無題Name名無し20/02/12(水)13:49:54 No.503859

NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 DVD BOX (新価格)

聞いた戦争の話

やはり実体験者の話はリアルなんだよね。
戦後の動乱の話も含めて話せる人が減ってきたのは寂しい限り。

親父はコルセアもグラマンもよく見たと言ってたな。
みんな艦載機という言い方で、校舎から見てたら
こっちに向かって来たとか、丸焼けで羽田から浅草の方まで丸見えだったとか。
すいとんを一度食べてみたいと言うと俺はもう絶対に嫌だと言ってた。
親戚の義眼の叔父さんはグアムの海岸で死体と一緒に倒れているところを偶然見つけられて日本に帰れたそうで、子供達がグアムに観光に行きたいというとグアムなんて金を貰っても二度と行きたくないと言ってた。
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無題
Name名無し 20/02/12(水)14:34:40 No.503860
ばーちゃんは機銃掃射の中、(俺の)親父背負って逃げたっつってたな
近くにいる人の血がバッと舞ったとかゆってた(ゆとり

無題
Name名無し 20/02/12(水)14:41:59 No.503861
1581486119659
大叔父が元工作艦"明石"の溶接工乗組員でトラックの話を聞かせてもらったのを覚えている。
戦艦大和の前甲板はめちゃくちゃ広かったとからしく
またある時内地で子供が産まれたと大はしゃぎで仲間に手紙を見せびらかしていた同僚が居てそれがトラック空襲の前日
その日甲板に居たところを敵艦載機の機銃掃射で亡くなったとか。

無題
Name名無し 20/02/12(水)14:55:58 No.503863
そのとき私はハッとして身をかがめたら、頭のてっぺんを弾がかすめていった。
今の私の頭の髪の毛の分け目がそのときの弾の跡です。
中学の国語の先生に何度か聞かされて、すっかり覚えちまったよ、先生よ。

うちの弟まで知ってるぞ。

無題
Name名無し 20/02/12(水)16:08:12 No.503865
俺が中学生の時、学校にイラク戦争派兵経験のある元アメリカ兵が来てたわ
道徳の授業の時間に全校生徒が体育館に集まって、その元米兵の話を聞かされたものだわ

いわく「イラクの民兵どもは卑怯な奴らで、いつも女子供を盾にして銃を撃ってきやがった」

「仕掛け爆弾でうちの中隊の何人もが吹き飛ばされた。俺も耳をやられて、今も時々病院に行かなきゃならない」

「ある日、奴らが陣取る雑居ビルに分隊長が窓からスモークを投げ込むと、アホどもがアッラーアクバル、アッラーアクバル言いながら転がり出てきた。俺はそいつらに鉛玉を浴びせてやって、それが人生で初めての殺人だった」

「俺は人を殺したが後悔していない。もっと殺したかったくらいだ。許せないのは、奴らが女子供に銃を突きつけて脅し、爆弾を持たせてKAMIKAZE attackさせてきたことだ」

「戦争は良くない。平和が一番」

こんな感じの内容だった

無題
Name名無し 20/02/12(水)17:06:58 No.503866
神風アタックはいまだに使われるんだな…
悲しいことだわ

無題
Name名無し 20/02/12(水)17:08:56 No.503867
実際に話を聞くと判るけど悲壮感のある話をする人ばかりではないって事に気づかされるよ。

どうしてもお涙頂戴&酷い時代だったという話ばかりでまとめようとする風潮偏向されてる感じはする。

無題
Name名無し 20/02/12(水)18:40:45 No.503874
>悲壮感のある話をする人ばかりではないって事に気づかされるよ。
ド田舎の網元の娘だった祖母は、豊富な海の幸に恵まれて食糧難や空襲とも無縁だったとか(同じ頃、戦地の祖父は野戦病院へ担ぎ込まれてましたけど)

無題
Name名無し 20/02/13(木)05:02:55 No.503889
>実際に話を聞くと判るけど悲壮感のある話をする人ばかりではないって事に気づかされるよ。
朝鮮半島に主に従軍してた爺さん曰く買い物は必ず二人組で
どんな店でも基本的に騙してフッカケてくるから注意
自分用の買い物?従軍時の安月給じゃ饅頭一つ買えねぇよ
→買い物は上官の命令でしかしたことがない
朝鮮人で最も有能だったのは犯罪者で海岸部の調査の時
揚陸艇?から下ろして海岸まで行けたら釈放するってのを
条件に揚陸が可能かどうかを朝鮮人にやらせる
(沿岸部は基本的にヘドロ地帯らしい)
等色々
あと正露丸最強伝説

