無題 Name 名無し 19/05/06(月)00:40:29  No.1274904

1557070829798
なぜ日本海軍は夜戦で照明灯を使って敵艦に補足されるリスクをしてまで海戦をしたのですか?
米海軍は照明弾を打ち上げて補足されないようにしていたが照明灯を使わなかったら損害は減らせたのではないですか?
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無題 Name 名無し 19/05/06(月)01:11:09  No.1274905     
探照灯には即応性があったからです
大砲で照明弾を撃てば自艦の位置が露呈しますし撃った先に敵艦がいるかどうかわかりません
艦載機を飛ばして照明弾を投下するには時間がかかります
そこで軽巡等が犠牲になる覚悟で探照灯を照射し敵艦の位置を特定します
艦隊の他の艦が砲撃や雷撃することで敵を撃退するのです

無題
Name 名無し 19/05/09(木)08:37:44  No.1275096     
>No.1274905
準特攻のような戦法で誰でも思い付くけど米軍は採用しない程度に頭おかCという指摘なのでは
というかただでさえ兵力少ないのに持続性のない論理だよね人道主義的にももちろんあほらしいが

無題
Name 名無し 19/05/07(火)21:37:35  No.1275010     
探照灯を点けたから狙い打ちされたとかよく聞くけど相手はレーダー持ってるんだから点けようが点けまいが変わらないと思うけどどうなの?

無題
Name 名無し 19/05/07(火)22:37:51  No.1275013     
http://cgi.2chan.net/f/src/1557236271601.jpg
当時のレーダーは手動で方位を割り出すタイプ
狭い海域で複数艦艇を見つけた場合、僚艦と協調するにもそれなりのやり取り調整が必要になる。
そんな時、暗闇に画像のような目標が現れたら
自分らも危険(丸見え)で、これを何とかしようと否応なしに火力が集まる。

ソロモンで比叡が探照灯照射で敵艦を指向しつつ敵火力を自艦に集中・吸収させ被害担当も兼ねた。

無題
Name 名無し 19/05/08(水)12:52:42  No.1275046     
>敵火力を自艦に集中・吸収させ被害担当も兼ねた。
五月雨も手伝ったお

無題
Name 名無し 19/05/07(火)22:47:20  No.1275014     
マレー沖海戦前に英国艦隊追撃した金剛他の艦隊に間違えて航空隊が照明弾落として
「味方を照らしてなんとする!」って怒られたし
慎重になりすぎたんじゃね?
あと大砲から撃ち出すにしても相手の後上方に届かなけりゃ照明弾も邪魔だし

無題
Name 名無し 19/05/08(水)13:19:03  No.1275048     
>マレー沖海戦前に英国艦隊追撃した金剛他の艦隊に間違えて航空隊が照明弾落として
>「味方を照らしてなんとする!」って怒られたし
>慎重になりすぎたんじゃね?
その事例こそあわや同士撃ちだったんだから当時として夜間航空機の照明弾で水上艦艇を補足するリスクそのものじゃない

無題
Name 名無し 19/05/08(水)16:50:50  No.1275052     
1557301850767
>ソロモンで比叡が探照灯照射

「比叡」の西田艦長さんが当時の「照射砲撃」について語った内容が残されているんですが、曰く

「探照灯の照射は、たしかに比叡のつまづきの原因にあげられる。しかし、照射による夜戦訓練は、平時から常にやっていた(略)当時はこれが常道とされていたのだ」

「しかし、戦争初期の(略)あたりからこの戦法は中止され、無照射攻撃一本槍に改められた(略)だから私は、この夜は照射無しの砲撃を実施するものと考えていた」

「私は、千早(※砲術)参謀が(略)照射命令をくだしたので意外に思い、とっさに『撃たれる!』と直感した」

「それと同時に、私は私のミスに気がついた」

無題
Name 名無し 19/05/08(水)16:52:42  No.1275053      
1557301962665
「というのは、千早参謀は、ガ島砲撃作戦の寸前に着任したばかりで、夜間照射戦法の変更を承知していなかった。それなのに、この点についての打ち合わせを、十分にしておかなかった──これすべて私の責任であった」

…との事

要は確かに夜間照射砲撃は戦前ではスタンダードな戦法の一つではあったものの、実戦での戦訓から当のIJNにおいても否定されつつあり、ソロモンにおける「比叡」の照射砲撃なんかは寧ろそうした更新の最中に起きた不手際の産物というべきもの…という見解みたいなんですが、また一方当夜の接近夜戦における「同士打ち」の危険等から考えれば、「比叡」艦上の阿部司令官他が千早参謀の照射砲撃命令を是認したのも「やむを得なかったのではないだろうか」とも語られておりましたり

ともあれ、「照射砲撃」のリスクについては前線では既に十分認識されていて、ある意味ではあくまで「非常」の手段になりつつあったことを、示す逸話ではあるんじゃないでしょかねえ

無題
Name 名無し 19/05/08(水)18:12:23  No.1275057     
どっちにしろ
照明弾でも照明灯でも

着弾点から観測して修正とかできる視界は確保できないし
本来の有効射程から大きく入り込むレンジで
ノーガードで殴り合ってる状況なんでしょ?

