無題 Name 名無し 18/12/22(土)14:21:42  No.486655

1545456102124
負け惜しみって惨めだよな
戦闘糧食II型 ミリめし タコスミートミックス丼
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無題
Name 名無し 18/12/22(土)14:56:42  No.486656
日本軍も補給があれば
炊きたての白い飯が必ず食えたわけですがね
糧食決まってるからね

無題
Name 名無し 18/12/22(土)16:28:55  No.486663
>日本軍も補給があれば
>炊きたての白い飯が必ず食えたわけですがね
野外では朝に昼の分までまとめて炊くから、昼は冷えたご飯じゃないかね?

無題
Name 名無し 18/12/22(土)16:12:06  No.486662
勝てる道理がありますまい(いちいち飯を炊きながら)

無題
Name 名無し 18/12/22(土)18:17:59  No.486671      
自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
他の物資不足は如何とも出来ず重篤捕虜殺害の件で戦後に裁かれている
http://www.at-s.com/news/sengo70/senka/vol09.html
http://www.at-s.com/news/sengo70/senka/vol10.html

まったく潜水艦は地獄だぜ(牛肉やパイン缶を食いながら)

無題
Name 名無し 18/12/22(土)18:46:35  No.486672
>自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
テニアン名物ワニの肉とかだっけ

無題
Name 名無し 18/12/22(土)19:08:16  No.486673
テニアンにワニなんておらんだろ?
ニューギニアじゃないか?

無題
Name 名無し 18/12/22(土)20:30:08  No.486676
>テニアンにワニはいない
察しろよ
つまりそういう事だ
双脚羊っていう物があってだね

無題
Name 名無し 18/12/22(土)21:00:16  No.486680
大岡昇平『野火』の世界にry
海が近いと魚や貝がたんぱく源となるしラバウルに関しては無理に変なの食うまで逼迫してはなかったと思われる

捕虜へ対する食生活文化の相違は何ともねぇ、英軍捕虜の証言
「木の根と黄変した野菜を食わされた」→ ごぼう・たくあん
「腐ったスープを飲まされた」→ 味噌汁

無題
Name 名無し 18/12/25(火)19:51:33  No.486883      
https://may.2chan.net/39/src/1545735093124.jpg
>>テニアン名物ワニの肉

>>テニアンにワニはいない

テニアンとラウテンを間違えて覚えている方がいると聞いて戦隊長がお怒りのようです

無題
Name 名無し 18/12/24(月)03:20:47  No.486788
>自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
昔読んだ雑誌で、現地の帰還兵の話として、焼酎を優先して造ったとか書いていた。おそらく食料として芋を生産して、余った分を酒にしていただけだと思うけど。
稲作も頑張ったけど収穫前に米軍の空襲で焼き払われて激怒したとか。

無題
Name 名無し 18/12/24(月)16:07:31  No.486820
>稲作も頑張ったけど収穫前に米軍の空襲で焼き払われて激怒したとか。


芋ならジャングルの木を適当に残して伐採したスペースで育てれば
航空偵察でもばれないだろうけど、稲作を隠し通すのは流石に無理ゲー過ぎる・・・

無題
Name 名無し 18/12/22(土)22:21:15  No.486683
まあ米軍もガ島なんかじゃ補給途絶えて
もっとも重宝されたパイロットですら栄養失調にマラリアと大変な目にあってるからね

無題
Name 名無し 18/12/22(土)22:40:32  No.486685
毎日 ビフテキ食っている敵と戦うのだ!!!

こちらも食わねば戦にならん・・・・

というのは松本零士先生の漫画でのセリフ
説得力があって好きだ

無題
Name 名無し 18/12/23(日)17:55:23  No.486743
>毎日 ビフテキ食っている敵と戦うのだ!!!
でも実際はビフテキなんてめったに食べられなくて、ノルマンディー上陸作戦の朝にビフテキが出て「ひゃっほー!」してたのに、揺れる船で全部吐いちゃってもったいねぇって話があったり。

無題
Name 名無し 18/12/23(日)18:22:36  No.486744
アメリカは自動車社会であるからして
軟弱なヤンキー共は屈強な日本兵の敵ではない
みたいな寝言もいってた気がする

無題
Name 名無し 18/12/23(日)21:24:24  No.486755
元々物が無い国の中では幕藩だろうが個人だろうが、贅沢や放蕩で身を崩すという、贅沢を戒める教訓が多かった
これだけの物資を揃えられる国力があるという認識と、贅沢が堕落で「軟弱」という認識では、この当時の庶民はどっち側やったんやろね

無題
Name 名無し 18/12/24(月)23:25:05  No.486852
気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
やっぱりさつまいも?

無題
Name 名無し 18/12/25(火)07:50:39  No.486857
>気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
想定している場所や条件がアバウトすぎてワケわかめ・・

無題
Name 名無し 18/12/25(火)10:52:02  No.486866
>芋ならジャングルの木を適当に残して伐採したスペースで育てれば
メレヨンとか珊瑚ベースの島だから実が小指ほどの芋が取れただけでしたとさ
ホント戦争は地獄だぜぇ

無題
Name 名無し 18/12/25(火)20:49:10  No.486886
>気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
寒冷地ならソバ・ジャガイモ・カボチャ
温暖地ならサツマイモ・バナナ・キャッサバ・タロイモなんかだろうけど
作物故に生育にはまず数か月は掛かる(最短はソバかな)

無題
Name 名無し 18/12/26(水)12:25:53  No.486914      
ラバウル獣医戦記―若き陸軍獣医大尉の最前戦の戦い (光人社NF文庫)
出身地ごとに部隊編成されていたから、農村部の部隊と都心部の部隊で農業生産性で差が出たって書いてあったような