無題
Name名無し 20/02/13(木)15:09:06 No.503896
>悲壮感のある話をする人ばかりではないって事に気づかされるよ。

うちの伯父は終戦時 15歳だったのだが、徴用されて
飛行機工場で働いていたそうな
アメ公に負けて悔しーって言ってたな
無題Name名無し 20/02/16(日)21:44:24 IP:14.13.*(enabler.ne.jp)No.504059+
>実際に話を聞くと判るけど悲壮感のある話をする人ばかりではないって事に気づかされるよ。
>どうしてもお涙頂戴&酷い時代だったという話ばかりでまとめようとする風潮偏向されてる感じはする。
うちのばあちゃんは満州でソ連軍から逃げるために鉄道に乗っていたら
停車した駅でソ連軍機が飛んで来て機銃を撃ってきた
撃たれた跡もそのままに列車に乗ったそうだ

無題
Name名無し 20/02/12(水)18:34:05 No.503873
太って帰ってきた伯父

山東省で鉄道隊所属ですごく楽しかったと嬉しそうに語っていた
狙いをつけた貨車の荷物をけり落として仲間と拾いに行き物資を横流し、シナ人服を羽織り階級章を隠して(3年兵で兵長だった)下士官から敬礼をもらい、現地の民家を略奪して豚の丸焼きを食った話とか
空襲でロケットみたいに燃えながら飛んでいくドラム缶、戦友を荼毘にする話など、酔うといろんな話をしてくれた。
「また行きたよ俺は」
小学生だった自分には話せない事もあったろうけども

無題
Name名無し 20/02/12(水)23:53:03 No.503887
夜小便しにいっとったら寝とった場所に爆弾落ちてきてワシだけ助かったんじゃ
とか
満州におったとき、ソ連が攻めてきたお前も戦え、言われて刀一本渡されてな、こんなんでどうやって戦えいうんじゃ

とか、そんなんはよく聞いた

無題
Name名無し 20/02/13(木)10:43:04 No.503891
うちの田舎は凄い僻地なんだけど、機銃掃射レベルの空襲はあったそうだ
駅近くの町工場が良く狙われて、空襲が終わると現場に行って
機銃弾を掘り起こして集めるのが近所の子供の娯楽だったんだと

無題
Name名無し 20/02/13(木)14:45:01 No.503894
インパールの生き残りの人から、牟田口の悪口は聞いたなw
英軍が牟田口の動きを放送してくるとか。

無題
Name名無し 20/02/13(木)15:55:29 No.503900
>英軍が牟田口の動きを放送してくるとか。
行動を伝えるだけで兵が戦意喪失する司令官って…

無題
Name名無し 20/02/13(木)16:51:39 No.503906
長岡に住んでいた祖父は空襲の時裏山に逃げたとか言ってたな
祖母は疎開して新潟に行ったけど曽祖父は東京で空襲にあって死んだそうだ
戦争がなかったら俺がいなかったのかもしれないと思うと「太平洋戦争がなかったらよかったのに」なんて言うとじゃあ「俺はなんなんだ」という訳がわからんことになる...

無題
Name名無し 20/02/13(木)18:57:23 No.503907
ずいぶん昔に社員旅行でグアムに行ったとき役員の爺さんが
グアムはいいけどサイパンでは遊べない
戦友が眠っているから
としみじみ語っていた

無題
Name名無し 20/02/13(木)19:46:30 No.503908
香川から大阪へ動員されてた女子学校の先生だった祖母は空襲のあとこんな状況では殺されてしまう、と思って勝手に生徒を引き連れて船用意して帰ってしまったという話だった。でもずいぶんあとまで生徒たちには慕わていた。

無題
Name名無し 20/02/14(金)11:37:12 No.503925
知ってる人は
ソ連軍にシベリアに連行される途中
列車から飛び降りて満州から歩いて帰ったそうだ
まるで「人間の条件」を地で行ってるな