無題
Name 名無し 19/05/08(水)20:04:12  No.1275063     
米軍にあったモノ レーダー
日本軍に無かったモノ レーダー

無題
Name 名無し 19/05/08(水)22:46:47  No.1275081     
>日本軍に無かったモノ レーダー
無かったんじゃなく遅れて出ただけだ
おまけに晴天の夜なら双眼鏡の見張りと変わらない探知距離だったし

無題
Name 名無し 19/05/09(木)00:14:53  No.1275091     
神通みたいに探照灯照射で敵弾を引き受けつつ、後続の駆逐隊の突撃を援護し、自身の沈没と引き換えに夜間雷撃を成功させた例もあるからね

なまじ成功例があっただけに、全否定しにくかったんだろう

無題
Name 名無し 19/05/09(木)06:28:56  No.1275094     
レーダー照射って探照灯照射とどう違うんだろう
当時の探知距離とか被探知距離とか

無題
Name 名無し 19/05/09(木)14:45:29  No.1275103     
光学照準器や測距儀だと、探照灯の直射受けると幻惑されて
マトモに照準取れなかったと言う話も。

無題
Name 名無し 19/05/09(木)17:09:18  No.1275110     
まず探照灯ありきで後にレーダーが出てくるわけで
探照灯による夜戦を猛訓練した日本は別に間違っていた訳じゃなかった
戦場ではどちらが機先を制するかが大きな要素だったのだ
あとレーダーに対しても逆探知があってどの方向から照射されているか程度は分かった

無題
Name 名無し 19/05/12(日)11:45:42  No.1275260     
>レーダー照射って探照灯照射とどう違うんだろう
レーダによって当然違う。当時サウスダコタはレーダをまだ搭載していなかったけど
ワシントンは開戦前から初期の艦載レーダEXAMを運用していて、対艦射撃管制レーダFCを搭載したばかりだった。FCは最初から高精度モードとPPIで運用されていて、角度分解能プラスマイナス0.2度、奥行き分解能36メートルで、着弾による水柱を観測できた

無題
Name 名無し 19/05/11(土)15:54:47  No.1275182     
>No.1275052
比叡は操舵装置が壊れていただけで自力航行で帰還可能だったが
それが艦隊指揮官に伝わっておらず処分されてしまった
と言う記事を古本屋に有った「丸」で読みました
これってどこまで本当なんでしょうか

無題
Name 名無し 19/05/11(土)16:51:56  No.1275189      
http://cgi.2chan.net/f/src/1557561116512.jpg
スレの趣旨から外れるので控えめにしますが吉田俊雄著「戦艦比叡」に「機関室全滅」の誤報が艦首脳部に伝わっていた記述があります
なおこの後海軍では応急舵を装備するようになったとか

無題
Name 名無し 19/05/11(土)17:35:52  No.1275191    
よくある伝言ゲーム

比叡
「機関室全力発揮可能」→「機関室全滅」
信濃
「工廠関係者飛行甲板」→「総員飛行甲板」

無題
Name 名無し 19/05/11(土)17:49:26  No.1275192     
比叡は舵が壊れて、走れるけど同じ所をぐるぐる回るだけになったんじゃなかったっけ?

無題
Name 名無し 19/05/11(土)22:23:31  No.1275204     
夜が明けて空襲受けてたし無理だろう比叡
ぐるぐる回っちゃう=舵切った状態で固定は主舵ががんばっちゃってるわけだから

仮に応急舵あっても抵抗できないのでは

無題
Name 名無し 19/05/12(日)07:55:53  No.1275254      
「比叡」の西田艦長の残されたメモによると、退艦時の「比叡」の状況は「舵機室排水の見込み、ついに立たず。右舷機使用不能、機械をもってする操艦まったく不能となれり(略)かくなれば、いまは司令官の命に従うほかはなし」
…というもので、直ちに沈没は無くても自力帰還は既に不可能で、乗組員自作の応急舵(めいたもの)による操艦も敵機の妨害等で重ねて失敗していましたので、他艦による曳航帰還のみが可能性があった、ということなんじゃあないでしょかねえ…

