無題 Name 名無し 18/12/27(木)05:46:26 No.486938
https://may.2chan.net/39/src/1545857186452.jpg
軍使やら降伏やらで地味に重要な白旗だけど、これって正式な軍の備品なのかな?
それとも必要になったら適当な白布で現地製造?
無題 Name 名無し 18/12/27(木)05:57:06 No.486939
備品つか消耗品にも専用品はないね
三角巾でも代用するのでは?
無題 Name 名無し 18/12/27(木)08:22:58 No.486941
>これって正式な軍の備品なのかな?
>それとも必要になったら適当な白布で現地製造?
当時ならふんどし
沖縄戦で有名な白旗の少女の白旗も祖父のふんどしだった
無題 Name 名無し 18/12/27(木)10:11:15 No.486943
日本海軍を例に挙げると使用する信号旗には文字旗、数字旗、運動区別旗、艦所名区別旗があるけど白一色は存在しない
あと白旗ではないけど、伊400型の話を読むと接収時マストに降伏を表す(らしい)白とは真逆の黒色三角旗を掲揚してる
実際に写真が残ってるから掲揚してるのは間違いないけどこれも同様で日本海軍の信号旗には黒の三角旗も存在しない
信号区別旗のうちの一枚「中継」は黒一色で一見すると黒の三角だけど厳密には横に90度倒した台形をしていて
加えて縦:横の比率もおよそ1:3.5とかなり横に長い形のため写真に写ってる旗とは別のものと言っていいと思う
たぶん運動区別旗という短い三角の旗(縦:横が1:1.4)のうちの一枚を現場でインク等で黒く染めたんじゃないかと
無題 Name 名無し 18/12/27(木)22:20:42 No.486966
>日本海軍を例に挙げると使用する信号旗には文字旗、数字旗、運動区別旗、艦所名区別旗があるけど白一色は存在しない
信号員が信号旗縫うための布はいっぱい搭載されてたはずなんで
それ使ったら即席で用意はできそうな気がするが
無題 Name 名無し 18/12/28(金)00:31:07 No.486974
>それ使ったら即席で用意はできそうな気がするが
そりゃ作るのは簡単だろうけど正規の備品かどうかって話の答えには繋がらない
無題 Name 名無し 18/12/27(木)11:14:48 No.486944
ドイツ軍じゃ民家から拾った(奪った?)シーツも白旗代わりに揚げたらしいね
無題 Name 名無し 18/12/27(木)12:36:12 No.486946
スレ見る限りだと、要領の良い下士官が必要に応じて適当に拵えるものって感じなのかね。
士気的にも、予め白旗を用意していると悪い影響がありそうだし。
無題 Name 名無し 18/12/27(木)13:05:23 No.486948
機関停止したけど帆の代わりにハンモック掲げて戦闘続行したら
白旗上げながら攻撃してくるとは何事だってなったのは夕立だっけか
無題 Name 名無し 18/12/27(木)13:06:25 No.486949
最悪布団のシーツでも肌着でも白い布なら何でもいいんだろうしなぁ
無題 Name 名無し 18/12/27(木)14:37:07 No.486952
贅沢になった現代では白布が見つからなくて全滅するのか
無題 Name 名無し 18/12/27(木)15:25:45 No.486957
以前読んだ小説で、白旗が上がるんだけど。それが白いブリーフだった。本編中でも大笑い
無題 Name 名無し 18/12/27(木)20:15:40 No.486962
昔は虜囚の辱めを受けないとうそぶきながら皆股間に白旗を持っていたもんだ
無題 Name 名無し 18/12/27(木)20:31:06 No.486963
>昔は虜囚の辱めを受けないとうそぶきながら皆股間に白旗を持っていたもんだ
フランスかイギリスかドイツじゃなかったっけ元ネタ
無題 Name 名無し 18/12/28(金)15:42:58 No.486999
>フランスかイギリスかドイツじゃなかったっけ元ネタ
元ネタのある話をしたつもりはなかったんだが…
無題 Name 名無し 18/12/27(木)23:44:28 No.486970
日本海軍なら腐るほどマントレット(ハンモック)があるだろ
無題 Name 名無し 18/12/28(金)06:47:41 No.486986
ハーグ戦時国際法で白旗を持つ者は軍使とする規定があるけど
白い生地を用意できない場合には肌着など代用品の使用が認められるそうなので
必ず前もって用意すべきモノではないし、負けを想定した正式装備など戦う前から士気に関わるだろうね。
無題 Name 名無し 18/12/28(金)07:11:14 No.486987
おー、思ったよりレスがついている。
見た目はシンプルな白旗だけど、いざ語ってみるとなかなか奥が深いものやね。
>白い生地を用意できない場合には肌着など代用品の使用が認められるそうなので
>必ず前もって用意すべきモノではないし、負けを想定した正式装備など戦う前から士気に関わるだろうね。
敗色濃厚な側がズタボロになるまで抵抗した挙げ句ならいいけど、優勢な側の軍使が、黄ばんたブリーフやら下着やらの白旗で降伏勧告に来たら、それはそれで格好がつかないし、逆上した敵軍兵士にその場で射殺されそうw
中隊本管あたりに将校用として綺麗な白のテーブルクロスを何枚か保持しておくぐらいが、まぁ妥当な用意ってあたりかね。
無題 Name 名無し 18/12/28(金)21:01:03 No.487005
>>これって正式な軍の備品なのかな?
