無題Name名無し19/12/07(土)07:13:44 No.1292461

1575670424676
にほんぐんの砲兵はどんな感じで戦ってたのっと
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無題
Name名無し 19/12/07(土)07:21:20 No.1292462
https://cgi.2chan.net/f/src/1575670880521.jpg
三八式野砲はクルップ原形の第一次大戦型の標準的な野砲
第二次大戦では時代遅れになってたけど改良して騙しだまし使ってたよっと

無題
Name名無し 19/12/07(土)07:22:19 No.1292463
https://cgi.2chan.net/f/src/1575670939209.jpg
ノモンハンでは射程が足りずぼこぼこにされたりしたよっと

無題
Name名無し 19/12/07(土)07:24:03 No.1292464 
1575671043549
大隊砲・連隊砲は運用の実態をよく聞くけど専門の野砲は話を知らないのでスレを立ててみたよ

無題
Name名無し 19/12/07(土)07:35:06 No.1292465
当時はどうやって対砲兵戦をしてたんだろ?
今と違って対砲迫レーダーもないのに
熟練の観測員による目視と聴音に頼ってたのかしら?

無題
Name名無し 19/12/07(土)14:24:32 No.1292495
https://cgi.2chan.net/f/src/1575696272811.jpg
>当時はどうやって対砲兵戦をしてたんだろ?

間接照準射撃が当たり前にになってからの時代の対砲兵戦は、よっぽど好立地な観測地点を占領できてもいない限り基本的に航空機による観測(気球など含む)

世界でも初期の気球や軍用機を運用していたのはもっぱら砲兵隊で、その航空機にかける情熱を見ると、如何に当時の砲兵隊が遠距離観測手段を欲していたか(そして制空権無しの陸戦がどれだけ不利になるか)がよく分かるよ。

無題
Name名無し 19/12/07(土)20:02:41 No.1292523
1575716561943
ノモンハン事件の最中に、優勢なソ連砲兵に対抗すべく内地から「虎の子」の2個野戦重砲兵連隊が動員されて投入されているんですけれども、その内の野戦重砲兵第7連隊所属だった天野俊介さんの手記によれば

「重砲が一斉射撃で大きな戦果をあげるためには、慎重な準備が必要である。重砲は敵に見えぬ凹地に砲をすえ、どこから撃っているのかわからぬようにしなければならない」

「それには陣地構築にも時間がかかる。だが射撃諸元を出すための標定は、なお困難で時間を要するもっとも重要な作業だ」

「大隊長、中隊長は観測班をひきつれ、できるだけ敵陣に近い高地をえらんで進出」

無題
Name名無し 19/12/07(土)20:03:29 No.1292524
1575716609599
「左右に補助観測を出し、三交会法、音源、火光などの測定で射撃諸元をもとめ、これを電話で戦砲隊に伝えて射撃させるのである」

「敵砲兵を一挙に撲滅するには、敵に知られることなく最適の場所に陣地をかまえ、なにも知らずに射撃をしている敵砲兵の数、位置、砲の種類などを確認し、これにたいし、こちらのどの砲で敵砲兵のどれを撃つ、という割当をする」

「そして、ひとたび射撃を開始すれば、短時間にできるだけ多くの弾丸を発射し、敵に応射のひまをあたえずに粉砕してしまうのが理想なのである」

…んですとか

無題
Name名無し 19/12/07(土)20:05:26 No.1292525
1575716726507
要は砲兵による対砲兵戦で何より重要なのは事前の隠密偵察による情報収集で、入念な準備の上で一気呵成にケリを付けることがベストであり、逆に相手側の砲兵潰しを避ける為に、とにかく隠蔽もしっかりしておかないといけない…というのが、当時の砲兵さん達のジョーシキであったようです

従って、どうしても射撃前の準備には時間がかかってしまうわけですが、

「敵砲兵にひどい目にあっている歩兵は、内地から重砲がきたと聞くや、『はやく撃ってくれ、はやく撃ってくれ』と矢のさいそくだ。重砲の射撃を知らないのだからむりもない」

…なんて、期待が大きいだけに急かされて大変だったみたいです…w

無題
Name名無し 19/12/07(土)22:12:36 No.1292536
>No.1292524
なるほど
基本は現代の榴弾砲と同じですか

現代では観測手段にレーザー測距やGPSを導入したり、射撃諸元の調整をFCSで自動化したり、指揮統制の効率化やデジタルデータリンクの導入によって、射撃手順はいくらか簡略化されています
とはいえ、やはり最後は観測班の目と耳による入念な偵察がものをいうのはいつの時代も変わらないようですね

無題
Name名無し 19/12/07(土)20:23:11 No.1292526
トラックで牽引できたのはどのクラスまでなんだろ
九〇式はできたのかな

無題
Name名無し 19/12/08(日)00:49:42 No.1292549
>九〇式はできたのかな
速射砲ですら装軌牽引車ですので・・
それより遥かに重い砲は自動貨車牽引しないのでは?

無題
Name名無し 19/12/08(日)02:08:35 No.1292551
高射砲を自動貨車で牽引してるのを見たから野砲もいけるんじゃないかと思ったんだよ

無題
Name名無し 19/12/07(土)21:06:10 No.1292530
日本陸軍の砲兵の問題

1.砲の数
例えば九一式10cm榴弾砲は機動化したサブタイプ合わせて生産数1200門
同じクラスの砲を他の国は1万門以上作ってます

2.砲弾の量
ノモンハンで用意された砲弾は
日本6万発に対しソ連40万発以上
砲兵団の内山少将は今回は歩兵の出番はないと豪語していたそうですが…

無題
Name名無し 19/12/07(土)21:19:33 No.1292531
>ノモンハンで用意された砲弾は
>日本6万発に対しソ連40万発以上
>砲兵団の内山少将は今回は歩兵の出番はないと豪語していたそうですが…
これって日本陸軍が第一次大戦での欧州の砲撃戦の洗礼受けてないゆえの甘すぎる見通しみたいな感じ?

