無題Name名無し20/05/24(日)15:40:28 No.507600
1590302428826
あのとき 本気でやれば
攘夷は出来た気がする。
なんせこっちは島国なんだし。


無題Name名無し 20/05/24(日)16:00:04 No.507602
とっかのBSでペルリ艦隊と江戸幕府の台場砲台+小型舟艇で戦闘シミュレーションをした番組があったけど
江戸幕府の圧勝でしたよ
ただ問題は1年後を予想して超突貫工事を進めていたけど
ペルリは裏をかいて半年後に来てしまったので、にっちもさっちもいかなくなったとさ

無題
Name名無し 20/05/24(日)16:38:29 No.507603
>攘夷は出来た気がする。

攘夷ができたらその反面近代化が遅れて植民地化する未来が頭をよぎった

無題
Name名無し 20/05/24(日)17:00:16 No.507605
あの時代にアメリカから大艦隊が攻めてくるとは思えないけど、中国を拠点にしてイギリスとポルトガルが攻めてくる。
九州は取られるんじゃないかな…

無題
Name名無し 20/05/24(日)17:07:11 No.507606
どんなに砲撃しようとも
上陸後は圧倒的数の武士に殺られる。
鉄砲の性能が良くてもゲリラ戦やられたら全滅。
それを凌駕するほどの陸戦隊を送り込むことは無理。
焦土作戦も辞さなければ必ず攘夷は成せる。

無題
Name名無し 20/05/24(日)17:29:43 No.507608
>どんなに砲撃しようとも
>上陸後は圧倒的数の武士に殺られる。
>鉄砲の性能が良くてもゲリラ戦やられたら全滅。
>それを凌駕するほどの陸戦隊を送り込むことは無理。
>焦土作戦も辞さなければ必ず攘夷は成せる。
そう思ってたのに陸戦隊に負けたのが長州
圧倒的多数の武士が19世紀歩兵戦術には対抗できないこと、質としても惰弱であることが分かったのが第二長州征伐での陸戦

無題
Name名無し 20/05/24(日)17:21:08 No.507607
まだ国家総動員みたいなことも藩境を越えての兵力移動もできないから㍉ぽ
一箇所に集結できる兵力に限界があるから各個撃破と懐柔工作による切り取りでじわじわやられる
キモス

もっとも攻める側もあんま時間かける余裕無さそうだけど

無題
Name名無し 20/05/24(日)19:05:30 No.507609
人海戦術で勝てるならそもそも清やムガル帝国が植民地化されてないしな

無題
Name名無し 20/05/24(日)19:33:45 No.507610
>攘夷は出来た気がする
が、そんな国に技術指導はしないだろうから技術は相当遅れたでしょうねー
おまけに香港やマカオみたく要所の都市を租借され、ロシアの東進に対抗できず朝鮮半島がロシアの影響下に(これは良いことかw)

無題
Name名無し 20/05/24(日)20:05:26 No.507612
>おまけに香港やマカオみたく要所の都市を租借され、ロシアの東進に対抗できず朝鮮半島がロシアの影響下に(これは良いことかw)
その流れだと確実に北海道も取られるぞ

無題
Name名無し 20/05/24(日)19:56:46 No.507611
そもそも大砲の射程距離が段違いだから攘夷は難しくね?

無題
Name名無し 20/05/24(日)21:44:08 No.507614
米艦隊が江戸湾を封鎖すれば江戸への物流は大ダメージ。

幕府は降伏せざるを得ないだろう。

無題
Name名無し 20/05/25(月)01:05:48 No.507617
幕藩体制はどちらにしても欧米と対峙するには無理あっただろうな

無題
Name名無し 20/05/25(月)14:37:07 No.507623
普通に大砲で一方的な殺戮ショーになり手も足もでずに江戸の町は焦土になるだけ

無題
Name名無し 20/05/31(日)07:18:33 No.507805
>普通に大砲で一方的な殺戮ショーになり手も足もでずに江戸の町は焦土になるだけ
中国の映画にあったアヘン戦争
大砲からの砲弾が届かない
相手の砲弾は一方的に当たる
ラストは上陸してきた英兵たちに包囲された将軍たちが自爆する
これに近い?

無題
Name名無し 20/05/25(月)15:16:27 No.507625
https://may.2chan.net/39/src/1590387387910.jpg
純粋にペリー=サンの艦隊との防衛戦になった場合だけを考えると、時期を品川台場完成後で考えると、当時お台場に配備されていた日本側の砲で最強力な備砲が36斤カノン砲で最大射程22町28間4尺(2451.8メートル)、次が24斤カノン砲が25町37間4尺(2795.4メートル)

対するペリー艦隊の備砲で一番多いM1847・32ポンド砲で最大射程1756ヤード(1605.7メートル)、最長射程のM1841・42ポンド砲が最大射程1955ヤード(1787.7メートル)

従って、必ずしも砲の性能だけで見れば日本側は劣位とは言えず、またもう一つ有利な点としては、お台場周辺は前面4000メートルに至るまで水深5メートルの遠浅の海となっており、吃水6メートル以上の米海軍のフリゲート艦では有効射程まで接近できないんですとか