無題
Name 名無し 18/12/27(木)00:50:31  No.486934      
1545839431768
ラバウルで終戦を迎えたIJA第8方面軍の経理部部員だった上田観平という主計大尉さんの手記に依りますと、終戦後の昭和20年12月31日の時点で、現地将兵総員9万2千784名に対して、現地の畑の作付面積が1万9千568反歩(4千892エーカー)1人当たり平均62.26坪という状況であったそうです

また、戦中南方前線各地への兵站中継地でもあったラバウルには内地からの補給物資が多量集積されておりまして、この残高が昭和21年1月20日で精米1千845トン、乾パンが1千432トンほどあり、別に現地栽培の陸稲米24トンを加えて3千301トンの備蓄は、9万人以上のひと月分の消費量を678トンとしても146日分となる計算で、従って進駐してきた連合軍側から食糧支援を受けることは一切なく、逆に今村司令官の方からブーゲンビルやニューギニアと言った飢餓に苦しむ他地方に、これらの物資を転送したい…と申し出て許可された、なんて誇らしげに語られておりましたり

無題
Name 名無し 18/12/27(木)00:51:55  No.486935      
1545839515639
因みにラバウルでの主食自給計画は陸稲・甘藷・タピオカの三種を軸にするもので、兵隊サン一人当たりの1日補給定量600瓦の内、200瓦を陸稲で賄い、残りを甘藷またはタピオカで賄うように立てられたそうなんですが、嗜好としてはおコメをふんだんに食べたい!
…というのが正直な所であったものの、陸稲が二毛作可能なのに対して、年3回半収穫できる計算のサツマイモは時間及び作付け面積あたりの収量ではもっとも優れていたため、結果としてはおイモが日常の食事のメインであって、それに少量の米とタピオカ澱粉で変化をつける…というのが基本の食生活であったんですとか

部隊によっては更にトウモロコシやコーリャン、バナナなどを活用する場合もあったそうなんですが、こうして日々現地自活による「節米」に努めた結果、終戦後他部隊に御裾わけ出来るくらいの備蓄を維持できた…ということみたいですなあ

無題
Name 名無し 18/12/27(木)13:02:05  No.486947
た…タンパク質は…?

無題
Name 名無し 18/12/27(木)13:36:58  No.486951
>た…タンパク質は…?
そこに虫と蛇かおるじゃろう?

無題
Name 名無し 18/12/28(金)01:52:33  No.486980      
1545929553770
海に面した立地のラバウルでも、日中は敵戦闘機がパトロールに来るのが常でしたので、味方航空隊の撤退後は特に漁労も思うに任せず、全将兵のおかずを賄うだけの漁獲量の確保は難しかったんだそうで

他の動物性タンパク質としては現地原住民のへび・とかげ・わにといった面々の他、養豚・養鶏事業が計画され、お役御免となった軍馬や獣医部のモルモットまで将兵さんの腹に収まったそうなんですが、それでも慢性的なタンパク質不足は現地の悩みの種の一つであり続けたんですとか

因みに現地での主食となったサツマイモ、地下に実る性質上他の作物より比較的空襲にも強い面もあったんだそうなんですが、その収穫に爆弾より大きな被害を与えたのが、現地に棲む「紅殻雀」なる厄介ものであったんだそうです

無題
Name 名無し 18/12/28(金)01:54:04  No.486981      
1545929644214
当時現地の海軍部隊の長であった、草鹿任一テイトクの回想記に依りますと、

「はじめて名前を聞いた時には、すずめというから鳥かと思ったところそうではなく、3、4寸もある大きな芋虫で、頭に剣を持った凄い奴である。それがやって来る時には、一時に何千何百という群をなして芋を襲い(略)見渡す限りの芋畑をたちまちにして坊主にする(略)駆除には一方ならず頭を悩ましたものだが、特別の薬品も持たず、結論としては根気よくとるより仕方がないということになって」

…と大変だったそうなんですが、一方草鹿氏は

「そこで私が考えたのは、これほど精力の強い虫だから、必ず栄養分が多いに違いないから、せっかく捕えたものを捨てずに、これを乾燥して粉末にし、うまく加工し少し塩気でもつけて飯に振りかけて食べてはどうか、と思い、食料の研究会の席で話した」

無題
Name 名無し 18/12/28(金)01:55:34  No.486982      
1545929734166
…そうなんですが、「誰もあまり賛成はしなかった」そうですw

もっともその後、ある部隊を視察に行くと、食卓上に粉の入った瓶が置かれていて

「あの虫をなんとかして食用にしたいと研究しましたが(略)先ず一着手として、あれの蛹を捕ってそれをふりかけに加工し、近ごろ飯にかけて食っています」

…と勧められたそうで、早速試食してみた草鹿氏曰く

「私は非常に喜んで早速試食したが、これなら結構いけると思った。」

無題
Name 名無し 18/12/28(金)01:56:42  No.486983      
1545929802279
「そして、あまり気にせず、虫そのものからも作ってみたらどうかと希望したら、それも今やりかけておりますとのことで、食後に実際やっている模様を見せてもらったことがあった」

…との事

今どきあちこちの都市で、旧IJNゆかりの肉じゃがやコロッケ、カレーと言った「海軍めし」を売りにした町おこしやイベント、商品展開が行われているわけですけれども、ラバウル名物「紅殻雀ごはん」もしくは「紅殻雀ふりかけ」も、もしかしたらその内、どこか手を付けて見る所が出てくるかもしれn…(

無題
Name 名無し 18/12/28(金)04:31:57  No.486985
まあ蛹(蚕の蛹)は食べるところもあるから
幼虫よりは蛹の方が抵抗が少なかったのも判る気がする

