無題 Name 名無し 19/09/21(土)14:47:42  No.1285027

1569044862944
「戦艦の時代を終わらせた名機」…か…

無題
Name 名無し 19/09/21(土)14:48:49  No.1285028
1569044929440
「ワンショット・ライター」、空飛ぶ棺桶だったのか…?

ということで陸攻スレ

無題
Name 名無し 19/09/22(日)01:24:08  No.1285054     
>ワンショット・ライター
じつは葉巻の形から駄洒落的な連想でいうてみただけで
そもそもは深い意味はなかった的な説をぶちあげてみよう
日本機に関する諸々ステレオタイプなイメージって
わりと戦後になってから作られたのが多い気がする

無題
Name 名無し 19/09/22(日)02:48:55  No.1285060      
>ワンショットライター
明らかに特徴的な機体形状が渾名に影響しているとは思われるが
火が点きやすくなかったら穏当に葉巻の銘柄にでもなっていたはず…

無題
Name 名無し 19/09/21(土)15:27:06  No.1285029
http://cgi.2chan.net/f/src/1569047226030.jpg
あまりに悲しい・・・

無題
Name 名無し 19/09/21(土)15:31:38  No.1285030     
でもワハハ行った行った行きよったーっ!って笑いながら死ねる死に方は羨ましい

無題
Name 名無し 19/09/22(日)04:25:31  No.1285062
http://cgi.2chan.net/f/src/1569093931767.jpg
鹿屋空・高雄空などで陸攻に搭乗して作戦に参加し、その後第1航空艦隊参謀などを務められた吉岡忠一サンの手記によりますと

「昭和18年春、ラバウルから1式陸攻が燃えやすくて戦闘の用に立たぬと次々に初見が送られてきた」

「支那事変の初めから戦争に参加し(略)上からも下からも信望厚かった三原元一中佐、続いて檜貝襄治大佐がガダルカナルの空で散華した。最優秀の搭乗員が次々に火の玉となって散って行った」

「われわれはいつの間にか1式陸上攻撃機を1式ライターと呼ぶようになった」

無題
Name 名無し 19/09/22(日)04:28:03  No.1285063
1569094083679
「敗戦後の(※昭和)20年9月、マッカーサー司令部で(略)訊問を受けていた」

「係官が、貴方は1式ライターという飛行機を知っているか、と質問した。『イエス』私は、われわれが18年以来言っていた呼称が、偶然、米国搭乗員の思想と一致していたことに対して驚きを禁じ得なかった」

…とのこと

要はまあ、そのまま「ワンショット・ライター」ではないものの、やや自嘲気味に陸攻を「ライター」と仇名すること自体は、戦中の日本国内というかIJN航空隊ですでに始まっていた、ということみたいですねえ…

無題
Name 名無し 19/09/22(日)06:16:45  No.1285067      
>No.1285063
この画像見ていつも思うけどこの距離で相対して一式陸攻の銃座はもう息してないんだろうか

無題
Name 名無し 19/09/22(日)05:06:48  No.1285064      
22型辺りから難燃化改修してるんだよね
航続距離減らして

無題
Name 名無し 19/09/22(日)06:25:18  No.1285069      
設計の本庄さんが、この性能で防弾も考慮するなら4発機じゃないと無理!
ってのを押し切って双発でいかせたわけだしな
仮に撃たれ強さ自体は他と変わらなくっても、大航続距離の為大量に燃料積むんだからそりゃあ燃えやすくなるだろって話だ

無題
Name 名無し 19/09/22(日)06:34:42  No.1285070      
中途半端な積層ゴム追加は主翼上面の孔なら気化ガス噴出で済むが
下面の孔は燃料が自重でドボドボ抜けていくんでより致命的って判断かね

無題
Name 名無し 19/09/22(日)08:31:04  No.1285076      
当時のJIS規格ってどうなってたんだろう?

無題
Name 名無し 19/09/22(日)12:43:47  No.1285091
>当時のJIS規格ってどうなってたんだろう?
合って無きが如しだってよ
ある日一式戦部隊がいる基地に四式戦が出ていったんだが
増槽のパッキン径が合わない
少し引っ張って内径広げればいいが
ちぎれる可能性があるから熟練整備士しかできない
って大騒ぎになった
パッキンひとつ統一規格でできないのかと落胆したとか
松下電器が松下飛行機作って下請けに部品作らせれば全部不合格
営業「まけますから二級品で取ってくれまへん?」
担当「飛行機に二級品もクソもあるか!」
てな具合だったそうで

無題
Name 名無し 19/09/22(日)13:06:10  No.1285096      
>JIS規格
それは戦後
戦前はJES(Japan Engineering Standard)
日本語名称はいくつかあったような

無題
Name 名無し 19/09/22(日)10:23:03  No.1285081      
人材が少ないんだからイスラエル的な徹底的防御の思想に立つべきなんだろうが、未だに花と散ることを良しとする気風があるからね

無題
Name 名無し 19/09/22(日)15:48:24  No.1285108      
1569134904441
世傑の1式陸攻の巻に、元搭乗員さん達と世傑編集さんの座談会記事が載ってるんですが

世傑「当るとすぐ火がつくと。」
搭乗員「本当に、”一撃ライター”。ポッと火が出ます」
(略)
世傑「あとで主翼の下にゴム板を張ったりしていますが」
搭乗員「あれは効果がありませんでした。速力を4ktほど落としただけです」

…なんて、ある意味率直というか、身も蓋もない言われようでしたり

因みに本庄技師が、1式陸攻の主翼構造と防弾装備についても手記を残されておりまして

「1式陸攻の主翼構造は当時としては斬新な構造で、桁の上面と下面が厚板で(略)厚板には(略)余り大きくないアングル引き抜き材を並べ、翼根は(略)数多くのアングル材を用い翼端に行くに従って(略)減じていく」

無題
Name 名無し 19/09/22(日)15:50:23  No.1285109      
「こうすれば大量生産に適すると同時に従来の2本桁又は1本桁構造より捩り剛性が上がり(略)フラッタにも強くなる」

