巻き返しを考えれば、いくら過去の水準に比して劇的に飛躍した、といってもやはり不十分であったわけで

ミルヒ=サンらの頑張りが、その後まだ3年間、なんとかドイツが抗戦を続ける力となったのも事実なんでしょうけれど、結局のところ、緒戦で手中に収めた資源の活用や、有能な人材の登用による生産現場のカイゼンが色々な理由で遅れた、若しくは遅れざるを得なかった時点で、ヒトラーおぢさんの第三帝国の結末は、もう決まっちゃっていたのかも知れないですなあ

無題
Name名無し 21/03/03(水)20:00:19 No.518953
そういや最近、ドイツ戦時経済の本が邦訳されてたなあ。「ナチス破壊の経済」だっけか
引用元:http://may.2chan.net/39/res/518299.htm