無題
Name 名無し 18/12/28(金)10:44:25  No.486991
昆虫食は国連が強力にプッシュしてるが
欧米の連中はどうしても無理っぽい

生き残るのは我々だね(笑)

無題
Name 名無し 18/12/28(金)10:46:04  No.486992
聖書にイナゴの蜂蜜煮がごちそうとして出てくるはずなんだが
キリスト教徒のくせに絶対食わないな~あいつら

神が認めているんだから、イナゴ食え(笑)

無題
Name 名無し 18/12/30(日)01:17:06  No.487062      
>昆虫食は国連が強力にプッシュしてるが
>欧米の連中はどうしても無理っぽい

そういや、つい半月くらい前にやったテレ東のこの番組で
>日曜ゴールデンの池上ワールド【 池上彰が選ぶ 今知っておきたい 小さなニュース 】
https://www.youtube.com/watch?v=HSy8mc6RfzA
「寿司テレポーテーション」で話題になったベンチャーが開発中の最新『未来飯』として、試作中の「一部素材に昆虫使ったハンバーガー」をゲストタレントが知らずに喰わされてたっけw

無題
Name 名無し 18/12/28(金)21:12:34  No.487007      
1545999154197
古い丸エキストラに、当時ラバウルの高角砲台の砲員だった海軍軍人さんの手記が掲載されていたんですが、毎日毎日芋&ちょっとの飯という食事が続く中、昭和20年のオショーガ・ツーを迎えたものの、せっかくの新年というのに餅一つない寂しさに、ニホン人としてはこれは耐えられない!というわけで、「ままごとの正月」ぐらいはやろうという話がまとまったんですとか

そのラバウル現地製造おせちの用意の顛末はなかなか面白いんですけれども、ちょっと長いので最終的なメニューの内容だけ引用させて頂きますと

(1)南瓜の澄まし汁
・もちろん現地栽培。調味料の粉末醤油も現地の陸軍糧秣倉庫で収穫されたもの(棒
(2)パパイヤ大根のレモンかけ
・水木しげるせンせいの漫画でお馴染みパパイヤの根料理
・見た目は白くて練馬大根にそっくり、湯通しして塩とレモン(住居の傍の木から捥ぐ)で

無題
Name 名無し 18/12/28(金)21:17:34  No.487008      
1545999454382
(3)藷の芽の霜降り
・藷の二葉を摘んでヤシ油で炒め、野生の唐辛子を刻んで入れる。皿に持ってからヤシの成熟した果肉(コプラ)のおろしをふりかける
・「こいつはうまいでっせ」
・酒のつまみによし、飯のおかずによしとのこと。おすすめ。
(4)椰子竹のキンピラ
・2mぐらいの若いヤシの木の、葉と木の間にある白い芯の部分を刻みヤシ油で炒める
・サクサクとした歯触りが妙。煮つけもおすすめ。
(5)ガマの塩焼き
・そこらへんに棲息しています。皮をむいて四肢の肉を塩焼きに
・中毒で死亡したものが出た為、内蔵の喫食は艦隊命令で禁止です

無題
Name 名無し 18/12/28(金)21:18:33  No.487009      
1545999513525
(6)箸休め・メダカの塩辛
・連合軍機の爆撃した後に水が溜まり、そこにマラリア蚊が沸くので対策としてメダカを
・いっぱい増えたので食料の対象に
・といってもメダカ料理の経験者は数万人の中兵隊サン達の中にも皆無
・三枚おろしは無理、煮れば溶け、焼けば燃え、干せば塵に、結論として塩辛(もどき)
・活きのいいところに食膳に載せる直前に塩をまぶす
・「この世にメダカよりほかに食うものがないという場合以外には、あまりおすすめする気になりませんね」
(7)野菜サラダ
・我が班自慢の看板料理
・色づいてまだ熟しきれないパパイヤ(内地の甘柿に似ている)を短冊に切る
・蒸したサツマ藷はさいの目に
・カナカほうれん草(その辺に生えている)はサッと湯通ししてカット
・バナナを輪切りに

無題
Name 名無し 18/12/28(金)21:20:46  No.487010      
1545999646331
・よく熟したパパイヤとバナナを半々に合わせてよくすり潰し、ドレッシングに
・隠し味に塩もみした瓜をくわえる。美味!

(8)大コウモリの炊き込みご飯
・メインディッシュ。捕える際の小銃の無断使用はこの際大目に見(
・おコメは本物の内地米。やはり現地の陸軍糧秣倉庫で獲れ(
・メス2匹、オス1匹を使用。骨でスープを取り、肉は煮込んで準備完了
・臭い
・とても臭い。どうもオスには非常なフェロモン?様物質が含まれていたもよう
・それでも貴重な米飯なので宴会は続行
・鼻に紙の栓をして食べるのもオススメ

無題
Name 名無し 18/12/28(金)21:22:09  No.487011      
1545999729364
…というものだったそうですw

因みに大コウモリも、匂いのない個体を食べた場合には普通に美味しいと他の方の手記にはありましたので、まもなく新しい年を迎えるにあたって、いつものおせちはもう飽き飽き!という方で、同時に旧軍メシの再現に並々ならぬ熱意を燃やされてるような御人がおられましたら、このラバウル現地謹製おせち、お試しになられてはいかがでしょうか…?

無題
Name 名無し 18/12/29(土)17:18:50  No.487042
大こうもりって確か日本でも沖縄とか小笠原にいたよね

・・・よしっ(チャキ

無題
Name 名無し 18/12/29(土)20:51:40  No.487053
>・・・よしっ(チャキ

絶滅危惧種だようっッッ!!!