従って、米海軍がお台場攻略を目論んだ場合、吃水の浅い小型砲艦で、大型艦の支援なしの砲戦を挑まざるを得なくなるんだそうで

無題
Name名無し 20/05/25(月)15:19:00 No.507626
切り込んで来る相手の対処は西洋の兵隊は慣れたものでしょ。
1列目が銃剣で槍ぶすま、2列目が発砲、あとは弾込めと銃のリレーだっけ。

無題
Name名無し 20/05/25(月)15:44:46 No.507627
https://may.2chan.net/39/src/1590389086053.jpg
一方、日本側のネックはやはり台場列の東側が未完成で空隙になっていることで、こちら側にペリー艦隊が迂回した場合、沿岸防備は諸藩が海岸に展開する陸戦砲が主体になるものの、こちらは近代化に立ち遅れており、性能的に艦砲には太刀打ち出来なかったようです

それでも一応、浜離宮、越中島、佃島などにも24斤カノン砲等を有する砲台(沿岸台場)の建設計画などもあったそうで、また、時期はやや後になりますが、日本国内で盛り上がるSON-NO-JOY!運動制圧プランの立案を命じられた、エゲレス海軍中将ジェームズ・ホープ=サンの1862年の報告書には

「江戸それ自身を防衛している要塞へ攻撃をおこなうには、清国の軍港にある全ての砲艦と、できるだけ多くの重装備の艦艇を動員する必要がある(略)江戸の要塞に攻撃を加えることは、多大の損害を伴う仕事になるであろう」

…なんてあるそうですので、やはり「お台場」と正面から撃ち合うよりは、海上封鎖作戦を採る方が、ペリー艦隊としては得策ということになるのですかしら

無題
Name名無し 20/05/25(月)15:49:45 No.507628
https://may.2chan.net/39/src/1590389385977.jpg
従って小官としては、ペリー艦隊迎撃戦に当たっては、まず台場上の長射程砲の示威砲撃で敵艦隊の東方海面への迂回行動を誘引、然る後首都高ベイブリッジ上に展開した戦車大隊からの撃ち下ろす形の一斉射撃でペリー艦隊を痛打!

行き足の停まった所を、品川南ふ頭に展開した特科大隊の砲撃と潮風公園の地対艦ミサイル連隊からの誘導弾で十字砲火に捕捉!!

それでもなお防衛ラインを突破した残存敵は、ダイバーシティより発進するユ〇コーンガン〇ムによって殲滅する、三段構えの防衛プランを提案するものであります!!!

無題
Name名無し 20/05/25(月)16:13:48 No.507629
>首都高ベイブリッジ
それ横浜大黒ふ頭だよね
>潮風公園
オリパラやコロナでまだ閉鎖中のような
横須賀から三笠を出撃させて観音崎で撃滅しましょう

無題
Name名無し 20/05/25(月)16:20:30 No.507630
>ユ〇コーンガン〇ム
これだけでいいんじゃないか過ぐる・・・

無題
Name名無し 20/05/25(月)16:39:19 No.507633
>三段構えの防衛プランを提案するものであります!!!
ペルリ迎撃戦よりもゴジラ迎撃戦のほうがしっくりくる感じ。
やったか!の後に全く無傷のゴジラに驚愕するまでが規定路線。

無題
Name名無し 20/05/26(火)11:33:28 No.507644
あれがペリーの最後の1頭とは思えない…
いつか、第2、第3のペリーが、また…!

無題
Name名無し 20/05/26(火)11:50:46 No.507645
>いつか、第2、第3のペリーが、また…!
ハリス「ショーグンサン、コンニチハ」

無題
Name名無し 20/05/26(火)14:03:17 No.507647
>いつか、第2、第3のペリーが、また…!
まさかオリバー・ハザード・ペリーが

無題
Name名無し 20/05/26(火)16:00:00 No.507649
1590476400300
>まさかオリバー・ハザード・ペリーが

28歳で艦隊を指揮して敵艦隊構成艦全て捕獲したってマ?

無題
Name名無し 20/05/27(水)15:58:25 No.507664
>28歳で艦隊を指揮して敵艦隊構成艦全て捕獲したってマ?

そっちのが出来が良くて本国勤めだったからガラが悪い方を開国サセテクダサイヨーと体良く送り出したみたいな

無題
Name名無し 20/05/27(水)18:48:19 No.507671
https://may.2chan.net/39/src/1590572899481.jpg
>そっちのが出来が良くて本国勤めだったからガラが悪い方を開国サセテクダサイヨーと体良く送り出したみたいな

童顔イケメンペリー兄者は1819年に亡くなってるから黒船来航より数十年前だしペリー弟者も上で説明された通り"蒸気船海軍の父"の名を持つ偉人。
というかwikiのリストだがペリー一族がエリート過ぎてやばい。

無題
Name名無し 20/05/25(月)16:34:24 No.507631
1590392064872
オハイオ級「・・・・。(無言のトライデントパンチ)」

無題
Name名無し 20/05/25(月)16:36:33 No.507632
まあ釘付けにしとくだけでも充分だよね。
いくら鉄砲大砲撃とうが弾は有限なんだし
食料も水も燃料め無くなる。
攘夷はかんたん。
yesと言わなければいい。

組織力と意思統一があればね。

無題
Name名無し 20/05/25(月)19:25:06 No.507636
コロネット作戦を100年ほど前倒しして相模湾と九十九里浜に同時に上陸して首都圏を包囲、幕府に対し開国を迫るのです!

