無題Name名無し20/03/22(日)13:56:02 No.1299440
二式複戦スレ
~長距離護衛戦闘機失格の烙印を押された俺が、異世界(夜間戦闘機)に転職したら最強のドラゴン(爆撃機)スレイヤーになった件~
B29撃墜記―夜戦「屠龍」撃墜王樫出勇空戦記録 (光人社NF文庫)
posted with amachazl at 2020.03.31
樫出 勇
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無題Name名無し 20/03/22(日)14:41:53 No.1299441
>~長距離護衛戦闘機失格の烙印を押された俺が、異世界(夜間戦闘機)に転職したら最強のドラゴン(爆撃機)スレイヤーになった件~
長いよ!
それはともかく、陸軍戦闘機の中では一番好きかも
性能の割に頑張っている機体だよね
無題Name名無し 20/03/22(日)14:49:58 No.1299443
https://cgi.2chan.net/f/src/1584856198263.jpg
知名度に関してはだいたい滝沢聖峰のおかげ
無題Name名無し 20/03/22(日)17:32:20 No.1299449
フィリピン南部での魚雷艇攻撃に37mm砲が役に立ったとか
無題Name名無し 20/03/22(日)18:00:59 No.1299452
初期型は機首に12.7mm×2に胴体に20mm×1とデカい図体の割には簡素な武装
無題Name名無し 20/03/22(日)18:45:58 No.1299454
IJAの戦闘機パイロットで、伊藤藤太郎さんという方がいらっしゃられるんですが、氏の初陣は「屠龍」装備の飛行第5戦隊が昭和18年、南方に進出した時のことであったそうです
もっとも、その記念すべき初空戦は余りツキに恵まれないもので、氏の操縦する2式複戦は味方泊地の上空警戒中に6機のB-24重爆に遭遇、勇み立って突進したものの、肝心の時に塔載のホ203・37ミリ機関砲とホ3・20ミリ機関砲が共に故障を起こし、発射不能になってしまったんですとか
それでも味方船を1隻でも沈められたら体当たりする覚悟で、敵機が爆撃コースに入る度に正面から突進して妨害する…という捨て身の戦法で、20数発被弾しながらも、遂に全機の爆弾を逸らすのに成功したんだそうで
無題Name名無し 20/03/22(日)18:47:50 No.1299455
その約2ヵ月後、アンボン島基地に来襲したB-24二十数機の邀撃に舞い上がった第5戦隊の複戦9機の中に、氏の操縦する1機もあったそうなんですが、
「私は2機を連れて(略)突進した。近接するに随い敵編隊の打ち出す弾幕はものすごい(略)数知れぬ弾が通りすぎていくが不思議とあたらず、第一撃を終了した。同乗の野崎軍曹が『ヤッター』と万歳を叫んでいる。見れば黒煙に包まれて落ちて行く、37粍の威力を発揮できた一瞬である」
…という一撃を皮切りに、37ミリ及び20ミリ弾を撃ち尽くすまでにB-24を3機撃墜、「最後は海面すれすれに遁走する1機を旋回機関銃を撃ち込ませ着水させた」
…そうです
全くタマを撃たずに撃墜を果せず終わった初陣と、後方機銃含んでほぼ塔載全弾を射ち尽くし4機を撃墜した2回目の空戦、結果だけ見ると正に両極端ですけれど、どちらも氏の敢闘精神の程が、よく表れている内容ではあるんじゃないでしょうか
無題Name名無し 20/03/22(日)20:12:55 No.1299464
>全くタマを撃たずに撃墜を果せず終わった初陣と、後方機銃含んでほぼ塔載全弾を射ち尽くし4機を撃墜した2回目の空戦、結果だけ見ると正に両極端ですけれど、どちらも氏の敢闘精神の程が、よく表れている内容ではあるんじゃないでしょうか
一見戦果なしに見える初陣だって敵の爆撃を妨害するという目的を立派に果たしてる
どちらも大戦果だよ
無題Name名無し 20/03/22(日)21:20:08 No.1299467
>どちらも大戦果だよ
そりゃそうですよね。(・∀・)b
弾を1発も撃たずに6機の重爆の爆撃を失敗させたのだから大した「戦果」です。