それはともかく、結局当時の兵隊さんの一番のご馳走はお米のご飯なのねん

無題
Name 名無し 18/12/30(日)13:29:29  No.487076
ローマ帝国の食通達は蝉とか食ってたみたいだけど

無題
Name 名無し 19/01/02(水)18:02:33  No.487229
少ないエネルギーで高いタンパク質を生産できることから
宇宙食としても昆虫食は有望と見られていて

実験の結果ゴキブリが最も理想的な昆虫だったけど
気持ち悪いという最大の懸念を払拭できず
結果カイコだったかミールワームだったかが選ばれたそうで

無題
Name 名無し 19/01/02(水)19:36:31  No.487236      
https://may.2chan.net/39/src/1546425391482.jpg
ラバウル現地で将兵さん達のタンパク源になったナマモノの一つに「カタツムリ」があったそうなんですが、コレは元々現地に生息していたものではなく、大森常良さんという陸軍獣医大尉さんの回想によれば

「このカタツムリが、なぜラバウルで大繁殖したのかといえば、長野獣医部長の思いつきが原因です。部長は満州から当地へ赴任の途中、パラオ諸島に立ち寄った際、この『カタツムリ』が繁殖しているのに注目し、ラバウルでも繁殖させようと考え、十個ばかり捕え、段ボール箱に入れて持ってきました」

「これをラバウル上陸後(略)トラックの荷台に置き、そのまま忘れていました(略)この十個のカタツムリがトラックから逃げだして大繁殖し(略)せっかく作った畠の作物を食い荒らされて困るということで問題になったわけです」

…という経緯で日本軍と共に進駐?してきたものだったんだそうで

無題
Name 名無し 19/01/02(水)19:37:06  No.487237      
https://may.2chan.net/39/src/1546425426084.jpg
このカタツムリ、いわゆるアフリカマイマイという種類なんですが、ラバウルでの調理法はおおむね粉味噌か粉醤油で煮るのが一般だったものの、変わった所ではそのぬるぬるした粘液のみを集めて飯にかけ「とろろ飯」と称して賞味されていたそうです
ちょっと真似したくないというか、味を想像したくないというのが正直な感想なんですが、実際のところアフリカマイマイは広東住血線虫の中間宿主でもあり、生食は非常に危険な筈ですので、「とろろ飯」に舌鼓を打った兵隊さんのその後がちょっと心配になる話ではあります
余談ですがアフリカ原産のこのカタツムリがパラオにいたのは、元々食用目的でシンガポール→台湾→日本という経緯で持ちこまれていた為だそうです

http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20090205/1233823451

ある意味では南方戦線の兵隊サン達の栄養源になるのにちょうど間に合うタイミングで増殖していた、という事みたいなんですが、近年では生態系の破壊者として評判の悪い同種の伝播に一役買ってしまったのは、ちょっと罪作りだったかもしれないですねえ

無題
Name 名無し 19/01/02(水)19:39:14  No.487238      
1546425554632
また、これもラバウル現地将兵さんのおかずになった「外来種」の話になるんですが、先述の草鹿テイトクさんの手記に依りますと

「日本では昔から戦争と梅干には深い縁がある。ところでラバウルでは、この梅干の代用品として大変いいものが現地でできた。」

「それはローゼルという草の実を塩漬けにしたもので、梅干そっくりの酸味、紫蘇で染めた通りの鮮紅色の色彩、それにシャリシャリした歯障りなどは、むしろ梅干をしのぐ素晴らしいものであった。これは、そのころ中央当局が、何か現地で自給できる梅干の代用品はないかと苦心して探していたとき、台北大学の教授で、兼ねて海軍の嘱託であった田中長三郎博士が、ブラジルからの帰還邦人から聞いて伝えられたもので、当局では早速台湾でその種子を求めて、前線各地に送ったのが、ラバウルにも来ていたのだそうで、そのお蔭を蒙った」

…んですとか

無題
Name 名無し 19/01/02(水)19:40:23  No.487239      
1546425623183
ともあれ、おイモが食生活の中心となったラバウルでも、「とろろ飯」なり「梅干」なりの和風のご飯のお供が求められ、その代用品が現地で生産されていたあたり、結局どんな国のどんな精強な兵隊サンであっても、日頃食べなれた物への郷愁からは逃げられないというか、嗜好に応じた食物の供給というのが、重要視であるのかを示すエピソードではあるんじゃないでしょか…w

無題
Name 名無し 19/01/03(木)23:30:42  No.487291
>それはローゼルという草の実を塩漬けにしたもので、梅干そっくりの酸味、紫蘇で染めた通りの鮮紅色の色彩、それにシャリシャリした歯障りなどは、むしろ梅干をしのぐ素晴らしいものであった。
今だとハイビスカスティーでお馴染みのですね…

無題
Name 名無し 19/01/04(金)12:15:33  No.487331
見知らぬ外国に何年間も暮らすことになるなら、せめて食事くらいは祖国に近いものにしてほしいよね

でも実際に、そういう食べ物が原因で戦争にも負けた例ってあるのかね?
紅茶が切れた!もうダメだ、みたいな(オイ)

無題
Name 名無し 19/01/04(金)15:09:11  No.487340
>見知らぬ外国に何年間も暮らすことになるなら、せめて食事くらいは祖国に近いものにしてほしいよね
半世紀ほど後のモザンビークPKOに派遣された自衛官は、ポルトガル隊に合流していて「ポルトガル料理なんて日本じゃ食えない」なんて能天気な事を言っていたそうなんですが。
実際には一週間で「白いご飯がたべてぇっ!」って有様になったそうです。