無題
Name名無し 20/05/27(水)04:42:36 No.507657
https://may.2chan.net/39/src/1590522156290.jpg
オリバー・ハザード・ペリー=サンが1813年春、アメリカ内陸エリー湖の海軍部隊長に任命されたとき、任務の一つがまずそもそも自らが乗艦・指揮する艦艇を現地で建造せよ、というものであったんだそうで

オリバー=サンは以前に造船監督官を務めた経験の持ち主であったそうで、そんな経歴を買われての人事であったのかも知れませんが、ともあれ民間の造船会社や船大工の棟梁さんらの協力を得て、エリー湖湖畔に設けた基地で周囲の森林からから切り出した木材でフネを建造することから始めているんですとか

色々と苦労はあったようなんですが、秋までには2隻の20門砲ブリッグが無事完成、9月には早速やはりエリー湖に展開していたエゲレス湖上艦隊に戦闘を挑んでいるそうです

無題
Name名無し 20/05/27(水)04:43:36 No.507658
1590522216415
この戦闘で米艦隊旗艦「ローレンス」に乗艦して指揮を執ったオリバー=サン、エゲレス艦隊旗艦「デトロイト」と1対1の交戦体制になるんですが、至近距離の砲戦が1時間以上続いて艦はボロボロ、約100名の乗組員中無傷の者20人、使える方は1門のみ、敵艦からもう降伏したらどうや?と勧告される状態に

それでも降伏勧告を断固はねつけたオリバー=サン、ボートを下ろすと、弾雨の中をやや離れた所にいた、未だ無傷の「ローレンス」の同型艦「ナイアガラ」に移乗、再びとって帰すと、改めてエゲレス艦をボコボコにして、逆に降伏に追いやっているんですとか

差し詰め2時間映画にしたなら、映画の冒頭は自ら乗り組む主力艦をD・I・Y!するワクワクするシーンで始まって、中盤は敵役との激しい戦闘、クライマックスでは1号機がボロボロになったピンチの後に颯爽と2号機に乗り換えて大逆転勝利!ハッピーエンド!!で終了という所

うん、これは全米No1ヒット、間違いなし…!

無題
Name名無し 20/05/27(水)09:18:53 No.507660
切り出して早々の碌に乾燥もさせない木材を造船材に使用するというのも
草創期のアメリカの大雑把さと「走りながらやる」感が伝わってくるけど実際支障は無かったのかな

無題
Name名無し 20/05/27(水)13:51:59 No.507662
時代劇とかで「鉄で出来た黒船じゃ!」みたいな台詞が偶にあるけど
実際はまだまだ木造船の時代なんだよね
ただ、表面保護の為薄い鉄板を貼った船はあって、それが誤解の元だとか

無題
Name名無し 20/05/27(水)14:58:35 No.507663
艦の側面に巨大な車輪のようなものが付いていて、煙突からは黒煙がモクモク。
木造だとはなかなか思えなかったんだろうね。

無題Name名無し 20/05/27(水)17:29:18 No.507666
https://may.2chan.net/39/src/1590568158250.jpg
O・H・ペリー=サンがエリー湖上で、エゲレス艦隊をちぎっては投げしていた米英戦争の最中、ニューヨーク防衛の為にアメリカ海軍初の蒸気軍艦である「デモゴロス」の建造が進められていたそうなんですが、後に設計者であるロバート・フルトン=サンの名前から「フルトン」と呼ばれたこのフネ、結局建造中に戦争が終結して、実戦を経験すること無く終わっているそうです

双胴船体の中心に外輪を収納するユニークな構造で、厳密には自力移動可能な浮き砲台的なコンセプトであったものの、蒸気機関軍艦の特性を一応は一通り発揮して見せて、いわばその後に続く米海軍蒸気軍艦の雛形とも言うべき存在ではあったものの、肝心の米海軍はその後あまり蒸気軍艦の建造に熱心でなく、1830年代後半になっても、米海軍はスウェーデンやエジプトにも劣る、近代化の遅れた世界第8位程度の勢力に留まっていたんですとか

無題
Name名無し 20/05/27(水)17:30:53 No.507667
https://may.2chan.net/39/src/1590568253725.jpg
こうしたアメリカ海軍の行く末を真に憂う者である!であった一人が、日本に来た方のM・C・ペリー=サンであったんだそうでして、蒸気軍艦の新造を強力に推進すると共に、全く欠けていた米海軍の機関部門の機構、制度、技術法規などの整備なども行っているんだそうです

更に1937年、新たな蒸気旗艦搭載フリゲート艦が建造されると、既に事故で失われていた先代の名を継いで「フルトンⅡ号」と名づけられたこの艦の艦長となったペリー=サン、ワシントンまで回航してデモンストレーションに努めるなど、蒸気軍艦の有効性を各界にアピールしたりもしているんですとか

