無題Name名無し21/01/18(月)15:03:36 No.14688
軍用飛行艇スレ
近藤家は強いのだぞ!
無題Name名無し 21/01/18(月)15:23:08 No.14689
http://cgi.2chan.net/f/src/1610950988754.jpg
松本零士先生の戦場まんがシリーズ「大艇再び還らず」ですな。
折角帰ってきた大艇を雨ざらしでボロボロにした船の科学館ってのが有ってだな…
せめて空自の零戦みたいに自衛隊で保管してればなぁ、飛行可能とは言わんまでもレストアしてくれるだろうにとは思う。
無題Name名無し 21/01/18(月)16:23:15 No.14695
http://cgi.2chan.net/f/src/1610954595671.jpg
>大艇を雨ざらしでボロボロにした船の科学館ってのが有ってだな…
雨晒しはともかくボロボロには見えないが?
確か2回位塗り直しをしているし、隙間などはシールで
コーキングもしている
>せめて空自の零戦みたいに自衛隊で保管してればなぁ
二式大艇の里帰りは苦難の連続だった
スミソニアンで保存するはずがリストから外れ返還される事になったが
日本に運ぶ費用など問題があった、船会社が無償で運んでくれる事になったが
保管場所が決まらず話しが流れそうになったが
船の科学館が場所を提供すると言う事で里帰りが実現した
この頃はまだ大戦機の価値が低くスクラップの可能性もあった
無題Name名無し 21/01/18(月)19:20:35 No.14698
>折角帰ってきた大艇を雨ざらしでボロボロにした船の科学館ってのが有ってだな…
元々大分ボロボロだったみたいよ
始めこそ保護樹脂塗って湿度30%に保つ等しっかりモスボールされてたけど
日本から引き受けに行った頃には完全に放置されていて湿度管理はされておらず乱暴に塗り重ねた保護樹脂はいたるところで剥離している上以前はあった侵入感知器も外されて近所の子供が入り放題になってたと丸メカに書いてあった
無題Name名無し 21/01/18(月)19:43:21 No.14699
>大艇を雨ざらしでボロボロにした船の科学館ってのが有ってだな…
懐かしいな。船の科学館にあった時に見に行ったがそのうち鹿屋に行って船の科学館に出来た跡地が寂しかった。
4年くらい前に鹿児島へ行った時に再会出来たが感慨深かったのを覚えている。
ただ今は二式ちゃんよりもUS-1Aの塗装剥げが酷いからそっちをなんとかしてくだせぇ....
無題Name名無し 21/01/18(月)21:23:55 No.14721
http://cgi.2chan.net/f/src/1610972635951.jpg
>元々大分ボロボロだったみたいよ
70年代までは雑な扱いだった
ウィローグローブの日本機も屋外で荒れるに任せていた
朽ち果てる寸前の1980年スミソニアンに引き取られた
無題Name名無し 21/01/18(月)21:29:00 No.14722
こういう話があるから日本に持ってこないで欲しい。
95式軽戦車の里帰りの話があったけど建物に入れても経営が怪しい所や保管のノウハウが信用できない。
無題Name名無し 21/01/18(月)21:47:34 No.14724
http://cgi.2chan.net/f/src/1610974054246.jpg
PS-1開発の元になったUF-XSも
今では綺麗に修復されて
かかみがはら博物館で展示されてるけど
無題Name名無し 21/01/18(月)21:48:52 No.14725
http://cgi.2chan.net/f/src/1610974132240.jpg
それまでは野ざらしの展示で
ボロボロのスクラップ目前だったのよね
無題Name名無し 21/01/19(火)08:04:28 No.14733
>ボロボロのスクラップ目前だったのよね
かかみがはら再生を書いた本に、そこらへんの悩みはあったね
集客を考えたら屋外展示で中にも入れるようにするのがベストなんだけど
雨ざらしで機体は傷むはマニアに部品を盗まれるはで保存面では最悪だったそうだ
集客と保存のバランスを取る事に悩んだ末、一定の寄付金を得られた事で
改装する際に保存最優先にしたんだと
無題Name名無し 21/01/18(月)15:33:43 No.14690
胴体細くしたら爆撃機に
とはいかないのかな
無題Name名無し 21/01/18(月)15:47:05 No.14692
>胴体細くしたら爆撃機に
>とはいかないのかな
こいつか
無題Name名無し 21/01/18(月)15:40:53 No.14691
2式大艇の保存が雑なのは直系の子孫と言うか当時の技術陣が形もそっくりなUS-1とか作っちゃったのが原因なような
無題Name名無し 21/01/18(月)16:06:34 No.14693
英国ショート社のスターリング爆撃機は同社のサンダーランド飛行艇がベースですね
無題Name名無し 21/01/18(月)20:10:09 No.14711
2式は機首銃座も電動で、面白い動き方だな
無題Name名無し 21/01/18(月)20:19:07 No.14714
http://cgi.2chan.net/f/src/1610968747946.jpg
輸送機型の春風も登場は遅かったけど航続距離を生かしたお仕事をしたとか
無題Name名無し 21/01/19(火)02:17:46 No.14729
川崎航空機の設計者として有名な土井武夫さんの手記では、恩師リヒャルト・フォークト博士について書かれた所があるんですが、「大型飛行艇BV222の活躍」と題した章によると
「第2次世界大戦が始まる約6ヵ月前に、ルフトハンザは大西洋横断の旅客飛行艇の試作をブローム社(略)に(略)2機発注した。この飛行艇は乗客20名を乗せてハンブルクとニューヨーク間を飛べる航続距離を持ち、乗客には鉄道の寝台車のような寝台を装備する。大西洋の中間でエンジンが故障した場合に目的地まで飛行できるか、出発地まで戻れるためには、多数のエンジンを装着する必要がある」
「博士の設計したBv222は(略)6基のディーゼルエンジンを装着した総重量約50トンの大型飛行艇である(略)開戦とともに試作は中止されることが決まったが、当時ルフトハンザの社長(略)は航空省の中止命令にもかかわらず、彼自身の責任で2機の試作を完了させることにした。彼は空軍が早晩経済的な大型貨物輸送機を必要とするだろうと考えたのである」
無題Name名無し 21/01/19(火)02:18:38 No.14730
「第1号機の試験飛行が完了した当時(略)海上輸送はイギリスの艦隊によってブロックされていた(略)そこで空軍は試験飛行を終えたばかりのBv222を使うことを考えた。Bv222は燃料を補給することなく1回に60人の負傷兵(うち半分は担架に乗せたままの重傷者)を輸送することができる」
「スウェーデン政府は民間人によって運航するならば、赤十字社の輸送機としてその国土の上空の飛行を許可したので、このBv222によって数百人にのぼる負傷者をハンブルクの衛戍病院まで運ぶことができた」
「第2号機の試験飛行が終了したのはドイツ軍がコーカサス方面への進軍を開始したときである(略)油田占領のためであったが、占領してみると(略)採油には約1ヶ月要することが判明した」
「コーカサスはウクライナにあるドイツ軍基地から遠く離れており、冬を間近に控えて燃料不足のため機甲部隊の活動は不可能という危険にさらされることになった」
無題Name名無し 21/01/19(火)02:19:13 No.14731
