無題Name名無し19/11/28(木)14:32:17 No.1291616
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無題Name名無し 19/11/28(木)19:07:12 No.1291663
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無題Name名無し 19/11/28(木)19:30:42 No.1291667
無題Name名無し 19/11/28(木)20:30:19 No.1291675
無題Name名無し 19/11/28(木)21:10:22 No.1291677
無題Name名無し 19/11/28(木)21:11:13 No.1291678
無題Name名無し 19/11/28(木)21:12:53 No.1291680
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無題Name名無し 19/12/04(水)17:32:48 No.1292244
無題Name名無し 19/12/05(木)14:37:20 No.1292299
無題Name名無し 19/12/05(木)15:20:19 No.1292301
無題Name名無し 19/12/05(木)16:28:34 No.1292302
無題Name名無し 19/12/05(木)22:42:49 No.1292323
無題Name名無し 19/12/05(木)22:43:33 No.1292324
無題Name名無し 19/12/05(木)22:44:51 No.1292326
無題Name名無し 19/12/06(金)20:12:26 No.1292397
無題Name名無し 19/12/06(金)20:59:53 No.1292403
無題Name名無し 19/12/06(金)21:01:23 No.1292404
無題Name名無し 19/12/06(金)21:21:02 No.1292408
無題Name名無し 19/12/06(金)21:22:07 No.1292409
無題Name名無し 19/12/06(金)21:23:02 No.1292410
無題Name名無し 19/12/07(土)03:39:31 No.1292447
無題Name名無し 19/12/07(土)04:19:07 No.1292451
無題Name名無し 19/12/07(土)16:39:42 No.1292507
無題Name名無し 19/12/07(土)16:40:42 No.1292508
無題Name名無し 19/12/07(土)16:42:02 No.1292509
無題Name名無し 19/12/08(日)06:36:56 No.1292558
無題Name名無し 19/12/08(日)08:41:48 No.1292560
無題Name名無し 19/12/08(日)11:29:37 No.1292571
無題Name名無し 19/12/08(日)13:38:56 No.1292579
無題Name名無し 19/12/08(日)13:39:59 No.1292580
無題Name名無し 19/12/08(日)13:42:10 No.1292581
無題Name名無し 19/12/08(日)20:09:14 No.1292604
無題Name名無し 19/12/09(月)14:06:21 No.1292668
無題Name名無し 19/12/10(火)01:04:56 No.1292711
無題Name名無し 19/12/10(火)12:56:27 No.1292735
無題Name名無し 19/12/10(火)13:56:04 No.1292737
無題Name名無し 19/12/10(火)16:22:58 No.1292747
無題Name名無し 19/12/10(火)17:33:56 No.1292753
無題Name名無し 19/12/10(火)18:44:47 No.1292755
無題Name名無し 19/12/10(火)21:09:12 No.1292777
無題Name名無し 19/12/10(火)21:18:10 No.1292779
無題Name名無し 19/12/10(火)21:19:54 No.1292780
無題Name名無し 19/12/11(水)07:01:38 No.1292825
無題Name名無し 19/12/10(火)21:22:58 No.1292781
無題Name名無し 19/12/10(火)23:33:27 No.1292800
無題Name名無し 19/12/11(水)08:22:07 No.1292831
無題Name名無し 19/12/11(水)00:07:41 No.1292808
無題Name名無し 19/12/11(水)20:38:40 No.1292902
無題Name名無し 19/12/11(水)20:41:34 No.1292903
無題Name名無し 19/12/11(水)20:42:46 No.1292904
無題Name名無し 19/12/11(水)20:44:28 No.1292905
無題Name名無し 19/12/12(木)04:15:57 No.1292943
無題Name名無し 19/12/12(木)12:37:58 No.1292986
無題Name名無し 19/12/12(木)17:41:27 No.1293073
無題Name名無し 19/12/12(木)18:01:32 No.1293078
無題Name名無し 19/12/14(土)19:42:01 No.1293272
無題Name名無し 19/12/14(土)20:32:18 No.1293275
無題Name名無し 19/12/14(土)20:34:38 No.1293276
無題Name名無し 19/12/14(土)20:35:41 No.1293277
無題Name名無し 19/12/14(土)20:37:09 No.1293278
無題Name名無し 19/12/14(土)21:25:44 No.1293281
無題Name名無し 19/12/14(土)21:41:06 No.1293283
無題Name名無し 19/12/14(土)23:05:48 No.1293293
古今東西「名パイロット」スレ
画像は殿堂入りということで
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無題Name名無し 19/11/28(木)14:39:36 No.1291618
まずスレ主のイチ押しは西沢広義中尉
激戦のラバウル戦線で最後まで戦い抜いて、撃墜数120機以上という日本海軍というか日本軍最高のトップエース
その最期も戦闘機ではなく、便乗中の輸送機が撃墜されてのもので、ある意味生涯不敗だった大エースです!
…というわけで以下皆さんの好きな人物・エピソードでもなんでもどうぞ
無題Name名無し 19/11/28(木)19:07:12 No.1291663
ラバウルの貴公子笹井醇一
無題Name名無し 19/11/28(木)19:11:06 No.1291665
エースになったらとっとと帰国させられる米軍に不利なスレだな
無題Name名無し 19/11/28(木)19:30:42 No.1291667
そんな貴方にリチャード・ボング
撃墜数を争っていたマクガイヤが戦死し、米軍のトップエースに
大戦を生き延びたが、戦後訓練中に事故死
無題Name名無し 19/11/28(木)20:30:19 No.1291675
グレゴリー・"パピー"・ボイントン
海兵隊員ながらフライングタイガースに参加し開戦後米国に帰国し海兵隊に復帰を願いつつも無視された所にフォレスタル海軍次官に直訴して海兵隊に復帰したがさらに上層部からは嫌われた
復帰後ガダルカナル島に配属され軍からのはみ出し者ばかりで編成された第214海兵戦闘飛行隊ブラックシープを率いて大活躍する
ただ陸軍のTマクガイア達との撃墜数争いで無茶をしたため撃墜されて捕虜となり終戦まで生き残った
無題Name名無し 19/11/28(木)21:10:22 No.1291677
1944年10月25日、フィリピンのルソン島・エンガノ岬沖を進むIJN最後の空母機動部隊の旗艦「瑞鶴」艦上から、迫りくる米艦上機の大編隊を迎え撃つべく発進する戦闘機隊を見送った、戦闘機整備班長の渡辺義雄さんの証言が残されているんですが、曰く
「飛行隊長・小林保平大尉に率いられた迎撃戦闘機隊の発進です。私はこれが最後かと思いながら、操縦席の小林大尉の肩バンドを締め
『隊長、ぜひ帰って来て下さい。幸運を祈ります』
と話しかけました。隊長は
『よし、絶対帰って来る』
といって発艦して行きました。品行方正、勇敢な赤ら顔の分隊長で、上に厳しく、下の兵は良く可愛がって下さった上官でした」
