Name 名無し 18/08/24(金)13:12:21 No.1251606
ETV特集「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~」
8月25日(土)午後11時10分~ 午前0時10分
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症
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無題 Name 名無し 18/08/24(金)13:29:39 No.1251608
>治安戦
要は便衣兵(ゲリラ)との戦闘だろ。ゲリラ相手の戦闘では精神的プレッシャーが高いのは当然。
ベトナム戦争のときのアメリカ軍の兵士と同じ。
無題 Name 名無し 18/08/24(金)16:06:17 No.1251617
南方に送られた祖父は戦後20年ほど就寝中に叫び声をあげてたそうな
どれだけつらい思いをしたのかは聞けなかった
無題 Name 名無し 18/08/24(金)18:28:48 No.1251621
第一次大戦もだったがそりゃ出るだろ。話はそれるがペリリューでは日本軍との戦いでかなりのPTSDとかが出てる米軍側に。NHKのアレとかで見た人には分かるが後の硫黄島沖縄もかなりのトラウマを与えた
無題 Name 名無し 18/08/24(金)19:16:18 No.1251629
そりゃ出るだろとか出て当然、と言っても
それがどんな実態だったか具体的に見ていくのは充分有意義よ
陸軍の悪行的なことも色々出てくるだろう
無論自分は戦前陸軍には敬意をもった上でこうした特集を見てるけどね
無題 Name 名無し 18/08/24(金)19:18:49 No.1251631
まあ支那の兵にもいただろうし、どこの国の軍隊でも問題だろうがとりわけ日本軍を扱う動機はなんだろうね?
無題 Name 名無し 18/08/24(金)19:55:04 No.1251643
>まあ支那の兵にもいただろうし、どこの国の軍隊でも問題だろうがとりわけ日本軍を扱う動機はなんだろうね?
そりゃ日本人だからだろ
無題 Name 名無し 18/08/24(金)22:47:27 No.1251670
>まあ支那の兵にもいただろうし、どこの国の軍隊でも問題だろうがとりわけ日本軍を扱う動機はなんだろうね?
いや、今までに元日本軍兵士のPTSDを取り上げた報道番組って、
あるようであまりなかったような気がする。
だからとても貴重な番組だと思うよ。
無題 Name 名無し 18/08/25(土)00:05:03 No.1251682
>今までに元日本軍兵士のPTSDを取り上げた報道番組って、あるようであまりなかったような気がする
そうなんです。今まで白人兵士の世界大戦でのPTSD映像は見たことあったんですが、日本軍の映像は今回初めて見ます。
内容的にも興味深いです。
無題 Name 名無し 18/08/24(金)20:26:32 No.1251649
参考にどぞ
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/ptsd-ww2?utm_term=.euMV6k0AV#.qeJKOV8xK
無題 Name 名無し 18/08/24(金)21:53:23 No.1251662
>参考にどぞ
ありがと!
しかし、日本軍の場合、古参兵による凄惨な体罰、いじめ、私刑によって自殺する者、精神に異常をきたす者もあった。
本当に狂ってるし、許せない!
無能、無計画、無責任な大本営や軍上層部といい、最近、日本軍のイメージが悪くなってきた。
あくまでも上の方ね。
無題 Name 名無し 18/08/24(金)21:59:37 No.1251664
古参兵も下の方の人なんですがそれは
無題 Name 名無し 18/08/24(金)22:54:31 No.1251671
>古参兵も下の方の人なんですがそれは
まぁ実際にパワハラとか弱い者いじめを好んでしている連中というのは、組織の中でも下っ端からちょっと上に上がった位の人間に多いからね。
例を上げれば-
・2年徴兵制の2年兵
・運動部の2年生
・入社2年目の若手社員。
・バイトリーダー
無題 Name 名無し 18/08/25(土)15:31:18 No.1251782
>しかし、日本軍の場合、古参兵による凄惨な体罰、いじめ、私刑
他国の軍隊にはないと思ってる?
無題 Name 名無し 18/08/26(日)00:08:00 No.1251836
>他国の軍隊にはないと思ってる?
軍隊内だけでなく社会的にも階級がはっきりしてたイギリスなんかも酷かったらしいねぇ
米軍内では文系やユダヤ人といった「俺たち」の範疇に入らない面々がタフネス気取りの脳筋マッチョの格好の獲物になった
無題 Name 名無し 18/08/26(日)00:33:05 No.1251839
当時どこの国も上官からの虐待は当たり前だったと思うけどね
戦争神経症は臆病者の病気だから殴り倒して鍛え直せってのはアメリカの考えだっけ?
無題 Name 名無し 18/08/26(日)02:27:48 No.1251846
>まぁ実際にパワハラとか弱い者いじめを好んでしている連中というのは、
>組織の中でも下っ端からちょっと上に上がった位の人間に多いからね。
上に行くと虐め易い者が居なくなるからで
連中と言うよりその立場の期間だな
無題 Name 名無し 18/08/26(日)01:54:47 No.1251844
僕のおじいちゃんも、シベリア抑留の話は絶対にしませんでしたね…
満州の輜重部隊か何か?で馬に乗ってる写真だけ覚えてます
戦後、単身赴任中に二号さんを作ってた話を奥さんにぶり返される時もだんまりでしたけど、それ以上に軍役時代の話は皆無で、ただ、入院した時、お見舞いに行って帰る間際、びしっと敬礼した時の手さばきは、軍人でした
無題 Name 名無し 18/08/26(日)15:02:22 No.1251902
パットン将軍の映画だったかな? 傷病兵を見舞ったときにまったく怪我をしていない兵士が「怖いんです」とか答えたのに激怒して「こいつをすぐに最前線へ送れ!」
>僕のおじいちゃんも、シベリア抑留の話は絶対にしませんでしたね…
これはよく聞きますねえ。日本国内でも脅迫されたうえ監視されていたのでしょうか?
