無題 Name 名無し 19/02/16(土)22:53:45  No.1269050

1550325225071
日本は22号電探でいきなり10センチメートル波に手を出したのは結果的良かったんですかね
水上警戒レーダーって60センチメートル波ぐらいから実用化していくイメージ

B29撃墜記―夜戦「屠龍」撃墜王樫出勇空戦記録 (光人社NF文庫)
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無題
Name 名無し 19/02/16(土)23:21:38  No.1269056
https://cgi.2chan.net/f/src/1550329401591.jpg
イタリアのGufoレーダーといい
共振現象を利用する半波長ダイポールアンテナが使えず
広帯域に対応できる特性があるホーンアンテナになるのは
安定して一定波長の電波を発振できてないんじゃ?

無題
Name 名無し 19/02/17(日)00:03:21  No.1269059      
>Gufo
イタリアのレーダーって一部実用化してたというぐらいで詳細は全然知らないんですけど、ラッパが金網になった感じですかね?

無題
Name 名無し 19/02/17(日)00:12:15  No.1269060
レーダーも付いてない捕鯨船に同乗すんの嫌だってGHQに断られたんで、海軍で使ってたレーダー載せたら「こんな酷いもん使ってっからお前ら戦争に負けんだよ」って言われたのこれだっけか

無題
Name 名無し 19/02/17(日)00:42:24  No.1269064
Wikipedia見る限りだとそんなに悪くない感じだけど、どうなんだろ。

と言うか、新規開発止めといて在庫装備したら
「うちの国じゃもっと良いもの売ってるよ」
ってイギリス人さすがクソい。

無題
Name 名無し 19/02/17(日)02:38:22  No.1269069
いくらレーダーの質が良くたってそれを映すモニターの品質が悪すぎなんだよね日本は

無題
Name 名無し 19/02/17(日)12:30:39  No.1269086
当時の表示装置といってもそう複雑なものじゃなかったと思うけど
回転式とかはアイディアの勝負だね

無題
Name 名無し 19/02/17(日)13:52:53  No.1269090
射撃指揮装置の真ん中にレーダーアンテナを設置して、探知方向=指揮装置の方位って感じなのかな?

無題
Name 名無し 19/02/17(日)14:13:27  No.1269092
>射撃指揮装置の真ん中にレーダーアンテナを設置して、探知方向=指揮装置の方位って感じなのかな?
船だし人いるから違うくね?
盲撃ちじゃない時とかでデータ突き合わせれば判ることだし

無題
Name 名無し 19/02/17(日)14:59:45  No.1269097
当時のモニターってどんなんだったんだろう?

無題
Name 名無し 19/02/17(日)16:31:38  No.1269105
>当時のモニターってどんなんだったんだろう?
表示方式という事ならAスコープなんじゃなかろうか?

無題
Name 名無し 19/02/17(日)16:52:14  No.1269109      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550389934000.jpg
日本海軍系の電探なら自分的にはここがお勧めかな海軍の電測兵?だった方が作ったみたい…もっと良い所があったら教えてください。
>海 軍 レ ー ダ ー 徒 然 草
http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/

無題
Name 名無し 19/02/17(日)17:51:33  No.1269114      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550393493077.png
>もっと良い所があったら

良いかどうかは見る人の目的次第だが

My Home Page (T.Higuchi)
http://home.catv.ne.jp/ss/taihoh/

ここの「電子管の歴史」→「レーダー開発物語」
他のコンテンツも貴重な資料が多くて楽しい

無題
Name 名無し 19/02/17(日)18:40:57  No.1269121      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550396457807.jpg
中川靖造氏の「海軍技術研究所」に、日本のテレビジョン技術開発の先駆者として有名な高柳健次郎博士が、戦中少将待遇の技師として海軍の電波兵器開発に従事されていた時のエピソードが紹介されているんですけれども、曰く

「(電探の)アンテナも小さく、コンパクトにすることを要求され、地上実験のときの半分の面積にせざるを得なかった。電探はアンテナの面積に比例してエリアが広がるのに用兵者にはその理屈がわからない。このため実験段階で20キロ、30キロ届いた電波が、装備段階で10キロ、15キロと性能が落ちる。それで互角に戦えというのだから用兵者のきびしい要求は技術者の常識を超えていた」

無題
Name 名無し 19/02/17(日)18:41:51  No.1269122      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550396511392.jpg
「『終戦直後、相模湾に入ってきた米艦隊をみたら、みんなメインマストの上にでっかい簪みたいなメートル波のレーダーをつけているんです。またセンチ波は大きなお椀のようなパラボラアンテナを艦橋の横にくっつけてグルグルまわしていた。これを見て負けるわけだなと思いましたね。彼らと同じような機能の電探を持ちながら半分の能力しか発揮できなかったんだから、結局、われわれの説得力が足りなかったんでしょうかね(※高柳博士)』」

…との事

アンテナ一つとっても、技術者さんにとっての理想と用兵、若しくは造船者さんにとっての理想は違っていて、それが日本の(艦載)レーダーが性能発揮に最適のアンテナを持てなかった理由の一つである、というお話しみたいなんですが、まあ確かにオフネの上で使う兵器とトップヘビー対策との相関関係は、どこの国の海軍でも頭を悩ませていた問題ではありましたですよねえ

