無題Name名無し21/02/10(水)18:29:28 No.16650
戦闘機による爆撃機の護衛って実際どうやるの?っと
無題Name名無し 21/02/11(木)09:50:03 No.16728
隼の加藤戦隊長なんかは「とにかく爆弾機隊から離れるな!」って厳しく指導したらしいね
深追いして撃墜するより、追っ払うのが第一ってことなんだろが
無題Name名無し 21/02/11(木)15:05:15 No.16750
自分が爆撃機攻撃しようと思ったら狙いやすい位置に狙い定められるようにポジション取りしてればいいんでしょうか
爆撃機の後方上側あたりとか
無題Name名無し 21/02/11(木)18:16:11 No.16758
爆撃機後方からだと相対速度の関係で防御機銃にさらされる時間が長くなるから、弾幕が厚い米英の爆撃機相手だと厳しいね
基本的には爆撃機編隊の前方上空から操縦席、翼の付け根に一撃離脱してそのまま帰還
状況によって再度側面や前方に回り込んでからの再攻撃
なので、護衛する側も護衛対象の前方上空に位置取るのが基本じゃないかな
しかしながら日本本土へのB-29による高高度爆撃には、日本軍戦闘機の高高度性能の低さと監視体制の貧弱さから敵編隊の頭を押さえられず、失速状態に入りながらも敵編隊の下方から追いすがり何とか射撃
B-29からすると相対速度も機動力もない相手への射撃になるわけで・・・
南無
無題Name名無し 21/02/11(木)18:56:09 No.16759
アドルフ・ガーラント=サンの自伝に、爆撃機護衛ミッションについて書かれた部分が有るんですけれども、曰く
「爆撃機のパイロットは近接直衛を好み、自分たちの編隊のまわりに何組かの戦闘機をジグザグのコースで飛ばせたがった。明らかに自分たちを守ってくれる戦闘機が近くにいて、その姿が見えれば、爆撃機のパイロットは大きな安心感を得られる」
「しかし、これは誤った考えだった。なぜなら、戦闘機がこの純粋に防衛的な任務を遂行しうるのは、攻撃にあたってイニシアティヴをとる場合に限るからである。攻撃されるまで待っていたのでは、行動の機会を失してしまう」
「戦闘機は空中で戦いの機会を求め(略)爆撃機がその任務を果たす(略)には、このような戦闘を避けねばならず、守勢に立って行動しなければならない」
無題Name名無し 21/02/11(木)18:56:50 No.16760
http://cgi.2chan.net/f/src/1613037410278.png
「爆撃機と戦闘機が協力するについては、この二つの基本的に異なった心的状態があからさまに衝突する」
「われわれ戦闘機パイロットは(略)『目標地点に接近し、その上空を飛ぶあいだ自由に追跡すること』を好んでいた」
「実際には、それこそが爆撃機隊に大きな救いをもたらし、それをよく保護することになるのだが、おそらく彼らはそれでは直接的な安心感が得られないのだろう」
「この二つのやり方を折衷させたのが『散開掩護」で、この場合戦闘機はやはり爆撃機隊から視認しうるところを飛んで接触を保つが、編隊の主力に接近してくる敵戦闘機を攻撃することが許されたのである」
「こういうやり方に加えて、我々は『戦闘機による出迎え』を導入した」
無題Name名無し 21/02/11(木)18:57:58 No.16761
http://cgi.2chan.net/f/src/1613037478936.png
「中隊ないし連隊編成の戦闘機は、時としてイギリス沿岸まで送られ、しばしば打撃をこうむり傷ついた編隊の帰還を出迎え、追跡してくる敵戦闘機から守った」
「私にとって非常に興味深かったのは、戦後イギリスやアメリカの飛行機乗りと語りあって、彼らが戦闘機による掩護について同じ問題で困難を味わっていたと知ったことである」
「われわれが1940年にぶつかったことを(略)1943年から1945年にかけて経験していた。彼我の爆撃機パイロットおよび戦闘機パイロットが表明した見解は、まさに同じだった」
…とのこと
要は敵戦闘機から味方爆撃機を守るやり方は、例え落とせなくてもいい、とにかく俺達に近づけないでくれ!という爆撃機隊の希望と、いや、結局敵戦闘機戦力自体を積極的にゲキメツすることこそ、最終的にキミたちを助けることになるんだ!という戦闘機隊の思惑に沿うやり方がそれぞれあって、時に両者が折り合いをつける形で実行されていた、ということみたいですなあ
無題Name名無し 21/02/12(金)09:00:08 No.16817
ドイツのジェットとかロケット機なんかは、空に上がられたらレシプロじゃ勝負にならないから、離着陸を狙って潰したしね
相手の頭を抑える、ってのは確かにある意味援護の一環ではあるのよね
無題Name名無し 21/02/12(金)09:54:16 No.16818
「丸」で戦闘機による爆撃機の護衛の話をよく読みました
とにかく爆撃機から離れないこと
追い払ったらすぐ見える位置につくこと
そうすれば爆撃機の乗員が安心する
手記は割と単純に書いてましたね
無題Name名無し 21/02/12(金)10:00:38 No.16819
日本は最高速度と急降下が相手より低かったし無線機も使えないから戦闘機隊は大変だったろうな
無題Name名無し 21/02/12(金)10:39:05 No.16821
爆撃機を後方から射撃してるガンカメラ映像だとまず銃座を射撃して無力化してからエンジンをひとつづつ潰してたな
無題Name名無し 21/02/12(金)10:56:08 No.16827
重爆の上昇についていけない3式戦
無題Name名無し 21/02/12(金)21:16:27 No.16867
WW2中サイパンから日本を空襲したB-29のパイロットだったチェスター・マーシャル=サンの回想記に、日本本土空襲で初めてP-51戦闘機隊の掩護を受けた時の様子(45年4月7日)が出てくるんですが
「東京の目標(略)に対する昼間爆撃の出撃指示があった(略)今回は新機軸の戦法が用いられる。戦闘機の掩護が付き、真っ昼間、目標上空に高度15000フィート(4575メートル)で進入する(略)いよいよ戦闘機隊の誰かが、わがクルーの為に勇を振るってくれるのだ」
「編隊は、P-51部隊がわれわれB-29部隊を見つけ、充分な時間的余裕をもって上空で護衛配置に付けるよう日本の手前で旋回して待機した」
「今日の高度では戦闘機の支援が必須だったから、私たちはP-51が(略)姿を現わすことを願い、祈った。第3旋回が終ろうとしていたとき、ハーブ(※クルーの一人)が『来た!あそこだ』と歓喜の声を上げた」
無題Name名無し 21/02/12(金)21:17:18 No.16868
「こちらに向かって接近してくる様子は見るからに頼もしい光景であった。P-51の編隊がわれわれB-29の上を攻撃隊形で舞い、私たちはほっとした」
「浜松の左方の陸岸を目指して進んでいるとき、ふと下を見ると、双発の日本軍戦闘機1機がわが飛行隊に向かって急速上昇してくる。私たちの機の直上を飛んでいたP-51二機が、これを攻撃するためにわが編隊のあいだを急降下で突き抜けていった」
「二機の放った曳光弾が敵機に命中し、とたんに敵機が火焔に包まれるのが見えた(略)パラシュートが二つ開いて空に浮かび(略)私たちは、アメリカ軍の陸上戦闘機と日本軍戦闘機が日本上空で初めて対戦し、まぎれもなくアメリカ側が勝利者となるのを目撃したのである」
…なんてありましたり
無題Name名無し 21/02/12(金)21:18:29 No.16869
日本側及び米側の記録双方を参照すると、このP-51の最初の餌食になった機は海軍302空の「月光(坂田喜三郎少尉機)」であったようで、坂田氏の回想によると、この日、既に硫黄島が陥落している情勢下、敵戦闘機の随行の可能性も出撃前に伝えられていたものの、「付いてくるなら双発のP-38」という先入観から、B-29の周囲を飛ぶ液冷単発機を「飛燕」だろう…と誤認していた所を墜とされてしまったそうです
結局この日B-29 ・107機及びP51・91機を迎え撃った日本側邀撃機119機の内、自爆/未帰還16機、不時着大破5機に及んだのに対して、P-51の喪失は対空砲火と燃料切れによるものが1機ずつの2機で、B-29は日本機との交戦で3機を失っているとのこと
日本側の大損害からだけでも、P-51随伴の効果の程が窺えるんですが、更に以降、敵戦の随伴の恐れのある時は、それまでは昼間邀撃戦でも戦力となっていた鈍重な「屠龍」「月光」のような双発戦、「銀河」「彗星」「彩雲」などの改造夜戦は出撃を控えざるを得ず、大幅に戦力が低下した…なんて影響も出たみたいですなあ
無題Name名無し 21/02/12(金)22:01:53 No.16872
現代だと制空、防空施設の破壊、目標の破壊の編隊が管制、調整されて個別に動く形で良い?