…とのこと
無題Name名無し 19/11/28(木)21:11:13 No.1291678
この小林保平大尉、初陣は空母「翔鶴」に乗艦して参加した南太平洋海戦で、その後空母「飛鷹」飛行隊長などを務め、1944年6月のマリアナ沖海戦では、2航戦制空隊指揮官として敵戦闘機の攻撃から味方の艦爆隊を守り奮戦、遂に力尽きて負傷・不時着水されておられるんですが、その敢闘ぶりは艦爆隊の指揮官さんに
「小林大尉のような戦闘機隊指揮官に掩護してもらうなら、どんな警戒厳重な敵の上空にも突進していきます。彼に掩護して貰って、それで敵機にやられるなら思い残すことはありません」
…と激賞されているんだそうで
無題Name名無し 19/11/28(木)21:12:53 No.1291680
そしてかつての自分の母艦「翔鶴」「飛鷹」も沈んだマリアナ沖海戦から、辛うじて生還した後参加したエンガノ岬沖海戦では、「瑞鶴」他から発進して、迫りくる米機動部隊からの攻撃隊を迎え撃つ日本側直衛戦闘機は小林大尉他18機ほど、対する米側機数は延べ500機(内戦闘機200機以上)を超えたそうなんですが、文字通り最後の母艦戦闘機隊に恥じぬ精鋭ぞろいだけあり、9機ほどが激戦を切り抜けて、燃料切れで不時着水するまで小沢部隊上空を飛び続けていたそうです
小林大尉もその中の1機で、不時着水の後、駆逐艦「初月」に無事収容されているそうなんですが、惜しくも同夜、「初月」が米艦隊に捕捉・撃沈された為、艦と運命を共にされておられるんですとか
ワザマエと武運、そして人格を兼ね備えた戦闘機乗りだったものの、最期はそれらを発揮する余地がないまま、海上で果てられたのは惜しまれる所ですかも…
無題Name名無し 19/11/28(木)23:58:10 No.1291699
実際のところどれほどの人だったんですかねぇ
無題Name名無し 19/11/29(金)11:59:44 No.1291731
坂井氏の著書の検証本みたいなの読んだことがあるけれど、確かに記憶違いや間違いはあるけれど、実際の出来事と一致している部分も多かった記憶
ただ、有名なエース・トリオの敵地上空宙返りとかはちょっと真偽が怪しいみたい・・・
無題Name名無し 19/11/29(金)19:47:42 No.1291771
リチャード・プレイン・スチーブンス=サンというエゲレスの戦闘機乗りさんがいらっしゃいまして、14機ほどの撃墜戦果全てが夜間戦闘によるものという「夜戦エース」なんですけれども、ボーファイターやモスキートといった双発複座夜戦ではなく、単発単座の「ハリケーン」を操っての成果であったんだそうで
未だ地上からのレーダー誘導システムも不十分な中、機上邀撃レーダーも搭載されていない「ハリケーン」で、単身夜空で敵爆撃機を追う索敵行は単に困難なだけでなく、非常な危険を伴うもので、それだけにスチーブンス=サンの戦果は際立っているんですが、一説ではスチーブンス=サンが戦前民間の商業パイロットとして、400時間近い夜間飛行を重ねていた経験が、こうした活躍を支えてたのでは?とされているようです
無題Name名無し 19/11/29(金)19:48:37 No.1291772
ただ、当時の氏の同僚パイロットさん達の間では、スチーブンス=サンはこうした操縦のワザマエよりも、寧ろ何より並外れたドイツ軍機への闘志の持ち主として有名であったんだそうで、自身も「スピットファイア」のエースパイロットであった、J・E・ジョンソン=サンの手記によると
「彼が爆撃機を見つけるやり方は、味方の高射砲弾の炸裂のあとをたどってゆくという単純なものだった。対空砲火の最も激しいところをいつも行き来して、憎い敵を探し求めていた」
「およそ恐怖心というものがなく、あまりに敵に接近するため、その爆発の勢いで自分のハリケーンをひどく損傷したことも1度ならずあった」
「1度などは爆発させた敵機の乗員の肉片と血が彼の飛行機にこびりつき、それをわざと取り除かせなかったものだから、かれの個人的戦争の象徴はすべての人の目にふれた」
無題Name名無し 19/11/29(金)19:50:52 No.1291773
https://cgi.2chan.net/f/src/1575024652677.jpg
…なんて戦いぶりであったんですとか
こうした少し常軌を逸したとも見える程の独軍機への敵意について、ジョンソン=サンなどは、スチーブンス=サンが自身の妻子を独軍機の夜間空襲で失った故だ…としているんですが、実際には氏の妻と双子の子の一人は戦後まで存命で、長寿を全うしておられるんだそうで
(ただ戦中、幼い娘さんが家の火事で亡くなっており、それ以降氏の人柄が豹変した…なんて話もあるようです)
ともあれ、スチーブンス=サンは戦中、敵地上空への夜間掃討作戦中に戦死しているため、結局彼に自身の命すら顧みさせずに、常人には見え難い暗闇の中の敵機をその目に浮かび上がらせて、文字通り最期まで追わせた強い憎悪の源はなんだったのか、本当のトコロは分からずじまい、と言うことのようです…
無題Name名無し 19/11/30(土)00:13:53 No.1291802
クライヴ・コールドウェル
北アフリカ戦線でP-40Bを駆り連合国パイロットの中で最も撃墜数を稼いだ男
また脱出した敵パイロットに止めを刺す行為が問題に挙げられた事もあった
生国の豪州が日本軍の危機にさらされると呼び戻されてスピットファイアⅤC隊を率いて豪州に帰還しポートダーウインでの迎撃戦を指揮する
そしてスピットファイア隊が苦戦する中個人で日本機を地道に撃墜し一度後方へ下がる事となった
そしてスピットファイアMKⅧ隊を率いて対フィリピン戦に臨むも
マッカーサーによって豪州空軍が対戦闘機任務から外されモロタイ島から
南部の地上掃討任務に回されたため複数の飛行隊長クラスが上級司令部に抗議を行ったモロタイの反乱事件の首謀者の一人となる
だが酒の密売に関わっていた為それを理由に軍事裁判で降格処分を喰らった
最終的には28.5機撃墜のエースで軍歴を終えたがフィリピン攻略戦に参加できていればスコアも伸びていたかもしれない
無題Name名無し 19/11/30(土)14:16:55 No.1291838
ジョン・「キャッツアイ」・カニンガム大佐
イギリス空軍の夜缶戦闘機エース
モスキート夜戦で多くの戦果を挙げ、その秘訣を聞かれて
「(夜目に良い)ニンジンを一杯食べているからさ!」
と答えたエピソードが有名
実際は当時秘密兵器扱いだったレーダーの存在を誤魔化すためだったようですが、戦時中のイギリスでは「ニンジン好きのエース」のイメージだったんでしょうか…
無題Name名無し 19/11/30(土)19:21:22 No.1291851
スロバキア空軍の撃墜王 ヤン・レズナク曹長
大戦時スロバキア共和国はドイツの保護国でしたから
JG52のスロバキア人部隊所属でした。
32機撃墜でスロバキアのトップエースです。
戦後は体制に馴染めず空軍を辞めさせられ、航空関係の職に就くことも禁止されています。
不孝のまま2007年死去。
無題Name名無し 19/12/01(日)12:38:16 No.1291927
IJNの戦闘機搭乗員に、南義美さんという方がいらっしゃいまして、同僚だった田中國義さんによれば
「おとなしい人で、誰からも好かれるいい男」
…だったそうなんですが、支那事変の最中のこと、
「エンジンに被弾し、煙を吐きながら帰投中の南義美3空曹機にI16が近寄ってきて、パイロットが漢口の方を指して、戻れ、と。怒った南兵曹は急反転してこれに体当たり、片翼を失いながらも(略)不時着水し、砲艦に救助されて帰ってきました」
…なんてこともあったそうです
普段おだやかな人ほど、怒らせると怖いってやつでs(
無題Name名無し 19/12/01(日)12:39:37 No.1291928
その後南氏は主に母艦パイロットとして活躍、「大東亜戦争」では空母「翔鶴」「大鳳」などの所属搭乗員としてハワイ空襲、珊瑚海海戦などに参加しているんですけれども、マリアナ沖海戦では空戦から無事帰投した所で母艦「大鳳」が大爆発、負傷しつつも危うく生還されておられたりするそうです
また、この方もエンガノ岬沖海戦での小沢艦隊最後の直掩機隊のメンバーだったりするんですけれども、燃料切れで不時着水した所がたまたま沈没寸前の「瑞鶴」に、小沢長官らを迎えに出た軽巡「大淀」の短艇の近くで、
「早く長官を迎えに行け!」
…という、「大淀」本艦からの指示を「聞こえぬふり」してくれた短艇指揮官の配慮により、無事救助されているんですとか
「大淀」飛行科所属だった佐藤幸蔵さんの回想によると
無題Name名無し 19/12/01(日)12:41:36 No.1291929
「南少尉は『敵機4機を撃墜した』と語り、『大淀』の富原飛行長は『南少尉は日華事変当時からの優秀な戦闘機乗りだ』と話してくれました」