「従来の2本桁か1本桁構造にすれば、桁の傘木(フランジ)の断面が大きくなり、当時の我が国の軽金属会社の能力では、極めて短い物しかできず、桁は継目だらけの物になるし、かつ(略)工数のかかる機会仕上げを必要とし、量産には極めて不適当なものになってしまう」

「戦局が悪化し、最初から私が恐れていた防弾に弱い1式陸攻の弱点が出るに従って、軍は(略)燃料タンクの容量を犠牲にして、タンクを防弾したG4Mの設計を三菱に命じた。ところが試験飛行の結果を見た軍は予期されていたに拘らず、これでは余りに航続力が不足だとして、再び航続力を大きくせよという不可能な要求が出された」

無題
Name 名無し 19/09/22(日)15:52:07  No.1285110      
1569135127049
「しかも生産に適した従来の基本構造まで変更して、量産に向かない2桁構造にしたG4M3は翼桁の生産にも行きづまる筈だったが、一方防弾タンクの材料カネビアンも種々予想外の欠点が発生し、翼桁の製作が行きづまる以前に、僅か2機分のカネビアン内袋が製造できた時に、その効果を試す暇もなく終戦を迎えた」

「1式陸攻の弱点は、双発としてはできない過大の要求が、どこに被弾しても、そこには燃料タンクがあるということに一番大きな原因がある」

「設計当初検討し研究調査した、生産性に優れた構造までも変更し、生産性のない旧式な構造に設計変えするに至っては、何とも批評のしようもない」

…とのこと

…アレ、本庄さん…その…もしかして…スゴく怒っていらっしゃいます…?(小声)

無題
Name 名無し 19/09/22(日)16:04:50  No.1285112     
カネビアンことビニロン樹脂は接着が難しくて、制作担当者は苦心したようだがそれを克服して、ようやく米軍の50口径で試射しても火を吹かない内袋タンクができた。
第一線用の飛行機に付けようとし始めたら、天号作戦で航続距離の要求が再び出てきて、零戦や天山の既装備分も外して元に戻してしまったと。

無題
Name 名無し 19/09/22(日)18:22:41  No.1285125      
1569144161394
戦中空技廠所属の海軍技術少佐だった堀輝一郎さんという方が、戦中のIJN機の防弾タンク開発について解説されたモノから引用させて頂くと

「支那事変の中頃、96式陸攻にかわるものとして更に強力な1式陸上攻撃機の試作を三菱航空機会社が受注して(略)本庄(略)氏が海軍航空技術廠へ来られて(略)本機の防弾に就き計画打合せをした」

「筆者は(略…※インテグラルタンクを止め、内蔵タンク式にする)型式にする必要が近き将来、自動消火装置を装備するにも外張式防弾タンクを装備するにも絶対必要であることを強く主張した」

「然るに、本機の計画要求書は(略)大航続距離、大攻撃力及び高速力で(略)本庄氏は(略)要求を充足した計画を終り(略)打合せに来られたのであるが、筆者提案の(略)如くするとタンクの容量が非常に減ずる」

無題
Name 名無し 19/09/22(日)18:24:27  No.1285126      
1569144267801
「又主翼構造重量の増大等に依り根本から計画を改めなければならず、否本機はの成り立たないと説明されたが、筆者は当時の実験を説明して、此の原案によるタンク装備では防弾は極めて不完全なものとなり、96式陸上攻撃機と同様極めて戦闘に弱い飛行機になることを主張し、遂に(略)結論を得ず同氏は当惑して帰社された思い出がある」

…んだそうで

堀氏は支那事変当初から発生した96式陸攻の損害対策の為、各種防弾・消火装備の研究に従事されていた防弾のエキスパートだったそうなんですが、何といいますか、カイグンさん側から自案を否定されて四の五の言わずに言わずに新陸攻は双発で設計せよ!と言われた本庄さんが、苦労してまとめ上げた設計案を同じカイグンの防弾装備の設計者に持って行ったら、こんなんダメだよ!絶対燃えるやんっ!?と思い切りダメ出しされた時の心中を思うと、まあ非常に気の毒な気分になる話ではあります

無題
Name 名無し 19/09/22(日)18:25:48  No.1285127      
1569144348249
因みに堀氏によると

「第2次大戦となって、米機ボーイングB-17爆撃機のタンクが(※内袋式防弾)のもので、耐ガソリン性のある人造護謨ネオプレンを以って作られてあったのを見て我が方も直ちに作らんと思ったが、当時我が国に於ては独逸のペルブナンを模倣して製造されていた人造ゴムが未だ実験室研究の域を脱せず(略)」
「やむを得ず当時鐘淵紡績にて製造される人造樹脂(商品名カネビヤン)の被膜を最内側に用い、其の外側に天然護謨板及び(略)スポンジ護謨板を張付け、再外側に(略)帆布を護謨で固めたものを張付けて袋を作り(略)アルミニウム製の函の中に入れ(略)たものを試作した」
「鹵獲した米機の13粍機銃にて連続6発を(略)射込んでも火災を発生することなく、又ガソリンの漏洩も少い優秀なものを得た」

ものの、
「此の防弾タンクの研究が完了したのは(略)材料の問題で甚だ遅れ、昭和18年秋のことであった」
…そうで…

無題
Name 名無し 19/09/22(日)18:37:13  No.1285128     
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gomu1944/45/1/45_1_4/_pdf/-char/ja

ここの15枚目に横浜ゴムの横井研究所長が、カネビアンタンクの接着の苦心談を語ってくれています。
加硫ゴムとカネビアンを、カネビアンとラテックス混ぜたカネビアンのりで接着したとか、独立気泡スポンジゴムの発泡剤が劇物で大変だったとか、当事者しか知り得ない逸話が。

ほかの方々も興味深い話ばかり。

無題
Name 名無し 19/09/22(日)20:34:23  No.1285142     
やはりゴム無し生の火遊びは危険なんや・・・

無題
Name 名無し 19/09/22(日)21:38:14  No.1285150     
米軍側からは落ちにくいなんて評価があったり要するにそれだけ激戦だったってことなんだろうか