余談ですが1943年の11月1日深夜に発生したブーゲンビル島沖海戦の際、重巡「妙高」の測距塔配置だった木田恒夫という兵曹さんの回想によると、当時の戦闘状況は

「わが夜襲部隊が敵を視認する約15分前に、敵のレーダーはわが部隊を捕捉していた」

無題
Name 名無し 19/05/12(日)07:57:05  No.1275255      
「敵のレーダー全幅利用射撃は、ほぼわが部隊を捉えており(略)艦の前後左右に大きな水柱をあげつづける」
「『測距、自信あるか!』射撃塔からの砲術長の声がひびく。なにしろ、闇夜に目標となるのは、敵の発砲する閃光以外に何物もない」
「1万メートル内外から測距しつづけて(略)8千メートル付近で自信を得た」
「『測距やや自信あり!』甲高い伝令の声が塔内にひびく。間髪を入れず、『照明弾打ち方用意』後部砲塔から『照明弾打ち方用意よし』の復命が聞こえた」

…というものであったそうです

要はこの夜「妙高」以下の第5戦隊では、敵艦の捕捉に探照灯ではなく照明弾を用いる算段であったということみたいでして、また同艦戦闘記録によれば電探測距も実施しているそうなんですが、実際の戦闘の推移においては、電探精度において勝る米軍側に先手を打たれて苦戦を余儀なくされた、ということみたいですなあ

無題
Name 名無し 19/05/12(日)09:35:28  No.1275256      
あの時代は歴史に残る海戦を毎月やってた
なんとも凄い時代だった

無題
Name 名無し 19/05/12(日)11:29:11  No.1275257     
まあ同じ人間同士なんだし、敵味方双方でも大体相手の考えることは思いつくよな

あとはまあ、アイデアを実現できるだけの実力(国力)があるかって次第なんだろうけど

無題
Name 名無し 19/05/12(日)11:41:34  No.1275258     
第3次ソロモン海戦は夕立はじめ日本側の戦いぶりもすごいが
一周回って戦力劣勢な上に指揮官次席指揮官とも戦死(しかも直前に不可解な命令)の状況で飛行場砲撃を阻止し、夕立もきっちり仕留めておまけに戦艦比叡にも色々手違いがあったとはいえ、放棄を決意させる程にダメージを与えた米軍側のガッツも凄まじく感じる

無題
Name 名無し 19/05/12(日)15:56:55  No.1275271     
>色々手違いがあったとはいえ、放棄を決意させる程にダメージを与えた米軍側のガッツも凄まじく感じる
そもそも比叡はラフィーに突撃くらって艦橋に直撃弾浴びて
負傷者だして混乱状態だったし

無題
Name 名無し 19/05/12(日)11:45:19  No.1275259    
照明灯が照らす距離を考えたら近接戦闘になるんだよね
スリガオ海域の夜戦で米軍のレーダー射撃でアウトレンジでの敗北になったのだろう

無題
Name 名無し 19/05/12(日)16:05:27  No.1275272      
1557644727986
ほぼ日本側の完勝に終った1942年8月8日夜の第1次ソロモン海戦で、重巡「古鷹」の測的長だった松永市郎さんの手記によると、

「(※魚雷攻撃後)各艦の無照射射撃がはじまった。探照灯を使わずに射撃するが、『闇夜に鉄砲』というわけではない。性能のすぐれた眼鏡で、相手の行動を十分見定めたうえで射撃する」
「探照灯で照らすと、相手の動静を詳細に見きわめられるが、相手もこちらの行動を知って反撃してくる。相手から探照灯の照射を受け、目つぶしのため反照する場合をのぞいては、無照射で射撃するのが最良の方法である」
「敵側にすれば、いきなり水線下に大被害を受け、つぎには無照射射撃を受けた。反撃しようにも相手は見えず、敵側は苦しまぎれに星弾を打ちはじめた」

…というような様相であったそうです

無題
Name 名無し 19/05/12(日)16:06:18  No.1275273      
また、海戦前、敵味方識別のため「吹流し」を用意するよう命令があったと聞き、そんな古風なモノが、果たしてちゃんと自艦に塔載されているのか心配したそうなんですけれどもw
実際海戦の後半には、

「鳥海はこのとき、はじめて探照灯を使った。しかも、探照灯の光芒の先に、白色の吹流しをつけた数隻の軍艦を見つけた。それは、続行しているはずの味方だった。」
「時代遅れと思われた吹流しが、味方撃ちをよくも未然に防いでくれることになった」