無題 Name 名無し 18/08/26(日)15:06:47 No.1251903
>僕のおじいちゃんも、シベリア抑留の話は絶対にしませんでしたね…
シベリア抑留はピンキリらしいからなー
俺の知り合いは独語と露語できたから優遇されてたし
部隊も脱落者出さないように人のやりくりとか上手く立ち回ったとか言ってたな
本当に辛かった部分は言ってくれてないんだろうけど…
無題 Name 名無し 18/08/26(日)03:35:21 No.1251849
https://cgi.2chan.net/f/src/1535222121229.jpg
暴力なんか日常ですよ
でも、戦場では嫌な上官から行方不明になるって
おじいちゃん言ってたなぁ
無題 Name 名無し 18/08/26(日)10:54:07 No.1251869
フィクションでもノンフィクションでも悪役というか嫌われ役に「大佐」が多いのは
どういう理由からだろう
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:12:42 No.1251913
http://cgi.2chan.net/f/src/1535267562225.jpg
「大東亜戦争」の最中、「週刊朝日(昭和19年1月合併号)」に「例外中の例外」と題した小咄が掲載されているんですが
「米国の徴兵検査場。軍医が、『お前は今までに何か大病をしたことはないか』と質問すると、百人が百人、神経痛、痔の手術、肋膜炎、肺尖カタル等々と大げさに答えるのが普通であった。
ある日、軍医が同じ質問をすると
青年『僕は今まで病気をしたことがないです』
軍医、ちょっと首を傾げ、『この青年、精神に些か異常を認む』と書類へ記入させた」
…というオチだそうですw
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:14:40 No.1251914
因みにやはり戦中、中国大陸で従軍した野元巳郎さんという通信兵さんの手記に、「人はいかにして狂人となるか」と題した章がありまして、訓練中精神を病んだある同期の兵隊さんの思い出を記されているんですが、曰く
「K二等兵は他班の初年兵であるが、既習者だった。既習者とは入営前に郵便局や鉄道などで電信のオペレーターを職業としていたプロである(略)当然彼らはいまさらトンツーの通信教育は不要である(略)既習者に対して私のような一般兵を未習者と呼んだ」
「既習者は最初から通信兵を約束されたいわばエリートである。しかも彼らは、他の初年兵が通信教育を受けている時間に内務実施ができる一大メリットがあった(略)班長や古参兵の身の回りの世話も出来る。したがって彼らのお覚えもめでたくなる(略)いいことづくめであった」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:19:23 No.1251915
http://cgi.2chan.net/f/src/1535267963175.jpg
「Kの班長は応召の下士官でT軍曹という(略)私がはじめてKを知ったのは、彼が既習者であるにもかかわらず、ある日突然私たち未習者と一緒に通信教育を受けはじめたからである。これは異常なことであった」
「KはT班長ににらまれてそうなったと聞いた。彼も入営後しばらくの間は(略)班長に可愛がられていたが、しだいにうとまれはじめ、遂にはにらまれるようになったという。しかしそれにしても、既習者が未習者の組に落ちてくるとは、いったいどういうわけか」
「通信演習を始めると、その理由がすぐわかった。Kの送信技術はすばらしい(略)しかし不思議なことに受信が全然駄目だった。私たちが受信できる(略)程度のモールス符号も(略)彼は顔を緊張にこわばらせて聞くが、その手が電報用紙に走らす数字にはミスが多く、空白さえあった。なるほどこれでは既習者同士の演習についていけないはずである」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:20:43 No.1251916
http://cgi.2chan.net/f/src/1535268043184.jpg
「『既習者の面汚しめ』そうT班長に罵倒されて、私たち未習者の組に落ちてきたという(略)耳から入る情報に対しては、彼の頭脳は薄い膜をかぶったように受つけないのである。それは迫りくる猛獣の咆哮を聞くまいと、耳をふさいで地にうずくまる姿勢であった」
「軍隊で直属の内務班長ににらまれた初年兵にまさる悲劇は、この世にない。一日二十四時間、K二等兵はT班長の掌握下にある。そして私的制裁つまりビンタとともに降ってくる怒声、罵声、はてはせせら笑いと皮肉。Kの耳は聞いても、その心は閉じてしまったのであろう」
「Kは利発そうな丸顔のまじめな兵隊だった。その彼をここまで追い詰めてなお手をゆるめないT軍曹とは一体どんな人間か。人はおそらく残忍で嗜虐的な髭面の鬼軍曹を想像するだろう。事実は違う。T軍曹は応召前は大阪で呉服屋の番頭をしていたと聞いたが、いかにもそれらしい大柄だが痩せて色の白い、そして小心な、下士官のなかでもおとなしい部類に属する人間だった」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:22:20 No.1251918
http://cgi.2chan.net/f/src/1535268140982.jpg
「T軍曹は私たちの班長(略)と同じ下士官室にいた(略)その夜、私は班長当番だった。班長当番は夕食を下士官室に持ってゆく(略)口に白マスクをはめ、お盆を目八分に捧げて持って行った。白マスクをはめるのも、目八分に捧げるのも、自分の吐く息が食膳にかからないようにするためで、これは軍隊一般のしつけである」
