無題 Name 名無し 18/09/01(土)00:16:29  No.1252591

フジミ模型 1/350 特シリーズ No.15 日本陸軍潜航輸送艇 まるゆ1001号艇 プラモデル 特15
日本軍の輸送艦スレなんてどうでしょうか?
どれもこれも悲惨な結末ばかりでしょうが…
画像は実際のところ小さい潜水艦でどの程度の輸送能力があったのかすごい疑問なところですな

無題
Name 名無し 18/09/01(土)01:05:07  No.1252598     
https://cgi.2chan.net/f/src/1535731507074.jpg
二等輸送艦はカッコいい
様式美を感じる

太平洋戦争中の死亡率は海運・水産業の船員で推計43%
海軍が16%陸軍が23%で
民間人の死亡率の方が突出していて守れていなかったと言われるが

軍人という括りの中から前線で戦っていた兵士と限定し比べた場合の死亡率ってのはどうなんだろう?

あの戦争で軍人になったほうが生き残れる確率があるなんておかしいと思うんだが

無題
Name 名無し 18/09/01(土)01:10:12  No.1252600     
1535731812982
水上航行の船舶じゃ沈められるし運良く目的地到着しても
標準的なサイズ(5000t前後)の船舶だと3日程度はかかる揚陸作業中を襲われるんじゃ
雀の涙な輸送量だろうとこっそり届けられてこっそり荷揚げできるだけマシ
負け戦の中の応急兵器にすぎんけども

まるゆの24tに対し60tの搭載力ある潜輸小型が最初からあったら
伊号や呂号を不向きな輸送任務に用いる必要もなく重宝したはず

無題
Name 名無し 18/09/01(土)07:54:56  No.1252642
トラック空襲などの時、退避せずにむざむざ港内で殺られたって言うけど、船員にしてみれば機動部隊が攻撃に来てる様な海に鈍足でノコノコ出て行っても、溺死かサメの餌が関の山。
港内で沈んだほうが遥かに望みがあるってんで、出港したがらなかった話があって、言われてみりゃそりゃそうだと思ったな。
貧すれば鈍すると言うのかねえ。

無題
Name 名無し 18/09/04(火)03:02:28  No.1252982
まるゆも潜輸や小もだけど、荷下ろしするための機材とかあったんだろうか
艦内から小さなハッチを通して全部完全人力手動?

無題
Name 名無し 18/09/05(水)18:23:47  No.1253107      
1536139427947
「まるゆ」ですと艦橋を挟んだ船体の前後に船倉があって、その天井部分にハッチが設けられているんですが、特に荷揚げ用の設備等は無かったようですなあ

戦中、八丈島へ物資輸送の任に就いた「まるゆ」乗員さんによると、荷物の受け渡しは海上で

「会合水域に到達すると、島陰から大発がやって来る。ゴム袋に入れたコメを艇から渡す、または状況によっては海に流して拾い上げてもらう」

…そうなんですが、一応後期型では積載量の増加や荷揚げ効率改善の為の設計変更が多少あり

「甲板倉の上面を取外式揚蓋へ改装、船側に所用のリンクを備えた」

…りもしているそうです

無題
Name 名無し 18/09/05(水)18:24:30  No.1253108      
1536139470485
一方海軍サンの方の輸送潜水艦なんですが、1944年12月に「伊366潜」でパガン島への輸送作戦に従事された同艦乗組員の池田勝武さんの手記によると

「食料・弾薬を51トン積んでいたのですが、パガン島の守備隊が大発を4、5ハイ寄せて来ました(略)もともとが輸送用に造られていますから、荷物はベルトコンベアでどんどん流れてきて、それを積み込むんですが、兵隊はやせ細っていて、25キロの米袋を担いでよろめくんです。4時間ほどで荷揚げを終えて、陸軍飛行機乗員やら病人など49人を乗艦させて、すぐ出港しました」

「第2回の出撃は1月30日(昭和20年)で、菊水の旗をなびかせて出港しました。行き先はトラック島とメレヨン島です。二カ所ですから、魚雷を外して前回の倍の百トンの荷物を積んだのです。もう、14センチ砲と25ミリ機銃2挺しかないんですから、敵に遇ったらとにかく逃げろということですね」