無題
Name 名無し 19/01/04(金)20:26:06  No.487353      
https://may.2chan.net/39/src/1546601166238.gif
1735年から1739年にかけて行われたオーストリア・ロシア・トルコ戦争での逸話だそうなんですが、当時オスマン・トルコの同盟国だったクリミア・ハン国に対し、ロシア軍は5万4千名もの大軍で侵攻したものの、その食料となるライ麦粉を載せた荷車がウクライナで頓挫するというトラブルに見舞われたんだそうで

仕方なく現地では地元産の小麦でパンを焼いて腹を満たしたんですが、折悪しく将兵の間に疫病も蔓延し、次々と将兵が倒れ、軍の士気も急降下してしまったそうなんですが、この時ロシア軍参謀長付副官だったH・G・マンシュテイン=サンの従軍日誌には

「戦闘員が弱体化した最大の要因は、彼らが酸味のある黒パンを食べ慣れていたにもかかわらず、ここでは酸味の全くない白パンで我慢するしかなかったためだ」

…なんてあるそうです

無題
Name 名無し 19/01/04(金)20:27:20  No.487354     
https://may.2chan.net/39/src/1546601240875.jpg
一方、それからおよそ百年後、相変わらずロシアとトルコは宿敵同士であったんですが、1828年から1829年までの露土戦争で捕虜となったトルコ人さんが、グルジア軍事道路の建設現場で働かされているところを見たA・S・プーシキン=サン(ロシア文学の祖と呼ばれる詩人さんなんだそうな)によると、トルコ人捕虜たちの一番の悩みの種は食事として出されるロシアの黒パンであったんだそうで、しばしば祖国の”ラバシ”と呼ばれる白パンを懐かしがる様子を見聞きして

「友人のシェレメチエフが憧れのパリからトンボ返りで帰ってくるや、『ひどいもんだぜ、パリでの暮らしなんて。黒パンが手に入らんのだからお手上げさ』と嘆いたのを思い出す」

…なんて感想を記しているんですとか

無題
Name 名無し 19/01/04(金)20:28:05  No.487355      
https://may.2chan.net/39/src/1546601285043.jpg
もっとも、そう書いたプーシキン=サン自身が、後にアルメニアの山岳地帯に滞在した際、しばし黒パン抜きの生活を余儀なくされてしまったそうなんですが、偶々というかこの時提供された白パンが件の”ラバシ”であったんだそうで、

「あのダリヤリ渓谷でトルコ人の捕虜たちの望郷の想いを掻き立てたラバシかい。僕ならトルコ兵があれだけ嫌がった黒パンのためなら、大金を積んでも惜しくないというのに」

…と嘆いておられるんだそうで…w

無題
Name 名無し 19/01/04(金)21:08:02  No.487361
今でこそ世界で食の多様化は進んでるけどそれこそ昔なんてもっと食事に対して保守的で
自国のもの以外食ったことないなんて人が大半だろうからなぁ
日本軍がアメリカ人捕虜にごはん出してもそりゃ
「?」
だろうし
そもそも自分たちが食うもやっとなのに捕虜相手に相手国の食文化を考慮した食事なんて出せれるわけねーわな・・・
結局のところ生まれてから慣れ親しんだ主食というというものはどうやってもソウルフードということか
俺は日本人だけどお米絶ちもう3年近く続けてて平気になってしまった俺は異常なのかなぁ・・・(泣)

無題
Name 名無し 19/01/04(金)21:50:04  No.487362      
https://may.2chan.net/39/src/1546606204555.jpg
1870年代以降カナダに移民していた日系カナダ人は
職を奪われた白人を中心としたカナダ人に
「米なんて人間の食べ物じゃない。こんなものはネコの餌だ!」と罵倒されていたそうだ。

酷い話だが
自分もクスクスを初めて食べたときに
その見た目から鳥の餌か何かだと思って躊躇ったから
悪意がなくても普段食べないものに対しては
本能的にも拒否反応がでるのかもしれないな

無題
Name 名無し 19/01/05(土)12:53:32  No.487398
スペインのパンって糞まずいって話だが現地の人はどうなんだろう?

無題
Name 名無し 19/01/05(土)13:02:37  No.487399
ポルトガル料理…
テンプーラーカステラ金平糖
そこらじゅうで売ってますやん…

無題
Name 名無し 19/01/05(土)13:38:03  No.487400
>そこらじゅうで売ってますやん…
日本人の場合問題は味噌醬油とダシじゃない?
天ぷらも天つゆつけるし
ポルトガルも米の飯食うみたいだけど、ピラフみたいになってるのかも
あと食うものが曜日で決まってるって聞いたけど、兵隊さんならむしろ慣れてるかな?

無題
Name 名無し 19/01/05(土)14:11:35  No.487401
日本も戦後に醤油をアメリカに売り出したらバグ(虫)ソースと馬鹿にされたのは有名な話

無題
Name 名無し 19/01/05(土)19:01:30  No.487412      
>ポルトガル料理
昔「大使閣下の料理人」なんて漫画でネタにされてたのを読んだことがありますが、ポルトガルはヨーロッパ…というかEU諸国で一番のおコメ消費国であるそうですw
タコの炊き込みご飯や日本の「棒鱈」に似たタラの干物等、日本人好みの食材も豊富だとありましたが、それでも一週間程度が限度ってことなんでしょかね

因みに先の大戦中、ドイツまでMe262やMe163といった最新鋭機の技術導入の為派遣されていた巌谷英一という海軍技術中佐さんの手記にある話なんですが、帰国前に独軍の軍港で待機していた際、居合わせた独の潜水艦乗組員さんと雑談していた時