これがあるだろ、丁度2色有るし
無題 Name 名無し 18/12/29(土)07:18:23 No.487029
>これがあるだろ、丁度2色有るし
それ持っているの海軍だけな。陸軍には無い。
無題 Name 名無し 18/12/29(土)10:02:48 No.487031
>陸軍には無い。
演習で戦車の砲塔に緑と赤の2本立ててなかった?
無題 Name 名無し 18/12/29(土)11:49:02 No.487033
>演習で戦車の砲塔に緑と赤の2本立ててなかった?
白旗無いやんw・・あれは戦車が演習時に使う旗で常備しているものでは無いよ。
ちなみに夜間の射撃演習には同色のランプを取り付ける。
赤-砲や機銃に弾薬を装填してから射撃終了まで掲げる
緑-砲や機銃に弾薬が装填されていない状態を示す
橙-故障中の意
無題 Name 名無し 18/12/30(日)07:04:21 No.487067
日本は、自軍に捕虜は認めないから
白旗を準備する必要なんて無いと思ったが
相手には降伏勧告はするのだから
軍使用には必要になるんだな
太平洋戦争で捕虜の道を選んだ日本人は、どうせ口を噤んで何も喋らなかったんだろうけど
当時のやり取りや境遇とか残ってないのかね
戦後じゃなく戦中に帰って来た人はいるんだっけ?
無題 Name 名無し 18/12/30(日)07:24:12 No.487068
>太平洋戦争で捕虜の道を選んだ日本人は、
>どうせ口を噤んで何も喋らなかったんだろうけど
逆で、尋問時にあまりにもペラペラ喋るので米側が拍子抜けしたらしい
無題 Name 名無し 18/12/30(日)11:41:30 No.487072
>逆で、尋問時にあまりにもペラペラ喋るので米側が拍子抜けしたらしい
「トレイシー日本兵捕虜秘密尋問所」を読んだら、階級問わず尋問に答えまくる捕虜の記録ばっかり。
捕まった場合の訓練を受けていないからなあ
無題 Name 名無し 18/12/31(月)05:55:36 No.487105
>捕まった場合の訓練を受けていないからなあ
今の自衛隊は教えてるの?
例えば撤退時にしんがりを務めるとして
弾薬も尽きて退路も塞がれた場合
個人の判断で降伏もOK、それともそれなりの指揮者が判断するとか決めてある?
捕虜となったら不利益な情報は絶対に口にしないわけ?
自分は16式機動戦闘車で相手にMBTを確認したと報告しても
普通に「そこ抜かれるとマズい死守せよ」と命令されると見てるけどw
無題 Name 名無し 18/12/30(日)12:37:59 No.487074
拷問されるだの即銃殺だのと教え込まれ
いざ米軍の捕虜になったら暖かい食事と優しい言葉
地獄に仏の気分になっちゃうんでしょうね
無題 Name 名無し 18/12/31(月)11:09:59 No.487112
> 拷問されるだの即銃殺だのと教え込まれ
これは本当に運次第 (相対した敵部隊次第) じゃないのかな
ジョン・ダワーの「容赦なき戦争」読んだけど、あちらさんの視点だと日本兵が玉砕繰り返すようになったのは、米軍がまともに捕虜を取らなかったという解釈もあるらしいよ
降伏認めず皆殺しとか、基地への連行過程で何故か捕虜の数が激減とか、英語がちょっとわかる日本兵だけ生かして残りは抹殺してしまうというエピソードが満載
無題 Name 名無し 18/12/30(日)13:52:09 No.487077
米軍「赤十字を通じて、お前の無事を家族に連絡しy
日本軍捕虜「やめてくれ!捕虜になったことが本国に知れたら、家族が村八分にされる!なんでも協力するから連絡だけはしないでくれ!」
米軍「えぇ・・・」
「戦陣訓の呪縛」を読むとこんなエピソードだらけで、精神教育一辺倒、言霊信仰で万が一のことに備えない・教えないことの無意味さと愚かさが染み染みと身にしみてくる。
無題 Name 名無し 18/12/30(日)16:22:43 No.487078
実際は口を噤んでいっさい話さなかった捕虜も多いからな。
情報提供などせずに偽名で通し、捕虜同士団結して捕虜収容所から脱走を企てた事件もある
無題 Name 名無し 18/12/31(月)11:05:32 No.487111
> 捕虜同士団結して捕虜収容所から脱走を企てた事件もある
映画の大脱走だと、捕虜になった軍人は脱走を試みて敵地の後方撹乱をする義務があるとやってたけれど、それって正しいのかな。映画でもそうだったけど、脱走の過程や、再拘束された際に殺されちゃったりするよね ?