「航空省はこのBv222長距離飛行艇によってルーマニアから黒海の上空を飛び、前線部隊に燃料を補給することを考えた。運よくBv222が離着水できる湖を前線の近くで見つけ、2機を交互に使用して(略)燃料補給に成功し、部隊はさらに進撃を続けたのである」
「こんなわけでBv222の価値が認められ、緊急生産を命ぜられた(略)一部は南フランスを基点とする大西洋の長距離哨戒にも使用されたが、大部分は北アフリカにおけるロンメル軍に対する燃料、弾薬などの物資補給に、またギリシャ、イタリアからの兵員輸送に使用された」
…とのこと
戦前計画の航空機版オーシャン・ライナーが、ノルウェーやソ連への侵攻作戦での輸送任務で役に立つとか、いかにも大陸での航空戦らしい逸話ではあるんですが、恩師の「作品」の活躍ぶりを熱心に語る文章から、土井氏の思い入れの程が伝わってくる気がしますですな…w
無題Name名無し 21/01/19(火)08:00:03 No.14732
http://cgi.2chan.net/f/src/1611010803062.png
>No.14731
フォークト博士設計の飛行艇というと、自分は真っ先に思うのはBV138かな
三発双ブームの実質三胴機という変態機の割に、ちゃんと制式機として量産もされているという・・・
無題Name名無し 21/01/19(火)09:48:54 No.14736
防弾性が良いのは4発の余裕なのか、重くていいし高速性はそこまでなくても良いよってことだったのか
無題Name名無し 21/01/19(火)12:49:57 No.14741
怪物を育ててしまったな
無題Name名無し 21/01/19(火)17:40:40 No.14766
機体性能が高いのは二式飛行艇だけど、飛行艇として完成度が高いのはPBYカタリナだと思う。
無題Name名無し 21/01/19(火)17:51:05 No.14768
http://cgi.2chan.net/f/src/1611046265142.jpg
>機体性能が高いのは二式飛行艇だけど、飛行艇として完成度が高いのはPBYカタリナだと思う。
第二次大戦中盤に投入された5A型から水陸両用になったので使い勝手がよくなったね
無題Name名無し 21/01/19(火)19:29:16 No.14771
>BV138
やはり土井氏の手記からの引用になるんですが、フォークト=サンの回想記には
「ヘルマン・ゲーリングと会ったのは数回だが、最初は(略)ブローム社の飛行機工場を視察に来たときである。ゲーリングはBv138飛行艇の翼下に爆弾を装備した図面を見て驚き、誰がこの要求をしたかと聞いた」
「博士は率直に海軍からの要求であると答えたところ、ゲーリングは海軍は飛行機はつくっていない、空軍だけが飛行機をつくるのだと声を荒げて叫んだ」
…なんてエピソードがあるそうです
発注先の会社内の部署同士の内輪もめに巻き込まれて理不尽なクレームが来るとか、社会人あるあるの一つかも知れませんが、フォークト=サンにしたら堪ったもんじゃあなかったでしょうなあ
無題Name名無し 21/01/19(火)19:30:53 No.14773
因みにWW2後、博士は米国に移住しているんですが、
「博士が米海軍の飛行艇部門を訪れたとき、主任技師がBv222の図面を引出しから取り出して見せてくれた」
「主任はフォークト博士がBv222に採用した艇体の吃水線の長さと幅との比について指摘し、あなたはご存じないだろうが、世界中の誰よりも飛行艇の発展に寄与された人であるとほめてくれた」
「博士が設計した飛行艇では、この比が12にも達しているが、当時イギリス、フランス、アメリカおよびドルニエにおいてさえ5~6の値を採用していたのである」
「艇体の吃水線の長さと幅との比を大きくすれば、飛行艇の離水に対してきわめて有利であることを博士は(略)確認していたのである」
…と思いがけなく、かつての敵国の技術者さんから賞賛を受けているんですとか
またこの艇体を細長くする設計の別の利点について、戦後日本でのPS-1/US-1飛行艇の開発記に出てくるんですが、碇義朗氏の「帰ってきた二式大艇」によれば
無題Name名無し 21/01/19(火)19:33:55 No.14774
「目標とした波高3メートルの海面での飛行艇の運用を可能とするには(略)アメリカのNACAなどで研究された、艇体の幅に対して全長の大きい、すなわち細長い艇体の採用が第一で(略)試算してみたところ(略)米海軍の4発ジェット飛行艇(略)「シーマスター」の線図と同じ艇体で2式大艇を造り直すとすると、体積と表面積は半分から三分の一ですむという結果が出た」
「表面積や体積が減ると、当然ながら空気抵抗と機体重量の減少に繋がるからメリットが大きい。戦後の(略)アメリカの飛行艇は、マーチンP6Mだけでなく、P5M「マーリン」、コンベアP3Y「トレードウインド」などもすべてこの原理によっており、これにVの角度を鋭くした艇底を組み合わせることにより、水上安定性と着水時の衝撃を緩和する所まで、アメリカがやってくれたことになる」
…んですとか
P/US-1の胴体設計に当たって、大いに参考になったのが戦後のアメリカ飛行艇群で、更に遡ればその米飛行艇群が設計ヒントを得たのがフォークト=サンのBv222のだった…とするなら、或は同機も、US-1飛行艇が優秀機になり得た要因の一つ、ということになるんですかしら…w
無題Name名無し 21/01/19(火)20:55:23 No.14781
> ルフトハンザは大西洋横断の旅客飛行艇
パンナムはボーイングの飛行艇を太平洋横断路線に就航させてましたね
飛行船や飛行艇の定期路線が存在したなんて今では考えられないお話し
無題Name名無し 21/01/19(火)22:08:44 No.14783
日本も川西式輸送飛行艇で横浜サイパンパラオと定期航空路開設して有効活用。
運賃が高額で旅客は官吏や軍人の利用が多かったが、内地の新聞雑誌など出版物や郵便貨物の速達は喜ばれた。
試験運航時はは九七大艇の小改造でキャビンの雨漏りもひどかったけど、後期型は内装もモダンでリクライニング席に16人乗れて、スチュワードのサービスもあり中々快適だったとか。
鳳町の大日航横浜空港含めて、映画南海の花束にも出てくるね。
大日航の運航要員は荒天時の方位測定に、地上局の方探活用したりサイパンパラオの放送電波使ったり苦心してた。
チモール島航路の開拓も、無名の環礁に不時着水したり南海の花束さながらに難航だった模様。
無題Name名無し 21/01/19(火)23:19:13 No.14788
大戦で大型機・電波航法装置・ついでに島嶼部の滑走路まで整備進んで
一気に飛行艇運用のメリットが失われてしまったな
平時じゃなかなか開発進まなかったであろう主航路外れたダイバート用の飛行場にも大して困らないくらいに
無題Name名無し 21/01/20(水)00:11:50 No.14790
ブローム・ウント・フォスといえば名物カタパルト発艦する4発機
無題Name名無し 21/01/20(水)00:12:45 No.14791
http://cgi.2chan.net/f/src/1611069165514.jpg
スレからは少し脱線するが陸上型もござい
無題Name名無し 21/01/20(水)04:35:08 No.14793
>PBYカタリナ
戦前のエゲレスにシンガポールを拠点とする、第205スコードロンという飛行艇部隊があったんですが、同隊の「カタリナ」飛行艇の1機は開戦直前の41年12月7日、マレー半島に向かう日本軍輸送船団に接近した所を、水上機母艦「神川丸」の零式水偵及び飛行第1戦隊の97式戦によって撃墜されていて、「大東亜戦争」で日本側に最初に撃墜された連合軍機…になってしまった、なんてハナシもあるんですとか
