無題 Name 名無し 18/12/27(木)17:42:14  No.1263920

1545900134835
仮に実戦に間に合ったとして、どのような運用と活躍が期待できたのだろうか?

この程度なら紫電改で十分じゃね?と思うけど。
ファインモールド 1/48 日本海軍 局地戦闘機 烈風一一型 プラモデル FB12
ファインモールド(FineMolds)
売り上げランキング: 117,341

無題
Name 名無し 18/12/27(木)18:46:34  No.1263922
日本は戦車も100式短機関銃とか本当に遅すぎた配備が

無題
Name 名無し 18/12/27(木)18:54:47  No.1263923
戦後の米軍の調査でも指摘されてたけど
開発リソースに対して日本は機種多すぎる

無題
Name 名無し 18/12/27(木)19:17:58  No.1263926
>開発リソースに対して日本は機種多すぎる
アメリカ人エンジニアの倍くらい働いてそう…

無題
Name 名無し 18/12/27(木)19:07:24  No.1263924     
逆に言えば、まだ紫電改が(こちらは史実通りのタイムスケジュールとして)登場する前に間に合えばかなり高評価だったと思いますですよ
例えばまだ零戦でもパイロットの腕と機数が拮抗していて、連合軍相手になんとか互角の戦いが出来ていた昭和18年~19年初頭のラバウル防空戦あたりに投入出来ていて、機体の性能も予想通り出ていたなら、より高速で重武装という零戦の弱味を補える重戦として重宝されたでしょうし

ただまあ、夢のない事を言ってしまえば登場が遅れたのには遅れるだけの理由があっての事だったわけですから、その辺を無視して登場時期と機体の性能を好きなように設定できる事にしていいならば、大抵の機体には活躍の場を用意してあげられるんじゃあないでしょか…w

無題
Name 名無し 18/12/27(木)21:08:56  No.1263945
スレ画が開戦時に1万機あればあの戦争余裕で勝ってた

無題
Name 名無し 18/12/27(木)23:14:54  No.1263963     
1545920094201
>スレ画が開戦時に1万機あれば


太平洋戦争期中島飛行機の機体事業と生産能率
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/50/3/50_26/_pdf

交通科学博物館で見た「誉」発動機は極めて精緻で当時の技術で戦時量産は無理すぎると思った

無題
Name 名無し 18/12/27(木)21:17:29  No.1263947
水を差すようで悪いが、パイの技量と数がものをいいます。

末期に200や300機パイ付きであっても、総合空中戦でコルセアやベアにでやられるよ。

無題
Name 名無し 18/12/27(木)21:46:14  No.1263951
こんな図体のでかい戦闘機がグラマンやムスタング相手に軽快に格闘戦をしている姿が想像出来ないんだが。

無題
Name 名無し 18/12/27(木)22:04:49  No.1263952
>グラマンやムスタング相手
しかも終戦時格闘戦用のF8F載せた空母が出港してたとかじゃ
ダメ押しだろ

無題
Name 名無し 18/12/27(木)22:40:07  No.1263956
>水を差すようで悪いが、パイの技量と数がものをいいます。
当時の人口はアメリカは日本の1.4倍程度だったから、純粋に人間が足りなかったわけじゃなくて、優秀なパイロットをたくさん育てる教育システムが不足していたということなんだろうね。
「人材を育てる文化が弱い」という弱点は現代の日本でもあまり改善されてないような…。
 
>しかも終戦時格闘戦用のF8F載せた空母が出港してたとかじゃダメ押しだろ
1946には米軍はF8F、AD-1、P-51H、P-82、P-80が戦力化されてしまって、烈風や震電がどんなにがんばっても「もうアカン!」な状態になってたよね…。(´・ω・`)

無題
Name 名無し 18/12/27(木)23:25:28  No.1263965
>こんな図体のでかい戦闘機

図体はでかいけど軽いから
翼面積が同じくらい(30m²)のF6F-5に比べて1トン軽い

テストパイロットが零戦の再来とべた褒めして
空戦フラップを使えば零戦を凌ぐとまで評価されてる。
格闘戦になれば米機相手なら勝利は間違いない。
米軍機が応じるかどうかはともかく。

無題
Name 名無し 18/12/28(金)12:40:49  No.1264035
>テストパイロットが零戦の再来とべた褒めして
それ烈風改じゃね?
テスパイの小福田貢がノーマル烈風乗って翼面積過大で加速も旋回も平凡でいいとこ無しの判定してるし