無題
Name 名無し 18/09/05(水)18:24:52  No.1253109     
青島文化教材社 1/350アイアンクラッド<鋼鉄艦>日本海軍丁型潜水艦伊365
「12日にトラック島へ着きましたが、いや、湾内は惨憺たる状況でした。たくさんの軍艦や輸送船が腹を向け、艦首を海底に突っ込み、横倒しになっていましてね(略)それでも昼間に浮上して荷揚げしたのです。『2、3日休養されてはどうか』という親切な申し出があったのですが、艦長は丁重にお断りして『明朝向かいます』と答えておられた。」

「漁船のアブラもないということだったので、艦長が少し分けてあげたら、たいそう喜んで、夕刻には早速、たる3杯分の魚が届きましたよ。その夜は非番だったので、内緒で刺し身をちょうだいして、よく眠ったものです」

「メレヨン島まではまる3日でしたね。13日の早朝出港して、16日早朝に着いたのです。あの島は海抜3メートルほどしかないんだそうですね。艦橋から眺めると、空襲でやられて大部分が枯れ木のまま立っている」

無題
Name 名無し 18/09/05(水)18:25:58  No.1253110     
ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 潜水艦 伊-361/伊-171 プラモデル 433
「夕方から始まった陸揚げ作業には兵隊が手伝ったのですが、みんなやせ細っていて、話にならないんです。陸軍のほかに海軍もいましたが、荷物を受け取りに海軍の船がくると、われわれは海軍だ、陸軍の船には積むななんてことを言うんです」

「80トンの食料、弾薬などの陸揚げを3時間で終わって、内地送還者を42名乗せてすぐ出港です。出てから点呼をとってみたら43名いたんですね。脱走者が1人いたわけです。艦長は書類の二の上に一と一本引いて、黙って横須賀に降ろしたんです」

…との事で、いかにも輸送潜水艦らしいエピソードに溢れているんですが、実際にはコレが輸送潜水艦としては最後のオシゴトとなり、呉に回航された「伊366潜」は「回天」母艦としての改装を受け、折角の荷揚げ機械も取り外され、45年8月に搭載「回天」による米輸船団襲撃を実施した帰途、終戦を迎えているそうです

無題
Name 名無し 18/09/05(水)18:26:44  No.1253111     
768px-Nakanoshima-Mitsui-Building_in_201407_002
wikipedia 作者 Mc681


因みに「伊366潜」などの丁型潜水艦独自の装備たる荷揚げ用機械、当時大阪の鶴見に工場を構えていた「椿本チヱィン製作所」製のチェーン利用のコンベアであったそうなんですが、同社は今も「株式会社椿本チエイン」として健在で、

「産業用チェーンでは世界シェア1位を誇り、生産ラインを担うコンベヤ用や船舶エンジン用、産業機械用、エスカレーター用など多種多様に幅広い用途で使われるチェーンを製造。動力ある所"つばき"あり。と言われている。」

…んですとか


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E6%9C%AC%E3%83%81%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%B3

国産自動車のエンジンの大半にタイミングチェーンを供給している大企業ですので、日頃の生活や職場で同社の製品に馴染みの深い方もさぞ多いと思うんですけれどw
かつての日本海軍もその恩恵を受けたユーザーの一つだった、というお話みたいですなあ

無題
Name 名無し 18/09/06(木)10:46:27  No.1253152
まるゆなんかはコンセプト的にいかに安く(簡単に)大量生産するか、って
設計だし余り余計なものは付けてもらえなさそう

船体自体も確か普通の町工場で作れるレベルなんだっけ?

無題
Name 名無し 18/09/07(金)03:55:01  No.1253196
配管の材料とかも特殊鋼?でなくてできるだけ普通のガス管とか流用したとか聞いたことが…
それでも一応運用出来るものが出来たのは逆に大したものだったのかもしんない

無題
Name 名無し 18/09/07(金)20:44:09  No.1253243      
1536320649884
朝日選書の「町工場」に、戦中「まるゆ」を建造した月島にあった安藤鉄工所という中小企業の話が紹介されているんですが、

「安藤鉄工所も1944年に軍需会社の指定を受けた(略)軍は(略)制海空権を失った戦地に人員、物資を運びこむための輸送潜航艇の試作(ママ)を安藤鉄工所に命じた」

「試作即完成品製作で、しかも1カ月10隻の速さで建造しろと命令した(略)潜航艇建造の経験など全くなかったけれども、否も応もない。設備の増設、人員の増強、日に夜を継いでの突貫工事が続けられた。その間の状況を安藤は次のように語っている」