「Kがお盆を目八分に捧げて部屋に入ってきた。見ると、白マスクをはめていない(略)俄然、T軍曹の罵声が飛んだ。『こらあッ、白マスクはどうしたかッ』Kはお盆を捧げ持って立ったまま棒のように硬直している」
「『貴様あ、まだわからんかッ、班長に臭い飯を食わす気か、白マスクはどこに持っているんだッ』
T軍曹は立ち上がると(略)お盆を下からパッと右手ではね上げた。飯が、汁が、おかずが飛び散っって、Kの頭や肩や胸にかかった」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:23:10 No.1251919
http://cgi.2chan.net/f/src/1535268190742.jpg
「そのときである。Kは突如として軍服のあちこちの物入れ(軍隊ではポケットをこういう)を両手でぱたぱたと押さえ出したのである」
「探すなら物入れの中に手を突っ込んで探すのが普通である。しかし彼はそうしない(略)両手で交互に何度も何度も押さえては、また別の物入れに手を移すだけの動作の繰り返しである。ぱたぱた、ぱたぱた、彼は際限なくそれをくり返す」
「私はあっけにとられた。T軍曹も気味悪そうにKを見つめていた。Kは狂った。精神の平衡を支えていた最後の糸が切れたのであろう。驚いて飛んで来た班付上等兵によって内務班に連れ戻されたが、一晩じゅうぶつぶつと意味不明瞭の言葉をつぶやくので、班では監視のためか不寝番を立てたという」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:24:27 No.1251920
http://cgi.2chan.net/f/src/1535268267300.jpg
「翌日には衛生兵に付き添われて、第6師団の野戦病院に軍医の診断を受けに行った。そしてふたたび4中隊には帰って来なかった。精神異常の病名で入院し、すぐ後送されたとの噂が私たちの間に広まった」
…そうです
一発も敵弾が飛んでこない後方で、味方の兵隊さんしかいない場所でもこうした事態は起こり得ていたという事みたいなんですが、考えてみれば現代でもというか、似たような事件のニュースが偶に世間を賑しているわけで
ヒトのココロとストレスに関わる問題は、今も昔も根深いものがあるってことなんでしょかね
無題 Name 名無し 18/08/26(日)16:55:54 No.1251927
>味方の兵隊さんしかいない場所でもこうした事態は起こり得ていたという事みたいなんですが
事務処理能力に欠ける曹長さんが、業務の重圧から精神に異常をきたしていく話を書いたのは棟田博だったかな
無題 Name 名無し 18/08/26(日)18:56:12 No.1251935
鬱とかノイローゼとかの概念もあんまり知られてなさそうだしな
そもそも軍隊内で精神ケアするという発想自体なさそう…
無題 Name 名無し 18/08/26(日)19:28:31 No.1251938
http://cgi.2chan.net/f/src/1535279311170.jpg
渡辺洋二せンせいの「遥かなる俊翼」に、航空機事故で後遺症が出て精神病患者として入院させられた「鍾馗」の操縦者さんの話が収録されているんですが、
「数日のあいだに、同室の患者たちからいろいろ話を聞いた。この国府台陸軍病院は、日本に三つある陸軍の精神科併設病院の一つで、『鬼の金岡(堺)、蛇の小倉、死んでしまおか国府台』といわれるほどの恐怖病院、一生出られない、など」
…なんてありましたり
まあ今でも精神病院と聞けば正直あまり良いイメージは湧かないと思うんですが、面会に来た御父君から郷里では家系の精神異常者の有無を憲兵に調べられたと聞いたこの空中勤務者さん、いたわる父親に心中で親不孝を詫びた、といいますから、当時のヘイタイさんの精神病院送りへの感覚といったものが窺われる気がしますですなあ
無題 Name 名無し 18/08/26(日)19:30:21 No.1251939
http://cgi.2chan.net/f/src/1535279421319.jpg
因みに野元さんの著書には、後に将校となり、新兵教育の教官を務めた際のエピソードも幾つかありまして、それによると
「(※同僚の教官の)久保村が教えている野電9中隊の初年兵に衆議院の速記者がいた。度の強い眼鏡をかけた、見るからに神経質で真面目一方のこのE二等兵は、入隊式の連隊長訓示では速記の腕をふるって、一躍花形的存在となった」
「『ところが通信が下手なんだなあ。特に受信が下手だ。速記者だから当然上手になりそうなものだが』久保村がそうボヤく。受信が下手と聞いて、私はすぐ(略)K二等兵を思い出した。しかし班長の都築軍曹は(略)私も知っていたが、明朗でとても陰湿な初年兵いじめをするような男ではない」
「『速記者だから当然通信は上手になるはずだ』教官もそう思い、助教助手もそう思っている。第一、本人もそう思っている。それが上手にならない」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)19:30:50 No.1251940
http://cgi.2chan.net/f/src/1535279450275.jpg
「そこで、『上手にならないのは、貴様の軍人精神が入っとらんからだ』と助教助手からビンタを食う。それが真面目一方の男だから、『ああ、おれはまだ軍人精神が足らんのか』と自分を責める。強迫観念に襲われる。こうなっては受信はとても上手になるものではない」