無題
Name 名無し 19/02/17(日)19:02:13  No.1269129     
https://cgi.2chan.net/f/src/1550397733221.jpg
>電探はアンテナの面積に比例してエリアが広がるのに用兵者にはその理屈がわからない。


対潜用の音波探信儀についても現場の声は
「艦首にドームをぶら下げるだと? 狸じゃあるまいし」
狸を軽んじた結果は皆もご存知のとおり

無題
Name 名無し 19/02/17(日)20:03:20  No.1269132
https://blog.goo.ne.jp/minouta17/c/af149db25d7cfe5f1db3f25a1ea12d2f/4

海軍のPPI表示(当時の海軍ではパノラマ式と呼称)は爆撃機用の51号と夜間戦闘機用の玉3が、映像が映るところまでは出来てます。
51号は八甲田山や三陸海岸が明瞭に映ったと。


https://blog.goo.ne.jp/minouta17/c/af149db25d7cfe5f1db3f25a1ea12d2f/10
陸軍の爆撃機用パノラマ式電探(電波暗視機)は米軍のSCR-717やAN / APQ-13を参考に、タキ14、タキ24、タキ34を試作し、タキ14‐1型は生産を始めていたが終戦となった。

特に陸軍のパノラマ式電探試作は、ほとんど言及されていないが、敵方の米軍以外に、ステロタイプな旧軍電探への見方も災いして、まともに調べている人がいないんだろうね。

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:14:05  No.1269136      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550405645557.jpg
IJNで割合早期からマイクロ波電探の開発に着手していたことは事実なんですが、実際の所当初は実用化に手間取り、メートル波の2号1型電探で充分、との意見まで出る始末で中止に追い込まれれかねないところであったんだそうで

その後、小艦艇の対潜用装備として開発が再開された際も、あまり海軍全体として熱心に支援されたとはいえず、2号2型電探の製造を担当した日本無線の技師だった中島茂さんによると、1942年末ごろ、駆潜艇での装備実験を経て、艦政本部から生産指示も出たものの、肝心の資材の割当が無く、やむをえず”ヤミ”の物資を調達して生産に入ったそうなんですが

「それで最初のマイクロ波レーダーを百台ほどつくったんです。ところが、それが警察にバレて、経理担当の重役と、経理部長が浅草の方の警察につかまってしまった」

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:16:21  No.1269138      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550405781654.jpg
「さんざん油を搾られて一か月後に釈放された(略)それが悪いことぐらいわれわれもわかっていたが、海軍の力じゃ入らんのですよ。それでやむを得ずヤミ屋から買った」

…なんて話もあったそうです

また、戦中2号2型電探の精度向上等にも非常に大きな貢献を為された、霜田光一という理学博士さんが、戦中米潜水艦及びB-29のマイクロ波レーダーを調査した結果や、当時の日本側でのマイクロ波電探やPPIスコープの開発状況について述べられた文章が公開されているページがあるんですが


http://www.yokohamaradiomuseum.com/shimodawebsite/shimoda.html

幾箇所か興味深いところを引用させて頂きますと

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:34:30  No.1269153      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550406870528.jpg
「鉱石スーパーは感度も信頼度も高いので、射撃用電探の研究開発も鉱石スーパーを受信機に採用することによって進んだ。鉱石スーパーの2号2型電探を射撃用に改造した装置を軽巡洋艦「木曽」に装備して、19年10月22日に行なった射撃実験の結果は、戦艦を最大35kmで捕捉でき、測角精度0.25度、測距精度250mであったという。」

「送受共用のパラボラ反射鏡を用いる本格的な射撃用220号電探は19年8月29日に試作第1号機の性能試験が行なわれた。潜水艦を標的にしてかなりの性能が実証されたので、実験と改良を重ね、20年2月から220号電探射撃用方位盤の試作研究も始められたが、すでに壊滅寸前の海軍には無用の装置になっていた。」

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:38:05  No.1269154      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550407085435.jpg
「航空機に搭載して、地面からの反射波を地図のように表示する電探は、パノラマ式あるいは全方位式電探と呼ばれたが、米国では平面図表示という意味でPPI(Plan Position Indication)と称していた。センチ波を用いるパノラマ式51号電探の研究開発も鉱石スーパーの採用により促進された。私は受信機と送受切換回路などの研究を担当していたが、20年7月に試作機第1号が完成した。青森県の三沢基地で一式陸攻に搭載し、7月末の第1回の飛行実験では15km程度の範囲しか地形が出なかったが、8月8日の第2回の実験では30kmほどまで見えるようになったということである。しかし翌8月9日の空襲で三沢基地は壊滅的な損害を受け、試作されたパノラマ式電探は一式陸攻とともに灰燼に帰してしまった。」

「日本の艦船用電探は受信機だけでも数十kgあって、総重量は数トンもあるのに、米軍のレーダーは桁違いに小形軽量にまとめられているのにまず驚かされた。日米の技術力の差は歴然としていた。B29の装置が爆撃照準用のPPIレーダーと航行用のビーコンと両用の装置であることは、この調査で初めて知った。」