…とのことなんですが、当時折角空戦を生き残り、不時着水した中にも、風防が閉まり機と運命を共にされた方、「大淀」の舷側まで泳ぎついたところで力尽きた方、或は先述の小林大尉のように、救助後に米艦隊との戦闘で無くなられた方などが少なくなかったそうなんですが、南氏はその後無事内地に帰還されておられるそうです
もっとも、その後直ぐに今度は陸上戦闘機隊フィリピン戦線に再配備された南少尉は、海戦から1ヵ月後、特攻隊の直掩機に出たまま未帰還に
敵機への体当り、母艦の沈没、数十倍の敵機との交戦、不時着水…と幾度にも渡る危機を乗り越えてきた南大尉(2階級特進)も、ついに7年に渡る実戦記録の最期を、特攻機の盾になって迎えられた、ということのようで…
無題Name名無し 19/12/01(日)15:21:45 No.1291952
最初の神風特攻隊の直援機が西沢さんだったりするんだよね
そして自機を補充に差し出して輸送機で帰る途中・・・
無題Name名無し 19/12/01(日)20:57:57 No.1291993
加藤隊長
無題Name名無し 19/12/02(月)02:41:43 No.1292029
穴吹智曹長
「ビルマの桃太郎」の異名を取った日本陸軍戦闘機隊の名パイロットのひとり
一式戦、「疾風」、4式戦などを乗り継いで戦い、総撃墜数50機以上。
体当たりでB-24を撃墜するなど果敢なエピソードが有名な一方、愛機に奥さんに因む名前を付けるなど愛妻家の一面も。
戦後は航空自衛隊でヘリコプター・パイロットとなり、退役後は民間
航空会社に就職と、長く「飛行機屋」として生涯を過ごしたエースパイロットだったみたいです…
無題Name名無し 19/12/02(月)21:13:39 No.1292078
ドイツ空軍戦闘機パイロットだったゲオルク・ペーター・エダー=サンという方は、1940年9月に19歳で戦闘機乗りの道を歩み始めたものの、BOBでは戦果を挙げられず、1941年6月からの対ソ戦で、実戦デビュー10カ月目でようやくスコアを記録しておられるんだそうで
もっともその後10機まで記録を伸ばした所で、逆に撃墜され入院という憂き目に合われているんですが、退院後今度は西部戦線に配属されるとここで米英航空部隊、特に重爆相手の戦闘で頭角を現し、果敢な正面攻撃戦法で終戦までに4発重爆を少なくとも36機屠っているそうです
そんな連合軍機キラーのエダー=サンですが、一方では当の相手の連合軍相手に「ラッキー13」と呼ばれ、親しまれていたなんて話も有るんですとか
無題Name名無し 19/12/02(月)21:15:04 No.1292079
例えばポーランドからエゲレスに亡命して戦った戦闘機パイロットの、グラディッチ=サンの戦後の手記によると、彼が「スピットファイア」でリール上空で「機番13」のドイツ戦闘機と戦った際、ボロボロに被弾して戦闘不能に追い込まれてしまったものの、「13号機」はそんな彼の機にトドメを刺さず、翼を振って去って行ったそうです
更にその後もう一度、今度はP-47に搭乗して出撃したグラディッチ=サン、またもや「13号機」に敗北を喫して、今度は独軍基地に強制着陸するよう誘導されたそうなんですが、ここで氏は一計を案じ、わざと独軍対空陣地上空に飛び込むと、イチかバチかで猛烈な対空砲火に紛れて逃走を図って、無事脱出に成功したそうんですが、逆に「13号機」即ちエダー機はフレンドリ・ファイアを浴びて墜落、エダー=サンも数週間入院する羽目に陥ってしまっているんだそうで
無題Name名無し 19/12/02(月)21:17:06 No.1292080
ともあれ、連合軍パイロットの間ではいつしか「13号機」について、「相手があのパイロットだったから命が助かった!」という話が各地の基地で交わされるようになり、それにつれて単なる「13号機」から、「ラッキー13」とある種親しみの籠った呼び名に変わっていった、とのこと
因みにエダー=サンの多くの戦果の中で、変わったトコロでは撃墜した敵機が偶々命中した結果として、「M4シャーマン」戦車3両撃破、なんてスコアがあったりするんだそうで
ある意味、いかにも「ラッキー13」の呼び名に相応しい戦果と言えるのかもしれませんけれど、東部・西部両戦線で終戦間際まで奮闘したエダー=サンは、自身も17回は撃墜され、落下傘降下経験9回以上、少なくとも1回は敵機に体当たりし、負傷は13回、最後は入院中に連合軍の捕虜になっておられます
それでもとにかく最後まで生き延びられた事こそ、最大の「ラッキー」だったのかも知れないですねえ
無題Name名無し 19/12/02(月)23:19:04 No.1292084
黄色の13とオメガ11を兼ねてそうなPですな
無題Name名無し 19/12/03(火)19:23:33 No.1292136
若い頃のゲーリング。第一次大戦の時はエースパイロットだったとか
無題Name名無し 19/12/03(火)20:37:19 No.1292141
ジョージ・F・バーリング
生粋の変人で民間の飛行免許を習得後中華民国空軍に参加をもくろみ渡中するが
不法移民で捕まりカナダへ強制送還される
そして第二次大戦場勃発するとカナダ空軍に入隊しようとするが
学歴の問題で入隊できず英国空軍に入隊する為危険な大西洋を渡るが
入隊する為に必要な出生証明書を忘れた為再度大西洋を往復するおちゃめな行動をした
そして英軍に入隊後スピットファイアーの部隊に配属されるもバーリングの変人ぶりが発揮され始めた
編隊飛行中敵機を発見すると勝手に編隊を離れて敵機に単騎突入し偏差射撃で仕留めるというバーリングの空戦スタイルが形作られてゆく
だが軍規を乱す行動や粗暴で悪態をつく性格から飛行隊で孤立し
僚友の海外派遣を見て自分も応募し行き先を知らされぬまま運命のマルタ島へと派遣された
無題Name名無し 19/12/03(火)20:55:08 No.1292146
マルタ島に配属されるとそこは激戦地で絶えずドイツやイタリア空軍に爆撃されるため戦闘機乗りは消耗品となり迎撃戦に参加していた
そして欧州の様な規則に縛られない戦場で有ったので
僚機を無視して単機で敵編隊に突撃し偏差射撃で敵編隊をかき回す戦法で暴れまくり
撃墜確認がガンカメラ頼りであるが射撃ポイントをすべて把握しており
引き上げた敵機の残骸を見てこんなところを射撃していないと自身の撃墜ではないと
自身の戦果に組み込むのを拒むところが又もや変人ぶりを発揮した
そして地上でも変人ぶりを発揮するが同郷のジャンパラディスとは馬が合い
心をゆるす相手が出来るが彼が戦死すると変人ぶりに磨きがかかり孤立した
そして
スコアを30機まで稼ぐが乱戦に持ち込むスタイルの弊害で
自機に激しく被弾するという物がありとうとう被弾し被弾着水し
自身も負傷し英国本土へ送還される事となった
無題Name名無し 19/12/03(火)21:13:30 No.1292149
https://cgi.2chan.net/f/src/1575375210107.jpg
そしてB-24に乗ってジブラルタルへと飛行中ドイツ軍に襲撃され撃墜されるも母親から渡された聖書のお蔭で腹に命中した弾を防いだという話もあるが
たった三人だけの生存者の一人となる
そして英軍からカナダ軍へと移籍し欧州戦に参加するが
マルタ島のスタイルを貫いたため欧州での撃墜数は1機のまま
戦闘機隊から外される事になる
そして飛行場で勝手にタイガーモスを用いて曲芸飛行を行い軍法会議に掛けられて
他の部隊に放逐されるも問題を起こしまくってとうとう欧州勤務を外され
カナダ本国へ戻され国債購入キャンペーンお仕事に駆り出されるも
揉めて戦争がまだ続いてる1944年10月の名誉除隊処分にされてしまう
最終撃墜数31機
そしてバーリングは何とアメリカ陸軍航空隊に入隊しようと計り
色々工作をするも果たせずに終わった
そしてイスラエル建国にP-51のパイロットとして採用され参加しイタリアで輸送機のテスト飛行中墜落し焼死した
遺体はイスラエルに運ばれて軍人墓地に埋葬された
無題Name名無し 19/12/04(水)06:37:32 No.1292186
大戦後半は編隊空戦が主流になるから、「一匹狼」スタイルは腕がよくてもかえって全体としては戦力にマイナスなんだよね
一個前の大戦なら大エースになれたんだろうけれど・・・
無題Name名無し 19/12/04(水)22:48:03 No.1292269
https://cgi.2chan.net/f/src/1575467283652.jpg
>「一匹狼」スタイルは腕がよくてもかえって全体としては戦力にマイナスなんだよね
映画にもなった有名なこの方、同じような偏差射撃のプロだったが
本人はオフェンス他の機体はサポートの役で上手くやっていたようだ
撃墜した相手を助けたり人生がエスコンそのままな感じ
ロバート・タック、ジェームズ・デニス、ロビン・ペア
ダグラス・ゴールディング、アンドレ・ボウサ、ジェームズ・フランシス・エドワーズ
と多数のエースと交戦してるのも凄い
戦法は限りなく速度を落とし相手より小さく旋回すると言う単純に聞こえる物だが
失った運動エネルギーはどうしてたんだろうか?