しかしながら、後方機銃で4発重爆を撃墜するというのは前代未聞じゃないですかね。
戦闘機相手ならルーデルさんの後ろの人がけっこう堕としてましたけど。
無題Name名無し 20/03/22(日)19:00:56 No.1299456
>>ヤッター
零式水偵空戦記なんかにも、弁当のやりとりとか後席とのほのぼのするエピソードがありますが、多座機は飛んでる仲間がいておもしろですね
無題Name名無し 20/03/22(日)19:50:53 No.1299460
でもタッキーの漫画だと主人公の後席の人がどんどん戦死するんだよね・・・
無題Name名無し 20/03/22(日)19:52:26 No.1299461
こういう所に居るから知ってるけど
一般的な知名度は無いよね
屠龍とか鍾馗とか
無題Name名無し 20/03/22(日)20:11:34 No.1299463
>一般的な知名度は無いよね
>屠龍とか鍾馗とか
一般的ってのがどの層なのか微妙ですが、プロペラ機は全部ゼロ戦って言う世代ももう居なくなりました
無題Name名無し 20/03/22(日)21:34:56 No.1299468
>一般的な知名度は無いよね
私が初めて「屠龍」を知ったのは、駄菓子屋とか大きな公園の売店で売ってた「ソフトグライダー」という手で持って飛ばすオモチャでした。
零戦とか雷電などの海軍機は地味な暗緑色だったけど、屠龍、飛燕、隼などの陸軍機は雲状迷彩などの派手なカラーリングがカッコよかったので好きになりました。
調べてみると「ソフトグライダー」は今でも売っているんですね。
無題Name名無し 20/03/22(日)21:41:30 No.1299469
初めて屠龍知ったのはこの作品…
無題Name名無し 20/03/23(月)00:49:05 No.1299483
https://cgi.2chan.net/f/src/1584892145123.jpg
コトブキ飛行隊では
乙型の37mm戦車砲装填の様子が描かれてたな
無題Name名無し 20/03/23(月)03:47:39 No.1299485
https://cgi.2chan.net/f/src/1584902859992.jpg
私がドラゴンスレイヤーを知ってドラゴンリアリティショックを受けたのは汚狐=サンだった。あくしずにもそう書いてある、そなえよう。
無題Name名無し 20/03/23(月)03:48:50 No.1299486
https://cgi.2chan.net/f/src/1584902930236.jpg
無題Name名無し 20/03/23(月)03:49:35 No.1299488
https://cgi.2chan.net/f/src/1584902975970.jpg
無題Name名無し 20/03/23(月)07:55:07 No.1299491
双発の速力や上昇能力や火力や搭載能力は役に立ってんのかな
高高度性能はエンジン依存だから仕方ないとして
無題Name名無し 20/03/23(月)10:54:59 No.1299494
https://cgi.2chan.net/f/src/1584928499596.jpg
キ45一族いいよね...
無題Name名無し 20/03/23(月)14:07:55 No.1299499
>後席
伊藤氏の手記によると、初撃墜を果した空戦では日本側にも
「馬場中隊長は斧田伍長を同乗して奮戦、敵編隊に先頭切って突入し、その編隊群を分散させ、引き続き指揮官機に対し攻撃を反復し、これを撃墜したが馬場機も又敵の集中砲火を浴び、機体に数十発の被弾をした」
「此の時斧田伍長の悲鳴をきき後方を振り返ると顔面血塗れである。『斧田大丈夫か』『大丈夫です戦闘を続けて下さい』と叫んでいる。元気な声だがあまりの凄い形相に重傷と察した隊長は、助かるものであればと戦場を離脱、急降下で基地に着陸したが、頭部貫通で後部座席を朱に染めて壮烈なる戦死を遂げていた」
…ほか、
「旋回中すぐ後方の編隊に突進している複戦を見た」
無題Name名無し 20/03/23(月)14:09:59 No.1299500