無題 Name 名無し 18/12/30(日)19:03:04 No.487088
>>情報提供などせずに偽名で通し
ムサシ・ミヤモトさん大量発生事件
捕虜達の証言と共に、日記の類が情報収集に使われてしまったとか。几帳面な人の日記なら証言以上に色々有益だろうね。
無題 Name 名無し 18/12/30(日)17:54:08 No.487085
心理戦のテクニックを駆使して自白させた米軍とか
凄惨な拷問で捕虜を追い込む豪軍とか
連合軍側も色々よね
無題 Name 名無し 18/12/30(日)21:02:20 No.487095
戦中米軍で日本軍捕虜からの情報収集の任に当たっていた、オーテス・ケーリ=サンの手記からの引用なんですが、ケーリ=サンが当時の捕虜への尋問について語る所によると
「日本人は抑えられることには馴れている。だから(略)表面抑えられたと見せて逃げ廻る術を心得ている。抑えないで人間扱いすると勝手が違うので、ある意味では陸に上がった河童のように抵抗力を失う」
「逆説的に言うと、殴られた方が精神的には楽だったかも知れない。捕虜を不名誉と卑下していた者が、虐待を受けたことによって、自分を合理化する理由を見つけるだろう
無題 Name 名無し 18/12/30(日)21:03:26 No.487096
「アメリカでは捕虜になった場合の心得を軍隊で教育した(略)ところが、日本の軍隊ではそれどころではない。だから、情報官の合理的な質問に対しては全く歯が立たない。一つの事実を総合的に積み重ねてゆくと、一致点と穴が現れる。その穴を指摘すると、相手はカブトを脱いでしまう。隠しても”敵”は何もかも知っていると観念する」
「私が情報について接した捕虜は(略)二つのタイプがあった。その一つは、何もかも正直に答えたから殺してくれと言う者。恩義に感じて、充分の礼をした、だが、日本人としては一番悪いことをしたと言うのである」
「こういうタイプは、あくまで捕虜になる意志がなく、全くの不可抗力で捕まり、途中で逃げようとした者に多い」
無題 Name 名無し 18/12/30(日)21:05:30 No.487097
「しかし、一度平穏な生活に入ると自殺も出来なくなり、やけくそに荒々しく振舞った。だが芯は人情もろく、一番気の毒なタイプだった」
「もう一つのタイプは、国へは帰れない、どこかの国─まずアメリカで、風来坊で暮らすほかないから、その世話を頼む。ボーイにしてくれと言う者だ。アメリカの市民権は貰えないものかと訊く者が相当いた」
「このタイプは、捕虜になるとき、自分の判断で行動したものでなく、集団心理に引きずられるか、目の前に開いた生への門にフラフラと歩んでいった人たちに多い」
…んだそうで
無題 Name 名無し 18/12/30(日)21:07:12 No.487098
もちろん、あくまで米軍の一情報士官サンからみた日本人捕虜像ということになるんですが、二つのタイプと言ってもその中間から個人個人での程度の違い、接した米国人の捕虜さん達への対応の違いからくる印象等から更に細かな差異は生じてくるわけでして
従って、軍の機密に関わるレベルの情報でも躊躇せずに喋ってしまった人たちから、最後まで(アメちゃんからみれば)反抗的な態度を貫いた人まで、捕虜の実相が多様に分かれたののは当然と思われるんですが、案外その差異を分けたのは、実際のところほんの些細な事柄からだったりしたんでしょかねえ
無題 Name 名無し 19/01/01(火)17:49:15 No.487180
>戦陣訓
「戦陣訓」の作成に携わった方は何名もおられるんですが、特に後年有名になった「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」の部分を起草した白根孝之中尉の回想によると、捕虜に関する一文が入った理由というのは
「(日本軍は)みんなが集団行動をしましたから、簡単に何百人の人間を一網打尽に捕虜にすることはできません。ただ、南京で、日本軍が揚子江を渡れなくてウロウロしているところを何百人かつかまってしまったということがありましたね」
「敵だって軍隊ですからね……。とくに上海や南京にやってきた軍隊というのは精強でしてね。蒋介石の親衛軍ですからね(略)日本軍で捕虜になるのも出ることでしょう」
…という、捕虜となる日本兵の発生が起きている現実と、今後への危惧ゆえであったんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/01(火)17:51:20 No.487181
因みに昭和16年3月に、IJA支那派遣軍参謀部が作成した「俘虜に関する教訓」なる小冊子があるそうなんですが、それによると
「聖戦玆に3年有半、我が将兵にして敵手に落ち俘虜の汚名に呻吟する者亦少数ならず。而して此等の中には其の動機必ずしも真に已むを得ざるに非ず、且爾後の言動軍人として慨嘆に堪えざる者を有し、その意気に於て遥かに既往に及ばざるを見る」