よく狙ってる機以外から七面鳥撃ちにならないもんだ
無題Name名無し 19/12/04(水)17:28:51 No.1292242
https://cgi.2chan.net/f/src/1575448131747.jpg
戦前のIJA航空隊に、新型試作機の審査任務を担当していたパイロットの片岡載三郎さんという方がいらっしゃるんですが、立川の陸軍航空技術研究所で共に仕事をされた刈谷正意さんによると
「片岡氏は無類の競馬好きで(略)重要なテストでどうしても行けないと見るや、出発前に(略)親指を立てて合図する」
「95式3型練習機の飛行準備頼むとの意味だ。さて、試験終了するや否や、『オー刈谷、行こう!』と急き立てて府中競馬空中観戦ときめこむのだった」
「迷惑なのは競馬場。レース途中に20~50メートルの低空を小型機にバンバン搔き回されては、馬も驚いて思わぬ大穴で喜んだ競馬ファンもいたに違いない」
…なんてエピソードを持つ、なかなか豪快な方であったそうです
無題Name名無し 19/12/04(水)17:31:13 No.1292243
片岡氏はその後川崎航空機のテストパイロットに転出、キ60試作重戦を皮切りに、おもにキ61(=3式戦「飛燕」)、「研3」高速実験機などの試験で重要な役割を果されておられるんですが、時には厳しい面を見せることもあり、テストパイロットとしての採用試験を担当して貰った水口国彦さんによると、試験の最終段階、つい勇んで指示に無い派手な(危険な)飛行をしてしまったところが、降りたところでいきなりビンタが飛んできた上、「馬鹿野郎、うぬぼれるな。貴様のような奴はクビだ!」
…と一喝されたんですとか
その後水口氏、憧れのテストパイロットの夢破れたり…と、事務室で夕方まで
しょげ返っていたそうなんですが、やがて帰りかけた氏の肩を叩いて
「今夜は俺についてこい」
…と声をかけてきたのが、一日の業務を終えた片岡氏であったんだそうで
無題Name名無し 19/12/04(水)17:32:48 No.1292244
そして片岡氏に連れて行かれた小料理屋さんで、
「飲み比べだ。俺に勝ったら採用してやる」
…と持ち掛けられたそうなんですが、幾度か酒杯をやり取りした後、何故か酒豪の筈の片岡氏があっさり投了して
「俺の負けだ。本日をもって川崎の操縦士として採用する」
という話になったそうです…w
その後、戦争の激化とともに、川崎航空では自前の「3式戦」による民間防空戦闘機隊を設立、テストパイロット組が「実戦」投入されているんですが、ここでも片岡氏は「民間人」パイロットとしてB-29を3機撃破するなど腕利きぶりを発揮しているものの、惜しくも1945年1月19日、3式戦Ⅱ型の試験飛行中の事故で殉職されておられるんですとか
是非戦後まで生き残って、平和な時代にまたお馬さん観戦を楽しんで欲しかったですねえ…
無題Name名無し 19/12/05(木)14:37:20 No.1292299
ダグラス・バーダー大尉
イギリス空軍の戦闘機パイロット
事故で両足を失うも、義足を付けてパイロットに復帰
大戦中撃墜されて捕虜になるまでに、不確実含めて30機以上を撃墜破しています
また、ドイツ軍の捕虜になっている間に親しくなったのがドイツ空軍側のエースパイロット・名戦闘機隊指揮官として高名なアドルフ・ガーランド中将で、メッサーシュミット戦闘機のコクピットに乗せてもらうなど交流を深めていたそうなんですが、試しに飛ばさせてくれないか?という申し出は流石に断られたそう…
無題Name名無し 19/12/05(木)15:20:19 No.1292301
>試しに飛ばさせてくれないか
逃げる気満々やん!
これが英国人の罠ってやつか・・・
無題Name名無し 19/12/05(木)16:28:34 No.1292302
ウェルナー・メルダース大佐
ドイツ空軍初の100機撃墜を成し遂げ、初めてダイヤモンド剣付柏葉騎士十字章を受章した第二次大戦初期のトップエース
戦闘機パイロットとしても優秀だったが、指揮官としての才能に恵まれ、また沈着冷静、人間性豊かな性格で部下から絶大な信望を集め、「オヤジ」のニックネームを付けられた
父親の愛称であるドイツ語の「VATI」は「ファティ」と発音するので、連合軍パイロットはメルダースを肥った男だと思っていたという逸話がある
国民的英雄となった彼の死による国民の士気の低下を恐れたヒトラーから前線への出動を禁じられるが、運命の皮肉か移動中に搭乗していた輸送機が墜落し死去
総撃墜数は115機だった
無題Name名無し 19/12/05(木)22:42:49 No.1292323
https://cgi.2chan.net/f/src/1575553369022.jpg
ドミニク・サルヴァトーレ「ドン」ジェンタイル アメリカ陸軍少佐
ジュンタイルは戦闘機パイロットを志すが当時のアメリカ陸軍航空隊の
パイロットの入隊条件が大学に二年在籍していなければいけないという事がある為
まずカナダ空軍に入隊しそこからイギリス空軍に派遣されアメリカ人義勇飛行隊
イーグルスコードロンに配属された
そこでスピットファイアーMK-5Bを駆りJu-88とFw-190を撃墜しスコアを重ね始めてゆく
そして1942年9月にイーグルスコードロンのアメリカ人パイロットがアメリカ陸軍航空隊に編入されアメリカ陸軍に入隊経験のないパイロットも英国空軍時代の階級のまま編入されたためジェンタイルも高卒の士官として編入された
無題Name名無し 19/12/05(木)22:43:33 No.1292324
そして編入された当初はスピットファイアーをそのまま使用したが
ジェンタイルは1943年9月に飛行指揮官になり機体をP-47サンダーボルトに改編させられます
スピットファイアのパイロットであったジェンタイルとその他のパイロットは
重いP-47に移行したときに不快になり不満をぶちまけて司令官のドン・ブレイクスリー大佐は
より軽くより機動性のあるP-51ムスタングの再装備を求めまP-51Bへの機種改編を進めます
その時の機体が有名なシャングリラ号でプラモデルのボックスアートに良く用いられています
そして快進撃が始まりP-51Bで15.5機戦果をあげ第一次世界大戦のエース
リッケンバーガーの撃墜記録26機を追い抜くとすぐさま後方に下げられ
アメリカ本土での戦争債の販売ツアーの看板役をやらされ戦争を終えます
無題Name名無し 19/12/05(木)22:44:51 No.1292326
そして面白いのは高卒将校では銃後の軍隊では不味いので
空軍に移籍後戦後ライトフィールドでのテストパイロットとして
ファイターガンナリープログラムの訓練士官としてそして空軍戦術学校の学生将校として過ごした 1949年にはメリーランド大学で軍事科学を学ぶ学部生として入学し学歴を付けるが
1951年にT-33Aで墜落事故を起こし死亡してしまった
無題Name名無し 19/12/06(金)20:12:26 No.1292397
アドルフ・ガーランド
最終階級は確か空軍中将。戦前はスペイン内戦に参加したり戦後もアルゼンチン軍顧問とか華々しい経歴
無題Name名無し 19/12/06(金)20:59:53 No.1292403
「空軍大戦略」ではアドバイザーとして参加しておられましたねガーランドさん
イギリス映画なのに憎き侵略者であるはずのドイツパイロットが妙に魅力的に描かれてた
無題Name名無し 19/12/06(金)21:01:23 No.1292404
第二次大戦ではないが朝鮮戦争でエースになった人も訓練中に事故死してるし
そんなに激しい訓練やってるんかアメリカ
無題Name名無し 19/12/06(金)21:21:02 No.1292408
通算撃墜数275機という独軍エースパイロットのギュンター・ラル=サンが、自身の射撃のワザマエについて語られておられますところによると、
「私は射撃について整理された理論や手法を持っている訳ではない。技術の上達には理論と感覚の両面があり、射撃の場合には感覚の面がはるかに重要なのだ。私は5年半にわたって前線で戦った。これだけの期間があれば、どの方向にどれだけ偏角を見込んでおけばよいか感覚をつかめるはずだ」
「激しい格闘戦の中で、私が必ず敵機の真後ろに回り込めるとは限らない。真後ろにつくことだけ考えてマゴマゴしていると、別の敵機に狙われて逆に討ち取られかねない」
無題Name名無し 19/12/06(金)21:22:07 No.1292409
「そんな時には私は機首上げ気味の姿勢になり、これでよかろうと例の感覚で判断した角度(見越し角、または偏角)だけ機首をそらして、直感がひらめいた瞬間に機銃発射ボタンを押すのだ。弾丸は敵機の針路の先の方に向かって流れ、そこへ敵機が飛び込んでくる。バーン。これで1機撃墜だ」
…というのがコツだそうです
常人にはちょっと真似しづらいというか、習得する前に落とされちゃう気もしますが(棒)
因みにそんなラル=サン、Me109からFW190、ジェット戦闘機Me262といったドイツの主要な戦闘機のほぼ全部と、鹵獲された「スピットファイア」やP-38・P-47・P-51といった連合軍機まで含む豊富な操縦経験の持ち主だったそうなんですが、一番お気に入りの「相棒」は、一貫してMe109であったんですとか
無題Name名無し 19/12/06(金)21:23:02 No.1292410
「Me109には、機体の隅々から武装に至るまで、信頼感があった(略)私はFW190の主翼に装備した機関砲が気に入らない。高いGがかかって故障を起こす可能性があるからだ」
「私は3基の銃砲を機体の中心軸に近く装備しているMe109の方が好きだ。集中装備された火器は正確に一点を狙わなければならない。しかし、照準の腕が良ければ集中して弾丸を撃ち込むことができる(略)これを喰らった敵機は”一巻の終わり”だった」
…から、と言うのがその理由だそうなんですが、よく愛馬と騎手の関係に例えられるパイロットと機体の関係も、戦闘機パイロット、殊にラル=サンのような射撃の名手にとっては、乗機の評価も「愛機」というより、むしろ「愛銃」に対するような感覚からになっていくものなんでしょうか…w
無題Name名無し 19/12/07(土)03:39:31 No.1292447
>直感がひらめいた瞬間に機銃発射ボタンを押すのだ。弾丸は敵機の針路の先の方に向かって流れ、そこへ敵機が飛び込んでくる。
"置き射撃"的な?