「距離200メートル位で被弾したらしくパッと火焔を吹いた、『あっ』駄目だ落下傘で飛び出せと念じた瞬間、見事体当たりを決行し敵も味方も真黒い塊と化し砕け散っていた。黒煙のかい間から見えた尾部の赤線のマークは第3中隊鶴見中尉機であり、同乗の金谷軍曹と共に(略)南冥の空に散った」
…等の被害があり、伊藤氏自身の愛機も被弾の故か、「基地に戻る決意をした折、右エンジンから突然煙を吹き出し」てしまい、「方角の見定めもつかぬ大海の真只中で心臓の止る思いである(略)撃ち合っている間死を恐れなかったのに、今更ながら(略)死が目の先にちらついて離れない。野崎と二人で励まし合」
…って、ようやく基地まで辿り着いたそうです
後ろの席に頼りになる相棒がいるのは確かに心強いんでしょうけれど、自身だけが生き残って…みたいな場合はやっぱり辛かったでしょうねえ…
無題Name名無し 20/03/23(月)15:42:44 No.1299503
逆に先にパイロットの方が先に被弾して戦死しちゃっても、後席の同乗者は運命を共にするしかないわけだし
同じ機体に乗って敵編隊に突っ込んで、どちらに弾が当たるかなんてもう完全に運次第だよね
無題Name名無し 20/03/23(月)19:47:48 No.1299516
パイロットが戦闘不能になった時の同乗者の絶望感は凄そうだなぁ
旅客機にも言えるが
無題Name名無し 20/03/24(火)00:59:39 No.1299541
https://cgi.2chan.net/f/src/1584979179585.jpg
20mm機関砲、目の前のB-17対策に戦力化を急ぐならわざわざ自動砲を仕立て直さなくとも
九八式高射機関砲を使えばいいような気もしますが
やっぱ単発機に積みたい欲もあったからなんでしょうかね
無題Name名無し 20/03/24(火)10:44:00 No.1299546
飛行機に載せるなら少しでも軽い方が良いだろうし・・・
無題Name名無し 20/03/24(火)15:23:51 No.1299550
>運次第
飛行5戦隊の南方での作戦行動は短いながらも中々過酷なモノだったようで、例えば南方で任務を開始した早々の18年9月5日には、連絡任務の為単機飛行中だった第3中隊中隊長の清輔泰彦中尉機が、B-24の6機編隊に遭遇、交戦に入ったものの敵弾を受け、同乗者さんともども戦死されておられるそうです
その後も9月15日に第1中隊先任将校尾方典内中尉が夜間の敵艦攻撃に出て消息不明、10月2日には第3中隊の複戦1機が海軍2式水戦に誤射され墜落、操縦者らは死亡、10月16日には第5戦隊戦隊長小松原虎男中佐が連絡用の99式軍偵で事故死するなど、「悲報相次ぎ、暗い毎日が続いた(伊藤氏)」…んですとか
そんな中、ラウテン飛行場で船団掩護の任務に就いていた第2中隊長山下三明大尉の場合は、12月16日に単機で警戒飛行中に、10機もの敵双発戦「ボーファイター」と空戦になってしまわれたんだそうで
無題Name名無し 20/03/24(火)15:25:27 No.1299551
「地上部隊からの通報で、僚機(略)が救援に舞い上がってくれ、たちまちそのうちの1機を撃墜してくれた(山下氏)」ものの、何せ多勢に無勢、海面スレスレにまで追い詰められた山下氏は降下してくる敵の1機と差し違えを決意、
「機首を敵機に向け(略)衝突寸前まで行ったとき、敵は衝突を恐れて(略)左へさけたので、衝突することなく高度40メートルぐらいですれ違った」
「すぐに探したのだがその姿はなく、それと覚しい海面に水柱の立ったのがはっきりと見られた。おそらく全速降下の惰性が処理しきれず、海に突っ込んだのだろう(地上部隊ではこれを確認)」
「着陸したが(略)熱っぽいので軍医にみてもらったところ、熱が40度ばかりあってマラリアとの診断であった(略)この戦闘で熱が一度に出たのであろう。私としてはほんとうに九死に一生を得た幸運な戦闘であった」
…そうなんですが、戦闘に事故に誤射に加えて病魔…と、生き残るには本当に強運に恵まれる必要があったみたいですねえ
無題Name名無し 20/03/25(水)06:25:03 No.1299585
ビューファイターと屠龍だと性能的には互角くらいかな?
