無題Name名無し20/03/25(水)22:21:37 No.1299647

1585142497968
対ソ、レンドリースについて
援助してもらった国曰く
使えない兵器ばかりだったので返済はせん!との事
とは言え
赤軍の航空兵器の約20%トラックのほぼ3分の2はアメリカ製とか凄くない?

チョビ髭が悪いんだが
この膨大な物資がドイツを叩きのめすため
同盟国、日本の前を素通りって
ただでさえ国力で負けてるのに、このいがんだ同盟関係はダメダメだわ

無題
Name名無し 20/03/26(木)00:58:53 No.1299655
日本は日ソ不可侵条約を破棄して、北太平洋の船団を攻撃すべきだったよね。(´・ω・`)b

無題
Name名無し 20/03/26(木)19:41:40 No.1299698
>日本は日ソ不可侵条約を破棄して、北太平洋の船団を攻撃すべきだったよね。(´・ω・`)b

ずっとソ連を仮想敵としてきた陸軍はやる気満々
御前会議で北進論を認めさせて演習名目(所謂 関特演)で75万の兵力を満州に集結させたけど、スターリンおじさんが期待したほどヨーロッパ方面に部隊を引き抜かなかったので断念

無題
Name名無し 20/03/26(木)01:12:16 No.1299656
使えないとかなんとか言いながら親衛旅団はM4使ってたの笑うしかない

無題
Name名無し 20/03/26(木)01:38:34 No.1299661
自分のとこの兵器と比べて「使える」なんて言った日にはシベリア送りでしょ。  

無題
Name名無し 20/03/26(木)08:41:59 No.1299671
ソ連に関しては戦中の資料でエースの乗った車両がKV-1→チャーチルだったと
判明しているし、親衛隊がM4シャーマン装備してたりした
メンツもあるけど自国の兵士の鼓舞の点から改竄されていたみたいですね

無題
Name名無し 20/03/26(木)16:51:54 No.1299692
エアラコブラも米英では散々な評価でしたが、ソ連崩壊後の調査では従来の説の攻撃機としてではなく、戦闘機としてすごく重宝されていたとか。。。

無題
Name名無し 20/03/26(木)21:22:30 No.1299705
https://cgi.2chan.net/f/src/1585225350568.jpg
シベリア鉄道経由のレンドリースはダッチハーバー経由で
ウラジオストクの他アムール川を遡上してハバロフスクへ到着していた
これによれば対馬海峡経由もいたようだが偵察を兼ねてだろうか

無題
Name名無し 20/03/27(金)09:33:31 No.1299739
>これによれば対馬海峡経由もいたようだが偵察を兼ねてだろうか
ソ連へのレンドリースはイラン経由でも入っていたはずだけど
何で遠い太平洋側から運んでいたんだろう
荷の積み込みの関係?

無題
Name名無し 20/03/27(金)11:44:56 No.1299748
https://cgi.2chan.net/f/src/1585277096350.jpg
>ソ連へのレンドリースはイラン経由でも入っていたはずだけど
>何で遠い太平洋側から運んでいたんだろう

アメリカとソビエトの国境的には太平洋ルートが一番近いルートで、イランルートは一番遠いルートだよ。
ただ、それぞれのルートにはメリット・デメリットもあってどれが一番かは簡単には言い難い。
・太平洋ルート:一番近いルートなので対ソ援助物資の50%がここを通った。
ただし、シベリア鉄道の容量と、日米開戦後は日本との関係を考慮して海上輸送は非軍事品のみのとなったため、援助航空機の空輸と、食料などの日常品(と言っても、産業をすべて軍事にオールインしていた当時のソ連にとっては死活問題)がメイン
北海ルート:対ソ援助では一番有名で、また到着さえすればソ連本土なので短い鉄道輸送で済んで陸の負担も少ないけど、Uボートの跋扈する大西洋とドイツ軍占領下のノルウェーの前を通るので危険性が高い。物資の23%がここを通った。
イランルート:ルートのほぼ全域が連合軍の影響下なので一番安全で何を運んでも問題無いけど一番距離が長い上に鉄道の容量に制限される。対ソ援助の27%がここを通った。

無題
Name名無し 20/03/27(金)17:53:07 No.1299761
1585299187161s
コーカサスではイランルートに近いこともあって
レンドリース戦車が戦線を支えた

無題
Name名無し 20/03/27(金)19:14:06 No.1299765
1585304046803
日米開戦時のIJA参謀総長だった杉山元陸軍元帥の備忘録(杉山メモ)に、開戦直前の1941年12月6日の大本営政府連絡会議(第76回)で、ドイツからの米国援ソ船団の阻止要請について、東郷外相より議題に上げられた事が記されていまして、曰く

「大島(※駐独)大使より三日、『リッペン(※独外相)』に逢い(略)交渉せしめたる処、『リッペン』は(略)米より軍需品が『ウラヂオ』経由し来るは困る(略)日本の立場は諒とするも、米が軍需品を『ソ』に入れることを阻止することに、交換公文を取決めたき希望なり」

…とのことだったそうなんですが、これに難色を示したのがIJNで、

「(※永野)軍令部総長より提議あり(略)極東『ソ』領には飛行機1400、潜水艦100基地相当の海軍力あり、此際帝国としては南方作戦兵力の関係上成るべく北方の刺戟は避けねばならず(略)その結果(※ソ連船を拿捕したことへで)数十倍する害を蒙り、大陸及び南方との交通にも大なる支障が生ずることを恐れるのである」