無題Name名無し 21/02/13(土)00:46:48 No.16882
ガダルカナル島をめぐる戦いでラバウル基地から飛び立った零戦がガ島まで片道約1000kmを護衛して現地で15-30分空戦すると燃料がギリギリだったそうだけど、硫黄島から東京までの直線距離が1200km
単発機で往復できる距離ではないと思っても仕方ない
おのれマーリンエンジン
無題Name名無し 21/02/13(土)01:43:00 No.16885
でもP-51のパイロットも長距離飛行による疲労に加えて、復路分の燃料を積んでいるだけ機体が重いわけだから、決して有利な条件で日本の戦闘機と交戦していたわけではなかったでしょうね。
いくら性能自体がワンランクも優れていたとは言っても。 (´・ω・`)b
無題Name名無し 21/02/13(土)07:26:29 No.16898
>でもP-51のパイロットも長距離飛行による疲労に加えて、復路分の燃料を積んでいるだけ機体が重いわけだから、決して有利な条件で日本の戦闘機と交戦していたわけではなかったでしょうね。
>いくら性能自体がワンランクも優れていたとは言っても。 (´・ω・`)b
よっしゃそれなら2人ならば交互に休めるだろう
無題Name名無し 21/02/13(土)10:14:14 No.16909
>でもP-51のパイロットも長距離飛行による疲労に加えて、復路分の燃料を積んでいるだけ機体が重いわけだから、決して有利な条件で日本の戦闘機と交戦していたわけではなかったでしょうね。
>いくら性能自体がワンランクも優れていたとは言っても。 (´・ω・`)b
檜与平少佐の手記によると敵も燃料に余裕がある訳ではないので出来るだけ空戦を長引かせて燃料を浪費させる嫌がらせをしたとか
思惑通りその敵機がガス欠で硫黄島まで辿り着けなかったかどうかは分からないけど
無題Name名無し 21/02/13(土)15:50:06 No.16933
さすがは檜さん
カーチス・ルメイは戦闘機は誘導を着けてやらないといけないとかで足手まといと言ってた。
無題Name名無し 21/02/16(火)10:02:48 No.17182
>カーチス・ルメイは戦闘機は誘導を着けてやらないといけないとかで足手まといと言ってた。
二次大戦後の爆撃機派閥の専横の片鱗が見え始めてるな
無題Name名無し 21/02/13(土)08:48:01 No.16900
現代だと爆撃機の出番の前に、SAMサイト、レーダーサイトを潰す段階があって
そこで投入される攻撃機に護衛で戦闘機を付ける出番があるのかと思う
防空レーダー網が崩壊した後では戦闘機による迎撃の可能性が大幅に減るので護衛戦闘機の出番も減る筈
問題はステルス爆撃機ですね。これに護衛を付けるのか、護衛機の分被発見の可能性が増えるのを甘受するのか
無題Name名無し 21/02/13(土)16:37:38 No.16938
パイロットの交代要員 わんさかいる
予備機 わんさかある
不時着 潜水艦と飛行艇が拾いに来る
日本のガダルカナル島爆撃と比べて心身共に負担は軽い
無題Name名無し 21/02/13(土)20:19:33 No.16946
再びガーラント=サンの自伝よりの引用になるんですが、1943年ごろからの話として
「ドイツ上空に(※米軍の)長距離戦闘機が出現したことは、われわれにとって意外でも何でもなかったはずだった。しかし(略)ゲーリングは、筋の通った予告に耳を貸さなかった」
「秋の初めにアメリカの長距離戦闘機がさらに数を増してドイツ上空に姿を見せ、もはや口先だけで否定するわけにはいかなくなった時にも、ゲーリングはなおそれらが存在していないかのようにふるまった。彼の第一の要求は、いぜんとして爆撃機を撃墜することだった。護衛戦闘機は無視された」
「たまりかねて私は、わが全戦闘機を攻撃してくる一隊の護衛戦闘機にぶつけるという提案をした。もちろん、わが国の都市にひどい災厄をもたらす爆弾搭載機を全く攻撃しないというのは(略)非常に困難な決意を要する」
無題Name名無し 21/02/13(土)20:20:39 No.16947
「だが、私が考えていたのは、護衛戦闘機の跳梁、さらにこれ以上の勢力増大を阻止する努力が必要だということだった」
…なんて状況であったんだそうで
もっとも、
「当初は、アメリカの護衛気機も戦術的な誤りをおかした。わが戦闘機隊にたいして攻勢に出るかわりに、彼らは近接護衛を行って自らの行動の自由を制約してしまった」
…とのことなんですが、
「アメリカの戦闘機はそこから学び、やり方をあらためた。1944年1月以降、彼らは(略)相手次第で自由に攻撃に移る飛び方をするように」
…なり、
「アメリカ戦闘機の航続距離がのびるにともない、護衛なしの爆撃機編隊との戦闘に安定した成果をあげていたわが駆逐機の価値は下落した」
無題Name名無し 21/02/13(土)20:24:46 No.16948
http://cgi.2chan.net/f/src/1613215486092.jpg
「ドイツの駆逐機は、いまやアメリカの護衛戦闘機のために手ひどい損害をこうむるようになった。駆逐機に随伴した(※独の単発)戦闘機は(略)圧倒的な優勢を誇る敵との空中戦にまきこまれて、掩護にまわるどころでなくなり(略)自力で身を守らなければならなかった」
「第76駆逐航空団は、1944年3月16日(略)43機のうち、しめて26機を失った(略)アメリカの護衛戦闘機は、駆逐機がまさに攻撃しようとした瞬間に、攻撃をしかけたのである。爆撃機はたった5機が撃墜されただけだった(略)このような損害をそういつまでも支えきれないことは明白だった」
…んですとか
Me410、Bf110といった鈍重ながら強武装の駆逐機からなる邀撃戦力が、米護衛戦闘機の出現で大幅に弱体化してしまったようなんですが、邀撃側からしたら、爆撃機の周りに張り付いて離れない敵戦より、積極的にこちらを撃墜しに来られる方が、総合的にはより対処に困る相手だったというコトなんですかしら…
無題Name名無し 21/02/13(土)20:29:39 No.16949
>No.16948
なるほど艦隊防空と同じで迎撃マージン広くとるほうがやっぱ正解なんですね
無題Name名無し 21/02/13(土)20:56:29 No.16950
