無題 Name 名無し 19/08/17(土)14:45:02 No.1282041
引用元:wikipedia
http://cgi.2chan.net/f/src/1566020702630.jpg
DB601系搭載機スレ
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1 名無しさん 2019-08-21 21:41:35
思えばDB600系列のエンジンは主要枢軸国全体で使われた枢軸液冷エンジンの代名詞みたいなもんなんだよな
結果論だけどもし戦前にダイムラー社がイタリアや日本に支社工場造って生産とかしてたら助かったことになるものも多いだろうなあ
2 名無しさん 2019-08-21 22:32:25
飛燕にオリジナルDB605を搭載できればねぇ…
ポテンシャルの有った機体だけに残念。
3 2019-08-21 22:44:01
整備用の治具や潤滑油までWW2ドイツ本国と同等品質で確保できないと
助かるということはないと思う。
今だと部品も潤滑油もその他も簡単に手に入るが、あの時代は
主要部品の品質基準情報入手ですら一苦労だったから
4 名無しさん 2019-08-21 22:58:57
ハ40が1500馬力だったらという悔しみ!
1500馬力のハ140が空冷エンジンに寝取られた悔しみ!
この設計者の悔しみ!
誰が分かってくれるか!
5 名無しさん 2019-08-21 23:21:59
>>4
保険で栄か誉搭載型も作っとけば良かったんかもねー
15 名無しさん 2019-08-22 19:15:34
>>4
戦後の回想で「ハ-140の改善に努力している明石工場を考えると簡単に空冷化と言えなかった。結果を思うと、情に溺れてしまったのはまずかった…」
と書いてたらしいけど、その「情」で何人の操縦者を失ったかと思うと…
30 名無しさん 2019-08-24 18:37:22
>>15
43年に金星6x型は量産されてないし5x型だと三式戦I型や二式単戦とあまり変わらない気がする
零戦64型と違って五式が実戦に間に合っただけ良かった方かと
6 名無しさん 2019-08-21 23:29:45
飛燕に1000馬力は力不足だったようだね。連合軍側としては「食いやすかった」とか…
7 名無しさん 2019-08-22 00:01:25
>>6
見た目は早そうでも、フル装備だと出足で重爆に置いて行かれるんだと。
(だったら迎撃機は鍾馗でいいじゃん……イイジャン……)
液冷エンジンに関して陸軍は93式重爆の時にひどい目にあっていて、何の前触れもなく飛行中にエンジンが停止したり、ピストンがシリンダー壁を破壊したりするもんで、不時着練習機と呼ばれて恐れられていた。
ま、身の丈に合わない装備は諦めるのが懸命ということですな。
18 名無しさん 2019-08-22 20:29:27
>>7
68戦隊の人も亡くなったやつの半分ぐらいは離陸時のエンジントラブルだなんて言ってましたもんね
液冷それもドイツ製のエンジンだし、扱いきれなかった感は強いよね。
12 名無しさん 2019-08-22 13:52:38
>>6
P-40に性能や飛行特性が似てたから対処しやすかったらしい。
17 名無しさん 2019-08-22 20:26:32
>>6
フィリピンで捕虜になったf6f乗りの証言ですな。
そもそも飛燕は度重なる防弾、火力強化の影響で初期型より400kg近く重くなっていて、それに対してエンジンの馬力が全く強化されてない機体。
しかも、ホ5の初期不良でカウリングを強化したから尾部にバラスト積んでるという…
8 名無しさん 2019-08-22 01:44:15
そもそも水冷ならラジエーターや冷却液コミコミで空冷より遥かにエンジンが
重くなるんだから翼面荷重は諦めて鍾馗みたいに極限まで翼面積絞って
速度に特化した戦闘機にすりゃいいのに、万能戦闘機とか目指して
格闘性能まで欲張った土井技師の設計思想が悪い。
鍾馗並に削ってればハ40のままでも650km手前は狙えたんじゃね?と割と思う。
9 名無しさん 2019-08-22 03:26:00
>>8
つキ60
16 名無しさん 2019-08-22 19:16:22
>>8
五式で陽の目をみた感じなんだけどね…
19 名無しさん 2019-08-22 20:30:44
>>8
五式戦「せやろか?」
10 名無しさん 2019-08-22 07:42:47
丹波哲郎が戦時中は三式戦の整備士だったらしいけど、三式戦の整備士はエンジン周りの作業で作業着がオイルまみれになるから一発で見分けがついたらしいね。それにしても陸軍はなんで三式戦を装備する244戦隊を調布に配置したのやら。すぐそばに中島飛行機の三鷹工場あるんだから、一式か二単、四式戦の部隊を配置した方が補給や整備が楽になったんじゃないかと個人的には思っているんだけどなあ。
14 名無しさん 2019-08-22 19:05:54
>>10
近くに補給廠があったから問題なかったと読んだ。
21 名無しさん 2019-08-22 20:58:53
>>9
キ60って元々600km出す予定で設計されてるんだよね…。
(ソースは日本航空機総集川崎編)
なのに560kmしか出なかったのは当時の日本に単発高速戦闘機の
ノウハウがほぼ無かったのが原因じゃないかと。
逆に三式戦闘機が試作機で590km出せたのはキ60で培った
経験で機体設計の洗練が進んだからだろうし、だからこそ中戦なんて
競合相手の隙間に逃げずに重戦に再挑戦すべきだったと思うんだよなぁ。
まぁキ28が97式戦闘機に採用負けした結果、主脚引き込み式の
高速複葉機作ろうとしてたくらい格闘性能が土井技師のトラウマに
なってたという仕方無い面もあるけど…。
24 名無しさん 2019-08-23 04:12:34
>>21
時系列…
キ60とキ61は重戦と軽戦として同時期に開発されたものなのでキ60のノウハウがーなんてありえないし、要求仕様無視して重戦化とか論外。
28 名無しさん 2019-08-23 20:49:07
>>24
キ60の設計開始は40年2月で、初飛行は41年3月で、
キ61の設計開始は40年12月、初飛行は41年12月と、
実際には10ヵ月近く差があるわけで、一年ちょいで機体の
設計開始から初飛行まで行く時代なんだから、その間にキ60の
反省点を検討して、設計に盛り込んだと考える方が普通なのでは。
>胴体断面をキー60の840×1460mmから840mm×1350mmに減少、
有害抵抗の減少につとめた。
>キー60では、油冷却器が前方に分離していたが、キー61では水冷却器の
中に含まれ、機首が流線形化された。
>冷却器の位置を後方に移し、高速時における有害抵抗の減少をはかった。
(ソース同上、原文ママ)
と、キ60で思った以上に速度出ない事が判明したからこそ、キ61で
こんだけ有害抵抗の減少に気をつかったんだと思うんですけど。
まぁ重戦に再挑戦云々は結局は顧客の陸軍の航空行政に
行きつくから筆が滑ったとは思うけどね…。
25 名無しさん 2019-08-23 12:35:05
>>21
後期型の飛燕は重戦になってるんですけどね。軽戦としてやっていくのは無理だったからですが。
11 名無しさん 2019-08-22 13:11:49
キ60の時点で加速旋回で二式に負けてるのにって思ってしまう
皆さん的にP-36とP-40はどうなんでしょう?