…なんて有りまして、要は決して少なくない日本軍人が支那軍側の捕虜になっている上、捕虜になった後の行動も芳しくない…という事だそうなんですが、同書では続いて捕虜にされる(た)状況やきっかけについて分析・警告すると共に、「敵手に落ちたる後執りたる処置」として、釈放や脱走による帰還例から敵の尋問事項・取り扱いなどにまで触れているんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/01(火)17:52:21 No.487182
従って、「戦陣訓」の「生きて~」のくだりの背景には、白根氏の回想と同じく、現実に日本兵の捕虜が多数発生していることへの対策、という面があったようなんですが、「俘虜に関する教訓」でもっとも危惧されている
「敵の処遇に甘んじ、訊問等に方りては我が軍の状況を開陳し敵側を礼賛し、其の甚だしきは阿諛追従に汲々とし、且、敵の要求する儘に我が軍に対し反戦、或は敵礼賛の放送演説を行う」
という、敵側への協力行為に及んでしまう日本軍捕虜の発生自体は、結局その後始まる米英他の連合国との戦闘でも起きてしまうわけでして
「戦陣訓」は全体としても抽象的・精神的に過ぎるなんて批判が多いシロモノなんですが、単に捕虜からの情報漏洩や利敵行為の防止への対策と言った面から見ても、ただ「捕まる前に死ね」だけでは充分ではなかった、て事なんでしょかねえ
無題 Name 名無し 19/01/02(水)14:19:43 No.487227
基本的に「捕虜にならない」建前が出来てしまうと
「捕虜になった場合は」の教育ができなくなるという現代日本にも通じる構図
これもまた「慨嘆に堪えざる」話
無題 Name 名無し 19/01/07(月)03:47:15 No.487487
> 基本的に「捕虜にならない」建前が出来てしまうと
> 「捕虜になった場合は」の教育ができなくなるという現代日本にも通じる構図
でも旧軍の言ってた中国軍、馬賊、米兵に捕まったら拷問された上に殺されるってのは全くのデタラメでもないから難しいよねぇ
欧州戦線描いた映画でも今は連合軍絶対正義じゃなくて、ドイツ軍の捕虜を認めず射殺、酷いケースだといたぶった挙句に殺害なんて展開が珍しくないのだから黄色人種への人種差別が原因て訳ではなく、やはり殺し合いしてる相手の捕虜を寛大に扱う心のゆとりをどこまで期待できるもんなんだろうか
無題 Name 名無し 19/01/07(月)23:55:27 No.487550
>でも旧軍の言ってた中国軍、馬賊、米兵に捕まったら拷問された上に
>殺されるってのは全くのデタラメでもないから難しいよねぇ
それは、先に酷い扱いをしたのはあっちだ、いやそっちが先に酷い扱いをしたんだという水掛け論以上の意味は無いよね。
無題 Name 名無し 19/01/08(火)20:49:09 No.487580
> 水掛け論以上の意味は無いよね。
白旗掲げて降伏しようとしても、それが認められないこともありうるって心構えは必要なのでは
無題 Name 名無し 19/01/02(水)18:03:08 No.487230
捕虜が発生すること自体は日露戦争とかでも起こってるんだけどねー
それでもヘタすれば師団とか軍単位で追い詰められるとかさすがに未経験だったろうし、負けた時のお作法ってのに日本自体が不慣れだったってのもあるんじゃないかな…
無題 Name 名無し 19/01/02(水)21:32:25 No.487242
>負けた時のお作法ってのに日本自体が不慣れだったってのもあるんじゃないかな…
まぁ、国家レベルで「負けた時(負けるとき)どうする?」って考えが無かったですからねぇ
無題 Name 名無し 19/01/02(水)21:56:13 No.487243
日本の軍隊が、外国の軍隊と交戦して敗北、降伏若しくは休戦の為に「白旗」を掲げた初めての事例というのは諸説あるそうなんですが、一説では元治元年(1864年)の下関戦争である、とされているんですとか
これはソンノー・ジョーイ!のスローガンを掲げて諸外国に挑んだ長州藩が、米・英・仏・蘭の4カ国連合艦隊相手にボッコボッコにされて終った戦いであったわけなんですが、戦闘直後に幕府の蘭方医で、長州藩とも関係の深かった坪井信良さんが実兄に送った手紙(8月25日)によると
「異船17隻、長州へ赴き、当月5日6日戦争、長州方大敗軍、台場焼打にせらるる事7カ処、遂に長[州藩]之『白旗』を挙て降参、請罷兵」
…なんてあるそうです
無題 Name 名無し 19/01/02(水)22:00:41 No.487246
それからまたまた70余年が立ち、今のところまたまたかつての敵国の皆さんともよいお付き合いが出来ている、というのが現在なわけなんですがw