無題
Name 名無し 19/09/22(日)21:45:19  No.1285153    
海軍さん無茶苦茶だな

無題
Name 名無し 19/09/22(日)22:32:03  No.1285156     
陸軍だって1式戦に運動性落ちてもいいから20mm積めっていって、積んだら運動性落ちて使えんっていうほどには無茶苦茶

無題
Name 名無し 19/09/23(月)04:55:19  No.1285177      
1569182119507
>海軍さん無茶苦茶だな

先述の吉岡忠一海軍中佐さんの手記に依りますと

「昭和13年春、鹿屋海軍航空隊は支那事変の渡洋爆撃隊として赫々たる武勲を立てて凱旋した。その褒美に替えて、名古屋三菱製作所で作っていた一式陸上攻撃機の見学を許され搭乗員全員で出かけた」
「三菱製作所は大変歓迎してくれた。我々は三菱製九六式陸攻を使って支那空軍を殲滅したのだから、故郷に錦を飾ったお客さんとして大事に大事にしてくれたのだ」

…という事があったそうなんですが、

「後藤直太所長自ら出てくるとともに、重役の服部(譲次)技師が詳細を説明してくださった。一式陸攻は世界一良い飛行機で、速力、上昇力、搭載力は抜群であり、しかも小型で、航続力がこの級のものでは他のものの追随を許さない。これは当社考案の”インテグラル・タンク”を採用しているからである、と自慢するのであった」

無題
Name 名無し 19/09/23(月)04:56:39  No.1285178      
1569182199474
…という三菱側の説明を聞いて、実戦帰りの搭乗員たちからは

「我々は実戦の生々しい体験から、鹿屋空司令の酒巻宗孝中将(当時大佐)以下全員でこの飛行機は使い物にならないと非難したものだった」
「翼をタンクにするなんていうのは実戦の経験のない人のすることだ。引火しやすい飛行機は実戦の役に立たない。”インテグラル・タンク”はすぐやめるべきである」
「後藤さん、これは図演にだけ働ける飛行機ですよ。畳の上の水練の達人が要求を出した飛行機です。海軍大学校出の兵隊さんが考えた飛行機ですよ」

…と、即座に大反発する意見が続出して

「服部技師の説明も白けて、元気が無くなってしまった。このタンクを止めたら航続力は無くなってしまい、実用価値は零になる」
「後藤所長はじめ、三菱の方々のご機嫌の悪かったこと。コーヒー1杯さえ出なかった」
…なんてこともあったそうです

無題
Name 名無し 19/09/23(月)04:58:57  No.1285179      
1569182337668
他のヒトの手記なんかと合わせると、三菱側だって寧ろ防弾に無頓着だったわけではなく、海軍と「インテグラル・タンク」の危険性も含めて打ち合わせた上で、それでも作戦上必要な性能を優先して作りんしゃいっ!と言われて製作に取り掛かり、ようやく試作機が出来たら現場の使用者さん達からボロクソに言われるとかそりゃあ面白かった筈がないんですが(棒)

・用兵者:コレだけの速さでコレだけ遠くへコレだけの兵器を運べるヒコーキが欲しい!
・搭乗員:そりゃあ性能のイイのに限るけどさ、敵のタマが当たった時死ぬのは俺らよ?!
・技術陣:あんたら好き勝手いうけどさ、基礎研究と実用化に数年は普通にかかるからね?
・量産会社:あまり現場の実情を考えない高いレベルの要求されても答えられないよ!!
・設計者:じゃあ結局誰の意見が最優先なんですかねぇ?!

…という、それぞれに相反する要素を含みまくりのみんなの要求全てを、100%満足させられるわけはないので、どこかである程度の妥協点を見つけなければいけないわけなんですが…

…難しいですよねえ

無題
Name 名無し 19/09/23(月)08:52:47  No.1285190     
B-17でも多数の損害を出しているが
その生存性を高めた一因には、防御力もさることながら
随伴できる戦闘機が護衛に付いた事により
さらに損害が減ったと言うので

一概に機体のみの防御力を問うても意味が無いのかも
『当たれば』ワンショットかもしれないが
戦局が悪化すれば、その頻度も上がってしまうし
相手の機銃が20mm標準になれば技術的にもう防ぐ手立てが無いとなれば
別の手立てを考えた方が良いような

下が陸地か海上かで大きく違うだろうが
機外へ脱出した者を水上機で同進行ルート上を探索して救助するとかダメ?

無題
Name 名無し 19/09/23(月)09:30:22  No.1285193      
1569198622308
海軍は双発陸攻と四発陸攻を考えていて
四発のほうに十分な防御を施し、敵の最前線に行ける機体を考えていましたが
その機体が期待外れに終わったのも一式陸攻の被害を拡大させた要因でもあるようです
ただ米軍のエアキャップ考えると、帝国海軍がB17持っていても被害はそんなかわらんような気もします

無題
Name 名無し 19/09/23(月)09:48:57  No.1285194      
コンバットボックスでハリネズミのように機銃防御するにはじっと陣形を組んだまま敵弾に耐えることが必要で4発エンジンでないと装甲板を積めない
そして何といっても十分な性能の護衛戦闘機が一番大事
しかし2つとも満足に無いとなるといかんともしがたし

それならいっそ双発の戦闘爆撃機にしちまえと言ってくれればね
ジェット見た伍長さんみたいに

無題
Name 名無し 19/09/23(月)10:11:55  No.1285196      
1569201115528
既に言及されてる方々が仰る通り、陸攻の比でない防御力をもつ米4発重爆でも、戦闘機の掩護のない状況下で反復攻撃を受けるような場合は、日独の戦闘機の攻撃でしばしば大被害を出していますから、爆撃/攻撃機が機体そのものの防御力に頼る戦術というのは、少なくともWW2では限界があったんじゃあないですかしら

ただ、味方戦闘機がカバーについてくれていても、余程の絶対優勢でなければその間をすり抜けて遮断を浴びせてくる敵機が必ず何割かは出てくるわけで、運悪くその一撃を食った時に自機が為す術もなく炎上してしまうか、それとも少なくともその一撃位は耐えられる防弾、若しくは消火装備が用意されてるかどうかは、やはり搭乗員さん達の士気という面でも重要なトコロだったんじゃあないでしょかねー