「日本の潜水艦乗りが、よく俺達は米の飯と沢庵さえあれば一ヶ月や二ヶ月の出撃は何でもないと云いますが、貴君等独逸人の食糧に對する最低限の要求はどんなものですか?」

…と聞いたところ、

無題
Name 名無し 19/01/05(土)19:02:22  No.487413      
1546682542840
「パンとチーズで一ヶ月位何とも思いませんが、吾々独逸人はその他ヘットだけは缺かすことが出来ません。中佐殿!!!」

…なんて答えが返って来たんですとか

実際、巌谷さんの前に独に派遣され、無事日本まで帰り着いた伊号第8潜水艦では、日本に派遣されるドイツ人の便乗者さんが数名有ったんですが、何せ狭い潜水艦の烹炊室ですから、彼らの為の特別食を同時に用意することはできず、普通の乗組員さん達と同じ日本食が提供されていたんだそうです

それでも我慢強いドイツ人らしく、不満を口にすることはなかったそうなんですが、十日も過ぎると流石に辛そうな様子を見せるのに同情した同艦艦長さんが、急遽乗員の夜食用に積み込んでいた白パンと黒パンを、全部独の便乗者さんの為に提供した…なんて逸話もあったんだそうで

無題
Name 名無し 19/01/05(土)19:04:05  No.487414      
1546682645408
余談ですが同じく巌谷さんの手記に依りますと、日本への帰路の途中の5月5日、夜食に「かしわもち」が出ると聞いて、「年甲斐もなく喜んだ」そうなんですが、いざ食卓に出されてきたのは、柏の葉に包まれた甘ーいお餅ではなく、鶏肉を入れた餅の雑煮であったんですとか

木へんの「柏」ではなく、鶏の「カシワ」ではあるものの、まあ「かしわ餅に相違なし」…ということで美味しく頂いたそうなんですがw

遥々大西洋まで遠征した帰り、当然端午の節句に付き物の柏餅の材料など艦内にある筈の無い中での、せめてもの主計兵さんのちょっとした洒落だったのかもしれませんですなあ

無題
Name 名無し 19/01/05(土)19:40:22  No.487416
>「かしわもち」が出ると聞いて、「年甲斐もなく喜んだ」
兵隊さんの甘味にたいする欲求っていつも思うけどスゲーな

無題
Name 名無し 19/01/05(土)20:35:49  No.487422
>兵隊さんの甘味にたいする欲求っていつも思うけどスゲーな

服役囚も甘みに対する欲求ってすごいらしいと聞きましたが、要はどっちも飯に甘味が出ないんでしょうね。
今の自衛隊も戦闘糧食は甘味なしが基本だったんじゃないかな。
パイロット用の飯は旧軍の時にもゴムチューブ入り羊羹とかあったようですが、どっちかというとレアケースなんじゃないでしょうか。

YOUTUBEに動画上がってますから見てもらえたらですが、海外の軍隊は東西問わず、戦闘糧食に甘いものがほぼ必ず付いとるようです。

無題
Name 名無し 19/01/05(土)22:13:18  No.487432
>兵隊さんの甘味にたいする欲求
そりゃ間宮さんが艦隊のアイドルになるくらいだもの

無題
Name 名無し 19/01/09(水)06:47:24  No.487595      
https://may.2chan.net/39/src/1546984044475.jpg
>海外の軍隊は東西問わず、戦闘糧食に甘いものがほぼ必ず付いとるようです。

世界中で酷評される米軍戦闘糧食「MRE」を始め、大半のミリメシには『市販の甘味ブツ』が同梱されてて、戦地でササクレ立った兵士の心を癒してくれるそうだが…


…仏陸軍の戦闘糧食は一味違ってたw

無題
Name 名無し 19/01/05(土)21:48:26  No.487431
>タコの炊き込みご飯や日本の「棒鱈」に似たタラの干物等、日本人好みの食材も豊富だと
ポルトガル料理は新鮮な魚介をただ焼いて塩かけて食べたりする日本人好みの調理法も多い
ポルトガルのワインであるヴィーニョベルデも辛口微発泡で食事にあっていいよねぇ・・・
シンプルな調理法に新鮮な食材という日本人が好きな要素ダブルだな、日本で南イタリア料理が好まれるのと同じだな
ただままあ日本のイタリア料理店はニンニクきかせすぎな気はするけど
って・・・軍と関係ない話すぎるな

無題
Name 名無し 19/01/05(土)21:34:30  No.487427      
増田の小城羊羹 昔風手造り 3本詰合せ(小倉、挽茶、栗)【ご贈答品 熨斗 無料で承ります】 Y09-1003
ハヤカワ文庫の「グルメのためのシネガイド」なる本で、映画「二百三高地」を取り上げた「『二百三高地』とようかん」なる一章があるんですが、それによると

「佐賀県に小城町という人口一万強の小さな町があるが、この小さな町にようかん屋さんが36軒ある。駅を降りるとメインストリートの両側は右を向いても左をようかん屋さんばかりだ」

…そうなんですが、この小城町がヨーカン・タウンになった経緯というのが、実は大日本帝国陸軍と大いに関連しているんだそうで

というのは、かつて日清・日露の戦役の折、前線の将兵さんたちの慰問の為に、内地から種々のお菓子が送られたんですが、大陸の苛烈な気候の下で、多くが変質・腐敗して食べられない有様だったんですとか

無題
Name 名無し 19/01/05(土)21:35:28  No.487428     
1546691728418
そんな中、小城のようかんのみは前線でも変質しなかったため、軍から注文が殺到し、やがては町を挙げて軍用ようかんの生産に取り掛かるようになった…と言う次第なんですが、「小城ようかん」が変質しづらかったのは、一般のようかんより非常に「練り」が固かった事、また地元に多い笹竹で作ったすだれで巻いていたのが幾分かの殺菌効果をもたらした、…なんて、ご当地ならではの事情も与ってのことだったそうです

