無題 Name 名無し 18/12/22(土)14:21:42 No.486655
負け惜しみって惨めだよな
無題 Name 名無し 18/12/22(土)14:56:42 No.486656
日本軍も補給があれば
炊きたての白い飯が必ず食えたわけですがね
糧食決まってるからね
無題 Name 名無し 18/12/22(土)16:28:55 No.486663
>日本軍も補給があれば
>炊きたての白い飯が必ず食えたわけですがね
野外では朝に昼の分までまとめて炊くから、昼は冷えたご飯じゃないかね?
無題 Name 名無し 18/12/22(土)16:12:06 No.486662
勝てる道理がありますまい(いちいち飯を炊きながら)
無題 Name 名無し 18/12/22(土)18:17:59 No.486671
自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
他の物資不足は如何とも出来ず重篤捕虜殺害の件で戦後に裁かれている
http://www.at-s.com/news/sengo70/senka/vol09.html
http://www.at-s.com/news/sengo70/senka/vol10.html
まったく潜水艦は地獄だぜ(牛肉やパイン缶を食いながら)
無題 Name 名無し 18/12/22(土)18:46:35 No.486672
>自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
テニアン名物ワニの肉とかだっけ
無題 Name 名無し 18/12/22(土)19:08:16 No.486673
テニアンにワニなんておらんだろ?
ニューギニアじゃないか?
無題 Name 名無し 18/12/22(土)20:30:08 No.486676
>テニアンにワニはいない
察しろよ
つまりそういう事だ
双脚羊っていう物があってだね
無題 Name 名無し 18/12/22(土)21:00:16 No.486680
大岡昇平『野火』の世界にry
海が近いと魚や貝がたんぱく源となるしラバウルに関しては無理に変なの食うまで逼迫してはなかったと思われる
捕虜へ対する食生活文化の相違は何ともねぇ、英軍捕虜の証言
「木の根と黄変した野菜を食わされた」→ ごぼう・たくあん
「腐ったスープを飲まされた」→ 味噌汁
無題 Name 名無し 18/12/25(火)19:51:33 No.486883
https://may.2chan.net/39/src/1545735093124.jpg
>>テニアン名物ワニの肉
>>テニアンにワニはいない
テニアンとラウテンを間違えて覚えている方がいると聞いて戦隊長がお怒りのようです
無題 Name 名無し 18/12/24(月)03:20:47 No.486788
>自活体制を構築したラバウルは米以外は何とかなったというが
昔読んだ雑誌で、現地の帰還兵の話として、焼酎を優先して造ったとか書いていた。おそらく食料として芋を生産して、余った分を酒にしていただけだと思うけど。
稲作も頑張ったけど収穫前に米軍の空襲で焼き払われて激怒したとか。
無題 Name 名無し 18/12/24(月)16:07:31 No.486820
>稲作も頑張ったけど収穫前に米軍の空襲で焼き払われて激怒したとか。
芋ならジャングルの木を適当に残して伐採したスペースで育てれば
航空偵察でもばれないだろうけど、稲作を隠し通すのは流石に無理ゲー過ぎる・・・
無題 Name 名無し 18/12/22(土)22:21:15 No.486683
まあ米軍もガ島なんかじゃ補給途絶えて
もっとも重宝されたパイロットですら栄養失調にマラリアと大変な目にあってるからね
無題 Name 名無し 18/12/22(土)22:40:32 No.486685
毎日 ビフテキ食っている敵と戦うのだ!!!
こちらも食わねば戦にならん・・・・
というのは松本零士先生の漫画でのセリフ
説得力があって好きだ
無題 Name 名無し 18/12/23(日)17:55:23 No.486743
>毎日 ビフテキ食っている敵と戦うのだ!!!
でも実際はビフテキなんてめったに食べられなくて、ノルマンディー上陸作戦の朝にビフテキが出て「ひゃっほー!」してたのに、揺れる船で全部吐いちゃってもったいねぇって話があったり。
無題 Name 名無し 18/12/23(日)18:22:36 No.486744
アメリカは自動車社会であるからして
軟弱なヤンキー共は屈強な日本兵の敵ではない
みたいな寝言もいってた気がする
無題 Name 名無し 18/12/23(日)21:24:24 No.486755
元々物が無い国の中では幕藩だろうが個人だろうが、贅沢や放蕩で身を崩すという、贅沢を戒める教訓が多かった
これだけの物資を揃えられる国力があるという認識と、贅沢が堕落で「軟弱」という認識では、この当時の庶民はどっち側やったんやろね
無題 Name 名無し 18/12/24(月)23:25:05 No.486852
気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
やっぱりさつまいも?
無題 Name 名無し 18/12/25(火)07:50:39 No.486857
>気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
想定している場所や条件がアバウトすぎてワケわかめ・・
無題 Name 名無し 18/12/25(火)10:52:02 No.486866
>芋ならジャングルの木を適当に残して伐採したスペースで育てれば
メレヨンとか珊瑚ベースの島だから実が小指ほどの芋が取れただけでしたとさ
ホント戦争は地獄だぜぇ
無題 Name 名無し 18/12/25(火)20:49:10 No.486886
>気象条件によるけど緊急時に栄養あってすぐ手に入る農作物ってなんだろ?
寒冷地ならソバ・ジャガイモ・カボチャ
温暖地ならサツマイモ・バナナ・キャッサバ・タロイモなんかだろうけど
作物故に生育にはまず数か月は掛かる(最短はソバかな)
無題 Name 名無し 18/12/26(水)12:25:53 No.486914
出身地ごとに部隊編成されていたから、農村部の部隊と都心部の部隊で農業生産性で差が出たって書いてあったような
無題 Name 名無し 18/12/27(木)00:50:31 No.486934
ラバウルで終戦を迎えたIJA第8方面軍の経理部部員だった上田観平という主計大尉さんの手記に依りますと、終戦後の昭和20年12月31日の時点で、現地将兵総員9万2千784名に対して、現地の畑の作付面積が1万9千568反歩(4千892エーカー)1人当たり平均62.26坪という状況であったそうです
また、戦中南方前線各地への兵站中継地でもあったラバウルには内地からの補給物資が多量集積されておりまして、この残高が昭和21年1月20日で精米1千845トン、乾パンが1千432トンほどあり、別に現地栽培の陸稲米24トンを加えて3千301トンの備蓄は、9万人以上のひと月分の消費量を678トンとしても146日分となる計算で、従って進駐してきた連合軍側から食糧支援を受けることは一切なく、逆に今村司令官の方からブーゲンビルやニューギニアと言った飢餓に苦しむ他地方に、これらの物資を転送したい…と申し出て許可された、なんて誇らしげに語られておりましたり
無題 Name 名無し 18/12/27(木)00:51:55 No.486935
因みにラバウルでの主食自給計画は陸稲・甘藷・タピオカの三種を軸にするもので、兵隊サン一人当たりの1日補給定量600瓦の内、200瓦を陸稲で賄い、残りを甘藷またはタピオカで賄うように立てられたそうなんですが、嗜好としてはおコメをふんだんに食べたい!
…というのが正直な所であったものの、陸稲が二毛作可能なのに対して、年3回半収穫できる計算のサツマイモは時間及び作付け面積あたりの収量ではもっとも優れていたため、結果としてはおイモが日常の食事のメインであって、それに少量の米とタピオカ澱粉で変化をつける…というのが基本の食生活であったんですとか
部隊によっては更にトウモロコシやコーリャン、バナナなどを活用する場合もあったそうなんですが、こうして日々現地自活による「節米」に努めた結果、終戦後他部隊に御裾わけ出来るくらいの備蓄を維持できた…ということみたいですなあ
無題 Name 名無し 18/12/27(木)13:02:05 No.486947
た…タンパク質は…?