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:38:47  No.1269155      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550407127091.jpg
「B29は3分の1気圧以下の高空を飛行し、潜水艦は10気圧以上の水中を潜航するのに十分耐えられるような対策が、それぞれ入念に施されている。そして敵味方識別装置を備え、レーダーのレンジは近距離から遠距離まで必要により切り換えている。これはレーダーが索敵警戒や射撃爆撃などだけでなく、編隊の統制や連携のためにも用いられていたからである。SJレーダーには、味方のレーダーの電波で鉱石検波器が焼損するのを避けるための装置まであるのにはびっくりした。全艦船が強力なレーダーを備え、集結して作戦行動するので必要になったのであろうが、より低出力のレーダーを漸く使い出したばかりの日本では、考えもしなかった。」

「送受切換回路については図の説明で述べたが、日本ではメートル波用の同軸型放電管はあったが(略)センチ波の空洞用の切換放電管は研究も試作もできなかった。フレキシブルな導波管も、X-bandの金属製クライストロンも日本にはなかった。パルストランス、導波管、アンテナ、風防のradomeなど、日本では戦前の技術から少ししか進歩していなかったが、米軍のレーダーに使われた技術は飛躍的に進歩していた。」

無題
Name 名無し 19/02/17(日)21:39:52  No.1269156      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550407192463.jpg
「マイクロ波技術では、導波管フランジ(略)C-coupling(略)、回転部の同軸-導波管結合(略)に、4分の1波長トラップの原理を応用した浮遊接触(floating contact)が使われていたが、これは日本の技術者には理解できない高度技術だった。同じ構造が同調プラグやセンチ波と中間周波信号の分離にも使われていて、私はそれからそのレーダーの使用波長を推定した」

…そうです

実際に戦中、電探の改良・開発に携わっていた技術者さんが、敵国側の同種の装備を実地に調査する機会に恵まれたということみたいなんですが、言い換えればここで霜田さんが感心?している部分こそが、戦中の彼我の差そのものであった、ってことなんでしょかね

無題
Name 名無し 19/02/18(月)07:06:09  No.1269182
波長10cm以下のマグネトロンはもう開発成功してたからそれを元に水上見張り電探開発しはじめたが
マグネトロンさえあればもう大丈夫というもんでなく受信装置の検波・同調・増幅なんかの回路は理論レベルで手探り状態だったんだろう
使用波長が50㎝や60㎝だろうとそのあたり同じことなら海上目標に対して分解能がいい10㎝でそのまま進めてしまうしか

このへんはアンテナ利得・指向性の問題じゃないから
例のいいかげんな逸話だけよく取り沙汰されるYAGIアンテナでどうなるもんでもない

無題
Name 名無し 19/02/18(月)11:11:57  No.1269189
B29って奴は、飛んでりゃ街焼きやがるし、
落っことしゃ技術者の心折って来やがるし…。

無題
Name 名無し 19/02/18(月)17:23:46  No.1269209
>B29って奴は、飛んでりゃ街焼きやがるし、
>落っことしゃ技術者の心折って来やがるし…。
整備兵「あ、この飛行機、石臼(ターボ)ついてる」

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:22:05  No.1269230      
1550492525561
前述の高柳さん曰く

「昔、海軍は兵器用の部品購入に厳しい条件を付けていた。とくに通信機材などは念入りにやってましたね。その代り購入する部品は市場価格の十倍ぐらいの値段で買ってくれる。しかも、海軍はそういう信頼性の高い部品を大量に備蓄していた。ところが、太平洋戦争が始まって一年もたたないうちに、それを全部消費しちゃったんですよ。あとから補充したものは、そのあたりの町工場で、素人みたいな連中を動員して生産したものが多いから、どうしても信頼性が悪くなる。そのあたりの事情が用兵者にわからなかった。それが問題でしたね」

「戦後、占領軍の実情を聞いたが、われわれが2、3球でやっているものを、向こうは6、7球使っている。これには私も驚きましたね。真空管の信頼度が高ければよけい使う方が便利に決まっている」

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:22:41  No.1269231      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550492561808.jpg
「機器の性能もよくなるし、設計も楽になるからですよ。ところが、海軍は少ない数で性能のいいものをつくれと過大な要求をする(略)もっと困ったのは、コンセントとかプラグ、コードの類、そういう細かい部品にも粗悪品が多かったことです」

…との事で、純粋な理論や技術の外に、製品化という点からも様々な問題が山積していた様子が窺えますですな

一方、やはりIJNで電探開発に携わっておられた田丸直吉という技術少佐さんが、戦中ドイツに技術導入の為派遣された際、現地で鹵獲された米爆撃機のマイクロ波レーダーを見せてもらった時の思い出を書き残されておられまして、

「これは従来のレーダーと違って初めてPPI方式を採用したもので、ブラウン管のスコープの上に、パノラマ状に反射物体を表示する方式のものであった」

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:24:05  No.1269233      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550492645853.jpg
「後にはもう当たり前のことで一般の船舶用レーダーなどことごとくこの指示方式であるが、、当時は、理屈は分かっていてもなかなか実用化がむずかしく、もっぱらAスコープと称して距離を読みとる方式が使われ、パノラマ式のものは、まだ日本でもドイツでも完成していなかった。今、これを具現した(略)装置に初めてお目にかかり、『やられた!』という強い衝撃を受けた」
「この時初めて、クライストロン(Klystron:速度変調管という真空管の一種)というものにお目にかかった。これはレーセオン社製で、最近まで使用されていたものとほとんど変わっていない。私ども日本と米国の間の、電子工学の分野における技術レベルの格差の大きいのに、今さらながら呆然とせざるを得なかった。これではとても喧嘩にならない」