無題
Name名無し 20/02/14(金)18:37:22 No.503931
民間や歩兵関係の話が多いな。
やはり飛行機乗りや軍艦乗りは少ないのかね。

無題
Name名無し 20/02/14(金)18:59:47 No.503933
近所にドイツ人の爺さんがいた。教会をやっていてプロテスタントの宣教師
日本在住30年で普通に日本語を話す、気さくな爺さんだった。親父とは飲み友達でよくウチにも顔をだしていた
ウチには宗教の話はしてこないいい人だ
その方がもう歳なので故郷のデュッセルドルフに帰ることになりお別れを言いに来た。残念ながら親父は留守だったので俺が話を聞いた
なんと東部戦線に従軍経験がありその時の体験で宣教師の道を選んだとのこと
とてもひどい体験だったと言っていた
生で独ソ戦の話をゆっくり聞ける機会があったのに、今まで何やってたんだ俺
年代考えれば当然だったのに。 もう亡くなってるだろな

無題
Name名無し 20/02/14(金)19:52:04 No.503935
では身近に居た空中勤務者と搭乗員です

中学の同級生のお父さんが二式複戦のパイロットと言っていました
使っていた指揮刀や拳銃サック(十四年式はモデルガン)や飛行服などを見せてもらいましたが、今のような知識がなかったので屠龍の名前すら知らず・・
傷痍軍人だったようです(聞いてはいけない気がして聞いていないので想像ですが、片足が不自由でした)

それと恩師は東京美術学校から学徒出陣した零戦搭乗員でした
代々木で天皇陛下の前を歩いたと言っていたので18年召集だと思います
瑞鶴で着艦訓練を受けたと言っていました
洋上で母艦を探す方法を黒板に書いて教えてもらったりしましたが、やはり今ほど知識がなく・・今ならいろいろ質問できたのに!とどちらも無念・・・

無題
Name名無し 20/02/14(金)19:55:44 No.503936
ある会社に行ったら、社内に陸軍機の油絵が何枚も飾ってありました
聞くと創業社長(現会長)が昔陸軍パイロットだったとのこと
九七戦や隼に混じってマニアックな軍偵と襲撃機の絵もあったので、そうじゃないかと思っていましたw
一杯飲みに名古屋に行こうかとか自家用機を自分で操縦してあちこち友人を連れては飲みに飛んでいたそうです
私が聞いたちょっと前に故人になっていましたので乗っていた機種判らず・・

無題
Name名無し 20/02/14(金)21:21:09 No.503939
親から聞いた我が部落の笑い話を一つ
ある日の空襲警報解除後に区長さんが点呼を取ると人数が全く足りない「誰がいないんだ?」となり確認するとある一つの防空壕に避難してる連中が誰も出てきていない
「まさか全滅か⁉」と思ったが爆発はおろか機銃掃射すらなかったので「じゃあ何で?」「とにかく行ってみよう」となる
で防空壕まで来てみると壕の前に見慣れぬ物体が落ちてる
しかも電線まで見える
不発弾か?それとも時限爆弾か?となり近寄ることもできない

無題
Name名無し 20/02/14(金)21:36:44 No.503940
防空壕の中に声をかけると応答があり壕の中でも何かが落ちた音が聞こえたがそれきり何も音がしなかったため不発弾を恐れて出るに出られなくなってしまったとのこと
遠巻きにしながら困っていると休暇で出かけて来てた近くの海軍さんの航空学生が騒ぎを聞きつけてやってきた
で話を聞いてそれを一目見るなり「あぁあれか」と言うとスタスタ近づきヒョイと持ち上げて言った
「大丈夫!これはアメリカ軍の飛行帽だ」

どうやら風防から顔を出して下を覗いてるうちに飛ばされたらしい飛行帽がたまたま防空壕の前に落ちてきたらしいんだな
俺はこの話を聞いて「そのパイロットは母艦に帰ってから帽子なくした理由の説明どうしたんだろ?」と顔も知らん相手の赤っ恥エピソードを想像してニヤニヤした
無題Name名無し 20/02/16(日)21:57:36 IP:116.254.*(t-com.ne.jp)No.504061+
良い話も悪い話も語らずに亡くなった人も相当な人数になるんだろうな
全ての記録というのはもちろんあり得ないけど今よりもっと多くの話を残して欲しかった
悪い話も含めて

戦争がマイナスのことなのは分かるけど語ることすらタブー視したのが残念でならない
教訓は多いほうがいい

無題
Name名無し 20/02/21(金)23:54:19 No.504286
>良い話も悪い話も語らずに亡くなった人も相当な人数になるんだろうな

爺さんが支那とブーゲンビル行ってたけど戦争の事は一切話さなかったな
婆ちゃんも何も聞いてないって言ってた
ただ遺品整理で見つけた手記には事細かに当時の事が記されていたからきっと誰かに知って欲しかったんだとは思う