「『極秘工場の指令の下に、輸送潜航艇建造は進められたが、どう企画しての月産10隻は無理であって、工場の大拡張と大増員をしても月産2隻が漸くであろうと決定した」

無題
Name 名無し 18/09/07(金)20:47:54  No.1253244      
1536320874934
「それにしても工場の拡張は必要であったので予算250万円を以って、造船台と造機の増設、造船部隣接の地所2千4百坪の買い入れ其他に充てた。これで、我が安鉄は本社工場、造船部を併せて実に1万2千坪の敷地を持つことになったのである」

「軍監理官は詰め切りで製造を監督した。従業員は徴用工300名、学徒250名の上に、暁部隊から約100名、第1陸軍造兵廠から200名の直接応援隊が派遣せられ、本工員とでその総数、本社、造船を合わせて実に1千名となった。本社工場では他の民間注文品と軍需品とを併せて生産して居たが、安鉄全能力の7割までが輸送潜航艇に集中された。而し、これ迄に安鉄の熟練技術者、工員の内、百名近くも出征者があって、指導員の不足と素人ばかりで、工程は思うように進行しなかった」

「その上工場拡張と造船台の建設と機械の据付をやり乍らの生産作業であったことも、作業の進捗しなかった原因の一つであった」

無題
Name 名無し 18/09/07(金)20:48:40  No.1253245     
1536320920376
「元より凡ての資材は軍支給であったが、如何に軍の命令でも思うように資材は集まらなかった。而し、軍は戦況の緊迫化に伴い、あせりにあせって、しきりに進水を急ぐけれども、自分たちにとっては始めて作る潜航艇である。そうやすやすと思うように出来る訳がない。而し苦心の結果昭和19年の末に1隻、昭和20年3月に1隻が漸く浸水し、更に、20年の8月に今1隻が進水準備中、其他は皆半製品のまま終戦を迎えて仕舞った」

…んですとか

当時の生産現場の様子がよく伝わってくる感じではあるんですが、ある意味生産の現場から前線での運用にいたるまで、機械力というより寧ろ多くの人手の投入によるマンパワーの集中が「まるゆ」を支えていた…ってことなんですかねえ

無題
Name 名無し 18/09/07(金)21:11:26  No.1253248
>而し、これ迄に安鉄の熟練技術者、工員の内、百名近くも出征者があって、指導員の不足と素人ばかりで、工程は思うように進行しなかった」
戦時中の日本批判でよくある「精密加工できる熟練工を一兵士として戦地に送り出し
素人の徴用工で埋め合わせて生産能力を自分で削いでいった」というのがここでもあったのね…

無題
Name 名無し 18/09/08(土)00:26:03  No.1253268
>No.1253244
>No.1253245
その画像は敗戦後に米海軍に接収されて撮られたやつだけど、そんな感じで帝国陸軍のまるゆ潜水試験に帝国海軍が冷やかしに来てた時だっけ

無事潜って万歳三唱してる陸軍関係者の横で海軍が『あいつら、沈させやがった!?』って大慌てで救助要員掻き集めようとしかけたのって?w

無題
Name 名無し 18/09/08(土)11:23:01  No.1253322
>「まるゆ」ですと艦橋を挟んだ船体の前後に船倉があって、その天井部分にハッチが設けられて
>いるんですが、特に荷揚げ用の設備等は無かったようですなあ
ありがとうございます。
それこそウインチの取り付け具とかの荷上げの工夫位は最初から欲しかったねえ…

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:23:10  No.1253349      
https://cgi.2chan.net/f/src/1536402190522.jpg
ミルヒクーの記録映像では搬入出に単純な滑車とロープとおぼしき装置使ってた
狭いハッチで1梱30~50㎏の荷物をバケツリレー式は非合理的だし日本のもなんかしら使ってはいたんでない

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:28:46  No.1253351      
1536402526062
瀬間喬さんの「日本海軍食生活史話」にも、陸サンの「まるゆ」の思い出に関する記述が有るんですが、曰く

「ある日、佐世保港に陸軍の潜水艦が入港したとて一人の陸軍将校がやってきて『潜水艦糧食を分けてください』という。筆者は陸軍に潜水艦があるなど全くの初耳であったので興味本位が大部分であったが『とにかく、見せてください』といって見せてもらった。長靴をはいた軍服姿の将校の姿が見えた。艦内はガランドウだったように記憶している。この部分に糧食を塔載し潜航して輸送するのであろう」