その205SQNに、リチャード・アシュリー・アトキンソン=サンという、オーストラリア出身の飛行士官さんがいらっしゃったんですが、この方は対日開戦後まもない12月14日、シャム湾上空での哨戒飛行中、日本の96式陸攻と遭遇して空戦となり、左エンジンに被弾して哨戒を中断、帰還しているそうです
(日本側の記録ではこの日、美幌空の鎌田壮一飛曹機が「敵飛行艇と空戦するも之を逸す」と報告しているとのこと)
無題Name名無し 21/01/20(水)04:35:46 No.14794
それから4日後の18日、アトキンソン=サンの「カタリナ」飛行艇は、またもや哨戒中に美幌空の96式陸攻(大野寿雄三飛曹操縦)の襲撃を受け、被弾12発、機銃手1名負傷という被害を受けておりましたり
もっとも、この日はアトキンソン機の反撃により大野機も8発被弾、大野氏は機上戦死して、副操縦士の操縦で帰投しているそうです
そして更に12月25日のクリスマスにも、またまた美穂空の96式陸攻と交戦していますので(声高安喜人一飛曹操縦)、都合10日間という短い間に3回空戦と、よくよく美幌空の陸攻と縁のある方であったようで
この時は日本側にとっては三度目の正直と言いますか、「カタリナ」の機銃の射程外を保ちながらの陸攻の機関砲攻撃により発火したアトキンソン機は不時着水を余儀なくされており、美幌空側にしたら、見事大野氏の仇を撃った形となったようです
無題Name名無し 21/01/20(水)04:36:34 No.14795
一方、海上で漂うアトキンソン機のクルーも、幸い若干の負傷者はあったものの捜索に来た僚機に発見され、投下してもらったゴムボートに乗り込んでの漂流後、オランダ潜水艦に救助され、全員が無事生還、アトキンソン=サンは長時間の漂流中発揮した沈着冷静なリーダーシップを賞され、殊勲飛行十字章(DFC)を授与されているとのこと
因みにその後、オーストラリア軍に出向したアトキンソン=サンはやはり「カタリナ」飛行艇を駆ってラバウル基地夜間長距離爆撃など数々の任務をこなし叙勲も受け、ついでに二十歳の女性と結婚したりもしているんですが、1943年にエゲレス本国に移り、翌年からは「モスキート」装備の235SQNに転属して、対艦攻撃任務に従事しているんですとか
ここでも優れた指揮官ぶりを発揮して、二つ目の殊勲飛行十字章も貰っているそうなんですが、そちらは1944年12月、氏の乗機がノルウェーのフィヨルドに停泊する艦船への攻撃中、対空砲火により撃墜され、妻と生後3か月の息子を残して帰らぬ人となった後に、授与されたそうです…
無題Name名無し 21/01/20(水)12:13:49 No.14811
>「カタリナ」の機銃の射程外を保ちながらの陸攻の機関砲攻撃
ここら辺、日本側の戦法研究があったのかもね
「あの手強いカタリナを落とすぞ!」みたいな・・・
無題Name名無し 21/01/20(水)14:15:18 No.14816
丸メカニックの「天山」に載っていた元搭乗員の座談会記事に現地改造で零戦の20mm機銃を搭載した天山でカタリナと空戦をしたという話があったな
無題Name名無し 21/01/20(水)16:54:07 No.14817
漫画で資源不足だから木で2式大艇作って飛んでたら
敵戦闘機に襲われて乗ってた大工の棟梁が大艇を改造しながら反撃するのがあった
無題Name名無し 21/01/20(水)18:10:25 No.14818
元山空/755空所属のベテラン陸攻搭乗員だった村上益夫さんの手記の中に、昭和18年、ナウル島基地に配属されていた時のエピソードが有るんですが、曰く
「3月25日、夜間4回にわたって、延べ7機のコンソリ―デッドPBY(カタリナ)双発中型飛行艇の空襲があり、零戦2機、中攻1機が爆破、炎上した」
「やはりこの頃のある日(略)哨戒機1機は帰投の際、カタリーナ艇に後をつけられ、着陸の際奇襲銃撃を受けて、私の同年兵であった森兵曹は敵弾を受けて機上戦死した」
「出征の数日前に結婚し、よく私にのろけを聞かせていた彼、私は若い未亡人のことを思って暗然となった」
「敵もわれわれの哨戒海面を同時刻頃に基地を出発して哨戒している模様であった。しばしば哨戒線先端付近で敵味方の哨戒機が鉢合わせするのである。私も一度遭遇し、追跡したがスコールの中に逃げられてしまった」
無題Name名無し 21/01/20(水)18:12:03 No.14819
http://cgi.2chan.net/f/src/1611133923813.jpg
「『いつかは森の仇を討ってやるぞ』私は心に期するものがあり、機会を狙っていたのである。最初の頃は敵は極めて消極的で、中攻の機影を見るとたちまち遁走していたのだ。ところが中攻の機銃配置を研究したのか、次第に敵は攻撃的になり、しばしば空戦を挑んでくるようになった」
「中攻(※当時の村上氏の乗機は96式陸攻23型)の20ミリは後方だけの射角で側方は利かない。7.7ミリだけである。ところがカタリーナは後方胴体の左右に各1挺と艇首上方に1挺の12.7ミリを持っており、必然的に同行の空戦になる中型機同士の空戦では敵の方が火力が大きいのである(※ママ)」
「敵機と遭遇する哨戒線は決まっていた(略)私はこの哨戒線に当たった機には胴体側面のブリュースター型の7.7ミリ銃座に20ミリ機銃をくくりつけて出発させることにした」
「4月13日のことである。その日、私自身が(※その哨戒線を)飛ぶことになった(略)『今日は見つけろ、どうしてもやっつけるぞ』出発前われわれは、空戦に入った時の機銃配置や、空戦方法について綿密に打ち合わせた」
…そうです
無題Name名無し 21/01/20(水)18:14:03 No.14820
その後、村上氏は首尾よく憎き「カタリナ」を発見、空戦に入っているんですが、延々約20分、「20ミリ121発、7.7ミリ720発」を消費して銃撃戦を繰り広げたものの、「7.7ミリの銃架にくくりつけた20ミリは銃身の震動がひどいため弾が散って」しまい、また「敵機の下にもぐれば、搭乗員席上部の7.7ミリも利くことになる(略)敵は飛行艇であるから(略)下方に対しては比較的防御が弱い。敵の下にもぐりこんで撃ち上げるのが一番有効」と目論んだものの、「敵も下にもぐられると大変であるから(略)海面スレスレまで高度を下げて、まるで海面をすべるように飛んで行く」為、これも実行出来ず
結局、お互いが数発被弾したこの空戦は、一度は「カタリナ」にガソリンを吹かせたものの、決定打を得られない内に両機ともにスコール内に突入、相手を見失うという文字通りの「水入り」で、決着が付かないままに終わっているそうです
96式陸攻も「カタリナ」も、もうこの時期にはどちらも「本職」の戦闘機に捕捉されたらひとたまりもない機体ではあるんですが、逆に両者が直接対決すると、ちょうど性能の拮抗するライバルになったみたいですねえ
無題Name名無し 21/01/20(水)19:48:48 No.14823
http://cgi.2chan.net/f/src/1611139728619.jpg
カタリナのスマートな収納式フロート
無題Name名無し 21/01/20(水)20:34:20 No.14826
カタリナの後継機としてPBMマリナーがあったけど、カタリナは未だに民間機が現役な一方で飛行性能が上回っているマリナーの人気のなさが悲しい
無題Name名無し 21/01/21(木)21:43:34 No.14902
>カタリナは未だに民間機が現役な一方で飛行性能が上回っているマリナーの人気のなさが悲しい
やっぱカタリナの可動フロートが厨二心をくすぐるのでは?