無題
Name 名無し 18/12/28(金)22:16:45  No.1264161
>テスパイの小福田貢がノーマル烈風乗って翼面積過大で加速も旋回も平凡でいいとこ無しの判定してるし

そりゃ2000馬力でるはずの誉がベンチテストで1300馬力しかでないんだから当然だろう

無題
Name 名無し 18/12/28(金)22:37:45  No.1264164
>そりゃ2000馬力でるはずの誉がベンチテストで1300馬力しかでないんだから当然だろう
うん!烈風が凡作だから紫電改作れって海軍に厳命されたんだよね

無題
Name 名無し 18/12/28(金)22:57:22  No.1264170
あーわりぃ改は高高度型だったわ
試作機もらって翼切断やらエンジン換装してやっとだったな
もっとも量産機ならハ四三も一五〇〇馬力出たかどうか疑問と言われてるが

無題
Name 名無し 18/12/28(金)05:08:11  No.1264014 
>こんな図体のでかい戦闘機
零戦も出た当時パイロットからそう言われていたらしいね
食玩模型で比較した時、意外な大きさに堀越さんが軽量化に苦労したわけだ と思った

無題
Name 名無し 18/12/27(木)23:29:39  No.1263966
仮に日本がアメリカと同じぐらいの工業規模があったとしても、品質管理の点で可動機がどうなのかという問題があると思う
そうすると実際に動ける飛行機や機関銃はずっと少なくなってしまう
オイルシーリングなんかブファローでもちゃんとできてたけど日本はずっとこれに悩まされてたよね

モノを作ってそれがちゃんと動くように管理していくのが難しいわけで、そこに少ないリソースを徴兵で熟練工員をとられたり、ただでさえ安定しない品質のなかで従来以上に複雑な機体を次々開発したりで首が回らなくなっていったんだろうなあ

無題
Name 名無し 18/12/27(木)23:52:28  No.1263974
今作ってどうすんのって気はするんだが、現代の工作精度で誉エンジンを作って稼働させたらどれぐらいの性能出るか試してみたい気はする。

烈風搭載予定だった三菱エンジンは量産性はどうだったんだろうか。

無題
Name 名無し 18/12/28(金)00:05:44  No.1263977
>今作ってどうすんのって気はするんだが、現代の工作精度で誉エンジンを作って稼働させたらどれぐらいの性能出るか

素朴な疑問なんだけど動くのかな?
当然寸法を入力する必要があるけどそれがどこを基準にしてどれだけの範囲(公差)でとやるわけだけど、今と昔で寸法違うわけでしょ?
図面の段階からやりなおさないと干渉したりスッカスカになる気がする

図面を引きなおすにしても寸法や公差をいれるには設計思想があるわけで、当時の設計思想どおりのものが作れるか、別物になるか変わってくると思う

でも当時の設計思想をそのままトレースしてNCで加工してどれぐらいの性能が出るのかは見てみたいね

無題
Name 名無し 18/12/28(金)12:55:24  No.1264036     
https://cgi.2chan.net/f/src/1545969324503.jpg
>でも当時の設計思想をそのままトレースしてNCで加工してどれぐらいの性能が出るのかは見てみたいね


似た例挙げるとトヨタが1930年代の生産車のレプリカ作ったときは、工作精度が違いすぎて静粛性が向上したそうだ
あと、図面上に寸法の記載がなくて困ったんだと
現在のトヨタには「現物合わせ」の概念はないのかもしれない

無題
Name 名無し 18/12/28(金)07:17:11  No.1264019
でもこの機体をアメリカが徴収しなかったのが不思議だ。
他にも東海とか技術的には見るべきところのない機体をコパイとかで運んでいたけど、烈風は日本でスクラップなんでしょ。
見つけたときは日本機なんてもうレベルわかったからどうでもいいよという時期だったのかね。

無題
Name 名無し 18/12/28(金)07:21:31  No.1264020
記憶の思い付きで「東海」って書いたけど、ぐぐったらけっこう悲惨な運用だったんだな。


東海のような低速かつ貧弱な自衛武装の機体での対潜哨戒活動は極めて危険であり、敵戦闘機に遭遇した場合、反撃も逃げ切ることも出来ずただ餌食となるだけであった。このため、本機は運用の開始が昭和19年10月であったにも関わらず、終戦時までの短い期間に全生産機の半数以上が失われているなど、極めて高い損耗率を記録している。