…と愕然とされたそうなんですが、これが1943年のことなんですとか

その後、曲がりなりにも日本がなんとか「自前」のPPIスコープ付きマイクロ波電探の実用実験にまでこぎつけるのが45年の終戦直前ですから、贔屓目に見ても単純に2年以上の差があった、ってことになるんですかしらん

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:25:09  No.1269234      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550492709019.jpg
もっとも、マリアナ諸島からのB-29による空襲を指揮したカーチス・ルメイ=サンの手記によりますと、ルメイ=サンがまだ欧州の部隊の指揮官だった時期には

「残念ながら、レーダーを使った爆撃作戦で良好な結果が出た例は一つもなかった」

…なんてちょっと意外な事も書かれていたりします

「1942年2月にB-29で(※対日爆撃に)これを用いた時、B-17の場合よりはずっとマシだったが、いまだ精密爆撃には真に有効とは言えなかった」

…そうで、レーダーに関して日本の技術者さんたちが羨むほどの先駆者だったアメちゃんにしても、優れた技術を実際に兵器として有効に運用するまでには、それなりに一筋縄ではいかない苦労もあった、ということみたいですなあ

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:27:43  No.1269235      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550492863705.jpg
更にルメイ=サンの手記を引用させてもらいますと

「最後に私の指揮下に入った航空団─1945年6月に到着の第315航空団─は、より高性能のAN/APQ-7『イーグル』レーダーを装備していた(略)これらの機は下面に短矩形の翼型アンテナを付けていて、より鮮明な反射画像をもたらした。このアンテナは回転の代わりに前後に動き、円形のレーダースコープ全体を見ないでも、『V』字の出る部分だけを見つめればよく、画像の鮮明度はずっと高かった。」

「われわれはこのレーダーを使って、石油精製施設を識別することができた。『イーグル』レーダー装備機を向かわせた最初の目標がこれで、以後は毎度このレーダーを使ってこの種の目標を爆撃した」

「1945年2月に話を戻す。陸と海の反射波のコントラストが地点標定の主要判断材料になるため、レーダー爆撃時の目標は沿岸部に限られていた」

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:29:18  No.1269236      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550492958240.jpg
「私はすでに、熟練整備員による指導学校に加えて、レーダー学校を創設し、以後は急速に(※レーダー映像解読技量の)向上をみた。戦争終結までに、雷雨の中ですらレーダーを使って、内陸部の都市へ投弾、破壊できるまでになった」

…との事

要はまあ、新技術を戦場で有効に活用する為には、基礎となる理論や研究設備から始まって、実用に耐える製品として完成させ、数を揃えて現場に引き渡し、運用する要員を適切に教育する…といった様々なハードルを越えていかなければいけなかったのはアメちゃんといえど例外ではなかったみたいなんですが、一方で日本側が鹵獲品を元に何とか追いつこうと努力している間にも、やっぱり相手側も更なる新技術の導入を含めて、改良・発展に血眼になっていた…という事なんですかね

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:31:19  No.1269237      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550493079304.jpg
因みに、画像は件の315航空団が川崎の三菱石油施設に夜間爆撃に出る前のブリーフィングの様子だそうで

スクリーンに掲げられた現地の地図の横に、「イーグル」レーダーの「V」の字の画面情報も掲示されているのが見えるんですが、暗夜でもほぼ地図通りの表示を追いながら飛行できるというのは、やはり当時のB-29搭乗員さん達にはかなり頼もしい装備だったんでしょうかしらん…

無題
Name 名無し 19/02/18(月)21:32:20  No.1269238
個人的に日本のレーダーを調べていたので、このスレは有難いです。
お礼に自分の知ってるリンクを貼ろうとも思いましたが、横浜ミュージアムも徒然草も既出(汗 なので、書籍を紹介します。

キスカ島にも初期型の電探があったそうで、同島に駐屯していた人たちの手記を纏めたキスカ戦記(キスカ会編纂)には、電探を扱っていたのは海軍の電測学校? の十代の学生だったとあります。
ここでも初期不良に悩まされていますが、それでも米軍が飛行場を造成したアムチトカ島上空までは電測できるようになり、敵機の出撃状況を把握できる状態だったようです。
「ほんとかな~???」と疑ってしまいますが、一応実用出来てたんですね。

無題
Name 名無し 19/02/19(火)11:29:33  No.1269264
>レーダー爆撃時の目標は沿岸部に限られていた
つまり日本の主要都市は殆どアウトってことじゃないですか!
ヤダーーーッ!

無題
Name 名無し 19/02/19(火)13:06:06  No.1269267
>>贔屓目に見ても単純に2年以上の差が
いつも興味深いです。
電源がまず信用出来ないってのは辛い。
しかし、いつも思うのは開戦から4年しか無いってことなんですよね。
今の世界中の情報と市場にアクセスできる私らですら、たった2年で何が出来るって思いもしますよ。

>>頼もしいもの
宮城県の蔵王山腹に、関東を爆撃して損傷したB29が相次いで激突したとかで、慰霊碑がありますわな。
ウラジオまでなんとか飛ぼうとしたとかなんとか。
懇ろに葬られたそうですが、銃後であれば家族の気持ちなども考えたのかも知れないですかね。
無差別爆撃食らった地域だと、恨みもつのらざるを得ないと思いますが。