37ミリ砲で対戦闘機戦はきつそうだけど
無題Name名無し 20/03/25(水)10:13:15 No.1299596
>アンボン島基地
おぉ、じいちゃんが駐留してた島だよ・・
二式複戦は大西画報ていう模型師誌の連載話で知ったよ
樫出少尉?中尉?が撃墜したB29搭乗員と戦後再会する話
斜め銃とか37㎜砲とか目新しい武装にわくわくしたなぁ
無題Name名無し 20/03/25(水)15:02:55 No.1299606
第5戦隊で事故死された小松原戦隊長の後任に着任したのが、明野飛行学校の教官だった高田勝重少佐だったんですが、この方は昭和19年5月27日、米軍のビアク島上陸の報を聞くと第5戦隊独力での上陸地点攻撃を決意、志願者を募って自ら指揮の機編隊で出撃されておられるそうです
高田機は敵艦攻撃後、被弾して片発で一旦は離脱を計るも、続く部下の機が相次いで敵艦に突入・自爆する様をみて反転、再攻撃に移ったところで敵戦闘機に捕捉され、撃墜されてしまうんですが、その最後の戦闘の様相はビアク島地上部隊から望見された他、戦隊長機の同乗者だった本宮利雄曹長が海面に突入した後、奇跡的に生還したことにより、5戦隊の面々にも直接伝えられたんだそうで
その後、戦隊長を失った第5戦隊は引続きビアク島攻撃に出撃し、前述伊藤氏も爆装の複戦で出撃されたそうなんですが、
「部隊長の弔い合戦だと張り切って戦場に到着し(略)急降下攻撃を実施したが、爆撃など(略)戦闘機操縦者向きでない」
無題Name名無し 20/03/25(水)15:05:15 No.1299607
「いつ落ちたかどうなのかまるで手ごたえがない。離脱時敵の集中砲火のお見舞を受けて、一度に闘志が燃えあがり、ビワクに苦戦している友軍も見てくれ、日本軍戦闘機健在なりと、調子にのって、二度三度に亘り銃砲撃を繰り返し」
…たところで遂に両エンジンに被弾、海上に不時着を余儀なくされたものの、
「同乗の小関曹長と二人、丸3日食糧も水もなく海上を、そしてビワク島海岸を彷徨の末海軍部隊に収容され、出撃以来1週間振り原隊(略)に復帰できた」
…んですとか
もっとも部隊では既に二人は戦死したものとみなし手続きも行っており、そこへ予告なしに二人がひょっこり姿を見せたため、部隊の面々には大いに驚かれたそうです…w
無題Name名無し 20/03/26(木)04:05:06 No.1299666
当時の日本機で最大口径の機関砲を積んで航続力もあって、爆弾も積めて運動性もあるわけですから、
ある意味では艦隊攻撃に向いていると判断されたんですかね?
実際、戦争後半は襲撃機に転用されていますし、むしろそちらの方が向いていたのかもしれませんね…
無題Name名無し 20/03/27(金)00:33:14 No.1299719
>「同乗の小関曹長と二人、丸3日食糧も水もなく海上を、そしてビワク島海岸を彷徨の末海軍部隊に収容され、出撃以来1週間振り原隊(略)に復帰できた」
滝沢聖峰の迎撃戦闘隊のエピソードまんまで噴いた
無題Name名無し 20/03/26(木)09:56:35 No.1299677
命中率の良い機体中心軸上に37ミリ砲と20ミリだからね
当たりどころによってはB29を一発で落とせる制式戦闘機は屠龍くらいだ
無題Name名無し 20/03/26(木)12:43:54 No.1299680
満洲で対機甲戦闘は想定してたはずだけどドイツやソ連みたいに大口径機関砲の航空機運用は考えてなかったのかな?
無題Name名無し 20/03/26(木)13:00:05 No.1299681
屠龍の後継機として開発されていたキ102襲撃機には57ミリ機関砲搭載型がありますね
B-29相手にも使われたことがあるようですが…
無題Name名無し 20/03/26(木)15:54:00 No.1299689
>B29
飛行第五戦隊は1944年9月に内地に帰還、今度はB-29相手に本土防空の任務に就くんですが、伊藤氏も12月9日、偵察の為単機侵入してきたB-29(※F-13?)の邀撃に上がったものの、高度1万メートルで前方攻撃を掛けての離脱時に被弾、豊橋練兵場の山中に不時着した際負傷、出血多量で9時間余り意識不明となり、一時は軍医にも見放されたそうなんですが、氏によればその後入院中、
「入院の間に考えたことはもう一度B-29に対決、仇討することと、如何にして離脱時強力な火網を回避出来るかとの二点である」
「B-29に対しては巡航にして百キロも速度の落ちる複戦を以てしては、前方攻撃しかなりたたない(略)彼我共4百キロとして、8百メートルの距離から突進した場合、衝突する迄4秒弱である」
「前方攻撃は無修正といえども5百メートル以内に入らないと命中しない。離脱の為の1秒を差引くと、射撃時間は2秒弱である」
