無題Name名無し20/06/20(土)12:31:09 No.508696

1592623869666
砲艦スレ
画像は隅田


無題Name名無し 20/06/20(土)12:31:28 No.508697
https://may.2chan.net/39/src/1592623888230.jpg
橋立

無題
Name名無し 20/06/20(土)12:33:16 No.508698
1592623996280
伏見

無題
Name名無し 20/06/20(土)12:37:27 No.508699
1592624266139
19世紀ナイル川で使われたイギリスの砲艦

無題
Name名無し 20/06/20(土)13:09:57 No.508701

無題
Name名無し 20/06/20(土)14:51:13 No.508703
1592632273596
ギリギリ砲艦と言えなくもない

無題
Name名無し 20/06/20(土)15:15:48 No.508704
1592633748967

日本海軍 航洋型砲艦(7隻)
Name名無し 20/06/20(土)15:52:51 No.508706
宇治(初代/日本)→ 戦間期に除籍
嵯峨(日本)→ 戦没
安宅(日本)→ 安東(中華民国)→ 艦名?(中共)→ 戦没
橋立(二代/日本)→ 戦没
宇治(二代/日本)→ 長治(中華民国)→ 八一(中共)→ 南昌(改名)
レパント(イタリア)→ 興津(日本)→ 咸寧(中華民国)
ルソン(米国)→ 唐津(日本)→ 爆破処分

*安宅(あたか)は最初は「勿来(なこそ)」という艦名を予定していた。
*レパントは伊軍により自沈したが、日本が引き上げて修理した。
*ルソンは米軍により自沈したが、日本が引き上げて修理した。

日本海軍 河川用砲艦(16隻)その1
Name名無し 20/06/20(土)15:53:39 No.508708
伏見(初代/日本)…英国生まれ→日本本土に一度も寄港せぬまま除籍
隅田(初代/日本)…英国生まれ→上に同じ
鳥羽(日本)→ 永済(中華民国)→ 郝穴(改名)→ 湘江(中共)
勢多(日本)→ 長徳(中華民国)→ 閩江(中共)
比良(日本)→ 戦没
保津(日本)→ 戦没
堅田(日本)→ 戦没
熱海(日本)→ 永平(中華民国)→ 烏江(中共)
二見(日本)→ 永安(中華民国)→ 珠江(中共)
伏見(二代/日本)→ 江鳳(中華民国)→ 艦名?(中共)
隅田(二代/日本)→ 江犀(中華民国)→ 涪江(中共)
小鷹(二代/日本)→ 戦没

日本海軍 河川用砲艦(16隻)その2
Name名無し 20/06/20(土)15:54:08 No.508709
マカオ(ポルト)→ 舞子(日本)→ 武鳳(中華民国)→ [3-522](中共)
モス(英国)→ 須磨(二代/日本)→ 戦没
E・カルロット(イタリア)→ 鳴海(日本)→ 江鯤 (中華民国)→錢坤(中共)
ウェーク(米国)→ 多々良(日本)→ 太原(中華民国) →戦没

*小鷹の正式な種別は「交通船」。別名「豆砲艦」。
 満州国軍に2隻の姉妹艦が存在していた。
*マカオは鹵獲品ではなく、ポルトガルから日本が購入した。
*モスは英軍により自沈したが、日本が引き上げて修理した。
*E・カルロットは伊軍により自沈したが、日本が引き上げて修理した。
*ウェークは投降したために無傷で鹵獲できた。

無題
Name名無し 20/06/20(土)15:53:01 No.508707
https://may.2chan.net/39/src/1592635981057.jpg
英砲艦はちび丸艦隊シリーズみたい

無題
Name名無し 20/06/20(土)18:00:42 No.508711
https://may.2chan.net/39/src/1592643642121.jpg
アムール川用の小型艦に6インチ砲を積むロシア帝国

無題
Name名無し 20/06/20(土)18:58:21 No.508712
1592647101918
モニター潜水艦は含まれますか。

無題
Name名無し 20/06/20(土)19:00:52 No.508713
1592647252087
アメリカ南北戦争の際、北軍側の技術者だったジョン・エリクソン=サンの手によって、全周装甲砲塔装備の装甲砲艦「モニター」が建造されているんですが、極端な低乾舷に戦闘時には煙突すら除去して分厚い装甲砲塔の射界を確保する、よく言えば画期的、悪く言えば当時としては非常に異様なスタイルであったんだそうで

ところが南軍装甲艦「メリマック(ヴァージニア)」との激戦でその戦闘力が証明されると、合衆国海軍では「モニター」及びその発展型の大量発注に踏みきり、以降次々に準同型艦が建造される運びになったんですとか

もっとも、戦争の終了に伴い、いささか造り過ぎた感もあって、持て余された何隻かは海外に輸出されているそうなんですが、その内の一隻「オネオタ」はペルー海軍に売却され、ペルー古代の偉大な帝王の名を取って、「マンコ・カパック」と改名されたそうです

無題
Name名無し 20/06/20(土)19:02:36 No.508714
https://may.2chan.net/39/src/1592647356568.jpg
一方、ペルー海軍ではエゲレスからも、よりフネらしい形といいますか、航洋性に優れたタイプの砲艦も購入しており、こちらもやはりインカ帝国の皇帝名にあやかって「ワスカル」と命名されているんですとか

1879年にペルーとチリの間で戦争が始まると、古代インカの帝王の名を頂く2艦も共に参加しているんですが、戦争中「ワスカル」の方は武運拙くチリ側に鹵獲され、逆にチリ海軍の所属艦となってペルー海軍に牙をむいているんですが、1880年、ペルー南部の港町アリカの封鎖作戦に投入された際に、同地を守備していた「マンコ・カパック」と、砲火を交えることになったんだそうで

同じ国の違う時代の皇帝同士が、片方が悪堕ちして、かつての盟友同志で祖国の存亡をかけて戦う!とか何かのアニメかゲームみたいなシチュエーションの戦いは、両艦の一騎討ちに近い激戦となったそうなんですが、互いに装甲が主砲弾の貫通を許さず、戦いは膠着状態が暫く続いたんですとか