ともあれ、例えば戦闘機の護衛もコンバット・ボックスを組む編隊僚機もなく、単機で長距離哨戒に出るような任務の場合、頼りは各搭乗員さん達の見張り能力で、いち早く敵機を相手に先んじて発見し、回避に入れるかが文字通り死活を分けるポイントであったんだそうで

無題
Name 名無し 19/09/23(月)10:14:23  No.1285197      
1569201263873
ただ、延々12時間にも及ぶ洋上索敵飛行の間、逆に何事もなければ動くものは何も見えず、単調な飛行に各見張り員さんはついつい眠気に襲われるわけで、眠気覚ましに煙草でも一服吹かしたいところなんですが、元752空の陸攻搭乗員だった小林孝祐さんによると

「飛行機をあつかうものは、とくに火気に気をつかう。ガソリンとの生活であるから、タバコ、電池の火花など、耳にタコができるほど注意される。昔から、軍用機は禁煙であった」

…んですとか

それでも、

「1式陸攻の電池は、操縦席のすぐ後ろ、指揮官席の反対側にある。偵察員席は最前部にあるから、絶えず機内を風が通る。だいたいがガソリンの混合気があるから爆発するわけだから、なければ大丈夫だ」
「出発前に針金(安全線)を2尺(60センチ)ぐらい、飛行服のポケットにしのばせる」

無題
Name 名無し 19/09/23(月)10:17:01  No.1285198      
1569201421947
「4時間、5時間、なにも変ったことはなく飛びつづける(略)かねての計画どおり、ポケットから、おもむろに針金を取り出す。電池(バッテリー)のカバーをとる。+と-の端子に針金を接続させる。みるみる赤くなる。そこでヨシっと防暑服のポケットから、『ほまれ』を出して腹ばいになるような格好で吸う。
『オーイッ、タバコだ、タバコだ、みんな吸え』
みんな拍手で喜んだ」

「喫煙時間の効果はてきめんで、だれも居眠りするものがなくなった。ペアの意思がいっそう固まったといっても過言ではない」

…なんて工夫?を凝らして、居眠り防止に努めたそうです

さしづめ1式ライターならぬ、1式陸攻「の」ライターの話、ということになるんでしょか…w

無題
Name 名無し 19/09/23(月)13:35:19  No.1285211     
>12時間にも及ぶ洋上索敵飛行
トイレはどうしたんだろう・・・

無題
Name 名無し 19/09/23(月)15:44:34  No.1285222     
>トイレはどうしたんだろう・・・
爆撃じゃないでしょうか(迷推理

無題
Name 名無し 19/09/23(月)15:51:21  No.1285223    
一式陸攻はトイレあったそうな
っつても仕切りもなくて用足せるだけの簡易なものらしいが
出てきたモノを爆撃するシステムがあったのかは定かではない・・

無題
Name 名無し 19/09/23(月)19:16:34  No.1285260    
一式陸攻のトイレは排泄物を貯めて、帰投後に捨てる方式だったと「丸メカニック」に記述がありますよ
単なる垂れ流し式だと、吹き返しで水浸しになるとか

無題
Name 名無し 19/09/23(月)22:00:18  No.1285276     
1569243618959
>トイレはどうしたんだろう

支那事変初期の陸攻乗りさんの手記に、渡洋爆撃爆撃から帰投後「溜まりに溜まった生理的欲求」を滑走路脇で処理した、なんてありますから初期の96式陸攻だと機内にはなかったんですかねえ

因みに大戦後期の96式陸攻搭乗員だった横山長秋さんの手記によると

「両側の7.7ミリ機銃のあるスポンソンの後部に、小便用の便器があるが、ほとんどそれは使わない。なぜなら、天井が低くなっていることと、なによりもスポンソンから吹き込んでくる風で、放出する小便は、たいていは露となって我と我が身にふりかかってくるからである」

「それで、私たちはいつも、小便袋というのを何枚か持っている。小便袋は、元が10センチくらいの馬糞紙(ボール紙)でつくってあり、つまむとまるい筒になるようになっている。その先に、セロハン紙のような防水の紙袋がまるくついており、そこに放水するのである」

無題
Name 名無し 19/09/23(月)22:02:40  No.1285277      
1569243760240
「そのあとは、元の部分をつまみ、たいていは洋上飛行であるから、スポンソンから爆弾投下よろしく、ポイとやる。それが陸攻乗りの小便である」

…んだそうで(大きい方については記述無し)

また、本庄氏によると、1式陸攻のお手洗いは

「胴体後端の銃座覆いには、銃身のでる切り欠きがあるが、試験飛行をしてみると、ここから相当激しく風が吹き込むことが分かった。この隙間から当時の5銭だったか10銭だったかの小銭を投げると、下に落ちずに胴体内に戻ってくる。軽いものは捨てることができなかった」

「こんなことから、便所を設けても胴体降下法に排出口をつけるわけにはいかないので、胴体にとりつけた便器は、排泄物を飛行中貯えておいて、着陸した時に捨てるようにした」

無題
Name 名無し 19/09/23(月)22:03:04  No.1285278      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569243784775.jpg
「もし排出口を設ければ、胴体内に吹き上げてくるおそれもあるし、戻ってこないまでも、胴体が汚れるからである」

「汚い便器の設計は、骨を折って考えたものだが、最初のうちは機体内に装備してあったが、どうしたことか、間もなく取り去るように軍から申し渡しがあった。せっかく臭い思いをして設計した担当者に、なんとなく気の毒な気がした」

…そうで

位置的にも大きさ的にも、そんなに場所をとるものでもなさそうなので、撤去を命じられたとしたならちょっと根拠が気になるところなんですが、結局大きい方は着陸までガマンしてたんでしょうか…

無題
Name 名無し 19/09/23(月)22:38:48  No.1285285      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569245928335.jpg
座った時だけ人の重みで底が開く二式大艇の便座は画期的だったのか

無題
Name 名無し 19/09/24(火)13:17:29  No.1285332      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569298649097.jpg
例え失敗作と言われようとも…

無題
Name 名無し 19/09/24(火)13:20:31  No.1285333      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569298831020.jpg
例え登場が遅すぎたと言われようとも…!