無題 Name 名無し 18/12/27(木)13:36:58 No.486951
>た…タンパク質は…?
そこに虫と蛇かおるじゃろう?
無題 Name 名無し 18/12/28(金)01:52:33 No.486980
海に面した立地のラバウルでも、日中は敵戦闘機がパトロールに来るのが常でしたので、味方航空隊の撤退後は特に漁労も思うに任せず、全将兵のおかずを賄うだけの漁獲量の確保は難しかったんだそうで
他の動物性タンパク質としては現地原住民のへび・とかげ・わにといった面々の他、養豚・養鶏事業が計画され、お役御免となった軍馬や獣医部のモルモットまで将兵さんの腹に収まったそうなんですが、それでも慢性的なタンパク質不足は現地の悩みの種の一つであり続けたんですとか
因みに現地での主食となったサツマイモ、地下に実る性質上他の作物より比較的空襲にも強い面もあったんだそうなんですが、その収穫に爆弾より大きな被害を与えたのが、現地に棲む「紅殻雀」なる厄介ものであったんだそうです
無題 Name 名無し 18/12/28(金)01:54:04 No.486981
当時現地の海軍部隊の長であった、草鹿任一テイトクの回想記に依りますと、
「はじめて名前を聞いた時には、すずめというから鳥かと思ったところそうではなく、3、4寸もある大きな芋虫で、頭に剣を持った凄い奴である。それがやって来る時には、一時に何千何百という群をなして芋を襲い(略)見渡す限りの芋畑をたちまちにして坊主にする(略)駆除には一方ならず頭を悩ましたものだが、特別の薬品も持たず、結論としては根気よくとるより仕方がないということになって」
…と大変だったそうなんですが、一方草鹿氏は
「そこで私が考えたのは、これほど精力の強い虫だから、必ず栄養分が多いに違いないから、せっかく捕えたものを捨てずに、これを乾燥して粉末にし、うまく加工し少し塩気でもつけて飯に振りかけて食べてはどうか、と思い、食料の研究会の席で話した」
無題 Name 名無し 18/12/28(金)01:55:34 No.486982
…そうなんですが、「誰もあまり賛成はしなかった」そうですw
もっともその後、ある部隊を視察に行くと、食卓上に粉の入った瓶が置かれていて
「あの虫をなんとかして食用にしたいと研究しましたが(略)先ず一着手として、あれの蛹を捕ってそれをふりかけに加工し、近ごろ飯にかけて食っています」
…と勧められたそうで、早速試食してみた草鹿氏曰く
「私は非常に喜んで早速試食したが、これなら結構いけると思った。」
無題 Name 名無し 18/12/28(金)01:56:42 No.486983
「そして、あまり気にせず、虫そのものからも作ってみたらどうかと希望したら、それも今やりかけておりますとのことで、食後に実際やっている模様を見せてもらったことがあった」
…との事
今どきあちこちの都市で、旧IJNゆかりの肉じゃがやコロッケ、カレーと言った「海軍めし」を売りにした町おこしやイベント、商品展開が行われているわけですけれども、ラバウル名物「紅殻雀ごはん」もしくは「紅殻雀ふりかけ」も、もしかしたらその内、どこか手を付けて見る所が出てくるかもしれn…(
無題 Name 名無し 18/12/28(金)04:31:57 No.486985
まあ蛹(蚕の蛹)は食べるところもあるから
幼虫よりは蛹の方が抵抗が少なかったのも判る気がする
無題 Name 名無し 18/12/28(金)10:44:25 No.486991
昆虫食は国連が強力にプッシュしてるが
欧米の連中はどうしても無理っぽい
生き残るのは我々だね(笑)
無題 Name 名無し 18/12/28(金)10:46:04 No.486992
聖書にイナゴの蜂蜜煮がごちそうとして出てくるはずなんだが
キリスト教徒のくせに絶対食わないな~あいつら
神が認めているんだから、イナゴ食え(笑)
無題 Name 名無し 18/12/30(日)01:17:06 No.487062
>昆虫食は国連が強力にプッシュしてるが
>欧米の連中はどうしても無理っぽい
そういや、つい半月くらい前にやったテレ東のこの番組で
>日曜ゴールデンの池上ワールド【 池上彰が選ぶ 今知っておきたい 小さなニュース 】
https://www.youtube.com/watch?v=HSy8mc6RfzA
「寿司テレポーテーション」で話題になったベンチャーが開発中の最新『未来飯』として、試作中の「一部素材に昆虫使ったハンバーガー」をゲストタレントが知らずに喰わされてたっけw
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:12:34 No.487007
古い丸エキストラに、当時ラバウルの高角砲台の砲員だった海軍軍人さんの手記が掲載されていたんですが、毎日毎日芋&ちょっとの飯という食事が続く中、昭和20年のオショーガ・ツーを迎えたものの、せっかくの新年というのに餅一つない寂しさに、ニホン人としてはこれは耐えられない!というわけで、「ままごとの正月」ぐらいはやろうという話がまとまったんですとか
そのラバウル現地製造おせちの用意の顛末はなかなか面白いんですけれども、ちょっと長いので最終的なメニューの内容だけ引用させて頂きますと
(1)南瓜の澄まし汁
・もちろん現地栽培。調味料の粉末醤油も現地の陸軍糧秣倉庫で収穫されたもの(棒
(2)パパイヤ大根のレモンかけ
・水木しげるせンせいの漫画でお馴染みパパイヤの根料理
・見た目は白くて練馬大根にそっくり、湯通しして塩とレモン(住居の傍の木から捥ぐ)で
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:17:34 No.487008
(3)藷の芽の霜降り
・藷の二葉を摘んでヤシ油で炒め、野生の唐辛子を刻んで入れる。皿に持ってからヤシの成熟した果肉(コプラ)のおろしをふりかける
・「こいつはうまいでっせ」
・酒のつまみによし、飯のおかずによしとのこと。おすすめ。
(4)椰子竹のキンピラ
・2mぐらいの若いヤシの木の、葉と木の間にある白い芯の部分を刻みヤシ油で炒める
・サクサクとした歯触りが妙。煮つけもおすすめ。
(5)ガマの塩焼き
・そこらへんに棲息しています。皮をむいて四肢の肉を塩焼きに
・中毒で死亡したものが出た為、内蔵の喫食は艦隊命令で禁止です
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:18:33 No.487009
(6)箸休め・メダカの塩辛
・連合軍機の爆撃した後に水が溜まり、そこにマラリア蚊が沸くので対策としてメダカを
・いっぱい増えたので食料の対象に
・といってもメダカ料理の経験者は数万人の中兵隊サン達の中にも皆無
・三枚おろしは無理、煮れば溶け、焼けば燃え、干せば塵に、結論として塩辛(もどき)
・活きのいいところに食膳に載せる直前に塩をまぶす
・「この世にメダカよりほかに食うものがないという場合以外には、あまりおすすめする気になりませんね」
(7)野菜サラダ
・我が班自慢の看板料理
・色づいてまだ熟しきれないパパイヤ(内地の甘柿に似ている)を短冊に切る
・蒸したサツマ藷はさいの目に
・カナカほうれん草(その辺に生えている)はサッと湯通ししてカット
・バナナを輪切りに
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:20:46 No.487010
・よく熟したパパイヤとバナナを半々に合わせてよくすり潰し、ドレッシングに
・隠し味に塩もみした瓜をくわえる。美味!