無題
Name名無し 19/12/08(日)00:16:31 No.1292547
>これって日本陸軍が第一次大戦での欧州の砲撃戦の洗礼受けてないゆえの甘すぎる見通しみたいな感じ?
単純にソ連側の戦力を見誤ってたんじゃね?

無題
Name名無し 19/12/07(土)21:21:19 No.1292532
>砲の数
ジャングルの中だとたくさん砲があってもしょうがないってのもあると思うの

無題
Name名無し 19/12/07(土)22:36:07 No.1292539
> ジャングルの中だとたくさん砲があってもしょうがないってのもあると思うの

砲などなくても銃剣突撃さえあれば皇軍が勝てるはずだったガダルカナル

無題
Name名無し 19/12/07(土)21:50:14 No.1292535
> ジャングル

日本陸軍が満州で世界一の砲兵大国ソ連と戦うことを想定して軍備を整備してきたはずですが

無題
Name名無し 19/12/07(土)22:28:48 No.1292538
日本軍が太平洋戦争でまともな砲兵戦やったのって
香港攻略戦、シンガポール攻略戦、フィリピン攻略戦、沖縄戦の4つぐらいでない?

無題
Name名無し 19/12/08(日)05:57:29 No.1292557
1575752249721
>日本軍が太平洋戦争でまともな砲兵戦やったのって


沖縄戦で中将を砲撃で仕留めたのは
偶然じゃなく狙ってやったみたいね

左のポーズが変な、お茶目さんのようだが
生前どんな人だったか情報がない

無題
Name名無し 19/12/08(日)00:25:08 No.1292548
https://cgi.2chan.net/f/src/1575732308209.jpg
ガ島への艦砲射撃も三角測量のために潜入部隊を予め送り込んでましたな
見当違いの場所に投射しないためにはやはり観測班が欠かせない

無題
Name名無し 19/12/08(日)15:45:42 No.1292588
1575787542129
ノモンハン事件で内地から増強されたヤジュー2個連隊は、現地で野戦重砲兵第3旅団に編合されて、「攻撃第1日に全砲兵をもって一挙にソ軍の砲兵を撲滅」する計画の元、1939年7月23日、遂にソ連軍陣地砲撃を開始しているそうなんですが、ヤジュー第3旅団長だった畑勇三郎さんの手記に依りますと

「6時30分、敵砲火を誘致してその位置を確認する目的で、まず我が野砲分隊の射撃を開始するや、敵砲兵は挙げて盛んに応戦発火した」

「敵砲兵の発火により、予定目標の現状を十分に確認掌握して、同7時30分から全砲兵一斉に対砲兵戦を開始(略)敵砲兵を圧倒し、沈黙するを散見」

…したんだそうで

無題
Name名無し 19/12/08(日)15:47:15 No.1292589
1575787635772
敵砲の発射の閃光が、目標測定の大きな手掛かりであったということのようなんですが、この砲撃の成果について畑少将は、後に砲兵情報連隊の分析を元に、

「完全破壊を確認した敵砲数は24門、他に損傷させたもの20余門(略)3日間で敵砲兵戦力を半減せしめた」

…とされているものの、実際の戦闘の経過をみてみると、23日、2時間余りの砲兵団の支援射撃の後、ソ蒙軍陣地へ前進を開始した日本軍の3個歩兵連隊は、依然衰えぬソ軍砲撃の前に停滞を余儀なくされており、翌24日にも砲撃は行われたものの、歩兵第23師団師団長の小松原道太郎中将はその陣中日誌に、ソ軍砲兵の応射は「依然猛威を奮い、火力さらに衰えず」と記されているそうです

実際の所、発砲閃光の観測だけでは位置特定は不十分で、更にソ軍砲兵が視界外に陣地転換した後は、その位置を掴めなかったのが敵砲兵撃滅の不徹底の一因であったようなんですが、ソ連側評価は一段と辛辣で、司令官ジューコフ=サンによれば

無題
Name名無し 19/12/08(日)15:48:41 No.1292590
1575787721508
「7月23日には敵(※日本)砲兵はわが重砲の破砕を狙って約1万発と推定される大量の砲弾を撃ち込んだが(略)15~20kmに広くばらまかれ、多くは空き地に落下した。われわれの砲兵陣地を標定できなかったためか、1日かかっても敵は1個砲兵中隊も制圧できず、歩兵にも損害はほとんどなかった」

…とのこと
また、砲撃3日目の7月25日には、観測気球による偵察も実施されているんですが、高度800mで観測中にソ連戦闘機の襲撃を受け炎上墜落、2名の戦死者を出しているんですとか
ともあれ、3日間の「猛砲撃」も、成果を挙げ得なかったと知った小松原中将などは

「砲兵の効果予想に反せり(略)遺憾千万なり(略)何故、砲兵の助力等少しも期待せずして攻撃続行せざりしやを悔やむ。我過てり」

…と、26日の陣中日誌に、強い失望の意を残されているんだそうで…

無題
Name名無し 19/12/08(日)17:23:21 No.1292597
https://cgi.2chan.net/f/src/1575793401783.jpg
発砲炎が見えるんなら位置掴める筈なんだが
観測地点同士の散開が不十分だったりしたんだろうか

無題
Name名無し 19/12/08(日)20:41:52 No.1292605
撃たせて位置を見た、ってことだから予想外の場所とかもあったんじゃないかな

無題
Name名無し 19/12/08(日)22:27:12 No.1292613
ノモンハンの件って確か市川(国府台?)の砲兵隊がほぼ壊滅しちゃったやつですよね?