無題
Name名無し 20/02/16(日)22:39:14 No.504063
憲兵をからかうのが超楽しかったって中国戦線の元兵隊の話を母親が聞いたそうな
憲兵がこちらを脅しつけようと口を開こうとする度に
「畏れー多くもー天皇ー陛下ーにー」
と大声を張り上げると、その度に憲兵連中が直立不動の姿勢になるのがマジ笑えた
だそうな

無題
Name名無し 20/02/16(日)23:16:58 No.504065
父方の伯父が下校途中にグラフマンの機銃掃射を受けたという話は聞いた
一緒に歩いていた同級生ともども自分たちはアホやったと笑いながら言ってたわ
歳だが存命
とは言え戦争中は小学生だったそうだし詳しい話は出てこないだろうなぁ

ちなみに、その当時は親父はまだ生まれてない

無題
Name名無し 20/02/17(月)02:51:24 No.504072
婆さんが看護婦やってて戦中は大連まで行ってて末期に内地に戻ってきて(19年に駆逐艦乗りだった爺さんと呉で撮った写真が残ってる)広島で被爆した人間の手当てする羽目になったとかは聞いたな

無題
Name名無し 20/02/17(月)22:15:22 No.504094
じいさんが陸軍で機関銃手だったけど
中国大陸で警備とかやってたくらいだったな
遺品整理してたら部隊の集まりで防衛庁からの調査用に提出する当時の部隊内容の資料とか出てきたよ

無題
Name名無し 20/02/18(火)07:45:23 No.504113
死んだ母さんは子供の頃に家に憲兵が来たことがあるそうで、父親が応対しているのをかたがた震えて見ていたそうだ。
やはり憲兵というと映画そのものの横柄な存在なのかね。

無題
Name名無し 20/02/18(火)19:24:53 No.504131
>死んだ母さんは子供の頃に家に憲兵が来たことがあるそうで、父親が応対しているのをかたがた震えて見ていたそうだ。
>やはり憲兵というと映画そのものの横柄な存在なのかね。
でも現代でも警察とか家に来たら怖いよね...

無題
Name名無し 20/02/18(火)07:47:41 No.504114
そういえば家に米軍放出品のナイフやスプーンがある。
どれも頑丈な作りでUSの文字入りでデザインもいいので、ずっと使っているよ。

無題
Name名無し 20/02/18(火)14:34:53 No.504120
うちの母はまだ小さかったので、疎開しなかったけど実家が商店だったせいか食べ物がなくて困ったといことはなかったらしい。一番上の姉は働いていた工場が疎開することになったとき、行かなくてもいいのに旅行みたいで楽しそうってついってっちゃって食べ物がなくてすごくつらい思いをしたそうだ。

無題
Name名無し 20/02/18(火)20:00:38 No.504135
「お家の人に戦争の話を聞いてみましょう」という宿題にイラン出身のお父さんからイラン・イラク戦争の体験を聞いて出した子が×もらったって話は…

無題
Name名無し 20/02/22(土)15:38:39 No.504309
https://may.2chan.net/39/src/1582353519883.png
>イラン・イラク戦争の体験を聞いて出した子が×もらったって話は…
こういうのも‥‥

無題
Name名無し 20/02/19(水)10:27:37 No.504167
話ながら泣いてる祖母しかよく思い出せないけど
祖母は広島出身であの朝は勤務先の工場に向かう途中の警報で防空壕に入ったそうです。警報解除の報があってもしばらく同級生と壕内で雑談してそろそろ行こうと同級生と共に出口に向かい、同級生が外にでて自分も出ようとしたところで強い光のあとに防空壕の中に押し戻されたそうです。
祖母曰く、自分があの日死ななかったのは先に出た同級生が熱線の盾になってくれた事が一番だと泣きながら語ってくれたなぁと。
こんな体験談はたぶん誰かに話しておかないと俺の代で消えちゃう(苦笑)

無題
Name名無し 20/02/19(水)10:41:59 No.504168
そういえばもうひとつ思い出した
小学生の頃近所の塗装工のおっちゃんが居て戦時中近所で高射砲撃ってたとか東京のほうがめっちゃ燃えてたとか
自衛隊のカレンダー持っててたまに貰ってた