…との事

瀬間さんは海軍主計中佐、かつて潜水艦糧食研究のための伊号潜水艦への乗組経験も有りますので、それに比すれば遥かに小型でシンプルな「まるゆ」の構造は物珍しく見えたんじゃあないでしょかね…w

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:46:26  No.1253352      
1536403586915
因みに瀬間さんが海軍側の輸送潜水艦について、簡潔に述べている所を引かせて頂きますと

「海軍においてはガダルカナルの補給以来、輸送専門の潜水艦の建造の必要を痛感し、潜輸大(丁361~373)を建造した。艦内塔載物件は75屯であるが、372潜は95屯、373潜は100屯を塔載した。当初発射管2基を持ったものもあったが、後に撤去し、後で建造されたものは発射管なしであった。この潜輸大は艦内からエスカレータかベルトコンベヤーのようなものを出し、急速に艦内の補給品を揚陸できた。また、最初にシュノーケルを着けたのは本艦型であった」

「また、潜輸小(搭載量60屯)という小型の輸送潜水艦を建造し、横須賀で補給品を塔載し、20年6月から7月にかけ、小笠原、南鳥島、沖鳥島島に補給した」

…そうなんですが、この内の「潜輸小(波100型)」の乗組員だった山県信治さんという方の手記によりますと

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:54:13  No.1253353      
1536404053973
「陸軍の小型潜水艦が役に立たず、海軍で小型輸送潜水艦12隻建造の計画と聞き、19年8月末神戸川崎造船所に着任した」

「波百型艦は約2週間の行動能力で物資60屯を輸送可能であった。定員は21名で、主な要目等は次の通りであった」

・全長 44.5メートル 排水量(常備)429屯 機関 中速400馬力 電池120基(略)
・その他 短波マスト1 25粍単基機銃1 八木式レーダー、逆探、潜望鏡各1(略)
「2番ハッチに揚貨装置があり1番ハッチは径1米であった」

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:56:20  No.1253354      
1536404180709
「11月22日竣工し11潜戦に編入の上、基礎訓練・能力試験(略)後20年2月上旬横須賀に回航、7潜戦(略)に編入された。小笠原方面の輸送に使用の予定であったが、11日硫黄島に敵が上陸し同方面の敵状及び艦の能力から輸送は中止され浦賀水道や東京湾で訓練中(略)波109に転勤した。なお能力試験では浮上から20屯の糧食をあげ潜入までの時間は45分であった」

「(波)101は6月苦労の末南鳥島の輸送に成功した。在島の陸軍はそれまでは米が2~3粒入った粥で命をつないでいたのが波101のお陰で助かったと今でも感謝されているそうだ」

「波109は第10特攻戦隊(司令部大分航空隊)に属し、第101突撃隊(蛟竜12隻)の母艦担当で佐伯湾内の松浦で敵の南九州上陸に備え待機中終戦になった」

無題
Name 名無し 18/09/08(土)19:57:40  No.1253355      
1536404260702
「24日朝呉入港(略)10月中旬在呉潜水艦は3群に分れ、波号(略)は佐世保に向った」

「20日過ぎ夷湾に入港した。21年3月30日、港内の狭い庵湾に全艦集合し、4月1日早朝潜望鏡等に桜花を飾って出港、単縦陣でLSTに続行(略)1000頃長崎沖付近で一斉に停止(略)前部兵員室機械室に褐色の寒天状の火薬を30本位山積みにした。LSTに移乗させられた時、一大音響と共に爆煙が昇り、それが消滅した時には艦影は消えていた。帝国潜水艦の最後は感慨無量であった」

…んですとか

「まるゆ」のライバル格にあたる潜輸小も、結局多くが十分な働きを示すことなく短い生涯を終えた、という事みたいなんですが、それでも幾らかの離島の飢えた兵隊さんを救い得たというのは、あるいはIJN潜水艦隊の掉尾を飾るに値する「戦果」ではあったかもしれないですなあ

無題
Name 名無し 18/09/09(日)10:52:59  No.1253441
日本潜水艦乗りの戦記読んでると輸送作戦の話はよく出てくるけど、当たり前だけど現地では大歓迎されるんだよな

陸軍の武装大発が潜水艦の身代わりに魚雷艇と戦って入港させたり…

無題
Name 名無し 18/09/09(日)10:53:11  No.1253442
>桜花を飾って出港、単縦陣でLSTに続行(略)1000頃長崎沖付近で一斉に停止(略)
>前部兵員室機械褐色の寒天状の火薬を30本位山積みにした
>一大音響と共に爆煙が昇り、それが消滅した時には艦影は消えていた