ドイツの防空戦闘機部隊は、結局Bf109やFW190Aみたいな旧式機を重武装化して爆撃機を攻撃させて、FW190Dみたいな新鋭機隊が敵の援護戦闘機から味方の対爆弾機隊を守らせる方式になったんよね
援護戦闘機がいなければ、当然全機が爆弾機に向かえたはずだから、そういう意味でも援護になるんだよなあ
無題Name名無し 21/02/13(土)21:04:34 No.16958
何度か大損害は出しつつもドイツ深部への単独爆撃作戦は継続したB-17がタフすぎるっ
スピットに護衛機散らし任せたタイフーンでなんとかなったドイツ爆撃機と違って20㎜でも威力足りないなんて
無題Name名無し 21/02/14(日)07:04:33 No.16972
ガーランドの自伝って死人に口無しでゲーリングに責任押し付けてるんじゃないかなって眉唾しちゃうんだけどな
無題Name名無し 21/02/14(日)08:54:03 No.16980
戦争後半、ドイツ上空での本土防空戦の様子を、ヴェルナー・ジルビッヒ=サンの「ドイツ空軍の終焉」から引用させて頂きますと、例えば1944年11月2日には
「アメリカ第8空軍の爆撃機編隊二つがオランダの海岸線を越えて東に向かった。一つは重爆325機からなり(略)もう一つの650機(※米側記録では683機)」
「この段階では、連合軍爆撃機が中部ドイツに侵入するのも珍しくなかったが、今回の編隊にはことのほか強力な護衛が取り巻いているのが異例であった。護衛に付いていたのは第8空軍のP-51マスタング約600機と第9空軍のP-38ライトニング少数機である」
「爆撃そのものが開始される前に、一部のマスタング正体は早くも(略)Bf109が離陸体勢をとって滑走路に並んでいたところを襲った」
無題Name名無し 21/02/14(日)08:54:52 No.16981
「防空のため離陸した戦闘機のうち敵機に接触したのは300機あまりにすぎなかった(※出撃総数は約500機、主に悪天候の為)。しかしドイツ戦闘機はかつてない大敗北へと飛び込むこととなった」
「アメリカ軍の報告では合計でドイツ機134機撃墜(略)が記録され(略)自らの損害を8機のP-51のみとしている」
「一方ドイツ側で最も大きな戦果を挙げたのは二つの突撃飛行隊(※装甲・武装強化のFw190A-8R2/R8装備の部隊)で(略)30機のアメリカ4発重爆を撃墜した。ただしその代償に自分たちも30機あまりを失っている(略)第14高射砲師団は32機以上のB-17を撃墜(※独側主張)」
「マスタングは中部ドイツ全域の空を支配し、ドイツ戦闘機は次々に撃墜され、あるいは空中で爆発していった」
無題Name名無し 21/02/14(日)08:55:23 No.16982
「ドイツ側(略)第Ⅰ戦闘機軍団の文書では(※損害)120機、うち突撃飛行隊のもの30機という数字が挙げられている」
「第8空軍の公式記録には(略)40機の4発爆撃機の損失が記されており、そのうち26機がドイツ戦闘機に撃墜されたとしている」
「アメリカ側はドイツの突撃飛行隊の用法を特に重視しており、被撃墜機の四分の一を(※突撃飛行隊)によるものとみなしている」
「1944年11月2日のドイツ戦闘機の損失は(略)北アフリカ戦線で戦った20週間全期間で失った機数よりも多かった(略)今や戦闘機兵力の存続そのものが脅かされるに至ったのである」
…とのこと
「突撃飛行隊」は確かに一矢を報いているものの、質量ともに増大しつつある米護衛戦闘機の圧力は、既に耐えれなくなるレベルに達しつつあったみたいですなあ
無題Name名無し 21/02/14(日)12:07:08 No.17003
>No.16981
胴体の穴以外にも防弾ガラスに命中跡があるな
12.7ミリで助かったと言うべきか
無題Name名無し 21/02/14(日)13:05:58 No.17008
大規模なファイタースウィープや戦闘機基地への襲撃・爆撃始まるとドイツ側お手上げだったね
さらに大陸反攻で連合軍基地も前進してきて戦略爆撃ばかりに注力できなくなってしまう
防空戦力集中した大飽和攻撃で一気に巻き返すというガーランドのハード・パンチ構想もおじゃん
無題Name名無し 21/02/14(日)13:50:53 No.17016
B-17は12000機、B-24が18000機、B-29が終戦まで約3000機
米国が恐ろしいのは生産数はもちろん、それに乗せる人材と継続する作戦のための燃料、補修部品を海の向こうから運ぶ物流
とんでもないところと戦争したもんです
ドイツもB-17に護衛が付く前は1作戦で敵B-17編隊の約10%の損害を与えているのに、翌週の作戦ではB-17が同じ数か増えてるってのは恐怖だったろうね
無題Name名無し 21/02/14(日)14:14:51 No.17019
>B-17は12000機、B-24が18000機、B-29が終戦まで約3000機
しかもターボチャージャーが標準装備なのよ
もうね、これはダメかもわからんね
無題Name名無し 21/02/14(日)22:55:13 No.17063
>それに乗せる人材
陸爆は撃墜される都度10人前後の搭乗員を失う代物
熟練の搭乗員が10人、20人と失われていく様は用兵上の悪夢でしかなく
優勢な戦局下にあってなお、その損害に耐えきれず作戦不能になる部隊は少なくなかった
B-29も延べ33,000機の出撃のうち1割近くが撃墜/損傷して3,000人以上の搭乗員を失っている
間違いなく大損害のはずなのに、それを上回る物量で手に負えなかったイメージに日本側に与えているんだから本当桁外れですわ
無題Name名無し 21/02/14(日)23:55:02 No.17069
>陸爆は撃墜される都度10人前後の搭乗員を失う代物
>熟練の搭乗員が10人、20人と失われていく様は用兵上の悪夢でしかなく
そういえばそうだよね…機体やその装備は量産できても
何なら他所につぶしも効く搭乗員を作っても潰れちゃうのは痛い…
作るのにまず20年…色々面倒(機械じゃ無いし)
無題Name名無し 21/02/15(月)22:43:54 No.17153
> B-17は12000機、B-24が18000機、B-29が終戦まで約3000機
他の国は大体最多生産機は単発機なんだが、アメリカはこのB-24が最多
無題Name名無し 21/02/14(日)15:15:48 No.17024
なあに半分は太平洋戦線に行くから大丈夫だ!