弾道計算機が無い時代にこれだから史実は恐いわぁ。
無題Name名無し 19/12/07(土)04:19:07 No.1292451
>直感がひらめいた瞬間に機銃発射ボタンを押すのだ。弾丸は敵機の針路の先の方に向かって流れ、そこへ敵機が飛び込んでくる。
>"置き射撃"的な?
>弾道計算機が無い時代にこれだから史実は恐いわぁ。
偏差射撃は「アフリカの星」マルセイユも得意だったと言うし
撃墜王にはある意味備わってるセンスなのかもしれない
無題Name名無し 19/12/07(土)16:39:42 No.1292507
確認撃墜戦果352機という、今のところ独空軍というか、空戦史上最大の記録の持ち主であるエリッヒ・ハルトマン=サンなんかは、自身は「射撃の名手といった類の人間ではない」とされているそうなんですが、空戦の秘訣を聞かれて
「敵を攻撃する機会が来るまで待って、機会が来たら高速度で敵機に接近するだけのことだ。そして、敵機の機影が風防一杯に黒く拡がってから射撃を始める。敵機の向こう側が見えなくなるまで待つのだ」
「こうして射撃すれば、1発も外れ弾はない。敵機との距離が長くなるほど、こちらの弾丸の打撃力と貫通力は低くなる。私の戦法の通りに攻撃すれば、最短の距離で発射された弾丸によって、敵機に最大限の打撃を叩き込むことができる」
無題Name名無し 19/12/07(土)16:40:42 No.1292508
「また、敵機に対してどんな角度で接近しようと、旋回や宙返りなど、どんな運動をしている間でも、弾丸は必ず命中する。このようにして射撃した弾丸が全部命中すれば、敵が墜落することは確実だ。その上、弾薬の量は節約できる」
「空中戦に参加して日の浅い内は、敵機まで100メートルの距離に入ると、接近しすぎたと感じて震え上がる(略)経験を重ねて来ると、敵機から100メートルまで接近しても、まだ距離が遠過ぎると感じるようになる」
「経験の浅いパイロットは、空中衝突が恐ろしくて機首をそらしてしまう。経験の深いパイロットはもっとずっと近くまで接近する」
「そこで彼は射撃し始め、敵機は火を噴いて墜落するという寸法だ」
無題Name名無し 19/12/07(土)16:42:02 No.1292509
…なんて答えておられるそうです
もっとも、敵機に極端に接近するこの戦法はやはり危険もあって、ハルトマン=サンの16回に及ぶ不時着経験の内、少なくとも8回は攻撃した敵機が爆発した際、その破片を浴びたことが原因だったんですとか
それでも1度も負傷することがなかったというハルトマン=サンが、唯一本気で死の危険を感じた事が1度だけあったそうなんですが、1943年8月、不時着後どうにか味方の陣地に近づいた所で、恐怖に駆られた歩哨サンに誰何と同時にライフルで撃たれてしまったんだそうで
幸い弾はズボンを貫通しただけで済んだそうなんですが、或はこういうタマが避けて通る強運の持ち主にこそ、相応しい戦法なのかもしれないですなあ
無題Name名無し 19/12/08(日)06:36:56 No.1292558
ニルス・エドヴァルド・カタヤイネン中尉
「ついてないカタヤイネン」としてあまりに有名なフィンランドの戦闘機パイロット
35機撃墜の戦果のエースパイロットながら被撃墜・事故の多さのあまり、一時戦闘機配置から外されてしまうなんてエピソードの持ち主
それでも結局は前線に戻り、戦果を挙げてまた墜落…を繰り返すも終戦まで生き残っています
負傷することも数知れずですが、その入院中に奥さんにめぐり合っていたり、トータルで見ればやっぱり「ついてるカタヤイネン」というべきなのかもしれません…
無題Name名無し 19/12/08(日)08:41:48 No.1292560
生まれ持った才能の差はある程度努力で埋め合わせが利くけど、幸運不運は・・・
人間にはどうしようもないね
無題Name名無し 19/12/08(日)11:29:37 No.1292571
https://cgi.2chan.net/f/src/1575772177563.jpg
小ネタですが
フランツ・スティグラー少尉 27機撃墜
1943年のB-17迎撃戦でBf-109で参戦したのこのエピソード
損傷したB-17の背後から接近した処、尾部射手は負傷しており射撃を受けなかった
そしてB-17の横に並んで飛行すると穴だらけの機体と
助け合う乗員同士が目に入りとうとうこの機体を撃墜することが出来なかった
その結果軍法会議に掛けられ正直に証言するがその後もJV44に配属されMe262の飛行隊に在籍するなどして降伏後も生き延びたそうです
そして見逃したB-17の操縦手はC・ブラウン中佐という大物だった
無題Name名無し 19/12/08(日)13:38:56 No.1292579
ドイツ空軍撃墜記録保持者第1位のハルトマン=サンが、誰よりも敬愛していたのが同2位(301機撃墜)のゲルハルト・バルクホルン=サンであったそうなんですが、例えばある時バルクホルン=サンと共に出撃した時、バルクホルン=サンがたちまち1機のソ連戦闘機を捕らえ、一撃で火を噴かせたそうなんですが、最早墜落確定と見てとったバルクホルン=サンは敵機の横に並ぶと、敵パイロットに身振りで脱出を勧めたんだそうで
敵パイロットはおかげで無事脱出したそうなんですが、帰還後、例え相手を殺すことになるとしても、「敵機が粉々になるまで」撃つべきではないのか?とハルトマン=サンが問い詰めたところ、返って来た答えは
「ブービー(※ハルトマン氏の愛称)、君はこのことを忘れちゃいけない。あのロシアのパイロットも、美しいロシアの婦人の愛らしい赤ん坊だったのだ」
無題Name名無し 19/12/08(日)13:39:59 No.1292580
「彼には生命と愛情を保ち続ける権利がある。その点は我々と同じなんだ」
…というものだったそうです
ハルトマン=サンによれば、バルクホルン=サンという人物は
「自分以外の者の喜びや成功があると、一緒になって喜んでくれる。これができる人物は滅多にいない」
「彼は部下を率いて地獄の底へでも飛び込んで行くことができる──彼はそれができる男であり指揮官なのだ」
「部下たちがは誰もがこの指揮官のためには喜んで生命を捨てる気持ちだった」
「彼は戦闘機パイロットたちが誰でも夢に描く理想の戦闘機隊指揮官──指導者であり、友人であり、戦友であり父親である存在だった」
無題Name名無し 19/12/08(日)13:42:10 No.1292581
https://cgi.2chan.net/f/src/1575780130645.jpg
「私が知る中で最高の指揮官だ」
…とのことで、単に個人空戦のワザマエの凄さだけに留まらない、バルクホルン=サンの優れた人柄こそ、愛すべきものだったと見ておられたようです…w
因みに独空軍エース「トップ3」のハルトマン・サン、バルクホルン=サン、ラル=サンら3人の個人戦果を合計しただけで900機を軽く超えるんですが、もし仮に自分が、その不運な900機の中のどれかの搭乗員の立場を選べと言われたならば、ラル=サンの天才的な見越し射撃で、訳の分からないままいつのまにか落とされるより、ハルトマン=サンの慈悲はない!敵機落とすべし!な猛烈な至近射撃で粉砕されるより、
せめてバルクホルン=サンに、「優しく」撃墜されたいと思…(ry
無題Name名無し 19/12/08(日)20:09:14 No.1292604
>バルクホルン
頼れるお姉ちゃんで、小言ばっかりグダグダ言って同僚に呆れられる
そういうアレなキャラだとばかり…
無題Name名無し 19/12/09(月)14:06:21 No.1292668
小林照彦少佐
日本陸軍戦闘機隊パイロット
元々爆撃機パイロット出身ながら、3式戦闘機飛燕装備の飛行244戦隊の戦隊長に就任すると、先頭に立って出撃。本土防空戦で大きな戦果をあげています
隊長自ら体当たりしてB-29撃墜を果たすなど、勇敢な人柄を示すエピソードも豊富
戦後は航空自衛隊でふたたび日本の守りにつきますが、残念ながらジェット機での訓練中の事故で亡くなっています…
無題Name名無し 19/12/10(火)01:04:56 No.1292711
無力化した敵兵に対して心情的理由で止めを刺さないってのは世界中であると思うのです
それらの多くは美談として語られると思うですが、現場はともかく上層部は実際どう考えている(いた)のでしょうか?
