空自の日本防空史55
硫黄島事件


文:nona


 今回は硫黄島へ向かうF-4編隊に起きたアクシデントについて、当事者の証言をもとに解説いたします。

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硫黄島へのフライト

 1987年7月某日、開始から間もない硫黄島移動訓練のため、304飛行隊のF-4EJが6機、百里基地を発進し、太平洋を南下します。

 部隊は先行する第一編隊の4機と、後方200海里を飛ぶ第二編隊の2機に分けられていました。

 6機を2つの編隊に分けたのは、本土と硫黄島の間に対地無線が圏外となる空域が存在するため、どちらかの編隊が常に地上と交信を維持する必要があったためです。

 第一編隊は順調に飛行していたようですが、第二編隊では2番機のTACAN(電波式の戦術航法装置)とINS(慣性航法装置)が不調になっており、

 同機の後席に搭乗していたCajun氏は、1番機についていけば問題ない、とパイロットを励ましていました。


硫黄島を覆う積乱雲

 コースの天気は良好、と当初は予報されていましたが、第一編隊は硫黄島の付近に4万5千ないし5万フィートの高さまで発達した、巨大な積乱雲を発見します。

 この時、第一編隊の4機は既にノーリターンポイントを通過しており、硫黄島の気象班も硫黄島に流れることはない、と予報を発したことで飛行は継続されました。

 しかし、この予報は大はずれ。積乱雲は硫黄島に接近していたのです。それが判明した時点で第二編隊の2機もノーリターンポイントを越えてしまい、もう誰も本土に引き返せませんでした。


濡れた滑走路の上を滑るF-4

 飛行班長として6機を指揮していた織田邦男氏は、第一編隊に急いで着陸するよう指示。自身は積乱雲を観察しつつ、着陸の順番を待ちました。

 一方、遅れてやってくる第二編隊の2機に対しては「もう、降りれないからな!!俺は先に降りるぞ!」「燃料をセーブしながら、ゆっくり来い」と指示しています。

 その後、織田氏は硫黄島基地へ着陸を試みたのですが、すでに滑走路周辺に雲が低くたれこめ、視界が奪われて進入に失敗。

 そこで織田氏は、雲のかかっていない島の反対側に回り込み、F-4EJを着陸させました。

 しかし、滑走路の後半部分はすでに雨に濡れており、急にブレーキが効かなくなりました。ハイドロプレーニング現象が発生していたのです。

 F-4EJはドラッグシュートだけでは減速しきれず、バリア(滑走路に渡された拘束用ワイヤ)を踏み、オーバーランエリアでようやく停止しました。

 これは仕方のないことでしたが、織田氏いわく「本来なら処罰もの」の着陸でした。


トラブルの連続で2番機が迷子に

 空中に残った第二編隊のうち、1番機が着陸を試みたものの、ついに島内全域が豪雨に見舞われ、滑走路を視認できず着陸を断念。再上昇し、上空で待つ2番機との空中集合を計ります。

 2番機は前述のとおり航法装置が不調で、自身の位置を伝えられないため、集合には硫黄島地上管制の支援が不可欠でした。

 ところが、硫黄島の広域レーダー(J/TPS-101)が故障。織田氏は原因を不明としていますが、Cajun氏は落雷の影響である、としています。

 時として不幸は重なるものですが、F-4EJの乗員達は危機の元凶である積乱雲を逆に利用し、その頂点を基準に互いの機位を確認しあい、集合に成功したようです。

「あと15分」

 積乱雲の直下に入り、猛烈な雨に見舞われた硫黄島ですが、同島では一過性のスコールが多いもので、気象隊はいつものようにすぐに降り止む、と予測。

 硫黄島の指揮所は空中の第二編隊へ「予報官が後15分ほどで抜けると言ってるゾ!」と無線を発します。

 しかし、15分経っても雨が止む気配はなく、この予報官は「あと15分」を3度も発令。この時に降った雨が観測史上4番目となる、1時間90mmもの豪雨であったことには気づいていなかったのです。

 雨が降り止むのを待つ間に2機の燃料は減っていき、ついに可能な時間はあと15分、という危機的状況に陥りました。


1年前にも燃料切れの墜落事故

 今回の事件から1年前の1986年6月16日、空自のF-4EJが2機、燃料切れで墜落する事故が発生していました。

 この日、301飛行隊に属する4機のF-4EJは、飛行訓練の後に宮崎県の新田原基地へ着陸する計画だったのですが、同基地周辺の悪天候により着陸できず、4機は代替飛行場である福岡県の築城基地へ向かいます。

 この時点で、4機には燃料に若干の余裕があったのですが、他所の航空管制に迷惑を及ぼさないよう最短コースを迂回したり、燃料を節約しようとエンジン推力を落としたことで、かえって運転効率を落とすなどして、燃料を余計に消費してしまったようです。

 4機のうち、2機はぎりぎりで築城基地までたどり着いたのですが、2機は途中で燃料を喪失。人の気のない場所まで操縦された後に乗員は脱出し、機体は海上と山中に落下しました。

 この事故が発生した当時、304飛行隊は築城基地に配備されており、織田氏やCajun氏もこの事件の顛末を詳しく知っていました。

 今回の硫黄島における事案は、まさに1年前の事故の再現になりかねず、その場いた全員が、是が非でも機体を無事に着陸させようと必死になっていました。


積乱雲の下をくぐる。

 硫黄島の上空で、燃料が続くのも15分程度となった2機のF-4EJですが、地上では一時的に視界の改善が見られたため、このタイミングで着陸が指令されました。すでに航法能力を失った2番機は1番機の先導をうけて降下を開始します。

 2機は激しい乱流で揺さぶられ、雲と雨で何も見えない中、飛行場のPAR (精測進入レーダー)捕捉範囲へ接近しました。

 しかし、PARの電波も雨粒に阻害され、なかなかF-4EJを発見できません。距離8海里付近でようやく捕捉に成功したようですが、通常であれば15海里で捕捉できる代物でした。

 海自の管制官は音声誘導を開始し、F-4EJを滑走路へ導きます。ただし、管制官もこうした状況に不慣れなようで、Cajun氏は不安を感じたようです。


捻り込みハードランディング

 やがて、F-4EJはPARの誘導限界に達しますが、視界は再び悪化。滑走路が目前にあるにもかかわらず、それを発見できずにいました。

 しかし、もう5~6分しか飛行できないため、着陸のやり直しも不可能でした。

 ここで着陸できなければ機体を捨てて脱出、そのようなことをCajun氏が考えていた時、ついにパイロットが滑走路を発見します。

 コースはかなりの「ずれ」があったようですが、パイロットは60°以上機体を傾け機体を捻りこみ、さらに逆方向に切り返して、機体の進路を滑走路に重ねます。

 そして機体は滑走路に叩きつけられるように接地し、乗員に激しい衝撃が伝わりました。F-4EJと乗員の運命やいかに...


次回に続く


参考

永遠の翼 F-4ファントム(ISBN 978-4-89063-378-4 小峰隆生 2018年12月20日)

戦闘機パイロットの世界“元F-2テストパイロット”が語る戦闘機論(渡邉吉之 2017年9月10日)

True Mach 音速の彼方へ FUEL
http://www2m.biglobe.ne.jp/~ynabe/mach/fuel.htm

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