終戦から時間がたっていますね
情報隠匿でなく米国の許可を貰い自沈処分って事でしょうか?
輸送専用なのに船が足りない状況でも処分してしまうって事は制空権が関係無い状況では、浮上して使用しても効率が悪く焼け石に水な発想だったって証明でもありますよね

これにつぎ込むリソースでなにか他の方法は無かったんだろうか・・・
(ダンケルクのようにLSTを増産し一旦、本土へ兵を撤収するとか)

無題
Name 名無し 18/09/09(日)11:28:31  No.1253446     
1536460111767
>これにつぎ込むリソースでなにか他の方法は無かったんだろうか・・・

>(ダンケルクのようにLSTを増産し一旦、本土へ兵を撤収するとか)
「ドーモ、日本海軍=サン。シップスレイヤーデス。」

無題
Name 名無し 18/09/10(月)06:15:44  No.1253545
>(ダンケルクのようにLSTを増産し一旦、本土へ兵を撤収するとか)

ドーバー海峡と太平洋を同一視するとかナンセンスすぎる

無題
Name 名無し 18/09/09(日)20:37:37  No.1253517      
長崎県五島列島沖で海没処分された潜水艦24隻については、最大の「イ402」を含めて、海中調査で各沈艦の艦名が特定される度にニュースになってたりしますですねえ

http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/h27/k20150807/k150807-1.pdf

この中に「潜輸小」各艦と共に「潜輸大」である「伊366」「伊367」の2隻も有るんですが、本来この中に更にもう1隻、「伊363」が加わっている筈であったんだそうで

その「伊363」の艦長だった荒木浅吉さんの回想によりますと、

「私は伊363艦長として昭和19年10月9日メレヨン島輸送作戦のため横須賀を出港した。」

「当時戦場は比島方面に発展し、同島は皮肉にも米軍の艦船が作戦又は補給のため陸続として往復する海上交通線に近かった」

無題
Name 名無し 18/09/09(日)20:38:44  No.1253518      
1536493124339
「出撃前、私は日吉の連合艦隊司令部を訪れ、大和田通信隊が通信諜報で作成した米海軍ミッドウェー基地等からの正確な航空哨戒図を入手した。今度は敵に会わないのが主眼である。この哨戒計画は実に正確なもので、哨戒機との遭遇予定時刻前に潜航し、時々潜望鏡で出現を予期される水平線付近を監視していると、判で押したように現れては帰って行った。そのためこの行動中は全く敵に姿を見せることがなかった。」

「メレヨン島に着いたのは10月28日夜であった。元気なものが選ばれて食料を受取りに来たということであったが、暗い甲板を這って、こぼれた一粒一粒の米を探す姿は、眼をそむけさせるものがあった。やがて甲板に揚げられてきた重症患者はいずれも栄養失調で、まさに骸骨に皮を被せただけの恐ろしくも悲惨な姿である」

無題
Name 名無し 18/09/09(日)20:39:41  No.1253519      
1536493181055
「ここで、我々を深く感動させたのはその中で一人の兵士が『潜水艦では野菜類が少ないと聞いていたのでお礼に差し上げたい』といって自分で作った大根を持ってきたことであった。珊瑚礁のやせ土で育てた細いたった一本の大根ではあるが、島では生命を賭けるに値する貴重なものであったかも知れない」

「感激した乗員は、帰途に必要な最少限の食糧を残し、個人個人の嗜好品までも供出してこれにこたえた。戦後発表された中野嘉一氏の日誌によれば

『朝夕水のような粥、昼薯の食事が、10月31日夕食は豪華版で、シチュー、昆布煮牛肉、お頭づき魚、福神漬米山盛で満腹』
『11月13日潜水艦からの角砂糖、羊かん、蟻の如くなめた。全く嬉しかった』

とある」

無題
Name 名無し 18/09/09(日)20:40:31  No.1253520      
1536493231352
「内地に寄港し、11月30日横須賀港外で単独訓練中、私は不覚にも(略)骨折し、木原艦長と交代した。伊363はその後南鳥島輸送、沖縄戦轟隊として回天作戦に従事した後、無事終戦を迎え、私としても精神的な負担から解放された思いをしていた」