無題
Name名無し 20/06/20(土)19:06:18 No.508715
1592647578674
それでも遂に「マンコ・カパック」の一弾が「ワスカル」の艦橋附近で炸裂した際、「ワスカル」艦長が戦死した為同艦は離脱、インカ皇帝同士の直接対決は、「マンコ・カパック」の判定勝ちという形で終っているようです

もっとも、アリカ攻防戦自体は結局陸路で同市を攻略したチリ側の勝利に終わっており、「マンコ・カパック」は鹵獲を逃れるため、同地の沖合に自沈したとのこと

その後、結局「ワスカル」はペルーに戻ることなく、チリ海軍所属のまま働き続けて、現在もなお、稼働状態でチリ海軍の記念艦として保存されているそうです

一方、不屈の砲艦「マンコ・カパック」は、かつての激闘の記憶を胸に、祖国の沖合の海底で、今も静かに眠っている筈です…

無題
Name名無し 20/06/20(土)22:44:25 No.508726
https://may.2chan.net/39/src/1592660665873.jpg
>その内の一隻「オネオタ」はペルー海軍に売却され、ペ
>ルー古代の偉大な帝王の名を取って、「マンコ・カパック」と改名された
オネネタがマンコ・カパック」改名された
メモメモっと
「メリマック」対「モニター」 宮崎駿の雑想ノートですね。この最貧前線も味が有っていいです
しかし、何で砲艦の名前は西日本の地名の方が多いんでしょうか

無題
Name名無し 20/06/21(日)11:24:19 No.508740
>>ワスカル

アントファガスタの海戦では、ワスカルが放った魚雷が故障で90度ターン
こっちに戻ってくるのを見たワスカル乗艦の中尉が海に飛び込んで進路を変えさせたとか・・・

無題
Name名無し 20/06/23(火)01:52:01 No.508809
>>アントファガスタの海戦では、ワスカルが放った魚雷が故障で90度ターン
こっちに戻ってくるのを見たワスカル乗艦の中尉が海に飛び込んで進路を変えさせたとか・・・

180度でした……泣


無題Name名無し 20/06/21(日)03:16:12 No.508731

お姉オタとかマン○・カパックとかもう・・・

無題
Name名無し 20/06/21(日)10:57:27 No.508739
こういうのは伏せ字にしたほうが卑猥定期

一口に砲艦って言っても、海で使うのと河川用で結構設計が変わるよね

無題
Name名無し 20/06/23(火)09:09:16 No.508811
>一口に砲艦って言っても、海で使うのと河川用で結構設計が変わるよね

以前の砲艦スレで、日本で建造した砲艦を中国大陸まで移送するのに、海上の波に苦労した話とかありましたね
仮設の高い艦首や波除の舷側板を付けても、やはりひやひやだったとか…

無題
Name名無し 20/06/23(火)14:03:43 No.508825
>仮設の高い艦首や波除の舷側板を付けても、やはりひやひやだったとか…
海軍「めんどくせぇ駆逐艦弥生に行かせろや」

無題
Name名無し 20/06/20(土)19:58:01 No.508717
https://may.2chan.net/39/src/1592650681487.png
ブラジル海軍
Monitor Parnaiba
戦前からある砲艦
amazonという大河を有する国ですので

無題
Name名無し 20/06/21(日)02:51:26 No.508730
北軍が破壊遺棄したメリマックを南軍が修復装甲化してヴァージニアに改名しても
負けたら旧名に戻されるの切ないな

無題
Name名無し 20/06/21(日)08:07:55 No.508732
https://may.2chan.net/39/src/1592694475944.jpg
大戦争後に余剰となった米艦が海外に輸出されるパターンはWW2などでも繰り返されていて、水上機母艦「チンコテーグ」などは南ベトナムに供与され、砲艦「リー・チャン・チュ」として再就役しているそうです

「リー・チャン・チュ」は1974年、同型艦でやはり元米水上機母艦「ヤクタツ」だった「チン・ピョン・チョン」、元米護送駆逐艦「チェン・チン・ユー」、元米掃海艇「ヌー・タオ」らと共に、西沙諸島をめぐる紛争で中国海軍艦艇と交戦しているんですが、海戦の結果はやや南ベトナム側に不利で、「ヌー・タオ」が撃沈され、南ベトナム海軍が撤退した所に中国軍陸上部隊が上陸して、同諸島を占拠して終っているそうです

参加した隻数自体は4対4と互角で、中国側の主力だった「海南」級砲艇(360トン、57ミリ連装砲2基)2隻に対し、「リー・チャン・チュ」は2000トンを越えていたものの、戦後建造の高速砲撃艇を相手にするのは、WW2からの老兵である改装砲艦らにはやや荷が重かったのかもしれないですねえ

無題
Name名無し 20/06/21(日)08:09:16 No.508733
https://may.2chan.net/39/src/1592694556914.jpg
「リー・チャン・チュ」は11世紀のベトナム王朝の武将さんの名で、当時の中国の北宋王朝軍のベトナム侵攻を防いだ名将として有名であるんだそうで

西沙諸島紛争のきっかけが、その「リー・チャン・チュ」が同諸島を中国側が占拠中なのを追い払ったことから、というのは何か因縁めいている感じなんですが、結果中国側に敗れてベトナムの領土を奪われたのは、「リー将軍」としては断腸の思いだったかも知れないですな

因みに「リー・チャン・チュ」はベトナム戦争でも、海上から南ベトナム軍と米軍を砲撃で支援しているんですが、戦争が南の敗北に終わると海外に逃亡、紆余曲折の後フィリピン海軍に引き取られて、フリゲート艦「アンドレス・ボニファシオ」として三度改名されているそうです
「チンコテーグ」は米国メリーランド州の湾の名前、「リー・チャン・チュ」はベトナムの将軍、「アンドレス・ボニファシオ」はフィリピン独立運動の英雄さんなんだそうですが、改名事情の裏には、こうした艦のその時属した国々の事情がイロイロとあるみたいですなあ

無題
Name名無し 20/06/21(日)21:03:10 No.508772
1592740990666
帝政ロシアなんかは日露戦争前から、アムール川流域防衛の恒久的な河川艦隊を構想していたそうなんですが、実際に増強が進むのは日露戦争の後にズレこんでいるんだそうで