こうした精力的な活動の甲斐もあってか、1939年には米議会は更に大型・強力な外輪式蒸気フリゲート2隻(「ミシシッピ」及び「ミズーリ」)の建造を承認しているんですが、この内の1隻「ミシシッピ」なんかは後の米・メキシコ戦争で米艦隊司令艦マシュー・C・ペリー=サンの乗る旗艦として活躍すると共に、日本遠征にも参加して居たりします

無題
Name名無し 20/05/27(水)17:34:33 No.507668
1590568473164
尤も、こうした米海軍の質量・機構の急激な増強は、当時カナダとの境界問題を背景に、再びエゲレスとの戦争勃発の危機が高まっていた事情もあっての事だったんだそうで、大西洋を渡って来るエゲレスの高速蒸気船への対抗策となる新艦隊構想のキモが、高速・強力な新鋭艦の「ミシシッピ」と「ミズーリ」だったということなんだそうで

また、同じく国境地帯である五大湖水域防衛の為、再びエリー湖湖畔でスループ艦「ミシガン」が急遽現地建造されるんですが、今度の「ミシガン」は米海軍最初の鉄製船体、蒸気機関搭載の外輪船であったので、船体の部材はまずピッツバーグで加工の後、分割状態ではるばる陸路で現地に送られ組み立てられたそうです

ともあれ、クロフネ・ショックで日本海軍の近代化が加速したのと同じように、米海軍の近代化も、エゲレスとの戦争の危機というガイアツが切っ掛けであったみたいなんですが、そうした急務の米海軍近代化に大きな役割を果たしたのが、日本に来た方のペリー=サンだった、という話になるみたいですなあ

無題
Name名無し 20/05/27(水)19:08:16 No.507672
1590574096713
>1939年には米議会は更に大型・強力な外輪式蒸気フリゲート2隻(「ミシシッピ」及び「ミズーリ」)の建造を承認しているんですが

重箱の隅でまことに恐縮なのでありますが1939年ですと翌年にアイオワ級"ミズーリ"が発注されてしまいます。

無題
Name名無し 20/05/28(木)18:33:20 No.507717
https://may.2chan.net/39/src/1590658400811.jpg
>1939年ですと翌年にアイオワ級"ミズーリ"が発注されてしまいます。
御指摘ありがとうございます、ちょうどまるまる1世紀ズレてましたですね orz

因みに16インチ砲9門の方の「ミズーリ」が1945年に来日したとき、降伏文書調印の為に同艦に乗り組んだ重光葵さんの回想によると、

「ペルリ提督日本遠征の際に、檣旗として掲げた星条旗を博物館から持って来て」

飾っていたそうです
江戸ならぬ東京湾に入って来た、同じ旗を掲げる米戦艦の上で、今度は和親条約ならぬ降伏文書にサインさせられるハメになった、ということだったようで

1853年のペリー=サンが初めてやって来た時には平穏無事で終ったお江戸の町が、約90年後にほぼ丸焼けにされてしまったというのは、ある意味では「尊皇攘夷」路線に走った場合の行き着く先を示したものと、見れなくもないかもですな

無題
Name名無し 20/05/28(木)18:38:31 No.507719
1590658711516
因みにペリー艦隊来航直後のエド・シティの世相を伝える、「武江年表」という書籍の記述に依りますと、当時の状況は

「9月より品川沖にお台場新設。神田明神祭礼、さ来年に延期。大小名、陪臣、匹夫にいたるまで、洋船をめぐる議論ひきもきらず」

「深川で車輪船というものを工夫して造らせたが失敗。そのほか狼狽して井の蛙にひとしき杜撰な説を重ね、世の笑い話となる者多し」

「山師は攘夷を表に、金儲けを裏に、兵器の利用その他色々の工夫をこらす」

「9月18日より、回向院の開帳はじまる。剣難除けの守札を出す。傍らに鉄砲玉に当らずと記す。坊主の貨殖を計ること、商人にまさりて賢し」

…というものであったそうです

無題
Name名無し 20/05/28(木)18:44:41 No.507720
https://may.2chan.net/39/src/1590659081591.jpg
得体のしれない外国から来た脅威に混乱するフインキの中で、素人の思い付き的な対策が笑いものにされたり、危機を名目にアヤシイ商売に走ったり、人心の不安に付け込んで金儲けを目論む人たちが出現…とか、何かつい最近、どこかで見聞きしたことのある様な内容な気がするんですが(棒)

ともあれ、今度またペリー=サンが来ましたなら、ここは敢て、最初は友好的ムードを演出しつつ、、さりげなく定番の晴海ふ頭に誘導

すっかり油断して接岸した米艦が舫を取った所で、レインボー・ブリッジを爆破!
落下する橋材で外海への脱出海面を封鎖!!
袋のネズミとなったペリー艦隊の混乱に乗じて斬り込み、ペリー・テイトクの首級を上げるのです!!!