「ところが呉在泊中の潜水艦は急に米軍の指示により佐世保に集合することになった。伊363潜は僚艦と10月27日呉発、29日九州東岸を一戦速で南下しつつあった(略)宮崎県広瀬村沖十浬にさしかかった1240頃、突如環境後部に爆発音が轟き(※触雷)、瞬時に浸水(略)約三分で艦首を揚げながら水中に没した(略)陸岸に漂着して救助されたのは(略)一名だけであった」

…そうです

「潜輸大」の多くが輸送任務、或は「回天」母艦としての作戦中に失われる中で生き残った「伊363」としては、ちょっと不運な最期であったみたいですねえ…

無題
Name 名無し 18/09/09(日)21:38:33  No.1253526
>29日九州東岸を一戦速で南下しつつあった(略)宮崎県広瀬村沖十浬にさし
>かかった1240頃、突如環境後部に爆発音が轟き(※触雷)
佐世保に行くのにわざわざ九州をほぼ一周するルートをとったのは
もう関門海峡が通れないレベルで機雷をばら蒔かれてたんだろうか

無題
Name 名無し 18/09/09(日)21:53:12  No.1253528     
https://cgi.2chan.net/f/src/1536497592847.jpg
関門海峡突破無理ゲーだわ・・・
海軍解体後も海自時代までずっと掃海続けざるを得ないのもわかる

無題
Name 名無し 18/09/09(日)22:22:17 No.1253532
>関門海峡突破無理ゲーだわ・・・
飢餓作戦ってやつかスゲー密度だな

無題
Name 名無し 18/09/10(月)09:19:26  No.1253556
パナマ運河を塞ぎたくなるのも無理はないな

無題
Name 名無し 18/09/10(月)18:56:08  No.1253579
https://cgi.2chan.net/f/src/1536573368576.png
機雷のヤラシイ所は直接的な威力もさることながら、敷設が予期される海域ってだけで否応なく多大な労力が必要になりますから、場合に依ってはかなり大きな影響を与える所なんですよね

大岡昇平せンせいの「レイテ戦記」にもそんなエピソードが紹介されていまして、舞台はレイテ西岸のオルモック湾とそこに面するカモテス海、レイテ島増援の為のいわゆる「多号作戦」を巡って日米が陸海で激戦を繰り広げた所なんですが、「レイテ戦記」に曰く

「カモテス海にはもっと早く米駆逐艦が出現してもよいはずであった。オルモック湾へ入港する艦船に対し、空中からの攻撃よりも有効確実な近接攻撃が行えることは間違いないのだが、米海軍の実施がおくれたのには、理由があった」

無題
Name 名無し 18/09/10(月)18:57:09  No.1253582
https://cgi.2chan.net/f/src/1536573429262.png
「レイテ湾にある米駆逐艦がカモテス海に入るには、レイテ島の南を廻るほかはないが、島の西側の足(半島)とボホール島との間には東西60キロにわたる大岩礁があり、その間のカニガオ水路は幅員2キロしかない。これは機雷封鎖されている、と米軍では信じていた」

「レイテ湾口に機雷が敷設されており、上陸作戦中駆逐艦1隻が損傷した結果、そう推測したのだが、実際はフィリピン海域で、米軍の考える意味で機雷封鎖されていたのは、海軍基地のあるセブ市付近の水域だけであった。米軍は日本海軍を買いかぶっていたのであった」

「従って魚雷艇より(※大型の艦艇を)カモテス海に送らなかったのだが、次第に日本海軍の護衛隊の駆逐艦に追い払われるようになった。日本の駆逐艦と対抗するためには、米軍も駆逐艦を送る必要が生じたのである」

無題
Name 名無し 18/09/10(月)18:59:17  No.1253584
https://cgi.2chan.net/f/src/1536573557589.png
「一方(※IJA)14方面軍ではカニガオ水路は機雷封鎖してある、と(※IJN)南西方面艦隊から通報を受け、オルモック港は安全であると思いこんでいたという。太平洋戦争の過程の随所に現れる陸海軍の不一致、不協和の1例であるが、わざわざうそを通報する必要はあるまい。恐らく連絡会議の席上、方面軍が『封鎖してあるのでしょうね』と念を押したのに対し、海軍としては体面上していないとはいえず、肯定的な返事をしてしまった、という経過だったろう、と想像される」

「とにかく水路は11月27日、2隻の掃海艇によってはじめて掃海され、米駆逐艦『ウォーラー』『ソーフレー』『レンシャウ』『プリングル』4隻より成る第22水雷戦隊が、同夜はじめてカモテス海に入った。任務はオルモックの艦砲射撃とカモテス海上の敵船撃破である」