手始めに典型的な下駄船型の河川砲艦を10隻ばかり造った後、1907年から建造を始めた「シクヴァル(突風)」型などは、広大かつ大規模な給炭設備の無いアムール川流域で長距離行動という要求に合わせ機関はオールディーゼル、強兵装且つ装甲も施した、当時としては世界最強クラスの河川砲艦であったそうです

同型艦8隻はネームシップに合わせて、「嵐」「旋風」「竜巻」を意味する気象名でネーミングされているんですが、後にWW1とロシア革命を得てソ連軍艦となった後、「レーニン」「キーロフ」「スヴェルドロフ」と、ソ連誕生の功労者名など、いかにも共産国っぽい艦名に改名されたものの、内「ウラガン(ハリケーンの意)」だけは、1922年に「トロッキー」と名づけられた後に、何故か1927年に「クラースヌイ・ボストーク(赤い東)」と再改名されているそうです

いやあ、何があったんでしょうかね(棒

無題
Name名無し 20/06/21(日)21:04:44 No.508773
1592741084513
因みにネームシップの「シクヴァル」はソ連軍艦となった際、中国の民主革命家の名を取って「孫逸仙」、と命名されているんだそうで
つまり日本でもお馴染みの孫文=サンですな

人間の方の孫文=サンは一時日本に亡命していたことがありますが、艦の方の孫文=サンも、まだ「シクヴァル」であった1920年ごろ、当時シベリア出兵中だった日本側に鹵獲されていた事があるんだそうで、そういう意味ではこちらも日本に縁のある艦だったりするそうです

1927年にソ連に返還され、近代化改装の後「孫逸仙」として再び「アムール艦隊」に戻った同艦は、ソ連側公刊戦史によればネームシップに相応しい優秀な働きぶりを示したんだそうで、「数年間にわたり(略)艦隊の前衛的な軍艦」であり続け、射撃訓練の成果も優秀、総合的な戦闘訓練結果も同型艦中第1位の好成績を収めて、特に海軍人民委員会から表彰されたこともあったんですとか

無題
Name名無し 20/06/21(日)21:05:38 No.508774
https://may.2chan.net/39/src/1592741138230.jpg
そんな「孫逸仙」と乗組員のワザマエが特に発揮されたのが、WW2末期、1945年8月からの対日戦であったんだそうで、河川上から満州に雪崩れ込むソ連地上軍の支援を命じられた「孫逸仙」は、持ち前の強兵装と装甲を活かして水上から守る日本軍の火点・陣地・砲台を次々と撃破、日頃の訓練成果を遺憾なく発揮して、その戦いぶりは大いに評価されたとのことです

逆に日本側から見れば、それだけヒドイ目に合わされた厄介な相手だったということになるみたいなんですが、それにしても孫文=サン、日本滞在時に色々お世話になっておきながらこの仕打ちとは、なんて恩知らずなことでせう…!

(逆恨み

無題
Name名無し 20/06/22(月)11:59:16 No.508783
日本の河川用砲艦なんかはほぼ非装甲だけど、それでも中国軍相手の戦闘じゃ頼りになったって言うしね
相手からすれば、川を強力な砲台が遡って来るようなもんで、たまったもんじゃないだろう

無題
Name名無し 20/06/23(火)18:05:21 No.508827
ギバちゃんのお爺ちゃんが、砲艦の乗組員で支那事変の時に揚子江を遡って勲章もらい、駆逐艦満潮でバリ島沖海戦を生き残った話をテレビで見ました。

無題
Name名無し 20/06/26(金)00:10:10 No.508896
1593097810543
>ギバちゃんのお爺ちゃんが、砲艦の乗組員で支那事変の時に揚子江を遡って勲章もらい、


見てたよ
「砲艇 小桜」だと言ってた

無題
Name名無し 20/06/23(火)18:12:07 No.508828
https://may.2chan.net/39/src/1592903527172.gif
船内にいても胸元までしか喫水線来ないくらいだし外洋出たら即波に呑まれそう
鹵獲後の寧海級が大型とはいえ貧弱な装備しか積めなかったのも道理だわ

無題
Name名無し 20/06/23(火)19:46:19 No.508829
https://may.2chan.net/39/src/1592909179192.png
1864年頃から南米大陸では、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの「三国同盟」と、パラグアイの間で戦争が始るんですが、パラグアイは大河パラナ川上流にある国で、地理的に主要な交通路は河川、首都アスンシオンもパラナ川沿いに位置しているんだそうで

従って戦争の焦点はパラナ川の交通を如何に抑えるかに掛かっていたそうなんですが、パラグアイ側もその重要性は十分認識しており、パラナ川の中程を守る為建設されたウマイタ要塞は陸上に幾重の塹壕戦と火点を擁する難攻不落の陣地な上に、補給路の要となる川側に向けても有力な砲台が築かれていて、更には浅い水深の為本格的な装甲軍艦はそこまで到達出来ないという地理的な優位も兼ね備えていたそうです

そこでこの要塞の攻略に取り掛かったブラジル海軍が選んだ戦術のひとつが、低吃水の河川用装甲砲艦により編成された、重防御の艦隊による強行突破であったんですとか

無題
Name名無し 20/06/23(火)19:48:44 No.508830
1592909324007
集められた装甲艦群は、ブラジルが外国から購入したもの、自国で建造したもの、旧式の砲廓艦から砲塔艦、米国の「モニター」類似のものまで様々な種類の混成であったそうなんですが、内数隻は戦争前パラグアイがエゲレスなどに発注していたものが、戦争勃発でデリバリー出来ず宙に浮いた形になって居た所を、逆に敵側のブラジルが買い取って自国艦としたものだったりもするんだそうで

ともあれ、これらの装甲艦は要塞砲台との激戦で幾許かの損傷と死傷者は出したものの、いずれも装甲は致命部への貫通を許さず、踏み止まって反撃すると共に、砲撃下で川面を封鎖する防御施設の破壊などに努め、1868年2月には遂に同要塞の封鎖線を突破して、上流に進攻することに成功しているそうです

この突破成功は、ウマイタ要塞の死命を制したのみならず、当時4年近く膠着状況にあった戦争全体の戦況をも動かすもので、パラナ川の支配権を失ったパラグアイ側は首都アスンシオンを放棄、以後パラグアイの防戦一方となった戦争はパラグアイ大統領は戦死、国民全体でも約52万人の人口が約21万人に減少して終わるという、悲惨な結末を迎えているとのこと