(8)大コウモリの炊き込みご飯
・メインディッシュ。捕える際の小銃の無断使用はこの際大目に見(
・おコメは本物の内地米。やはり現地の陸軍糧秣倉庫で獲れ(
・メス2匹、オス1匹を使用。骨でスープを取り、肉は煮込んで準備完了
・臭い
・とても臭い。どうもオスには非常なフェロモン?様物質が含まれていたもよう
・それでも貴重な米飯なので宴会は続行
・鼻に紙の栓をして食べるのもオススメ
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:22:09 No.487011
…というものだったそうですw
因みに大コウモリも、匂いのない個体を食べた場合には普通に美味しいと他の方の手記にはありましたので、まもなく新しい年を迎えるにあたって、いつものおせちはもう飽き飽き!という方で、同時に旧軍メシの再現に並々ならぬ熱意を燃やされてるような御人がおられましたら、このラバウル現地謹製おせち、お試しになられてはいかがでしょうか…?
無題 Name 名無し 18/12/29(土)17:18:50 No.487042
大こうもりって確か日本でも沖縄とか小笠原にいたよね
・・・よしっ(チャキ
無題 Name 名無し 18/12/29(土)20:51:40 No.487053
>・・・よしっ(チャキ
絶滅危惧種だようっッッ!!!
それはともかく、結局当時の兵隊さんの一番のご馳走はお米のご飯なのねん
無題 Name 名無し 18/12/30(日)13:29:29 No.487076
ローマ帝国の食通達は蝉とか食ってたみたいだけど
無題 Name 名無し 19/01/02(水)18:02:33 No.487229
少ないエネルギーで高いタンパク質を生産できることから
宇宙食としても昆虫食は有望と見られていて
実験の結果ゴキブリが最も理想的な昆虫だったけど
気持ち悪いという最大の懸念を払拭できず
結果カイコだったかミールワームだったかが選ばれたそうで
無題 Name 名無し 19/01/02(水)19:36:31 No.487236
https://may.2chan.net/39/src/1546425391482.jpg
ラバウル現地で将兵さん達のタンパク源になったナマモノの一つに「カタツムリ」があったそうなんですが、コレは元々現地に生息していたものではなく、大森常良さんという陸軍獣医大尉さんの回想によれば
「このカタツムリが、なぜラバウルで大繁殖したのかといえば、長野獣医部長の思いつきが原因です。部長は満州から当地へ赴任の途中、パラオ諸島に立ち寄った際、この『カタツムリ』が繁殖しているのに注目し、ラバウルでも繁殖させようと考え、十個ばかり捕え、段ボール箱に入れて持ってきました」
「これをラバウル上陸後(略)トラックの荷台に置き、そのまま忘れていました(略)この十個のカタツムリがトラックから逃げだして大繁殖し(略)せっかく作った畠の作物を食い荒らされて困るということで問題になったわけです」
…という経緯で日本軍と共に進駐?してきたものだったんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/02(水)19:37:06 No.487237
https://may.2chan.net/39/src/1546425426084.jpg
このカタツムリ、いわゆるアフリカマイマイという種類なんですが、ラバウルでの調理法はおおむね粉味噌か粉醤油で煮るのが一般だったものの、変わった所ではそのぬるぬるした粘液のみを集めて飯にかけ「とろろ飯」と称して賞味されていたそうです
ちょっと真似したくないというか、味を想像したくないというのが正直な感想なんですが、実際のところアフリカマイマイは広東住血線虫の中間宿主でもあり、生食は非常に危険な筈ですので、「とろろ飯」に舌鼓を打った兵隊さんのその後がちょっと心配になる話ではあります
余談ですがアフリカ原産のこのカタツムリがパラオにいたのは、元々食用目的でシンガポール→台湾→日本という経緯で持ちこまれていた為だそうです
http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20090205/1233823451
ある意味では南方戦線の兵隊サン達の栄養源になるのにちょうど間に合うタイミングで増殖していた、という事みたいなんですが、近年では生態系の破壊者として評判の悪い同種の伝播に一役買ってしまったのは、ちょっと罪作りだったかもしれないですねえ
無題 Name 名無し 19/01/02(水)19:39:14 No.487238
また、これもラバウル現地将兵さんのおかずになった「外来種」の話になるんですが、先述の草鹿テイトクさんの手記に依りますと
「日本では昔から戦争と梅干には深い縁がある。ところでラバウルでは、この梅干の代用品として大変いいものが現地でできた。」
「それはローゼルという草の実を塩漬けにしたもので、梅干そっくりの酸味、紫蘇で染めた通りの鮮紅色の色彩、それにシャリシャリした歯障りなどは、むしろ梅干をしのぐ素晴らしいものであった。これは、そのころ中央当局が、何か現地で自給できる梅干の代用品はないかと苦心して探していたとき、台北大学の教授で、兼ねて海軍の嘱託であった田中長三郎博士が、ブラジルからの帰還邦人から聞いて伝えられたもので、当局では早速台湾でその種子を求めて、前線各地に送ったのが、ラバウルにも来ていたのだそうで、そのお蔭を蒙った」
…んですとか
無題 Name 名無し 19/01/02(水)19:40:23 No.487239
ともあれ、おイモが食生活の中心となったラバウルでも、「とろろ飯」なり「梅干」なりの和風のご飯のお供が求められ、その代用品が現地で生産されていたあたり、結局どんな国のどんな精強な兵隊サンであっても、日頃食べなれた物への郷愁からは逃げられないというか、嗜好に応じた食物の供給というのが、重要視であるのかを示すエピソードではあるんじゃないでしょか…w
無題 Name 名無し 19/01/03(木)23:30:42 No.487291
>それはローゼルという草の実を塩漬けにしたもので、梅干そっくりの酸味、紫蘇で染めた通りの鮮紅色の色彩、それにシャリシャリした歯障りなどは、むしろ梅干をしのぐ素晴らしいものであった。
今だとハイビスカスティーでお馴染みのですね…
無題 Name 名無し 19/01/04(金)12:15:33 No.487331
見知らぬ外国に何年間も暮らすことになるなら、せめて食事くらいは祖国に近いものにしてほしいよね
でも実際に、そういう食べ物が原因で戦争にも負けた例ってあるのかね?