「『軍人精神が入っとらん』これは彼の助教助手にかぎらず、旧陸軍ではすべての上官が部下に注意を与えるときの決まり文句であった。しかしよく考えれば、速記者としての練習が(略)あるいは(※通信兵としての訓練に)なじまなかったのかもしれない」
「野電9中隊の初年兵が教育隊から中隊に帰って間もなくの日曜日(略)都築軍曹が外出から帰営して、ふと正面の時計塔(※学校を接収して兵舎に使用していた)を見上げると、E二等兵が時計塔に登っている。そしてまさに飛び降りようとしているではないか」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)19:31:24 No.1251942
http://cgi.2chan.net/f/src/1535279484000.jpg
「『こらッ、飛び降りたら承知せんぞッ』(略)死ぬ気でも班長は怖いと見えてちゅうちょした。その間に他の兵が時計塔に駆け上がって抱きとめた。それからが大変である。また時計塔に登ろうとする。首を吊りかける。剃刀で手首の動脈を切ろうとする。便所にゆくにも監視をつける騒ぎになり、とうとう陸軍病院に入院させた。病院では精神病棟に収容した」
「久保村が面会に行くと、『教官殿。すみません、すみません』両手で病室の格子をつかんでゆさぶりながら、おいおいと声をあげて泣いた。面会から帰った彼はそう語って、しょうのないようなベソをかいた顔をした」
…なんてちょっと切ないというか気の毒な出来事もあったそうです
野元さん曰く、
「軍隊の初年兵、すなわち新兵の教育は、戦場の極限状況を想定しているだけに手荒い」
無題 Name 名無し 18/08/26(日)19:33:03 No.1251943
http://cgi.2chan.net/f/src/1535279583539.jpg
「人の心身両面を下ろし金でおろすような趣きがある。心身ともに頑健な者はこれに堪え抜くが、弱かったら潰れる」
「戦争の長期化につれて身体の弱い者も兵隊に取らざるをえなくなり、彼らを潰れないように時間をかけて教育するため、まがりなりにも特別訓練兵の制度が設けられた。しかし心の弱い者は一顧だにされなかった。もし精神医学あるいは心理学的観念から彼らに配慮が払われていたら、事情はもっと違っていただろうと私は思う」
…とのことなんですが、訓練時代にさえ心を病むような人が入隊者に含まれている状況で、その対策が十分になされないまま、更に強いストレスに晒される前線に送られた「心の弱い者」の兵隊さんたちがどうなったのか、想像するのもちょっと怖い話ではありますねえ…
無題 Name 名無し 18/08/26(日)21:53:50 No.1251965
https://cgi.2chan.net/f/src/1535288030369.jpg
ここを飛び降りたら青森だ!と川へ飛び込んだのは八甲田山の遭難者だったか
何事も限界を見極めるのは大事なことだが
組織としてその限界を超えてしまった人間に対する後のケアがいつの世も蔑ろにされていると感じるなぁ
無題 Name 名無し 18/08/27(月)07:59:59 No.1252009
https://cgi.2chan.net/f/src/1535324399897.jpg
心が壊れる軍人さんも居れば、東京大空襲後の勤労動員に通ってた当時の娘さんの「道の左右に黒焦げの死体が山積みで、その間を通っていました」なんて地獄絵図そのままなのにトラウマを感じさせない証言もあったり・・・
で「精神的負荷の総量は減った現代でも一定数の心の弱い人はPTSDになっちゃうのかな?」等と思った次第。
画像は現代でも「報告せんかバカモノ!」でブン殴られてもヤムナシな下っ端兵さん。
無題 Name 名無し 18/08/27(月)14:16:55 No.1252032
狂い方は人それぞれなので個別の事例を挙げ出すとキリがないように思う
無題 Name 名無し 18/08/27(月)18:43:25 No.1252064
震災で災害派遣されてPTSD罹患して帰ってきたけど
当然ながら同じ場所で同じ勤務してもなる人とならない人がいる
本当におかしくなる前に気づいたから助かったけどね
未だに夢に見る涙を流す事もある一生繰り返すだろう
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:38:22 No.1252068
国府台病院で勤務されていた斎藤茂太という軍医さんによれば
「その頃の帝国陸軍には『皇軍に精神病患者はいない』とか『精神病者はたるんでいるから起る』とかいう単純きわまる思想が横行していて、衛生部すらその認識は決して高くはなかった」
…なんていう事情も有ったんだそうで
また、国府台陸軍病院が大幅に拡充されて、戦争神経症を含む精神神経疾患の患者の収容を開始するのは支那事変の激化しつつある1938年2月4日のからだったそうなんですが、1938年における戦地から内地へ還送される戦病患者に占める精神病患者の割合が1.56%であったものが、1941年の「大東亜戦争」勃発を境に急増して、1944年(ただし1~4月)には22.32%にまで達しているんですとか
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:39:49 No.1252069
尤も、国府台陸軍病院長だった諏訪敬三郎さんによれば、