また世界中を敵に廻した挙句、「白旗」を掲げるような目に会いたくないというのはモチロンなんですが、最悪の事態も含めて、普段からあらゆる国際的な問題に対処する知識や手法の蓄積・啓蒙をしておいて、いざという時損は無い…ってのは、それこそ白旗を掲げて「連合国」旗艦に向った幕末の昔から、今も変わらないのコトなのかも知れませんですなあ
無題 Name 名無し 19/01/09(水)20:34:35 No.487615
>白旗掲げて降伏しようとしても、それが認められないことも
>ありうるって心構えは必要なのでは
ちょうど下関戦争に近い時期になりますが、1870年版「米国海軍規則集」の中の、”Flagsof Truce(軍使旗及び休戦旗)”なる項目によると、軍使が掲げる”a Flags of Truce”が尊重されるべきというのは大前提とされているそうなんですが、その後に
(1)”a Flags of Truce”を悪用して情報収集等をする軍使はスパイ罪に処せられる
(2)こちらも大いに警戒心をもって”a Flags of Truce”を受け入れること
(3)所定の距離より接近しないように空砲を発射して警告すること
(4)交戦中に”a Flags of Truce”が見えただけでは砲撃を止める必要はない
(5)ただし白旗が降伏の印として明示された場合には直ちに砲撃を止める
…なんて細かい実践上の注意が表記されているそうです
無題 Name 名無し 19/01/09(水)20:35:59 No.487616
実際、「白旗」は直ちに降伏シマース!という場合だけでなく、単に(スレ画のように)一時休戦しての軍使派遣の際にもって掲げられるものですから、警戒心を緩めるべきではない…
というのは確かですし、敢ていい意味に取れば米海軍自身が敵軍に降伏せざるを得なくなった時、「白旗」を掲げる際には相手にもこういう風に見られてんだからな!と教育している、という事なのかもしれないんですがw
それでも明確に降伏の意を確認できなければ撃ち続けて良い!というのは、今の平和な時代の私達の感覚からすれば、ちょっと非情に感じる所かも知れませんですな
ただ、「下関戦争」から40年程経った「日露戦争」の際、アドミラル・トーゴー=サン率いる連合艦隊が対馬沖でロシアのバルチック艦隊をボコボコにしている最中、負傷した前任者に代わって同艦隊の指揮を執っていたネボガトフ少将が、遂に追い詰められて旗艦「ニコライ一世」のメインマストに「白旗」をかかげたものの、日本艦隊は砲撃を中止しようとはしなかった…なんて話も実際あったんだそうで
無題 Name 名無し 19/01/09(水)20:44:20 No.487617
この時旗艦「三笠」上では、秋山真之参謀が東郷司令長官に、「武士の情けではありませんか。発砲をやめてください」と落涙しつつ進言するのに対して、トーゴー=サンは首を振りつつ「本当に降伏すっとなら、その艦を停止せにゃならん」と言い、それを拒絶して砲撃を続けさせた…なんて有名なやり取りがあったそうなんですが、その後「ニコライ一世」が更に万国船舶信号旗で「X・G・E(われ、謹んで貴国に降伏す)」の三旗を掲揚、「三笠」の停船命令に応じて停止したところで、ようやく日本側は砲撃を止めているんですとか
これなんかも、「武士の情け」論の方が麗しく感じられるものもあるんですが、未だロシア艦隊の残存反撃能力も未知数な中、「白旗」が一艦あるいは一部乗員の「独断」や「欺瞞」である可能性まで考えたら、自艦隊の艦艇及び乗組員への責務上司令長官がソレをみただけで直ちに警戒を解くというのは確かに危険ですし、先述の「米国海軍規則集」の内容に引き比べるなら、寧ろトーゴー=サンの「非情」の判断の方が、当時の国際社会での戦場における「お約束」に合致したものであった…ということなのかもしれないですなあ
無題 Name 名無し 19/01/10(木)18:26:10 No.487653
トーゴーさんはハワイクーデターや日清戦争での英国商船撃沈でも
国際法に即して適切な処置してるからねぇ
無題 Name 名無し 19/01/13(日)16:39:42 No.487743
日露戦争の頃は野戦中もちょくちょく一時休戦やってお互いの負傷者の回収してたとかはよもやま話にあったなあ
その際も白旗が上がったらだったらしいし
無題 Name 名無し 19/01/13(日)19:25:40 No.487747
日本軍の勢力範囲へ迷い込んだロシアの従軍看護婦がいて、大人しく捕虜になるどころか勝手に医療活動を始めて、持て余した日本側がロシアへ送還した出来事もある
ロシア側は「日本軍が赤十字旗を悪用して奇襲をかけてくる」と非難していたが、日の丸を見間違えたんだろうな
無題 Name 名無し 19/01/14(月)05:39:13 No.487758
従軍看護婦は捕虜にできたんだっけ?