無題
Name名無し 20/06/23(火)19:49:56 No.508831
1592909396319
パラグアイ国民からすれば、川面を味方の陣地を一つ一つ潰しつつ、ひたひたと遡って来るブラジルの河川砲艦は、さながら祖国を滅ぼす悪魔の使者みたいに見えたかもしれないですな

もっとも、ブラジル側から見れば勝利の立役者となった河川砲艦群も、終わってみれば航洋性に乏しく外洋に出れず、沿岸防御にすら使い難い、使い道の限定された艦ばかりとあって、いささか持て余されたようで、更に少なからぬこれらの建造・購入費含む戦争の為の巨額な歳出は、ブラジル経済にも大きなダメージを残したそうです

全てが終って見れば、結局一番得をしたのは、パラグアイやブラジルに装甲艦その他の兵器を売り付けて大儲けした上に、戦争当事国全てに多額の借款を行って、経済的に大いに潤ったエゲレスだけだった、というオチだったみたいですなあ

無題
Name名無し 20/06/23(火)20:09:07 No.508832
無くてもそんなに困らないけど有ると便利な艦種
という印象

無題
Name名無し 20/06/23(火)20:27:30 No.508833
船としての性能をある程度犠牲にすれば、小さな船体でもそこそこの武装と装甲積めるからな
ただ逆に、船として立派になるほど川じゃ使いづらくなる
まあ、結局局地戦特化の兵器だよね

無題
Name名無し 20/06/23(火)22:30:44 No.508836
喫水が浅いのを生かして外洋での対潜哨戒任務を行った例もあるようです。
戦艦の護衛など務めたわけですが、乾舷も低いので大変だったでしょうね。

無題
Name名無し 20/06/24(水)18:33:36 No.508865
1592991216370
1942年6月から、独ソ両軍が激闘を繰り広げたスターリングラードの攻防戦で活躍した部隊の一つに、「ヴォルガ艦隊」と呼称されたソ連の砲艦部隊があったんですとか

といってもその主力は本チャンの軍艦ではなく、河川用の民間タグボートを現地改造した臨時砲艦で、見た目は古式ゆかしい外輪船型式であったそうなんですが、ソ連側守備隊の命綱だったヴォルガ川の交通保護に大いに働いたのみならず、陸上の観測部隊と協力してその備砲で「艦砲射撃」も行い、しばしば独軍の機甲部隊や陣地をフンサイして、苦闘を続ける地上部隊を支援したんだそうで

スターリングラード戦全体での「ヴォルガ艦隊」の戦果は、敵歩兵3個連隊(相当)、戦車48輌、その他車両100台以上、航空機16機、大砲30門、トーチカ70個、掩体壕・火点多数、他倉庫等軍事施設多数破壊という華々しいもので、多くの艦と乗員が地上部隊からの多大な感謝と、赤軍勲章等の栄誉を受けたという活躍ぶりであったそうです

無題
Name名無し 20/06/24(水)18:35:33 No.508866
1592991333789
因みに我がIJNでも、一時は同じような外輪推進式の河川砲艦を運用していたことがあるんだそうです

昭和6年の満州事変、翌年の満州国建国を受けて、昭和8年に「駐満海軍部」が設けられるんですが、この在満日本海軍の水上部隊の主力が、「広慶」「広寧」という、現地船籍の外輪船を徴用・改造した臨時砲艦であったんだそうで

両艦は満州国軍水上部隊と共に、建国間もない騒然とした状況下の満州で居留民や流域のパトロールといった任務に当たっているんですが、昭和9年に満州北部の鉄道が匪賊に襲われ、日本及び米国人が拉致される事件が発生すると、直ちに満州国軍の砲艇と協力して出動、連合陸戦隊を組織して、見事人質の奪還に成功するという、武勇伝も残しているんですとか

無題
Name名無し 20/06/24(水)18:36:59 No.508867
https://may.2chan.net/39/src/1592991419467.jpg
スターリングラード戦に参加した7隻ほどの外輪式改造砲艦は、内1隻が機雷で損傷を受けたものの、全船が激戦を生き抜いており、戦闘が一段落した後は再改装されて、元の曳船業務に復帰、一部のフネは1960年ぐらいまで現役で働いていたそうです

また、「広慶」「広寧」も、昭和13年に駐満海軍部が廃止されるのに伴い徴用を解かれ、満州国の河川の守りを同国水上部隊(江防艦隊/江上軍)とその新型の河川砲艦に委ねて、民間船籍に復帰しているんだそうで

何れも「本職」ではない、パートタイマーの河川砲艦であったわけなんですが、ソレしかそこに居ない、という時期・地理的状況の中で、求められた役割を、十二分に果たしきったと言う事みたいですなあ

無題
Name名無し 20/06/25(木)00:41:55 No.508880
https://may.2chan.net/39/src/1593013315833.jpg
小型河川砲艦は回頭や機動が難しい水域の活動も珍しくないためか
殴り合い前提の装甲艇か大口径砲さえ積めればなんでも良しかの2極化が激しい気がする

無題
Name名無し 20/06/25(木)09:07:58 No.508884
中国大陸で軍探偵が匪賊相手にドンパチする大陸冒険ものだと
最後の騎兵隊役を砲艦が務める事が多かった

捕まってたヒロインを救出するも見張りに見つかって銃撃戦しながら逃走、
川岸まで追い詰められて大ピンチ!となったところで颯爽と登場する砲艦
一斉砲撃で敵匪賊を粉砕してハッピーエンド

無題
Name名無し 20/06/25(木)15:01:18 No.508888
https://may.2chan.net/39/src/1593064878793.jpg
厳密に言えば帆船時代にルーツを持つ航洋型の砲艦、エリクソン=サンの考案した「モニター」に連なる装甲砲塔付きの装甲艦、植民地権益保護の為の長期行動。居住性重視の河川砲艦などは、それぞれルーツが異なるそうなんですが、実際は各国の事情次第で運用や艦容はアレンジされて、同じような艦でも海で使う国もあれば川で使う艦もあったり、改造船舶や旧式艦の転用等もあって、結果としてはゴチャゴチャと混じり合ってるみたいですねえ…w