紅茶が切れた!もうダメだ、みたいな(オイ)
無題 Name 名無し 19/01/04(金)15:09:11 No.487340
>見知らぬ外国に何年間も暮らすことになるなら、せめて食事くらいは祖国に近いものにしてほしいよね
半世紀ほど後のモザンビークPKOに派遣された自衛官は、ポルトガル隊に合流していて「ポルトガル料理なんて日本じゃ食えない」なんて能天気な事を言っていたそうなんですが。
実際には一週間で「白いご飯がたべてぇっ!」って有様になったそうです。
無題 Name 名無し 19/01/04(金)20:26:06 No.487353
https://may.2chan.net/39/src/1546601166238.gif
1735年から1739年にかけて行われたオーストリア・ロシア・トルコ戦争での逸話だそうなんですが、当時オスマン・トルコの同盟国だったクリミア・ハン国に対し、ロシア軍は5万4千名もの大軍で侵攻したものの、その食料となるライ麦粉を載せた荷車がウクライナで頓挫するというトラブルに見舞われたんだそうで
仕方なく現地では地元産の小麦でパンを焼いて腹を満たしたんですが、折悪しく将兵の間に疫病も蔓延し、次々と将兵が倒れ、軍の士気も急降下してしまったそうなんですが、この時ロシア軍参謀長付副官だったH・G・マンシュテイン=サンの従軍日誌には
「戦闘員が弱体化した最大の要因は、彼らが酸味のある黒パンを食べ慣れていたにもかかわらず、ここでは酸味の全くない白パンで我慢するしかなかったためだ」
…なんてあるそうです
無題 Name 名無し 19/01/04(金)20:27:20 No.487354
https://may.2chan.net/39/src/1546601240875.jpg
一方、それからおよそ百年後、相変わらずロシアとトルコは宿敵同士であったんですが、1828年から1829年までの露土戦争で捕虜となったトルコ人さんが、グルジア軍事道路の建設現場で働かされているところを見たA・S・プーシキン=サン(ロシア文学の祖と呼ばれる詩人さんなんだそうな)によると、トルコ人捕虜たちの一番の悩みの種は食事として出されるロシアの黒パンであったんだそうで、しばしば祖国の”ラバシ”と呼ばれる白パンを懐かしがる様子を見聞きして
「友人のシェレメチエフが憧れのパリからトンボ返りで帰ってくるや、『ひどいもんだぜ、パリでの暮らしなんて。黒パンが手に入らんのだからお手上げさ』と嘆いたのを思い出す」
…なんて感想を記しているんですとか
無題 Name 名無し 19/01/04(金)20:28:05 No.487355
https://may.2chan.net/39/src/1546601285043.jpg
もっとも、そう書いたプーシキン=サン自身が、後にアルメニアの山岳地帯に滞在した際、しばし黒パン抜きの生活を余儀なくされてしまったそうなんですが、偶々というかこの時提供された白パンが件の”ラバシ”であったんだそうで、
「あのダリヤリ渓谷でトルコ人の捕虜たちの望郷の想いを掻き立てたラバシかい。僕ならトルコ兵があれだけ嫌がった黒パンのためなら、大金を積んでも惜しくないというのに」
…と嘆いておられるんだそうで…w
無題 Name 名無し 19/01/04(金)21:08:02 No.487361
今でこそ世界で食の多様化は進んでるけどそれこそ昔なんてもっと食事に対して保守的で
自国のもの以外食ったことないなんて人が大半だろうからなぁ
日本軍がアメリカ人捕虜にごはん出してもそりゃ
「?」
だろうし
そもそも自分たちが食うもやっとなのに捕虜相手に相手国の食文化を考慮した食事なんて出せれるわけねーわな・・・
結局のところ生まれてから慣れ親しんだ主食というというものはどうやってもソウルフードということか
俺は日本人だけどお米絶ちもう3年近く続けてて平気になってしまった俺は異常なのかなぁ・・・(泣)
無題 Name 名無し 19/01/04(金)21:50:04 No.487362
https://may.2chan.net/39/src/1546606204555.jpg
1870年代以降カナダに移民していた日系カナダ人は
職を奪われた白人を中心としたカナダ人に
「米なんて人間の食べ物じゃない。こんなものはネコの餌だ!」と罵倒されていたそうだ。
酷い話だが
自分もクスクスを初めて食べたときに
その見た目から鳥の餌か何かだと思って躊躇ったから
悪意がなくても普段食べないものに対しては
本能的にも拒否反応がでるのかもしれないな
無題 Name 名無し 19/01/05(土)12:53:32 No.487398
スペインのパンって糞まずいって話だが現地の人はどうなんだろう?
無題 Name 名無し 19/01/05(土)13:02:37 No.487399
ポルトガル料理…
テンプーラーカステラ金平糖
そこらじゅうで売ってますやん…
無題 Name 名無し 19/01/05(土)13:38:03 No.487400
>そこらじゅうで売ってますやん…
日本人の場合問題は味噌醬油とダシじゃない?
天ぷらも天つゆつけるし
ポルトガルも米の飯食うみたいだけど、ピラフみたいになってるのかも
あと食うものが曜日で決まってるって聞いたけど、兵隊さんならむしろ慣れてるかな?
無題 Name 名無し 19/01/05(土)14:11:35 No.487401
日本も戦後に醤油をアメリカに売り出したらバグ(虫)ソースと馬鹿にされたのは有名な話
無題 Name 名無し 19/01/05(土)19:01:30 No.487412
>ポルトガル料理
昔「大使閣下の料理人」なんて漫画でネタにされてたのを読んだことがありますが、ポルトガルはヨーロッパ…というかEU諸国で一番のおコメ消費国であるそうですw
タコの炊き込みご飯や日本の「棒鱈」に似たタラの干物等、日本人好みの食材も豊富だとありましたが、それでも一週間程度が限度ってことなんでしょかね
因みに先の大戦中、ドイツまでMe262やMe163といった最新鋭機の技術導入の為派遣されていた巌谷英一という海軍技術中佐さんの手記にある話なんですが、帰国前に独軍の軍港で待機していた際、居合わせた独の潜水艦乗組員さんと雑談していた時
「日本の潜水艦乗りが、よく俺達は米の飯と沢庵さえあれば一ヶ月や二ヶ月の出撃は何でもないと云いますが、貴君等独逸人の食糧に對する最低限の要求はどんなものですか?」
…と聞いたところ、
無題 Name 名無し 19/01/05(土)19:02:22 No.487413
「パンとチーズで一ヶ月位何とも思いませんが、吾々独逸人はその他ヘットだけは缺かすことが出来ません。中佐殿!!!」
…なんて答えが返って来たんですとか
実際、巌谷さんの前に独に派遣され、無事日本まで帰り着いた伊号第8潜水艦では、日本に派遣されるドイツ人の便乗者さんが数名有ったんですが、何せ狭い潜水艦の烹炊室ですから、彼らの為の特別食を同時に用意することはできず、普通の乗組員さん達と同じ日本食が提供されていたんだそうです
それでも我慢強いドイツ人らしく、不満を口にすることはなかったそうなんですが、十日も過ぎると流石に辛そうな様子を見せるのに同情した同艦艦長さんが、急遽乗員の夜食用に積み込んでいた白パンと黒パンを、全部独の便乗者さんの為に提供した…なんて逸話もあったんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/05(土)19:04:05 No.487414
余談ですが同じく巌谷さんの手記に依りますと、日本への帰路の途中の5月5日、夜食に「かしわもち」が出ると聞いて、「年甲斐もなく喜んだ」そうなんですが、いざ食卓に出されてきたのは、柏の葉に包まれた甘ーいお餅ではなく、鶏肉を入れた餅の雑煮であったんですとか
木へんの「柏」ではなく、鶏の「カシワ」ではあるものの、まあ「かしわ餅に相違なし」…ということで美味しく頂いたそうなんですがw
遥々大西洋まで遠征した帰り、当然端午の節句に付き物の柏餅の材料など艦内にある筈の無い中での、せめてもの主計兵さんのちょっとした洒落だったのかもしれませんですなあ
無題 Name 名無し 19/01/05(土)19:40:22 No.487416
>「かしわもち」が出ると聞いて、「年甲斐もなく喜んだ」
兵隊さんの甘味にたいする欲求っていつも思うけどスゲーな
無題 Name 名無し 19/01/05(土)20:35:49 No.487422
>兵隊さんの甘味にたいする欲求っていつも思うけどスゲーな
服役囚も甘みに対する欲求ってすごいらしいと聞きましたが、要はどっちも飯に甘味が出ないんでしょうね。
今の自衛隊も戦闘糧食は甘味なしが基本だったんじゃないかな。