…なんてこともあったんですとか

松永氏の手記の内容から見る限り、IJNの夜戦におけるこの時期の「探照灯」使用というのは、とにかく夜戦になったから点けるんじゃあ!みたいなシンプルなモノではなく、リスクと効果を考慮して用いるもので、同海戦の勝利はむしろ序盤の「無照射」攻撃が大いに貢献したものの、「探照灯」も単に攻撃のみならず、敵味方識別に効果があった…というおハナシではあったみたいですなあ

無題
Name 名無し 19/05/13(月)00:08:40  No.1275299     
>松永市郎
この人の「先任将校」は戦争云々に関わらず名著
部下を持つ人の必読本

無題
Name 名無し 19/05/13(月)08:07:14  No.1275310      
それでも…それでも夜間照射攻撃は漢のマロンなんや・・・!

無題
Name 名無し 19/05/13(月)08:15:17  No.1275311     
見張り員も夜間に双眼鏡で探せるようになって一人前なんだっけか

無題
Name 名無し 19/05/13(月)08:47:59  No.1275313     
一口に夜間と言っても新月と満月、青天と荒天じゃ見える範囲も違うしな

無題
Name 名無し 19/05/13(月)10:46:20  No.1275318    
夜間の敵味方識別って山川燈もあるしな

無題
Name 名無し 19/05/13(月)21:23:55  No.1275364     
1557750235614
第1次ソロモン海戦で、IJN艦隊の先頭に立った旗艦「鳥海」の砲術長だった仲繁雄さんによると

「艦隊には『戦策』という戦闘時の守則があるが、夜戦の会敵では1番艦が探照灯で目標を捕捉したら、ただちに2番艦が照射をひきつぐことになっている」

「1番艦は後続艦を誘導する任務からも、自艦が照射していたのでは光芒に眩惑されて、前程の視認が困難になるからである」

「ところが第6戦隊は、この戦闘で最後まで照射をひきついでくれなかった。」

無題
Name 名無し 19/05/13(月)21:25:33  No.1275365      
1557750333382
「そのため鳥海は、司令長官旗艦としてつねに先頭にありながら、探照灯をつけっ放しで戦い、司令部をはじめ鳥海の艦長、航海長は操艦にそうとう苦労したものと思われる」

…との事で、同海戦中、「鳥海」が探照灯担当艦であり続けたのは、寧ろ過誤に属する展開であった、とされておりましたり

三川艦隊的には、そもそも旗艦が最初はともかく、最後まで探照灯照射を続けるのは望ましくないものであったみたいなんですが、「鳥海」がその為一番被害を出したとはいえ、結果的に寧ろ先頭艦が目標を提供→後続艦が集中砲火!という理想的な展開が続いて、海戦自体はワンサイド・ゲームで終わるとか、ツキに恵まれている時ってのはそういうものなんでしょかねえ

無題
Name 名無し 19/05/13(月)23:37:03  No.1275387     
日本海軍がレーダー開発に消極的だった理由として「自分の位置を晒す」というのがあったと思うが、これは探照灯でも同じなわけで、なぜレーダーはダメで探照灯は良かったのか理由がわからない。レーダー波の照射を検知して発信源の位置測定するのは大変だと思うが探照灯は一目瞭然ですぐに判るしね。

無題
Name 名無し 19/05/14(火)00:45:47  No.1275394     
「闇夜に提灯」「武人の蛮用に耐える兵器」ってのも
本当に当時の海軍関係者の統一見解だったかどうかは…

開戦前後は専門家でもおぼろげな理解で実用化見込みもまだ薄い応用先端技術の理論だったわけだし
暗夜や霧中に突然敵の砲爆撃浴びるようになるまで単にどういう装置かイメージをつかめた人間がいなかったのでは

無題
Name 名無し 19/05/15(水)15:27:49  No.1275489      
1557901669228
日本の電探開発の中心人物の一人だった伊藤庸二さんの手記に、こんな話が有るんですが、

「昭和16年の夏、伊太利海軍からの情報で、英国では味方識別装置とも稱既に可きものが使用されていることが判った。此の問題は日本海軍に於ても(略)考究されて居たものであるは、何れも光を用いた所謂『山川』式で(略)之では科学戦争の當今、あまりに芸がない」

「先に光をだした方が負ける。そこで考えられたのが不可視光線であり、極超短波であった。日本海軍の極超短波(糎波)研究は此の味方識別を実現するのを第一の目標としたのであった。それは昭和8年のことである」