無題
Name 名無し 18/12/28(金)13:07:40  No.1264037
http://daihonnei.wpblog.jp/failed‐work

ここでは烈風は2000馬力を発揮出来るエンジンを積んでも明らかに性能不足で、2200馬力エンジンで何とか体裁を保てるような失敗作だと言ってるね。

無題
Name 名無し 18/12/28(金)20:15:50  No.1264123     
1545995750789

>誉エンジン

「誉」の試作係長だった関口久一さんの回想によると、同エンジンが量産体制に入った頃、上司の人から

「工場で問題が起ってどうしようもない。出力も出ない。お前たちが試作したときにはあんなにうまくいったのに、量産になるとうまくいかない。お前たちがあまり丁寧にやりすぎたからだろう」

…なんて皮肉を言われたんだそうで

そこで関口さんら試作係のメンツが量産用部品一式を貰ってきて、改めて組み立てて試験を行った所、出来上がった「誉」はキチンと動いてスペック通りの性能を発揮したんですとか

無題
Name 名無し 18/12/28(金)20:17:28  No.1264124     
1545995848917

関口氏曰く

「つまり、ただいわれたことだけやっていたのではダメなのです。エンジンは一つひとつ部品もクセも違うし寸法精度のバラツキもあるのです。だから、いつも自分でいろいろ考え、そのエンジンに応じて工夫しながら臨機応変に組み立てていかなければならない。ときにはヤスリなどでちょっと削ったり磨いたりする手直しもしなければならないんです。とにかくあの頃は部品のバラツキがあって、品質も悪かったから、なおさらです」

…とのことで、要は設計ではなく、組み立てる人間のワザマエが量産エンジンの出来不出来に大きく影響するのだ…という事みたいなんですが、逆に言えば経験を積んだベテラン職人が一つ一つ細心の注意を払って組み上げないと予定の性能が出ないエンジンというわけですから、とにかく機体の大量生産が最優先となった戦争後半に、予定の出力が出ないぞぉ!というクレームが多くなったのはもう必然だったんではないでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 18/12/28(金)23:06:52  No.1264174
部品の材質や精度の悪化、組立ての拙さに輪をかけ日々質の低下する燃料を焚いて飛ばなきゃならん・・・
精緻な上に小型の「誉」を完調に保つのは厳しすぎた

小型と言えば90式戦車はレオパルドⅡ戦車の半分程度の排気量で同じ出力を捻り出しているが
あれも整備環境が厳しくなると大変なのかも

無題
Name 名無し 18/12/29(土)20:36:54  No.1264302     
1546083414363
堀越さんの手記に、「烈風」が失敗作と判定された後、他の「誉」発動機装備機の状況を調べてもらった結果、例えば額面性能で最高時速330ノット(611km)の「紫電改」でも、量産機では300ノット(555km)が精々であったことが判明した…なんてエピソードが有るんですが、同様の事は陸サンでもあったようで、4式戦「疾風」の試作一号機からテスト飛行を担当した吉沢鶴寿さんによると、

「はじめはほとんど問題ないように覚えていますね。エンジンの調子もいいもんですから、フル上昇もやるし、トップスピードもだすし、いろんな試験も順調に行きました」

「ですけれども、4号機かなんかで、量産型のエンジンをつけたんですね(略)それで試験したところが、筒温がベラぼうにあがった(略)それからはエンジンの試験が一年くらいつづきましたね」

無題
Name 名無し 18/12/29(土)20:39:11  No.1264303     
1546083551265
「それでも量産型のエンジンでは悪いところがでるというので、結局ブーストを下げて、馬力制限をしたんですね。そういうときには、また前の試作エンジンをもってきて飛んでみると、とてもいいんです。しまいには、試作と量産ではこれだけちがうのか、とあきらめちゃった」

「試作のとき百オクタン価を使ってやったんですけれども、高度8千メートルくらいで、640キロくらいだしましたね(略)量産だと580キロくらいのものだったでしょう」

…という有様であったんだそうで
試作機で640キロオーバーだった機体が、量産機では一割ほど下がって580キロ、という低下の割合が先の「紫電改」と同じ、というのがちょっと興味深い気がするんですが、結局「烈風」の試験飛行が行われた頃というのは、「誉」が不具合発生低減のために出力制限を掛けられていた上に、先行する同エンジン装備機の為の大量生産が進められ品質低下が進んでいた時期に重なるわけですから、「1300馬力しか出ていなかった」というのもしょうがなかったんじゃあないでしょうか