興味深いな
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:36:44 No.487768
下関戦争の際、「連合国」艦隊に長州藩が軍使を送る際、知識として「白旗」を掲げることは知られていたものの、肝心の白旗の用意がなかったそうなんですが、たまたま地元の神社のお祭りで白い旗を用いる慣習が有り、避難した民家の中から探し出して用いた…なんて話があったそうです
このお祭りについて調べてみると、どうも仲哀天皇の御代(2世紀ごろ)に、熊襲の軍勢と戦った際、天皇自ら弓矢を取って討ち取った敵将の亡骸の周りを、戦勝祝いで囲って踊った…という故事に由来するみたいなんですが、戦勝のお祭りで使う旗が、数百年後に投降の意を示す旗に流用されたとか、ちょっと皮肉な感がしないでもないハナシですねえ
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:38:19 No.487769
>日露戦争
旅順要塞攻防戦が終わった後に、約百名(諸説あり)の日本人捕虜が解放されているんですが、その中に海軍下士卒16名が含まれていたんだそうで
この方々は全て第3回旅順閉塞戦において、閉塞船乗員として参加された人たちなんですが、その捕虜になった時の状況は、ロシア海軍のヴーヴノフ大佐によると
「その夜、波甚だ高き為め、端艇に移れる閉塞隊(略)陸岸にウチ寄せらる。ロシヤ海軍の監視哨は射撃を控え、彼等の近づくを待受けしに、却って小銃・拳銃をもって、ロシヤ海軍監視哨を射ちて殲滅せらるるまで彼等は射撃し続けたり」
「一隻の敵艇(略)うち揚げらる、ロシヤ陸軍その上陸にあたり、捕えんとせしに日本人は、互に首を刎ねつつありて、その光景にロシヤ兵は戦慄せり」
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:39:12 No.487770
「負傷の為昏倒しいたる日本士官2名・下士兵卒30名を俘虜としたるが、彼らは蘇生するや怒りて、ロシヤ兵に突いてかかり、そのうち13名は死せり。この中に小樽丸の岩瀬正・大機関士があった、岩瀬は蘇生したが自殺を決意し、武器がないのみか監視が厳しいので絶
食の半ばで舌を自ら噛切って死んだ」
…という、凄惨なものであったそうです
この16名の生還者さん達は帰還後、全員が東郷長官から署名入りの木杯と時計を贈られ、特に何の咎めも受けてはいないそうなんですが、ある意味そうしたまだ寛大だった公的な自軍「捕虜」への認識とはまた別に、現場の将兵さん達の間に捕虜になることをタブー視する意識が既に強かったことを示す話の一つってことになるんでしょかね
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:40:20 No.487771
またこれは、下関戦争の前年、文久3年の薩英戦争における話だそうなんですが、長谷川伸氏の「日本捕虜史」によると
「英国艦隊と薩藩との交渉がうまくゆかず(略)艦隊は(略)薩藩の汽船天祐丸・白鳳丸・青鷹丸を拿捕せんとした、ところが三つの汽船を指揮していた船奉行添役の松木・五代がこれを拒んだので、艦隊はそれでは撃沈すると砲口を三隻の汽船に向けた。松木と五代とはそこで、乗組員全部を陸に去らせ、ただ二人だけ船に残った。英国の船将は怒って鍵縄を投げくだし、二人を拘擒し、旗艦へつれていった」
「クーパー司令長官は(略)訊問した後に、曰く、君達は薩藩の艦長なれば敬意を表し、一等士官の居室を与う、開戦とならば自由に甲板に出でて戦況をみよと、待遇甚だ懇切だった。かくて薩英戦争となり、英艦隊は五代と松木を捕虜とした儘、その月4日、横浜に向った」
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:40:50 No.487772
「横浜のガオル英国領事が、クーパー提督を大いに説いた結果、提督は五代・松木に金五十両づつを贈り(略)二人を神奈川に上陸させた」
「神奈川へ放釈されたものの五代も松木も、三隻の汽船を失い捕虜となった事とて(略)江戸に在る薩藩士の殆んどと、世間の多くとは、彼の両人は英艦内にありて、我が国情の秘事を告げ、その代償に放たれたという臆説を妄信し、又、幕吏は二人を捕縛せんものと、探索頗る厳重だった」
「元治元年の春に至りて、二人の冤枉はじめて雪がれる至りはしたが、その間、ひどく悪罵と弾劾とを集中され、危険の渦に取り巻かれた」
…なんて事があったそうです
無題 Name 名無し 19/01/14(月)14:41:24 No.487773
「これも日本人の捕虜を極度に嫌う例であるが、同時に又、憶測や膠伝を信じやすい欠点が語られている」
…と長谷川氏は語られているんですが、後年「大日本帝国」軍人として数々の対外戦争に出陣した多くの陸海軍人さんが直面した「捕虜」としての苦難の数々は、それこそ諸外国と初めて戦火を交えた極初期の頃から、既に始まっていたってことなんですかねえ
引用元: https://may.2chan.net/39/res/486938.htm
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コメント
不用心に接触しようとしたら、日本軍から反撃を受けて
あいつら白旗を囮に使う卑怯もんだ、これから日本軍は降伏しようが皆殺しだ
となったのはニューギニアかガタルカナルのどっちかだったような。
そういう意味では旭日旗は必要かと