「ところが電探の出現によって、敵味方識別の方法に急に曙光がさした。電探との併用が(略)最も積極的な解法であるらしく見えたのである」

無題
Name 名無し 19/05/15(水)15:29:27  No.1275490      
1557901767780
「(※昭和)17年5月の伊勢、日向の電探実験(略)のときにようやく技術上の一案が提起され、直ちに之を試作した。併し(略)応答率が100%でないから応答しない場合は味方を攻撃してしまう(略)との理由で、兵器採用は見合わせられた(略)これは英国では夙くこれを使って居るとの情報を耳にしたあとの判断である。『そういうものかなあ!』と思わず嘆息したのは筆者のみではなかった筈である」

「物も見様で何れともなる。味方識別装置は自己を曝露するおそれが多い。軽々に用いてはならないという自重論である(略)用兵上の要求があまり強くないと云うことは何時かは腑抜けになってしまう(略)ところが19年秋の情報は敵が此の味方識別装置を盛んに使用していることを続々報じたのである。かくなると又問題がせわしくなる(略)そして追っかけ50基の兵器生産が緊急命令として発令されたのである。如何にも泥縄式である」

…なんてこともあったそうです
慣れ親しんだモノを新しいモノに変えるのに抵抗のあるのは世の常ですけれど、やっぱり当面の競争相手が大いに使っているゾ!というのに勝る刺戟はないんですかしらん…

無題
Name 名無し 19/05/15(水)20:21:20  No.1275501     
単純に戦時で忙しい中タダでさえ規模がデカイ組織で現在使用中の装備を更新かつ慣熟訓練をやろうってのは中々大変だと思う
しかも電探の性能に理解があるかもあれな組織だし

無題
Name 名無し 19/05/16(木)11:52:55  No.1275540     
でもやっぱり大量に電探ホスイ!ってなっても、精密機械だから急には数が揃わないから、これならもっと早くやっておけばよかった!ってなるという…

無題
Name 名無し 19/05/16(木)16:13:59  No.1275553     
日本でもマグネトロンが早めに開発されていたのに…この点は惜しかった。

無題
Name 名無し 19/05/16(木)16:57:57  No.1275557      
1557993477619
戦艦「大和」通信長として、同艦の電探装備の能力向上に努力されていた松井宗明さんが、昭和18(1943)年5月、トラック島から「大和」が呉に回航されるのに先立って、21号電探1基、13号2基、22号2基という装備計画の要望を内地に送ったそうなんですが、帰投後改めて呉工廠に赴いたところ、「バカ野郎!まだ大部分の艦が装備もされていないのに、1艦に5台も要求するなんて、事情も知らない大バカ野郎だ!」と叱られてしまったそうで

因みに昭和19(1944)年10月のレイテ沖海戦に先だって、7月16日にリンガ泊地に入った「大和」は、19日には早速照明弾射撃・電探射撃訓練を実施しており、以後同泊地を出る10月1日まで、8月だけでも照明弾及び探照灯による共同砲戦訓練(1日)、電測利用の外膅砲射撃(4日)「武蔵」の電探射撃の側方観測(8日)、電探射撃(14日)船団在泊の夜戦訓練、電探射撃(15日)、電測外膅砲射撃(16日)、電探射撃研究会(20日)…と連日のように「電探」利用の夜戦若しくは射撃訓練を実施しており、内地から急派された技研作業班による22号電探の改良工事の実装や、哨信儀の装備も行われているんですとか

無題
Name 名無し 19/05/16(木)17:00:34  No.1275558      
1557993634734
そうして夜戦、若しくは電探射撃能力の向上に努めた「大和」他の栗田艦隊各艦が、レイテでの激戦を経て内地に帰還した1か月後に作成された、「比島沖海戦並びにその前後に於ける砲戦戦訓速報」の内容は

「今次戦闘は、千載一遇と称すべき水上部隊を以て敵機動部隊を捕捉し(略)圧倒的優勢を得ながらこれを殲滅するまでに戦果を徹底し得ざる原因を探求するとき、目下帝国海軍の水上砲戦術能力向上には正に電測射撃向上に帰すべきを痛感す。これが要するに今次戦闘最大の教訓として緊急解決を要する」

…と結ばれているそうです

直前の数か月のリンガ泊地でのトックンも、残念ながら付け焼刃の域を出なかったということのようなんですが、ここに至って遂にIJNも、夜戦のみならず、昼間の砲戦においても「電探」が不可欠な兵器であることを骨身に沁みて思い知った、という事なんでしょかねえ

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1274904.htm
    

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