見逃した敵兵が復帰後に自分・同僚の兵・美しい自国の婦人やその子供を傷つける可能性は高いわけで単純なゲーム理論だとかなりの悪手のはず
総力戦下で劣勢な側だとなおさら、かといって現場に無理やり強制(だけ)しても相応のデメリットがありそう
上層部の考えがわかりそうな資料があれば教えて欲しいです
無題Name名無し 19/12/10(火)12:56:27 No.1292735
>現場はともかく上層部は実際どう考えている(いた)のでしょうか?
原則的には「無力化されたとはこちら側に対して投降して我の管理下に入ったことを指し、我の降服勧告に従わずに逃走することは、戦力の再編成を目的とする戦闘行為」として判断されるよ。
だから降服勧告と言うのは、無駄な人命の損耗を避けると言う人道的な側面がある反面、「敵は態々こちらの降服勧告を無視したのだ」と人殺しに心理的に抵抗のある部下に敵兵を殲滅させるための免罪符(と義務を負わせる)と言う面もあったりする。
だから基本的に敵兵は殺すか捕虜にするかにしましょう。
戦闘員にとって逃走とは、立派な戦闘行為なのですから。
(まぁ実際は混乱した戦場の中で立件することは難しいんだろうけどさ)
無題Name名無し 19/12/10(火)13:56:04 No.1292737
https://cgi.2chan.net/f/src/1575953764485.jpg
ここまで来て、かのエルベ14の天才、ハンス・ヨアヒム・マルセイユの名前が出ていないとは・・・
天才的な見越し射撃の名手であり、射弾数も少なく、その殆どがエンジンからコックピットにかけて命中させていたという。
また彼も撃墜死ではなく、機体の故障からの脱出時の事故による戦死である。
無題Name名無し 19/12/10(火)16:22:58 No.1292747
>マルセイユの名前が出ていないとは
スレをよく読もうね
無題Name名無し 19/12/10(火)17:33:56 No.1292753
あったあったwもっと大きく扱おうよ
紫電改のタカに影響を与えたお方でもあるんだし
無題Name名無し 19/12/10(火)18:44:47 No.1292755
逆タカ戦法?
マルセイユの動きもとんでもなかったという話だが。
無題Name名無し 19/12/10(火)21:09:12 No.1292777
アドルフ・ガーラント=サンの自伝「始まりと終わり」の中に、こんな一節があるんですが、曰く
「すべての人間的感情とは縁遠いところにいて、敵との戦いが生死をめぐる闘争だということを十分に意識してはいたが、われわれは公正な戦いのルールを堅く守った。そのルールの第1は、無防備の敵を見逃すことである」
「したがってドイツの空海共同救難活動は、ドイツの飛行士を救うと同時に、海峡の海を泳いでいるどのイギリス兵をも救助した」
「落下傘で逃れるパイロットを射つことは、その時のわれわれにとってはこの上なく野蛮な行為だと思われた」
「英本土航空決戦が戦われていた当時、ゲーリングがこの問題を持ちだした時のことを、私はありありとおぼえている」
無題Name名無し 19/12/10(火)21:18:10 No.1292779
「戦闘機のような(略)発達した兵器の場合では(略)操作する人間は機械それ自体よりもずっと重要なのだ、と彼はわれわれに向かって言った。われわれの撃墜した飛行機を、イギリス人はいとも簡単に補充することができる。だがパイロットはそうはいかない」
「ゲーリングはわれわれがそのことを考えたことがあるか知りたがった(略)ゲーリングはじっと私の目を見て、言った。
『飛行機から脱出したパイロットを射てという命令を下されたら、きみはそれをどう考えるか?』
『私はそれを殺人と考えます。あらゆる手段をつくして、そのような命令には服従しないように努力します』
(略)ゲーリングはその両手で私の肩を押えて、言った。
『まさにそう答えてくれることを期待していたんだ、ガーラント」
無題Name名無し 19/12/10(火)21:19:54 No.1292780
「この会話の裏に何があったのか、またそのような命令がどこかの部署で提案されていたのかどうか、私は知らない」
「だが考えられるのは、この問題をめぐってそういう提案がなされるようなことがあったら、あるいは実際にその提案がなされていたのだとしたら、ゲーリングはそのような要求を拒否するにあたってわれわれの支持を望んだということである」
「とにかくそのことはルフトヴァッフェでは2度と口にされなかったし、後になって空の戦いがひどく凄惨なものになった時もそうだった」
…とのこと
シンプルに読めば、ガーラント=サンの漢っぷりが気持ちよいエピソードなんですが、深読みすれば相手が無防備だろうとそうでなかろうと、人的資源の枯渇を狙った戦法に徹するべきだ…という誘惑に、一時独空軍上層部も駆られていたってことなんでしょうかねえ
無題Name名無し 19/12/11(水)07:01:38 No.1292825
>シンプルに読めば、ガーラント=サンの漢っぷりが気持ちよいエピソードなんですが、
私はゲーリング親父の複雑な性格が垣間見えて面白いです
無題Name名無し 19/12/10(火)21:22:58 No.1292781
伝えられる話が本当だとしたらマルセイユはまるでニュータイプ
単機で敵編隊のまん中に踊り込んで、一気に複数機を撃墜(それも見越し射撃で)でスコアを荒稼ぎ
東部戦線にいたらどれだけ戦果を伸ばしていたやら
無題Name名無し 19/12/10(火)23:33:27 No.1292800
ユーロの空はパイロットに優しいよなぁ
なんせ30回落ちても生きてられるんだから・・・
チャプチャプと海面に浮かび周りを鱶に囲まれながら
無題Name名無し 19/12/11(水)08:22:07 No.1292831
>チャプチャプと海面に浮かび周りを鱶に囲まれながら
優れた腕を持つパイロットが燃料切れで洋上に不時着、潜水艦が救出に向かうも果たせず、そのまま戦死認定、とか聞くと無念だろうなぁ、とは思う
無題Name名無し 19/12/11(水)00:07:41 No.1292808
陸地に降りてもジャングルだし太平洋はホント地獄だな
無題Name名無し 19/12/11(水)20:38:40 No.1292902
太平洋方面でも戦後は日米パイロット同士はあっさり仲直りできたのに
硫黄島で直接命のやり取りし合った両軍兵士は握手できるまで30年かかった
無題Name名無し 19/12/11(水)20:41:34 No.1292903
IJNの搭乗員で、252空戦闘304飛行隊所属だった阿部三郎さんの手記から、戦争末期のエピソードを引用させていただくと
「ある日(略)敵の搭乗員がゴムボートで漂流中との、沿岸見張り所からの通報が入った」
「すぐ撃ち殺してこいとの命令で、筆者を指揮官にして4機が九十九里浜上空に飛び出した(※当時の252空は千葉県茂原基地に展開中)。着色塗料を海に流して潜水艦か飛行艇の救助を待っているゴムボートが、すぐに目に入った」
「照準をつけようとすると、彼は慌てて海中に飛び込んで、必死に潜っている。上から見れば丸見えで、潜ったところで何の足しにもならない」
無題Name名無し 19/12/11(水)20:42:46 No.1292904
「しかし、筆者の銃口はなぜか無抵抗のパイロットには向けられなかった。彼を助ければ数日後の彼はまた、飛行機に乗って日本人を殺しにやってくるのがわかっているのに。代わりに無人になったゴムボートに向かってほんの数発の機銃弾を撃ち込んだ」
「2番機も3番機も同じことをした。ゴムボートはたちまち、粉みじんになって沈んでしまった」
「最近着任したばかりの若い飛長が、泳いでいるパイロットを撃った。パイロットは胸を撃ち抜かれ、両手を高く上げたかと思うと、鮮血で海水を赤く染めながら、つぶてのように真っすぐに海中にその姿を没した」
「帰って、任務終了を届けたが、3人ともお互いに顔を背けてそれぞれの待機場所に戻った。1人4番機だけがばつの悪そうな顔をして、私にもの言いたげにしていたのが印象的であった」