無題
Name 名無し 19/02/19(火)15:30:04  No.1269271
良い話もあるのだけど、墜落機から脱出したパイロットの捕虜を村ぐるみで暴行して殺して、戦後ヤベェと思って墓作って供養したパターンもあったりで中々人間味があって面白かったりする

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:34:55  No.1269407      
1550658895344
IJNで戦中海軍技術研究所で電探関連の業務に携わり、戦艦「大和」「武蔵」通信長として両艦装備の電探性能向上の研究も行った…なんて経歴の持ち主の、松井宗明少佐という技術士官さんがおられるんですが、その手記に戦中IJNが夜間の対空射撃、若しくは対空探照灯の照準に用いた4号1型・4号3型といったメートル波電探について述べた部分がありまして

「この種のメートル波射撃用電探は、陸上用としては装備状況の良い砲台では当初有効に使用された」
…そうなんですが、
「昭和20年に至りB-29編隊は空襲時、チャフ(略)の撒布をして測角を妨害し、さらに妨害機により測距も欺瞞され、対空射撃が無能化したことは、筆者の眼底にも生々しく残っている」

…んですとか

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:38:16  No.1269410      
1550659096492
当時こうした各種手段を用いて日本側の対空電探を無効化して、松井氏らを切歯扼腕させたB-29の中でも、特に電子戦仕様に特化したRCM(RadarCounterMeasure)機と呼ばれるタイプがあったそうなんですが、例えば昭和20年3月10日の有名な東京の夜間大規模空襲の際には、2機のRCM機が攻撃に同行して、主に日本側の使用する「電探」の詳細情報の収集を行っているんだそうで

この空襲(作戦No40)の当時のアメちゃん側で作成された作戦任務報告書、国会図書館のデジタルアーカイブに所蔵されておりまして閲覧可能なんですが、例えばその中の”RADAR COUNTER MEASURES”と題した一章では、RCM機により当夜、

「全部で51のレーダー波(signals)が記録されたが、重複したものや、あいまいなものを整理した結果、この数は30の異なるレーダー波に分類された」

…なんて記されていたりします

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:39:23  No.1269411      
1550659163950
私らからすると(単純にレーダー波の種類=電探の種類とすると)これでもまだ多すぎるような感もあるんですが、ともあれ米軍側記録から見た場合、当夜にはかなりの数のレーダー波が日本側から発せられ、傍受されていたということみたいですねえ

報告書では続いて、傍受した中でも特に注目に値するとみなされたレーダー波について個別に解説がなされていて、例えば目標上空を空襲中、攻撃機を追跡していた周波数75〜78メガヘルツ(当時はメガサイクル表記)で、”Nojima zaki(野島崎)”"O shima(大島)""Katsura(恐らく勝浦)"地区で傍受されていた”Mark TA Model Ⅲ”、周波数200メガヘルツで”Mark21”と思われるもの…等を、対空砲火や探照灯の動き具合等の観測結果と合わせて表記しており、日本側のレーダー使用状況について、RCM機の持ち帰った情報を元に詳細な分析が行われていたことが窺える内容であったりしましたり

こうした情報活動がその後の爆撃で、日本側電探を適確に妨害したチャフやジャマーの仕様を決定する基礎となった、ということなんでしょかねえ

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:39:48  No.1269413      
1550659188665
また同報告書では他にも様々な早期警戒・対空走査レーダーの情報が記されているんですけれども、航空機搭載、特に夜間戦闘機の機上邀撃レーダーからと思われる傍受例は殆んどなかったようで、別の章では

「敵空軍の抵抗は弱かった。敵の戦闘機(※延べ)74機が40回の攻撃をしてきた。敵機によるBー29の損傷損失はなかった。」

「空中と地上の連携の証拠は乏しかった。敵の飛行士の迎撃振りは、夜間の戦闘をほとんどあるいは全く知らないように見えた」

「レーダーを装備した夜間戦闘機は、広くは使われていないか、仮に使われていたとしても有効でないように見える。攻撃は、B-29が火災の明りや探照灯に照らされた時か、その直後かに起った」

…なんて書かれていたりします

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:42:06  No.1269414      
1550659326956
逆に当時の日本側の記録を見ましても、残念ながら当夜日本側の夜間戦闘機が有効活用できる機上塔載電探をもたず、地上からの邀撃管制や誘導もなかったのは事実みたいなんですが、こうした全天候邀撃能力の弱さというのは、すでに東京大空襲の以前より、B-29による夜間偵察飛行等で確認されていたんだそうで
ルメイ=サンが夜間低空・単機ずつ侵入という思い切った戦法転換に踏み切った裏には、やはりこうした事前情報の蓄積があったということみたいなんですが、実際3月10日に失われたB-29・14機の内、事故で失われた1機、帰途燃料切れ等で不時着水して乗員の大部分が救助された4機を除く、乗員諸共「完全損失」となった9機の内、3機は航法ミスにより(先にレスされた方がおられますですね)宮城県山中に墜落しておりますので、日本本土上空で日本側の反撃により失われたのは、目標に到達した294機中、6機のみという勘定になるようです
これは寧ろそれ迄行われていた昼間高高度爆撃よりも低い数字で、引き換えに得られた甚大な「戦果」と併せれば、ルメイ=サンの判断は正しかったってことになるんでしょかねえ…