日本の数少ない実用4発陸上機の最後を飾ったのは「陸攻」なのです…!

無題
Name 名無し 19/09/24(火)13:47:25  No.1285334      
B―17なんかは確か小便用のホースが座席から伸びているんだよね

そして日本で鹵獲機を調査中に知らずに伝声管と思って…

無題
Name 名無し 19/09/25(水)16:33:43  No.1285424      
1569396823241
陸軍の経理士官だった方々の回想をまとめた本の中に、航空本部で飛行場等の施設担当だった方の話も有ったんですが、曰く

「連山というB29みたいな大きな飛行機を試作しておったらしいのですが、それを飛ばすんで、福生(フッサ)の飛行場をそれが飛べるように直せというんです(略)」
「技師連中もおりますから一緒になって計算してみると、飛び上がるときの重量26トンとか30トンとかあるんですよ、べらぼうに重い飛行機で、コンクリートの厚さ1メートルぐらいで作らなければならないのです」
「骨材が入るとなると電力がいります。それで東電なんかと交渉して電力を取る設備を作る」

「貨車で運び込むための設備をやって、降ろした所の荷揚げ等、そういうものを全部手配して、10車ぐらいずつ貨車が入り出したんです」

「やれやれと思ったら、あれは中止と来たんです。中止といったって、山元から骨材が出る準備しちゃってて止まりゃしないですよ」

無題
Name 名無し 19/09/25(水)16:38:45  No.1285425      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569397125514.jpg
「どんどんどんどん入って来るから、あっち行って断り、こっち行って断りで、やっと止めたんですが、その時分には福生の飛行場の傍はものすごい骨材の山でした」
「この後片付けは終戦の時にどうなるのかと思ったですけど、結構戦災復興に使われたようです」
「たった2ヵ月ぐらいの間にそんな大きな飛行機を飛ばすというのが、ガラッとこう変わってしまうんです。あれはなんか非常に実行するほうの側としては苦労したもんです」

…なんてありましたり

海軍サンは陸サン他関係各位にゴメンナサイしなきゃいけないよね、というのはともかく(棒)

海軍機の運用の為に、陸サンが自前の飛行場を多大な労力と資材をかけて改修するのを引き受けた、というのがちょっと興味深い所なんですけれども、或いは「連山」も、前作「深山」のように、開発が上手く行ったら陸軍でも重爆として使用するような申し合わせがあったりしたんでしょかね…?

無題
Name 名無し 19/09/25(水)18:19:30  No.1285428     
千歳の連山滑走路は8月15日午後に滑走路の延長舗装工事が完成して、最初に着陸したのはB29という皮肉。
粗悪な施工で初着陸時にコンクリ一面にヒビが入ってしまったようだが、その後のB29の長距離記録飛行の寄港地にもなり、ずいぶん後にはジェット旅客機が千歳と間違えて連山滑走路に降りたこともあったね。
今も陸自の演習や戦車パレードにはよく使われてる

無題
Name 名無し 19/09/26(木)02:23:17  No.1285470     
連山が間に合っていたら、「ライター」の汚名も返上出来たかな・・・

無題
Name 名無し 19/09/28(土)14:24:30  No.1285663      
>「ライター」の汚名も返上出来たかな
先述の堀輝一郎さんによりますと、結局他の諸性能への要求との兼ね合いから

「13粍機銃時代に大型機『連山』に7.7粍機銃弾に対抗する薄い外皮の防弾タンクを装備する等、姑息不徹底な防弾対策を採用した」

…との事で、正直実質的な打たれ強さは依然アメちゃんの4発重爆並とは行かなかったんじゃあないでしょかね
もっとも、例えば未だ1式陸攻の打たれ弱さが重要問題化する前の昭和16年始めに、IJNが三菱に研究を命じた同機の後継機16試陸攻(後に「泰山」)では、既に燃料タンクへのゴム被膜防御を実施する、とされていたそうなんですが、一方では更なる高速性能に加えて長航続距離、急降下爆撃性能を持った機体でまた双発にまとめてね☆という要求に、だからそんなん4発機にしなきゃ無理にムリに決まってるだろオォンッ?!とミツビシ=サンがブチぎれるなど色々ありまして(棒)
結局最終仕様が纏まったのは昭和18年8月にまでズレこんだ、とモノの本にはありましたり

無題
Name 名無し 19/09/28(土)14:26:06  No.1285664      
http://cgi.2chan.net/f/src/1569648366762.jpg
計画中には、一応雷撃も急降下爆撃も出来る機体という触れ込みゆえなのか、独の双発というか双子エンジンの変則4発爆撃機であるHe177を参考にした…なんて話もあるそうなんですが、本家のHe177自体が過大な要求性能のおかげで戦力化に手間取り、就役後にも様々なトラブルが続出して、ハインケル社社長のエルンスト=サンが

「だからまともな4発機で作らせろって言ったんだ!実際作ったし!!」

…と自伝でボヤきまくっている機体だったりしますし、そもそも降下爆撃も雷撃も出来る陸上双発爆撃機という触れ込みで、既に昭和15年末に15試陸上爆撃機(後の「銀河」)の計画もスタートしていた筈なんですよね

ソコに被る様な機体をまた別に三菱に発注したのは、それまでの実績を評価しての事だったのか、16試陸攻と15試陸爆を互いに保険的な存在にする思惑があったのか、それとも全く別の運用構想があったりしたんでしょうか

無題
Name 名無し 19/09/28(土)14:30:39  No.1285665      
1569648639044
因みにHe177については、単なる参考より更に進んで国内でライセンスする構想もあったんだそうで、IJN航空本部監督官として戦中ドイツへ派遣されていた巌谷英一さんの手記によると、幾度かの交渉を経て、ドイツから技師の派遣と工作機械の譲渡を受ける前提で