無題Name名無し 19/12/11(水)20:44:28 No.1292905
…なんてことがあったそうなんですが、また一方、「潜水艦発見!」の報を受けスクランブル発進したある編隊では、「着任したばかりの17歳ぐらいの少年のような搭乗員」がたまたま真先に飛び出し、ベテラン3機を従える形での出撃になったそうなんですが、発見した潜水艦に銃撃を加えたところ「応急弾火薬庫に命中」したものか見事に轟沈、こちらは
「後で3人の上飛曹が『何だ、お前が1番機だったのか、この野郎』と笑って頭を小突き、飛長はすみません、すみませんと謝って皆を爆笑させた」
…という、和やかな雰囲気の結末だったそうです
同じようにベテラン3人と新人さん1人が零戦の編隊で銃撃を加えて、むしろ後者のほうがアメリカの兵隊サンが死んだ数は多いと思うんですが、当時の戦う搭乗員さん達の心理としては、二つの事例を隔てる何かがあった、と言うコトなんですかねえ…
無題Name名無し 19/12/12(木)04:15:57 No.1292943
対大型爆撃機戦法の話とか読んでると「操縦席を狙う」とか出てくるけど
それだって実際に狙うのは・・・ってことだよね
相手も武器を持って撃ち返してくる状態なら、抵抗感も少ないのかな
無題Name名無し 19/12/12(木)12:37:58 No.1292986
陸で言えば降伏して戦闘能力を失ってる人間を撃つわけだからまともな精神状態ならそりゃ後味悪いし抵抗覚えるだろうね
損傷して離脱しようとしてる機体にトドメを刺すならまだしも照準の先が生身の人間だったら余計に…
無題Name名無し 19/12/12(木)17:41:27 No.1293073
陸だったら殺した相手の死体が残るけど空だったら一瞬の出来事で終わるってのもあるだろうね
無題Name名無し 19/12/12(木)18:01:32 No.1293078
しかしほっとくと敵に回収されて帰還→再出撃だし
市民に機銃掃射したりする相手というのもある
もうひとつ言うと九十九里浜沖合とはいえ海の真ん中でゴムボート破壊するだけでもかなり残酷だと思うのよ
友軍の救助がいつ来るかも定かではないし体力が尽きて溺れ死ぬよりも機銃でスパッと片を付けた方がいっそ優しいまである
件の搭乗員が浜まで泳いで行って捕虜になる道もないではないが・・・
無題Name名無し 19/12/14(土)19:42:01 No.1293272
大空のサムライでもパイロットの心情がかかれてたよね。
無題Name名無し 19/12/14(土)20:32:18 No.1293275
IJNの首都防空部隊として名高い302空所属の搭乗員で、森岡寛さんという方がいらっしゃるんですが、この方は1945年1月のB-29相手の邀撃戦で左手首に被弾、切断手術を余儀なくされるも、不屈の闘志でリハビリを続け義手を付けて戦闘配置に復帰、P-51やF6Fと言った「難敵」相手に戦果を上げていたりもするそうです
その森岡氏の手記に、やはり終戦間際、日本側に撃墜されたP-51のパイロットが、ゴムボートに乗って相模湾上で味方潜水艦の救助を待っているのを銃撃した際の話がありまして、曰く
「私は(略)4機集合すると、急降下して逃げるゴムボートを狙った。ダダダダ…海面に機銃掃射する。13ミリの機関銃がミシンを縫うように白波を立てる。私は照準器一杯にゴムボートを捉えた」
「ミシンの縫い針は、ゴムボートを横断した。列機も私に倣って、次々にボートを銃撃した」
無題Name名無し 19/12/14(土)20:34:38 No.1293276
https://cgi.2chan.net/f/src/1576323278405.jpg
「40数年経った平成元年の8月、私はアメリカから1通の手紙を受け取った。差出人に全く心当たりはない。不審に思いながら手紙を読んで、私は飛び上がった。差出人のエドワード・H・マイクスこそ、相模湾のボートの底にひれ伏していて奇跡的にかすり傷だけで助かったP-51のパイロットであった。」
「日本機の攻撃に彼の目の前で2度急速潜航した米潜水艦アスプロが3度目に浮上した際、辛うじて救出されたのである。彼からの最初の手紙は、次のように記されている。」
『森岡寛様 拝啓、突然の手紙で驚かれたことと存じます。私はエドワード・H・マイクスと申します。第506戦闘集団、第458飛行隊に所属するP-51戦闘機のパイロットです。1945年8月3日硫黄島から飛び立ち、相模湾上空でムスタングから落下傘降下しました』
『私は、貴下が(略)潜水艦アスプロが私を救助しようとしているのを妨害するため、アスプロに向かっている私のボートを機銃掃射した零戦4機の隊長であると確信しております。この手紙を通じてご挨拶を申し上げ、併せて貴下のご健勝を祈るものであります』
無題Name名無し 19/12/14(土)20:35:41 No.1293277
『私は(略)貴下の飛行機への情熱、祖国への献身と英雄的な経歴に賛辞を送るものであります。また貴下が公認会計士の職にあることも知りました』
『貴下のために簡単に私のことをお知らせしますと、私は空軍を少佐で辞して1946年に結婚、娘2人と孫が4人います。シカゴ大学で経営学の修士をとり(略)農業機械のメーカーに入社、38年間勤めて資材補給部長で退職しました』
『終わりに私が手紙を差し上げたくなった気持ちを理解していただきたいのです。祖国に尽くしたわれわれ2人はかつては敵でありましたが、今は盟友としてお互いに連絡することができるのは本当に素晴らしいことであると思います。ご家族、皆様によろしく』
…なんてことがあったそうです
無題Name名無し 19/12/14(土)20:37:09 No.1293278
マイクス=サンは戦後数十年ぶりの458飛行隊の戦友会の準備のため、イロイロと当時のことを調査していた際、たまたま戦史家さんから8月3日に自分を銃撃したIJNの隻腕のパイロットの経歴を知り、お手紙をしたためる気になられたようなんですが、その後コレが縁で先方の戦友会と302空隊員の間でも交流が持たれ、「302空隊員で軍艦旗に寄せ書きして送った。会合の後で軍艦旗を掲げたP-51搭乗員会の写真を送ってきた」
…とのことなんですが、森岡氏はその手記を
「40年前に対戦した相手から手紙が来て本当に驚いた。零戦4機の銃撃の中で彼はよく生きていたな、というのが実感で、その次には無事生きていてくれてよかったなと思うと同時に、懐かしさを覚えた。お互い生きているうちに1度会いたいと思っている」
…と結んでおられます
マイクス=サンと森岡さんの、お二人の間でのみ通じ合うものが色々あるんでしょうね、やっぱり
無題Name名無し 19/12/14(土)21:25:44 No.1293281
そーいや森岡氏だっけ?
左手不自由で右手で扱う操縦桿に引き金つけたら
「俺も俺も」と改造殺到した話
無題Name名無し 19/12/14(土)21:41:06 No.1293283
ここまで危険を冒してまで自軍のパイロットを救出する米軍に対して色々思うところありそう
しかし上のゲーリングやガーランドなんかのドイツ空軍上層部の敵への態度と比較すると
我が日本軍の命令する側の野蛮さばかりが目につくのは悲しい
無題Name名無し 19/12/14(土)23:05:48 No.1293293
大空のサムライだったかな、B25かなんかの搭乗員がゴムボートに捕まってたら次々に海中に引きずり込まれていったって話引用元:https://cgi.2chan.net/f/res/1291616.htm
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コメント
当時だから仕方ないけど今の基準で当てはめると恐ろしい
真珠湾の時は1次攻撃隊で唯一未帰還機を出した中隊の最後尾にいたとか、ミッドウェーの時は一人でヨークタウンを雷撃して、帰り道分からないのにも関わらず生還したりとか、エピソードに事欠かない。
リアル"フェアリィ空軍"とかこれだから史実は恐ろしい....