ヨーロッパではドナウ川沿いに発展したオーストリア・ハンガリー二重帝国なんかは、「河川砲艦」の保有に熱心だった国のひとつで、1871年には当時ナウくてトレンディでイケてたアメリカ系のエリクソン式の装甲モニター2隻を、ヨーロッパではいち早く建造しており、完成した両艦はドナウ水系の川の名から「レイサ」「マロス」と命名されているそうです

完成した両艦はバルカン半島をめぐる紛争に早速投入されて大いに働いた他、WW1勃発の時点ではすでに旧式化していたものの、オーストリア海軍最古参の装甲軍艦として大戦にも参加しているんですとか

無題
Name名無し 20/06/25(木)15:03:33 No.508889
1593065013975
その後オーストリアではテメス型、サバ型、コロス型、エンス型…と、続々と新型の河川用の装甲砲艦が建造され、「ドナウ艦隊」を形成して帝国の為にWW1で連合軍と激闘を繰り広げているそうなんですが、WW1が枢軸サイドの敗北に終わり、オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊すると、生き残っていたこれらの河川砲艦群も、かつての敵国、あるいは帝国崩壊後に誕生した小国家の海軍に、その籍を移しているんだそうで

内数隻はWW2の時点でも現役で、戦闘にも参加しているんですが、ユーゴスラビア海軍に所属していて侵攻してきたドイツ空軍の急降下爆撃機に沈められたり、または枢軸国側に転向したクロアチア軍やルーマニア軍に鹵獲されて今度はドイツ軍と共に戦ったりと、どの艦も波瀾に富んだ艦生を送らざるを得なかったようです

無題
Name名無し 20/06/25(木)15:05:07 No.508890
https://may.2chan.net/39/src/1593065107331.jpg
因みにこうしたオーストリア装甲河川砲艦の始祖の1隻である「レイサ」の場合、WW1を無事生き延びた後、暫くは新しく誕生したハンガリー人民共和国軍などで使用されていたものの、1921年には軍艦としては除籍された後、ハンガリー民間企業が買い取って砂利運搬船に改造されたそうです

その後、WW2を経てハンガリーの国家体制が王制から共産国家、共和国と移り変わる間も、砂利運搬船として「レイサ」は黙々と働き続けていたそうなんですが、1970年代にこの歴史的なフネを記念艦として保存する動きが起こり、民間有志とハンガリー国防省等の尽力により復元された「ライサ」は、2010年、ハンガリー国河川軍の「名誉旗艦」に返り咲いているんだそうで

日本で言えば戦艦「三笠」のような艦で、艦齢的には更に古い艦ということになりますが、ある意味帝国から現代の共和国まで、祖国の栄枯盛衰を川面から見守り続けてきた、生き証人みたいな艦ということみたいですねえ

無題
Name名無し 20/06/25(木)18:19:22 No.508893
イギリスが大量生産したインセクト級河川砲艦なんかは、最初は対トルコ戦用の秘密兵器だったんだってね
んで秘匿名称を「チャイナガンボート」にしたそうなんだけど、戦争が終わると大部分が結局中国の植民地艦隊
に送られたので、結局あながち嘘でもなくなったという落ちが・・・

無題
Name名無し 20/06/26(金)12:13:52 No.508905
https://may.2chan.net/39/src/1593141232450.jpg
昔の洋画で、「アフリカの女王」という映画のストーリーが、第一次世界大戦の海外の植民地の湖で、ドイツ軍の砲艦と戦うという筋書きでしたね
今見てみると悪役がナチスドイツでなく、海の軍艦でもなくて

淡水の湖に浮かぶ砲艦というのはちょっとユニークかもしれません…?

無題
Name名無し 20/06/26(金)15:40:19 No.508906
1593153619340
戦前の砲艦は珍兵器の宝庫やで!

無題
Name名無し 20/06/26(金)15:40:27 No.508907
1593153627477

無題
Name名無し 20/06/26(金)15:47:11 No.508908
1593154031325
潜水艦備砲(305mm)

無題
Name名無し 20/06/26(金)16:15:44 No.508910
1593155744763
ヨーロッパでも最大級の淡水湖であるラドガ湖は、WW2当時はフィンランドとソ連の国境地帯に当り、また独ソ両軍が長期の攻防戦を繰り広げたレニングラード市のソ連軍にとっては、重要な補給経路でもあったんだそうで

従って同湖防衛のためにソ連側も元ドイツ商船の「ビラ」級改装砲艦、各種砲艇などの水上部隊を配備して、レニングラードへの水上補給路の保護に当たらせていたそうなんですが、1942年6月頃より枢軸側も、レニングラード包囲戦の一環としてラドガ湖上の「通商破壊」戦を行うことを決定し、ドイツ・イタリア・フィンランド三国の戦力を結集した、ラドガ湖枢軸連合艦隊を編成しているそうです

戦力の内実はフィンランド軍の武装モーターボート、陸路輸送されたイタリア海軍部隊の高速魚雷艇隊などですが、中でも特にその威力が期待されたのが、「ジーベル・フェリー」と称される双胴砲艦であったんですとか

無題
Name名無し 20/06/26(金)16:17:05 No.508911
1593155825793
「ジーベル・フェリー」はもともと対エゲレス上陸作戦用に設計されたもので、ポンツーン2基を連結した双胴の船体に自走用のエンジンを備え、その上に渡したデッキの上に兵装等を設置するものであったそうなんですが、重武装型で88ミリ高射砲を2~4門と20ミリ連装機関砲数基、軽武装型で37ミリ機関砲と20ミリ連装機関砲を装備とそれなりに重武装で、兵員輸送や工作船、或は病院船型といったバリエーションがあり、低吃水のため浅海面でも行動可能、かつ主に「空軍部隊」により運用されるという、ある意味ドイツ軍らしいユニークな船舶?であったそうです

陸上輸送の為分解され、鉄道輸送される「ジーベル・フェリー」は、次々にラドガ湖に到着して、最終的なその数は重武装型7隻、軽武装型6隻、その他8隻以上と20隻を越え、ラドガ湖における枢軸水上部隊の主力を為すに至ったんだそうで