パイロット用の飯は旧軍の時にもゴムチューブ入り羊羹とかあったようですが、どっちかというとレアケースなんじゃないでしょうか。
YOUTUBEに動画上がってますから見てもらえたらですが、海外の軍隊は東西問わず、戦闘糧食に甘いものがほぼ必ず付いとるようです。
無題 Name 名無し 19/01/05(土)22:13:18 No.487432
>兵隊さんの甘味にたいする欲求
そりゃ間宮さんが艦隊のアイドルになるくらいだもの
無題 Name 名無し 19/01/09(水)06:47:24 No.487595
https://may.2chan.net/39/src/1546984044475.jpg
>海外の軍隊は東西問わず、戦闘糧食に甘いものがほぼ必ず付いとるようです。
世界中で酷評される米軍戦闘糧食「MRE」を始め、大半のミリメシには『市販の甘味ブツ』が同梱されてて、戦地でササクレ立った兵士の心を癒してくれるそうだが…
…仏陸軍の戦闘糧食は一味違ってたw
無題 Name 名無し 19/01/05(土)21:48:26 No.487431
>タコの炊き込みご飯や日本の「棒鱈」に似たタラの干物等、日本人好みの食材も豊富だと
ポルトガル料理は新鮮な魚介をただ焼いて塩かけて食べたりする日本人好みの調理法も多い
ポルトガルのワインであるヴィーニョベルデも辛口微発泡で食事にあっていいよねぇ・・・
シンプルな調理法に新鮮な食材という日本人が好きな要素ダブルだな、日本で南イタリア料理が好まれるのと同じだな
ただままあ日本のイタリア料理店はニンニクきかせすぎな気はするけど
って・・・軍と関係ない話すぎるな
無題 Name 名無し 19/01/05(土)21:34:30 No.487427
ハヤカワ文庫の「グルメのためのシネガイド」なる本で、映画「二百三高地」を取り上げた「『二百三高地』とようかん」なる一章があるんですが、それによると
「佐賀県に小城町という人口一万強の小さな町があるが、この小さな町にようかん屋さんが36軒ある。駅を降りるとメインストリートの両側は右を向いても左をようかん屋さんばかりだ」
…そうなんですが、この小城町がヨーカン・タウンになった経緯というのが、実は大日本帝国陸軍と大いに関連しているんだそうで
というのは、かつて日清・日露の戦役の折、前線の将兵さんたちの慰問の為に、内地から種々のお菓子が送られたんですが、大陸の苛烈な気候の下で、多くが変質・腐敗して食べられない有様だったんですとか
無題 Name 名無し 19/01/05(土)21:35:28 No.487428
そんな中、小城のようかんのみは前線でも変質しなかったため、軍から注文が殺到し、やがては町を挙げて軍用ようかんの生産に取り掛かるようになった…と言う次第なんですが、「小城ようかん」が変質しづらかったのは、一般のようかんより非常に「練り」が固かった事、また地元に多い笹竹で作ったすだれで巻いていたのが幾分かの殺菌効果をもたらした、…なんて、ご当地ならではの事情も与ってのことだったそうです
ともあれ、遠く異国の地で戦う兵隊さん達を食の面から支えた「小城ようかん」、その後も陸軍のみならず、海軍でも愛用され続けたんだそうで、瀬間喬せンせいの「日本海軍食生活史話」によると、氏が戦争末期に佐世保海軍軍需部部員だった時、
「佐賀県の小城にある羊羹工場に砂糖や小豆を官給して、戦時特別給与品である小城羊羹を作らせ納入させていた」
…そうなんですが、
無題 Name 名無し 19/01/05(土)21:36:22 No.487429
「ある日、(※勤労動員されて来ていた)中学生の一人が包装を壊してこの羊羹を食べたという報告を受けた。食い気盛りの中学生が食物のない時、毎日運搬作業の労働に服し、目の前にうまい羊羹の山があれば、つい手が出るのも無理はないが、当時の事情として黙認する訳にはいかぬので、中学生全員の前でこれを殴った。しかし実に後味の悪い思いをしたものである」
「この頃、筆者は小城在住の人から匿名の手紙をもらった。それには『戦地にいる海軍の兵隊さんに送る羊羹を作るのはよいが、私の近所にある工場で作らせるのはやめてください』とあった。いろんな意味が汲みとられた。小城羊羹に限らず、物のない時に軍需部指
定工場として材料の官給を受けて食品類を作っている工場に対する、共通した庶民の感情であり事情があったのかもしれないと思った」
…そうで
戦争の最期のギリギリまで、前線に「甘味」を届けるべく、必死の努力が続けられていたわけですなあ
無題 Name 名無し 19/01/05(土)22:52:05 No.487434
現在の東京拘置所の収監者に差し入れするには
お向かいの指定の店舗で購入・差し入れを依頼するシステムだが
差し入れ用の食品類のラインナップは缶詰のほか
甘いお菓子類がやたら充実しているそうな
無題 Name 名無し 19/01/06(日)06:38:53 No.487444
銀座に今でも若松って甘味屋があるんだけど築地の海軍経理学校の生徒がよく出入りしていたそうで
日比谷から宝塚の子たちも来ていてお互いにチラチラと気にしながらあんみつなんかを食べてたとか
無題 Name 名無し 19/01/06(日)10:23:58 No.487447
最前線の将兵が必要としている時点で、
銃弾一発も飴玉一個も補給物資としての価値は変わらない
当たり前のようでいて忘れてはならない、兵站担当の心構えやな
無題 Name 名無し 19/01/06(日)16:58:20 No.487459
塩鱈は小学校入った頃まで昼飯に出てた記憶があるなぁ
塩辛いから茶漬けにして食ってたような・・・
あと味の素かけた白菜漬け(キムチじゃない方)も食ってたような・・・
無題 Name 名無し 19/01/06(日)17:08:11 No.487460
小城羊羹て竹の殺菌力とか以前に表面パリパリだからなあ
近県なんでちょくちょく茶菓子に出ることはあったけどあの砂糖のジャリジャリがいやだった
無題 Name 名無し 19/01/06(日)19:08:55 No.487462
>表面パリパリ
「海軍さんの料理帖」(ホビージャパン)に写真付きで「間宮ようかん」の再現レシピが掲載されているんですが、著者の方は同羊羹を九州、更に言えば小城羊羹にルーツを持つものとしているそうです
https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201709_46_74/
「間宮は南太平洋に進出して、羊羹を製造し供給していました。通常の羊羹でも、時間がたてば表面が乾燥してパリッとしてくる。しかし南太平洋の高温多湿な環境では、短時間に表面が糖衣化することはありません。ということは、間宮では実際に表面を糖衣化する手順を加えていたのではないかと考えたんです」
…との事で、実際に「間宮」に乗艦して羊羹を製造されていた職人さんらにも話を聞いたそうなんですが、この説に従えば、「間宮ようかん」も今風の柔かい食感ではなく、ずっしりして表面は固い「小城羊羹」風であったということになるようです…w
無題 Name 名無し 19/01/06(日)19:11:40 No.487463
因みに、戦中伊号第17潜水艦に乗艦されていたある乗組員さんの陣中日記によると、ある日の艦内で
「午後、ベッドに横になっていると、山本一主が烹炊所から戻ってきて、皿食器に盛ったゼリーを、私に食えという。
『珍しいものだ。夜食に出すのかね』
と聞くと、
『いや、特製品だが、お前は食う権利がある』
という。あきれたことに彼は、私のチェストからコーヒーシロップの瓶を一本持ち出して、ゼリーの試作をしたのだった。しかし珍しさと、とろけるうまさにめぐりあい、居合わせた人たちをも喜ばせた」
…なんてことがあったんですとか
無題 Name 名無し 19/01/06(日)19:12:47 No.487464
日記の他の部分によると、伊17潜では他に主計課特製のドーナツ・アイスクリーム・羊羹などが食卓に上っていて、台所を預かる主計兵さんの創意工夫ぶりが窺えるんですが、そんな同潜水艦が、ガダルカナル島へ糧食輸送任務に就いた時のこと、
「烹炊所のなかが明るいのでのぞくと、山本一主が大きな握りめしを作っていた。あとで聞いたところでは、二回目の作業まで連絡員として残った二人の陸軍さんに、握りめしを出したところ、二人は皿を手に持ったまま涙を出し、
『私たちだけでは申し訳ないから、持ち帰らせて貰います』
と、言ったという。山本一主が、代わりにソーダビスケットを食べさせ、電気釜に残っていためしを全部握ってやったとのことで、
『おれもなんだか、急に悲しくなってな、奮発してやったんだ』
山本一主のしんみりした話に、それでよかったと、私たちも胸中を熱くさせられた」