なおドイツ降伏後は(白眼
無題Name名無し 21/02/14(日)20:42:31 No.17056
>なおドイツ降伏後は(白眼
17送るより29新造の方が安上がり…byマクナマラ
無題Name名無し 21/02/14(日)15:22:13 No.17027
その大兵力を寡兵で相手にするには、敵機が来るのを待ち構えるのではなく、
飛び立つ前に地上の基地か輸送艦上で叩くか、アシカ作戦を成功させて
イギリスを無力化するしかないんだけどそれをするための兵力が無い…。
無題Name名無し 21/02/15(月)00:08:36 No.17070
>その大兵力を寡兵で相手にするには、敵機が来るのを待ち構えるのではなく、飛び立つ前に地上の基地か輸送艦上で叩くか、アシカ作戦を成功させてイギリスを無力化するしかないんだけどそれをするための兵力が無い…。
日本の例ですと当然その辺の事を理解していたので爆撃と胴体着陸後に空挺部隊を突入させる天雷特別攻撃隊を編成して本土決戦の時間を稼ぐつもりでした
無題Name名無し 21/02/14(日)20:04:06 No.17049
1944年1月に、米軍のドワイト・D・アイゼンハワー=サンが、新設されたヨーロッパ西部侵攻作戦最高司令官に就任する為エゲレスに到着するんですが、この時アイゼンハワー=サンによって選抜され、第8航空軍司令官となったのが、日本では東京初空襲の指揮官として有名なジェームズ・ドゥリットル=サンであったそうです
そして氏にアイゼンハワー=サンが何より強く要請したのが、来るべきノルマンディー上陸作戦前に、ドイツ空軍への航空優勢を確立することであったそうなんですが、ドゥリットル=サンが新たに採用した戦術の中に、戦闘機部隊の運用法の変更も含まれていたんですとか
まず、戦闘機は特定の爆撃機編隊の護衛に当たるのではなく、爆撃機隊の予定コース上の設けられたいくつかの区間のそれぞれをパトロールする方式が採用され、コレにより戦闘機隊の指揮官は、敵戦闘機隊をより積極的に捜索できるようになったんだそうで
無題Name名無し 21/02/14(日)20:05:37 No.17050
更に第8空軍戦闘機兵団司令官のウィリアム・ケプナー=サンの進言を入れて、これらのパトロールに当たる各護衛戦闘機部隊は、受け持ち時間が終った後は、自由にドイツ戦闘機を捜索して、空中でも地上でも、発見した敵機を撃破するように、との命令も下しているんですとか
数量的な増勢(英本土の米軍戦闘機部隊は最終的に33グループ、約百個中隊)も伴い、ドゥリットル=サンの積極的かつ新たな方針の元、ドイツ本土に侵攻してくる戦爆連合と戦闘を続けたドイツ本土防空部隊の損耗は、5月だけでも戦闘機487機とパイロット276名、これはドイツ戦闘機隊全体ではパイロットの25%、機体の50%に当たったそうです
年初から5月までの損耗の累計は2千262名、単純な損耗率計算では、年初の人員2千395名がほぼ入れ替わった計算(100%超)となり、米軍側の損耗も決して少なくなかったものの、6月のDデイまでに独空軍を弱体化させるという目論見は、ほぼ達成されたとのこと
無題Name名無し 21/02/14(日)20:07:14 No.17051
もっとも、ノルマンディー作戦の進行中、逆に若干の小康状態となったドイツ本国内では、防空戦闘機隊の必死の再建が進み、ガーランド=サンはこの頃のことを
「9月末からは、新しい予備軍の戦力を、時おりアメリカ軍の昼間空襲にぶつけることができるようになった。9月27日と28日には、64機の4発重爆が、戦闘機と高射砲によって撃墜された」
「連合国軍総司令部は深い憂慮にとざされた。ドゥリットルは(略)戦闘機による掩護が不十分だと苦情を言った。爆撃機と戦闘機の比率が2対1ではもはや妥当ではなく、1対1か、爆撃機1機に対して2機の戦闘機を配する必要さえあった」
…と誇らしげに記しておられましたり
新戦法の導入で成果が上がる一方で、ドイツ側もその裏をかくべく必死の努力を続けていて、その結果戦いの勝敗が局地的にでも入れ替わることはまだあった、ということになるんでしょかねえ
無題Name名無し 21/02/15(月)22:28:02 No.17148
欧州戦線で、スピット、P-47、そしてP-51に搭乗して味方爆撃隊の掩護に連日出撃していた米戦闘機パイロットのジェイムズ・A・グッドソン=サンの回想記に、ヴィック・フランス=サンという同僚パイロットの話が出てくるんですが、氏によればヴィック=サンは故郷のテキサスをこよなく愛する伊達男で、「その〝戦略拠点"をテンガロンハットで隠し」た美女の描かれた「ミス・ダラス」を愛機に出撃を重ね、どんな激戦も冷静沈着に切り抜ける腕利きのパイロットだったそうなんですが、私生活でも、常に複数の英国人のガールフレンドたちをエスコートしていたそうです(棒)
そして1944年4月18日のことであったそうなんですが、
「爆撃機隊の最後尾に食いついてきたドイツ戦闘機に立ち向かうためにわれわれは編隊を解いたが、その為に編隊に隙間ができた(略)そのとき(※ヴィック=サンの)落ち着いた声が入ってきた(略)
『Me109がひとかたまり、最後尾のB-17に食いついた!おれが引き返して追い払う!』」
無題Name名無し 21/02/15(月)22:29:32 No.17149
http://cgi.2chan.net/f/src/1613395772000.jpg
「中隊の大部分はかなり先にいたが、振り返ってみると取り残されかけているそのB-17が見えた、私は(略)無線の送話ボタンを押した。
『おれがカバーするぞ、ヴィック!ただ、弾薬も燃料も少ないから、できるだけ早く始末しろ、さもないと帰れないぞ!』
『よし、そのときは女の子にさよならを伝えてくれ!』
『どの女の子にだ、ヴィック?』私は聞いた。
『みんなにだ!』」
そして、ヴィック=サンは独戦闘機隊と空戦に入るったものの、如何せん多勢に無勢、落伍したB-17は結局1機のBf109に止めを刺されてしまうんですが、ヴィック=サンはそのBf109を執拗に追跡、急角度の急降下で逃げるドイツ機を仕留めたものの、引き起こし限界高度を越えてそのまま地面に激突してしまったんだそうで
無題Name名無し 21/02/15(月)22:30:56 No.17150
「(帰還後)私はいくつか電話をかけた後で、バー(略)に入っていくと、娘たちがそこにいた。私は飲み物を頼んだ。
オードリーが言った。『ヴィック?』
私は言った。『うむ』誰かが聞いた『いつ』私は言った。『今日』
ジャッキーが言った『彼のために』みんながグラスをあげた」
「私も(略)基地へ戻らねばと立ち上がると、ジャッキーが私を引き止めた。
『もう一人いるのよ』彼女は言った。『特別の一人が…』」
(略)
「彼女は飲み物を断り、腰をおろそうともしなかった。
『ヴィックだ』私は言った『彼はきみに伝えてほしいと言っていた』
彼女は腰をおろした(略)彼女を慰めるつもりで私は言った。『見事な最期だった』
(略)
『何かできることがあれば…』
無題Name名無し 21/02/15(月)22:32:08 No.17151
『ありがとう』彼女は言った。『でも、私一人で泣けるわ』そして彼女は向きをかえ、そのまま出ていった。