無題
Name名無し 20/06/26(金)16:18:24 No.508912
https://may.2chan.net/39/src/1593155904765.jpg
もっとも、1942年10月22日、ラドガ湖上のスホ島を巡る戦いでは、各種「ジーベル・フェリー」計16隻を基幹とする23隻の独水上部隊が同島のソ連軍基地の攻略を試みたものの、ソ連砲兵、砲艦、航空機等の激しい反撃を受け、「ジーベル・フェリー」4隻を失うなど、23隻中17隻が撃沈破される被害を受けて撃退されております

総じていえばラドガ湖に配備された枢軸水上部隊の艦艇の戦いぶりは、イタリア高速魚雷艇はその魚雷が低喫水のソ連砲艦・砲艇相手にはあまり有効でなく、また主力と頼んだ「ジーベル・フェリー」も、機動性が余りに低く(10ノット以下)ソ連砲艦相手の戦闘では不利で、また乗組みの空軍兵士が軍艦の運用や、厳しい気象条件下での操船に不慣れな点から、期待された程の働きを示すことが出来なかったんですとか

結局スホ島をめぐる戦闘で敗れた後、枢軸側は大規模な水上部隊作戦を断念、「連合艦隊」も解散されており、異形のドイツ砲艦も、その後ラドガ湖から姿を消しているそうです…

無題
Name名無し 20/06/26(金)18:27:31 No.508920
1593163651057
砲艦といえば日本ではナリは小さくとも
御紋章を掲げ「軍艦」としての地位が与えられていた。
揚子江流域で他国との権益の絡みやらで相応の格が
必要だったのだろうが、対米(英)開戦後に鹵獲した
いわゆる分捕り艦にまで御紋章を掲げたのは興味深い。
(単に制度として硬直化していただけかも知れぬが)

無題
Name名無し 20/06/26(金)21:11:57 No.508928
河川旅客船を購入/接収して大砲や軽い装甲を施しただけのものもあったようですね。

無題
Name名無し 20/06/27(土)15:01:44 No.508951
1593237704493
バァ
波高何cmまで耐えるだろ

無題
Name名無し 20/06/27(土)16:41:17 No.508955
1593243677962
中国大陸の大河を上下して、植民地権益保護に当たる為の浅喫水河川砲艦は、1897年にエゲレスが建造した「ナイチンゲール」型がその始まりであるそうなんですが、日露戦争以前の帝政ドイツなんかも同様の目的の為、1903年に「チンタウ(青島)」型2隻を建造して中国に送っているそうです

後に準同型艦の「オッター」が加わり、帝政ドイツの河川砲艦としては計3隻がドイツ東洋艦隊に加わっていたそうなんですが、WW1が勃発し、中華民国が1917年にドイツに宣戦布告した際、「チンタウ」は鹵獲を免れる為自沈、チンタウ型2番艦の「ファーターラント」及び「オッター」は鹵獲されて、以後はそれぞれ中華民国砲艦「利綏」「利捷」として、新しい旗の下で働くことになっているんですとか

一方、やはり1900年代初頭、アムール川流域防衛の為に、帝政ロシアでは河川砲艦の整備を進めており、日露戦争後の1907年頃から「ブリアット」型河川砲艦を就役させ始めているんですが、ものの本によりますとそのモデルシップになったのが、独の「チンタウ」型砲艦であったんだそうで

無題
Name名無し 20/06/27(土)16:43:08 No.508956
1593243788993
当時独露の仲は良好でしたから、その縁もあっての話であったのかもしれませんが、実際両艦のスタイルはよく似通ったものに仕上がっております

もっとも、10隻ほどが建造された「ブリアット」型砲艦は、姉妹艦の途中から大分設計に手が加えられ、後期型ではネームシップの「ブリアット」及びモデルの「ファーターラント(利綏)」よりも、大分強化された兵装を持つようになっているんだそうで

WW1後、中露共に国内は混乱が続き、帝政ロシアは倒れてソ連に代わるんですが、1929年7月からの中ソ紛争では、国境地帯のアムール川で両国の河川砲艦隊同士が交戦しており、先述の「利綏」「利捷」及び「ブリアット」型砲艦「プロレタリアート」などが参加していた為、ある意味では「姉妹艦」同士の戦いの様相を呈することになっているそうです

無題
Name名無し 20/06/27(土)16:46:42 No.508957
1593244002047
中ソ河川砲艦同士の戦いは、ソ連側のほぼ圧勝に終わり、「利捷(オッター)」を含む殆どの艦を撃沈された中国側の生き残りは、損傷した「利綏」のみであったそうなんですが、この数年後、日本が満州に侵攻して満州国が建国されると、「利綏」は所属していた中華民国東北海軍ごと、満州国江防艦隊に移籍していたりします
そして1945年8月、ソ連が満州に侵攻した際、一翼を担う「アムール艦隊」には、かつて中ソ紛争で「利綏」と交戦した「プロレタリアート」も参加していて、再び両艦が敵味方として対峙することになるんですが、この時は結局直接交戦することはなかったようで、ソ連軍に鹵獲された「利綏」は、ソ連砲艦「ペキン」と改名されているんですとか

結局、「ファーターラント」は、ドイツ・中国・満州国・ソ連と、四度属する国の変わる流浪の艦生を送ったわけですが、「ファーターラント」はドイツ語で、「祖国」を意味する言葉だそうです

全てが終ってみれば意味深というか、いかにもその後の運命を暗示していた艦名だったように、思えなくもないですなあ

無題
Name名無し 20/06/27(土)18:39:03 No.508959
>「ファーターラント」

(帝国)ドイツ、中華民国、満州国、ソ連
・・・所属した国が全て滅びているんですけお!