「注意すべきは神経症の性質上明瞭に病名を附せられるのは、症状の顕著な一部に限られると云う事実である。即ち病名をつけずに取り扱われる軽症者又は単に神経症的傾向あるに過ぎないものが案外多いのであり、言わば明瞭な病像を呈し戦時神経症と診断されるのは単に氷山の水面上に現われた小部分に過ぎず、水面下に潜んで居る方が遥かに膨大なのである」
…との事で、実際の割合はもっと高くなる可能性もある、ということみたいですなあ
一方、野元氏の言うような「戦争の長期化」に伴う本来兵役不適格とみなされるような方々が召集されてきた、という事態についてみてみますと、例えば1944年、中国大陸での第13師団歩兵104連隊所属の下士官だった西沢保さんという方の手記によると、氏の中隊に40数名の補充兵が新たに配属されてきたものの
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:40:53 No.1252070
「銃の扱いも出来ず、しかも兵器一つ持たずに手ぶらでやってきた」
「このたびの補充兵は第二種乙、中には丙種繰り上げ(丙種から乙種への繰り上げ)もおり、身体が不揃いで、特に智恵遅れの兵がいた」
「(そのうちの一人は)特に頭が弱く、仮名も書けぬほどであった」
…と、明らかに「質」の低下がみられたそうなんですが、1942年から華北戦線で衛生軍曹として戦った桑島節郎さんの回想によると、1942年の時点で所属していた中隊の8割が現役兵であったのに対し、44年には現役兵の割合は約6割に低下し、補充兵も
「いずれも30過ぎの老兵で大半は妻子持ちであった。現役兵は(略)若く独身であるから何も考えず、向こう見ずの無鉄砲さが売り物である。したがって戦闘にも強いといえるが、補充兵の老兵ともなると弾丸に対する恐れは非常に強かった。いとしい妻子を故国に残してきた身ゆえ、当然であろうと思う」
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:41:47 No.1252072
「はたからみても顔にも態度にも、ビクビクしたところがあり、お世辞にも強い兵隊とはいえなかろう」
…というものであったんだそうで
また、身体以外で精神的な意味での「弱兵」が増えていた、という点についてなんですが、やはり国府台陸軍病院の軍医だった浅井利勇氏によると、戦中各部隊で「智能検査」を実施した所、多い所では「精神薄弱」が3~4%に達した事があったそうです
1942年6月、浙江省の第22師団の野戦病院で、そうした兵隊さんの一人が自殺した事件についての当時の報告書が残っているんだそうなんですが、曰く
「彼は補充交代要員として、同地に到着したが(略)『ほとんど無口にして戦友と談笑せるが如きこと一度もなく常に孤独』の状態にあった。部隊到着後もほとんど戦友と談笑することはなく、4日目に自殺している」
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:42:21 No.1252073
「その後の調査によれば『本人は頭脳明晰を欠き』、『小学校尋常科第三学年を修了せるのみにして片仮名を書き得る程度』であり、同地到着後に実施した『智能検査』でも、『水準以下』と判定されていた」
「この兵士は、他の兵士に比べて記憶力や理解力が劣ることに常に苦悩しており、前年9月には衛兵勤務中に逃亡している。そのため禁錮5ヵ月の判決を受け、1942年2月に陸軍刑務所を出所したばかりだった。報告書は、長期の輸送、到着後の『智能検査』、作戦準備の開始など、環境の激変により発作的に自殺したものと判断している」
…そうです(「日本軍兵士」中公新書)
もっとも、こうした精神的に弱い召集兵さんへの配慮が全く欠けていたわけではなく、例えば1943年1月、満州の第2航空軍野戦航空修理廠付きの軍医だった高木俊一郎さんによると、当時任地で逃亡を繰り返す兵士の中に知的障害者が含まれていることに気付くと、それらの兵隊さんのみを集めた特別作業隊を編成することを提案して、「知能年齢最低5歳くらい」の知的障害者数十人と、「非行兵」からなる部隊を編成して、能力や性格に応じて作業を与えたんですとか
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:43:56 No.1252075
また、1944年5月には、陸軍省副官より「軍隊教育能率の向上並びに軍隊における犯罪防止を図るため」、「精神薄弱者および精神病質者対策要領」が制定され、全軍に通牒されているそうです
これは「精神薄弱(精神発育制止症)者および精神病質(性格異常)者は、その高度なる者は(兵役から)除役するとともに、軽度なる者に対しては必要なる保護を加」えるもので、各部隊は初年兵の入営時に「集団智能検査法」による「智能検査」と「精神健康調査」を実施し、問題のある兵士の「摘出」に努めることを規定しており、また実際に1944年度の徴兵検査から、「集団智能検査」が実施されているそうです
言わばまあ、一部の部隊だけでなく、陸軍全体として「精神薄弱者」が前線に送られることのないよう、対策に乗り出した…ということみたいなんですな
無題 Name 名無し 18/08/27(月)19:44:52 No.1252076
但し、言い換えればこの時まではそうした配慮がなされる事無く、精神に弱点を抱えた兵隊さんが前線に送られ続けていた、という事でもあるわけでして
前述の国府台病院の記録で、「大東亜戦争」が後期に向うにつれて、戦時神経症の患者さんの占める割合が増えているのは、無論悪化する戦局と戦場の様相の影響する所も大なんでしょうけれども、或はこうした兵力増員の為に、身体的のみならず精神的にも兵役に向かない方々が召集されるようになった事も、その急造の一因を為していたりするんでしょかね…?