無題
Name名無し 19/12/08(日)22:46:16 No.1292615
https://cgi.2chan.net/f/src/1575812776379.jpg
ノモンハン事件に関しては、そもそもソ連軍側陣地が日本軍側より高いという
とんでもないハンデを抱えていたから、観測所の精度と数(観測所が少ないと、当然そこに敵の砲撃や妨害が集中しかねない)の時点でソ連軍有利なんやよね・・・。

無題
Name名無し 19/12/08(日)23:16:50 No.1292620
> 敵砲兵を圧倒し、沈黙するを散見

そのほとんどは陣地変換に伴う一時的な砲撃停止に過ぎませんでした

このように砲撃戦で圧倒されるという状況は太平洋戦争後半のアメリカ軍との戦いでも繰り返されることになります

よく聞くのが「こちらが1発撃つと向こうが10発撃ってくる」って奴ですね

無題
Name名無し 19/12/09(月)02:29:43 No.1292633
1575826183569
ノモンハンでは、ソ連砲兵主力が陣取っている地帯が日本側より高地で、地上から観測しにくいという、地の利を得られた状況だったというのの他にも、事件終結から半年後大本営研究班で戦訓調査に当った小沼治夫中佐のメモによれば、当時の日本側砲兵の主だった弱味として

・(※目標までの)距離遠し(1万以上)
・我低敵高観測困難、飛行機偵察、気球落とさる
・砲兵将校能力劣る。射向1キロひろがり(砲弾が)集まらぬ小隊あり
・敵砲兵、予備陣地や掩砲所にかくれる。牽引車にて後ろへさがる

…などが挙げられているんだそうで
観測困難の上に、技量的な問題もあったことが示唆されているんですが、実際先述の畑少将も、増強されたヤジュー2個連隊は装備的には優秀でも

「実戦の体験者が皆無に近く、訓練も精到と称するには程遠い実情」

無題
Name名無し 19/12/09(月)02:33:20 No.1292634
1575826400398
…であった、と書き残されているそうです

因みに7月23日時点での、連隊砲以下を除く日本側主要火砲の総数は、ヤジュー第1連隊の96式15センチ榴弾砲16門、同7連隊の92式10センチ加農砲16門、独立野砲第1連隊の90式野砲8門などを含み82門
この他に歩兵部隊の連隊砲(41式75ミリ山砲)が16門、大隊砲24門(定数)

対するソ連側の砲兵力を、日本側では航空偵察により15センチ級榴弾砲12門、15センチ級加農砲12門、12センチ級榴弾砲16門を主力に、90~100門程度と推定していたのに対して、実際の所はソ連側記録によれば第82・第175・第185砲兵連隊などに配備されていた合計は152ミリ加農砲が12門、152ミリ榴弾砲12門、122ミリ榴弾砲52門、76ミリ野砲が32門で計108門(他に連隊砲60~70門)だったそうです

全体の総数に関してはほぼ正しい推定だったものの、口径10センチ以上の重砲数で比較すると、日本の38門に対しソ連側が76門であった、ということみたいですねえ

無題
Name名無し 19/12/09(月)02:34:09 No.1292635
1575826449458
従って、もともと砲戦初回の奇襲砲撃で大きな戦果を挙げられず、ソ軍砲兵と「真っ向勝負」になったら、砲の威力的にも地形的な条件からも、日本側には不利な戦いになるのが必至の情勢であったんだそうで

また、射撃修正用の着弾観測については、気球だけでなく飛行第15戦隊の98式直協機なども協力しているんですが、内地から到着したばかりのヤジュー連隊等と事前の共同訓練もないままの連携は必ずしもうまく行かなかったようで、ある重砲中隊の射撃観測を試みていたものの、あまりに弾着が揃わないのに業を煮やした直協上の観測将校さんが「そんなヘタな射撃やめてしまえ」と無線でどなりつけて帰ってしまった、なんてエピソードもあったそうです

ともあれ、初日の2時間ばかりの砲撃で「一挙にソ軍の砲兵を撲滅」しようという目論み自体が甘かったみたいなんですが、色々な意味でまだまだ経験不足だった、というお話なんですかしら…

無題
Name名無し 19/12/09(月)11:33:03 No.1292651
まともな重砲部隊持った相手とやり合った経験は乏しかったろうしな・・・
中国軍相手と同じ感覚でいっちゃったのかも

無題
Name名無し 19/12/09(月)12:21:48 No.1292655
砲迫の命中精度はそのまんま実弾射撃訓練の頻度だから当時の日本の懐事情じゃまあお察しだな
陣地変換・転換を撤収と見誤るのもそういう訓練やってなかっんだろう

無題
Name名無し 19/12/09(月)12:46:38 No.1292659
それはそうと申し訳ないが野戦重砲兵をホモの集団かのように表記するのはNG

無題
Name名無し 19/12/09(月)13:52:28 No.1292662
観測点と砲兵の座標の連絡手段と即時性が重要なんですがどうやってたんでしょう?
20世紀初頭なら有線電話、中盤に入ると無線があったでしょうが。

無題
Name名無し 19/12/09(月)17:49:08 No.1292677
>観測点と砲兵の座標の連絡手段と即時性が重要なんですがどうやってたんでしょう?
紙に書いて伝令が持っていくんですヨ
若しくはメガホンとか使って大声で怒鳴るんです

無題
Name名無し 19/12/09(月)13:53:48 No.1292663
砲兵同士の間も離れていると思うのでその間の連絡手段もです。

無題
Name名無し 19/12/09(月)15:23:49 No.1292669
>ノモンハン事件
戦車部隊が無茶な渡河した気持ちも分からんではないが・・まあ不利だよね
こういう経験から反斜面陣地からの砲撃が発達したと

無題
Name名無し 19/12/09(月)16:49:40 No.1292673
1575877780422
アボン

無題
Name名無し 19/12/09(月)16:50:29 No.1292674
1575877829078
もうめちゃめちゃ
砲同士で撃ち合いに負けるとこうなるのね