無題
Name名無し 20/06/27(土)20:34:29 No.508960
1593257669704
アメリカの砲艦パナイ号
なんか秘境探検物の映画に出てくる船みたい

日中戦争初期に誤爆で沈めて
山本五十六が土下座したとか腹を切ったとか

所詮、島国で最大川幅2537m程度じゃ
知識で500kmとか30kmあると知っても
交戦地点ではどんなもんなのか回避行動がとれるもんなのかとか
いまいち想像できない

無題
Name名無し 20/06/28(日)09:06:28 No.509001
1593302788589
1942年にソ連が極東で進水させた河川砲艦に、「ハサン」というフネがあるんですが、アムール川だけでなく、間宮海峡などの沿岸防御使用も考慮した艦体は全長88m、全幅12m弱、基準排水量1700トン以上、満載2400トンに達したそうです

日本の河川砲艦で最大クラスの「安宅」で常備排水量820トン、航洋型の「橋立」型でも1100トン余りですので、それらを上回る「巨人艦」ということになりますが、武装は更に強力で、13センチ連装砲3基、76ミリ連装砲2基、45ミリ連装砲2基を備え最大装甲圧10センチという、史上最大クラスの「河川砲艦」であったんですとか

もっとも、西のソ連本国から部品を送っての建造は、図体が図体だけに現地建造施設の手に余ったらしく竣工後も不具合が続出、対日参戦時にもドック入りしていて実戦には投入されずに終わっているんだそうで、また「河川砲艦」としては最大級の艦体も、荒れがちのオホーツク海で使う艦としては小型で安定を欠いており、結局川でも海でも使い勝手の悪い、ウドの大木的な艦という評価のまま、除籍されてしまったとのこと

無題
Name名無し 20/06/28(日)09:09:16 No.509002
1593302956092
もっとも、大きさだけなら「ハサン」に匹敵する河川砲艦というのはこの以前にもあって、こちらは実戦で戦果も挙げているんだそうで

時はWW1最中のことだそうなんですが、アフリカ沖で通商破壊戦に従事していたドイツ軽巡「ケーニヒスベルク(3800トン、10センチ砲10門)」が、タンザニアのザンジバル沖合でエゲレス護送巡洋艦「ペガサス」を奇襲して撃沈した後、怒り狂う英国海軍の追跡から逃れる為、同地のルフィジ川の中に逃げ込んだんだんですとか

水深の浅い河川を英戦艦は遡れず、なおかつ主砲の射程外の上流にまで逃げ込んだ「ケーニヒスベルク」に、簡単には手を出せないまま、しばらく睨み合いが続いたそうなんですが、この状況を打破する切り札として英国海軍が本国から派遣したのが、全長81m、全幅15m弱、標準排水量1200トン以上という「ハンバー型」河川砲艦であったそうです

無題
Name名無し 20/06/28(日)09:09:48 No.509003
1593302988925
6インチ単装砲2門を備えるこの砲艦、元はブラジル海軍からの発注により、英国で建造されていたものが、ブラジルが経済破綻で支払い不能になっていた所を、英国海軍に引き取られたんだそうで

スエズ運河を経由してはるばる東アフリカへと回航されてきた同型砲艦「セヴァーン」と「マージー」の2隻は、味方航空機の支援のもと「ケーニヒスベルグ」への攻撃を開始、一旦は撃退されたものの、しぶとく攻撃を続行して、見事同艦を撃破・着底させております

同種の艦の中では大型とは言え、排水量では「ケーニヒスベルグ」の半分に満たない軽量級の河川砲艦が、「格上」の本格的な軍艦を撃破した戦いということにもなるようなんですが、殊勲の2艦は暫くアフリカに留まったあと、又ヨーロッパに戻って、終戦直後のドナウ川で、「ドナウ艦隊」相手に睨みを効かせていたそうです

アマゾン川(予定)、アフリカ、ヨーロッパと、世界の大河を股にかけての活躍は、この場合はやはりその大型艦体のおかげだった、と言う事になるんですかしら…

無題
Name名無し 20/06/28(日)13:52:40 No.509012
イギリスのインセクト級の砲艦レディーバードなんかも、日中戦争中に日本陸軍に砲撃されているんよね
インセクト級も15センチ砲2門積んでいたから、マジの砲撃戦になっていたら日本側もやばかったかも・・・

無題
Name名無し 20/06/28(日)21:30:18 No.509031
1593347418022
日中戦争では中華民国側艦艇が空襲で殲滅させられてしまったね
寧海級の2隻は河川砲艦としては有数の対空装備を積んでいたというのに
リンクは寧海の貴重な訓練映像
https://youtu.be/EevEqkbd2aY

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:08:34 No.509048
https://may.2chan.net/39/src/1593367714986.jpg

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:09:13 No.509049
1593367753269

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:09:53 No.509050
1593367793051

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:10:14 No.509051
1593367814681

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:10:37 No.509052
1593367837219

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:12:16 No.509053
1593367936706
ソ連はこの手の砲艇・砲艦を質量ともにたくさん造ったねぇ

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:28:40 No.509054
↑前が41年と後ろが42年砲塔の混成搭載っぽい
これは修理車両からの流用なのだろうか

無題
Name名無し 20/06/29(月)03:52:46 No.509055
WWⅡ時の戦車砲乗せた砲艦ならおそらくまだ現役だぞ

https://www.nicovideo.jp/watch/sm20369418

無題
Name名無し 20/06/29(月)18:54:47 No.509069
1593424487243
1937年に、満州国とソ連が国境地帯の乾岔子島を巡って武力衝突した際、ソ連側の河川砲艇1隻が日本陸軍の攻撃で撃沈されているんですが、「1124型」なる、T-28戦車と同型の76ミリ砲塔2基を持つ装甲砲艇であったそうです

1931年頃から、砲塔1基でやや小型のの「1125型」と共に開発が進められた「1124型」装甲艇は、ソ連の主要河川での仕様を念頭に、100隻近く建造されているそうなんですが、建造中も航行性能の向上の為の船体の設計変更、より強力なT-34戦車の長砲身76ミリ砲塔への換装、或いはロケットランチャーや高射砲、機雷施設装置など様々な改良が加え続けられおり、更に現地改修や工場ごとの仕様の違いなども加わって、実にバリエーション豊かなフネであったんですとか

ともあれ、極東の「アムール艦隊」からスターリングラードの「ヴォルガ艦隊」、フィンランドの「ラドガ湖艦隊」まで、ユーラシア大陸の東西の河川湖で、ソ連軍が行く所ほぼ全てに派遣されている、もっともポピュラーな装甲河川砲艇であったんだそうで

Name名無し 20/06/29(月)18:55:42 No.509070
1593424542675
因みにソ連国防省軍事出版書刊の、「赤旗太平洋艦隊」なる本に、1945年8月からのの対日戦における、「アムール小艦隊」の行動が詳細に紹介されておるそうでして、なかなか興味深い内容ですので、一部を引用させて頂きますと