ジーンが言った。「彼女は一人であんなに悲しがっちゃいけないのよ。彼はあの娘にあまり誠実じゃなかったんだから』
リタが(略)黒い眼で彼女を見つめた。『彼は誠実だったわ』彼女はきっぱり言った。
『私たちみんなに!』」
「われわれはピカデリーの通りに出た。兵隊(略)パイロット(略)疲れた表情をした市民たちが流れるように歩いていた。空を見上げるときれいな星空だった。
『あなた、ヴィックは天国へ行ったと思う?』リタが聞いた。
『もしそうだとしたら』とオードリーは答えた。
『天国に行く途中で、天使を撃墜したりしていなければいいんだけど』
無題Name名無し 21/02/16(火)10:12:53 No.17185
米軍の戦闘機乗り達も空中戦が始まったら敵味方関係無く視界に入った戦闘機を全て銃撃する味方爆撃機隊が一番鬱陶しいとか文句言ってたな
味方なので撃墜するわけにもいかないし
無題Name名無し 21/02/16(火)17:13:42 No.17215
カーチス・ルメイ=サンの手記に、P-51戦闘機隊との共同戦闘についての部分があるんですが、曰く
「B-29の会敵した日本戦闘機搭乗員は、ドイツ上空での邀撃戦闘機乗りに比べて技量が劣り、また太平洋戦争初期の日本のパイロットより攻撃がまずかった(略)優秀な搭乗員の大半が、1942~44年のあいだに失われたのが原因である。1945年の敵搭乗員のほとんどは、未熟で射撃もわれわれより劣っていた」
「われわれが太平洋で失ったB-29の大半は、故障や不調が原因だが、日本軍の防御兵器については(略)邀撃戦闘機よりも対空火器に関心を持っていた」
「1945年5月25日から私が(略)戦闘機の指揮をとり、私流のやり方で爆撃機を護衛させて、戦闘機部隊がやるような方法は用いなかった」
「私は爆撃機飛行隊の前方に戦闘機を分散させ、このために日本戦闘機が後方から来襲するように仕向けた」
無題Name名無し 21/02/16(火)17:14:36 No.17216
「その理由は、後方からだと接近距離/時間の比が小さいからだった。いちばん下手な銃手でも(略)対処でき、自動補正式の射撃照準器が敵邀撃機を適正に捕捉した。これが戦闘機の大量撃墜につながったのだ(略)われわれの報告した撃墜数は(略)P-51が落とした数よりは多いと確信している」
「『マスタング』がときどきは助けになったとしても、彼らもまた天候の為に、われわれに負うところが大きかった(略)悪天候に出くわしたら、そこに突入するにさいし、戦闘機隊は(略)B-29にくっつき(略)針路を変えずに飛んで悪天候を抜けたら、理論的には(略)ふたたび編隊を組めるはずだった」
「たいていは飛び抜ける前線が小さく、うまくやってのけた。しかし1945年6月1日、ひどい嵐にもまれて27機の戦闘機が失われた。彼らはまさに姿を消してしまったのだ」
「1945年6月初めからは被害率が下がって、1年ぐらい前に本国でB-29の訓練飛行をしたときよりも、日本上空での作戦飛行のほうが、より安全と言えるほどだった」
無題Name名無し 21/02/16(火)17:16:42 No.17217
「ときには邀撃を受けるものの、5月以降のB-29への攻撃状況はごく低調になった。われわれにとって戦時中で最悪の5月には、戦闘行動で88機のB-29を失ったが、6月には作戦の数が大幅にふえたのに損失は半分に減った」
「6月末から終戦までの6週間に、戦闘で失った『スーパー・フォートレス』はたった33機にすぎなかった」
…とのこと
ルメイ=サンの手記には明らかな事実誤認(「夜戦の攻撃で失われたB-29は1機もなかった」等)もあるんですが、大戦末期に日本側の邀撃戦力が低下、B-29の損害も減ったというのは実際事実ですので(本土決戦用に備えての出撃自粛策も影響)欧州戦線の経験もあるルメイ=サンが、対日戦での味方戦闘機隊の掩護効果を低く評価していたというのも、ある程度はそうした事情が影響していたのかもしれないですなあ
無題Name名無し 21/02/16(火)17:44:42 No.17218
高度10000mをジェット気流に乗って時速600km以上でかっ飛ぶ爆撃機を要撃してみろとはルメイさんも無茶をおっしゃる(しかも護衛付き)(笑)
それこそロケットか朝鮮戦争レベルのジェットでもないと厳しいですー
無題Name名無し 21/02/16(火)17:57:20 No.17221
「どんな飛行機が欲しいか」
「自分の部隊を全てP-51か五式戦闘機にしていただきたい」
無題Name名無し 21/02/16(火)19:06:09 No.17232
P-51はともかく五式では高高度に侵入してくる連合軍の重爆とその護衛戦闘機の相手は無理では?
無題Name名無し 21/02/16(火)19:12:58 No.17234
感情的には色々ありますが空自設立時にルメイ氏は戦った相手だからこそ分かる弱点とかどんどん指摘してくれたんでしょうね
無題Name名無し 21/02/16(火)21:17:27 No.17258
もしも日本が早くからジェットエンジンの研究を進めていたなら、B-29が飛来する頃には国産ジェット戦闘機の配備が間に合って、B-29の高高度性能を台無しにできたのにね。
そもそも高高度飛行に不向きなレシプロエンジンに複雑な構造のターボチャージャーを取り付けて無理やり飛ばせるのが理不尽であって、そのリソースを元々高高度飛行に適したターボジェット・エンジンの研究に振り向けていればよかったね。 (・∀・)b
無題Name名無し 21/02/16(火)21:51:05 No.17266
>もしも日本が早くからジェットエンジンの研究を進めていたなら
少なくともドイツよりも早く42~43年までに橘花を全戦闘機部隊に配備してジェット機戦術の確立も済ませて習熟を終わらせておかないと
無題Name名無し 21/02/16(火)21:28:11 No.17261
「ペラのない飛行機がどうやって飛ぶというのか?本職には理解できかねる話である」
無題Name名無し 21/02/16(火)23:37:51 No.17271
素人考えだけどターボチャージャーと軸流式圧縮のジェットエンジンて共通点が多いんじゃないかな
だからジェットは日本にはハードルの高い技術だったと思う
無題Name名無し 21/02/17(水)07:09:47 No.17286
>素人考えだけどターボチャージャーと軸流式圧縮のジェットエンジンて共通点が多いんじゃないかな
実際車用ターボチャージャーを改造してガスタービンエンジンや
ジェットエンジンを自作してる人は少なからず居るよ
無題Name名無し 21/02/17(水)17:56:27 No.17331
>素人考えだけどターボチャージャーと軸流式圧縮のジェットエンジンて共通点が多いんじゃないかな
遠心式の間違いでは?
軸流式だと何段もの圧縮タービンがあるんだが?
無題Name名無し 21/02/17(水)21:29:45 No.17358
>>素人考えだけどターボチャージャーと軸流式圧縮のジェットエンジンて共通点が多いんじゃないかな
>遠心式の間違いでは?
>軸流式だと何段もの圧縮タービンがあるんだが?