降伏する時は何でもいいでしょうけど例えば映画遠すぎた橋の降伏を迫るシーンの時
つまり軍使の時の白旗はどうやって調達したんでしょうね
映画では即席っぽさが丸出しだった記憶
ギジェさんご健勝でなにより
日本軍兵士は捕虜の作法知らないから、法規では最低限の事しか喋らなくていいのにベラベラ喋ってまう
捕虜は恥で蔑まれるものだと思い込んでるので、手厚く扱われると感じ入ってベラベラと
日本軍の捕虜は、協力的か頑なかの二極だったそうな
国際法教えておけば避けられた悲劇もあったろうし、余計に機密も知られずに済んだかも
コーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』では、部下を連れて連合軍に投降するドイツ軍士官が「最後くらい見栄を張りたい」というので、士官が投降する時の慣例に則って、白ハンカチに自分のピストルを包んで投降する相手に渡すのをやりたいんだけど、それまでの激戦に次ぐ激戦で、部隊にハンカチどころかピストルすらないので、動ける隊員が総出でハンカチとピストルを探す話があったな。
陸上自衛隊も部隊によっては赤と白の手旗があるぞ
車両の誘導なんかに使っている
ソースは俺、うちの部隊がそうしているから
現代では捕虜になった際、尋問に対する模範解答の一つが「どんな質問に対しても認識番号を回答する」だったか。
そもそも捕虜への尋問によって得られる情報自体にどこまで信憑性があるかって問題があって、数が少ければ整合性を取るのが難しくなる。
尋問する側もされる側も工夫はするんだけど結局一番有用なのはデータや書類といった記録媒体の取得なんだとか。
> 現代では捕虜になった際、尋問に対する模範解答の一つが「どんな質問に対しても認識番号を回答する」だったか。
マクロスゼロで拷問を受けたシンがひたすら認識番号を呟いてるのは、模範解答に則った対応方法なんだなぁ。
「やつはなんて言ってたんだ?」
「こんなに手がきれいに洗えたよ!だろ?」
下関戦争の白旗は、やっぱりFUNDOSHIだったのかな…
こうなると日本兵は勝手に「命を救ってもらった(殺さないでいてくれた)」と恩を感じお返しとして情報を話してくれる』
なんて米軍の評価もあるくらいでして
本スレでも捕虜の傾向があるけど、他に古参の兵は捕虜を不名誉として反抗的だが、徴兵で連れてこられた新規の兵は死なずに済んだことを喜んだ、とのこと
なお初期に日本兵の捕虜が少なかったのはアメリカ側が皆殺しにしたからなんだけど、その理由が負傷者や死んだフリをして近づいたところを攻撃しようとする事例が多発したから、身の安全のためには殺しておくしかないという事情もあったり
各国の軍人の認識番号はたしか国連に通達されてて、捕虜となった際に番号と名前を照会して『この人物はれっきとした職業軍人でありゲリラなどでは無く条約に保護される権利をもつ』ことを証明するために必要だから、認識番号を伝えるのは捕虜自身の身の安全と権利のためにものすっごく重要なものなんですね
sas隊員の湾岸戦争従軍記のブラボーツーゼロでも認識番号言ってたね。
sasってばれないように二重の嘘ついて、皮まで見せる英国紳士ぶりもみれますよ
憎まれやすい
デルタフォースなんて公式には存在しない部隊だし
ブラックホークダウンなどのノンフィクションでは大っぴらにインタビュー受けてるけどね
アフガンではCIAの特殊部隊も活動してるが
軍の方針として投降兵の皆殺しはありえないけどね
現場兵の暴走は初期後期を問わずあったが
特殊部隊員、もしくはその家族がテロリストの標的になりかねないから個人情報は秘匿されとる
トランプがアフガン訪問した際、隊員との写真をツイートしちゃって問題になったな
あと白旗は降伏のために利用されるイメージが強いけど、冒頭の漫画「大砲とスタンプ」ではちゃんとこの後に軍使としての交渉をしていて好きw
この戦いに至る経緯も結果も速水 螺旋人先生の漫画らしく面白くも考えさせられる内容なのでみんな読もう!(ダイレクトマーケティング
降伏した後の捕虜の扱いといえば、狙撃手は敵の兵隊さんから恨みを買いやすいので捕まったら高い確率で殺される 的な話が「戦争における「人殺し」の心理学 」あたりであったのぅ
一方で軍医さんは比較的良い扱いを受けているイメージが多い、映画『ロンメル軍団を叩け』ではロンメルと英軍捕虜の軍医さんが切手の話で盛り上がっていたしw
ここら辺の取り扱いも軍の伝統や双方の教養で変わりそう、ドイツやイギリスは比較的教養人が多くて扱いは紳士的なイメージだけど、中国とかロシアとかはちょっとね・・・(´・ω・`)
彼の部下に捕虜になった者がおり、自警団に包囲されて「殺せー!、殺せー」と叫び続けて気を失い、水を飲まされてからまた「殺せー、殺せー」と叫び続けた。米軍に引き渡されてからも「殺せー!」は続いたが、日系二世の米兵から「アメリカ軍は捕虜を大切にするから、いくら叫んでも無駄だ」と言われて、初めて叫ぶのをやめた。
「捕虜を大切にする」のは何やら人道的なことかといえばさにあらず、捕虜は大切な情報源だから、殺すことはない。
この期間を過ぎてひとたび喋り出すと、何もかも洗いざらい話してしまう。そのことで有名になったある高級将校は、相手の観測機に乗って、日本軍の陣地や配備状況を空中でご進講になることも辞さなくなる。
こんな捕虜がいたんですな。そりゃ負けますよ。いくら極限状況とは言え、昨日まで隣にいた戦友や部下たちを裏切り、命の危険に晒すことになんの躊躇いもない、精神分析の対象になりそう。
実名を挙げて筆誅を食らわしてやりたいと思うのは私だけ?