(勤王志士脳)

無題
Name名無し 20/05/28(木)18:45:59 No.507721
>「ペルリ提督日本遠征の際に、檣旗として掲げた星条旗を博物館から持って来て」
東京裁判のときにはペリ~のことは忘れていたのに終戦時にはまだガチガチに覚えていたのですね(笑)

無題
Name名無し 20/05/28(木)21:21:26 No.507728
レインボーブリッジ破壊すると被害額すごいことになりそうだから、
下を通過する瞬間にラペリングで特殊部隊を送り込もう(提案)

無題
Name名無し 20/05/28(木)13:22:31 No.507701
開国を5年くらい遅らせる事は出来たかもしれないけど
その後に本腰入れた列強艦隊にフルボッコされて
あちこちを租借される形で開国を強いられたと思う

無題
Name名無し 20/05/28(木)16:29:16 No.507712
懐かしの開国してくださいよ~のペリー提督だけども調べるとホントすごい人なんですよねー

https://www.youtube.com/watch?v=W5B2icDl28s

無題
Name名無し 20/05/28(木)22:08:37 No.507729
七都市物語で見た!!11!11!!!

やっぱあれ元ネタの史実あるんですか?!

無題
Name名無し 20/05/28(木)23:45:16 No.507732
ペルー海峡攻防戦が第一次大戦のガリポリ半島攻防戦の焼き直しなのは知っているけど
他の作戦のモデルはあったっけかな?

敵軍の進軍を遅らせる目的で橋を落とす作戦は古今東西たくさんあるけど
水軍を封じ込める目的で橋を落とす作戦は聞いた事ないね

無題
Name名無し 20/05/29(金)07:16:59 No.507734
橋を落とさなくても備え付けの鎖を落とせば済む話だもんな

無題
Name名無し 20/05/29(金)08:49:23 No.507739
お吉は真心をこめて優しくハリスの世話をしました。しかしハリスの3年の任期が終わり、彼が帰国するとお吉の運命が暗転します。町の人々は彼女を「唐人お吉」と蔑みました。

唐人って差別語なの?

無題
Name名無し 20/05/29(金)10:17:10 No.507742
当時の地理認識のせいだよね
唐は昔ほぼ現在の支那の位置に存在した帝国だが、その影響か日本では海からくるのは皆唐人。西欧系は毛深いから毛唐と呼んで区別はしていたようだが。

無題
Name名無し 20/05/29(金)10:19:44 No.507743
つまり現在の「外人」と同じ程度の意味合いだったと思われる。
差別でなく区別だね。「非日本国籍人」とかだとめんどくさいし。

無題
Name名無し 20/05/29(金)12:43:27 No.507746
https://may.2chan.net/39/src/1590723807048.jpg
♪あの娘可愛いやパンパン娘~
 それが銀座のパンパン娘

今の日本ってあまり差別してないような気がする

無題
Name名無し 20/05/29(金)19:50:20 No.507756
1590749420421
>七都市物語

あっちだと橋を落とした後に、さらに水中に鋼鉄の杭を設置して足止めしてましたけれど、ペリー艦隊の来日時に、市井の人から寄せられた対抗策の一つに、「夜中の内に米艦の下に潜り込み、鋼鉄の杭を海底に打ち込んでおく」というものがあったんだそうで

翌朝潮が引くと鋼鉄の杭が艦底を貫いて、ペリー・サンはグワーッ!サヨナラ!!という作戦だったそうなんですが、提案者は吉原の、ある遊女屋の御主人さんだったそうです

また、エド・ベイの入り口に石を詰め込んだ可動式の木柵を設けて、必要に応じて米艦隊進入路を閉塞するという案も寄せられていて、こちらの発案者は材木問屋の組合有志の面々
「お奉行さま、この案採用の暁には、是非多量の木材調達は我ら材木問屋から…!」
「ふふふ、そちも悪よのう…!」

…という、下心オチが付くんですとか

無題
Name名無し 20/05/29(金)19:53:54 No.507757
1590749634932
因みに1846年からの対メキシコ戦争では、メキシコ側の要港が大河の河口をやや遡った所にあることが多かった為、米軍側はしばしば河川を遡って作戦したそうなんですが、残念ながら当時のメキシコの川に、大橋はかかっていなかったようです(棒)

M・C・ペリー=サンも、先述の「ミシシッピ」の艦長、そして後にメキシコ湾艦隊司令官としてと参加しているんですが、海軍力に劣るメキシコ相手に艦隊戦は殆ど生起せず、米海軍及びペリー=サンは専ら海上輸送と警護、支援砲撃等に従事しているんですとか

そしてこうした作戦で大いに活躍したのが、ペリー=サンが推し続けてきた蒸気機関搭載艦で、無風でも機動できる利点を生かし、陸上攻略部隊を載せた上陸用ボートを幾艘も曳航するなど、揚陸作戦を大いにサポートしたそうです