「昭和18年春(略)日立航空機(略)と強力して千葉海岸に有名なHe-177型級大型爆撃機35機(略)の月産能力を持つ大工場の建設準備に取りかかっ」

…ているんだそうで

これまた時期的には未だ進行中だった16試陸攻(泰山)、更には17年末に始まった「連山」の開発計画とカブっていたりするんですが、コレが例えば遅延する「泰山」の代替として「He177」を生産する為のものだったとして、仮にある程度成功して居ましたら、或いは和製「グライフ」が日本陸攻史の掉尾を飾る、最後の4発陸攻になったりしたのですかしら…w

無題
Name 名無し 19/09/28(土)17:53:17  No.1285682    
普通のDBエンジンであれだけ国産化に苦労した日本がHE177のライセンス生産とか

正直絶対挫折したと思うわ

無題
Name 名無し 19/09/28(土)19:05:13  No.1285687     
急降下爆撃用ジャイロ照準器のstuviもコピー出来て無かったからね

Name 名無し 19/09/29(日)14:45:10  No.1285728
1569735910989
ドイツ、更に言えばハインケル社製の機体をIJNの実戦制式機として量産するのは、既に94式艦上爆撃機で実際行われていたりはするんですけれどねー

更に、IJNが後に”アツタ”エンジンとして国産化するDB601エンジンのライセンス生産契約をダイムラーベンツ社と1939年6月に結んだ際には、同エンジンの「双子版」であるDB606エンジンについても製造権を購入しているんだそうで
(同時期に別に交渉していたIJA側はDB601のみだとか)

従って、ハインケル社製機体や独製液冷双子エンジンの国産・量産化については、ある程度先例というか下地がないわけではなかったみたいですなあ

尤も、厳密に言えばHe177が搭載するエンジンはDB601の発展型であるDB605を2基連結したDB610ですから、仮にそのまま国産化するとしたら、また別にライセンス料を取られるコトになっていたかもですが

無題
Name 名無し 19/09/29(日)14:46:57  No.1285729
http://cgi.2chan.net/f/src/1569736017619.jpg
IJNでは1938年にハインケル社よりDB606エンジン搭載のHe119偵察/爆撃機2機とその製造権を購入し、同時に技術者集団をドイツに派遣して、ハ社およびDB社から技術習得に当たらせているんだそうで、DB606エンジンの製造権獲得もそうした活動の一環ということだったみたいなんですが、一方でエルンスト・ハインケル=サンに言わせると、He119という機体とその双子エンジンは

「1936年のわれわれは(略)高速爆撃機として実験機He-119を開発したのだった(略)その主眼は、強力エンジンがないというハンディを二つのエンジンでひとつのプロペラを回すことにより克服することにあった」

「われわれの注文に対してダイムラー・ベンツ社は、DB601を二つつないで2000馬力を出せるといってきた。私にはいささかの疑念はあったが」

「のちに日本に売られた実験機実験機He-119のエンジンは、はじめ好調だった。1937年(略)陸上機国際速度記録をこれがたてている」

無題
Name 名無し 19/09/29(日)14:48:57  No.1285730
1569736137284
…そうなんですが、またこうした「実績」ゆえに
「いうなればエンジンに困って生じたダブルエンジンDB-606をここで初めて実用化したため、He177の開発がわが社にまかせられたのだった」
…んだとかで、これが後にWW2末期、日本でのHe177の量産にまで繋がる「縁」の始まりでもあった、というコトみたいですねえ

尤も、
「1941年から43年にかけて、ダイムラー=ベンツ社には、火災が発生しない安全な複合エンジンを造ることができなかった。5、6時間も飛ぶと(略)ピストン棒が折れてエンジンのハウジングに穴があいてオイルが洩れ、まずエンジンが、ついで機体が燃えあがるのである」
…なんてエルンスト=サンを嘆かせるほどの初期不良に見舞われたHe177とそのエンジンを、本家より条件の良かろうはずのない日本で生産しようとするなら、同様かそれ以上のトラブルが続出していたはずでしょうから…

…やっぱりちょっとムリがある話だったんです…?

無題
Name 名無し 19/09/30(月)09:54:07  No.1285758
http://cgi.2chan.net/f/src/1569804847657.jpg
九六式や一式陸攻設計者の陸攻設計者の本条さんは…
若いころドイツに留学して航空技術を学んでいるのです

無題
Name 名無し 19/09/30(月)09:56:23  No.1285759
1569804983052
同じ三菱で「零戦」を設計した堀越さんもまた同じ…

やっぱり、先進国に学んだ経験こそ名機を生むんです…?

無題
Name 名無し 19/09/30(月)11:43:08  No.1285764
それこそ深山なんか、仮想敵のはずのアメリカの旅客機をコピーしてものにしようって計画でしたから

まあそれでまんまと失敗作摑まされたわけだけどな!

無題
Name 名無し 19/09/30(月)16:02:36  No.1285770      
>海軍は双発陸攻と四発陸攻を考えていて
まあ飛行艇ではすでに実績もあったし

無題
Name 名無し 19/09/30(月)17:31:03  No.1285772
1569832263146
本庄=サンの回想記によると、96式陸攻が実用機として舞台に配備され始めの頃、ある部隊指揮官さんから

「今までわれわれの航空隊では、木または金属の骨の上に羽布を張った飛行機をもらっていた。ところがこの96陸攻はブリキのようなものでできている。そして取扱説明書には、そのブリキの表面を洗う方法が書いていない。これは今までのように石鹸水をかけて洗ってよいのか?」

…なんて聞かれて、さっそく取扱説明書にジュラルミン外板の手入れ法を書き加えた、なんてこともあったそうです

何というか、時代を感じさせるエピソードですねえw

無題
Name 名無し 19/09/30(月)17:32:12  No.1285773
1569832332032
因みに本庄氏曰く、

「ユンカースという人を、私は実にえらい人だと思うんですよ(略)ものの考え方ですね。いま、システムエンジニアリングというのがあるでしょ。あれを、あの時代からすっかり実行しているのが、ユンカースですね」

…とのことなんですが、また別の氏の手記によると

「昭和3年9月三菱は独ユンカース社と契約を結び(略)多量の図面・資料並びに工作技術を輸入し、その優れた設計技術、工作技術並びに工場事務処理法等の全般を知ることができた(略)図面整理法・改造時の図面訂正手続・部品標準化実効要領等は日本人の最も苦手とする所とて、三菱には非常に良い見本と」

