空自の日本防空史57
無人機UF-104、硫黄島へ


文:nona


 硫黄島シリーズの最終回は、最後の有人戦闘機から無人機へ転身したUF-104のお話です。

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空自初のフルスケール・ドローン

 硫黄島では、各種の訓練や試験の一環で、(フルスケール標的機という括りでは)空自初の無人機となる、UF-104JおよびJAが運用されたことがあります。

 空自は1980年代までの射撃訓練において、バナーやデルマー、ダートといった曳航標的を用いており、90年代にはJ/AQM-1という小型の無人標的機も加わる予定でした。

 一方、アメリカをはじめとする諸外国では戦闘機を無人化したフルスケール標的機も古くから使用されていました。

 フルスケール標的機はパターン化されたプログラム飛行のみならず、遠隔操縦によって実機と同様の複雑な機動もできるため、より実践的な訓練が可能、と考えられていました。

 空自もこれを訓練に取り入れるべく、旧式戦闘機を改造したフルスケール標的機を導入する計画を開始しました。


F-104からQF-104、そしてUF-104へ

 フルスケール標的機の改造母体は、岐阜基地の第2補給処でモスボールされていたF-104Jです。

 防衛庁は改造事業にあたり、F-104Jをライセンス生産した三菱重工を主契約企業としたものの、アメリカのハネウェルおよびモトローラ社の支援を受けた共同体制がしかれました。

 試作改造は1987年に開始され、当初は有人操縦と無人遠隔操縦の双方に対応するQF-104が2機製作され、バックアップのパイロットが搭乗した状態で飛行試験が実施されました。

 QF-104Jは1990年に空自へ引き渡され、呼称もUF-104Jへ改められたものの、メーカー内では、これまでのQF-104も併用されたようです。

 次に、完全無人型のUF-104JAが12機製造され、1992年3月に硫黄島の臨時無人機運用隊に引き渡されました。硫黄島への搬入にあたり、UF-104JとJAは、いずれもC-130輸送機で空輸されています。

 その後、同地での試験を経て1994年3月に無人運用隊(UF104JSQ)が発足。足掛け8年で正式に運用が開始されました。

 無人運用隊のUF-104は視認性を高めた独自の塗装が施されていますが、右エアインテイクには、こっそりとテレビゲームキャラクターの「マリオ」が描かれています。これは部隊のコールサインが「マリオ」だったことに由来しました。


UF-104Jの操縦システム

 UF-104の操縦システムは0.8MIPSのDFCC(ドローン操縦デジタルコンピュータ)にフライ・バイ・ワイヤなど、当時最新の機体制御技術が採用されており、加えて、電波高度計や加速度計などのセンサーや、自動スロットル制御による速度維持モードなど、原形のF-104になかった機能も追加されています。

 さらに、バックアップとして従来の油圧アシスト式操縦索による操縦も可能とされ、現役時代から信頼性の高かったアナログ式AFCS (自動操縦装置)も、そのまま活用されました。

 操縦システムは2重化されたフェイルセーフ設計が採用され、故障発生信頼性は10-4回/時(0.0001回/時)。

 ただし、旧式の機体に新世代のアビオニクスを追加した結果、フライ・バイ・ワイヤに対する電磁干渉が生じたり、電力の不足で電子機器がシャットダウンする、といった問題も発生しており、技術陣を悩ませたようです。


UF-104の地上操縦装置

 UF-104の操縦は、実機を模した地上コックピットから行われ、パイロットはUF-104に固定されたCCDカメラからのTV映像と、各種計器情報をもとに操縦します。

 UF-104Jの遠隔操縦は地上のアンテナから200海里以内の範囲で可能です。ただし、映像が受信できる距離は10海里以内、という制約もありました。

 映像が受信できない場合、地上コックピットのTVモニターは水平線を表示し、別画面にナビゲーションマップが表示されました。

 UF-104の現在位置は、地上の追跡アンテナとTACOM(戦術航法装置)によって取得されます。この時代にGPSはまだ使用できませんでした。

 もし操縦信号が途絶した場合、UF-104は自律飛行に切り替わり、自動で通信を回復させる機能が備わっています。


困難な着陸

 UF-104の改造と運用にあたり、関係者が最も苦労したのは、着陸システムだったそうです。
 UF-104は1度のフライトですぐ撃墜されるのではなく、着陸後の再使用が要求されたのですが、同機の着陸速度は170ノットと早く、空自戦闘機の中では、特に着陸が難しい機体でした。

 ところが、操縦用CCDカメラの視野角は左右46°・上下35°と極めて狭く、おまけに操縦には150ミリ秒以上の遅延が発生するなど、遠隔操縦による着陸は実機に搭乗するよりも格段に困難でした。

 しかも、運用飛行場の制約からUF-104はILS/MLS(計器着陸装置およびマイクロ波着陸装置)なしの着陸も要求され、これらの機器との連動を前提とした従来の自動着陸装置は使用できなかったのです。

 そもそも、UF-104に着陸を求めたこと自体が誤りなのでは、とさえ思えますが、そこは技術陣の努力により、どうにかカバーされたようです。


UF-104の着陸システム

 この問題の対策として、地上コックピットのCRTモニターをHUDとして扱い、ここに着陸誘導指標を重ねて表示することで、手動による着陸進入を補助しました。

 誘導指標の表示に必要な計算は、地上に設置されたUF-104用の追跡アンテナによる機体の位置情報、およびUF-104から送信される計器情報をもとに地上コンピュータが行います。

 加えて、着陸操縦増強モードが着陸時の頻繁な操作を軽減し、新規に追加された電波高度計が、地上との微妙な距離をパイロットに伝えました。

 操縦するパイロットも訓練によってUF-104の着陸に熟達し、接地Gは1.1以下、着陸接地点のばらつきもごくわずかに抑えられていました。

 もっとも、UF-104の着陸システムは訓練用の標的機としてなら許容できる、という代物で、実戦環境に耐えられるものではありません。

 UF-104の改造に携わった炭田潤一郎氏らは、1999年の論文で、将来の無人機には(GPSを用いた)自動着陸機能を持たせるべき、としており、今回の事業で培われた手動着陸システムは、あくまでバックアップとするのが妥当、としています。


全機撃墜、任務完了

 UF-104は1997年3月までに全14機が撃墜され、任務を完了したとして無人機運用隊は解散しました。
 ただし、旧式機を無人機へ転用することが想像以上に難しかったのか、この後に旧式機が無人機へ転用されることはありませんでした。

 また、炭田氏らは「今後、航空法、電波法などの法改定が行われ、限定条件無しに運用ができる日が間もなく来て、日本の無人機が確立されていくことを望む。」と記していますが、この記述から20年がたった2019年となっても、規制は厳しいものです。

 特に滑走路への自動着陸を狙った大型、高速の無人機を開発する場合、やはり硫黄島でないと自由に試験できないのが実情です。


次回はF-4EJの改修計画を解説いたします。


参考

航空自衛隊F-86F-104(イカロス出版 ISBN978-4-87149-740-4 2005年11月20日)

世界の傑作機 No.104 ロッキード F-104JDJ 栄光(ISBN978-4-89319-108-3 2004年10月5日)

日本航空宇宙学会論文集 第47巻 第540号

無人機遠隔着陸操縦の研究(炭田潤一郎, 安井久子, 坂野鈴夫, 竹内明雄 1999年1月5日発効)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1999/47/540/47_540_24/_article/-char/ja/

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