無題
Name名無し 20/02/20(木)00:13:27 No.504194
 岡山市宮浦(現、南区宮浦)地内B29墜落の件。
 書物では地元住民が、敵兵ながらB29の搭乗員を手厚く葬って、白木の墓標を墜落現場に建てたとあるが・・・。
真実は、地元民「アメ公の飛行機が落ちてザマーミロ。」軍隊が機体の残骸を回収するのみで、その他のアクションなし。
終戦して、進駐軍がやって来るって話になって、地元民「死体とかほっぽりぱなしてたけど、進駐軍からお叱り受けるんじゃね?」って事になり、あわてて墓標を建てて体裁をつくろったそーです。
ソースは友達のばあちゃん。

無題
Name名無し 20/02/20(木)21:53:55 No.504228
自分の母親は
江田島の尋常小1年の時に校庭にいたら
北の広島市の方向で空が白く光って、大人達が「広島がやられた~」と話してたらしい。

その小学校も過疎化で今年廃校になりました。


自衛官だった父は平成5年の米不作の時に、
「黄変米って知ってるか?若いころ俺は(自衛隊で)食べらされた」と米だけはいいのを買ってこいと
万札渡されて買いに行ったなあ。

無題
Name名無し 20/02/20(木)22:39:16 No.504232
>自衛官だった父は平成5年の米不作の時に、
>「黄変米って知ってるか?若いころ俺は(自衛隊で)食べらされた」と米だけはいいのを買ってこいと
>万札渡されて買いに行ったなあ。
それどころかタイ米のドライカレーとして『スパイスの臭いの黒こげの物体』が出てくる。ヘビを食べる訓練をしたレンジャーが「何だこれ?食い物か?」と何だか食べられなかった。

無題
Name名無し 20/02/20(木)23:04:07 No.504236
>それどころかタイ米の

陸の人も大変なんですね。
海の人のほうは有名になる前の海自カレーを
掃海艇か何かの食堂で試食したことがあるんですが
普通においしいカレーでした。

無題
Name名無し 20/02/21(金)13:50:38 No.504262
母方の実家(南九州の豪農)では米には困らなかった。
米と野菜を漁村に持ってって魚介類と交換
塩は海岸で石や鉄板を焼いて海水から作ってたという。
隣町の飛行場が空襲される時以外はいたって日常
低空を飛び回る敵機は「キラキラ光ってきれい」だったそう
暢気なと言われそうだがそんな家でも戦死者はいた。

無題
Name名無し 20/02/21(金)21:14:54 No.504280
君たちの家系は戦争関連のエピソードがいっぱいあって羨ましい

うちの家系なんて軍人は一人もいない
第二次大戦を含め、日本がこれまで経験した全ての戦争とは無縁な家系だ
茨城のド田舎だから空襲もなし
戦中から戦後にかけて、都会の人たちが大挙して押し寄せて着物や宝石を差し出して、米を分けてくれるように頼んできた、っていう話くらいしか聞いたことない

無題
Name名無し 20/02/22(土)00:00:47 No.504290
>君たちの家系は戦争関連のエピソードがいっぱいあって羨ましい

ない方が幸せだ。

無題
Name名無し 20/02/22(土)00:00:28 No.504289
うちの爺さんと婆さんは満州引き上げ組で戦争体験聞いても一切話してくれなかった
昭和の歴史物TVをやってる時にこっそり寝たふりをして会話を聞いたけど辛い話をしたくなかったんだろうなと
今考えると思う

無題
Name名無し 20/02/22(土)06:51:08 No.504298
爺様は宇都宮で高射にいたらしいが詳細は不明
婆様はある日お茶飲んでたら裏の物置の鉄片は艦砲射撃の破片だとか言い出してきて驚いた
そんな艦砲射撃を受けた茨城の田舎
あと婆様の兄様(何年か前に鬼籍)は予科練で一つ間違えば特攻していたかもしれなかったそうな

無題
Name名無し 20/02/22(土)15:56:12 No.504311
祖父は陸軍だったらしい
戦中の詳しいことはほとんど話してくれなかったが海軍をひどく嫌っていることは感じていた
あるとき酒が入っていた祖父が、南方の海上を1列になって進む輸送船が次々に水柱を上げて轟沈していく様をさも面白そうにだがしまいには泣き笑いになって語っていたのを覚えてる
海軍は助けてくれなかったという思いが強かったんだろう
引用元:https://may.2chan.net/39/res/503859.htm

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