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:46:40  No.1269416      
1550659600165
因みに余談ですが、先の東京大空襲時の報告書で、特記すべきレーダー波傍受の一つとしてあげられているモノの一つに、勝浦地区で受信された「10センチのレーダー波」なんてものが挙げられていたりします

「この電波は、日本帝国から受信された数少ない10センチのレーダー波の一つだという点で、極めて重要である」
「この10㎝波は、勝浦と野島崎の間の正確な対空砲火と結合していた」

…とした上で、前年(昭和19年)にも同地区で10センチ波を何度か受信している事にも触れ

「このことは、日本人が10センチ波を発する装置を所有し、かつそれを有効に使っている確かな証拠である」
「一層の資料を確認し位置も決定するために、さらに探索を続けるべきである」

…なんて懸念を示しておりましたり

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:47:47  No.1269417      
1550659667246
ただ不思議なのは、アメちゃんが「恐らくMark51/52」と推定しているこの「10センチ波」対空射撃レーダー、当時の日本側に該当する装置が無いように思えるんですよね

昭和20年3月の時点で、日本陸海軍が対空砲照準、もしくは探照灯照射に用いていたのはほとんどがメートル波のものですし、陸サンではそもそもマイクロ波電探そのものが希少、マイクロ波電探開発では先んじていたカイグンさんでも、実用化・もしくは試験中だったのは2号2型や3号2型といった対水上射撃用電探であって、対空砲陣地に配備されていたりその照準に用いられていたというのは(有り得なくは無くても)可能性が低そう

波長10センチの対空射撃用レーダーといいますと、使用波長だけなら無照射射撃も可能な米軍の優秀なSCR-584レーダーに匹敵するわけですが、そこまで高精度の対空射撃電探が開発されていた、というならとっくに関係者の回想記や各種研究ページ等で取り上げられてそうですが、それもなし(自分が勉強不足なだけかもですが)

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:49:41  No.1269418      
https://cgi.2chan.net/f/src/1550659781044.jpg
ともあれ、当時日本上空でレーダー波傍受の任務に就いていた米軍RCM機の搭乗員さん達を「むちゃくちゃ凄い音だ!(違)」と驚かせたらしいこの「10センチ波」FCSレーダー、果して単にアメちゃんの分析間違い、もしくは勘違いの産物であったのか、それとも実際に当時の日本で「10センチ波」使用の対空レーダーに該当する機器が実在して運用/試験されていたのか、個人的にはとっても気になっておりましたり…

無題
Name 名無し 19/02/21(木)00:49:35  No.1269444
>No.1269413
「軍艦メカ開発物語」で上空味方機にB-29の位置を知らせる誘導盤の開発が間に合わなかった旨書いてあったね

無題
Name 名無し 19/02/20(水)19:56:37  No.1269419      
1550660197231
>更にルメイ=サンの手記を引用させてもらいますと

そもそも、石と鋼材造りの『電波散乱源』が多い欧州都市と、殆ど木造建築ばっかりで電波反射しやすいコンクリート建造物は『軍の重要施設』だったりした我が国土ではそもそも「対地電探」しての爆撃は難易度が違った罠


…「関東大震災からの復興」が、復興計画初期策定案通りになってたら、『東京大空襲』があそこまでの惨禍にはならなかった可能性だってあるし、全ては『歴史のif』よね

無題
Name 名無し 19/02/20(水)23:05:02  No.1269435
東京大空襲の低空侵入・離脱戦術ゆえに味方潜水艦のSJレーダー電波でもキャッチしてしまったのでは…
相模湾沖が米潜の救助待機ポイントとして定番だけども千葉や茨城方面へ抜ける航路も離脱時によく使われるし
あるいは多方向侵入戦術で混乱するボマーストリームの中で味方のパノラマレーダーやその地上反射波を浴びたか
米軍が味方電波識別でポカやりそうにはないんだけも

無題
Name 名無し 19/02/21(木)01:17:10 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.1269447
https://cgi.2chan.net/f/src/1550679430994.jpg
東京大空襲にも参加したあるB-29搭乗員さんの回想記を読んだことがあるんですが、作戦前のブリーフィングで投弾高度は僅か5000~7000フィートと聞かされ、

「出撃指示を受けてからは午後の間みんな塞ぎ込んでしまい、同僚たちがルメイに呪いの声を上げるのを聞いた。うわさでは、幕僚の多くがわれわれをそんな自殺的空襲に遣るという決定に反対し、空襲部隊の75パーセントを失うと予言したというのだ。」

「ある者が言うには、ルメイはそういう幕僚たちに答えて、『それ以上に補充要員を呼び寄せれば済むことではないか』と言ったという」

…なんて、相当のショックをうけた旨が記述されておりましたり

無題
Name 名無し 19/02/21(木)01:18:38  No.1269448
https://cgi.2chan.net/f/src/1550679518954.jpg
もっとも、結局筆者さんの機を含む多数機が無事マリアナに帰りつき、続けて行われた他都市への夜間爆撃でも未帰還機がごくわずかであったことを知ると(名古屋では2回で2機、大阪で2機、神戸で3機)

「結局はルメイが正しかったことになるのかもしれない」

…とも記していたりします

この辺、結局は戦争の大局の中の手駒の一つとして、上官の命じる通り飛ぶしかない現場ヘイタイさんたちの気持が、素直に表れているような感じではありますですな

無題
Name 名無し 19/02/21(木)01:20:32  No.1269449
https://cgi.2chan.net/f/src/1550679632349.jpg
因みに当時の日本側の”RADAR COUNTER MEASURES”の一例として、日本海軍の電探関連のパイオニアの一人である伊藤庸二技術大佐が、「電波妨害機」について手稿を記されておられるんですが、それによりますと