遠心式も軸流式も圧縮機の方式の違いでしかなく、どちらも圧縮機を動かす原動力は燃焼室からの高温の排気を受けるタービンの回転
で、この「排気を受けたタービンの回転」から動力を得ているというところがターボチャージャーと同じ仕組み
この点でソ連が不時着したB-29の排気タービンのコピーに成功したのは後のジェットエンジン発展につながるポテンシャルを示すものと言えるかもしれない
ちなみに日本は鹵獲したB-17の排気タービンのコピーを試みたが、失敗した模様
無題Name名無し 21/02/17(水)21:39:49 No.17359
>遠心式も軸流式も圧縮機の方式の違いでしかなく、どちらも圧縮機を動かす原動力は燃焼室からの高温の排気を受けるタービンの回転
>で、この「排気を受けたタービンの回転」から動力を得ているというところがターボチャージャーと同じ仕組み
ジェットは自身の排気で駆動だがターボチャージャーはレシプロエンジンの排気で駆動だぞ
無題Name名無し 21/02/17(水)21:44:12 No.17360
(ジェットもレシプロも高温の排気で駆動し続けるタービンシステムはどちらも難しかった。という話じゃないかな。)
無題Name名無し 21/02/17(水)22:30:50 No.17372
>(ジェットもレシプロも高温の排気で駆動し続けるタービンシステムはどちらも難しかった。という話じゃないかな。)
じゃあ遠心式と軸流式の空気の流れ方向考えれば自明だな
ターボチャージャーは遠心式コンプレッサの流れをひとまとめにして加給してるし
無題Name名無し 21/02/17(水)09:30:24 No.17293
ジェットエンジン先進国のドイツでさえ寿命は数十時間と言われていたね
ピストンエンジンよりは構造が単純で燃料も軽油で敷居が低いけど、熱に耐える高度な材料冶金技術がないと結局実戦では使えなかったでしょうね
無題Name名無し 21/02/17(水)12:16:56 No.17302
素朴な疑問なんだけどタービンは短寿命なのにガソリンガンガン焚いてるエンジンが保つのはなんで?
無題Name名無し 21/02/17(水)12:21:25 No.17303
温度が違う
無題Name名無し 21/02/17(水)13:50:19 No.17317
半分の時間は大気温とガソリンの気化熱で冷やされる。
燃焼室の壁面に燃料のいきわたらない層ができて断熱材みたいになる。
燃焼室全面にわたって冷却路が作れる。ピストンの裏も油吹き付けて冷やしてる。
一番熱くなるのが排気バルブと排気口。特殊金属とヒートパイプ使ったり。
自動車のエンジンのターボは同軸で排気と吸気が隣り合ってるので大気と気化熱で冷やしやすい。
無題Name名無し 21/02/17(水)21:46:50 No.17361
逆に迎撃する側は護衛をどう排除するんだろう?
343空なんかデビュー戦は爆撃機は諦めて戦闘機に集中してたはずだし。
無題Name名無し 21/02/18(木)02:20:11 No.17394
http://cgi.2chan.net/f/src/1613582411329.jpg
>逆に迎撃する側は護衛をどう排除するんだろう?
西部戦線の独空軍戦闘機パイロットだった、ハインツ・クノーケ=サンの手記にある、1944年4月28日の出撃の模様なんですが、
「大隊に対する命令は敵護衛戦闘機と戦い、やつらをこちらに引き付けておくことだった。重爆を攻撃するフォッケウルフの大隊に邪魔が入らないようにするためだ」
「大隊は大きく旋回しながら作戦高度まで上昇していく(略)高度9000メートル(略)下方西側に最初の飛行機雲を見つけた。ライトニングだ」
「数分以内に敵は真下に来た。あとから重爆がついてきた。やつらは巨大な鎖となって視界の及ぶかぎり遠くまで広がっていた。サンダーボルトとムスタングがその上空と側面を旋回していた」
「そのとき友軍のフォッケウルフが突っ込んで行った」
無題Name名無し 21/02/18(木)02:23:39 No.17395
「即座にぼくらも下方のライトニングに襲いかかった。それに気付いた敵機は旋回して立ち向かってきた。一群のサンダーボルト(略)も南方から旋回して向ってきた」
「こうしてフォッケウルフに道が開かれた(略)モーリッツ少佐が突撃戦闘機大隊~ラムズイェーガーを率いて突進していく」
「ぼくらは(略)くるくる回りながら敵戦闘機と戦っていた。これが任務だ(略)一瞬一瞬に命がかかっていた」
「フォッケウルフの連中は見事にやってのけていた。ぼくが見ただけでも30機あまりの空の要塞が燃えながら墜落していった。だが、まだ数百機もの重爆撃機が悠々と東に向かって飛びつづけてい」
…たそうです
因みにクノーケ=サンはこの空戦でP-47の射撃を受けて負傷、自機をオーバーシュートした相手を咄嗟に射撃して撃墜後野原に不時着、爆発四散する愛機から必死に離脱、怒り狂う相手の僚機からの地上射撃から、やっと逃れたところで意識を失ってしまったんですとか
無題Name名無し 21/02/18(木)02:24:45 No.17396
http://cgi.2chan.net/f/src/1613582685626.jpg
「次に目覚めた時、ぼくは男がじっと動かずにぼくを見下ろしているのに気付いた。まるで背の高い若い木のような……アメリカ人!」
「ぼくは溝の縁に腰掛け(略)そのでか物は隣に腰をおろした。最初は二人ともまるで口をきかなかった」
「そのとき、ヤンキーが煙草を差し出した。ぼくは礼を言って断り、かれに自分のを差し出した。かれも断った、そしてそれぞれ自分の煙草に火をつけた。
『メッサーシュミットで飛んでたのはあんたかい?』
『そうだ』
(略)
『おまえさん、本当におれを撃ち落としたのか?』
『そうだ』
ぼくもかれに尋ねた。
『ぼくのエンジンがいかれたとき、どういうつもりで前に飛び出してきたんだ?』
無題Name名無し 21/02/18(木)02:25:46 No.17397
引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/16650.htm
『ちょっとばかり前進速度が速すぎたんだ。それにおまえさんがまだ撃てるなんて想像も出来なかった』
『そこんとこが、あんたの間違いだね』かれは笑った」
「かれは僕の結婚指輪を目にとめると結婚しているのかと尋ねた(略)ぼくはかれに(略)写真を見せた。『やあ、素敵じゃないか』(略)かれが気に入ってくれてぼくは嬉しかった」
「ぼくらは半時間ばかり仲良く話し合った(略)二人には共通点がたくさんあった。二人ともパイロットだったし、同じようにからくも死の淵から逃れたばかりだった」
…そうなんですが、連合軍側戦闘機隊と、その壁を如何にかいくぐるかか腐心する独軍戦闘機隊の対決、命のやり取りという一点を除けば、スポーツの試合めいた感がなくもないんですが、結局は「選手層」の厚さとチームの資金力に勝る方が勝った、ということになるのですかしらん
コメント
当時日本に03式中距離地対空誘導弾が有ればと言ってるようなものなんだよなぁ…
それDOG FIGHTってアメリカの空戦番組で取り上げられてたな。ヒストリーチャンネルで見られるやつ。
この攻勢一辺倒の考えなんとかならんかなあ