無題
Name名無し 19/12/09(月)16:50:50 No.1292675
1575877850388
牽引車も

無題
Name名無し 19/12/09(月)18:12:00 No.1292679
なんで野戦重砲兵はいつも半裸なんだ...
やっぱりホ

無題
Name名無し 19/12/09(月)19:38:07 No.1292683
1575887887218
先述の野ジュウ第7連隊の天野俊介さんの手記には、戦友さん達から聞き取ったノモンハンでの同連隊のエピソードが幾つも収録されておりまして、当時の同部隊の戦いぶりが良く伝わってくるんですが、例えば

「野重7第3中隊の第1分隊は、1日で700発もの弾丸を撃ち、砲身は手も触れられぬほど焼けてしまった。そして弾丸を装填したとき射撃中止の命令が出たため、この弾丸の処置を問い合わせている間に熱で自然発火し、閉鎖器を破って後方に爆発したため、分隊長以下4名戦死という、砲列最初の犠牲を出している」

「砲兵の射撃は第1分隊が基準になる。第1分隊は1番狂いのすくない砲に、分隊長以下もっとも優秀な砲手をそろえて編成してあり、中隊長はまず第1分隊に試射を命じ、命中弾が出ると4門そろって一斉に射撃をするのである」

「砲手は暑いため鉄帽も装具もかなぐりすて、上半身裸で(略)射撃を続けた」

無題
Name名無し 19/12/09(月)19:39:39 No.1292684
1575887979493
「日本軍砲兵にとって、不利な点が数多くあった。第一は、さきの第一次世界大戦でソ連は対砲兵戦を経験しているのに、日本軍はその経験がなかったこと。つぎに地形だが、ソ連軍が陣地占領しているハルハ河左岸は、右岸より十数メートルも高く、つねに敵に制瞰されて戦わなければならなかったこと」

「またこの戦場は、ソ連軍にとっては演習場のようななれた土地で、すでに標定ができているため、初弾から精度のよい弾が飛んでくる。これにたいし日本ははじめての戦場で、それに十加(※野重7の装備砲)の場合、最大射程が1万8千メートルもあるのに、国内の射場はせまく、5・6千メートルでしか撃ったことがなかった」

「強い装薬ではじめて長距離を撃つとなると、いろいろな問題が起る」

無題
Name名無し 19/12/09(月)19:40:54 No.1292685
1575888054423
「まず第一に、八の字に開く砲の脚が、強い衝撃で折れてしまう事故が続出した。つぎには強い装薬で、熱で薬筒が砲腔内に焼きつき、わが第4中隊の第1分隊長が、これをとりのぞくため戦死するということも起こった」

「また広漠たる砂漠のため、自分の砲の位置を確認し、方向の基準になる照準点がなくて苦労したり、その他日本軍に未経験の出来事がつぎつぎに起こったのである」

…んですとか

野重第7最初の戦死者含め、敵の攻撃の他に事故による人員機材の損失がバカにならなかったとか、演習で未経験の長距離射撃で不具合を来たしたとか、イロイロ興味深いトコロなんですけれども、当時最前線で、文字通り生死に関わる未経験の各種トラブル対処に追われた、将兵さん達の苦労が偲ばれますですねえ…

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:10:35 No.1292689
>弾丸の処置を問い合わせている間に熱で自然発火し、閉鎖器を破って後方に爆発したため、分隊長以下4名戦死という、砲列最初の犠牲を出している」
上にある砲身途中で破けてる野砲もそんな感じだったのかな

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:09:51 No.1292688
こんな有様でどうやって太平洋戦争の序盤そこそこやれたのだ?
それとも貴重な戦訓を活かしてやり方変えたからうまくいったのかな?
中盤以降は数の差で無意味になるけど

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:11:13 No.1292690
1575889873865
重砲かなりソ連に取られてる
もったいない

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:11:27 No.1292691
1575889887291

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:11:54 No.1292692
1575889914633
最新兵器なのに

無題
Name名無し 19/12/09(月)21:23:39 No.1292697
>広漠たる砂漠のため、自分の砲の位置を確認し、方向の基準になる照準点がなくて苦労

こんな有様でソ連と戦う気だったのか
強装薬も撃ったことないしどうする気だったんだろう

無題
Name名無し 19/12/10(火)07:59:42 No.1292719
>まず第一に、八の字に開く砲の脚が、強い衝撃で折れてしまう事故が続出した。
戦時急造でもない制式採用兵器でこれだと試験中でも炙り出せなかった一種の欠陥なのでは……?

無題
Name名無し 19/12/11(水)22:36:07 No.1292918
> 国内の射場はせまく、5・6千メートルでしか撃ったことがなかった

それでどうやって最大射程が1万8千メートルって出したんでしょうか?

まさか机上の計算?

無題
Name名無し 19/12/09(月)22:00:53 No.1292701
https://cgi.2chan.net/f/src/1575896453162.jpg
えっこんなに発砲炎あがるのってな
やっぱり訓練環境は大事だしそれを用意できるのも国力のうちだな

無題
Name名無し 19/12/09(月)20:53:37 No.1292696
陸自がアメリカの演習場に機材を持ち込んで強い装薬で射つ訓練をしてるのはノモンハンの教訓でしょうか?

無題
Name名無し 19/12/11(水)09:41:22 No.1292839
>ノモンハンの教訓
まあ自衛隊が今後満州のだだっ広い草原で射撃する機会なんてなさそうだし・・・

・・・ないよ、ね・・・?

