米機動部隊の“神の盾”~日本航空部隊の黄昏

文:烈風改



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■航空攻撃威力の減衰

 昭和17年のミッドウェー海戦や南太平洋海戦では日本側攻撃隊は被害も多いのですが一定の戦果を上げており、米正規空母の撃沈へと繋がっています。しかし昭和18年以降、対機動部隊戦闘の様相は全く異なる局面へと転化してゆきました。

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 昭和18年11月11日の第三次ボーゲンビル島沖航空戦は、ほぼ一年前の昭和17年10月26日の南太平洋海戦、一航戦攻撃隊による第一次攻撃と彼我の戦力が近似しているため、ここでは対米機動部隊戦の様相の変移を確認するために出撃機数と戦果、被害を比較してみます。

・南太平洋海戦の一航戦第一次攻撃:日本側が12機の零戦で約40機の艦爆・艦攻隊を護衛したのに対し米側は約40機で邀撃。

・第三次ボーゲンビル島沖航空戦:日本側が34機の零戦で約40機の艦爆・艦攻隊を護衛し米側は約90機の戦闘機で邀撃。

 この結果、南太平洋海戦で日本側は艦爆・艦攻隊に8割の損害を受けたものの爆弾命中3発、魚雷命中2発の戦果を上げた(体当たり除く)のに対し、第三次ボーゲンビル島沖航空戦では9割近くの損害を受け、戦果はほぼゼロとなっています。

 彼我共に戦闘機の数が増えており、護衛・邀撃共に戦闘機数の重要性が認識されていることが伺え、日本側の被害のパーセンテージはさほど変化が無いように見えますが、最大の相違点は日本側の戦果が全く上がらなくなった点でしょう。これは日本側の攻/爆撃機が攻撃地点に到達できていなかった(撃墜されるか、攻撃をまともに行えなかった)ことを暗示しています。

 それをもたらした米軍の新戦術には、昭和18年1月から導入された対空砲の近接信管(VT信管)導入や迎撃システムの端末である戦闘機の更新(F4F→F6F)が考えられますが、決定的だったのは米海軍の戦闘機誘導システムの精度向上だったと思われます。その性能向上の最も大きな要素と考えられるのが、第三次ボーゲンビル島沖航空戦の直前に空母バンカーヒルへ装備された全自動追尾レーダーシステム“SM”の存在でした。

 南太平洋海戦の時点でも米海軍は空母上から邀撃戦闘機のレーダー無線誘導を行っていましたが、その能力は一年間で大幅な変貌を遂げていたのです。


■レーダーと戦闘機誘導システム

 昭和15年9月からMIT Radiation Laboratory(放射波研究所)で開発が開始された自動追尾マイクロ波レーダーシステムのSCR-584は1950年代に西側で使用された主要対空射撃システムの原型と言えるもので、サーボ機構によって対象の近距離自動追尾を実現した先進的なものでした。これを海軍向けとした試作機CXBLが昭和18年の3月に空母レキシントンへ試験搭載され、10月には量産型のSMが空母エンタープライズと前述のバンカーヒルに搭載されました。

 このSMの登場によって米空母の半径60㎞以内は米空母内のCIC(戦闘指揮所)で三次元的に可視化され、IFF(敵味方識別装置)との組み合わせにより精細な敵機の位置解析と味方機の誘導がコンソール上で把握可能となりました。

 SMレーダーはその指向性の高さからレンジが狭いという弱点はありましたが、先行して配備が始まっていたSKレーダーを捜索用として組み合わせることで、索敵と捕捉をシームレスに行うことが可能でした。またSKレーダーは前年まで配備されていたSCレーダーに対して探知距離がほぼ倍に伸びており、味方機誘導のリードタイムも拡大されていました。

 SMレーダーシステムは従来のレーダーよりも方位と高度を正確に測定出来るため、ただ単に上空の戦闘機部隊に日本側攻撃機の位置を知らせるのではなく、日本機を襲撃するベストなポイントへの誘導が可能でした。FDA(戦闘指揮管制)運用の改善等もあり、米海軍の邀撃スキルは前年とは比較にならない程効率化されていたのです。

 よく戦記などで「攻撃隊は莫大な数のF6Fの網によって押し切られた」的な表現をされる場合もありますが、実際には少数のF6Fが的確な誘導で効率良く日本攻撃隊を逐次迎撃している場合も見られ、日本側搭乗員の回想に散見される「不意に上空から現れた新手のF6Fにより…」という状況は、それを如実に示しています。

 この結果、日本攻撃隊は米艦隊からの距離140㎞で探知され、60㎞以降の地点で優位な態勢の米戦闘機から連続的に邀撃を受けることとなり、攻撃どころか接近も困難な状況に陥りました。
(昭和20年2月の関東迎撃戦や3月の呉軍港空襲で米機動部隊の空襲に対し、日本戦闘機部隊がある程度互角に戦えたのはこのような米軍側の誘導管制が及ばなかった点も大きかったと思われます)

 また米海軍はレーダー搭載した巡洋艦等で臨時“戦闘機誘導艦”を上陸支援等にも活用しており、昭和18年末以降の日本攻撃隊は米艦隊付近での行動に大きなハンデを背負った戦いを強要されることになったのです。


■特攻への梯段

 このため、日本攻撃隊の昭和18年11月以降の米機動部隊に対する戦果は、雲間に隠れた機体が奇襲的に攻撃を成功させたものや、戦闘機の妨害が少ない夜間攻撃によるものに限定されて行きます。

 米海軍の戦闘機邀撃システムを成立させていたのは、レーダー技術以前の米戦闘機と艦の連携を保障した信頼性の高い無線通話や、敵味方識別装置等の周辺装備の充実が有り、それを突き崩すことは甚だ困難でした。

 一番効果的と想像できるのは電子的な妨害で、日本側もマリアナ沖海戦では電子欺瞞紙を撒くなどの対抗策を導入してはいますが、効果は限定的なものに留まりました。

 日本海軍も米戦闘機の妨害が激しくなった点は認識していましたが、マリアナ沖海戦で100機を越える規模の攻撃隊がほぼ完封されるに至り、戦闘機の行動が制限される夜間攻撃や悪天候時を狙った部隊編成(T部隊)へとシフトしていきます。

 しかし、夜間や悪天候時には当然攻撃も容易ではなく、さらに大きな問題として戦果の確認が著しく困難となった点が挙げられます。この結果として台湾沖航空戦では、大きな戦果誤認が生じることとなり、日本海軍はより確実な攻撃成功率の向上手段として“特攻”に手を染めることとなります。

<著者紹介>
烈風改
帝国海軍の軍艦、特に航空母艦についての同人誌を多数発行。
代表作に『航空母艦緊急増勢計画』
Twitter: https://twitter.com/RX2662

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