無題Name名無し 20/03/26(木)15:55:10 No.1299690
「然も離脱時被弾が多い。私の結論は機首を押えて離脱の折、僅かに右に滑らし軸線を外」
…す、と、ひたすらB-29へのリベンジ方を考えて過ごされたんだそうで
差し違えではなく、攻撃後如何に安全に離脱するか?というのがキモというのが、いかにも歴戦のベテランっぽい感じなんですが、入院約20日目に強引に退院(棒)した伊藤氏は、直後の1月3日に早くも名古屋空襲への邀撃戦に出撃、意図したとおりの前方攻撃で見事1機撃墜、1機撃破の戦果を挙げておられるそうです
もっとも、帰還した伊藤機には80発を超える弾痕が残っていたほか、風防は飛散、後部胴体はゆがんでいるという有様だったそうで、昼間、編隊を組んで飛行するB-29からの防御砲火はやはり侮り難いものがあったようなんですが、或はそんな苛烈な火網の中に突っ込んで、被弾しつつつも戦果を挙げて帰りついたという事実そのものが、伊藤氏が病院のベッドの中で繰り返した脳内シミュレーションの成果を示しているんですかもですねえ
無題Name名無し 20/03/27(金)06:31:30 No.1299728
>入院約20日目に強引に退院(棒)した
やっていることがあのルーデルと同じとは(笑)
どこの国でもエースが考えることは似ているのかも。
無題Name名無し 20/03/27(金)10:45:48 No.1299746
>どこの国でもエースが考えることは似ているのかも。
あるいはそういう人だからエースになれるとか。
無題Name名無し 20/03/27(金)10:31:16 No.1299744
こんな人ばっかだったら楽だったんだろうけど・・・
でも後席や部隊の他の人は大変そうだ
無題Name名無し 20/03/27(金)15:11:54 No.1299756
伊藤氏によると、瞬時の判断や操作が必要な前方攻撃はやはりベテラン向け戦法とも言うべきで、
「初心者には離脱時の判断さえむずかしいのに此の操作は無理な要求だった。初陣の河田、辻本少尉は第一撃で体当りして敵機諸共砕け散り、清水、関本、石岡等少飛10期の若者達も中部の空を朱にそめ再び基地に戻って来なかった」
…そうなんですが、渡辺洋二氏の「双発戦闘機屠龍」にも、昭和20年5月29日の邀撃戦の話として
「伊藤藤太郎中尉と(略)僚機になって、静岡中部の上空に達した河田(清治)少尉機は、先頭の5機編隊に接近し、至近距離を機動ののちB-29に激突した。火の玉に変わったB-29は回転しつつ墜落(略)2名だけが(略)捕虜になった。河田少尉と土山兵長の遺体は二日後に収容され、手あつく葬られた」
…と、伊藤氏が初陣の新人さんの僚機を、敵機との衝突で失った状況が記されていたりします
無題Name名無し 20/03/27(金)15:13:10 No.1299757
因みに飛行第5戦隊では5月頃から5式戦への機種改編が進みつつあったそうなんですが、その最中の6月26日、名古屋に来襲したB-29編隊の邀撃に複戦で出撃した伊藤氏は、御前崎上空で空対空爆弾(タ弾)2発を投下、コレが見事命中して2機に黒煙を吹かせ、2機ともに搭乗員が脱出して計12名が捕虜となり、文句なしの確実撃墜、しかも空対空爆撃による複数機撃墜いう珍しい戦果を上げられておられるそうです
伊藤氏含め、飛行第5戦隊の空中勤務者さん達の「屠龍」への評価は、正直あまり芳しくないんですけれども、それでも必ずしも駿馬と言い切れない機体を駆って南方戦線で撃墜20機、本土防空戦でB-29撃墜40機を報じた戦隊の活躍ぶりは、伊藤氏のようなベテランから初陣で散ったルーキーさん達を含めた戦隊全員の奮闘によるもので、まさしく「重爆殺し」の名が相応しいものであったんじゃあないでしょうか…
無題Name名無し 20/03/27(金)16:44:34 No.1299760
コンバットボックスに後方から近づくのは自殺行為とは聞いていたけど
前方からの交差撃ちも安全って訳じゃなかったんですねぇ
これらの話を聞いていると夜間の斜銃が予想以上に戦果を上げたのも
何となく頷けるような
無題Name名無し 20/03/27(金)20:45:30 No.1299768
warthunderのアサルトモードでは敵爆撃機のコンバットボックスを何波にも渡って迎撃するミッションを体験できるが前方は前方機銃と上方機銃もあるし何より当てられる距離まで近付こうとするとどうしてもニアミス不可避だから横・後方からの接近より極めて難易度が高い。
ぶっちゃけB-29の高度で自由に動ける戦闘機があれば...
無題Name名無し 20/03/27(金)21:44:54 No.1299774
日本軍機でやるとすぐ燃やされるんだよな...