「艦隊が(※陸上への)射撃を終わってポンソン島の北を西へ廻ろうとした時、上空哨戒中のカタリーナ夜間哨戒飛行艇から、1隻の潜水艦が浮上接近中との通報を受けた」

「0127『ウォーラー』のレーダーが目標を捉えた。3分後3隻の駆逐艦が砲火を開いた」

無題
Name 名無し 18/09/10(月)19:13:03  No.1253587
https://cgi.2chan.net/f/src/1536574383176.png
…そうなんですが、この潜水艦というのが当時比島に3隻が派遣されたいた「まるゆ」の1隻、派遣隊長青木憲治少佐自ら指揮する2号艇であったんだそうで、長期航海の損傷で潜航不能状態ながら、甲板上にまで貨物を満載してオルモックへの輸送任務に就いていた所を捕捉され、4隻の米駆逐艦の集中砲火を浴びて、正規の乗員に荷揚げ要員14名を加えた乗組員約40名全員が戦死という痛ましい最期を遂げているんですとか

よりによって「初陣」の輸送任務で、「安全」な筈の水路から初めて突入してきた米駆逐艦隊にかち合う…というのもなんとも不運なはなしではあったんですが、大岡せンせい曰く

「この水面に日本の潜水艦がいたということは、、この後米軍の作戦、艦長の判断に微妙な影響を与えている」

…とのことですので、あるいは友軍への輸送任務に殉じた「まるゆ」乗組員さんの、文字通り身命を引き換えにして得られたせめてもの副次効果、ということになるんでしょうか…


無題
Name 名無し 18/09/12(水)05:27:21  No.1253673

米軍がカニガオ水路が封鎖されていると思い込んだのって
常識的推測だけで無く、南西方面艦隊と14方面軍間の通信の傍受や、14方面軍がまるで水路が機雷で封鎖されてる様に振舞っていたせいだったりして

無題
Name 名無し 18/09/13(木)17:41:23  No.1253775      
https://cgi.2chan.net/f/src/1536828083561.jpg
連絡不備や思い込みで作戦上不覚を取る、というのは古今東西、或は敵味方を問わず戦場の常なわけなんですけれど、例えば「多号作戦」の初期、1944年11月8日にマニラから陸軍第26師団を乗せてオルモックへ向かった輸送船「高津丸」「香椎丸」「金華丸」からなる船団の場合、護衛の第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が、事前に特に懸念し、陸軍側に手配の確認を幾度となく繰り返していたのが、目的地オルモックに、揚陸作業用の「大発」が充分量(50隻)用意されているか、という事であったんだそうで

前年2月、ニューギニアでやはり水雷戦隊を率いて陸軍輸送船団の護衛中、連合軍航空機の攻撃で船団は全滅、自らも重傷を負った経験の持ち主でもある木村少将としては、空襲の危険から隷下の部隊を守るには迅速な行動が一番であり、円滑な揚陸作業の実施ができるよう予め何度も念を押していた、という事だそうなんですな

無題
Name 名無し 18/09/13(木)17:43:44  No.1253776      
https://cgi.2chan.net/f/src/1536828224323.jpg
もっとも、結論から言うとこの時実際には船団が夜間オルモックに到着した際、現地で用意されていた「大発」はわずか5隻に過ぎなかったそうです

ただし、木村司令官もそうした事態にも対策を立てており、船団中いわゆる「陸軍特殊船」として「大発」母艦機能を備える「高津丸」に、自前の「大発」を塔載させていたそうなんですが、コレがまた往路で受けた空襲の際、機銃掃射で破損してしまっていたんだそうで

敵機や魚雷艇の妨害も有って揚陸作業が遅々として進まない中、遂に夜明けを迎えるに至って、木村少将らはついに揚陸中断を決断、26師団の人員約1万名は上陸に成功したものの、重火器の殆ど、弾薬多数、その他現地部隊の待ちわびていた多量の軍需物資を輸送船内に残したまま、マニラに引き返さざるを得なくなってしまったんですとか