ともあれ、遠く異国の地で戦う兵隊さん達を食の面から支えた「小城ようかん」、その後も陸軍のみならず、海軍でも愛用され続けたんだそうで、瀬間喬せンせいの「日本海軍食生活史話」によると、氏が戦争末期に佐世保海軍軍需部部員だった時、

「佐賀県の小城にある羊羹工場に砂糖や小豆を官給して、戦時特別給与品である小城羊羹を作らせ納入させていた」

…そうなんですが、

無題
Name 名無し 19/01/05(土)21:36:22  No.487429      
1546691782017
「ある日、(※勤労動員されて来ていた)中学生の一人が包装を壊してこの羊羹を食べたという報告を受けた。食い気盛りの中学生が食物のない時、毎日運搬作業の労働に服し、目の前にうまい羊羹の山があれば、つい手が出るのも無理はないが、当時の事情として黙認する訳にはいかぬので、中学生全員の前でこれを殴った。しかし実に後味の悪い思いをしたものである」

「この頃、筆者は小城在住の人から匿名の手紙をもらった。それには『戦地にいる海軍の兵隊さんに送る羊羹を作るのはよいが、私の近所にある工場で作らせるのはやめてください』とあった。いろんな意味が汲みとられた。小城羊羹に限らず、物のない時に軍需部指
定工場として材料の官給を受けて食品類を作っている工場に対する、共通した庶民の感情であり事情があったのかもしれないと思った」

…そうで
戦争の最期のギリギリまで、前線に「甘味」を届けるべく、必死の努力が続けられていたわけですなあ

Name 名無し 19/01/05(土)22:52:05  No.487434
現在の東京拘置所の収監者に差し入れするには
お向かいの指定の店舗で購入・差し入れを依頼するシステムだが
差し入れ用の食品類のラインナップは缶詰のほか
甘いお菓子類がやたら充実しているそうな

無題
Name 名無し 19/01/06(日)06:38:53  No.487444      
銀座に今でも若松って甘味屋があるんだけど築地の海軍経理学校の生徒がよく出入りしていたそうで
日比谷から宝塚の子たちも来ていてお互いにチラチラと気にしながらあんみつなんかを食べてたとか

無題
Name 名無し 19/01/06(日)10:23:58  No.487447
最前線の将兵が必要としている時点で、
銃弾一発も飴玉一個も補給物資としての価値は変わらない

当たり前のようでいて忘れてはならない、兵站担当の心構えやな

無題
Name 名無し 19/01/06(日)16:58:20  No.487459
塩鱈は小学校入った頃まで昼飯に出てた記憶があるなぁ
塩辛いから茶漬けにして食ってたような・・・
あと味の素かけた白菜漬け(キムチじゃない方)も食ってたような・・・

無題
Name 名無し 19/01/06(日)17:08:11  No.487460
小城羊羹て竹の殺菌力とか以前に表面パリパリだからなあ
近県なんでちょくちょく茶菓子に出ることはあったけどあの砂糖のジャリジャリがいやだった

無題
Name 名無し 19/01/06(日)19:08:55  No.487462      
1546769335193
>表面パリパリ

「海軍さんの料理帖」(ホビージャパン)に写真付きで「間宮ようかん」の再現レシピが掲載されているんですが、著者の方は同羊羹を九州、更に言えば小城羊羹にルーツを持つものとしているそうです

https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201709_46_74/

「間宮は南太平洋に進出して、羊羹を製造し供給していました。通常の羊羹でも、時間がたてば表面が乾燥してパリッとしてくる。しかし南太平洋の高温多湿な環境では、短時間に表面が糖衣化することはありません。ということは、間宮では実際に表面を糖衣化する手順を加えていたのではないかと考えたんです」

…との事で、実際に「間宮」に乗艦して羊羹を製造されていた職人さんらにも話を聞いたそうなんですが、この説に従えば、「間宮ようかん」も今風の柔かい食感ではなく、ずっしりして表面は固い「小城羊羹」風であったということになるようです…w

無題
Name 名無し 19/01/06(日)19:11:40  No.487463     
1546769500587
因みに、戦中伊号第17潜水艦に乗艦されていたある乗組員さんの陣中日記によると、ある日の艦内で

「午後、ベッドに横になっていると、山本一主が烹炊所から戻ってきて、皿食器に盛ったゼリーを、私に食えという。
『珍しいものだ。夜食に出すのかね』
と聞くと、
『いや、特製品だが、お前は食う権利がある』
という。あきれたことに彼は、私のチェストからコーヒーシロップの瓶を一本持ち出して、ゼリーの試作をしたのだった。しかし珍しさと、とろけるうまさにめぐりあい、居合わせた人たちをも喜ばせた」

…なんてことがあったんですとか

無題
Name 名無し 19/01/06(日)19:12:47  No.487464      
1546769567444
日記の他の部分によると、伊17潜では他に主計課特製のドーナツ・アイスクリーム・羊羹などが食卓に上っていて、台所を預かる主計兵さんの創意工夫ぶりが窺えるんですが、そんな同潜水艦が、ガダルカナル島へ糧食輸送任務に就いた時のこと、