無題
Name名無し 19/12/11(水)10:02:54 No.1292842
今後の陸自の榴弾砲は、99式と19式に集約化される
両車ともに装填補助装置があるし、乗員室に装甲があるしで、仮にノモンハンの時のように装填中の弾丸が自然発火しても人的被害は最小限に抑えられそう

>No.1292696
単に演習場が狭いだけかと
ロケットや対艦ミサイルの類もアメリカで訓練してるし

無題
Name名無し 19/12/11(水)16:19:04 No.1292865
https://cgi.2chan.net/f/src/1576048744355.jpg
例えば演習場沖に立ち入り禁止区域を設けて海に目標のブイを浮かべて撃っちゃいかんのか?

無題
Name名無し 19/12/11(水)17:13:47 No.1292866
https://cgi.2chan.net/f/src/1576052027400.jpg
>例えば演習場沖に立ち入り禁止区域を設けて海に目標のブイを浮かべて撃っちゃいかんのか?
海自などやってるところはやってるけど
漁業権補償やら何やらで期間や区域などかなり制限はある

無題
Name名無し 19/12/11(水)21:44:09 No.1292911
>漁業権補償やら何やらで期間や区域などかなり制限はある
やっぱ国土が狭いってのは弱点だよなぁ
アメリカとの同盟が訓練面でも大いに日本にとって利益になってるのがよくわかる
ヨーロッパの国々なんかはどうなんだろう?

無題
Name名無し 19/12/11(水)19:03:15 No.1292890
1576058595477
命中精度が思うようにいかないとなると、せめて量を増やしてカバーしたいところなんですが、ノモンハンで砲兵団の畑司令部の高級将校だった岩田正孝さんによれば、砲兵戦開始前、新京の関東軍司令部に立ち寄った際、用意されている砲弾数は「予備を含め7基数」と聞かされ、

「へえ、それだけしかないのか」

…とがっかりした、なんて手記に記しておられるんだそうで
因みに実際最終的に7月23日の時点で前線に集積された弾数は、内地からの携行分と合わせ5基数ほどであったそうなんですが、これを各砲兵部隊ごとの使用可能弾数に換算すると

・野砲第13連隊 38式野砲(75ミリ)24門:1万2000発(1門当たり500発)
・野砲第13連隊 38式12糎榴弾砲12門:3600発(1門当たり300発)
・独立野砲第1連隊 90式野砲(75ミリ)8門:4000発(1門当たり500発)

無題
Name名無し 19/12/11(水)19:05:05 No.1292891
1576058705507
・野戦重砲第1連隊 96式15センチ榴弾砲16門:4000発(1門当たり250発)
・野戦重砲第7連隊 92式10センチ加農砲16門:4800発(1門当たり300発)
・穆棱重砲連隊 89式15センチ加農砲6門:900発(1門当たり150発)

…という内訳になるんですとか

合計すると2万9300発となりますが、実際には5基数を攻撃初日におおむね2基数、2・3日目にそれぞれ1.5基数と割り振っておりますので、初日が概ね1万2千発弱、以降は7200発足らずという計算で、「23日に約1万発の砲撃を受けた」という先述のジューコフ=サンの報告ともおおむね一致する勘定になりますですな

また事件全体での射耗弾数については、8月に入ってからの戦闘で砲兵団がほぼ壊滅した所為もあって、正確な記録に乏しいものの、事件後の日本側の戦訓調査書によれば概数で野戦重砲が1門当たり400発だそうですので、仮に各重砲連隊計の38門で計算すると1万5200発、野砲13連隊の12榴12門を加えた50門なら2万発という事に

無題
Name名無し 19/12/11(水)19:07:18 No.1292893
1576058838674
一方ソ連側報告書によれば、7・8月の152ミリ砲弾の射耗数が2万5392発、同122ミリ砲弾が8万9120発、107ミリ砲弾で1万9397発で総計が13万3909発となっています

単純に口径10センチ以上の重砲弾の射撃量で比べただけでも、ソ連側の射撃量は日本側の9倍もしくは7倍近いわけなんですが、一方で同口径の砲数で比較すると、日本側50門に対しソ連側は156門、約3倍の差であったそうです

要は最終的に1門当たりの撃った砲弾数で比較すると、日本側の砲兵(重砲)さんの400発に対し、ソ連側が858発、2倍ちょっとの差であったみたいですな

もっとも実際には更に既述のようなソ連側の戦術的優位と、全体の砲数の差が加味されたわけですから、これで当時日本砲兵さんが撃ち勝つのは、やはり相当厳しかったんじゃあないでしょうか…

無題
Name名無し 19/12/12(木)16:40:38 No.1293064
まず砲兵戦は制空権がないとまともにできないからな
そういう意味じゃフィリピンってレイテ取られた時点でルソンも勝ち目なくなるんだよね

無題
Name名無し 19/12/13(金)22:17:58 No.1293220
もうソ連に負けるのはしょうがない
シーパワーが基礎の外征陸軍が大陸国家のランドパワーに勝てるわけもない

無題
Name名無し 19/12/15(日)08:38:46 No.1293304
1576366726126
佐山二郎せンせいの本にも92式10加の脚折れについて記述が有るんですが、そちらでは

「これは92式10加の初速が900メートルと非常に大きいため、強弱2種の装薬のうち、遠距離用の1号装薬は平時の射撃では使用しないことになっていた。そのために訓練ではせいぜい5、6000メートルの射撃しか行なっておらず、しかも何十発も連続して撃ったことがなかったのだ。当然、平時に判明していなければならない構造上の欠陥がノモンハンで露呈されてしまった」

…とされています
若干、先述の野重7連隊の方の手記とニュアンスは異なるんですが、いずれにしても「実戦」での未経験の猛射が脚折れの原因、という点では共通しているようです