無題
Name 名無し 18/09/13(木)17:46:55  No.1253777      
1536828415212
更に輸送船団はオルモック湾外へ出た所で、懸念した通り米軍の戦爆連合約130機による空襲を受け、かつての「ダンピールの悲劇」の際と同様のスキップ・ボミング攻撃により、「高津丸」以下3隻の輸送船は全船被弾、「高津丸」及び「「香椎丸」は積み荷の弾薬・ガソリン等に引火・誘爆して沈没、護衛艦隊も海防艦11号が撃沈されるなど多大な被害を受けてしまったんだそうで

この時第一水雷戦隊旗艦「霞」の砲術長だった三浦節大尉によれば、帰還後司令部への報告の際、旗艦座乗の通信参謀が陸軍の「大発不備」を大いに難詰していたそうなんですが、空襲後損傷した「金華丸」に護衛を付けて先に帰し、戦場に残って「霞」艦上で「朝霜」「長波」らと共に沈没艦船乗員の救助に当たったショーフクさんが帰還後記したメモにも

「大発準備無ク無念」

…と記されているそうです

無題
Name 名無し 18/09/13(木)17:48:50  No.1253778      
1536828530118
こうした「大発不備」の生じた事情について、再び「レイテ戦記」から引用させて頂くと

「オルモックの船舶司令官光井大佐は、30隻の大発をそれぞれ百二師団、第三十師団主力輸送のため、セブとミンダナオに派遣したあとだった。残部10隻のうち、5隻は(※船団到着の前夜の)嵐のため浜に打ち上げられて破損し、使用可能なのは5隻よりなかった」

…そうなんですが、これはこの船団の前、10月31日から11月4日にかけて、陸軍第1師団をやはり「高津丸」「香椎丸」「金華丸」他でオルモックに輸送した際、次回からは

「35軍は大型輸送船による輸送は(略)打ち切り、以後は二等輸送艦(950トン、直接接岸して艦首の渡り板が倒れる米軍のLSTに当る新鋭艦である」及び舟艇起動によるという連絡を受けていた」

為であった、とされていましたり

無題
Name 名無し 18/09/13(木)17:51:20  No.1253779      
https://cgi.2chan.net/f/src/1536828680448.jpg
それが、第一師団の輸送が輸送船「能登丸」1隻を失ったものの、思いのほか順調に進み「第一師団の95パーセント揚陸」が成功したため、いわば急遽トンボ返りのような有様で、再びオルモックへの船団輸送が急遽決定、「高津丸」らは日を置かずそのままオルモックにトンボ返りを命じられたという事だったみたいなんですが、肝心の揚陸地点の指揮官さんへの予定変更の連絡がどこかで不如意になったのが、巡り巡って一回目の輸送を無事こなした輸送船団と護衛艦隊の惨劇に到った、という事であったんだそうで

二匹目の泥鰌を狙ったツケは非常に高く付いた、というお話しだったみたいですねえ

無題
Name 名無し 18/09/13(木)19:38:04  No.1253791
むしろ米軍のどこにそんな輸送部隊を攻撃する余力があったんだって不思議になる
レイテ沖海戦直後はレイテ島に米軍は大規模な航空部隊を展開出来ず、陸軍は重爆を含む大編隊で米軍揚陸部隊を爆撃出来たほど日本軍の航空優勢頼みの米機動部隊も連合艦隊総力を挙げた攻撃への対応で手一杯で相応の損害、補給物資の不足に悩まされてたはずなのに2週間足らずで回復したというのか

無題
Name 名無し 18/09/13(木)22:57:52  No.1253823
>2週間足らずで回復したというのか
うん

俺は詳しい人のように具体的な事象で説明できないけど
米軍の場合は常に後ろに「居て」届くまでの時間が掛かるだけなんだと思う

空白の時間があって劣勢になる瞬間はあるけど
それは「居る」連中が到着することで解決される

無題
Name 名無し 18/09/13(木)23:32:52  No.1253826
タクロバンの飛行場は早々に占領されて米陸軍飛行場として整備拡張工事入って上陸3日目にはもうガンビアベイ搭載機の不時着と補給に使われてるし
他の数か所含め1週間もありゃモロタイ島からP-38あたりの戦闘機から進出してしまうだろう
ガダルカナルといいベースとなる滑走路や伐開済みの土地があると作業も早い早い

B-24やB-25は直接モロタイから飛んできてるかもしれんが

無題
Name 名無し 18/09/14(金)09:07:59  No.1253850
五十六渾身のい号作戦で、米軍の偉い人が
「大損害を受けた、我々は回復に 10日も 失った。」
みたいなことを言ったって吉村本で読んだなあ

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1252591.htm

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