イギリス軍のパイロットとして一次大戦を戦い抜き多数の勲章を授与したエースパイロットであると同時に、ジェームス・マーティンと共にかのマーチンベイカー・エアクラフトを創設した偉大な飛行士
ベイカー大尉は42年にテスト中の事故で亡くなってしまうが、彼の遺したマーチンベイカー社は親友のサー・ジェームスの元で射出座席の名門として成長していくこととなる
自分達が開発した飛行機をバックに笑顔で写真に写る二人の写真を見ていると本当に飛行機が好きで、だからこそ親友を亡くしたジェームス氏は本当に悔しい思いをしたのだろうと思う
脱出装置の研究開発の依頼をしたのはイギリス政府だけど、力を注いだのは決してそれだけの理由では無いのだろうね
しかもマルタ島で最悪の時期の戦闘機は複葉機のグラジエーターだからな。
それが発展してイタリア空軍をネタにするのもあったな、悲しいぜ。
坂井三郎で好きなのは硫黄島での地上掃射帰りに米軍に見つかって1対4?で
本人は逃げるのに精一杯って本に書いてたけど米軍は1機なのに果敢に攻めてきて
編隊組んで威嚇してたらいなくなったのが面白い。
6です希望、友情、慈愛ですね。イタリア空軍も同時期は不利な機体で頑張ってるエースもいるのにね。
不利な機体といえばPZLでME109を撃墜したエースパイロット(スカルスキだっけ)は凄いと思う。それからフランス空軍もドイツ戦闘機3機を立て続けに撃墜したニュータイプみたいなパイロットがいましたね。
フェアリィ空軍は相手が宇宙人?だから仕方ない
それにしても没なったアニメは見たかった
これで我慢するワニ。
つ「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」
WW2イギリス空軍公式トップエースであるジョニー・ジョンソンが主にスピットファイアで36機のスコアを挙げたのに対して、こちらはエジプトとギリシャを転戦し、グラディエーターからハリケーンへと乗り継ぎながら50以上のスコアを挙げたとされる、幻のイギリス空軍トップエース。
実はこの人と一緒に戦った人の中に、後に短編小説の名手として有名になるロアルド・ダールがいて(本人も5機のスコアを持つRAF公認のエースだったりする)、このダール曰く「そのパット・パトルはRAFの伝説だった。」「彼は華々しく喧伝されたバトル・オヴ・ブリテンのエース・パイロットたちよりも多くの敵機を撃墜したという噂だったが、おそらくそれは本当の話だっただろう。」「たいそう言葉づかいの物やわらかな、小柄な男で、九たびの生がすべて尽きてしまったことを知っている猫のような、深い皺の刻まれた物悲しい顔をしていた。」
1941年4月20日、当時全ギリシャに12機しか存在しないハリケーンを全機投入した、連合軍のギリシャからの撤退を支援する作戦(ダールの回想では、ギリシャ人を安心させるためのデモンストレーションだったとされている)で、部隊はBf-110まで含むドイツ軍の大群の襲撃を受け、5機のハリケーンと4人のパイロットを失い、パット・パトルもこの戦闘で戦死してしまう。
パトルの最期を誰ひとり確認するヒマもなかったくらいの激戦だったという…。
ちなみにこの人がスコアの割にマイナーな理由のひとつは、スコアの半分以上がイタリア機だからだそうで、どっちも命がけて戦ってるのにその言い草は…(個人的には、このパトルの戦果を取り上げると、大戦序盤でギリシャを見捨た件と、それがその後のギリシャ内戦に繋がったことに触れざるを得ないからじゃないかと思った)。
救命艇が蜂の巣にされて生還者0とかだが違いは何なんだろう
相手もCR.42だから多少はね?
軍全体が追い詰められてるんだから戦場は苛烈だろうし、そんな凄腕が死ぬくらいなのだからもう誰も余裕なんか無いやろなあ
え?雪風はアニメ化してたでしょ?
イエローモンキーが人間様と同じ?んなわけねーだろ!
鬼畜米英は人間じゃない!
こんなところじゃね?
日本は終始余裕ゼロ、米国は宣戦布告のない戦争開始でキレてる上に黄禍論が出てたってのは大きいだろうねぇ。沖縄戦に参加してた米軍の兵士は日本人殺害許可証なるもの(当然、公的なものではない)が出回るくらいには差別感情凄かったようだし。あと日本軍のやり方が卑怯だったせいもあるような。赤十字に武器運ばせたり
イギリス「"イタリア"は所詮…先の時代の"敗北者"じゃけェ…!!!」
イタリア「ハァ…ハァ… 敗北者……?取り消せよ……!!!ハァ…今の言葉……!!!」
アニメ本編の後日談みたいなのが製作されててPVもあったけど製作会社が潰れてポシャったのがあった
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm10202738
三式戦を中心にほとんどの一式から五式までのほぼすべての正式戦闘機のテストに参加してて専門の戦闘機以外でも爆撃機、襲撃機、偵察機、米英の鹵獲機だけでなく海軍の飛行艇ですら操縦した恐らく日本で一番多くの機種を乗りこなした生粋のテスパイ
余りこの手の話題は好きじゃないけど「キリスト教か否か」は大きかったらしいね。原爆が教会を吹き飛ばしたって話を知らないアメリカ人は多い
野暮かもしれないけど、飛行機同士の高度差まで見て取れる位置と距離で空戦見てたおじいさんは何者なんだ…
現役アメリカ海軍パイロットのミグキラーであり、過去40年間で3機撃墜した唯一のエースパイロット。
この戦果はトップガンプログラムを卒業した直後に発生した。
インド洋沖で諜報活動中の米海軍艦艇のレーダーが接近する2機の国籍不明機を捕捉。
米海軍は2機のF-14を緊急出撃させた。
(ピート・ミッチェルは情緒不安定としてバックアップとして待機)
しかし実際にはMig-28は6機であり、出撃したF-14の内1機が撃墜されてしまう。
これに対して残存した1機を援護するためにピート・ミッチェル機を戦闘空域に派遣、激しい空中戦によって6機中3機を撃墜、僚機が1機を撃墜したことでMig-28残りの2機は遁走した。
ピート・ミッチェルはその後30年間昇格も引退もせず、トップガンプログラムの教官として任務に従事し続けている。
現在の階級は大佐だが本来は少将になっていてもおかしくはない。
因みにコールサインはマーヴェリック。
タクティカルジェネラル(戦術的将軍ー米陸軍で視野の狭い将官をバカにした言葉)ではやはり困る訳で。ちなみに視野の広い下士官に対する尊称でストラテジックサージャントという言葉もあるとか。
あと俺も沈没漂流者を延々と掃射して全滅させた米潜水艦を思いだした
まぁパイロット職に拘った結果でしょうね。
ティザーでのエドハリスの言葉はそこに対する疑問なんでしょう。
まぁお陰でSR-72が見られるわけですがw
陸軍航空隊の第二期、砲兵観測隊からの唯一の生き残りで敗戦の前日までテストパイロットを続けていたウチの爺さんは、陸軍の所有した全ての機体の免許を持っていたそうだよ。
大きな戦果は上げてはいないものの歴史上有名な海戦に参加しているので、彼の著書「最後の零戦」はなかなか面白かった。
個人的には翔鶴の飛行搭乗員のベッドに幽霊が出る話。(本人は幽霊否定派だが経験してしまった話) 珊瑚海海戦でモロに直撃したため改修後も亡くなった人が出るとの記述は「空母にも怪談話があるんだ」と思ってしまいました。
東京の八王子駅に銃弾が残る八王子空襲の件で言えば、その当事者の米軍パイロットは動く戦術目標を攻撃することに闘志を燃やしていたようで、何十年も経って日本のテレビ番組がその銃撃を受けた車両に乗っていて姉が死亡した妹の話を見せたら、そのパイロットが涙を流されていて、戦争という興奮状態では良心が無くなっていても、戦後良心が回復したら人間の心は復活したということかと。
後、米海軍は潜水艦クルーに撃沈スコアを競わせていて、それが阿波丸事件に繋がった遠因の一つとか。
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