無題
Name名無し 19/12/15(日)08:42:39 No.1293305
1576366959112
因みに7月23日の攻勢初日、砲兵団の射撃効果が思うように上がらなかったと知った歩兵団長小松原師団長は、直ちに内山英太郎砲兵団長に砲兵陣地の前進を求めておりまして、自身も戦果の不振は味方野砲の射程不足に起因するとみていた内山砲兵団長は同意されたようなんですが、内山少将の部下でヤジュー3個連隊を指揮する畑少将などは

・現在の陣地から前進すると、敵に向かって降下する緩斜面に布陣することとなり、適切な布陣場所がない
・事前の情報収集で用意された射撃準備が無駄になる
・(前進頼りにすべき)射撃の場合空中観測の支援が、訓練未熟、または敵機の妨害等で期待できない

…として砲兵の前進に反対、両者の激論は23日の夜から24日の朝まで続いたそうんですが、最終的に15榴1個大隊と10加1個大隊の推進が決められた、とのこと

無題
Name名無し 19/12/15(日)08:45:32 No.1293306
1576367132904
夜半の内に陣地を前進した両大隊は、25日夜明けとともに試射を開始したものの、敵に面した推進陣地はやはり容易に発見されたようで、ほどなく猛烈な敵の対砲兵砲火を浴びて、両大隊とも第1分隊の砲を砲員さん諸共爆砕される苦戦、また先述のように、この日初めて射撃効果を高める為に上がった観測気球は、ソ軍戦闘機に撃墜されるなど、ほぼ畑少将の懸念が的中する形になってしまったようです
しかしながら小松原氏の陣中日誌によると、折角の必死の前進射撃の結果も
「寧ろ(※ソ連側)弾薬の豊富なる関係上、第3日(※25日)は敵の方優勢なる感を抱かしめらるる」
…ものであったそうで
小松原氏はこの攻勢頓挫の後、「砲兵に1会戦分の弾薬が必要」と関東軍上層部に養成しているんですが、これは先述の事前集積された砲弾5基数の4倍~5倍に相当する量なんですとか
砲が痛むからあまりムチャ射ちしないでね☆と釘を刺されている砲兵さんが、いざ実戦では開始前の想定の4倍は撃ってもらわないと!と要求されるとか、これはもう、不具合連発もしょうがないんでしょうけれど…

無題
Name名無し 19/12/16(月)12:09:08 No.1293356
実戦用の弾薬が足りないのに訓練用にたくさん使えるはずがないし、砲身だって消耗品だしね
まあ、それだからってあんまりケチるといざ本番で痛い目に合うんだけど・・・

無題
Name名無し 19/12/16(月)21:43:42 No.1293412
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言うが撃つ弾が無いと上手い下手も無いな

無題
Name名無し 19/12/17(火)07:38:26 No.1293427
今の倍以上だったはずの軍事費はどこに溶けて行ってたんでしょうね

無題
Name名無し 19/12/19(木)17:13:01 No.1293632
1576743181539
野重7連隊の観測手だった方の手記によると、苦戦の続いたノモンハンでもたまには

「8月初旬のことだが、ノロ高地の日本軍歩兵部隊が、野砲を持った有力な敵に包囲されたことがあった。救援の要請をうけた第4中隊は、大隊長の命令一下これを砲撃、初弾命中で敵歩兵や砲は吹き飛んでしまった。思わずあがる万歳の声、友軍歩兵もおどりあがらんばかりによろこんでいる」

「さっそく歩兵部隊より、『砲兵の協力感謝す』という無電が入る。事件中、私にとって、これほど愉快な出来事はなかった」

…なんてこともあったそうです

遠距離射撃では成果の確認も難しい場合が多いですけれど、それだけにこうして直に味方部隊からの感謝を受けられるような射撃は、まさに砲兵冥利に尽きる、といったところなんですかしら

無題
Name名無し 19/12/19(木)17:15:24 No.1293633
1576743324304
ただそうした正確な射撃の為に欠かせない眼となる観測手さんのオシゴトは、なかなか苦労が絶えなかったようで、

「渡辺第4中隊長の戦死は8月18日である。その日、戦場はわりあいに静かだった。敵の砲撃も散発的で(略)中隊長は火砲陣地を視察し、部下の労をねぎらって帰る。日暮れがせまって日本軍各陣地は西陽をいっぱいにうけ、1日の戦闘も終わるかに見えた」

「突然、第4中隊の観測所にたいし、敵の砲撃が集中し始めた(略)私は大隊本部観測所より、はらはらしながら猛射をあびる第4中隊観測所を見守っていた」

「近藤大隊長は、急いで電話器をとるなり『渡辺中隊長、はやく観測所をはなれろ!』と命令した。ところが、このときすでに、観測所は敵砲弾の直撃をうけてしまったのだ」

「伝令が走ってきた(略)『中隊長が戦死しました!』と報告した」

無題
Name名無し 19/12/19(木)17:16:20 No.1293634
1576743380959
「どうして、日没前に急に砲撃をうけることになったのか。これは日ソ両軍の陣地の位置関係で、東に陣をかまえる日本軍は、朝日をうけてよく見える西のソ連軍を主として午前中に砲撃し、西に陣をしくソ連軍は、午後になって夕陽をうける日本軍を砲撃してくることが多かったのである。そのため、日暮れになって砲撃されても不思議はないのだが、このときはもう夕暮れがせまり、今日の砲兵戦は終わりかと思われたときに急に撃たれたので、こちらの観測所の砲隊鏡かなにか、眼鏡類が反射したのではないかといううわさが流れた」

「1万5、6千メートル離れていても、何かが光れば敵観測隊は見逃さないだろう。1日中、眼鏡のぞきの私たちとておなじである。日ごろから注意はしていたが、西陽をうけるわが軍は、日没前がもっとも危険なのだ」

…とのことで、肉体的にも精神的にも常に危険と隣合わせで緊張を強いられる、なかなか大変な職場だったみたいですねえ

無題
Name名無し 19/12/20(金)12:15:57 No.1293714
相手の大砲全部潰すなんて大変だけれど、相手の「目」になる観測所を
潰せば実質的効果は同じだもんね