無題 Name 名無し 18/08/27(月)22:40:31 No.1252120
>国府台病院で勤務されていた斎藤茂太という軍医さんによれば
ひょっとしてこの方精神科医で随筆家の斎藤茂太さん?(父親は歌人の斎藤茂吉、弟に小説家の北杜夫)
太平洋戦争中は陸軍軍医大尉だったそうですが
無題 Name 名無し 18/08/27(月)21:47:51 No.1252104
こっちは録り忘れたから観てないが
祖父が見た戦場、ルソン島の戦い 20万人の最期は観た
小野文惠アナウンサーの祖父はルソン島へ就いた直後に
盲腸で入院してるけど、こういうのも軍としては困っちゃうよね
PTSDを取り上げないのは
健常者も病弱もメンタリティ低い人も関係なく20万人が死んじゃう現実があり
PTSDを発症してても生きてりゃまだまし些細なことだって考えがあるかもね
無題 Name 名無し 18/08/27(月)23:16:24 No.1252135
>PTSDを取り上げないのは健常者も病弱もメンタリティ低い人も関係なく20万人が死んじゃう現実があり
日本軍兵士のPTSDを取り上げた書籍やTV番組が、米軍兵士のそれと比べて不自然なほど極端に少なかったのは、敗戦国ゆえに生残したPTSD発症兵士の資料が少なかった、ということもあるかもね。
米軍の場合は2つの大戦にせよ、朝鮮戦争、ベトナム戦争にせよ、生還した兵士の割合が高かったからこそ、PTSD発症兵士の十分な資料を作成することができたとも言えるだろう。
部隊ごと壊滅してしまったら、誰が健常だったか、誰が異常を発症したのかわからないから。
無題 Name 名無し 18/08/27(月)23:44:04 No.1252140
日本軍で後送する手段失った戦場だと発症者の程度によっては現地処分が行われてたようだし
関係者に角が立ちすぎて書けんだろう
内情に詳しいであろう軍医や衛生兵は処置に携わるし尚更に
補給途絶に加えて連日砲爆撃受けた玉砕島とか発症者出ない方がおかしいし想像で補うしか
無題 Name 名無し 18/08/28(火)00:12:37 No.1252148
https://cgi.2chan.net/f/src/1535382757705.jpg
例えば陸軍落下傘部隊では、隊員の性格診断や降下がもたらす心理的負担は勿論、幼稚園から成人に至るまでの性格・対人関係を追跡したり、家庭環境(両親の性格、健在か死別か、離婚歴の有無、遺伝)が適性に影響しているかなど大量の選兵対策データを収集していまして
いわゆる「精神的事故者」の抑制に懸命だったんだなと
無題 Name 名無し 18/08/28(火)03:33:02 No.1252184
知的障害のある兵士の診断書に恩給不要と書いてあったのは衝撃的だった
無題 Name 名無し 18/08/28(火)04:33:02 No.1252186
>隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~
イジメ殺されてる「戦後の成人や少年少女たち」と、一体何処に違いがあるというのか…
…「戦争は終わった」と『無謀な戦争で敗北した現実』を直視せずに来た戦後70年余りと戦中、やってる事や起きた結果がここまで差異が少ないなんて
無題 Name 名無し 18/08/28(火)11:22:45 No.1252210
陸軍病院の痕跡は無いけど、国府台は面白い土地だよ
昔は手前まで海が着ていたそうで、その事を歌った和歌が万葉集に載っているし
国府台合戦の舞台になった城跡には堀切や土塁が残っているし
なぜか古田織部の茶室が立っていたり
JR市川駅を北に行けば10分くらいで行ける場所だから、たまには寄ってみて欲しい
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1251606.htm
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コメント
「早く戻ってこれたのは共産主義者になったから」などといわれ、就職や縁談が不利になった、破談になったというのは聞いた話。
そんな事になるくらいなら口を噤まざるを得ない、というのは話すことによって癒される可能性を閉ざしていたとも言えますね。
>無題 Name 名無し 18/08/27(月)18:43:25 No.1252064
>震災で災害派遣されてPTSD罹患して帰ってきたけど
ああ、どの震災か分からないが感謝を申し上げたい。
あの時にご遺体が見つかったかどうかは、ご遺族のその後に多大な影響を与えています。どうか回復されることをお祈り申し上げます
確かPTSDが認知され始めたのは第一次世界大戦による陰惨な塹壕戦の後だったかな?