「戦闘行動準備は、ソ連が日本に対して戦争宣言するより(略)以前に開始されていた。1945年夏の期間、各部隊や軍艦では数多くの教練を重ねており、その主要なものは、河川の障害を強行排除し、地上部隊と密接な連携を取って、川に沿った地域にある要塞地区を占拠することにむけられていた」
「各種補給品(略)鉄道引き込み線、倉庫などをそなえた小艦隊機動基地がつくられた。ここには各艦船や部隊本部、また第二極東方面軍司令部、艦隊総司令部などとたしかな連絡をたもてる小艦隊の指揮所も作られた」

「作戦地域の延長が2700キロもの長さとなるため(略)沿岸拠点網とアムール川およびその支流であるシルカ、アルグン、ゼーヤ、ウスリー各川、そしてハンカ湖にそれぞれ補給地点をつくるよう配慮した」

無題
Name名無し 20/06/29(月)18:56:31 No.509071
1593424591287
「これらの展開を容易にする為小艦隊の移動基地3、浮遊修理工場4が作られ、川岸には補充拠点を展開するための桟橋も作られた(略)小艦隊技術部は各種の寸法の歩行橋、その他の器材を製作した」

「アムール小艦隊の編成には、第45駆逐機航空連隊と第10独立航空部隊とが入っていた」
「艦艇の中には、軍用目的に改装された河川用汽船と、同時に動員されたその乗組員も含まれていた。通常の曳船にも砲が積まれ、外輪式砲艦となった。それまでの船長は砲艦の指揮官補佐となり、機関誌は電気機械戦闘隊長となった。政治隊長と砲術長およびその代理者は、小艦隊の隊員のうちから任命された」

「赤旗アムール小艦隊として建制に入っていたのは、モニター艦6隻、砲艦11隻、機雷艇7隻、装甲艇52隻、掃海船12隻、掃海艇36隻、補助船数隻となっていた。小艦隊の主力は、ハバロフスクを根拠地としていた」

「兵力展開は、8月8日朝から開始された」

無題
Name名無し 20/06/29(月)18:57:15 No.509072
1593424635833
「(陸上部隊の)上陸に先だって行われたモニター艦からの猛烈な砲撃、および装甲艇からのロケット迫撃砲の一斉射撃は、沿岸を破壊し(略)日本守備隊を混乱に陥れた」

「各艦からの砲火は、上陸部隊にとっては評価できぬほど大きな助けとなった(略)モニター艦『孫逸仙』はすぐれた性能を発揮した。同艦は永久トーチカ5、迫撃砲中隊6を撃滅し、また弾薬庫と多数の日本軍将兵を殲滅した(略)弾着観測班が、川岸で弾着の修正をたくみに行った。(略)装甲艇は岸辺にぴったりと接近し、間近の距離から敵のトーチカや兵士を射撃した」

「なかでもミハイル・ブスロフ一等兵曹はたくみに行動した。このアムール人にとっては、日本人に対する借りを返さねばならぬことがあった。それは、彼が乗っていた(略)艇が1937年、日本軍によって沈められ、その時生命の助かった数少ない水兵の一人だったからである」

「攻撃中隊に続いて(略)孫逸仙から第364狙撃連隊の第3大隊が上陸した」

Name名無し 20/06/29(月)18:57:49 No.509073
https://may.2chan.net/39/src/1593424669572.jpg
「8月20日、ハルビンにいた日本軍隊はすべて捕虜となり(略)満州国スンガリ河川艦隊も武装解除された。赤旗アムール小艦隊の戦利品となったものは、次の通りである。タグボート4隻、装甲艇9隻、監視艇8隻、タグボート30隻以上、貨客汽船20隻、各種船舶100隻以上」

「艦隊がスンガリ川を遡り、上流へ進んだ平均速度は、一昼夜に70キロメートル以上であった」

「1945年8月9日から10月1日までの期間、アムール川およびその支流を軍事輸送した全総量となると(略)大変な数字となる」

「21万5000名の将兵、900台以上の戦車、自走砲、装甲車、2000門以上の大砲と迫撃砲、約6500大の輸送車、4万トンの弾薬、その他の貨物」

…というものであったんだそうで

無題
Name名無し 20/06/29(月)18:59:44 No.509074
1593424784578
大河によって分断される満州作戦では渡河作戦は欠かせず、ソ連陸上軍の円滑な侵攻に輸送面から、或はその武装と装甲を活かした火力支援によって大きく貢献したのが、「アムール艦隊」だった、というハナシみたいなんですが、「河川砲艦」或は「砲艇」を用いた作戦例としても、史上稀な大規模な運用ではあったんじゃあないでしょうか

やられた我らが日本軍側からすればたまったもんじゃあない「赤い奔流」といった所ですが、ある意味では日露戦争の後の帝政ロシアから、WW2期のソ連に至るまで、営々と開発・整備が進められてきた河川用戦闘艦種とその戦力のほぼ全てが参加しているという、ソビエト河川砲艦隊の集大成みたいな戦いだった、ということになるんですかしら…

無題
Name名無し 20/06/29(月)21:11:39 No.509077
https://may.2chan.net/39/src/1593432699762.jpg
とても興味深い話でした
最近はかなり減って
ロシア軍が国境河川で運用してるくらいになりました

無題
Name名無し 20/06/29(月)21:13:01 No.509078
https://may.2chan.net/39/src/1593432781584.jpg
>満州国とソ連が国境地帯の乾岔子島を巡って武力衝突した際、ソ連側の河川砲艇1隻が日本陸軍の攻撃で撃沈されているんですが

その伝統ですね
ロシア河川砲艇は今もあります

無題
Name名無し 20/06/29(月)21:13:13 No.509079
https://may.2chan.net/39/src/1593432793000.jpg

無題
Name名無し 20/06/29(月)21:13:20 No.509080
https://may.2chan.net/39/src/1593432800314.jpg

無題
Name名無し 20/06/29(月)21:14:08 No.509081
https://may.2chan.net/39/src/1593432848425.jpg
一方西側はアメリカが哨戒艇として
もってるくらいですね
引用元:https://may.2chan.net/39/res/508696.htm