…なったそうです

無題
Name 名無し 19/09/30(月)17:33:06  No.1285774
1569832386627
「96陸攻の成功により三菱は(略)低迷時代から脱したが、その理由は(略)
1:優れた風洞試験装置の建設により、空力諸係数の信頼できる値を求められるようになったこと
2:ユンカース社との提携による(略)構造見本・図面取扱法・工場運営法の良い手本を得(略)実行したこと
3~6(略)」
…だそうなんですが、一方では

「しかし、その後1式陸攻設計着手までには、特に取り立てて性能を向上させるような技術も見当らない。従って、96陸攻の性能を更に向上させるためには、馬力増大以外には無かったのである」
「にも拘わらず、発動機出力は(略)1式陸攻設計着手の時までに、いくらも増加していない。こういう技術的環境の下で軍は無理難題を並べた(略)試作要求書を送って来た」

…なんて書かれてもいましたり

地道な技術導入の積み重ねの大切さを、身に染みて理解してきた当事者だからこそ、色々思う所があったんですかねえ

無題
Name 名無し 19/09/30(月)18:49:41  No.1285780
へー、羽布張りの飛行機は石鹸水かけて洗ってたんだ・・

無題
Name 名無し 19/09/30(月)19:58:25  No.1285783
>へー、羽布張りの飛行機は石鹸水かけて洗ってたんだ・・
羽布はペンキで塗り固めてるんじゃね?

無題
Name 名無し 19/10/01(火)00:06:48  No.1285805

羽布は飛行中にたわむので表面を塗り固めるのは難しいと思う。(´・ω・`)b

無題
Name 名無し 19/10/01(火)09:32:51  No.1285821      
>羽布は飛行中にたわむので表面を塗り固めるのは難しいと思う。(´・ω・`)b
じゃあ零戦の動翼類は灰色や緑じゃなく生成りなのか?
それとも塗ったらジュラルミン並みの強度が出るペンキがあるとでも?

無題
Name 名無し 19/10/01(火)11:45:26  No.1285832      
羽布は塗料は塗ってるが、たわみでそのうちひび割れてくるので手入れは必要
汚れたら、水をたっぷり含ませた雑巾で傷をつけないよう上から下へ一方向に洗い流すように拭いた、記憶がある
基本水のみ使ってたが、油汚れだったら石鹸水が必要かもしれない

無題
Name 名無し 19/10/02(水)20:42:29  No.1285969
1570016549409
海軍航空廠などで勤務された海軍技術少佐の野間口兼良さんという方の手記に、
「塗ると皴がなくなる化粧塗料羽布塗料」
…と題した一節が有るんですが、曰く

「羽布塗料は翼骨組に張った羽布に緊張力を与え、空気抵抗を減じ且つ翼面を構成する為に塗粧するのである。軽金属用防蝕塗料はジュラルミンは海水に腐蝕され易いので、之を防ぐために使用するのである。それらの為に羽布用には醋酸繊維塗料がよく、また軽金属用にはベンジル、セルローズが最も防水力防蝕力が強いので重用されるのである」

…そうです

要はまあ、羽布構造の機体に塗られる塗料はソレ自体がシワ取りスキンケア効果を期待されるものだったみたいなんですがw
おのずから金属機とは塗料に求められる性質、或いは塗料自体も異なってくるということなんですとか

無題
Name 名無し 19/10/02(水)20:47:58  No.1285972
1570016878388
これらの塗料は当初は殆んど輸入品で、その後国内での生産の為に多大な努力が払われたそうなんですが、アジ歴に残る国産軽金属(ジュラルミン)用塗料の耐久試験報告書など見ますと、比較先の輸入塗料の中には石鹸水、或いはガソリンなどで劣化するモノもあったようですので、「石鹸水で洗って良いのか?」というのは、案外深刻な問いだったりしたかもしれませんですねえ

また、コレは直接外板に塗る塗料のハナシとはまた違うんですけれども、本庄=サンによりますと、「陸攻」の開発が三菱で始まった当初、主翼の一部を為す構造の燃料タンクの洩れ止めパッキングについて相当研究を行ったそうで、この時使われたパッキング用の帯状材や洩れ止め塗料には米国の「THYOKOL社」製合成塗料を用いたそうなんですが、同社は紆余曲折を経て現在もATKランチ・システムズ・グループとして健在で、軍板的にはロケットやミサイル開発に深く関わっており、身近な所では車のエアバッグ用ガス噴出機で世界的に大きなシェアを持つ会社だったりするそうです

(ウィ〇ペディアを横目で見ながら)

無題
Name 名無し 19/10/02(水)20:49:07  No.1285973      
1570016947561
因みに、IJNでなく陸サンで大戦中航空機の整備兵だったわち・さんぺい=サンの手記に、飛行後、エンジンから徐々に洩れる油と砂塵で汚れたジュラルミン製の機体の表面手入れを
「いったい、何で拭いたか?おわかりになりますか」
…という一節があるんですが、その答えはというか
「当時、ガソリンは血の一滴といわれるほど、大事なものであっても、なんと、ガソリンで拭いたのである」
…んだそうで、
「日本の軍用機で、油汗をたらさないエンジンは、ほとんど皆無」
「南方戦線で捕獲した(略)P51や(略)B-17などが、福生の飛行場へ届いた(略)ぼくに溜息をつかせたのは、まず油汚れ、油汗ひとつかいていないエンジン周りであった」
「敵国を賛美するつもりはなかったが、日本製エンジンの欠点(油もれ)は、発動機に付随する(略)パッキンにあることがわかった」
「日本製は、赤茶色のファイバーで紙を圧縮しただけで、敵さんのは、石綿を圧縮したものの両面を、錫箔で合わせたものである。要は、材質の問題である」
…なんて、当時を回想されていたりします