砲弾神経症・シェルショックと呼ばれていたみたいなんだけど、wikipediaによれば当初は「軍の伝統的な立場のものは、この現象を臆病者であるからだと結論し、処罰と脅迫による電気ショック治療を提唱した」ってのもあるので、まぁ理解と対策を なんて言う以前の問題だったんだろうな・・・
この手の話で興味深い書物としてデーヴグロスマン著の「戦争における「人殺し」の 心理学」が、特に戦争におけるPTSDの問題を分かりやすく幅広く取り扱っており面白かったな〜
この本によれば人間は人間を殺さないように出来ているが、軍隊では兵士に人殺しをさせるための工夫に溢れている。そして人間である兵士は人間を殺したという事実に長く苦しめられてPTSDになってしまうようだ。
一方で勝ち戦で、帰国まで時間をかけて兵士の気持ちをほぐしていったフォークランド紛争後のイギリス兵はPTSDが顕著に少なかったようで、周りの理解や誇り、戦友との語り合いなど大事なんだな〜 と読んでて感心しました。
まぁ理解も誇りも無かった二次大戦後の日本兵さんたちは本当に大変だったろうな(´・ω・`)
「栄光の代償」では「帰国してから家々に掲揚された国旗を見るのが嫌だった。外出するのも嫌だった。人々の称賛の声を聞きたく無かった」って人がインタビューされててこりゃたまらんと思ったものだ
あの番組は締め方が芸術的だった。きらびやかなパーティ会場で豪華なドレスを着たサッチャー首相が兵士を誇りだと称え万雷の拍手の中着席する。
場面変わって家族を亡くした女性がカメラに向かって言う。
「英国は侵略に対して戦ったのです。それは誇りの問題でした。国にも国民にもその誇りが必要なのです。その為に私の家族が払った代償は誰にもわかりはしません。でも国家には価値ある代償なのでしょう」
どこの軍隊でもPTSDやらの精神を病む軍人というのは必ず出て来ますけども、こういったストレスに弱い方というか病みやすい方を入隊前にはじくようなテストというのはないのでしょうか?あるいはあってもそこまで完全ではないということなんでしょうか?
明らかにヤバそうなのは面接で落とすだろうけど、職業の精神面での適性なんてある程度やらせて見ないとぶちゃかわからんし、精神科医だってじっくり診察してやっと結果を出すのに事前にそこまで正確な診断は出来ない
それに戦場や過剰なシゴキで発狂しない人間だけを100%選別できても、それやるととてつもない人手不足になると思う。
戦争経験を聞いていると人間ってのは戦争に耐えられるようには出来てないんだなと思う。幾らでも戦争ができる人がいるなら、多分そちらの方がオカシイんだ
文字の読み書きはおろか、判断力すら拙い人間を前線に送り込んだって邪魔なだけじゃ…と思いながら見てた
あと、本スレのK氏って今で言う発達障害じゃないかなと思ったり。あまり知られてないけど言葉を認識しながら文章に書き起こしたりとか苦手なんだよね(あくまで一例としておく)。
「栄光の代償」はラストだけはハッキリと覚えている。ナントもやるせない思いをしたよ。まさに「一将功なりて万骨枯る」とはこのこと。
総員退艦時に、艦尾の旗竿にしがみついて号泣する兵士の話があったけど、このシーンは複数の乗組員の証言にも出てくるんだよね…。
フォークランド紛争といえば、アルゼンチン映画の『ステート・オブ・ウォー』は、戦後に祖国に帰還した兵士たちはみんな秘密警察の監視下に置かれ、戦争について一切語ることを許されないまま、主人公は精神を病んで自ら命を断ってしまう話だった。
あと朝日ソノラマに小説だけど『女王陛下の巡洋艦』という作品があって、これはUボートの奇襲で自分の艦を失った艦長がPTSDで鬱病を発症して指揮を執れなくなる話で、鬱病の描写がヤバいので気分が滅入っている時に読むのは激しくオススメできない。
同じく朝日ソノラマの『死闘の駆逐艦』は、駆逐艦の艦長の回想記だけど、たびたびストレスで情緒不安定になって指揮できなくなる話があって、艦長クラスでもこうやって壊れてしまうケースが珍しくないんだろうな、と…。
敵兵を救助せよで有名な工藤艦長も色んな逸話を持つほど立派な体格の持ち主だったけど、終戦ごろにはおじいちゃんと見間違うほどやつれて老けた見た目だったと言う
例えば記事の様な状況なら多くの人が同情するけど、「特に戦争をしてる訳でもない今の自衛隊でストレスとか軟弱では?」と思う人は多いと思うし、そう思われたく無くて隠す人もまた多い。そのストレスの原因も人それぞれで、指導がキツイと感じる子もいる一方で、指導が緩すぎて逆にキツイと言う子も居たり、他にも様々な要因でストレスを抱えて、何が引き金になるかわからないことも多い。
ただ今の子は比較的すぐに不満やストレスを報告してくれる傾向があるから、ある意味、楽と言えば楽だけど、それを「軟弱」と感じる人が居るのもまた事実だし、その考えを否定することもまたその人のストレスになるから難しい。
わかりやすい説明ありがとうございます
人間が集団で生活すると起こる宿痾なんですね、ストレス
戦闘神経症という認識は既にあったが、それに伴う戦闘栄養失調症とか何とかで
元々栄養状態が悪いところに戦闘や軍隊生活によるストレスで食物を受け付けなくなり衰弱死してしまう
離島のように孤立してしないビルマ戦線でも多発していたそうな
キニーネも効かないマラリアは、この栄養失調状態で抵抗力が低下した為だろうとの軍医さんの見解が