無題Name名無し 21/01/20(水)22:08:42 No.14836
二式大艇も操縦者には厄介な機体で、その前の九七式を知るベテランの中には九七式の方を好んだ人もいたとか
無題Name名無し 21/01/20(水)22:33:27 No.14837
水上の安定性や離水性能は九七式の方が優ってたという回想が多いね。
二式はカンザシを導入するまで、離水時のポーポイジングの悪癖が嫌われたし、実際事故も多かった。
高速発揮を目指して細身にしたから、仕様がない部分もあるが。
無題Name名無し 21/01/21(木)10:47:47 No.14866
今まで挙がった機体と比べると地味な存在なんだけど
多くの英空海軍のパイロットを救助した
スーパーマリン ウォーラス
無題Name名無し 21/01/21(木)19:11:37 No.14888
WW2中「スピットファイア」部隊の指揮官だったジェームズ・エドガー・ジョンソン=サンの回想記にも、不時着水した部下を「ウォーラス」飛行艇に救出してもらう場面がでてくるんですが、
「共通のラジオ周波数でウォルラスに呼びかけると、ホーキンジ救難飛行隊の勇敢な隊長グレース少佐の声が聞こえてくる。グレースとその部下はドイツ人たちの文字通り目と鼻の先で、めざましい救難作業を数多く成功させ、やり方は万事心得ていた。メッサーシュミットが1ダースほども砂丘の陰から突然飛び出して襲ってくるかも知れない中で、荒れ狂う海に困難な着水をしなくてはならない」」
「無事着水し(略)バック(※部下のパイロットさん)は機上に引き上げられ、ウォルラスは離水しようと風の方向に機首を向ける(略)波頭から波頭へとジャンプすると、艇体の上を海水が滝のように流れ落ち、私はふと、老いた白鳥が飛び立とうとして小川の流れに羽ばたく姿を連想する」
「空中に浮かんだところで、私はグレースに呼びかける」
『グレイキャップからウォルラスへ。われらがパイロットの様子はいかが?』
無題Name名無し 21/01/21(木)19:12:45 No.14889
『そう悪くありません』とグレース。『少しやけどをしていますが、さかんに悪態をついておりますからな!』
「グレースも私の知っているすべての救難隊員たちと同様、その職責を申し分なく果たした。大隊が今度パーティーを開くときは、救難隊の士官たちに招待状を送ろうと、私は心に決めた」
…そうです
ただ、ジョンソン=サンの記述通り、海面に舞い降りての救助作業はやはり危険と隣り合せで、戦中「タイフーン」戦闘爆撃機隊の指揮官だったデズモンド・スコット=サンによると、ある時荒れる海面に氏の部下を救助する為に強行着水した「ウォーラス」が波浪で破損、二重遭難してしまったことがあったそうです
幸い、部下のパイロットさんと「ウォーラス」のクルーの面々は、バックアップとして出動していた高速艇に無事救助され、海面には未だ沈まずに漂う「ウォーラス」の機体のみが残されたんですとか
無題Name名無し 21/01/21(木)19:14:32 No.14890
そこで、「タイフーン」機上から救助作業を見守っていたスコット=サンは
「私には、老ウォーラスの断末魔を終らせてやるのが良いように思えた。ウォーラスは海にもまれており、それを見ると、一生を誠実に働いてきて、突然脚を折ってしまった年老いた農耕馬が思い起された。私は4門の機関砲でウォーラスに斉射を加えたのち、しばらくの間目を閉じ、短い祈りを唱え、それからタングミーア(※基地)に向かった」
…とのこと
「老いた白鳥」も「年老いた農耕馬」も、お世辞にも誉め言葉とはいいかねる表現なんですが、それでもどちらからも、彼等戦闘機パイロットがそう呼ぶ「ウォーラス」飛行艇とそのクルーにどんな感情を抱いていたのか、なんとなく伝わってくる気がしますですな
無題Name名無し 21/01/21(木)19:15:34 No.14891
http://cgi.2chan.net/f/src/1611224134459.gif
因みにこちらはおまけといいますか、昔海外のサイトで拾ったウォーラス=サンの画像
世の中には、「老いた白鳥」「年老いた農耕馬」が、こう見える方もいらっしゃるようで(棒)
無題Name名無し 21/01/21(木)22:43:07 No.14904
http://cgi.2chan.net/f/src/1611236587582.jpg
モデラーをしていると何でハセガワが選んだ背景が知りたい所なSP-5B
サイズや用途が違う同時期に就役してたHU-16も味があるけれど
無題Name名無し 21/01/21(木)23:00:45 No.14905
http://cgi.2chan.net/f/src/1611237645272.jpg
Be-12"チャイカ"ちゃん好き。
無骨なガル翼といい操縦してみたい機体。
無題Name名無し 21/01/22(金)18:03:46 No.14938
戦前のオランダで、東南アジアの植民地で使うのにちょうどいい飛行艇が欲しいなあ…というので、ドイツはドルニエ社に発注したDo24という機体があるんですが、十数機を輸入した所で当のドイツがオランダを占領、折角オランダ国内に建設したライセンス生産用の設備も独側のスタッフの手で美味しく頂かれて、以降はドイツ軍が納入先になってしまったそうで
それでも輸入されていた機体の内、既に東南アジアに送られていた分は、本国を占領され、根無し草になってしまった現地のオランダ空軍部隊の手で運用されているんですが、1941年12月8日以降は、今度はドイツの同盟国日本の、強力な陸海空の侵攻部隊に立ち向かう羽目になっちゃうわけですな
Do24はスペック的にはごく平凡な3発飛行艇なんですが、それでも偵察・哨戒のみならず、爆装して果敢に日本軍部隊への攻撃にも出撃していまして、41年12月17日、ボルネオ沖の船団攻撃中に1機のDo24(X-34号)が、水上機母艦「神川丸」の零観(志村飛曹長操縦)の攻撃により撃墜されたのが、最初の損害であったんですとか
無題Name名無し 21/01/22(金)18:14:29 No.14939
更に翌18日には美幌空の96式陸攻とX-35号機が空戦・損傷、23日にはダヴァオの船団攻撃に出た1機(X-27)が水上機母艦「讃岐丸」又は「山陽丸」の零観の攻撃により不時着水(搭乗員は僚機により救助)、別に2機(X-32、35)が「神川丸」の零観との交戦で損傷、12月26日には3空の零戦隊の奇襲により、メナドのトンダノ湖に停泊していた4機(X-11、12、25、26)が一挙に炎上、鹿屋空の陸攻との空戦で1機(X-33)が損傷…と損害は次第に積み重なり、補充も望めないDo24の可動機はすり減る一方であったそうなんですが、12月29日にはまたもや美幌空の96式陸攻(金指智之三飛曹操縦)との空戦で、X-15号機が撃墜されてしまったそうです
それでも、時にはDo24が日本側に一矢報いる場面もあったそうでして、12月17日にはX-32号機の爆撃により駆逐艦「東雲」が轟沈、23日には2機のDo24(X-6、35号)がクチンへ向かう日本輸送船団を追尾、X-35号機は「先述のように「神川丸」の零観(細野二飛曹操縦)の攻撃で損傷したものの、オランダ潜水艦「K-ⅩⅣ」が到着するまで触接を維持していて、同潜水艦の雷撃により、輸送船「香取丸」「日吉丸」が撃沈されておりましたり
無題Name名無し 21/01/22(金)18:14:55 No.14940
http://cgi.2chan.net/f/src/1611306895897.jpg
12月31日には修理されたX-35号機が、日本軍の攻撃で沈みつつあった商船から生存者48名を救助、その後も日本軍上陸地への夜間爆撃などに奮戦、宿敵美幌空の空襲で補給品を焼かれるなどするも、42年2月に5機(X-5、7、8、9、10)がオーストリア空軍に「移籍」し、輸送や救難、捜索任務に1944年頃まで従事している他、X-24号機はオランダ諜報機関の使用機として、ニューギニアへの諜報エージェントの隠密輸送に当たるなど、なおもしぶとくオランダの為に働き続けているそうです
もっとも、保守部品もなく稼働率も低かった為、運用中に事故で1機が失われた後、45年中には残り全機が廃棄処分になっているとのこと
従って、結局極東に送られたDo24の内、現存する機体は1機も残らなかったわけですが、ただ来歴不明ながら戦後になって、内1機の機体前部がマレーで”ハウスボート”としてリサイクルされているのが発見され、博物館に収蔵されているんですとか
或いはかつて、日本の陸攻や零観と相見えた内の1機なのかも知れないですねえ
無題Name名無し 21/01/22(金)18:16:19 No.14941
因みに余談ですがDo24では「トイレ」は後部胴体、尾部銃座の手前あたりに設けられていたそうです
金属むき出しの便座は今の時期辛そうというか、便座カバーが欲しいところですな(棒)
無題Name名無し 21/01/22(金)19:09:18 No.14947
実際問題低温の上空でむき出しのおしりを金属に当てるのはかなりきついんじゃないだろか
まあ、飛行艇ならあまり高高度飛行はないだろうけど
無題Name名無し 21/01/22(金)19:47:31 No.14952
http://cgi.2chan.net/f/src/1611312451243.jpg
映画みたいな集合写真
無題Name名無し 21/01/22(金)20:32:59 No.14958
試作で終わったのも入れてよいのなら
M4戦車を運搬して大西洋を横断できる予定だった
世界最大の飛行艇
ヒューズH-4ハーキュリーズも挙げる
無題Name名無し 21/01/25(月)15:32:55 No.15205
http://cgi.2chan.net/f/src/1611556375255.jpg
>M4戦車を運搬して大西洋を横断できる予定だった
>世界最大の飛行艇
>ヒューズH-4ハーキュリーズ
張り合う気が有ったかは知らんが
川西 KX-03
全長162m、全幅180m、重量460トンを誇る飛行艇。約900人の兵士を18520km先まで運べる。
ターボプロップとジェットエンジンを併用し、飛行する計画だった・・・
無題Name名無し 21/01/23(土)00:09:39 No.14970
http://cgi.2chan.net/f/src/1611328179228.jpg
2010年の小牧基地祭で撮影したUS-1
これが見納めになった
無題Name名無し 21/01/23(土)10:34:49 No.14990
http://cgi.2chan.net/f/src/1611365689182.gif
重量過大でモノにならなかった二二型
無題Name名無し 21/01/23(土)11:37:34 No.14999
ニ三型は翼端フロートが出てこなかったり固定が甘かったり、浮体が小さくて水上安定性に劣り、数トンの重量増加に比して速度向上も5ノット程度で期待した程じゃ無かったってね。
フロート引っ込めてB24と間違えられたという回想もあった。
動力銃座も引込み式にしたり、エンジンも後に換装して技術陣の頑張りはみえるけどね。
無題Name名無し 21/01/23(土)14:09:04 No.15016
以前この板で二式大艇の便器は排出穴が自動で開閉する優れものと聞いたけど、これも22型からかな?