…なんて事もあったんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/06(日)19:13:26 No.487465
陸海問わず、少しでも美味しいモノを皆に食べさせたい!と奮闘していた方々は、それこそ戦線全域の各部署の数だけいらしたんでしょうけれど、従って食糧事情等が許す限り、今では知られていないものも含め、各地に無数の独自のレシピが存在していたんでしょうねえ
無題 Name 名無し 19/01/06(日)22:38:34 No.487471
>あの砂糖のジャリジャリがいやだった
カステラも底(食べる時は上)にザラメじゃりじゃりなのが高級品だけど
俺もあれ好きじゃない。
無題 Name 名無し 19/01/06(日)23:35:42 No.487479
>俺もあれ好きじゃない。
念
あれ長く置きすぎて再糖化したのかと思ってたわ
子供の頃
無題 Name 名無し 19/01/08(火)21:52:32 No.487583
IJNの水偵搭乗員だった竹井慶有さんの手記にある話なんですが、昭和18年の11月頃、台湾から内地の基地へ部隊ぐるみ移動することになったものの、当時既に悪化していた国内の食料事情は竹井さんらの間にも知られていて、
「(国内で基地へ移動するのに)鉄道利用で行くとしても約一日半を要するだろうが、その間の食事はどうなるのだろうか。日本内地では、食糧が配給制になっていて、国民は食べるのに苦労しているという話も耳にしているので、突然の旅烏となる私たちが、鉄道利用中に果して食事にありつくことができるのだろうか」
…という不安について、皆で協議を重ねていたそうなんですが、
「『バナナを持って行ってはどうでしょうか』と発言する者があって、みなの意見も”よしバナナにしよう”ということになった」
…んですとか
無題 Name 名無し 19/01/08(火)21:54:39 No.487584
そこで台湾では容易く入手可能なバナナを唐丸籠に山盛り三杯詰め込んで、2式大艇に同乗して鹿児島の指宿に到着した搭乗員さん達は、搭乗員服姿のまま列車で赴任先の徳島へと向かったそうなんですが、懸念した通り内地の食料事情は悪く
「指宿の基地を出るとき、”車中で使えるならば”といって渡されている外食券で、駅弁が手に入らないものかと、停車する駅ごとに人を走らせてみたが、駅弁はうまく手に入らない」
…為、仕方なく籠からバナナを取り出して昼食にした所、
「乗り合わせている人々がこれを見て、みな羨望の眼を向けてくる。子供がバナナを食べたいと言って泣き出すのも出てきた」
…なんて事になってしまったんですとか
無題 Name 名無し 19/01/08(火)21:55:50 No.487585
そこで竹井さんが、バナナを二本持って立ち上がり、
「その子の傍らに行き、『私たちは、これこれで、旅行中の弁当代わりにバナナを食べているところです。なにか弁当代わりに口に入る物でもあれば、こんな真似はせんですむんですが、皆さん、すみません」
…とアイサツしにいったそうなんですが、
「聞いていた近くの人が『兵隊さん、大変ですね。これでもよかったら食べませんか』と言って、手荷物の中から芋饅頭の幾つかを差し出して、私たちに食べろという。」
「それに合わせるようにして車内の幾人かの人々が持っていた握り飯とか、おはぎとかを持ち寄って来るので有り難かった」
…んだそうで
無題 Name 名無し 19/01/08(火)21:57:40 No.487586
「私たちの方でも、その人々にバナナをお返ししたが、久し振りに立派な台湾バナナを手にした人々は、その場でそれを食べようとはせずに、みな風呂敷などに包み込んでいた。彼らは家に帰ってから、家族に今日の車中での話などを聞かせながら、車中で手にしてきた今どき珍しい台湾バナナの何本かを皆で分け合うのではなかろうか。岡山駅で宇野線に乗り換えるころには、台湾バナナの籠一つは、すでに残り少なくなっていた」
…との事で、当時の日本国内の民間での食糧事情とかも何となく察せられる話なんですが、最初にバナナを貰った男の子とか、電車の中でカイグンの飛行服姿のオニーサン達から、直接貰った新鮮なバナナの味なんて、きっと色んな意味で一生ものの想い出になったんじゃあないでしょうか…w
無題 Name 名無し 19/01/08(火)23:00:25 No.487588
当時、「バナナチップ」は製品化されていたのだろうか?
これなら、生のバナナよりは長持ちすると思うが。
果物の乾物は、高温多湿のアジア地域では生産が難しい?
無題 Name 名無し 19/01/09(水)01:56:09 No.487594
当時のバナナ、というより戦後の一時期までバナナは普通に国内では高級品扱いだったそうですね
坂井三郎氏の大空のサムライで
開戦前に台南空へ配備されると市中に繰り出すと内地では高級品の台湾バナナが安く売っている。
これはいいとたらふく仲間と食べたあと、部隊の皆へお土産にと大量に買い込んだまではよかったが当に食べ飽きていた部隊では誰も手をつけず、仕方なく仲間内で処分したら
食べすぎで腹を壊して飛行隊長に叱られた
なんてエピソードがありましたっけ
引用元: https://may.2chan.net/39/res/486655.htm
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コメント
カタツムリの粘液トロロ飯が頭から離れない
吐きそう・・・
まあ一応あれも貝だから
それよりニューギニア名物、白豚黒豚は?
進出したポリネシア人もいくつか全滅しとるしイースター島のような事例も
ウェーキ占領部隊も悲惨な目に
人●食ネタで滝沢聖峰氏が短編まんが書いてたけど、アレも密林の中で出会った兵隊に
バナナと●肉を交換してくれないか?って持ちかけられるのが話の発端でしたねー
因みにラバウルでもバナナはいっぱい種類があったそうなんだけど、台湾バナナのあの
いかにもなバナナ臭のあるのだけは何故かなかったそうな
なんだかむしろやる気なくさせてかなり逆効果な気も
はいそうです うるめ(めだか)の田舎煮と言いまして、今も名物として販売されていますよ(というか復刻したのですけどね)
あげたてのてんぷらがくいてえ!
二次大戦中の米軍では潜水艦にまでアイスクリーム製造機があったというが、現在の米軍も遠征フィールドキッチンなるものを持っており、これはコンテナの中にファミレスの厨房を押入れたようなものでトレーラーによる牽引の他ヘリコプターでの輸送も可能なようだ。
戦地でもあっという間に天井付きの厨房で一日千人分の食事を用意できるってあたり、自衛隊の野外炊具と比べても雲泥の差・・・
味云々で言われることはあるが、こういった展開能力のすごさを考えると負け惜しみで言いたくなりますわ〜
参考:遠征フィールドキッチンexpeditionary field kitchen
https://blog.goo.ne.jp/yoshi0749/e/9fea1d1850049b69c7a9422bf2d2f0b4
<結局のところ生まれてから慣れ親しんだ主食というというものはどうやってもソウルフードということか
ここら辺を読んで思い出したが、いわゆる牛乳嫌いは乳糖分解酵素(ラクターゼ)という酵素の働きによるもので統計的に日本人はこの働きが弱く、一方で欧州系・特に北欧は顕著に強いという話もあるようだ。
一方でよく海藻を食べる日本人のお腹の中には海藻を分解できる特別な腸内細菌がいるようで、この腸内細菌がいない欧州人などは海苔を食べても消化できずにそのまま出てきちゃうそうなw
好き嫌いや口に合う合わないというのは長い時間をかけて形成された遺伝子レベル・腸内細菌レベルの話も絡んで来るんじゃないかな〜? とか感じる次第。
そのうち「どんな悪食でも絶対に栄養にさせる腸内環境」とかが遺伝子改造で作られそうだけど、そうすると軍人さんとかヒドイ粗食でも我慢させられるようになりそうで、科学の進歩もありがた迷惑な話やなw
腸内環境は抗生物質であっという間に変わってしまうので、そのあたりの研究よりも
どんな環境下でも胃腸に負傷がなければちゃんと消化できる食事の研究なら
今でもやっているかと。
但し、高ストレス環境では男性は痩せるが、女性は太るらしく
将来の糧食は男女別メニューになる可能性が
ふと思ったのだが18世紀前から"遺伝子改良"され続けてきた英国人に倣い英国料理に慣れ親しめば"どんな悪食でも絶対に栄養にさせる"体が作れるかもしれない。
懐かしい。
半紙に書いてあるんだよね。
因みに神戸人は朝に食パン、夕は米食わないと死ぬので軍人に向いてません。(キリッ
不快なコメントには管理人が確認次第、非公開にしておりますので
荒らしにはスルーでお願いいたします。
あと、当ブログをPCで閲覧するとたまにフィッシング広告が表示されるのですが、原因分かる方おりますか?