防御機銃は侮れない
無題Name名無し 20/03/27(金)22:34:30 No.1299777
空冷フォッケに装甲追加しまくって
コンバットボックスに突撃する為の機体あったけどあれ有効だったのかな
無題Name名無し 20/03/28(土)07:52:29 No.1299796
>夜間の斜銃
飛行第4及び第53戦隊で、複戦操縦者として戦われた佐々利夫さんの手記によると
「夜間戦闘は、照空灯の協力なくしては成立せず、照射された目標を、昼間攻撃と同様に、機首固定機関砲をもって、前方又は後上方から攻撃する方法と、胴体中央部に斜上方向に固定した20ミリ機関砲2門をもって、敵の後下方に占位して併行して飛行しながら射撃する二つの方法がとられた」
「前記は、前方から接敵し、敵の捕捉が容易であるが、高度の熟練を要する不利がある。後者は、初心者でも射撃が容易である反面高速目標に対しては接敵、占位が困難であった」
「(※夜間低空空襲では)B29の来襲高度が低く、その速度がおさえられたうえ、我が機の性能を最高に発揮できる高度であったため、初心者でも攻撃が容易で、大戦果をあげ得た」
…そうです
無題Name名無し 20/03/28(土)07:54:58 No.1299797
https://cgi.2chan.net/f/src/1585349698517.jpg
因みに佐々氏曰く、
「夜間戦闘でもう一つ重要なことは、暗夜天候不良時の飛行場への帰投である。これを解決したのは、航測部隊の展開による、帰方位測定が可能となったことである。現在のDFである」
「この方法では、飛行場の直上判定が困難であったこと等の理由により、飛行場近傍に回転灯台を設置してその位置確認を容易ならしめた、その効果は大であった」
「夜間は天候気象の影響が大きく、とくに冬期の偏西風(ジェットストリーム)や春先の海霧の急速な襲来にはしばしば悩まされた(略)暗夜知らないうちに遠く太平洋上に流され、このために消息を絶ったと思われる者もあった(略)燃料が切れ、霧の中を東京湾に不時着し、九死に一生を得たものもあった」
…とのことで、B-29が編隊を組まず、低速で低高度を飛行してくる夜間爆撃は複戦に取って組しやすい面もあった一方、昼間よりグッと難易度のあがる飛行支援のために、地上部隊の支援や連携が欠かせなかったみたいですなあ
無題Name名無し 20/03/28(土)17:34:45 No.1299827
夜間戦闘の屠龍エースと言えばやはりこの人
B29の日本本土初空襲を迎え撃って、部隊全体で7機を撃墜とか何気にすごい・・・!
無題Name名無し 20/03/28(土)22:13:30 No.1299843
>夜間戦闘の屠龍エースと言えばやはりこの人
俺が屠龍に興味を持つきっかけになった人だ
この人とあと渡辺洋二さんの本
無題Name名無し 20/03/28(土)22:22:59 No.1299845
屠龍はゴム12ミリ厚の外装式防弾タンクにしていたのに、すぐ発火して火だるまになる的な米軍の評価だったね。
被弾面積の大きさと肉薄戦法だから仕方ないのかもしれないが。
無題Name名無し 20/03/29(日)10:22:39 No.1299868
>B29の日本本土初空襲
1944年6月15日から16日にかけて行われた、北九州八幡製鉄所を目標としたB-29による爆撃作戦の作戦任務報告書によると、確かに同作戦期間中、計7機のB-29が失われているんですが、内訳をみると
・後方基地から作戦基地へ集結中に事故で墜落…1機
・作戦開始時、離陸中に事故で墜落…1機
・目標上空で行方不明(※日本側に撃墜されたもの)…2機
・帰投中、エンジン故障で不時着後、日本軍爆撃機により破壊…1機
・帰投中、事故で中国大陸内で墜落…1機
・爆撃戦果撮影の為発進直後、基地付近に墜落…1機
…となっていまして、実際の所は九州上空で飛行第4戦隊の複戦により撃墜されたB-29は2機のみ、ということであったようです
無題Name名無し 20/03/29(日)10:27:31 No.1299869
因みに同報告書によると、帰還機からの聞き取り調査では敵戦闘機との遭遇16回と記録されているものの、内実際攻撃を受けたのは3回のみで、この点、多くの機が果敢に攻撃をかけたとする日本側の記録とやや食い違うんですが、米側でも遭遇した16回(=機)の内、機種をはっきり確認できた6例について5例は「TOJO(鍾馗)」、1例は「RUFE(2式水戦)」だったなんて記されていたりします
どうも暗夜の本土防空戦で、初めてB-29、或は複戦と交戦した日米の搭乗員さん達の双方ともが、咄嗟の交戦の中では錯誤を起こしたというか、正確な判断を下すのが難しかった状況だったみたいです