ペリー=サン自らが、その兵器としての有効性を証明し、また確信したであろう戦いでもあったということみたいですなあ

無題
Name名無し 20/05/29(金)19:56:00 No.507758
https://may.2chan.net/39/src/1590749760437.jpg
「ミシシッピ」はその後も長らくペリー=サンの乗艦で、後に日本遠征艦隊が編成された時など、共に米本国を出発する予定だった他の諸艦が整備に手間どった為、ペリー=サンは折角の壮途の始まりを「ミシシッピ」1隻のみで出発せざるを得なかったそうです

ただ、そんなペリー=サンと縁の深かった「ミシシッピ」ですが、ペリー=サンは上海到着時に旗艦を現地に先行していた「サスケハナ」に変更しているんだそうで

兵装の面では「ミシシッピ」は「サスケハナ」より強力であったものの、より大型の艦体に、優れた旗艦施設(広々とした司令官室等)を備えていたのが移乗の理由であったそうなんですが、長年苦労を共にした出来る古女房を捨てて、新しくてデカくて乗り心地の良いほうに乗り換えるとか、まったくこのペリーってやつぁ、ちょっと薄情な男すぎるんじゃあないですかしr(

無題
Name名無し 20/05/29(金)20:54:01 No.507759
そうは言うても、いろいろな艦を乗り換えながら出世するのが海軍士官の花道やし・・・

無題
Name名無し 20/05/29(金)21:42:05 No.507760
蒸気船も従来の帆船に比べて優れているのは分かるけど、主力艦としての地位になるまで大変な苦労があったんでしょうね。
初期の蒸気機関だから信頼性も低かったでしょうし、動かすには何日か掛けてボイラー温めなくちゃいけないし、大量の石炭と水の補給ラインの構築、そして新しいものにはとりあえず反対する爺様連中。
それこそ戦争の経過よりもどうやって蒸気船の利点を見せられるかのほうに必死だったりしてw

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Name名無し 20/05/29(金)23:23:57 No.507766
ていうか機関部クルーと帆走クルーは
やっぱ分業?
2倍乗ってた??

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Name名無し 20/05/30(土)10:57:10 No.507776
>ていうか機関部クルーと帆走クルーは
>やっぱ分業?
>2倍乗ってた??
咸臨丸の乗組員名簿を見ると「蒸気方」士官4名(内2名は「手伝」)「火焚役小頭」3名、「火焚役」13名が
「水主(かこ)」「鉄砲方水主」とは別に乗艦していますね

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Name名無し 20/05/31(日)12:32:49 No.507813
https://may.2chan.net/39/src/1590895969222.jpg
先述の対米・メキシコ戦争では、先述のようにアメリカ側がほぼ完全に海上での優位をにぎり、また陸戦でも新型小銃装備の米陸軍が、メキシコ陸軍に優位に戦闘を進めたそうです

それでも、テキサスから陸路首都メキシコ・シティの攻略を目指す正面作戦が意外に進捗しないと見ると、同市東方300キロにある海岸沿いの要地ヴェラクルズを海上機動作戦に依り攻略する作戦に転換、約1万2千名からなる上陸部隊が海軍の支援の下、同地を攻略したりしているんですとか

この戦争についての情報は当時の日本にも伝えられていたんだそうで、ペリー・サンの初来日以前、日本に漂着して抑留された米捕鯨船員の引き渡しを求めて、長崎に強行入港した米艦「プレブル」の艦長さんの報告に依ると、交渉した日本側の人々はその前年に終った米墨戦争に深い関心を寄せると共に、自国の対外政策への不安に動揺している様が感じられた、なんてあるんだそうで

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Name名無し 20/05/31(日)12:34:12 No.507814
1590896052061
アメリカが対外戦争において、強力な海軍力により、大規模な水陸上陸作戦を実行でき、かつ陸軍もそれなりに強力な国家である、という情報は、もしかしたらペリー艦隊来航時の徳川幕府首脳の判断にも、影響を与えていたかも知れないですな

ただ、当時ペリー艦隊は太平洋コースでなく、はるばる大西洋からインド洋、東シナ海を通る遠征ルートを通っていったわけなんですが、その長大な航路途中の要港は、ほぼアメリカの通商・軍事上のライバルだったエゲレスに抑えられていたんですとか

当時ペリー=サン自身が、米国が日本に開国を迫らざるを得ない理由自体を、

「東洋の領域における偉大なる海洋上の敵イギリスを見、彼らの軍港の絶えざるしかも迅速なる増加を見る時は、我々の方策を促進するの必要」
…からだとして、
「日本(略)はいまだこの『併呑』政府に手を触れられずして残」

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Name名無し 20/05/31(日)12:37:11 No.507815
https://may.2chan.net/39/src/1590896231281.jpg
…っているから、としているんですが、仮に対日戦争になった場合、米軍補給ラインはその長さがネックになるだけなく、東洋の権益を争うエゲレスの出方次第でも、重大な危機に晒される危険があったようです

従って純軍事的に仮にペリー=サンの要求を断固ハネつけ、交戦状態に入ってしまった時の一番の方策は、エゲレスに働きかけて同盟を結び、ペリー部隊への補給路を絶つと共に、日本近海への兵站拠点設置を妨害してもらうことになるんではないでしょうか

当然、エゲレスもタダでは動いてはくれないでしょうから、見返りとして通商条約の締結、開港、場合によっては軍港地の租借や英軍の駐留を認めるといった、「対英開国」に踏み切らざるを得なくはなりそうですね

…あれ、そもそも何のために、ペリー=サンを追い払いたいんでしたっけ…?