兵士というか、ローマの文明度合いの高さでは
兵士ってのは非生産階級で、それを支えるには背後に大きな余剰生産が必要
大きな文明が大きな兵力を支える
あと長期携行が可能な作物と輸送手段があるかどうかで、古代は遠征力に結構影響する
後日部下の一人が米軍キャンプのPXに日本製カップ麺が売られているのを発見して『これで我々バグダッド連絡班内の日本食に対する緊張感が一気に解消し「鉄の団結」も盤石である。』なんて若干茶化して書かれてたけど、程度の差はあれほんの最近でも似たようなことはあるんだなって
あと青字さん書いてるパパイヤの根煮、最近ツイッターで作って食ってみた人の話見たが、どうも灰汁のしつこさが半端ではないらしく、煮て水を変えて煮て水を変えて煮て水を変えて…を幾度となく繰り返してやっと食えるようになる非常に手間のかかる一品なんだとか
この援軍にイギリスが大いに喜び「衣食住全て我々が提供しよう!」と大歓迎をするも、第8爆撃軍団司令部は「自分たちで用意できる物は自分たちで用意する」と丁重に断ったのだが本音は「イギリス料理を将兵に提供したら、ドイツの前に我々の頭の上に爆弾が降ってくるだろう」というものだったとかw
炊飯は寧ろ飯盒を使えば人数の影響なしに何処でも調理出来る分、兵隊には好都合だと思うが。炊事の煙で兵数がバレたなんて三国志みたいな話も聞いたが、トイレの規模で兵数が米軍にバレたのは事実らしいがそれも本当なんだろうか。
ただ日本軍だって本来は部隊単位なら個人で炊飯するより前線後方で野戦用の大釜でまとめて炊飯す
る予定だったわけで、
そういう後方部隊の展開能力が高ければ米のメシでもパンでも何ら問題なかったと思うよ
…高ければね
腸内細菌は固定されたものではなく食生活で日常的に変化するものなので、わざわざ配慮するようなものでも無い。細菌の方が飯に合わせて勝手に変わる
カフェインやアルコールみたいに遺伝的に強かったり弱かったりってのはあるが、食の好みはほぼ後天的に決定する
やっぱり基本は後方の大釜で纏めて調理するのはパン焼き窯も炊飯も変わら無いよなぁ。
しかも飯盒は欧州の発明だし、日本軍ではそれで米も調理出来るぐらいの話でしかないか。
イタリアが北アフリカでパスタが茹でられず負けたなんてのもあるな
実際に給水装備が整っておらず難儀したようではあるが、他の兵站も問題
日本軍の場合、後方から前線に輸送する能力が酷いね
南方、ニューギニアなどでは人力輸送当たり前ですから
切れた
他国は輸送の自動車化が大戦後半には大分整備されたけど(実戦部隊も)
日本は馬匹、九三式輜重車とか
他国は砲兵トラクター完備、日本は馬、本土決戦では人力とかももうね
怪我は良くなるし、ハエの幼虫はタンパク質があるからうまい飯になるってのを読んだな。
他国はって言うより連合軍はアメリカのお陰でって言う印象が…
すること。炊飯の煙で観測される。
米は調理するのに手間がかからない分、一度炊いたら1日しか食べられる状態を維持できないのに対して、パンは焼くのに大きな設備が必要だけど、一度焼いたら1週間は食べられるので、どちらが優れているということではなく、一長一短だというのを本職の人に教わった。
ただパンの保存性には、日本の軍関係者は昔から興味があったようで、日本最初のパンが兵糧の研究から始まっていたり、旧陸軍でも、いざという時の非常食やここぞという時の強行軍用のブースト燃料として、乾パンを兵に配給していたり。
あとそれはそれとして、あらかじめ米さえ預けておけは何とかなるという米食文化と、定期的に製パン所でパンを焼いて支給しないといけないパン食文化では、補給に対する態度が異なるというのは否定できないものと思われ…。
そういえば潜水艦で思い出したけど、米はお湯を沸かせる温度を1時間くらい維持できれば、いつでも炊きたてが食べられるのに対して、パンを焼くにはそれと比較にならないくらいの熱量が必要だから、火が使えない潜水艦の場合、パンは補給時にもらった分しか食べられないんだよな…。
まぁパスタは凡そガセらしいけど、米は米と大量の水がいるからパンに比べて向かない傾向はあると思う。もっともどの軍隊も乾パンを支給してたようだし、それが理由というよりは補給線の維持ができなかったせいのが大きいと思う
辻が海軍を皮肉る気持ちも分からんでもない。
大きな声では言えないが海外派遣や海外訓練に行った経験上、やはり日本人には米必要だね。
あと和風出汁系の味も。
今じゃ海外派遣でも真空パックのおせち料理が届く時代、当時の食料事情は涙無くしては見れない。
どこの戦地だかは忘れたけど、どうして天ぷら
が食べたいと、エンジンオイルで揚げて食べた話があって、案の定、腹を壊したりしたそうだけど、調べると戦後すぐにはモービル天ぷらってのが沖縄でも食べられてたみたい。
そう言えば今でもレンジャー教育のなかで、無煙炊爨(炊飯) があるそうですね。
米には人体で作れない9個の栄養素が7個含まれてるから滅茶苦茶体にいいらしい。
だけど同時に血糖値が高くてな、痴呆になる確率が欧米に比べると高い。
ただ炒飯みたく油でコーティングすると血糖値が下がるから、あながちカロリーゼロ理論は間違いではない。
炊飯だけでなく調理ってのは煙が出るもんだから、調理の煙を誤魔化すのも技術の一部みたいね。
旧軍もそうだし、ベトコンのツチトンネルも炊事の煙を誤魔化す工夫があったな。
>>ただ炒飯みたく油でコーティングすると血糖値が下がるから、あながちカロリーゼロ理論は間違いではない。
炒飯とか油っこいから逆にダメなのかと思ってた。
そう言えば、派遣中に炒飯が食べたいと言う話になって、油と卵を探して買って来て作った記憶。
油はひまわり油が一般的なようだったし、何より卵の黄身が真っ白だったのが衝撃的だった。多分エサの問題なのかも。
調べると日本だと、それこそ米をエサにする事で白い黄身の卵があるそうですね。
まあそれを言うと日清日露もイギリスのおかげになってまうので
同盟関係も戦力の内ですよ
つまりコーンを餌にしてるから黄身になる?
あくまで油のコーティングのせいで白米のグルコースの吸収が穏やかになる=食後の血糖値グラフの上りが穏やかになるってだけで、糖の吸収量自体は変わらないし油の分だけカロリーは増えてるよ。カロリーゼロなんてとんでもない
血糖グラフ下げたいだけなら水を飲むだけで下がる
詳しくはわからないですが、調べた感じだと基本的にそうみたいですね。
>>糖の吸収量自体は変わらないし油の分だけカロリーは増えてるよ
当たりと言えば当たりですからね。
血糖値の上がり方で脂肪の付きかたが変わるとかあった気がするんでそれ系の話かと解釈をしてたしだい。
当時の人に米粉パンを教えたらまた少しは違ったのかな。
暗い中で炊飯したらボウフラ混じりの飯になったという話が出てた記憶が有ります。
MREって戦後じゃん
旧日本軍にどうしろと
記事どころか軍事からすら離れてしまうけど、「サーモントラウト」として養殖されているニジマスは身をサーモンピンク色にするため、赤い色素を持つ甲殻類を餌に混ぜて与えている話を思い出したワニ。
あまりのマンネリにお土産はバナナ以外にしてくれって親経由で頼んだ記憶があるw
いもむしはそのまま煮るなりして食べられそうだけど、やっぱグロいのかなぁ?