イーデオーン
それって最近のイラク西部の基地のニュース?アフガンはそういうニュース見た記憶がなくて。
あと不確定情報で悪いけど、イラクのは特に問題のない写真をさも問題ありのように印象づけてるマスコミのフェイクニュースって指摘がどこかの2chまとめブログで書かれてたような。
捕虜の取扱いは現代だとPMCなんかの民間軍事会社の社員の身分保証はどうなるのかってイラクバブルの時に話題になってたような記憶が。んでもってアラブの春以降の内戦では捕虜の取扱なんてあってないような感じだしなあ…あれはゲリラ同士とかだからまあ仕方がない面もあるけど。あとはハイブリッド戦争でのグレーゾーン対処か。…なんか第二次世界大戦時よりややこしい状況になりそう
そういう兵士に育てた日本軍部に憤りは感じますけど、兵士個人にはいかないかな
同じ中国でも共産党は日本軍捕虜に対して厚遇し転向政策をとっていたので非常に手厚かったですよ
戦犯に対しても転向政策で、まあいわば洗脳と言えるものでありますが
wikiの撫順戦犯管理所に事例があります
まあ国共内戦時には暴力や脅迫などで無理矢理共産軍に強力させた事例もありますが
ドイツは…東欧やロシア戦線を見ると紳士とはいえない
ケダモノです
捕虜になった日本兵の中には長引く戦争で生活が困窮していってるのを身をもって味わった者もいたので、むしろアメリカを勝たせることで早期に戦争を終結させ平和を復活させようとする向きもあったという
むろん中にはさっさと国に帰りたいという意味でアメリカを勝たせようとした者もいたろう
こういうのは別に珍しいものでも無く、共産主義者から祖国を解放するためナチスに協力したロシア人や、イギリスから完全独立を果たすため日本に協力したインド人など枢軸側にも例がある
自分が置かれた状況に過剰に適応しようとする人はどの集団にもいますね。
その場の空気を読むことだけは得意で、言い換えればその場の空気に染まることでしか自己を確立できない。そういう人は集団に合致するために行動しているだけなので、客観的な規範や個人的な信念等のプライオリティは低い傾向にあると思います。
いわゆる「無能な働き者」の一種でしょうか。
私も一兵士に対しては憎しみなぞありません。捕虜になった場合の対処法なんぞ教育を受けていないのですから、ある意味仕方のないことかもしれない。自分が同じ環境に置かれた場合も自信がない。
ただ、件の高級将校は許せないんですよ。なぜ敵の観測機にまで同乗してまで、そこまで媚びる必要があるのか?同乗した米兵はこの佐官のことをさぞ軽蔑した眼差しで見ていたであろうと。
チェスと違って取った相手を味方として使える。
日本人は主人や恩義がある者に忠を尽くす、捕らえられて助けられた場合、忠を尽くす相手が変わってしまうから、今の主人に忠を尽くす為に死を選ぶし、死ねずに助けられたら、助けられた相手に忠を尽くすから結果裏切る事になるみたいな。
あくまでも一つの考え方だし、実際にどうかは定かではないけど、何となく納得出来る気もする。
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俺がいた頃はなかったわ…
「露に期待するな!捕虜になるならセルフアボンしろ!最後まで戦って弾一発残せ!」とは教わった。いまは世界を飛び回るから受けてるだろうけどね?どうかな?
あと、アメリカでも利用価値の無さそうな兵隊は飯のムダってことで即アボンだったと読んだことある。
自分の記憶だと、新教の前期でやってたはず。
ジュネーブ条約とかを、具体的にショートドラマ風にした教育ビデオを見たい記憶もある。
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