「電探の発達と共に直ちに出づ可き兵器である。電探の電波に丁度合せた波長の電波を強力に出し、電探の受信を混雑せしめようとする装置である」

「比較的古い技術の米(※メートル)波妨害機は陸軍が之を担当して一通り作り上げた。之は陸海軍協力の爲に出来た陸海軍電波技術委員会の決定に基いて、陸軍が担当したからである」

「ところが愈々生産になって困難に逢着した。陸軍の爲の生産に急をつげ、海軍に渡せないと云うのが結果なのである」

無題
Name 名無し 19/02/21(木)01:22:55  No.1269450
https://cgi.2chan.net/f/src/1550679775522.jpg
「之では海軍は困る。それで又自ら研究を開始した。出来上がった結果は陸軍側よりは少し簡単な方式をとって居る。従って量産にも都合が良い。それで至急生産を開始したが、相次ぐ爆撃によって工業力の低下著しく、遂に実験的な試用に止まり、眞の実用には至らなかった」

「糎(※センチ)波の妨害機は計画を一応立てたが、米波程にも至らない内に終戦になって了つた。而して陸海軍電波技術委員会は園児中相当良く活躍した委員会である。併し折角委員会の沽券を発揮し得た電波妨害機の終局は前記の通りであった」

…そうです
メートル波に対しては紆余曲折を経て陸海軍それぞれが独自のジャマーを開発するに至った、という事みたいなんですが(棒)
例えばB-29の夜間爆撃に主用されたマイクロ(センチ)波レーダーのようなものを妨害しえ得る妨害機は、遂に登場せずに終わった、という事なんですかねえ

無題
Name 名無し 19/02/21(木)09:15:39  No.1269475
こっちだって日本夜戦メインのアイボールセンサーには電子ジャマーは効かないから(震え声)

逆に電探欺瞞紙とかは日本の方が早く使ってたとか聞くんだけどねえ

無題
Name 名無し 19/02/21(木)17:08:33  No.1269501
アルミ箔だけならまあ、ハイテクとか関係ないしな

でも米軍も意外にきっちり日本の情報集めてたのね・・・
もっと舐めプしてるイメージだった(小並感

無題
Name 名無し 19/02/21(木)21:28:11  No.1269535 
>アルミ箔だけならまあ
錫箔じゃなかったっけ?
まあアルミ箔まで錫箔って呼んだならアルミでもいいけど

無題
Name 名無し 19/02/22(金)03:22:39  No.1269578 
滝沢聖峰がRCM機をマンガにしたのももう四半世紀前か
アレで日本の電線は全部紙巻という誤解が広まったように思うがw

無題
Name 名無し 19/02/23(土)07:44:35  No.1269657
>>「結局はルメイが正しかったことになるのかもしれない」

硫黄島奪取前や、護衛機無しの初期九州への空襲、米投入戦力の増大と日本側の戦力温存、B29の機械的信頼性の向上とか考えると、昼間高高度爆撃より夜間低空爆撃の被害が少ないとか言うのはちょっと数字遊びな気がするね。
そう考えなければやってられなかったというのもあるだろうけど。
高射砲の届く高度でバカスカ撃たれるのも加わるから、搭乗員の心理的にはまさに「人殺しルメイ」だったんだろうな。

無題
Name 名無し 19/02/23(土)11:54:40  No.1269678
>昼間高高度爆撃より夜間低空爆撃の被害が少ないとか言うのはちょっと数字遊びな気がするね。

この場合の「被害が少ない」は「戦果に対して被害が少ない」でしょう。

名古屋など西日本への空襲はともかく、ジェット気流が吹き荒れる関東での昼間高高度精密爆撃が失敗続きで損失ばかりが積み重なっていた以上、どこかでジェット気流の影響を受けない中~低高度爆撃への移行は必須だったし、そうなったら迎撃の受けにくい夜間にせざるを得ないし、そうなったら爆撃精度が落ちざるを得ないから必然的に焼夷弾による地域爆撃になる。戦果さえ十分に上がれば損失は必要経費として処理されるのが軍隊というものよ。

無題
Name 名無し 19/02/23(土)18:05:41  No.1269705
https://cgi.2chan.net/f/src/1550912741946.jpg
B17とB24の比較で、出撃数に対する損耗率で考えるか投下爆弾量あたりの損耗率で考えるかで評価が変わりそうだって話は興味深かったですが、爆撃効率にも生還率にも寄与するであろう高性能レーダーを新型重爆に積まれたら......

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:16:06  No.1269720
1550924166559
>滝沢聖峰がRCM機をマンガにした


「闇の誘導路」ですねっ!