〇野県あたりで食べていなかったっけ?
Cレーションと言いたかったんやろ。
まあ流通は格段に容易になるだろうが梱包等で消費する資材も格段に増えそうだしなぁ。
日本の卵は餌に紅花とかウコンを混ぜてるから黄色い卵黄になるんだよ。
その方が栄養があって美味しそうに見えて売れるから。
実際は栄養は全く関係ない。
まあ、彼の国は、その損失を上回る量を調達出来たのと、しっかりとその教訓を受け入れて保管要領や保管施設・道具の改良を行ったみたいだけど…。
米軍でこれだから、当時の日本軍の苦労たるや…。
この様な籠城戦メシ?の専門レストランも欲しいですな。
北朝鮮なら兵士も生産階級だから問題無さそう。(主体思想並感)
その逆にザリガニにサバとか食べさせると青くなるとかありますね。
普段の食べ物や食生活で影響を受けたり、また美味しそうに見せたり、普段食べてる物に近付けようとする努力や工夫なんかは、この記事なら遠からずと無理やり解釈するしだい。
休日に飯盒に乾パン数個と水気の多いマッシュポテト、少しのコンビーフを乗せたりして雰囲気を楽しんだりしてる。「肉があって、豪華だぜ」とかw
終末飯とかこう言うのに近いジャンルの趣味はあるみたいだ。
個人的にある意味で、食べるに困らないからこそ楽しめる贅沢な趣味だと思ってるけど。
とある島を巡って日米が戦ってる際、当然日本は海路から物資を岸上げして集積所へまとめそこから前線へ運びます
しかし人手がないためその集積所から前線へ物資を運ぶことができず、集積所には文字通りの腐るほど食糧があるのに前線では飢餓が発生してるという悲惨な状況に
これがどこの話かというとかの有名な『ガダルカナル』なんですよね・・・
上陸してる部隊を養いきれる物資があったわけではないだろう
ただ単に運べなかっただけで、その物資が行き渡れば解決したなんてこたあ無いと思うが
その通りで、問題はそのわずかな量すら陸路で運ぶことができなかったという点
物があった無かった以前という悲しさ
量もそうだが"補給の仕分け"というのは現代でも苦労するらしいですね。
例えば日本だと災害時の支援物資の流通だったりアメリカ軍でもイラク戦争(バグダット攻略前)では各都市を迂回して急進撃した結果補給が追い付かなくなり途中ストップがかかってその時は末端のMREの数も減らされたとか。
今では佐川やクロネコみたいなバーコードで管理するシステムを導入しているらしいですが。
ところで関連情報を漁ってたら面白いレポートが。
>湾岸戦争最大の功労者と言われるW・G・パゴニス・アメリカ陸軍中将の手記はこれを地でいっている。「ロジスティクス」以降初めての実戦であった湾岸戦争は、アラスカ州の全人口とその持ち物が丸ごと引越しするのに匹敵する大事業だった。様々な例えがあるが、戦争開始前から終結までの一年間にアメリカ軍後方支援部隊は、ワイオミング、バーモント両州の全住民に三食を四〇日間与える量に匹敵する一億二二〇〇万食を超す食事を手配し、運び、配給し、ワシントンとモンタナ、ノースダコタ州の年間消費量の合計とほぼ同じ五〇億リットル近い燃料を投入した。補給部隊は中東戦域で八三〇〇万キロ余りを走行し、郵便支援スタッフ一三〇〇人は三万トンを超える量の郵便物を処理し、配達した。これはアメリカ郵便事業史上最大の集配業務だったという。
このようにロジスティクスとは輸送、補給、貯蔵、整備、調達、契約といった作業が一貫して機能すべく構築するシステムである(パゴニスによればアレクサンダー大王は最古の後方支援専門家だった。戦争勃発直前、パゴニスはドナルド・W・エンゲルスの著書『アレクサンダー大王とマケドニア王国軍の兵站』から彼の後方支援技術を参考にしたという)。そして九〇日間に一二〇万トンを超す器材を陸揚げするためにここで導入された最新のテクノロジーは、意外かもしれないが、バーコードである。船積書類の記載とコンテナの中身の不一致が原因で四万一〇〇〇個のうち二万八〇〇〇個前後のコンテナを埠頭で開梱し中身を確認したことを契機に、バーコードによる正確な補給体制の確立が急がれたという
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/820/
運んで配るのも大変ですが"発つ鳥後を濁さ"ないのも大変なのですな。
この手の兵站と書類に関しては「大砲とスタンプ」って漫画が面白い
なんかイギリスがそれ本気で研究してるとか、youtubeで見た
心理的には嫌だなぁ
缶詰そのものは当時の日本は量産できてたんだけどねぇ
レーションは米国以外どんなのだったんだろ
カロリーゼロ理論はネタだし、多少はね?(サンドウィッチマン伊達の持ちネタ)
それでも程度が変わるならこれ以上にありがたい話もないと思う。一挙に問題解決は流石にないとはみんな思ってると思う
イナゴやざざむし、蚕の蛹に蜂の子なら店と時期を選べば売ってるかも。
噂レベルで蝉、蝮(虫でなくてスマソ)。
いもむしは聞かないな…
これは1937年の15.4kgと大差無く
甘いものに慣れたところに供給激減となると辛かったでしょうなぁ
そんな感じで調べると、「日通(日本通運)の限界が、自衛隊の進める限界だ、という言葉もある」みたいな話もあるんだね。
他にも、陸自の内部資料「イラク復興支援活動行動史」によると陸自は派遣が決まった03年12月から約半年間に、コンテナ換算で772個分の物資を現地へ送った。
大型貨物機を37回チャーターしクウェートへ運び、宿営地サマワまでの陸送は現地業者に頼んだ。内部資料は「総輸送力の99%を民間に依存していた」とする。
って話もあるんだな。
これ、有事とかトイレットペーパー生産県の静岡が被災(政府からその懸念も出ている)したとかなったら、各地の基地や部隊に備蓄はあるの?
自衛隊内の紙がないというのはネタ!というのなら無慈悲な御教授&突っ込みよろしく希望w
10日の朝雲新聞の一面では、「日用品、備品の大幅拡充、18年2次補正、19年予算案から」ってのだった。
そのトイレットペーパー等の日用品とか隊員の生活向上に向けての予算が拡充されてると言う話
うろ覚えだが、なぜ軍は倉庫の主任や運送屋の課長を兵站業務に就けなかったかと、司馬遼太郎が書いている。シロウトからみてもそれが合理的だと思うんですが。
まあ、たとえそれが実現していたとしても……。
サンクス! その話は知らなかった!
で、災害かそれ以外か書いてないけど、準備を整え始めてるみたいですね……(汗
レイテ島の第1師団の話なんだけど、一個師団全部の定数が積み込めなかったんで輜重兵連隊を置いて出撃したそうだ。
そもそも独立行動可能な戦術単位である「師団」の定義を根本から揺るがす行動な訳だが
全く、日本軍は基礎からやり直した方が良かった
戦力喪失となるのですが。。
走れず、五感も鈍った兵隊が使い物になるわけも無いわけでして。
ぶわっとこみ上げて来て具合が悪い
おっさんイートインで何泣いてるんやろ的に
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