そりゃあ向こうも必死に撃ってくるわな

無題
Name名無し 19/12/20(金)15:23:10 No.1293728
ベトナム戦争のアメリカ軍偵察チームの戦記で、友軍砲兵の弾着修正をする話を読んだことがあるんですが、見事命中して大喜びしたのも束の間、無線を傍受してやってきた北ベトナム兵が捜索にきて逃げ出すのに苦労した…なんてことがあったようです

ノモンハン事変当時は無線傍受による逆探まではなかったんでしょうけれど、観測班が狙われるのは現代でもかわらないんでしょうね

無題
Name名無し 19/12/21(土)11:11:33 No.1293795
>無線を傍受してやってきた北ベトナム兵が捜索にきて逃げ出すのに苦労した…

ベトコンとか言ってゲリラみたいなのと戦っていたイメージだけど
実際にはもっと組織立った相手と戦っていたんだなぁ

無題
Name名無し 19/12/21(土)18:23:51 No.1293823
民兵と北ベトナム「正規軍」を同一に見るのは間違いだと思います
戦車隊すら持っていた訳ですから

無題
Name名無し 19/12/21(土)22:34:46 No.1293851
1576935286476
引続き手記を引用させて頂くと

「8月に入ると観測所も整備されて、丸太を組んだ掩体壕になった(略)飛行観測も行われるようになった。大隊本部と観測機に乗る観測係将校との間に、綿密な打ち合わせが行われ、第4中隊が射撃を担当した。観測機と観測所間は無線連絡で、『方向よし、百増せ1発!」という命令だ。そしてうまくいくと観測機から『よし、命中!』と報告がくるのである。あるときは観測中に敵機の襲撃をうけ、『敵機だ!退避!』と逃げる場面もあった」

…そうです

因みに先述のように、砲兵さんの支援に当る飛行部隊には、98直協および97司偵装備の飛行第15戦隊が有ったんですが、砲兵団長林少将の陣中日誌には8月2日、砲兵協力のため同戦隊から前進基地に移動した飛行中隊がソ軍戦闘機50機に奇襲され、「戦隊長安部克己大佐以下全機玉砕」なんて記されているんですとか

無題
Name名無し 19/12/21(土)22:36:05 No.1293852
1576935365119
D・ネディアルコフ=サンの「ノモンハン航空戦全史」から、該当日の描写を引用させて頂くと

「攻撃部隊は(略)19機のI-16戦闘機に掩護された23機のI-16戦闘機であった(略)上空からは、日本軍の航空機が、テントやパオの宿泊施設を中心にした大きな円形に駐機しているのが見えた」

「(※飛行第15)戦隊長の安部克己大佐は、戦術偵察機の98式直接協同偵察機でなんとか離陸した。安部大佐の奮闘と激しい応戦、そして後部の機銃手の集中力にも関わらず(略)ソ連軍戦闘機の編隊は地上の日本軍機を攻撃する前に、この単独で出撃してきた偵察機をいとも簡単に撃墜した」

「ソ連空軍の戦果としては、車両や補給物資とともに、12機の日本機を炎上させ、そのうち4機は離陸中にしとめたものであった」

Name名無し 19/12/21(土)22:37:12 No.1293853
1576935432062
…そうなんですが、この日戦死された戦隊長安部克己さんは熊本陸軍地方幼年学校・陸軍中央幼年学校を経て、1916年5月に陸軍士官学校を卒業後砲兵少尉に任官、その後も重砲兵連隊・教育総監部砲兵監部・陸軍野戦砲兵学校等で勤務された根っからの大砲屋さんだったのが、1937年に航空兵科に転科されたという経歴の持ち主でおられたんだそうで

ある意味、砲兵の射撃を空から支援する部隊の長としてはうってつけの人材であったとうことなのかもですが、それだけに安部氏含む貴重な人材と機材の大半を一挙に喪失したこの日の損害は、日本側にはかなり痛かったんじゃあないでしょうか

おそらく事後の日ソ砲兵さん同士の戦闘の推移にも少なからぬ影響を与えたという点では、この空襲も広義の意味で、「砲兵戦」に含まれるものになるんですかねえ

無題
Name名無し 19/12/22(日)14:26:33 No.1293915
空じゃ優勢だったノモンハンでもそういうことあったのね・・・

無題
Name名無し 19/12/22(日)18:29:25 No.1293932
火遊び感覚で始めた日本軍と違ってソ連は対独戦を前に米英に頼りないところ見せられないとしっかり戦った印象

無題
Name名無し 19/12/22(日)18:57:33 No.1293934
> 事後の日ソ砲兵さん同士の戦闘の推移にも少なからぬ影響を与えた

7月23日からの集中砲撃で日本軍砲兵は弾薬をほぼ使い果たしてしまっているので大きな影響はないかと

無題
Name名無し 19/12/22(日)20:12:53 No.1293936
1577013173230
>この日初めて射撃効果を高める為に上がった観測気球は、ソ軍戦闘機に撃墜されるなど、

気球部隊が壊滅してしまい目をつけたのがオートジャイロだったらしいね
それでも戦闘機相手に生き残れるか怪しいけど

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:21:45 No.1293943
1577020905752
7月の日本側反攻作戦が頓挫すると、暫く日ソ両軍が陣地に籠って対峙する時期が続くんですが、その間にも数度、敵砲兵ゲキメツを目指しての砲撃戦自体は行われて居たりするそうで、例えば7月23日にも撃ちまくった野重第1聯隊・第2中隊の分隊長だった榊原重勇さんの陣中日誌によると、8月5日には