無題
Name 名無し 18/12/29(土)20:44:07  No.1264307      
1546083847163
ただまあ、逆に言えば、とにかく戦局が逼迫していた当時、陸海とも額面性能を実際には一割ほども下回っている「紫電改」や「疾風」の量産機を、仕方ないと割り切って生産していた、という事でもあるんですよね

従って、仮に「烈風」の試作機が実際より早い時期、まだ「誉」生産側が数を揃えるのに追われていない時期に完成して、「疾風」と同様、状態のイイ2000馬力を確実に出す「誉」で試験が行われ、試験飛行の最大速度が史実より一割増程度の330ノット前後に達していたならば、少なくとも「紫電改」と同程度になりますから、目標にはなお及ばないにしても、即「駄っ作機、開発打ち切り!」と判定されることなく、戦力化が続行された可能性もあったりしたんではないでしょうか

もっとも、その後やはり「疾風」「紫電改」と同様、量産機では性能が低下したでしょうから、その行く先は決して明るくないというか、茨の道になる気もしますケド…

無題
Name 名無し 18/12/29(土)20:54:48  No.1264308
戦況を持たせて量産にこぎ着けても東海地震が史実通り起きれば生産拠点が潰滅して詰む可能性が

無題
Name 名無し 18/12/30(日)18:49:13  No.1264416
飛行第47戦隊付「整備指揮小隊」

飛行第47戦隊付整備指揮班長刈谷正意中尉によれば、「油圧低下や燃圧振れはポンプ吸入側の空気吸い込みが主原因であるのに、これを修治せず放置するとエンジン内部故障になり」「誉は直ぐに故障する」となるが、それは「自己の怠慢を天下に公表しているようなもの」であると評した。「誉」の整備にも、特に「秘策はなく定時点検整備を、時間管理票に従ってマニュアルに少し手を加えて行う」ことにより「在隊稼働率100パーセントを維持(定数外大修理機を入れれば87パーセント)」を終戦まで維持したとのことである。

無題
Name 名無し 18/12/30(日)20:18:12  No.1264439     
1546168692905
>刈谷正意中尉

これも刈谷さんの回想記にある話なんですが、ある時飛行第47戦隊の「疾風」が相次いでプロペラ焼き付きで不時着を余儀なくされるという事態が発生し、刈谷整備隊の面々を大いに慌てさせたんだそうで

「松崎大尉が離陸、第一旋回でプロペラがピンと止まった。滑空着陸した機のプロペラにブラ下がっても、ビクともしない。焼き付きだ」

「続いて離陸したのも同様となった。そしてまたまた、計5機。私はただちに(略)油庫を調べた。全機、飛行停止は発令済である」

「『航空鉱油一二〇番』─見た事もないが、一二〇番なら大丈夫で、粘度も色相も変わったところはない」

無題
Name 名無し 18/12/30(日)20:21:54  No.1264442     
https://cgi.2chan.net/f/src/1546168914423.jpg
「これまではスタナボ、またはインターバーグリンバンド一二〇番を使用していたのである。ただちに飛行機で航空審査部へ飛んだ。調査の結果、これは再生油で粘度は十分であるが、高温における安定性が悪いと亘理少佐の言。これだ!私は心に叫んだ。残念ながら、輸入滑油を使用するほかない(略)航空軍兵器部に報告、キ84用として航空一二〇番は禁止とした」

「第四、第一小隊では、おかげで仕事にありつきテンヤワンヤ。が、夕刻までには元の稼働率を取り戻して、ホッと安堵の胸をなでおろしたのであった」

…との事
潤滑油一つとっても、下手な油を使うと御機嫌を損ねる「誉」ちゃんの気難しさが伝わってくるエピソードだと思うんですが、逆に戦前の上等な輸入滑油のストックが充分にない状態で「疾風」を運用せざるを得なくなったらどうなるか…って事を、示している話でもあるんでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 18/12/31(月)21:23:41  No.1264517
潤滑油は海軍でも戦前の優秀なモノが19年あたりで枯渇して~
というのがありましたね。

永遠のゼロの出光氏のエピソードでも
満州の機関車用に凍らない潤滑油がありましたね

無題
Name 名無し 19/01/01(火)00:39:25  No.1264527
>永遠のゼロの出光氏のエピソードでも
「海賊とよばれた男」じゃまいか?

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1263920.htm

スーパー・ゼロ戦「烈風」図鑑―A7M&まぼろしの海軍戦闘機