「烹炊所のなかが明るいのでのぞくと、山本一主が大きな握りめしを作っていた。あとで聞いたところでは、二回目の作業まで連絡員として残った二人の陸軍さんに、握りめしを出したところ、二人は皿を手に持ったまま涙を出し、
『私たちだけでは申し訳ないから、持ち帰らせて貰います』
と、言ったという。山本一主が、代わりにソーダビスケットを食べさせ、電気釜に残っていためしを全部握ってやったとのことで、
『おれもなんだか、急に悲しくなってな、奮発してやったんだ』
山本一主のしんみりした話に、それでよかったと、私たちも胸中を熱くさせられた」

…なんて事もあったんだそうで

無題
Name 名無し 19/01/06(日)19:13:26  No.487465   
1546769606172
陸海問わず、少しでも美味しいモノを皆に食べさせたい!と奮闘していた方々は、それこそ戦線全域の各部署の数だけいらしたんでしょうけれど、従って食糧事情等が許す限り、今では知られていないものも含め、各地に無数の独自のレシピが存在していたんでしょうねえ

無題
Name 名無し 19/01/06(日)22:38:34  No.487471
>あの砂糖のジャリジャリがいやだった
カステラも底(食べる時は上)にザラメじゃりじゃりなのが高級品だけど
俺もあれ好きじゃない。

無題
Name 名無し 19/01/06(日)23:35:42  No.487479
>俺もあれ好きじゃない。

あれ長く置きすぎて再糖化したのかと思ってたわ
子供の頃

無題
Name 名無し 19/01/08(火)21:52:32  No.487583      
1546951952387
IJNの水偵搭乗員だった竹井慶有さんの手記にある話なんですが、昭和18年の11月頃、台湾から内地の基地へ部隊ぐるみ移動することになったものの、当時既に悪化していた国内の食料事情は竹井さんらの間にも知られていて、

「(国内で基地へ移動するのに)鉄道利用で行くとしても約一日半を要するだろうが、その間の食事はどうなるのだろうか。日本内地では、食糧が配給制になっていて、国民は食べるのに苦労しているという話も耳にしているので、突然の旅烏となる私たちが、鉄道利用中に果して食事にありつくことができるのだろうか」

…という不安について、皆で協議を重ねていたそうなんですが、

「『バナナを持って行ってはどうでしょうか』と発言する者があって、みなの意見も”よしバナナにしよう”ということになった」

…んですとか

無題
Name 名無し 19/01/08(火)21:54:39  No.487584      
1546952079063
そこで台湾では容易く入手可能なバナナを唐丸籠に山盛り三杯詰め込んで、2式大艇に同乗して鹿児島の指宿に到着した搭乗員さん達は、搭乗員服姿のまま列車で赴任先の徳島へと向かったそうなんですが、懸念した通り内地の食料事情は悪く

「指宿の基地を出るとき、”車中で使えるならば”といって渡されている外食券で、駅弁が手に入らないものかと、停車する駅ごとに人を走らせてみたが、駅弁はうまく手に入らない」

…為、仕方なく籠からバナナを取り出して昼食にした所、

「乗り合わせている人々がこれを見て、みな羨望の眼を向けてくる。子供がバナナを食べたいと言って泣き出すのも出てきた」

…なんて事になってしまったんですとか

無題
Name 名無し 19/01/08(火)21:55:50  No.487585      
1546952150458
そこで竹井さんが、バナナを二本持って立ち上がり、

「その子の傍らに行き、『私たちは、これこれで、旅行中の弁当代わりにバナナを食べているところです。なにか弁当代わりに口に入る物でもあれば、こんな真似はせんですむんですが、皆さん、すみません」

…とアイサツしにいったそうなんですが、

「聞いていた近くの人が『兵隊さん、大変ですね。これでもよかったら食べませんか』と言って、手荷物の中から芋饅頭の幾つかを差し出して、私たちに食べろという。」

「それに合わせるようにして車内の幾人かの人々が持っていた握り飯とか、おはぎとかを持ち寄って来るので有り難かった」

…んだそうで

無題
Name 名無し 19/01/08(火)21:57:40  No.487586      
1546952260058
「私たちの方でも、その人々にバナナをお返ししたが、久し振りに立派な台湾バナナを手にした人々は、その場でそれを食べようとはせずに、みな風呂敷などに包み込んでいた。彼らは家に帰ってから、家族に今日の車中での話などを聞かせながら、車中で手にしてきた今どき珍しい台湾バナナの何本かを皆で分け合うのではなかろうか。岡山駅で宇野線に乗り換えるころには、台湾バナナの籠一つは、すでに残り少なくなっていた」

…との事で、当時の日本国内の民間での食糧事情とかも何となく察せられる話なんですが、最初にバナナを貰った男の子とか、電車の中でカイグンの飛行服姿のオニーサン達から、直接貰った新鮮なバナナの味なんて、きっと色んな意味で一生ものの想い出になったんじゃあないでしょうか…w

無題
Name 名無し 19/01/08(火)23:00:25  No.487588      
当時、「バナナチップ」は製品化されていたのだろうか?
これなら、生のバナナよりは長持ちすると思うが。
果物の乾物は、高温多湿のアジア地域では生産が難しい?

無題
Name 名無し 19/01/09(水)01:56:09  No.487594      
当時のバナナ、というより戦後の一時期までバナナは普通に国内では高級品扱いだったそうですね

坂井三郎氏の大空のサムライで
開戦前に台南空へ配備されると市中に繰り出すと内地では高級品の台湾バナナが安く売っている。
これはいいとたらふく仲間と食べたあと、部隊の皆へお土産にと大量に買い込んだまではよかったが当に食べ飽きていた部隊では誰も手をつけず、仕方なく仲間内で処分したら
食べすぎで腹を壊して飛行隊長に叱られた
なんてエピソードがありましたっけ

引用元: https://may.2chan.net/39/res/486655.htm

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