空自の日本防空史68
AWACSにも限界はある


文:nona


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2015年に東京都横田基地で公開されたアメリカ空軍のE-3AWACS。

 前回に引き続き米空軍におけるAWACSの運用例を紹介いたします。(今回は失敗事例が多めです)

A-6攻撃機に迫るMiG-25

 1991年1月17日未明の空中戦において、スコット・スパイカー中尉のF/A-18Cを撃墜したズハイル・ダウード大尉のMiG-25は、付近にいたA-6E攻撃機に接近し、同機の撃墜を試みます。

 対してE-3AWACSは、ようやくダウード機を発見。管制官は警報を発します。
 A-6の乗員はアフターバーナーの炎でMiG-25を発見し、回避機動を開始。MiG-25をオーバーシュートさせることに成功します。

 ところが、ダウード大尉はMiG-25を上昇させた後にA-6の背後をとり、R-40TDミサイルのシーカー冷却を開始しました。

 しかし、イラク側の迎撃管制官が、周辺に味方戦闘機がいるとして、目視識別を要求。
 MiG-25はA-6のコクピットの光が見える距離まで再接近したのですが、夜間ということもあって識別は成功せず、これを見逃します。

 この後、MiG-25はトーネード戦闘爆撃機によって損傷した滑走路を避け、誘導路に着陸したものの、次第に戦局が厳しくなり、ダウード大尉に再戦の機会はやってこなかったそうです。


E-3がMiG-25を見つけられなかった理由

 上記の空中戦において、E-3のレーダーが当初MiG-25を発見できず、管制官がF/A-18Cに先制攻撃や回避行動を指示できなかった理由について、ニューヨークタイムズ紙は、MiG-25が(意図しないビーム機動によって)レーダーの「ドップラーノッチ」に入り、探知できなかった可能性を指摘しています。

 一方、「イラン空軍のF-14トムキャット飛行隊」などの著作を持つトム・クーパー氏は、MiG-25がレーダーの「検出距離の端部にいた」としています。

 ともかく、探知識別できない不明機に対し、E-3の管制官は何もできなかったのですが、当時の交戦規定上、仕方のない措置であった、とされています。


飛行禁止区域でUH-60を見失う

 湾岸戦争の後、イラクの南ではシーア派住民が、北ではクルド系住民がイラク中央政府に反旗を翻し、半ば独立状態にありました。

 アメリカと同盟各国は現地住民の抵抗を支援するため、1992年にイラクの南北にNFZ(飛行禁止区域)を指定。E-3はイラク機の監視に投入され、数度の空中戦を指揮しています。

 そうした状況にあった1994年4月14日の10時ごろ、イラク北部のNFZを2機のUH-60が飛行していました。

 機内には米・英・仏・土、クルドの要人が分乗し、トルコからクルド自治区の首都アルビールへ向かっていました。

 E-3は当初、航跡に「友軍ヘリコプター」というタグをつけて追跡していましたが、途中の渓谷地帯で追跡が途切れ途切れになり、E-3からは同一目標として識別できなくなったようです。

 しかし、E-3の管制官がUH-60が目的に着陸した、と誤解し、同機の飛行情報が共有されなかったことで、間もなく重大な誤射事件を引き起こします。


F-15、UH-60を敵と誤認

 10時22分、戦闘空中哨戒中のF-15C編隊が、このUH-60編隊をレーダーで発見。
 E-3に代わり、IFFによる質問を実施しますが、 UH-60の航空管制用トランスポンダーには間違ったコードが入力され、正常な応答がされていませんでした。

 軍用のIFFモード4についても(よくあることですが)原因不明のトラブルが発生し、F-15のIFFはUH-60を不明機と判定します。

 F-15のパイロットは目視による識別も実施しますが、うち一人がUH-60を「ハインド(Mi-24)」と誤認する痛恨のミスを犯します。

 誤認したパイロットいわく、スタブウイングに増槽を装着していたUH-60が、あたかもハインドに見えてしまったのだそうです。


誤った撃墜許可

 この時点でE-3のレーダーにもUH-60らしき機影は映っていたようですが、やはりIFFで識別はできなかったとされ、管制官はF-15パイロットの報告に従い、誤って撃墜を許可。

 2機のF-15はそれぞれAIM-120とAIM-9を発射し、UH-60は2機とも撃墜。乗員と要人26名全員が死亡していますが、これを最初に確認したのもF-15のパイロットでした。

 事件の後、E-3の乗員6名とF-15Cのパイロット1名に対し、過失致死と職務怠慢の嫌疑がかけられます。

 ただし、事件の原因究明が進むにつれ、マスコミによる報道も加熱し、軍上層部まで責任が及ぼうとしていたため、国防省や軍は事件の収拾をはかり、嫌疑者への実刑判決はありませんでした。
(この事件の関係者は実名で報道されていいますが、生々しすぎるため、本記事では省略しました。)


AWACSは全知全能か?

 AWACSは現代の航空戦に欠かせない存在であり、海外では「God’s eye view(神の視点)」「all-knowing(全知全能)」などと表現されることも珍しくありません。

 ただ、1994年の事件でE-3乗員の弁護を担当した某少佐は、被疑者の弁護が目的とはいえ、「AWACSにも限界はある」と公に語りました。

 こうした事故はAWACSが何千何万と航空管制任務を無事にこなす中で、ただ1度の失敗であるように思えますが、その1度の失敗が取り返しのつかない惨事を引き起こすことを、忘れてはいけないのです。


 次回は昭和における空自の燃料事情など、少しばかり地味な(でも重要な)話を紹介いたします。


参考

New York Times Archives
Death of a Fighter Pilot(Mark Crispin Miller 1992年9月15日)
https://www.nytimes.com/1992/09/15/opinion/death-of-a-fighter-pilot.html

Air Force Officer Is Acquitted In Downing of Army Aircraft(1995年6月21日 Sam Hove Verhovek)
https://www.nytimes.com/1995/06/21/us/air-force-officer-is-acquitted-in-downing-of-army-aircraft.html

War Is Boring
Who Shot Down U.S. Navy Pilot Scott Speicher(2017年1月11日Tom Cooper)
https://warisboring.com/who-shot-down-u-s-navy-pilot-scott-speicher/

P.O.W.NETWORKS
Scott Speicher: Dead or alive? (2001年12月31日  Lon Wagner ,Amy Waters Yarsinske)
https://www.pownetwork.org/saudi/sd017_2.htm

When two USAF F-15s shot down two U.S. Army UH-60 Black Hawk helicopters ,26  Died
(2018年3月18日 Fighterjetsworld.com)
https://fighterjetsworld.com/air/when-two-usaf-f-15s-shot-down-two-u-s-army-uh-60-black-hawk-helicopters-26-us-servicemen-died/3208