無題Name名無し 21/01/23(土)15:18:48 No.15019
九七式の輸送型も二式も外部放出式の水洗便所。
水洗と言っても上部の水タンクから重力式で洗浄水が出てくるだけ。
最初、放出口の位置が良くなく、空気の渦流で汚物が逆流してきて全部被ったとか。すぐに改良された。
大日本航空が南洋航空路で使用した九七式飛行艇の洗面所と便所の内装写真
無題Name名無し 21/01/23(土)15:37:53 No.15020
>最初、放出口の位置が良くなく、空気の渦流で汚物が逆流してきて全部被ったとか。すぐに改良された。
97式台艇のトイレ設計に当たったのは奥野義夫さんという技師さんだったそうなんですが、なにせ飛行機用のトイレの資料も経験もロクにない時代で、結局川西の社内トイレに通っては構想を練ったそうですw
ところが、民間輸送会社の大日本航空に引き渡す旅客型の1号機が完成し、横浜の日航基地に回送の途中、同乗していた日航の職員が機上トイレを使用していた所、放出したものが機内に逆流してきて、本人がモロに被るという惨劇が生じてしまったんだそうで
幸い、大きい方ではなかったそうなんですが、事故調査の結果、艇底のステップで生じた気流の乱れが排出口からの逆流を招いたと分かり、以降排出口に流線形のカバーを付ける対策が採用されるようになったとのこと
無題Name名無し 21/01/23(土)15:39:17 No.15022
因みに日航の定期南洋航路は、内南洋から最終的にはチモール島のデリーにまで至る「国際路線」に拡大の予定で、チモールの宗主国ポルトガルとの折衝が行われた他、97式大艇が旅客機型に改装されたのも、この路線への就航を見込んでのものであったそうなんですが、対米英開戦時、97式大艇の部隊(東港空)の搭乗員だった日辻常雄さんによると、開戦秒読み状態の昭和16年11月下旬、
「秘密作業が命じられた。当時、大日本航空の定期便(97大艇)が横浜~チモール間に初就航した。サイパン、パラオ経由である。この定期便を利用して、モルッカ諸島中のセラム島アンボン飛行場の写真を撮らせろ、というのである」
「日航搭乗員も当時は海軍満期者であったから、彼らも快く受諾した。パラオ寄港の際、特別待遇で整備を手伝いながら、海軍の航空写真機を渡し、撮影法やら写真機の海中投棄、ネガの隠し場所などを指示したものである」
無題Name名無し 21/01/23(土)15:41:56 No.15025
「これも成功し、貴重な資料ができたことを覚えている」
…なんてコトがあったそうです
東港空自身でも、国籍マークを消した大艇を用いて、セレベス島の隠密写真偵察なども開戦前に行なっていたそうなんですが、ほぼ国策会社とは言え、仮にも民間機が定期便の隠れ蓑を着て軍事偵察とか、華やかな旅客飛行艇と南洋航路の明るいイメージにはちょっとそぐわない感じのエピソードではありますですな
まあ、もう純粋に夢やロマンだけで空を飛べる時代ではなくなっていた、ということなのかもですが…
無題Name名無し 21/01/23(土)15:40:42 No.15024
双発輸送機の狭さ・騒音・サービス設備の悪さや巡航高度での寒気はしんどいものがあったろうし
高級士官・司令部要員がゆったりと移動できる機って存在意義もなかなか大きかったな日本海軍では
ドイツもヒトラーはじめ幹部専用機に四発機コンドルを用いてたが
無題Name名無し 21/01/23(土)16:00:23 No.15029
大日本航空での飛行艇運行にあたった越田氏の回想。
試験運行から終戦まで九七式も二式も運用してる。ろくな航法支援も電波機器も無い中の雲中飛行の危険さが伝わってくる。
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.08.15koshida1.htm
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.09.15koshida2.htm
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.10.15koshida.htm
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.11.15koshida.htm
越田氏の寄稿は11迄あるので、興味のある方は目次からどうぞ。
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/wkb-top.htm
画像は輸送型飛行艇の内装。防音でゆったりして暖房通風もあり、快適。
無題Name名無し 21/01/23(土)17:23:33 No.15035
> ろくな航法支援も電波機器も無い中の雲中飛行の危険さが伝わってくる
加えて見逃せないのが整備員の負担
飛行艇のメンテに手間がかかるとは知ってたけどそれにしても若い者は陸上機に行きたがるって嫌われたもんだ
無題Name名無し 21/01/23(土)16:05:17 No.15030
座席シートや内装(トイレ含む)は当時大日本航空が使用していたダグラス輸送機やロッキード輸送機とよく似ているので、制作にあたり参考にしたんでしょうね。
ロッキードも水タンク式の水洗便所。
無題Name名無し 21/01/23(土)16:19:13 No.15032
おまけに。
戦前の大日本航空のダグラス輸送機(DC3)の機内。
防音、暖房通風、リクライニング、トイレも洗面も完備です。
こちらはCAさんのサービスがあるものの、南洋航空路の飛行艇は男所帯で、手空きの乗員が給仕をしていたのが若干不満だったとか。
無題Name名無し 21/01/24(日)09:43:15 No.15087
http://cgi.2chan.net/f/src/1611448995104.jpg
エゲレスのサンダーランド飛行艇は、ぶっとい胴体内に長距離飛行間の乗員さん達用の休憩室も設けられているんですが、ケロシン燃料のプリマスストーブを二つ備える素敵なキッチンは、同機と同時期に開発された民間旅客飛行艇「エンパイア」と同じモノであったそうです
そこで気になるのはそのキッチンから出てくるメニューの内容なんですが、海外の掲示板で投稿されていた、WW2中から戦後にかけて「サンダーランド」飛行艇の搭乗員だった方の証言によると
https://www.pprune.org/archive/index.php/t-331471.html
定番のメニューは大抵「フライアップ」、ただし寒い時期にはマトンシチューなどが供されて、皆の哨戒中の空腹を満たしたとのこと
「フライアップ」とはなんぞや?と検索してみると、どうやら「フル・イングリッシュ・ブレックファスト」、イギリスで一番美味しいメニュー(棒)と評されている、アレのことみたいですな
無題Name名無し 21/01/24(日)09:45:23 No.15088
キッチンの食材は大抵缶詰の肉や野菜だったそうなんですが、当のRAFから支給される品物は屡々品質の怪しいものがあったそうで、「サンダーランド」の乗員さん達は、フィリピンのサングレー・ポイントの米海軍基地(哨戒飛行艇の部隊の基地)から米軍用のハム缶詰、ウ〇ルチのグレープジュースなどを調達するなどして自衛に努めていたんですとか
料理担当は大抵戦闘時以外はヒマなガンナーさんというのが定番で、氏の機ではスコットランド出身の方であったそうなんですが、幸いシチューに使う秘密のハーブを自前で用意するなど、料理の才能に恵まれたヒトであったそうです
因みに長く愛用された「サンダーランド」飛行艇は朝鮮戦争にも参加していて、日本の岩国基地などを拠点に、対馬海峡のパトロール任務などを行っており、時にはアメリカ軍将兵のお客さんを便乗させて飛ぶこともあったそうなんですが、そこはイギリス人ばかりで長時間隔離されて飛ぶ機内に植民地人がひとり、何も起きないはずがなく…
無題Name名無し 21/01/24(日)09:46:34 No.15089
きっかけはその便乗者さんが、機のコックの入れたコーヒーにケチをつけたか何かであったそうなんですが、以降ハイランダーのコックさんの御機嫌は飛行中ずっと悪いまま
それでも機上で昼食の時間となり、供された特製シチューを味わった便乗者さんも流石にその味に感心してペロリと完食した後で、「これは何のシチューだったんだい?」と聞いてきたそうなんですが、未だ臍を曲げたままのコックさん、
「この前、朝鮮に行ったとき以来、うちの機のクルーは皆犬の肉の味が大好きになってね、いつでも機会があれば手に入れるよう心がけているんですよ」
そしてたちまち青ざめるアメリカ人に
「今日は特に良い子犬を見繕って来ました!」
…因みにこの飛行の後、それからは何故かアメリカ人の便乗者さん達はみんな自前のお弁当を持ってくるようになったそうなんですが(棒)
おかげでクルーの面々も、いくらかそのお裾分けに与ることができたそうな…w
無題Name名無し 21/01/24(日)10:43:10 No.15093
なぜ得意である紅茶じゃなくてコーヒーを出したのか
それならケチつけられることもなかったろうに
無題Name名無し 21/01/24(日)10:46:54 No.15094
二式大艇は艇内禁煙だったそうだけどサンダーランドでは煮炊きも出来る!