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Name名無し 20/05/31(日)14:32:38 No.507818
よし!とりあえず寺から釣鐘を大量接収して
鐘の空洞部分を海へ向け大砲が沢山あるように
見せかけてみよう!!

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Name名無し 20/05/31(日)15:08:35 No.507821
蒸気機関船は石炭の補強も重要だからね
後にロシアのバルチック艦隊もそれで苦労する

後つけ加えば、アメリカは当時南北戦争寸前だったから、開戦するまで待てば日本にかまっている余裕なくなるかも

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Name名無し 20/06/01(月)06:47:19 No.507839
蒸気機関含めて新しい複雑な兵器に進歩すればするほど、逆に比例して兵站上の負担はどんどん増えていくわけですからね
補給や修理地の確保が戦闘力につながるなら、必死になるのも分かる気がします…

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Name名無し 20/06/01(月)18:26:26 No.507845
https://may.2chan.net/39/src/1591003586064.jpg
初期の蒸気軍艦では蒸気機関は規模も出力も小さく、あくまで帆走の補助装置扱いといった所で、従って操作する人員も民間人を、必要な分だけ雇えばいいんじゃろ?というのが初期のメリケン海軍内の大勢であったそうです

M・C・ぺリー=サンが蒸気軍艦の整備を推進し始めた際、技術面での相棒になったのが、チャールズ・ヘインズ・ハスウェル=サンという民間の技師さんだったそうなんですが、初期の各種蒸気軍艦の機関を設計し、ぺリー艦長の元「フルトンⅡ」の機関長も務めているものの、先述の通りこの頃はまず「機関兵」の位置付けを決める機構や制度そのものが未整備であったた為、半軍人とも言うべき曖昧な立ち位置で仕事を進めざるを得なかったそうです

尤も、逆にパイオニア的立場であることも幸いして、将校待遇の機関官からスタートしたハスウェル=サン、割合早くに機関総監に任命されているんですが、これはこれで兵科将校の昇進ペースに比して早い抜擢ぶりが、嫉妬と反感の元になってしまったりもしたんですとか

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Name名無し 20/06/01(月)18:27:44 No.507846
1591003664374
それでも順調に成長を続ける蒸気軍艦は、徐々に米海軍に欠かせない存在になって行くんですが、特に飛躍の切っ掛けになったのが1861年からの南北戦争で、南軍ネイビー相手の戦闘、及び3000マイルにわたる海岸線の海上封鎖という任務を果たす為に、蒸気軍艦含めた海軍艦艇の大量建造が図られ、開戦前(帆船含む)航洋艦68隻、人員7千6百人という勢力だった合衆国海軍は、1865年の終戦時人員5万8千5百人、艦船625隻、内装甲艦65隻、蒸気推進艦160隻という、艦船数だけなら世界最大の海軍に膨れ上がっていたそうです

ペリー=サンが初来日した1853年から数えると12年後、日本だとまだ徳川幕府が続いていて、第二次長州征伐が始まる頃ですが、量だけでなく、南北戦争中に進水した新型蒸気機関搭載のスクリュー・フリゲート「ワンパノーグ」などは(竣工は1868年)、18ノットの最高速度を発揮する、当時としては世界最高速の巡洋艦で、同様の速度を発揮する軍艦が現れるのは実に21年も後という、技術的にも目を見張る進歩があったんだそうで

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Name名無し 20/06/01(月)18:28:26 No.507847
1591003706516
もっとも、後に「フロリダ」と改名された「ワンパノーグ」は、機関関係に余りに重量とスペースを割き過ぎたせいか実用性に乏しいとされて、「帆走性能を良好にするため」折角の韋駄天振りの元であるボイラーを減らされてしまっているんですとか

また、「機関科」士官さん達の待遇も余り好転したと言えず、機関長以外は正規の士官とみなされず、士官食堂で「兵科」士官さん達と共にテーブルにもつけず、水兵隊さん達の指揮も出来ないどころか、逆に気が付けば艦内で機関運用に当たるべき部下の機関兵さん達が、甲板上で帆走の手伝いをさせられている…なんて事は屡々だったそうです

先述のハスウェル=サンなどは、自らの手記で
「機械のもつ物理的慣性と、人間の持つ精神的慣性」
…の両方に対処しなければいけなかった、なんて書いておられるそうなんですが、日本から見れば蒸気軍艦の先輩格のアメちゃんでも、その発展経過は必ずしも順風満帆というわけには行かなかったみたいですなあ

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Name名無し 20/06/02(火)01:23:03 No.507864
海軍機関科問題ってやつやね
まあ、エンジニア集団が実際戦闘の指揮を取れ、って言われてもそれはそれで
混乱を招く、というのも一理あるとは思うんじゃが・・・

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Name名無し 20/06/03(水)13:30:35 No.507898
>海軍機関科問題ってやつやね
>まあ、エンジニア集団が実際戦闘の指揮を取れ、って言われてもそれはそれで
>混乱を招く、というのも一理あるとは思うんじゃが・・・
アメリカは改善した
日本は結局出来ないまま(半世紀で)3人が中将止まり
敗戦後の航空自衛隊で空幕長(空軍大将)になっているから劣るわけじゃないぞ

これじゃ帝国海軍は
負ける為の海軍だよ

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Name名無し 20/06/03(水)14:22:06 No.507901
機関科って基本的にはエンジニアであって戦闘職ではないからなあ?