無題
Name名無し 20/03/27(金)19:15:22 No.1299766
1585304122669
「死活の問題にあらずして死の問題である。依て独に対しては『先方の要求に対しては今直ぐ実行できない、将来北の方が始末できるようになってからやり度』と返事致」
…と譲らず会議は紛糾、最終的には賀屋大蔵大臣の提案を基に、ドイツに対しては

「米国より『ウラヂオ』への軍需品の輸送阻止の件は日本に於て承認す』
…と回答する事が決定されたものの、
「但し日本の作戦の見地上、『ソ』との戦争に入ることを絶対に避けなければならぬ時期の間は、十分に之を実行出来ぬことを諒承せられ度」

…という条件付きというか、まあ当面出来なくても怒らないでね☆という回答になったそうです

これから米英相手に大イクサを始めるという時に、ソ連の御機嫌を損ねて、南北同時2正面作戦になるのは絶対御免蒙りたい…というのが、IJNの率直なホンネだったみたいですなあ

無題
Name名無し 20/03/28(土)00:14:44 No.1299784
大方針が陸海軍で全く決まってないというか
戦争に勝つのと英米と戦うのとどっちが大事なのよ?
と後知恵ながら突っ込みたくなりますね…

無題
Name名無し 20/03/28(土)01:30:23 No.1299788
>大方針が陸海軍で全く決まってないというか
>戦争に勝つのと英米と戦うのとどっちが大事なのよ?
陸軍とも海軍とも組織のメンツだけで戦争しちゃったから
国の事なんか誰も考えてないのよ

無題
Name名無し 20/03/28(土)01:11:47 No.1299787
日ソ不可侵条約は1941年4月13日
独ソ戦は1941年6月22日

ちったぁこっちと歩調をあわせろよ
チョビ髭って話で
連携のレも知らないドイツがおかしいと思うけどね
向こうの軍オタは独ソ戦をどう評価してるんだろう?

無題
Name名無し 20/03/28(土)01:55:44 No.1299789
ムルマンスクルートは銀狐作戦の増強かレニングラード攻略を止めないだけでもドイツ独力で封鎖できたろう
まず占領後利用する目算でできる範囲のインフラ攻撃すらせずに大疎開許したのが痛恨事すぎたのだが…

長期戦不可避の様相になるやあわてて外相が妨害要請申し入れてくるのは
ドイツも枢軸国指導部の例に漏れずグダグダだ

無題
Name名無し 20/03/28(土)09:29:33 No.1299800
1585355373665
>日ソ不可侵条約は1941年4月13日

IJAの将校サン達の交流所である偕行社の機関誌「偕行」誌上で、戦後大本営の陸軍参謀だった方たちを中心とした座談会の内容をまとめた「大東亜戦争開戦の経緯」と題した記事が連載されているんですが、例えば開戦時の陸軍大本営参謀だった原四郎さん曰く

「(※1941年)4月18日、大島(駐独)大使から、かなり確定的な独ソ開戦情報電報が入っている。それは、なぜかというと、『あれほど、松岡に独ソ開戦するということを言うたにもかかわらず、松岡はソ連と中立条約を結んだ。これは、おかしいではないか』ということを大島大使に言うた。その電報が、4月18日に来たわけです」

…とのことで、すでにある程度ドイツが対ソ戦に踏みきる可能性ありとみていたIJAが、なぜ?今そんな話を?!と松岡外相に戸惑っていた様子が窺えるんですが、原氏によると

「4月22日に、松岡外相は帰られて(略)リッぺンドロップやヒトラーの言ったことを紹介されるが、松岡さんは(※独ソ開戦を)六分四分と見ているんです。」

無題
Name名無し 20/03/28(土)09:33:14 No.1299801
1585355594455
「『これはドイツの脅しであって、外交によって六分、戦争は四分』というようなことを言って」
…いたそうなんですが、前述「杉山メモ」によると、4月22日の帰朝報告で松岡外相は

「『リッペン』は『独が独「ソ」不可侵条約を結んだのは已むに已まれぬ事情に依るものであって、独としては何とかして「ソ」をやっつけ度いと思う、今なら三、四ヶ月でやっつけられる」
…と、独外相より直に独ソ戦の見通しを聞かされたものの、
「而し『リッペン』は(※日ソ不可侵)条約は出来んと思って居たらしい、今度の成立を見てきっと彼は驚いて居るだろう」

…と報告されているそうです
松岡外相としては、或いは日ソ条約の成立が独の行動にも影響を与え得ると計算していたのかも知れませんが、実際にはもうこの時期、独ソ戦はほぼ確定していたわけですから、確かに「リッペン」外相は驚いたんでしょうけれど…ねえ…

無題
Name名無し 20/03/28(土)11:09:10 No.1299808
>日ソ不可侵条約は1941年4月13日
>独ソ戦は1941年6月22日

1941年7月2日の御前会議で独ソ戦の状況次第では対ソ開戦の方針決定
1941年7月7日には関特演のための動員発令

日本側も日ソ不可侵条約には3カ月もしないうちに見切りを付けていたわけで、結構迅速に対応してますね

無題
Name名無し 20/03/29(日)12:39:13 No.1299874
結局ドイツの後追いというか、重要政策がドイツの動き次第でコロコロ変わるのはやはり問題だったと思うわ・・・
引用元:https://cgi.2chan.net/f/res/1299647.htm

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