でも出てくるのがイギリス料理じゃあなあ・・・(偏見
無題Name名無し 21/01/24(日)11:53:43 No.15108
> 二式大艇は艇内禁煙
敗戦後に二式大艇の検分に来たアメリカ海軍の飛行艇パイロットが飛行中にタバコに火を付けようとしたので日本側が慌ててやめさせたっていうエピソードもある
無題Name名無し 21/01/24(日)14:53:15 No.15125
>No.15108
そのエピソードって、燃料タンクの気密性が悪くて揮発ガスが機内に漏れる事が在って、『事故防止』で禁煙になってた悪寒…
…或いは某戦艦の『自爆事故』の原因とされてるのが「タバコ」と言われてるせい、とか(震え声
無題Name名無し 21/01/25(月)00:03:49 No.15179
> 燃料タンクの気密性が悪くて揮発ガスが機内に漏れる事が在って、『事故防止』で禁煙になってた悪寒
それ以外にないでしょ
よく言われる日本機のエンジンは油漏れで真っ黒だけど、向こうさんのエンジンは綺麗っていうのと共通するものがあるかも
シーリングに差があったんでしょうね
無題Name名無し 21/01/25(月)00:46:32 No.15181
油密パッキング技術に差があったようで、今は当たり前のOリングの発想には、撃墜B29を見ても気付かないまま、昭和22年に海外文献にあたって気付いたという次第。
ブナやクロロプレンなど耐油ゴムの製造技術にもまた先進国と差があった。
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspe1933/20/226/20_226_1/_pdf/-char/ja&ved=2ahUKEwjSxoPk8rTuAhXiw4sBHcUzAhUQFjAFegQIBhAB&usg=AOvVaw2QpnpwmlCOiUSs9fKKE-Yi
無題Name名無し 21/01/24(日)12:06:29 No.15109
飛行中ではなく駐機中だったかも
いずれにせよカタリナでは機内でタバコが吸えた模様
無題Name名無し 21/01/24(日)12:50:53 No.15114
IJNの飛行艇乗りで、相沢達雄さんという方がいらっしゃったそうなんですが、戦前のまだ90/91式飛行艇が主力の時代、サイパンへの訓練飛行の帰途、乗機が故障で洋上に不時着して機体ごと漂流する羽目になってしまったんですとか
幸い、翌日捜索に来た駆逐艦に無事発見してもらえたそうなんですが、駆逐艦より
「必要なものあれば知らせ」
…と相沢機に手旗信号を送ったところ、返ってきた答えというのが
「サケ」
「ビール」
「サカナ!」
…というものであったそうですw
無題Name名無し 21/01/24(日)12:51:56 No.15115
相沢氏は柔道5段、剣道5段、相撲はプロはだし、八の字髭がトレードマークで、豪放磊落な性格は同僚部下に広く愛されていたそうなんですが、WW2当時は東港空の飛行長を務めており、先述の日辻氏の上司であったりしましたり
日辻氏によれば、昭和17年1月6日、ダバオ基地にあった東港空の97式大艇6機により、アンボン島の飛行場および碇泊連合軍艦船への夜間奇襲攻撃が実行されたそうなんですが、この時の総指揮官が相沢中佐で、雷撃隊3機の隊長も兼ねていたんですとか
攻撃法は相沢氏の発案によるもので、爆撃隊が低高度で敵陸上基地および飛行場に銃爆撃を加えると同時に、雷撃隊は着水して水上滑走で敵艦に近づき、水上で魚雷を発射したのち離水して退避する…という飛行艇戦史史上例を見ない奇抜かつ大胆なものであったそうなんですが、残念ながらダバオからの発進時、指揮官相沢機が味方輸送船に接触して墜落(相沢氏も戦死)したため、雷撃隊の出動は中止となり、爆撃隊の3機のみがアンボンに向かっているんだそうで
無題Name名無し 21/01/24(日)12:52:44 No.15116
日辻氏は作戦中、自隊に同行するように飛ぶ不思議な怪光を目撃していて、帰投後相沢氏の戦死を知り、「飛行長の霊魂が護衛してくれたのではないか…」と東港空の司令に言われたそうなんですが、「迷信を信じない私だが、司令と同じことを今でも私は信じている」とその手記に記しておられます
因みに連合軍側の記録によると、同夜アンボンを襲った日辻機ら3機の夜間銃爆撃により、オーストラリア軍の「ハドソン」爆撃機2機とオランダ軍の「バッファロー」戦闘機1機が損傷を受け、多数の兵員が負傷したそうなんですが、攻撃は完全な奇襲となり、迎撃機を上げる暇もなかったとのこと
実際、地形に沿って低空侵入した日辻隊は全機無事帰投しておりますので、氏が飛行長の霊魂の加護を信じたくなる気も分るんですが、或はかつての日航機によるアンボン飛行場の「偵察飛行」の成果を、十分に活用した成果であったのかもしれないですなあ
無題Name名無し 21/01/24(日)22:00:46 No.15164
海軍の水上機搭乗員出身で、海軍航空廠の飛行実験部勤務などを経て、後に川西で2式大艇などのテストパイロットを務めた森川勲さんという方がいらっしゃるんですが、この方が戦前、飛行実験部でテストしたのが、飛行艇研究のため海軍が川西をダミーに輸入した米国製のフェアチャイルド水陸両用機、コンソリ―デッドP2Y飛行艇、ダグラスDF飛行艇、そして9試中型飛行艇…後の99式飛行艇であったそうです
氏の手記によると、
「広工廠で国産の中型飛行艇が試作され、伊藤祐満少佐と私が受け持って試験することになった。15式飛行艇と同じく離着水操作のやさしい飛行艇であった」
…そうなんですが、この頃ちょうど支那事変が勃発、ダグラスDF飛行艇が佐世保航空隊で佐世保~上海間の連絡用飛行艇として使用される事になり、森川氏は同機を審査していた経歴を買われ召集・転属が決まり
「飛行艇の試験を土橋大尉と久保田守氏(※森川氏とは操縦練習生同期)に譲って、私は佐世保航空隊でダグラス艇で(略)連絡飛行に従事」
…することになったんですとか
無題Name名無し 21/01/24(日)22:02:53 No.15165
ところが「人の運命は一寸先は闇(森川氏)」で、昭和13年7月23日、土橋大尉および久保田氏操縦でテスト飛行に出た9試中艇はその途中、穴の開いた集合管から漏れる排気炎が主翼桁を炙り溶かし真っ二つに折れ墜落、同乗者含め11名が殉職するという、それまでの日本航空機史上では最悪の事故になってしまったんだそうで
知らせを聞き、佐世保航空隊からダグラス艇で駆けつけて合同葬儀に参列し、家族ぐるみで付き合いもあった友人でもある久保田氏を見送った森川氏は
「もし私が召集されなかったら…(略)久保田氏の遺族に申し訳ない気がした」
…なんて記しておりましたり