大量に餓死者が出ている事は昭和天皇の耳にも入り、杉山元陸軍大臣に何とかならんかと仰ったそうだが、その杉山大臣が言うには、南方に兵を出しても4割が餓死してしまうと
戦争末期には本土の国民にもこの戦闘栄養失調症の症状が現れていたそうで
しかし海軍では、これは病原菌やウイルスではないかと推測していた
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_KS02000050010000_68/
徴兵検査で弾かれた連中で、営倉に入ってないから当然訓練も受けてない
本土での根こそぎ動員では配備されてから初めて射撃訓練で、しかも小銃自体が定数を大きく下回る配備数で本当に最初だけ
あとは陣地構築と爆弾抱えての匍匐前進の訓練が主体だったとか
二百番、三百番代などの番号が大きい師団がこれにあたる急造師団で、本土決戦の配備状況を見るとぞっとする
師団長も兵站出身などお寒い限り
それはもう犯罪者を心理状態で発見して捕まえたりしてるアニメのサイコパスの世界だ
そもそも入隊した後に変化する場合もあるからね。
今まで大丈夫だったことがそうじゃなくなったりとか。その逆もある。
それこそ大多数は「慣れ」で克服出来る場合が多いからこそ訓練であったり教育と言う形になる。上の人達は経験則的にそれがわかってるからこそ「俺たちの時は〜」とか「今の若者は〜」とか思ったり、言うけど、まだ経験がない若者にはどうしても理解が難しいし、それを言う上の人も経験則的(感覚的)な物でしか言えないと手段と目的が入れ替わったり、更に理解が遠退く。
それら理不尽も大多数が、ある意味慣れで片付いてしまう。
そうなるとどうしても慣れれない少数は立場的に弱くなるし、弱い所にはさらに力がかかってしまう悪循環になる。
直ぐ辞めれる、逃げれる環境でもなければ本人にとっては地獄だろうね。
知的能力検査をするならある程度の知能はわかるとおもいますが、生育歴、人格、ストレス耐性、社会的スキル等ついてはすぐにはわからないです。人の心は後天先天が混じりあったものなのでおつしゃる通り鑑別は難しいですと思われますね。
当時の軍隊としてPTSDは戦後の診断概念ですのでしてヒステリーや神経症で診断されたのでしょうね
要はいじめの問題だけれども、どの時代、どの軍隊においてもいじめの問題は常につきまとってますし、ただでさえストレスのかかる軍隊生活なのに逃げ場のない弊社社会の中で毎日いじめを受けていれば本人の本質的な性格にまで影響を及ぼすことは十分有り得そうな・・・
志願制で且つ士気が高いといわれる自衛隊でもいじめ問題は後を絶ちませんし。
気兼ねなく相談できるメンタルケアや、場合によっては異動等で物理的に環境を変えてしまうことがスムーズにできるシステムが整うと良いのですが
次の時間が迫ってても「急げ!」とか言えなくて「今何分かな?」「時間に間に合うのかな?」と言う感じで遠回しに言わなければならないそうだ。
流石に極端な気がするけど。
こんな状況でもまだまだ理不尽なパワハラまみれです
私の会社に転職してきた元防大の方はすごく優秀だが
なぜやめたのかと聞いたらパワハラということでした
部下をあれだけ虐め殺しておいて一片の呵責も感じていないというのは尋常じゃありませんよ
防大はまた逆の意味で極端だからね。
教官、助教ではなくて、上級生がね。
一年生は奴隷、2年生は石ころ、3年生で平民、4年生は神とか言われてる。
一回、支援助教で行ったけど、絶対無理だと思った。
「SNS(LINE)による相談窓口の設置」ってのが今風で新しい。
ぶっちゃけ現場の実情に合わない上からの指導自体もパワハラだと思う今日この頃。
女子アナ・吏良の海上自衛隊メンタルヘルス奮闘記
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4062160706/
営倉は懲罰房であってそういった人たちを収容するところじゃないでしょう。
戦後はシベリアに抑留されてしまったらしくその事、特に戦争中の事ってなんだか聞くのが憚られる気持ちみたいなのがあったんだけどその御大は事も無げに悲壮感も無く淡々と語ってくれた。
もう齢90も過ぎると一周して達観してらっしゃったのかな。
一つ覚えてるのだと毎日毎日死者がいて戦友の亡骸を運ぶ時ももう毎日で大量なもんだから次第に感覚麻痺して木材でも運ぶ感覚でブン投げてたとか色々壮絶なお話だったんだけど・・これも精神疾患の一つだったんでしょう・・
しかしシベリア抑留より初年兵時のめしあげやら古参兵の制裁が辛かったって話が一番長くてニコニコしながら語る好々爺ぶりに当時はクスりときてたけど本スレ見てなんか納得と言うかこれも辛いものだったんだろうなとは想像出来た。
いやもちろんシベリア抑留の方が辛かったんだろうけど。
普通の人間なら殺されそうで、なおかつ自分も殺すような異常な環境でトラウマができないなんて思えない。
内地に帰った後も戦場で帰るのを楽しみに誇張しすぎたイメージと実際の人々の理解の乖離で病んだり、心に傷を負う要因には事欠かないし、平然としてるように見えるのは自分の行為を正当化してなんとか保ってる人か、大儀を前に目を背けようとしている人か、本物の狂人だけだろう。
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