因みに米側によると、
「軽機関銃も撃たれたが、若干の20mm機関砲の砲火もあった。あるクルーは、はじめ彼らがロケットだと考えたものを報告したが(略)20mm機関砲の砲火であったことが判った」
…そうなんですが、或はコレなんか、37ミリ機関砲の大口径の曳光弾をロケットと見誤ったのかもしれませんですねえ
無題Name名無し 20/03/30(月)10:03:59 No.1299945
空戦での戦果はどうしても過大になりがちですからね…
まして夜間戦闘ならなおさら、ということなんでしょうか
無題Name名無し 20/03/31(火)07:25:55 No.1300011
逆に言えば2機は確実に撃墜の裏が取れたわけだし(震え声)
37ミリだと一回の突進で1発くらいしか撃てないはずだから、一回見失なったらそれまてなのかな・・・
無題Name名無し 20/04/02(木)15:03:15 No.1300142
戦闘直後の6月19日に行われたIJAサイドの研究会では、実際に地上で確認された残骸が2機分のみであったことからも、防空任務の達成度は不十分と判定されたそうなんですが、原因は
・わが戦闘機の速度、火力が不十分であるため
・電波警戒機装備の夜間専用機がなく、照空灯で捕捉できなかった米軍機はすべて逸したため
・わが夜間出動兵力が少なかったため(※総12機程
・保有飛行場が少なく、出動機数が拘束せられたため
…と結論されているんですとか
飛行第4戦隊は本土防空専任部隊として内地を動かず、訓練も十分に積んで夜間飛行可能な技量甲の操縦者もこの時期にしては多い優良部隊ではあったんですが、一方、実際に実戦で敵機を撃墜した経験のある操縦者は、ノモンハンで従軍した樫出中尉のみであった、なんて事情もあったそうです
因みに、同夜飛行第4戦隊がB-29相手に消耗した弾数は
・37㎜機関砲…25発
・20mm機関砲…490発
無題Name名無し 20/04/02(木)15:04:26 No.1300143
引用元:https://cgi.2chan.net/f/res/1299440.htm
・12.7mm機関銃…335発
…となるんだそうで、37mmの発射速度の遅さや後方機銃迄使用されていることを考えると、各機の奮闘ぶりが窺われるんですが、反面、12機余りが一晩繰返し在空した延べ機数で割るとやや控えめな数なのは、会敵機会の少なさが反映しているのかもしれないですねえ
また、約9000発を射撃した高射砲部隊は「平素の訓練を無視して乱射に流れ(「高射戦史」)」1機の撃墜も果たせず叱られたそうなんですが、対するB-29側も各機合計3千発以上の機銃弾を消費したものの、前述のように米側の感覚では激しい空戦を経験した実感がなく、折角のB-29の売りの中央射撃管制システムの、十分な実戦テストは出来なかった、と報告されているそうです
樫出中尉の手記に依ると、実際複戦の被弾機は1機のみ、それも1発の命中だけだったそうなんですが、前記「高射戦史」によると、B-29の機銃掃射で高射砲員さん達に20名余りの死傷者が出ているんですとか
前述のB-29の消費弾数の何割かは、複戦ではなく、そうした地上目標に向けられた、と言うことみたいですなあ
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コメント
リアルでも間に合ってたらワンちゃん……はないんやろなぁ
屠龍の旋回機関銃の威力もそうですが、
B-24の旋回機関銃は12.7mmかつ長射程な訳ですから、
撃ち合いを考えると物凄い事ですな。
屠龍で真っ先に思い出したのは、樫出大尉の名前。
サンダーボルトちゃんには排気タービン過給器があるから…(震え
いや日本機が軽すぎよ
エンジンの非力さ故に軽量化を追求しすぎて機体が撃たれ弱く空中分解し易く、脆弱な機体で急降下速度も軒並み劣り
新司偵は強度が足りないので厳しいですね
大戦末期に新司偵改造の夜戦が試作されるもボツになったのも強度不足が原因ですし
日米の比較なら、アメリカが重過ぎると見做すべきかと
機体、エンジンともにアメリカは強度の割りに重い、よく言えば堅実、悪く言えば古い構造ですから
あとB-29のクルーからすると、当たり所によっては一発で操縦不能になるNickが一番嫌がられたのに対して、屠龍のパイロットで対B-29でトップエースだった樫出勇でも、屠龍はとてもじゃないがB-29と勝負できる機体ではないと評されてたり(そういえばこの人、ノモンハン戦の経験者だけに、本土防空戦の頃にはパイロットとしての旬を過ぎて教官をやってたんだけど、パイロット不足のせいで現場に復帰したという経緯があったり)。