もっとも、未だ機材の信頼性も性能も低いこの時代、事故はヒコーキ乗りには常について回る宿命ともいうべきで、氏が佐世保で搭乗していたダグラス艇1号機「佐鎮号」も、この年の9月、別の方の操縦で館山に向かう途中、濃霧により福岡山中に墜落(搭乗員5名・便乗者35名の内、27名が死亡)、また南洋庁航空部に引き渡されていた同2号機は、サイパンへ向かう途上で行方不明となり、失われているそうです
無題Name名無し 21/01/24(日)22:04:51 No.15166
>2式練習飛行艇
岡部ださくせンせいには「日本人が住宅事情に合わせて作ったPBY」みたい、とか書かれてましたですなw
因みに同機は日本飛行艇としては初めて、ビーチング・ギアを機体内に収納する設計になっているんですが、コレは練習飛行艇としての同機の用途を意識したもので、要はオカで待つ多数の訓練生をとっかえひっかえ交替で乗せて、すぐ次の回の飛行に移れるように…という発注元(IJN)からの要求によるものだったそうです
ところが例によって悪い癖が出て、当初は牽引車で引き上げるから安直な足でいいよ!というハナシが、いややっぱり自力走行させろ!ブレーキも付けて!と仕様は二転三転、その度に強度計算はやり直しになるは、余計な重量は増えるは…でメーカー側は散々であったそうです
それだけの所為というわけでもないんですが、飛行特性の改善や振動問題などで改修を繰り返し、空力担当の技師さんはノイローゼを患い、愛知技術陣をして「いちばん苦労した飛行機」とまで言わせしめたというこの機体、一応実施部隊で運用されているんですが、果して現場の評価はいかがなモノであったんですかしら…
無題Name名無し 21/01/24(日)22:32:07 No.15171
ビーチングギア(通称キ○タマ)の取付は、ウェダーや褌一丁で冷水に浸かっての作業で、身体的な苦痛もともかく、取付が難しくて間違えると船底に穴を開けて廃機になってしまうので、機体に引込式にしたい要望は強かっただろうなぁ。
カタリナやグラマン式のフロート等を知ってると尚の事。
無題Name名無し 21/01/25(月)00:54:39 No.15183
飛行機用のタイヤやゴムホースなども海外製品に比べてすぐパンクするので、海軍で試験装置や指針を作って、ブリジストンや明治ゴム、横浜ゴムなど製造業者を指導したエピソードがあったな。
ダンロップ等には及ばないまでも、耐久性がだいぶマシになったとか。
無題Name名無し 21/01/25(月)16:33:19 No.15209
1945年6月2日、米海軍の艦上機群が、鹿児島の特攻機基地へ攻撃を行った際、空母「ヨークタウン」所属の2機、「タイコンデロガ」の1機のF6Fがそれぞれ鹿児島湾に不時着水しパイロットが脱出、直ちに救助要請が出されたんだそうなんですが、上空掩護に当たった空母「シャングリラ」の「コルセア」のパイロットだったジョージ・M・ブレア=サンの回想によると、
「遭難者を最初救助に来たのは哨戒中の第13哨戒爆撃飛行隊の”PB2Y”1機だったが、この飛行艇は着水したとたんに右翼のフロートがちぎれて転覆してしまった」
「海上では戦闘機搭乗員2名(※ヨークタウン機)に加えて飛行艇の乗組員1組が救助を求めることになった」
「あとでPBM飛行艇1機が来て救助されるのだが、この救難機にはジェット推進離水補助装置(JATO)が一つしかなかったので、20浬ほど離れた(略)タイコンデロガのパイロットの救助にいけなかった(※パイロットは後に別のPB2Y機により救助)」
…なんてコトがあったそうです
無題Name名無し 21/01/25(月)16:35:13 No.15210
http://cgi.2chan.net/f/src/1611560113239.jpg
戦闘機2機+飛行艇1機分の救助者を積んだPBMが海面から再離水する為には不可欠だったらしいこのJATO、航空機の離陸/離水距離を短縮するアシスト機構として、米海軍で研究に当たっていたのが、アメリカロケット界の先駆者としてその筋では有名なロバート・ハッチングズ・ゴダード=サンであったりするそうなんですが、飛行艇への装備化が本格的に開始されるのは、1944年、沿岸警備隊から飛行艇の外洋における安全な離着水方法研究の一環として、海軍にPBM飛行艇による実験が願いだされて以降のことであったんですとか
要求では当初JATOの利用までは含まれていなかったものの、折から研究中だったこの装備は実験の目的にかなうものと判断されて、海軍研究所からスタッフが派遣され、改めて飛行艇用のJATO装備の開発が始まったとのこと
当初製作されたのは液体燃料を使用するロケットエンジンで、燃料はモノエチルアニリン、酸化剤は赤煙硝酸を用いて、コンプレッサーや点火装置は持たないシンプルな構造、加圧ガスにより噴出させた両者を混合させて燃焼させる方式であったそうです
無題Name名無し 21/01/25(月)16:38:00 No.15211
「GALCIT1400-ALDW(GuggenheimAeronautical Laboratory CaliforniaInstitute of Technology1400pounds thrustAir Launched Droppable Water)」という長ったらしい制式名が付けられたこのブースター、実際に飛行艇に付けての使用実験も上手く行き、またバルブの開閉だけで燃焼のコントロールができるなどそれなりに利点があったそうなんですが、実験中、ブースターが破損した際、航空機の主要材料であるアルミニウムと燃料の硝酸が反応してしまう危険性が指摘されたことで、結局お蔵入りに
海軍は固体燃料を使用する形式に方針転換し、やがて完成した「14KS1000」と呼ばれる製品が主用されることになったんですとか
こちらは戦時下の環境を考慮して、ごく標準的な鋼製パイプ(油田パイプに用いる規格だっただとか)を適当な大きさにぶった切ったり、両端にキャップとノズルを嵌め、過塩素酸カリウムを酸化剤とする燃料を詰めたシンプルな構造で、使用すると盛大な煙が噴き出すため、“Old Smokey” なる仇名で呼ばれるようになったそうです
無題Name名無し 21/01/25(月)16:38:53 No.15212
http://cgi.2chan.net/f/src/1611560333505.jpg
もっとも、こちらも問題がなかったわけでなく、いざ使用してみると、飛行高度による温度差や飛行中・輸送中の震動などで固体燃料に亀裂が発生して、燃焼がスムーズに進まなくなるというトラブルに見舞われたんだそうで
安定剤の混入なども試みられたそうなんですが余り効果はなく、最終的な解決方法は、まず固体燃料製作の際には細長い型に入れて整形した上で、その周りを“ダクトテープ”でぐるぐる巻きにして固める、という単純なやり方に落ち着いたとのこと
やはりダクトテープ・・・・!!ダクトテープは全てを解決する・・・・!!