レーダーなど防空設体制の整ったところに突っ込んでいくので攻撃側の損害が非常に大きい
バトルオブブリテンのみならずドイツ侵攻爆撃でも攻撃側は大損害を被った
防御態勢をとれば損害を抑制し戦力の蓄積も図れるが、それを怠ってひたすら攻勢で損耗し続け物量で圧倒される事を早める髭の伍長と某帝国軍
一方、戦闘機側からすると最初の一撃はどうしても防げず、防ぐには文字通り盾になるしかなかった。だから早めに空戦に持ち込んで初撃をさせないのが彼らの基本戦術になった。直掩隊は正直やりたくなくて、間接掩護隊(制空隊)が人気なのはそういう理由らしい。
主導権を握るには攻勢しかないから仕方ない面もあるのでは。元々国力で劣る以上時間は敵の最大の味方になるわけだし。
ドイツ防空ではヒトラーの攻勢思考により東部戦線で航空機が大量に損耗し続けていた要因も大きい
>そして氏にアイゼンハワー=サンが何より強く要請したのが、来るべきノルマンディー上陸作戦前に、ドイツ空軍への航空優勢を確立することであったそうなんですが、ドゥリットル=サンが新たに採用した戦術の中に、戦闘機部隊の運用法の変更も含まれていたんですとか
このノルマンディー前の航空優勢の確立っていうのはフランスなど沿岸地域だな
ドイツ本国防衛に戦力を割かれ、こちらのドイツ戦闘機部隊は戦力に苦しく、損耗を避ける為に有利な時を選んで迎撃してた状況
フランス沿岸域なら連合国側も航続距離の短い戦闘機も投入できたし戦力的に余裕があった
それをやって失敗したのがヒトラーさんだし
攻勢にはリスクがつきもので、攻撃三倍と言われるように大きな損害を覚悟しなければならない
そうやって自らの生産力を顧みず攻勢で戦力を損耗し続け、戦力がジリ貧になっていく
防御戦が一番敵に損害を与える事ができると言ってるのはクラウゼヴィッツさんのみならず多くの軍事研究者が言ってる事だよ
防御戦で成功した良い例がバトルオブブリテンだろね
増産体制が整っていない時期に、生産補充と損耗のバランスを上手くコントロールして戦い抜いた
防御が有利になりえるのはレーダーなどの防空体制が整っており、なおかつ補足してから目的地までの縦深がある場合に限られる。
戦争中期のドイツはこの条件を満たせてたから、イギリスから飛んでくるB-17をバタバタ落とせた。
一方で戦争後期になればすぐ隣のフランスからも米英軍が飛んできてドイツでも防ぎようがないし、そもそも日本は主要都市が太平洋に面していて観測が困難。
防御って特に空戦においてはそれほど簡単じゃないよ。
戦後になっても21世紀になっても、冶金分野ではロシアが強く、逆にアメリカが今ひとつ伸び悩み、日本はエンジン開発で自動車各社が切磋琢磨して躍進、というのがなんとも。まぁ基礎科学にカネがさけないこの先はどうなるかわかりませんが。
言いたいのは戦略的な意味での防御だな
防御を意識すれば損耗も制御できて戦力を温存し戦力の蓄積ができる
ひたすら攻勢をかけていたのでは戦力の逐次投入と同じだよ
ソロモンでの航空戦ではアメリカはあえて交戦を避けたり空中退避などで航空戦力の維持に努めた一方、日本は攻勢をかけ続け多大な損耗をした
逆にアメリカがラバウルへ攻撃をしかけるようになるとアメリカも損害が大きかった
防御で損耗を避け戦力を蓄え、ここぞという時に投入するっていうのが大事だけど、そういう思考が無くひたすらに攻勢をかけ続ければいいってのはジリ貧への道だよ
なんもかんもドゥーエが悪い……
実際1920年代から開戦直前までのレーダー不在の防空演習ではだいたい侵入側の高速爆撃機が勝利判定を出していた
日本も演習では中攻が勝ってばっかりだったけどレーダーが無い中国相手でも縦深(途中の住民に通報されて早めに待機されてしまう)のせいで大損害を出す洗礼を浴びた
一方で日本側も中国軍SBの高速奇襲爆撃で飛行場列機に大損害を出して局戦開発の切っ掛けになったり
反対に太平洋戦争では在マレー・在フィリピンの米英機を開戦劈頭に高速奇襲爆撃で大量地上撃破に成功したりしている
ソ連の冶金分野が強いってそうかなあ?
大戦中から液冷エンジンは使い捨て運用、戦後もソ連ジェットエンジンは耐用年数が短く、西側エンジンはめちゃめちゃ長い
イギリスの初期ジェットエンジンは現在でも使われてるくらいだし、B707のエンジンなども半永久的に使えるんじゃないかってくらい
ロシアは特定の分野は強いかもしれないが全般的に強いかどうか疑問
それをやって壊滅したマリアナ沖海戦っていうのがありましてね…
単葉・全金属製で本当に速い高速爆撃機が出て来るのはB-10やSBの出て来る1930年代だったね
1920年代まで爆撃機は複葉で戦闘機より遅いのが専らだったから速度ではなく侵入高度や防御武装(戦闘機側の武装が小口径機関銃2門だったから連装銃座や12.7mm以上の防御銃座を持って編隊で迎撃すれば撃ち勝てると考えられた)で戦闘機に対抗するのが多かった
イタリア空軍の高高度飛行と爆弾搭載量に特化した大型爆撃機やフランス空軍のBCR(銃座で戦闘機に撃ち勝てる万能双発機)も20年代の思想の象徴
マレーでは日本軍の航空機の航続距離が常軌を逸していたので安全なはずの後方基地まで叩かれてまった
フィリピンではマッカーサーが何も対応せず、ずらりと基地に飛行機並べてなすがままにやられたっいう
マリアナ前にビスマルク海やサイパン空襲などで戦力を逐次投入して基地航空戦力を壊滅させてるんだよね日本軍さん
この基地航空戦力は決戦戦力として大事に育成されるはずだったんだが、とにかく相手を攻撃しようとして失ってしまった
レーダー管制やVT信管など技術の面で負けてたというのもあるが、戦略面で決戦兵力を大分失っていたのはどうなんだろうか
クラウゼヴィッツさんやね
防御から段階的に攻勢に転じていくっていう
この辺理論付けされてるんで概略くらいは知っていた方がいいと思われ
知っていたら攻撃は最大の防御なんて言えない
一方で、東部戦線の様に最前線でひっきりなしに出撃する状況では、先行して制空するのは難しく、とにかく襲撃機のいる場所に戦闘機がいないと困るという事情があったのかも。
フィリピンの米空軍は対応しようとしたけど、日本機の出撃が悪天候で予定より遅れ、米軍機が着陸した隙を突く結果になったから、マッカーサーが何もしなかったはデマ。
>>22
日本で格言となってる「攻撃は最大の防御」って戦術的な意味の有利不利と、イニシアチブをごっちゃにしてるというか誤解されてるんだよね。その意味で先手必勝も。
クラウゼヴィッツは御説の通り戦闘形式では防御有利としてるんだけど、作戦や戦略では主導性の確保が重要でこのためには攻撃や先手を取ることが有利な事が多い(ただし絶対ではない)。
アメリカ海軍のキング提督が
防御的防御
防御的攻勢
攻勢的防御
攻撃的攻撃
この4段階に分けてますね。説明は長くなるのでパスします(今回のネタに直接は関係ないし)
フィリピン戦初期まではゼロの7ミリ7だけでも、尾部銃座を黙らせれば、執拗な胴体銃撃で撃墜できた様だが、あっという間に装甲板追加なんかで対応されちまってるし。
体当たりまでやるハメになるってな。
呉を狙った際三式弾の発する煙で目標が見えず全部海に落として
低空爆撃に切り替えたほど(燃費悪くて爆弾も積めないし)
有名な東京大空襲だって夜間とは言え低高度に降りての爆撃
MiG-15全機の対B-29戦果<エース屠龍一機の戦果は笑うしかない(該当者二人)