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Name名無し 20/06/02(火)01:55:09 No.507867
今まで職人さんが丹精込めて1隻ずつ手作りしてたものが陸の上でも蒸気の力で大量生産ですもんねー
5年弱で60隻→600隻(それも北部のみで)
100年後の週刊護衛空母、月刊正規空母に相通ずるものを感じる。
誰だこんな国相手に攘夷だの言ったのはw

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Name名無し 20/06/03(水)03:42:34 No.507890
>誰だこんな国相手に攘夷だの言ったのはw
このたったの半世紀後にはロシア艦隊ぶちのめしたのも凄いけどね

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Name名無し 20/06/02(火)14:07:13 No.507872
尊王攘夷!
(攘夷するとは言っていない)
まあ実際佐幕派も倒幕派も、ちょっと目鼻の利いた人なら本気で攘夷できるなんて思った人はおらんでしょう
ただある意味黒船来航がやっかいだったのは、実は幕府の軍事の実力が大したもんじゃ無いっていうのが色々な勢力に知れ渡っちゃったことだろうね
おかげで、幕府より早く近代化に成功すれば勝てる!という希望を倒幕派に与える事に・・・

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Name名無し 20/06/03(水)04:13:37 No.507891
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ペリー=サンは初の日本遠征に当たっては、当時最新鋭のスクリュー推進式蒸気軍艦「プリンストン」「サンジャシント」を伴う予定であったそうなんですが、両艦とも出発前に機関等で深刻なトラブルが発生、結局遠征までに整備が間に合わなかったそうです

また、その威容を期待していた74門砲戦列艦「ヴァーモント」は「人件費がかかりすぎるから×」と不参加にされるなど、艦隊の陣容は実のところ当初の予定より大幅に削られており、蒸気外輪船2隻、帆走船2隻だけという実際の陣容は、ペリー=サンとしては実の所大いに不満だったようで、日本への航海中に行きあったエゲレス軍艦の動力艤装の優れた点を見て、置いて来ざるを得なかった「プリンストン」等を思い起こし

「ヨーロッパ諸国のフネは、わが国のそれより遥かに進んでいる!」

…なんて嘆いていたりするんだそうで

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Name名無し 20/06/03(水)04:17:27 No.507892
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そんなペリー=サンも、2回目の来日では艦隊の陣容を全9隻にまで増強して日本側との交渉に臨むんですが、この頃には日本側でもある程度ペリー艦隊の行動が、あくまで示威の範疇に過ぎないとの理解が進み、また「日米交戦」の可能性が薄いと知れた上陸地周辺の緊張も緩んで、ある意味では前回より余程なごやかなムードでの「再会」となったんですとか

米国の歴史家のフォスター・リーア・ダレス=サンの著書によると

「ペリー提督はポーハタン号上で公式の大宴会を催した。日本の応接掛たちは、キャビンで遠征隊の士官と食卓をともにしたが(略)おびただしい量の食物が出た。珍しいものばかりなので、日本人は底なしに平らげたようだった」

「宴会中はもちろん、昼過ぎになっても、シェリー酒、ポートワイン、ウィスキー、ジン、赤葡萄酒、シャンパンの栓がどんどん抜かれ、さしもの豊富な在庫を誇る旗艦貯蔵庫も、ほとんどからになってしまった」

無題
Name名無し 20/06/03(水)04:19:00 No.507893
1591125540946
「異例の高調ぶりをみせたポーハタン号上の陽気な光景は、アメリカ海軍史上にもめったにないユニークなものだといえよう(略)日本人が帰り支度を始めた時、応接掛についてきた目付け役(略)が、祝宴にふさわしいクライマックスを提供した」

「目付の松崎(※満太郎)は酔っ払って上きげんになり、提督の首に腕をまわして、両肩の新しい肩章がつぶれるのもかまわずに抱きつきながら、感傷的な調子でこんな意味の日本語をくり返した。

『日本とアメリカ、みんな心は同じだ!』」

…なんてコトもあったそうです

仮にペリー=サンが、日本にカイコクシテクダサーイと迫るのに、最初から大砲と軍艦ではなく、美酒銘酒の数々を持って篭絡しに来ていたら、或はもっと早く日本側はオトされていたかも知れないですなあ…w

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Name名無し 20/06/03(水)15:20:41 No.507905
この時代の蒸気機関はやたら複雑で凝ってる
USS Monitor Steam Engine Model
https://www.youtube.com/watch?v=VWn8gQ9Ykpk
ともかく低重心にしたかったのは判る
引用元:https://may.2chan.net/39/res/507600.htm