13 名無しさん 2019-08-22 13:55:44
>>11
計画的には隼後継の軽戦闘機なので。陸軍の理想では主力重戦闘機にしたかった2式戦とは競合しないんです。
20 名無しさん 2019-08-22 20:39:36
>>11
モホークちゃんは意外にも真珠湾で零戦も撃破してるんだよね。
p40も意外なほど零戦を苦しめたりするし。
似たような機体の隼が苦戦するのもわかる気がするよ。
だからこその飛燕だったのかなぁとも思うんだけど、デビュー戦がね…
22 名無しさん 2019-08-23 01:21:36
海軍と陸軍で仲悪いから愛知と川崎で別々にライセンス取ったって馬鹿にされてるけど、生産に関してダイムラーで行われた研修では海軍、陸軍、愛知、川崎の技術者が同時に揃って仲良く講義受けてた。
29 名無しさん 2019-08-23 21:09:54
>>22
DB600では海軍が仲介して陸軍と共同してライセンス取得してるのにな
そしてハ140の大不調で海軍のアツタ32の提供を求めた陸軍に対して特に
拒否はしてない
これで仲が悪いなんて言われてもねぇ
23 名無しさん 2019-08-23 02:19:53
もともと陸軍用DB600も海軍委託先の愛知が生産を担当する予定だったけど、生産能力が足りないから川崎が追加でライセンス購入することになっただけだしなあ
26 名無しさん 2019-08-23 14:54:06
三式戦は補給のままならないニューギニアに送られたのが不憫で。まあ陸軍の自業自得なんだけど。
27 名無しさん 2019-08-23 19:56:41
三式戦以外まともな戦闘機が陸軍に無かったからなあ
一式戦は貧弱な火力だし、二式戦は数が少なすぎる
二式戦の43年平均月生産数が約43機しかない、一方量産されたばかりの三式戦の43年平均月生産は約59機で総生産はもう二式戦を上回る
海軍の雷電が予定通り開発されてたら陸軍戦闘機キ65として採用されたろうけど、それも無い以上は三式戦でも送るしかない
31 名無しさん 2019-08-27 16:32:02
三式戦?型はお尻のバラストさえなんとかなれば、640km/hぐらい出せたのかなあと思うとちょっと残念…
そういった意味なら1500馬力にバラスト無しの五式戦は完全版なのかな
元記事: http://gunji.blog.jp/archives/1075499464.html
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コメント
せいぜい栄21型とタメの千馬力エンジンじゃどうあがいても足りん ハ140の二型でないと
格闘戦主体でやったみたいだから飛燕が苦戦するのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど、ここで注目すべきは飛燕じゃなくてむしろ零戦だと思うけどな。(飛燕との速度差があまりなかった模様)
結局、V型だからクランクシャフトが長くてやっぱり折れたり軸受けの精度や強度が問題になるんじゃないの?
ちなみにマーリンをライセンス生産したパッカードは自社の設備じゃマーリンに要求される部品精度が出せないってことで工作機械を入れ替えた。
正立だとモーターカノン積めないらしい
Yak-1とかに搭載されてるイスパノスイザ12Y系のエンジンは正立V12だけどモーターカノン対応可だよ。
ギアボックスのファイナルギアのシャフトに穴開けるだけなのに
と、書いてて思った
ギアケースの穴のオイルシールが難しかったのかな、でもあそこは加圧されて無いよね
海軍からの評価は悪いものじゃないんだけどね、けっこう機体の素性は誉めてるし
「これで馬力が有ればねぇ」って残念がってる
当時の日本の主流な油圧式のプロペラピッチ可変機構はプロペラシャフトの中を通さないといけなかったらしい
ああ、ハミルトンガバナーがネックだったんですね
正立だと、モーターカノン形式以外で機首銃が積めなくなっちゃうから仕方ない。
そういう機首銃を積めるメリットがあるからこそ、DBは頑張って倒立V型エンジンを実用化した訳で。
そういえば隼にマーリン載せて戦う架空戦記を昔読んだことがあったけど、唯一の武装だった機首銃を胴体下面に移設してて、作者も苦心したんだなぁ、と。
※12
そういや、隼と零戦の摸擬戦も零戦が優勢でしたよね。
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