>もう四半世紀前か

…え?…え…ええっ!?(困惑

聖峰せンせいの漫画の中でも、日本側が「10センチ波レーダー」でB-29を追跡して誘導するストーリーになっていましたけど、作画上は四角いホーンアンテナが三つ並んだほぼまんま32号電探みたいなヤツでしたね…w

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:17:11  No.1269721
1550924231756
因みにB-29の初の日本本土爆撃になった1944年6月16日の八幡製鉄所爆撃なんかも、夜間低高度・単機ずつの侵入であったわけなんですが、戦闘終了後に日本側の第19飛行団が行った研究会での結論は「この戦闘において防空の任務を達成することができなかった(戦史叢書『本土防空作戦』より)」というものであったそうで、原因としては

・我が戦闘機の速度、火力が不十分であるため
・電波警戒機装備の夜間専用機がなく、照空灯で捕捉できなかった米軍機はすべて逸したため
・わが夜間出動兵力が少なかったため
・保有飛行場が少なく、出動機数が拘束せられたため

…等が挙げられているそうです

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:20:39  No.1269722
1550924439560
実際、当夜の空襲で出撃したB-29の内、損害合計は7機となっているんですが、内1機は出撃時に離陸事故で失われ、帰途に故障および燃料切れで墜落したものが2機、エンジン故障で中国大陸に不時着後、日本側の攻撃で失われたものが1機含まれておりますので、日本本土上空で飛行4戦隊の「屠龍」若しくは高射砲の射撃で喪失したのが確実なのは地上で残骸まで確認された2機のみ、多くて3機ということになり、目標上空に到達したB-29・47機の殆んどを取り逃がしている計算になるんだそうで

もっとも、不手際はアメちゃんの方にも頻発したようで、故障機の大量発生の外に、大部分の機が行ったレーダー爆撃の精度があまりに低く、同空襲に参加したアラン・クラーク大佐によれば

「作戦の結果はみじめなものだった。八幡地区に落ちた爆弾のうち、目標区域への命中率はごくわずかで、20マイルも離れて落ちたものもいくつかあった。レーダー手が盲爆(レーダー爆撃に慣れていないためだった」

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:21:52  No.1269723
1550924512724
…とのことなんですが、

「爆撃の結果が判明ののち、第20爆撃兵団はレーダー手用の訓練計画を実行に移し、その後の作戦ではレーダー爆撃技術はある程度の向上を見た」

…そうです

一方、日本側の戦訓として痛感された機上レーダーを搭載した夜間戦闘機の必要性に対するその後の展開なんですが、当時飛行第4戦隊の空中勤務者として八幡夜間爆撃の際にも出撃し、後に飛行第53戦隊に転じてやはり「屠龍」で東京大空襲の際もB-29を迎え撃ったという、稀有な戦歴の持ち主である佐々利夫大尉の手記によると

「夜間邀撃には、二式複戦の夜戦型が使用されたが、昼間型と異なる所は(略)機関砲2門を斜前上方に向けて固定装備しただけである(略)後になって、ジャイロ計器が取り付けられ、編隊長機に敵味方識別装置が装備されたぐらいであった」

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:23:35  No.1269724
1550924615036
「当時すでに連合軍には、レーダーを装備し射撃管制装置をもった本格的夜戦が戦場に出現し(略)我が爆撃機がその攻撃を受けて損害が増大していた。我が国では(略)20年の中頃やっと試作機・タキ二号が完成し、53戦隊の(略)改装機に試作タキ二号を塔載して実験を始めた。しかしながら期待通りに作動せず(略)最後まで、照空灯協力の原始的攻撃法によらざるを得なかった」

…そうなんですが、この方はリアル「闇の誘導路」といいますか、当時試験中だった地上からの戦闘機(夜間)誘導方式での戦闘も体験されておられたんだそうで、

「B29の日立空襲時、4機編隊を率いて、GCI(要撃管制)の要領で地上のレーダーに誘導されて銚子上空でB29の大編隊と会合したが、暗夜のため敵機を視認することができず、空振りに終わったことがあった(略)上級司令部では、戦隊に装備したタキ二号実験機が実用段階に入ったものと誤認しての出動命令であったろう」

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:26:03  No.1269726
1550924763452
…なんて経験もあったそうです

奇しくもというか、B-29による本土爆撃の初回から、夜間爆撃を行う側も迎え撃つ側も「レーダー」に関わる問題に悩んでいたというお話みたいなんですが、その後米側が装備の質および操作員の技量向上に励んで、「使える」兵器へと育てて行ったのに対して、日本側でも改良の手段は講じられていたものの、遂に現場の戦訓に応えられるだけのレベルに至らずに終わった、ということになるんでしょかね

因みに余談なんですが、佐々氏は戦後航空自衛隊に奉職されておりまして

「全天候戦闘機F86Dを米空軍から受け入れ、航空団新設の業務に携わったが、同機に装備するE4火器管制装置は、レーダーとエレクトロニクスを結合した極めて精巧なもので」

無題
Name 名無し 19/02/23(土)21:27:09  No.1269727
https://cgi.2chan.net/f/src/1550924829585.jpg
「パイロットは、GCIの誘導により敵機に接近したところで手動によりレーダーを敵機に向けてロックオンするだけでよく、あとはすべてコンピューター任せで、適当な時期にロケット弾が自動的に発射される仕組になっていた。いまさらながら今昔の感を深くした」

…んですとか

それから更に数十年がたって、今やステルスがどうの、F-35のデータリンクが~イージスアショアで弾道弾を~とか、仮に佐々氏が現況を知られたらますます困惑されるかもしれないほどニホンの防空事情は更に複雑化しているわけですが

考えてみればそれも、戦中から戦後と、絶えずに延々と続けられてきた技術競争の積み重ねがあっての結果である…ってことなんでしょうかねえ

  引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1269050.htm
 

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