無題Name名無し 21/01/25(月)20:40:51 No.15237
>(GuggenheimAeronautical Laboratory CaliforniaInstitute of Technology1400 pounds thrust
>Air Launched Droppable Water)」という長ったらしい制式名が
『カリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所 (GALCIT) 製1400ポンドスラスター、空中発進・水上投棄可能』って正式名に付けちゃう所がお硬すぎじゃね、って思ったら今の『ジェット推進研究所(JPL)』の前身じゃねえかw
ナチス・ドイツでフォン・ブラウン(画像中央の人物)たちが開発したV2ロケットの技術解析とかやってた所なら、この変態外付けロケットも納得w
無題Name名無し 21/01/27(水)11:02:23 No.15397
鹿児島在住だと二式大艇、US-1が展示されてるのはありがたいけど、現行飛行艇はエアーメモリアルin鹿屋でしか見られない悲しみ。引用元:http://cgi.2chan.net/f/res/14688.htm
コメント
スレで出てきたアメリカ、ドイツ、イギリスはとっくの昔に飛行艇から脱却済
実態は安定性と離着水制限が九七式から劣化してでも全幅切り詰めて最強クラスの発動機付けた上に
川西の普段の実力以上に構造設計が奇跡的に上手く行って軽くなったから速くなったっていう
つまり技術力の高さというよりは割り切りと幸運によって生まれた傑作機
もちろん割り切りも実力の内ではあるけど
あとサンダーランドは、長時間の任務のために機内にキッチンと仮眠用の寝室があるけど、寝室は艦艇と同じように士官用と下士官・兵用に別れているという。
好きな飛行艇というと、ソ連のMBR-2かな。
1931年初飛行で単発三座の古くてしょぼい飛行艇だけど、地味ながら終戦まで活躍しているワークホース(胴体上面に矢倉を組んで、その上にエンジンを推進式に乗せたレイアウトが可愛い)。
今でも大祖国戦争ものの映画では、飛行艇というと必ずこのMBR-2が出てきたりするので、向こうでは割と有名な機体らしい。
あと複葉三発という古臭い大型飛行艇ながら、頑丈さを買われてフランス降伏後にドイツ軍に接収されて活躍したり、それから自由フランス軍に再捕獲されたりとかしている、フランスのブレゲー ビゼルトなんて機体もイイ。
そりゃ一応4発爆撃機も作ってるところだったけど
同じ六発機のme232も非力なフランス製エンジン
me323やった
ロシアと日本と中国は開発して運用しているし、消防飛行艇ならアメリカやカナダ他欧州の数ヵ国含めて多く使われているのでレッドリスト入りはまだまだ早いっすよ。
16年か17年だったか岩国で格納庫の奥に2機ばかり保管してあったのを
見たことあるな
飛行艇が流行した理由は技術的・経済的な問題によるものです。
現代と異なり当時の旅客機は旅客数も少なく航続距離・速度性能の関係上、旅客による利益では運用出来なかったため郵便物の運搬利益が必須でした。
また高価な航空機を旅客機として運用出来る航空会社も少なく、航続距離が短いため飛行場の数や立地条件などの問題も多くありました。
対して飛空艇は湖や波の穏やかな海さえあればどこでも運用出来ました。
(港/桟橋の設置は航空機専用の飛行場よりも簡単に設置出来、既存の物も流用出来た)
また何らかのトラブルが発生した場合でも障害物がない水上/海上では素早く着水に移れるという点も、信頼性の低かった当時の航空機(特にエンジン)にとって有効でした。
これらは旅客のみで利益を出せるようになった(搭乗数が多く早く遠く運べる)DC-3の登場によって大きく緩和されるまで続きます。
WW2が始まると構造的な特殊性から陸上機に対して速度性能等の面で劣るため、軍用機としては後方/間接支援目的でのみ用いられるようになります。
しかし広い太平洋が戦域となった日米では依然、海上への離着水という能力は点在する限られた飛行場から運用する陸上機に比べ多くの利点があり残存しました。
WW2後になると状況は激変。
米軍によって大量に余った中古のDC-3(C-47)が民間市場に格安で売られ、世界中で民間航空会社が設立されました。
(元軍人パイロットからの雇用も充実していた)
同時に飛行場も数多く整備された事で、水上/海上でしか運用出来ず設計上制約の多い飛空艇は姿を消す事になります。
最終的に旅客機のジェット化によって完全に淘汰され、現在は飛行場を整備出来ない特殊な環境下等においてのみ運用されることとなりました。
因みに、昔は浮力が働くため飛空艇は大型化しやすいという利点もありました。
※離水(離陸)能力や搭載能力(構造強度)を求めると重くなる影響が小さかった
博物館の不手際って言うより、市井の博物館に預けてなんのサポートもしなければそらそうなるって案件な気もする。専用のメンテ艦が建造されるくらい扱いが面倒くさい物だったのだし
97式飛行艇をソロモンの偵察に出すと、未帰還になるので不審に思ったら敵はB17だったという話が記憶に残ります。爆撃機同士で撃ち合っても日本の方が弱い。まして飛行艇では。
技術的な部分で11さんを補足させてもらうと、戦後の旅客機、輸送機は1〜2kmの滑走で離陸速度300km/h以上まで加速できるけれど、かつての低出力エンジンでは相当長大な滑走路が必要でとても現実的ではなく、ペイロードを犠牲にするか、より広大な翼面積で速度を犠牲にした。その点滑走路がほぼ無限みたいな飛行艇、水上機の方が輸送力や重武装化で有利。速度は機体の空気抵抗により頭打ちになるけど、速度記録はしばらくシュナイダーズカップ出場機が総ナメしていた。
戦後も、陸上機を上回る離陸速度によりそのペイロードを上回る水上機の開発は試みられて、当時の空母で運用不可能な大型機(核兵器搭載可能な)を海軍機としてモノにするためにシーダートが試作されてる。
しかし、流体の抵抗は速度の2乗で、水の密度は空気の比ではなく、高速滑走時の「衝撃」に耐える機体は重くなりせっかくのベイロードを食い潰し、しかし飛行中は音速を超えられない。で廃れていく。
水上速度の世界記録は高速滑走艇の500km/hオーバーがあるので材料のブレークスルーがあればペイロードだけなら陸上機に勝る機体を作る余地はある、と思うけどそこまでのメリットは無い、ロマンのみ
消防飛行艇は軍用機なのか?
それと大昔は大抵の海軍が飛行艇を使っていたのに比べ今や極一部の海軍が使っているに過ぎず、軍用機として使う国は激減したことは間違いない
二式大艇が返り討ちにした例もありますけどね。
なぜ減ったのか、そこが重要だとは思わないのかね?
飛行艇という存在自体が時代遅れであるかのような書き方は良くない。
二式だと撃墜例がありますか。記事を探してみます。・・・あ、上に漫画はあった。あの漫画は読んだね。
陸上機やヘリに押されて時代遅れになったから使われなくなった
違う?
九七式飛行艇撃破記録ありますよ!
個人的な意見ではあるけど、その言い方では不十分かと。
旧来飛行艇がカバーしていた一部分を通常の陸上機やヘリが代替しているだけで、飛行艇のみが持つ長所に関しては未だに代替できていないから、一部の国が運用を続けている。用途の細分化・専門化によって必要の無くなった国・未だに必要としている国ができたというだけ。
よって脱却という表現には語弊があり、まるで米英その他が先進的な思想であるかのような誤解を生じかねない。
それじゃあまるで本来は飛行艇の果たすべき役割なのに穴埋めで仕方なく陸上機やヘリが使われているかのような言い方だ
コストが高く性能が劣り運用にも手間のかかり、陸上機やヘリに見劣りするようになった飛行艇の利用が減っていくのは時代の流れであり、必然だよ
横からスマンが、「回転翼機と固定翼機どちらが優れているか」って位議論の的が絞れてない様子です。
環境の変化によって優劣は簡単に覆る物ですし、※24さんも先進性という観点に拘らない事をオススメします。
何十年後かに自家用車代わりにマルチコプター乗ってたらどうです?
最終的に航空機の行き着く先はタケコプターでしたみたいな話になるよww
ドルニエシースター(12人乗り)をそんなばっさり切らないであげて…。
去年ドイツで初飛行したばかりで営業これからだよ。
旅客飛行艇は2007年まで飛んでたし、水上機が必要で飛ばしてる航空会社はまだある。
飛行艇が飛行艇である限りコストパフォーマンスの問題からは逃れられない
その12人乗りの機体が商業輸送で成功することはないと確信を持って言える
水上機が民間で未だ広く利用されているのは、陸上機にフロートを外付けするだけで出来上がる簡便さ、コストの安さが買われているから
飛行艇はそうは行かない
言いたい事は分かるが実際にマーケティングしてる訳じゃないなら断言すると火傷しまっせ
逆にドルニエシースターがどこに需要見てるか知ってるならついでに書いといてくれ
メガフロートと飛行艇の話になると突然、怒り心頭みたいになる人が居る気がする
俺はどっちも貧乏さと贅沢が同居するするような
ちょっと奇妙な存在感が面白いと思う
子供の頃に家にあった航空機の本で
左右の翼にパットンだかスーパーパットンだかを乗せた
シーマスターの写真が心に焼き付いて離れない
それが死に瀕した際のアメリカの最終兵器だったとは知らなかった
よく分からないが、もっと簡単にこう考えてみればどうだろう?
「もし今 陸上機、ヘリ、飛行艇の3つの中でどれか1つをなくさなければならないとしたらどれを選べばいいか?」
軍オタの間で投票を募れば1位は何かは明らかだと思う
飛行艇が淘汰されるべきだという話したいなら別の方にどうぞ。
私自身は必要な所に必要な物があればソレで良いと思ってます。
どちらかの優位性を根拠にどちらかの存在を否定する気は最初から無いです。
子供の頃にP6Mに興味を持つとは恐ろしい素質の持ち主ですね!
成熟したあなたにはボンバルディア CL-415オススメ。(沼
> 必要
「もし今 陸上機、ヘリ、飛行艇の3つの中でどれか1つをなくさなければならないとしたらどれを選べばいいか?」の問いで何が最も必要とされてないかがあらためてわかる
「必要な所に必要な物」じゃん
それが陸上機なのかヘリなのか飛行艇なのかなんて組織によって違うって話じゃろ
そもそも飛行艇云々を議論したいならレス先が間違ってるって最初に書いてあるぞ
Do 24 のデザインもさる事ながら、
更に上を行く サヴォイア・マルケッティ S.55 はインパクト有ります。
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