稼働率30%の63万ドルする高級機を対日戦で400機以上落とされて
内心冷や汗もん
>>20
あくまで日本海軍な
陸軍は本土決戦に備え温存してたし
それも通常作戦機だけでマリアナ10回やれる数
データの羅列に酔っててそれが何を意味してるか
冷静に考えてあり得んだろってものまで
得意げに語ってるのがもうねw
なんつっても鍾馗3型の名前が一個もないことに失望した
横から失礼
あくまで日本海軍
20さんの書かれているのは、攻勢的な防空戦の困難さの例ということではないかな。
それに陸軍が温存というのも陸海の戦略に齟齬があったということでしかないし。
これたまに聞くけどケツにバラストつけたⅠ型丁のこと?乙やⅡ型の上昇はそんなに悪いように思えない
ソ連が冶金に強い
日本製鋼所で部長だか課長までやられた国本氏もソ連は冶金に強い的なことは講演でおっしゃってましたよ。製鋼メーカーの管理職だった方がいうのだから、素人がどうこういうよりは説得力あると思うけど。
もちろん疑問を持つのは良いことだけど。
大戦中の話で言えば、戦車ネタだけどT34のエンジンの軽合金の話や、APCRを大戦半ばには実用化してることを考えればやはり冶金に強い方だったと言えるのでは。
朝鮮戦争におけるB-29は、Mig-15の出現によって当初の自由な活動を完全に封じられたために旧式化したとみなされたので、単純な損害の多寡で日本軍が効率的に迎撃出来ていたことを示すわけでではない。
戦略爆撃は投入機数の過半を失っても行う価値があるとみなされたから、第8空軍は8万人死んでも作戦を続けたし、ルメイは何機落とされても低空爆撃で戦果を挙げる方を選んだわけで、米軍の覚悟のほどがうかがえる。
そりゃ総生産数で言えば乙やⅡ型より圧倒的に丁が多いし、B-29との戦闘記録も多いんだからベースとして語られるのは当然っちゃ当然ですわね
戦車の装甲に鬆が入って所定の性能が出せないことも珍しくなかったらしいが。
最高品質と量産品の間に結構差があったのでは。
P51が大量にダイブしてくるんじゃどうしようもないだろうな
>防御態勢をとれば損害を抑制し戦力の蓄積も図れる
日本はイギリスと違って、そんな呑気なことしてたらどのみちジリ貧で負けるの確定した状況だったんだよ…?
勝ち筋が全くない選択よりは、勝ち筋が多少でもある選択をするのは当然でしょ
まるでコラムか短編を読んでいるみたいだ。
それ言っちゃうと、砲弾が貫通してなくて装甲板の割れてしまうパンターは、とかなってしまいますよ。
大戦中期のソ連や末期のドイツは、数を送り出すために冶金の手間を省いたりしてると思うけど。
丁ですね。本来であれば繋ぎの機体なのに結果的に最多生産機になってしまった不遇の機体。フィリピンで捕虜にしたF6Fの搭乗員の「トニーを見るとしめた負けないと思う」という証言にもある通り、丁形は舐められていたようです。
40の続きです。
ようは技術はあるけど、敢えてやらないのと、端からできないは違うのではないかと。独ソは前者なのでしょう。
スピットファイアは論外としてP-47(増槽付き)はハンブルクまでで、P-38はベルリンの手前までしか護衛できなかった。
なので、B-17がドイツ深部(レーゲンスブルク等)の航空機工場を爆撃する時は、単独爆撃をせざるを得ない状態で、1943年12月に航続距離の長いP-51が随伴するようになると、B-17の損害は大きく減少することになった。
1944年以降はB-17:1,000機とP-51:1,000機が出撃するようになった(1回あたり)。
ありがとうございます
1500馬力でバラストの無い五式戦はある意味三式の完成型なのかもしれませんね
>今は無きジオシティーズの「洞窟修道院」内にあったコンテンツ「護衛戦闘機ヤコヴレフ」
アーカイブされてました。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html
同じくアーカイブされていた、同HPのニコライ・ゴロドニコフ氏へのインタビュー
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov3.html
によると、
””戦争の後半になると、我が軍は戦闘機を決まった任務毎に分けるようになったという事実だ。例えば、戦闘機隊が爆撃機を護衛する場合、「戦闘班」を構成するのはエアラコブラか「ラ」で、一方の直衛任務は「ヤク」に委ねられた。これは正しいやり方だった。”(「ラ」=ラーヴォチキン)
ファイター・スウィープによる航空優勢確保には至らなくとも、少なくとも直掩機が張り付く事に徹していれば、爆撃機の撃墜・退避によるミッション・キルを避けられるいう、一貫した思想が感じられますね。
「P51ムスタング空戦記 第4戦闘航空群のエースたち」(早川書房)によれば、筆者らは欧州戦線にアメリカが参戦する以前、義勇航空兵として、所謂”イーグル・スコードロン”に所属し、大陸への爆撃行、その護衛任務に就くにあたり、
英空軍パイロットが、天候等の事情で手が空いた時など、隙有らば、”ルーバーブ”と称する沿岸部の敵航空基地への襲撃で敵航空機の地上での撃滅を図っていた、その効果に着目し、米第4戦闘航空群編入後、直掩任務のみならず航空撃滅戦の重要性を進言し、やがて採用に至ったそうです。
(参考)
https://en.wikipedia.org/wiki/Glossary_of_RAF_code_names#rhubarb
この辺り、関連する用語の多さから、英空軍パイロットはこの種の任務の重要性を認識していた様ですが、例によって開祖は英、それに多大なリソースを投じて本格化させるのは、米という役割分担といった所でしょうか。
80年代まではソ連から日本の鉄鋼メーカーへの技術導入があったみたい
職場にN○Kから転職してきた人がいたんだけどその関係でソ連に長期出張したことがあるって言ってたよ
後、ソ連といえばチタン製のアルファ級原潜を60年代に作ってしまったことも忘れちゃいけない
三式戦は空冷液冷関係なく、1500馬力は必要な機体だったということですね
18万ドルするB-17が4000機以上落とされているに、63万ドルのB-29を400機落とされて冷や汗かくかね?
バトル・オブ・ブリテンを事例として、防御優勢の話をするのは、ドイツ空軍が英空軍基地打撃から都市爆撃に切り替えたタイミング等の問題も考慮する必要があるかなと。
また、航空戦が長期間に渡り、彼我の供給能力が影響する様になったのも大きいかなと。
短期間の航空撃滅戦との違いがあるとはいえ、防御優勢とするのは難しい処(どちらかというと、ここぞという時に戦力を費やせたかの方かなと)
最も、直掩も敵迎撃機に対する待ち伏せだし、より積極的な方法としてはベトナム戦争のミグハントの様に、戦闘機を爆撃機編隊に見立てて、敵の迎撃機を誘い出し、優位な状況で撃滅するという方法もあるのですけどね。(WW2でもちょくちょくされてたハズ)
冷汗かきますねえ!B-29を日本に投入したのも、無駄に損害が増えるのが嫌だったから高性能なB-29なら落とさせんだろと思ってたのもありますし。
九州防空戦なんかアメリカ軍真っ青になってますよ
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