無題
Name 名無し 19/10/02(水)20:52:18  No.1285974      
1570017138830
また、本庄氏の手記では、

「1式陸攻は、フラップの出し入れとか(略)の動力に、すべて電気モーターを使った。油圧装置を使った機体が(略)ほとんどどれも、油洩れの文句が持ち込まれたから、電気モーターでこれを解決しようとの考えからである」
「戦後米軍ではOリングという極めて簡単な形でありながら、はなはだ具合のよいものを多く使っているが、あんな良いパッキンが戦時中日本にあったら、われわれはずいぶん助かった」

…なんて、別の「油洩れ」への苦心について語っていられるんですが、その昔スペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ直後に爆発する大事故を起こしたとき、原因として特定されたのが先のTHYOKOL社製の「Oリング」だったりするんですよね

無論、戦前の陸攻の開発と、戦中の日本機の整備性、戦後のスペースシャトルの間に直接の関係はないんですが、うっかり大事なモノが洩れると色々大変なコトになるのは、何時の時代も変わらないってことなんでしょうか(棒

無題
Name 名無し 19/10/03(木)09:06:07  No.1286024
96式陸攻は…初めての渡洋爆撃で往復8時間以上を飛行…!

無題
Name 名無し 19/10/03(木)09:34:54  No.1286026      
>96式陸攻は…初めての渡洋爆撃で往復8時間以上を飛行…!
まあ払い下げられて軽く改造されたニッポン号が世界一周してるしな
航続距離の素性は良かったんだろ

無題
Name 名無し 19/10/03(木)09:08:49  No.1286025
http://cgi.2chan.net/f/src/1570061329559.jpg
1式陸攻は…マレー沖では10時間以上を飛行してイギリス戦艦を撃沈しています

例え燃料タンクだらけの機体が撃たれ弱い宿命を負ってしまったとしても…

中には、そんな機体だからできた戦果というのもあったと思うのです…!

無題
Name 名無し 19/10/03(木)12:52:02  No.1286045      
逆にマレー沖あたりでなんの戦果もなくボコボコにされてれば、かえって陸攻という無理のある機種そのものが見直されたかも

そういう意味じゃ、悲運の機体だったよねえ

無題
Name 名無し 19/10/03(木)13:01:59  No.1286046      
>かえって陸攻という無理のある機種そのものが見直されたかも
いや、陸上攻撃機自体は必要だろ
むしろレンジが
4発機:長距離
双発機:中距離
単発機:短距離
になるだけじゃね?

無題
Name 名無し 19/10/03(木)15:09:11  No.1286054
1570082951010
戦争末期、対潜哨戒部隊である901空大村派遣隊の96式陸攻の機長だった長谷川春一さんという方の手記に、ある日の哨戒飛行の様子が記されているんですが

「昭和19年8月23日(略)夜間飛行を終えた97式飛行艇と交代に基地を発進したのは午前8時前後だった(略)千哩ほどの行程で、扇形の飛行コースで6時間余り。任務を終えて基地の方向に機首を向けた時、操縦席の横に海図を差し出し

『おい、時間が早いから学童疎開船の前路哨戒をしてやろうじゃないか』」

「開聞岳を遠く左に見ながら南下するも船団が見えない(略)
『おい、あれは何だ!』
機首を下げ速力を増す。大小の木片が波に洗われて(略)その木片や四角いものの上には人が乗っている。
『やられたッ!』
思わず大声で怒鳴った」

無題
Name 名無し 19/10/03(木)15:10:55  No.1286055      
1570083055500
「任務上、海面スレスレの飛行は専門であるが、あまり低空すぎるとプロペラの風により波立つので、機首を40メートルで水平に戻す」

「顔、顔、顔、遭難者の顔がはっきり見える。木片につかまった者、イカダの上の者、手を大きく振る者(略)搭乗員も窓から手やハンカチを振る」

「直ちに遭難者発見の無電が発信された(略)”ガンバレ、救助手配スル”『通信筒用意ッ。投下』
第一弾は漂流者の中ほど、一番人かたまりの多いところに投下する。漂流者の上空をひと回りして、徐々に高度を上げる」

「『浮袋投下よし!──投下ッ!』
不時着用の大型ゴム浮袋に”ガンバレ、救助船サガス”と書いて投下する。さらに第2・第3の通信筒も投下。高度を上げながら旋回半径を大きくする」

無題
Name 名無し 19/10/03(木)15:16:26  No.1286057      
1570083386403
「高度2千、悪石島の近くに小型漁船を発見。急降下して漁船に近づく。翼を左右に振りマストすれすれに飛び、”遭難者アリ、救助セヨ、ワレ誘導ス”漁船に通信筒を投下、すれすれに落下する」

「上空を旋回しながら待つほどに、船員が(略)通信筒を拾い上げ、手を大きくまわした。機首を遭難現場に向け、漁船場を2度3度飛んで方向を示す。船もその方向に向かって進む」

「我々はまた南下する。少し離れてはいたが、もう1隻の漁船を発見、直ちに通信筒を投下し、誘導につとめた」

「遭難者近くまで来た時、搭乗整備員が燃料が少なくなったことを告げた。
『できることならいつまでも上空をとんでやりたい』
と思ったが如何せん(略)後ろ髪をひかれる思いで大村基地に帰投したのだった」

…そうです

無題
Name 名無し 19/10/03(木)15:31:24  No.1286058      
1570084284835
因みにこの時、遭難した学童疎開船「対馬丸」の生存者の一人である平良啓子さんという方が、長谷川機の思い出について手記を残されておられるんですが

「多く漂流者を救助に導いた方々のことを忘れない。対馬丸沈没の翌日(略)日本の飛行機が漂流中の人々を発見し(略)通信筒を海面に落下させ、漂流中の人々を勇気づけ実際に、救助隊によって人々は助けられた」

「もしあの時、飛行機に見つからなかったら、もっと多くの死者が出たことだろう。私も漂流者の一人として、そのご恩は何時までも忘れません」

…との事

既に旧式化したとはいえ、長時間の巡航時間を持つ96式陸攻ならではの性能と、なにより本来任務外の学童疎開船の掩護に、自発的に向われた陸攻クルーの方々の厚意のどちらが欠けても、挙げ得なかった「戦果」だった、ってことなんでしょうかねえ

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1285027.htm

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