ちなみに旧軍の戦記や回想記には、あちこちに辻政信が出現しているという指摘があるけど、この屠龍が対戦車砲を積むことになった経緯にも、辻政信が関わっていたのには驚いた。
※9
屠龍だと、爆装したB-29が爆弾倉を開けた状態でようやく水平飛行で追い付けるなんて話があったな。
対地攻撃と対爆攻撃には最適な機体だったわ。
ボーファイターは双発雷撃機の改造品故か戦闘機相手の空戦性能は期待できないって欧州戦線での解説文か何かで読んだような
だからボーファイターと屠龍だと単純な機敏さなら勝ててる…はず
うろ覚えなんで間違えてたら申し訳ないんですが、確かアンボン沖の空戦では複戦が並行して飛んで後席の機銃を撃ちまくる頃には既にB-24側が弾丸を撃ち尽くした状態だったかと思います。ただ、B-24の搭載する機銃弾の量がどれ程かは分かりませんが、ちょっとやそっとで撃ち尽くす量ではないと思いますから、弾切れ状態に追い込んだ複戦操縦者が凄いことに変わりはありませんが
P-47はFw190が弾丸を撃ち尽くすまで撃たれても落ちなかった(帰還して被弾箇所を数えたら200箇所以上あった)ことがあるほど頑丈
日本機がFwのMG151の薄殻榴弾をガンガン喰らったら間違いなく撃墜されている
屠龍は双発機にしちゃ旋回半径短いから、ボーファイター位なら格闘戦に入れば練度差がない限り、勝てると思いますよ。
初期の中国戦線でP-40を落としてたはずですから、運動性はそれなりです。
単発機には到底及ばないが双発機にしてはかなり高い運動性能かと。なお速度…
一気に進化した
間に合ったところでゲーム通り大多数の下手くそがドンドン撃墜されて終わりや()
いや重くないよ。他国機と比べてもそこまで軽さが目立つわけではない。急降下が無理な隼や苦手なゼロ戦が目立つだけで降下耐性はあります。
そうです。有名な紙巻コード(史実とは異なる)が出てくるやつですね。電子戦や電子機器で劣る日本側がなんとか食らいついていく話で好きでした。
96をすぐに生産していれば重爆対策や地上攻撃がもう少し楽だったろうに。
何が気に入らなかったんだろう?
任務から複座が要るなら試作の初期は複座を単座に直した位だから複座に直すのも簡単なんじゃ?
こっちのワニさん元気だ
あの電線の話は間違いらしいけど。
ニューギニアで使えるほど強いとは思われなかったんだろうな。1943年の半ばというと丁度、飛燕が気を吐いてた頃だし。
それでもポテンシャルは高そうだから後続の試作機の指示が出たとか?
鍾馗は、試験で850km/hに耐えたというのが碇氏の四式戦闘機本に書いてあった。
零戦も後期は740km/hまで耐えられる様に改良されたし。
未知の剣によるとテストパイロットは運動性能も絶賛してた。単発機並みだと。
旋回だけなら意外と良かったんだろうな。問題はロールレートだろうな。
基本的に大戦中の陸軍機は850km程度なら耐えられますね。構造が脆弱と言われるゼロ戦ですら外板を厚くして740kmの降下耐性を得てますからね。Bf109の降下耐性と大して変わりません。
なお高速域の舵の重さと効き
鹵獲した零戦をテストしたら高速域では腕力のあるアメリカ人でも苦労するほど操縦桿が重くなったらしいな
零戦はロール性能も良くないからアメリカ軍機相手にダイブ合戦をやったら勝てない
ロールは32型で改善してるよ。
改善はしてるんだろうが元が悪過ぎて
サイパンで捕獲した五二型を調査した米軍レポートではゼロ戦に後ろを取られたら、ロールから急降下への移行で振り切れと言っている
過去の記事でその話と経年劣化で剥がれ落ちた被覆の画像があったのを思い出し、記事をしばらく探してみたけど見当たらなかったワニ。4年ほど前だったかにまとめ記事の削除があったんで、その記事も削除されたかもしれないワニ。
真逆の事が書いてあるよ ハーフロール(つまり背面に入れて急降下で振り切る)で離脱しようとするなってある
ロールからの急降下で振り切れは21型ゼロでしょ
これが何よりロール性能が変わった事を表しちゃってるな
Bf109も重かったらしいよ
いや、52型に後ろに付かれたらロール〜ダイブ〜高速反転で逃げなさいと書いてあるよ
To evade a Zeke 52 on your tail,roll and dive away into a high speed turn.
ハーフロールで離脱するなって書いてある文書は持ってない??色んなところで言われてるんだが…
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