「総攻撃の火蓋は先づ空襲によって切られた。54機の大空爆行、15加、10加も撃ち出した(略)何しろ尖鋭弾でなければ敵へ届かないので心細い」
「ソ連軍の火砲もナカナカ精度が良い。掩体の中へ弾片が一ぱい飛び込んで来る(略)火砲をよく見ると、昼間の戦闘で(略)弾片痕が一ぱい着いている。今日は3回命拾いをする」

…んですとか

ただ、記録によればこの日の使用弾数も各砲種1基数程度で、結局あまり効果は挙がらなかったようです

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:22:24 No.1293944
1577020944551
その後8月20日からソ連軍が大攻勢に出ると、守勢の日本側は苦肉の策として迂回攻勢よる逆包囲作戦を企図するんですが、後方防御の歩兵部隊がその為に抽出されガラ空きになった間隙を衝きソ連機甲部隊が浸透、本来後方部隊のはずの重砲兵部隊の至近に肉薄してくるようになったそうで、前述榊原氏の手記によれば、8月24日には

「昨夜弾丸が又277発到着する(略)午前中段列が放列陣地へ逃げて来た(略)炊事場のすぐ後方迄敵の戦車が来ているとのこと。青い顔をしてきた」
「前方から友軍砲兵がコチラを向いて砲撃してゐる。後方へ廻った敵戦車を撃っているのだ」
「午後から後方4000米の戦車に対し射撃開始。ノモンハン─将軍廟間の道路は完全に敵に遮断されて了った由」
「後方丘陵1200米の地点を(略)射撃していたが、間もなく目標は友軍であることが判り(略)射撃中止。夜露を被って弾丸の上に暫しまどろむ」

…と事態は緊迫

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:27:33 No.1293947
1577021253875
続いて25日には
「状況はいよいよ切迫する。火砲2門は前方を、2門は後方へ向けて射撃準備する」
「7時”前方凹地に戦車10台現る”の情報に接す。応急観測所も放列に出来た。大隊の観測所が前進した」

「15時頃より戦車来襲(略)15加部隊の火薬炎上する中を吾分隊は戦車に対して射撃敢行。間もなく吾分隊の薬筒にも命中、背中を焼かれていたたまれず、遂に交通壕へ一時退避させる。物凄い集中射だ。今弾雨の中で之を綴っている」

「暫くすると今度は15加級の大集中射を浴びる。息が苦しい。吸ったまま息を吐く間もない(略)吾火砲は左車輪に敵弾を受け(略)変り果てている。噫15榴今や声なし」

「夜を徹して陣地返還することになる。第3、第4分隊の火砲は仕方なく緊要部を解体破壊して土中深く埋め、本体は置いていくこととした。吾火砲の防盾に”露助奴、すぐ取返しに来るからな!!”と白墨で走り書く」

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:28:24 No.1293948
1577021304991
26日は戦後の氏の回想記からの引用になるんですが、

「全滅は勿論覚悟の上。まだ1発も撃たぬのに敵弾激しく(略)敵機が”日本軍完全包囲なる”のビラを撒く」
「田中軍曹の火砲故障、山崎(※=第2中隊)で残るは只俺の火砲のみ。対戦車射撃で100発近く撃つ(略)夜第1中隊の3門、吾放列陣地に来る。力強い」
「吾分隊の射線は東(※前線後方の意)へ向いている。各分隊毎に異った方向へ向け、戦車に歩兵に砲兵に、凡ゆる敵に対戦すべき態勢を整う」
「夕暮迫る頃、山崎大尉(※第2中隊長)始め(略)訣別の辞あり(略)戦闘間の労を謝し、『愈々明日午前中、おそくも明後日には全滅するであろうが(略)最後の散り際を美しく咲かせよう』

と訓辞。全員寂として声なし」

…となった、翌27日の陣中日誌は

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:28:59 No.1293949
1577021339256
「7時20分、敵戦車装甲車現わる。直ちに之に対して射撃開始。精度良好の様子」
「天候は、雨雲低く下り、敵機からの観測困難、之正に天祐なり」
「9時40分、通信新小隊長掩体へ重砲弾落下、俺の個室当番だった内田が戦死した(略)何とかはやくこの砲兵を制圧したい。内田仇をとるぞ。長い間御苦労様」
「10時40分、負傷」
「15時10分戦車襲撃、対戦(略)16時、いよいよ最後だ。2、30分の命だ。山崎大尉殿やられる」
「敵2、300メートルに近寄る。天皇陛下万歳」

…と記されて終わっているそうです

幸いというか、、砲弾を射ちつくし、照準器を破壊して、ソ軍兵と刺し違えるべく待機していた榊原さんらは、日没と共にソ軍が引き揚げたため生き残られているんですが、最初は直接見えざる敵砲兵相手に苦戦して、最後は至近距離での機甲部隊との直接戦闘で壊滅とか、いかにもノモンハンでの日本軍砲兵部隊の戦いを象徴するような経過だったみたいですねえ…

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:35:50 No.1293951
後方の重砲陣地を蹂躙するのは野戦部隊指揮官が一度はやってみたいことらしいので、夢がかなったことになりますね

無題
Name名無し 19/12/22(日)22:41:45 No.1293953
歩兵の敵砲兵に対する恨みってのは相当なもんなんですかね
コソコソしやがってツラ見せんかい!的な

無題
Name名無し 19/12/23(月)13:35:11 No.1293983
・味方の砲兵が敵を撃破→砲兵は戦場の神!ハレルヤ!!
・敵の砲兵が味方を撃破→ロクデナシ共!魔女のばあさんに呪われろ!!

無題
Name名無し 19/12/23(月)18:03:53 No.1293999
>・敵の砲兵が味方を撃破→ロクデナシ共!魔女のばあさんに呪われろ!!
たまに味方の砲弾が自分の頭の上に落ちてくることがあるから砲撃戦は恐い
引用元:https://cgi.2chan.net/f/res/1292461.htm

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